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私的平和考⑥リンゴとだんご。食べ物考。

 めざしが贅沢だったといった 私が訪ねた友人は、被爆当時女学生だった。宮島から広島に通っていたと。そして、戦後のある日、船を下りた桟橋で、「りんご」を目撃したのだと。「わあ、りんごだ」と。ものすごいものを見た、その強烈な感覚が今もしっかり残っているのだろう。60年以上経った今でもその記憶は鮮明だ。

 峠三吉の「墓標」にかかれている「リンゴも匂わない / アメダマもしゃぶれない」という一節とそれは私の中で結びついた。

 父の日記にある私の三歳の誕生日。「おダンゴを作って祝った」とある。団子はよく食卓に登場した。米を粉にして水を加え練る。今の団子の粉のようにあんなにさらさらもちもちはしていないが、よくだんご作りを手伝わされた。私は今も手でだんごを作るのは上手だ。あの頃、父の育てた大豆を家で粉にして作ったきなこをまぶして食べるだんごは美味だった。

 または、時々「夕飯はダンゴ汁、馳走だった」との記述もある。もちろん、ほかに具などほとんど入っていない、今のダンゴ汁とは似ても似つかない汁だけのだんご汁であるが。

 団子なんて、これもサイコウの贅沢だったと、その友人は、また言った。本当に食べるものがないんだから、と。

 先述の「ヒロシマは生きていた-佐々木雄一郎の記録」には、戦災孤児収容施設「光の園」の子供たちの写真もある。「礼拝する表情はなにかを訴えかけるよう」と。

 そこの証言、廿日市の青木喜代子さん「戦後、広島には戦災孤児の収容施設が次々に誕生した。私が院長をつとめる「光の園」もその一つだ。国鉄広島駅などで浮浪生活をしている子供たちを連れ帰ったが、腹はすかしているし、タバコは吸っているし・・・。でも、施設に入れても満足に食べさせるものがあるわけでなく、毎日ダンゴ汁ばかり。フトンがないので床の上に寝かせ、1枚の毛布だけで寒さをしのいだものです。」

 ああ、ここにもダンゴ汁だ。

 父の日記によると、7月1日呉に空襲。3日、24時前よりまた空襲警報となる。こどもを丈夫に育ててくれるように祈るのみである。妻子の無事成長を祈る。5日、今日も異状なく、昼間を過ごした。今夜当たり最も注意を要する。頑張ることだ。必ず勝つことだ。子供を思う。神様を祈る。お願いする。8日、敵機大挙来襲の報にて、早く帰る。

というような緊迫した状況の中で、7月6日「午後早く帰って米五升くらい、醤油一本、焼き物など埋めた」とある。当時、南観音の田中さん(今もある米屋さん)のうちを借りて住んでいた、その庭に埋めたようだ。

 原爆により、家はぺちゃんこになったと。とても大きな石が居間の屋根を砕いていたと聞いている。でも、家は焼けなかった。だから、衣類を引っ張り出し、何よりこの日記帳も無事掘り返したようだし、それに庭に埋めた米などで生き延びたようだ。全く、父の知恵はすばらしい。でも、一体、どこで寝たのだろう。

 我が家は、恵まれていた。戦後米よりも芋が多かったが(だから4歳違いの姉は今もサツマイモが苦手だ。私は、御飯の代わりの芋は甘みがほのかにあって好きだった)それでも、父もいて、母もいて、何かを食べさせてくれたのだから。

 今のこの世の中、選挙がらみで「平和じゃめしは食えん。」という馬鹿なことを言うやからがいる。ご冗談を!! 平和でなければめしは食えない。戦争が、いかに庶民の生活を圧迫したか、食べ物をなくしたか、命を奪ってきたか。それを痛感しているのがヒロシマではないのか。心からそう思う。

(このシリーズを書くのには、大変な労力です。沢山の本も読んでいます。泣き泣き書いていることもあります。皆様のコメント有難うございます。なかなかお返事をかけなくってすみません。コメントを戴くことは、私の大変な力になっているのに。ごめんなさい。感謝しています。)


