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私的平和考⑯四季「異国の丘」その2.

 劇団四季の「異国の丘」は、日中戦争当時の首相近衛文麿の息子、近衛文隆がモデルとなっている。日本が中国、上海を攻撃し、日中の全面戦争へと泥沼化となりつつある時。時の蒋介石との間に何とか和平条約を結びたいとの、父の密命を受けて一人上海に乗り込む。

 彼はアメリカに留学したときに知り合った、蒋介石の姪の恋人がいた。その彼女の働きもあって、父近衛文麿の密書が無事蒋介石の手に渡り、そして蒋介石の返書をやっと手にしたが。

 父親を日本軍に殺され、和平を阻止したいと考える中国人と、これも和平などさせたくない日本軍の手により、密書は結局首相の手に渡らなかった。

 和平工作に失敗した後、日本軍の中国への全面侵攻、第二次世界大戦へと続いていく。

 近衛文隆は、懲罰召集で満州に配属され、終戦後、シベリアに抑留される。マイナス40度の極寒での重労働。次々と仲間は死んでいく。彼は、なんとか生き延び、やがて終戦から11年もたって、1956年、やっと日本に帰れるとなったその日に、殺害されてしまう。

 私は、その頃を思い出す。元気な小学生。原爆の廃墟の中で、新しい憲法の下で、のびのびと教育を受けていた。その頃、まだあのシベリアに抑留され続け命を落とす人たちがいたのだった。日本の政府は、その人々を一国も早く救い出すなんてことはしなかった。それどころか、今の今でさえ、まだ中国に取り残された残留孤児の人たちもいる。

 そういえば、その頃、いつもラジオで「尋ね人の時間」というのがあって。どこどこから引き上げてきた〇〇さんが、だれだれさんを探しています、と沢山の人の名を呼んでいたものだった。

 極寒の中で、みんなではげましあいながら、何とか生きのびようと頑張る彼らの姿に、涙を禁じえなかった。その中で、私が言った「異国の丘」も男たちの合唱で歌われた。

http://www.youtube.com/watch?v=9hkoI_r3MLM

それはそれは、つらいミュージカルだったが。終わった後、劇場一杯の客からは、拍手がなりやまず、何回アンコールがあったことか。本音はライオンキングを見たかった若者たちもとても良かった、と言ってくれて、ほっとした。

 私は、このミュージカルを作った浅利慶太という人は、本当にすごい人だと思った。パンフレットには、参考にした本が何十冊も記録されている。事実をキチンと検証することが、小説やこのような演劇を作るうえで、とても大切なことだからだろう。そして、彼のこのミュージカルに寄せての文章が、また、すごい。

 次回、その浅利慶太氏の文章を紹介します。


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ぜひ、覗いてみてください。

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コメント

劇団四季は、ほかにも「南の島に雪が降る」(タイトルに今ひとつ自信がありませんが・・)という話も上演したと思います。
 戦地に慰問に行き、上演の中で紙片か何かを、劇中の雪として降らせたという・・、其の方々のことを作品にしたものだと思います。情報がはっきりしなくてすいません(途切れ途切れの記憶です)。
 劇団四季のライオンキングは私も観劇しました。劇団の姿勢、偏らず、多岐にわたる上演内容がうれしいです。

投稿: momoko | 2009年7月 3日 (金) 14時39分

とても楽しいブログですねっ!
これからも頑張って下さい。(応援)

投稿: ネットワークビジネスマン | 2009年11月 3日 (火) 19時25分

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