私的平和考⑳終わりに当たって。これからも声を上げ続けます。
物心がついた頃から、この地球上には、ずっと戦争がありました。
第二次世界大戦が終わってすぐに朝鮮戦争。まだ私は小さくて、意味もよく分からないなりに、ラジオでニュースを聞いていました。家にはラジオが一台あって、幼稚園に行かなかった私は一日中ラジオを聴いていました。まだ「尋ね人の時間」もあったそんな時のニュースです。また、NHK第二放送では、子ども向けの勉強の時間があり、これが面白くて、ずっと聞いていました。そこでは現在行われている戦争や、国際連合のことなど、子ども向けに分かりやすく説明してくれていました。
それから、何と言ってもベトナム戦争。私が中学生の時から、大学を卒業しても、ずっとベトナム戦争は続いていました。岩国の米軍基地も完全にベトナム戦争の基地となってました。戦死した米兵の死体を洗うアルバイトがあって、大変高価で雇ってもらえるとの話しは学生たちに広まっていました。
それから、イラク。今も続いています。
それらを見ると、いつもアメリカが戦争の中心にありました。これらの戦争で、どれだけの人の命、戦地とされた地の人々だけでなく、アメリカ人の命もどれだけ失われたことでしょう。
戦争に対して、または国に対して、日本でも多くの人々の反対運動が起こりました。第二次世界大戦では、戦争に反対する人々は、逮捕され、拷問され、殺されました。人々は、言いたいこともいえないままに、権力に従うしかありませんでした。
それらの教訓もあって、戦後は、人々は、声を上げることができるようになりました。戦後のヒロシマでは、数々の圧力を振り払うかのように、原爆反対、平和をというデモや集会がもたれるようになりました。60年安保。樺美智子さんが亡くなったという事実は、中学生の私にも、衝撃でした。ベトナム戦争では、ベトナムに平和を市民連合、いわゆるべ平連は、全国に広がりました。世界中が注目する中で、ベトナム戦争は、初めてアメリカが負けた戦争となりました。
今、アメリカは、オバマ大統領となって、私にとって初めて、なんだか尊敬できる国になるかも知れないという期待を持てるようになっています。
誰に何といわれようとも、私は殺し合いはイヤです。ましてや、公然と人を殺すことが手柄となる戦争はぜったいにイヤです。
国と国との関係は、粘り強い外交、対話路線で行くべきだと思います。武力で脅しながらの外交は、人類史上、もうそろそろ終わりにしてもいいのではないでしょうか。
核兵器に対しては被爆者を中心とする、これも粘り強い証言と核兵器廃絶の叫びが、世界中に展開されています。アメリカで開かれていた原爆展に、まだ大統領になる前のオバマ氏がふらりと入って来て、見て行ってくれたということもありました。
その被爆者も高齢化した今、核兵器廃絶の声は、若い人たちに引き継がれなければならないでしょう。また、ヒロシマ・ナガサキ議定書(議定書とは:一般の条約と手続きや効力は全く変わらないが、既存の条約と密接な関係があり、その条約を保管する条約の名称として使用されることが多い。たとえば、「気象変動枠組み条約」への「京都議定書」。この「ヒロシマ・ナガサキ議定書」は「NPT(核拡散防止条約)」への議定書である)を採択した平和市長会議は、6月1日現在全世界で2926の年が加盟するまでの大きな組織になっています。
日本では、同時に核兵器を必要だとする人たちの声もまた、大きくなっています。憲法も危ない状況になっています。だからこそ、私は戦争も、核兵器も否定する声を上げ続けなければ、と思っています。
途切れとぎれに書いてきた「私的平和考」一旦これで終わりとします。でも、これからも、平和に対する思いは単発で書き続けます。読んでくださってありがとうございました。
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コメント
いつも先生のくださる情報の確かさにこちらに伺っております。日常の生活の中で感じる疑問や不安は、小さくても声をあげていかないといけないと、日頃からそういう話が出来ることが大事なのだと思います。どうぞ、お身体に気をつけて、これからも発信してください。遅ればせながら、私もブログを始めてみましたので、お時間のあるときに見ていただけたらうれしいです。
投稿: ペア | 2009年7月26日 (日) 21時57分
ペアさま
ブログ開設おめでとう!!ございます。早速うかがわせて頂きました。これからも楽しみに読ませていただきますね。お互い、無理のないようにでも、頑張りましょう!こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2009年7月28日 (火) 10時58分