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私的平和考⑤父の日記から。

父の日記は、昭和20年8月以後数ページに渡って切り取られている。その後、昭和21年8月26日から再び書かれ初めている。その欄外に「某国の悪口が多いので切り取ってすてる(昭和20年8月以後)」と書いてある。切り取ったあと、書くこともやめたようだ。

 父は「GHQが突然入ってきて家の中を調べられて、もしアメリカの悪口や原爆のことが書いてあると、逮捕される」といううわさで、結局これを切り取って捨てた。と言っていた。戦後には様々なうわさが飛び散ったようだ。

 一番読みたいところが捨てられている。がっかりだけれど。

Img056 父のアルバムにあった写真。「昭20.8.9.  8.6.に原爆投下、その惨害の跡、生徒の家の跡を尋ねて、この写真で生きているものは、小生1人です、昆虫の一匹も、草の一本も生物なし、誰が撮し、現像し、渡してくれたものか、全く不明」と書かれている。この文は後ほど1996.4.23に書かれたもの。

 それにしても、真夏にこの格好は、一体どうしてだろう。でも、毎日新聞社の「ヒロシマは生きていた-佐々木雄一郎の記録」の写真を見ると、原爆直後、みんなまるで冬服のような格好をしている。夏といえども、目立つ白い服は着れなかった、というのだが。

 再開された日記の最初。

「ちょうど一年余り日記をつけることが出来なかった。本日よりまたはじめる。去年の原子爆弾、無条件降伏、其後の一年は全く早いものだった。民主心に向かって驀進した。今日やっと人心が少しは落ち着いて来た様である。新日本の建設に向かい尽力すべきである。・・・」と書かれている。

 父の日記は、特に戦争中、その直後は涙なしには読めない。父がいかに家族を大切に、私たち子供を大きな愛で包んでくれていたか、いまさらながら、感じ入って。また、同時に教師として、生徒のことが毎日毎日書かれている。

 こうして全く偶然にも父が生き残り、母たちは父の実家の島根の赤来村来島に疎開して無事だったために、私も生まれることができた。偶然とはいえ、この幸運にあらためて感謝する。

 日記には、食料のことも良く出てくる。配給で買った麦を粉にした、とか。今日はめざしがあったとか。父の誕生日はかまぼこで祝う、とか。今から見ると、大変に貧しい食生活であるが、でも、先日行った友人の言によれば、「めざしがあるなんて、サイコウの贅沢。そんなもの、誰も食べることが出来なかった。何にも食べるものがなかったんだから。」とのことで、あらためてそうだった、と思い知った。

 父は、農家の出身だから、実家から時々お餅を戴いてありがたいことだ、と書かれているように、いろいろと支援して頂いたようだ。当時としては、大変に恵まれた環境であったといえよう。


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私的平和考④被爆後すぐに被爆者の闘いは始まっている。

 その峠三吉の墓標のことをある集まりで話した。その会の参加者はほとんどが私よりも年上で、戦争の体験を持った方たちだ。そして、その中のお一人が、福屋の上からビラを撒いた話をされた。峠三吉の原爆詩集には「一九五〇年の八月六日」という詩もある。福屋の上から撒いたびらがひらひらひらひらと。

その年、GHQによりあらゆる集会が禁止された。1947年、昭和22年から広島市が開催していた「平和集会」も禁止された。そのときに、ビラが撒かれ、大変な騒ぎだったと。多くの人がビラを追いかけ、手に入れようとし、でも、警察や消防車まででて、そのビラを取り上げる。

 私たちに話してくださったAさんは、その翌年、1951年の8月6日にやはり福屋の屋上からビラをまいたのだと。撒いてすぐに逃げる。はて、エレベーターで逃げるか、階段で逃げるか。きっと警官はエレベーターで上がって来るだろうと判断し、階段を走って降りて逃げたのだと。

 そのビラには、何が書いてあったのですか、と私は尋ねた。「反アメリカ、反核、反戦争」とAさんは言われた。そんなことを書いたものがなぜ犯罪になるのでしょう、とさらにたずねる。だって、もう新憲法が施行されて、言論の自由が認められていたのでは?

