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私的平和考①二人の男性との再会。何かをしようよ!

2008年3月のある日、まだ私は選挙の落選の傷もいえていない頃、突然二人の男性がクリニックを尋ねてきた。一人の男性が手に写真を持っている。

Photo_2 これ、この写真、ここに写っているのは先生でしょう?と言う。見ると、紛れもなく、私の学生時代の写真だ。平和公園で座り込みをしている。

「ええ、そう。これは私です。で、お宅は?」とたずねると

「これ、ここに写っているのが僕です。」と言う。「Mです。」と名乗る。ああ、そうだ。M君だ。当時確かまだ19才頃。かわいい少年だった。今はもう白髪になっているけれど、確かにM君だ。で、もう一方、あなたは?とたずねると、「Kです。」と言う。わあ、K君。美少年だったK君、たしかに見覚えがある。大方40年ぶりの再会だった。

 M君が実家に帰ったところ、母親がこの写真を見せたのだという。こんな写真があったと。それを見るなり、彼は、これは何かの思し召し。どうしても会わなければと思ってここまでやってきたという。

 それが今回の始まりであった。

 彼らは、むろん私もであるが、長い間の時を経て、今、何かをしようではないか、ということらつながって行った。「ぼくもいろいろとあったけれど、やっぱりこの被爆者青年同盟が原点でした。ここにどうしても今立ちかえらなければ、と、思いました。」

 うーん、確かに私自身も、大学時代、被爆者青年同盟で運動をし、その延長で産婦人科医になった。被爆者の命をつなぐ、お産をやりたいと思ったし、さらに遺伝の問題、染色体の研究をしたいと思った。産婦人科医になって37年目。あの頃の決心はすこうし、形を変えたままだ。情熱は変わっていないけれど。

 その後、私の父を初め、石田明先生、近藤幸四郎さん、いろいろと教えてくださった被爆者も次々と亡くなってしまった。当然、被爆者運動も弱体化せざるを得なくなっている。

 語り部として貴重な体験を話してくださる人たちは、今も少なからず存在する。しかし、その運動の矛先は一体どこに行こうとしているのか。

 一方、日本の憲法が危ない。国民投票法案が国会を通り、本当にいてもたってもいられない思いで参議院選挙に立候補したのだが、あえなく落選。私自身もどこに向かおうとしているのだろうか。

 そんな思いでいた時の二人の訪問であった。「何かをしようよ。原点に戻って。」そこから、次々と懐かしい人たちに会った。時を経て・・・。ある人は思いもかけず、僧侶になっていた。ある人は、高校の教師を勤め上げ、定年退職をし、時間がある状況になっていた。あの高名な日本をとどろかした全共闘運動の先頭に立っていたある人は、故郷でゆっくりとした生活を送っていた。

 八丁堀での電車内被爆の、ただ一人の生き残りの方にも会えた。父の勤務していた学校、広島二中の爆死した生徒の真っ黒の弁当箱、それを遺族が資料館に提供した、その生徒の弟さんにも出会えた。

 まだまだ様々な方たちと出会い、話す中で、徐々に形を作りはじめ、そしてこの8月6日に集会をすることになった。

 このシリーズ、不定期になるかも知れませんが、しばらく続きます。


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ぜひ、覗いてみてください。

広島ブログ

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コメント

午前7時前、河野先生のブログを開いたら「国民投票法案」の字句が目に入りました。実は先ほどUPした辛口のブログでも、それを載せたところでした。
昨日北朝鮮が核実験とミサイル発射を相次いで行ったとのニュースから、それに結びつくことだと思ったのですが、平和を追求するために私たちが出来ることは一体「何」なのでしょうか。
この年になって今更と言われそうですが、新たな悩みです。

投稿: なんでも辛口 | 2009年5月26日 (火) 06時56分

石田明先生のお名前を見て養護教諭として働き始めた頃を思い出しました。今の状況はどうなのか今は広島から離れているのでよくわかりません。あの頃は広島の教育と平和教育は切っても切れない関係にありました。石田先生のお話を何度も聞いて平和教育を柱に掲げる組合活動にもそれなりに参加していました。その頃の養護教諭の先輩たちの中で凛として仕事をされていてその姿勢に畏敬の念を抱いていた何人かの方は広島日赤の看護学校で被曝され助け合いながら命からがら逃げて、多くの友人を原爆でなくされた経験を持つ方々でした。結婚して退職するまでその方たちの近くにいられたことは今考えると大きな意味を持っています。その後千葉で養護教諭として勤めた時若い先生から「広島って平和教育と同和教育が盛んと聞きましたがそれはどんなものですか?」と質問されたときびっくりしました。平和教育をしない教育というものが存在することが信じられませんでした。その結果が今の日本だなあと感じています。
養護教諭の全国大会に参加した時余興で広島県の発表は必ず「原爆許すまじ」「夾竹桃の花」の合唱でした。正直他の楽しいことでもいいのでは?と思わないではなかった若い私でしたが、それがとても大切なことだったのだと今はしみじみと思っています。

投稿: EKO | 2009年5月26日 (火) 12時03分

先日、20代後半の男性が原爆ドームの話をしたら、20代そこそこの男性が、「原爆ドームってなに?」と聞いていました。
彼らは、東京から来たようです。
マスコミでは、8月6日が何の日か知らない若者が多いと報道されていましたが。
それを目の前で、実感しました。

また、違う人との会話では、
広島にいると、戦争の悲惨さ=原爆とどうしても思ってしまいますが、
東京では、東京大空襲だそうです。
その日にちを聞かれ、答えれれなかった自分の未熟さを感じました。
近いうちに、このことは自分のブログに書こうとおもっています。

投稿: やんじ | 2009年5月27日 (水) 05時56分

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