 「勅令311号」。法律ではなく、天皇の命令として、法律と同じ効力を持った勅令。その311号は、「連合国占領軍の占領目的に有害な行為に対する処罰等に関する勅令」であった。アメリカの攻撃などとんでもない。同時に原爆の被害に関しても集会やビラなどは許されなかった。ビラを持っていただけで逮捕されたものもいる。

 Aさんは、結局翌1952年5月3日に逮捕され、獄中に8年つながれている。

 そう、物が言えない時代は、戦前の治安維持法の元だけでなく、新憲法が発布された戦後もそうだったのだ。

 そんな中で、被爆し、家族を亡くした子供たちは、本当にこじきをしたり、泥棒をしたり、靴磨きをしたりして生き延びたのだ。それをまだ物が言えないときに、峠三吉はこれらの詩を作り、1951年、原爆詩集を初めはガリ版刷りで発行する。原爆投下から6年の後だ。

被爆者の戦いは、戦後すぐから始まっている。食べるものもほとんどないような時に。この墓標にもあるように、かくれるようにして始まった沢山の人の署名は、1950年から始まった朝鮮戦争でアメリカが検討していた核兵器の使用を阻止したといわれる。

 こんな思いは、もう私たちだけで沢山だ。もう三度核兵器が使われることがないように。この思いが被爆者運動の根幹であった。被爆者が自らの体験を語るのも。

 私は今、父の日記を読んでいる。昭和19年1月1日から始まったその日記は、昭和20年8月以降が何ページも切り取られている。(次回に続きます)


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私的平和考③峠三吉「墓標」

 斉美学校は明治5年に設立された開成社を前身とし、明示26年に斉美学校として発足した。主に軍人の子が通った学校である。爆心地から670メートル。160人を超える生徒と職員が全滅したといわれる。峠三吉の「墓標」は、原爆詩集に搭載されているが、詩というよりも長文の「抒情詩」といえる。

2009_04200024 「斉美学校の碑」は1970(昭和45)年8月6日卒業生たちの手によって建立された。この峠三吉の「墓標」が子どもの像の後ろに全文掲載されている。

ひとつの作品を抜粋するのは、よろしくない行為なのかも知れないが、あまりに長文故、許されたい。全文はこちらに掲載されているので、ごらん戴きたい。

また、機会あればぜひ現YMCAのこの碑を訪れて頂きたいと思う。

   「墓標」     峠三吉

君たちはかたまって立っている / さむい日のおしくらまんじゅうのように / だんだん小さくなって片隅におしこめられ / いまはもう / 気づくひともいない / 一本のちいさな墓標 

「斉美小学校戦災児童の霊」

       略

いくら呼んでも / いくら泣いても / お父ちゃんもお母ちゃんも / 来てはくれなかっただろう / とりすがる手をふりもぎって/ よその小父ちゃんは逃げていっただろう / 重いおもい下敷きの / 熱いあつい風の / くらいくらい 息のできぬところで / 〔ああいったいどんなわるいいたずらをしたというのだ〕 / やわらかい手が / ちいさな頚が / 石や鉄や古い材木の下で血を噴き / どんなにたやすくつぶれたことか 

比治山のかげで / 眼をお饅頭のように焼かれた友だちの列が / おろおろしゃがみ / 走ってゆく帯剣のひびきに / へいたいさん助けて!と叫んだときにも / 君たちにこたえるものはなく / 暮れてゆく水槽のそばで / つれてって!と西の方をゆびさしたときも / だれも手をひいてはくれなかった

そして見まねで水槽につかり / いちじくの葉っぱを顔にのせ / なんにもわからぬそのままに / 死んでいった / きみたちよ

リンゴも匂わない / アメダマもしゃぶれない / とおいところへいってしまった君たち / 「ほしがりません・・・ ・・・ かつまでは」といわせたのは / いったいだれだったのだ!

        略

仆れた母親の乳房にしゃぶりついて / 生き残ったあの日の子供も / もう六つ / どろぼうをして / こじきをして / 雨の道路をうろついた / 君たちの友達も / もうくろぐろと陽に焼けて / おとなに負けぬ腕っぷしをもった 

負けるものか / まけるものかと / 朝鮮のお友だちは / 炎天の広島駅で / 戦争にさせないための署名を集め / 負けるものか / まけるものかと / 日本の子供たちは / 靴磨きの道具をすて / ほんとうのことを書いた新聞を売る

君たちよ / もういい だまっているのはいい / 戦争をおこそうとするおとなたちと / 世界中でたたかうために / そのつぶらな瞳を輝かせ / その澄みとおる声で / ワッ! と叫んでとび出してこい / そして その / 誰の胸へも抱きつかれる腕をひろげ / たれの心へも正しい涙を呼び返す頬をおしつけ / ぼくたちはひろしまの / ひろしまの子だ と /  みんなのからだへ / とびついて来い!


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私的平和考②集会のメニューができあがった。

Img055_3                                                            何度かの会議を経て、結局こういうことになった。 会議には、何かやろうという人たちが、みんな交通費も自腹で、熱い思いで 集まった。 最終的に、私の講演と、ピアノ演奏、これは平和ピアニスト池辺幸恵さんが関西からやって来る。それとともに、映像。

 その後は「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」の著者 青木忠さんの「空襲の地より」

さらに、リレートークでは、電車内被爆者のただ一人の生き残り、米沢鐵志さん、
「原発いらん!山口ネットワーク」の三浦翠さん、そして、元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二さんという、大変な人たちが駆けつけてくださる。

こんなメニューになった。

私も責任重大だ。ただ、私も選挙の時から、父の被爆、その後の私たち子どもへの反戦、反核、憲法を守れなどという父の教育のことなどを話してきた。それと、昨年の八月、全国からのYWCAの広島への旅の人たちに、「広島の医師として」というタイトルでの話しなどをしてきている。それらを土台にして、さらに今後に向けての提案な                 Img052_3どを話すつもりでいる。             

 このチラシの裏の写真は、私が撮ったものである。YMCAの二号館の入り口に立っている碑だ。

 恥ずかしいことに、私はYMCAの外語学院に この一年半、週二回通い続けて、それでも、このたびまでこのような碑があることを知らなかった。

 チラシにぴったりの写真は何だろうと模索するうちに、この引用しようとしている峠三吉の詩がこの碑の後ろに飾られていると聞いた。では、その碑の写真を載せたらどうだろう、ということになって写真を撮る役を私がしたのだ。

雨の夜と、陽の当たる昼の二回撮りに行った。そして、碑の後ろの峠三吉の詩をその場で読んで、涙があふれた。

 知らなかった。峠三吉がこんな詩を読んでいたなんて。「父をかえせ、母をかえせ・・・」の詩はあまりにも有名だけれど。この「墓標」と言う詩。これはものすごいものであった。

(チラシはそれぞれクリックすると大きくなります。)明日は「墓標」についてお話します。


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私的平和考①二人の男性との再会。何かをしようよ!

2008年3月のある日、まだ私は選挙の落選の傷もいえていない頃、突然二人の男性がクリニックを尋ねてきた。一人の男性が手に写真を持っている。

Photo_2 これ、この写真、ここに写っているのは先生でしょう?と言う。見ると、紛れもなく、私の学生時代の写真だ。平和公園で座り込みをしている。

「ええ、そう。これは私です。で、お宅は?」とたずねると

「これ、ここに写っているのが僕です。」と言う。「Mです。」と名乗る。ああ、そうだ。M君だ。当時確かまだ19才頃。かわいい少年だった。今はもう白髪になっているけれど、確かにM君だ。で、もう一方、あなたは?とたずねると、「Kです。」と言う。わあ、K君。美少年だったK君、たしかに見覚えがある。大方40年ぶりの再会だった。

 M君が実家に帰ったところ、母親がこの写真を見せたのだという。こんな写真があったと。それを見るなり、彼は、これは何かの思し召し。どうしても会わなければと思ってここまでやってきたという。

 それが今回の始まりであった。

 彼らは、むろん私もであるが、長い間の時を経て、今、何かをしようではないか、ということらつながって行った。「ぼくもいろいろとあったけれど、やっぱりこの被爆者青年同盟が原点でした。ここにどうしても今立ちかえらなければ、と、思いました。」

 うーん、確かに私自身も、大学時代、被爆者青年同盟で運動をし、その延長で産婦人科医になった。被爆者の命をつなぐ、お産をやりたいと思ったし、さらに遺伝の問題、染色体の研究をしたいと思った。産婦人科医になって37年目。あの頃の決心はすこうし、形を変えたままだ。情熱は変わっていないけれど。

 その後、私の父を初め、石田明先生、近藤幸四郎さん、いろいろと教えてくださった被爆者も次々と亡くなってしまった。当然、被爆者運動も弱体化せざるを得なくなっている。

 語り部として貴重な体験を話してくださる人たちは、今も少なからず存在する。しかし、その運動の矛先は一体どこに行こうとしているのか。

 一方、日本の憲法が危ない。国民投票法案が国会を通り、本当にいてもたってもいられない思いで参議院選挙に立候補したのだが、あえなく落選。私自身もどこに向かおうとしているのだろうか。

 そんな思いでいた時の二人の訪問であった。「何かをしようよ。原点に戻って。」そこから、次々と懐かしい人たちに会った。時を経て・・・。ある人は思いもかけず、僧侶になっていた。ある人は、高校の教師を勤め上げ、定年退職をし、時間がある状況になっていた。あの高名な日本をとどろかした全共闘運動の先頭に立っていたある人は、故郷でゆっくりとした生活を送っていた。

 八丁堀での電車内被爆の、ただ一人の生き残りの方にも会えた。父の勤務していた学校、広島二中の爆死した生徒の真っ黒の弁当箱、それを遺族が資料館に提供した、その生徒の弟さんにも出会えた。

 まだまだ様々な方たちと出会い、話す中で、徐々に形を作りはじめ、そしてこの8月6日に集会をすることになった。

 このシリーズ、不定期になるかも知れませんが、しばらく続きます。


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講演のご案内とデオデオに馬が!!

 昨日のブログについて問い合わせがありましたので、近々の講演のご案内を。

ほとんどが学校などの限られた人たちへの講演なのですが、どなたでも参加できるのを。

5月31日(日)午後1時半~

 岡山市NPO会館きらめきプラザ(旧国立病院跡)

 「今生きる底力を子どもたちに」

 主催 岡山セクシャルリプロダクティブヘルス研究会

 参加料500円

 問い合わせは ウィミンズクリニック上村 TEL086-803-5338

6月7日(日)午後1時半~性教協ひろしまの例会です。

 「それって本物の愛ですか?~デートDV防止ひろしまの実践から」

 藤沢あけみさん(デートDV防止ひろしま)

二葉公民館(東区役所の敷地内の東区保健センターと同じ建物です)研修室1A

参加費 会員300円、会員外500円 どなたでも参加できます。

また時々ご案内しますね。

2009_05210014  21日木曜日のお昼、ソロプチミストの表彰の会場のりーガロイヤルホテルに行こうとしたら、デオデオ本店の入り口に馬がいました。びっくり。こんな街中に、なぜ!?と。小型のお目目がとってもかわいい馬です。廿日市にあるMRC乗馬クラブの案内のために来ていました。

 馬かあ、いいなあ、緑の中でのんびりと馬とひと時を過ごすって、うーん、贅沢だけどでもいいなあ、と、強く心惹かれました。


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新型インフルエンザ。

 新型インフルエンザが広がっている。その広がり方のスピードには、やはり驚くものがある。 誰も免疫を持っていないのだから、ウイルスに触れると免疫力で追い出すことが出来ない。

 ところで、これについての国の方針がくるくると変わる。こう変わってしまうと、その変わった方針が国民の皆さんに徹底されはしない。

 私たちだって、医師会から送られてくる通達で、「そっか、今度はこうなったのか」と知るくらいだ。で、今、熱のある人は、決して医療機関には行かないように。発熱外来のある病院にも直接行かないように。とにかく、電話を、となっている。各地域の保健センターに電話をし、指示をしてもらう。

 しかし、私たちの現場には熱のある人だって来る。自分で熱があることを自覚していなかった人だって。熱には様々な原因がある。インフルエンザだけとは限らない。

 先日も性器ヘルペスの人がひどい熱で、救急指定病院に行き、内科医の下、風邪だろう、そのうち性器が痛くなってきたので、尿道炎だろう、膀胱炎だろう、と延々とそこで見当違いの治療をし、それでもさっぱりよくならないと、一週間してやっと当方に来た人がいる。40度近い熱と痛みでふらふらだ。ヘルペスの場合、一刻も早く抗ウィルス剤を使うことが必要だ。治療が遅れると、時には、脳炎にまでなることもある。

 熱がある人は直接病院に来るなと言ったって、現実にクリニックにこられたとき、帰って下さいなんて言えるわけがない。即、マスクをしてもらって、別室につれていく。インフルエンザの疑いがあるときには、インフルエンザテストをする。10分で結果が出る。今、まだ季節性のインフルエンザだって収束していない。

 まあ、今は関西、少しだけ首都圏に出ているだけだが、そのうち、全国に広がるだろうと、誰もがそう思っている。うーん、そうなると、やはりいろいろときついなあ、と、危惧をする。

 ところで、わたしはあちこち講演の予定が入っているが、6月25日の大阪での講演は、キャンセルの通知が来た。またあらためて、秋にでも設定します、と。

 ここのところ、さいわいそのキャンセルになったところを除いては、広島、岡山、熊本、島根(安来)、それに東京、鹿児島と、微妙に関西を避けているが、7月になると、大阪、三重、滋賀など関西が怒涛のごとく入っている。そのときにインフルエンザは、どうなっているのだろうか。うーん、こればっかりは、今後の動向を見るしかないので。それによって計画を立て直すしかない。

 昨日は、kei.先生のお花とお茶を楽しむレッスンでした。今回は薔薇だけのアレンジ。

2009_05220018 えんじの薔薇が豪華です。ちょっとした工夫、葉っぱをオアシス代わりに使うこと、とげの処理の仕方、長持ちさせる先の切り方など、とても参考になりました。

 本当にほっとする時間を、kei.先生有難うございました。


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ソロプチミストに表彰して頂きました。

 昨日、国際ソロプチミストに、広島エイズダイアルの活動を表彰して頂きました。

2009_05210016  ソロプチの例会に出席し、表彰状と援助金20万円を戴きました。本当にありがたいことでした。

 広島エイズダイアルは、1991年に5人で結成しました。当時、輸入血液製剤により多くの血友病の人たちがエイズウィルスに感染をさせられていたことがわかり、世界中が大変な状況でした。それに加え、性感染症でもあることが分かると、さまざまな流言が飛び交い、感染している方への偏見の目が向けられました。広島でも状況は全く同じでした。

 そんな中で会を結成し、18年。ずっと活動を続けています。感染している方へのケアサポート、電話相談、そして日曜検査、研修会の開催など、フル回転をしています。しかし、資金的に厳しく、みんな自腹を切って活動しています。で、今回の20万円という援助金はとてもうれしく、大切に大切に使わせて頂きます。

 死に至る病とされていたエイズは、世界中の医療者、研究者のおかげで、感染していることが早く分かれば、生きることが出来るようになりました。だから、早くに感染を知ることが大切です。今、日曜検査は迅速検査で15分で結果が分かるようになりましたので、とても多くの方がこられます。

 同時に感染予防のための啓発活動が必要なのですが。先日も言いましたように、日本は、豊かな国で、識字率も高いのに、なぜ感染者が増え続けるのかと、世界から不思議の目で見られています。私は、ひたすら教育が出来ていないせいと考えています。

 これからも、広島エイズダイアルの活動を息長く続けること、予防の啓発の活動も続けることを、思いを新たにしました。今回の受賞に向けていろいろとご尽力いただきましたソロプチミストの関係者の方々にも深く感謝申し上げます。

 余談ですが、服をどうしようと悩みました。二年前にNHKの「そのとき歴史が動いた」に出演したときに着たスーツを着てみたら、着れました。バンザイでした。(ただし、前を開けてです!グスン!)


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遅ればせながら・ひまちゃんの退院祝いの会です。

 大変遅ればせながら、17日日曜日、安芸高田でひまちゃんの退院祝いの会に参加しました。一品持ち寄りの会。こんなに沢山のご馳走が並んで、スバラシイ!!

2009_05190014 私は、オリジナルの餃子を作ろうと思って材料だけ用意していたら、急患のバタバタで朝になってしまって、結局何にも作れませんでした。本当に申し訳ないことで。急遽、家からすぐの痴唐人・李白屋のミニ餃子とミニ肉まんを持っていきました。 

 ひまちゃんご夫婦もとてもお元気で、ひまちゃんが前と変わらずにすたすたと歩く姿にウルウルでした。ここまで回復するのに、大変なリハビリだったことでしょう。どうか、これからは大けがをしませんように。私が知っているだけでも、「消防署の前ですってんころりん」だとか、「バスの乗り降りで転んで尾てい骨を打撲して、トラ吉さんに外出禁止命令が出た」とか、ひやひやすることが少なからず・・・。

 ところで、この会で、いろいろな方にお会いして、お話しできて、またまたいろいろと感動しましたよ。特に、yoshijiiさん。大変若くして倒れられて16年。ここ3年間は意識のほとんどない奥様の介護の生活で。その様子は、ブログでお伺いしていましたが。びっくりしたのは、この3年間、一度もじょく創を作っていないということです。ちょっと赤くなっていると、すぐにサランラップを貼り付けてホゴをすると。毎日タオルで体を拭いて。ここのところ、足がむくんでいるのを、毎日リンパを押し上げるようにマッサージをして、少し足が細くなったとか。そんな生活でも、ブログも今回も、とても明るくてお若くて、本当に素敵な方だと思いました。そんな中でも、たけのこの明太和えと、独活の木の芽和えと、焼きなすを作ってこられて、それもとてもおいしくて。尊敬!!です。

 音♪さん、吉田にご一緒するときにいろいろとお話しを聞きました。ご両親の介護で大変な生活を、これもブログで見させていただいていました。お母様の大変なご様子。聞くと、4月の初めに「もう数週間と思ってください」と主治医に宣告されたとのこと。本当にいつどうなるか分からない緊迫した状況です。それに、お父様の認知症は、まだまだらボケで傍目には時にユーモラスにさえ見えるやり取りも、子どもの立場からすれば、そうも行きません。毎日お二人の所に行く生活は、本当に大変だと思います。が、そんな中、すっごーいミニミニおむすびやミニのおいなりさんなどを作ってこられました。これも、尊敬!!

 それから、はるめさん、いろいろと大変な状況の中なのに、散らし寿司を軍艦巻きにして、たけのこや木の芽がひとつひとつに乗っかってて、とても素敵でした。私は、戴いたたけのこを茹でて、木の芽和えや煮ものやたけのこ御飯、そこまでがせいぜいです。ちゃっかりと木の芽を戴いて帰りました。うれしい!!もうこのあたりには木の芽は売っていません。

 そのほかの人も、みんなみんなすばらしい。それぞれに事情がおありだったでしょう。私も、徹夜して作ればよかった!!と後悔しました。

ところで、会場のカフェ アンソレイエ。54号沿いのとっても素敵なカフェ。素敵なマダム。その裏はこんな景色です。

2009_05190020 土手の右のほうに小さく見えるのが、水色のお洋服のカフェのマダム、そしてつゆまめさんの坊ちゃんと嬢ちゃんとカフェの犬の、雨上がりのお散歩です。写真をクリックして大きくしてみてください。

ああ、こんなところを毎日散歩できたなら、人生観も変わるだろうなあ、と思った次第です。

スタッフの皆様、参加者の皆様、素敵な時間を本当に有難うございました。また、機会があれば仲間に入れてくださいね。


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生まれたての赤ちゃんと、これからの日本。

 昨日のお昼は、手術でした。先週の火曜日は子宮筋腫の手術でしたが、昨日は帝王切開です。私の患者さんで手術が必要な人は、希望によってどこか他の病院に紹介しますが、それでも希望の方は、千田町の岸田産婦人科にお願いして、そこに出かけていきます。岸田ドクターは、大学病院時代に一緒に仕事をした気心の知れたドクターですので、いろいろと助けてもらっています。

 2009_05190034                    ご夫妻にとって三回目の帝王切開。毎回手術を受けるのもしんどかったことと思いますが、癒着もなく、スムーズに手術終了しました。帝王切開で生まれた赤ちゃんは、しばらく保育器で暖めます。保育器の外からの写真ですので、蛍光灯が写ってしまいました。生まれたての赤ちゃんです。

 ここのところ、ずっとバタバタしていて、日曜日はひまちゃんの退院記念パーティー、月曜日の夜は李実根さんの八十歳、傘寿のお祝いなどに参加して、貴重なお話しを聞きました。そんな話しもボツボツブログにアップしたいと思います。

 少子化、年金制度の崩壊、相も変わらずの天下り法人への巨額の予算化、それに高齢の方への医療や介護の切捨てなど、課題満載の日本で、やはり必要なのは、政権交代でしょう。政権が変われば、少しでも教育や福祉が変わるかも、というのは、幻想かも知れません。それでも期待したいのですが・・・。

 それにしても、小沢さんが代表を降りて、鳩山さんの体制になっても、まあ、あの執行部の代わり映えのしないこと。少々がっかりです。あの中に、スカッとした明るい色のスーツを着た女性が一人でも混ざっていれば、たとえば小宮山さんが党の広報担当として登場したりすれば、ずいぶんと新鮮になるのに、と思います。

 今の少子化担当大臣のように、何だか何をしているのか分からない、まるでペットのように、または飾りのように女性を使うのでなく、本当に力のある女性の議員さんだって民主党の中にいるのに。全く古い体制、自民とあまり変わらない体制にしか見えない民主に、それでも期待せざるを得ないのは、悲しいなあと思います。政治は男ばかりではありませんよ!!と言いたいですね。

 この生まれたての赤ちゃんが、本当に豊かに育っていくことが出来るような、そんな政治を日本に実現することを望みます。


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性感染症と子宮頸がん③予防の教育を!!

 もう何回もこの場で言って来たことなのですが、性感染症というのは、性交でうつる病気です。そして、いま文科省のカリキュラムでは、中学校で性感染症とその予防を教えることになっています。避妊は「家族計画」ということで高校で教えることになっています。

 以前でしたら、中学校で性感染症だけでなく、避妊もおしえても良かったのですが、今では、「指導要領」をはみ出したことになり、「教えてはならないこと」になっています。性感染症の予防はおしえても、避妊を教えると「行き過ぎた性教育」になってしまうのです。

 しかも、性感染症と予防を教えるのに、「ことば」の問題があります。「性交」「セックス」「エッチ」どれも使ってはいけないと決められています。使っていいのは、「性的接触」だけです。しかも、コンドームも具体的に教えてはいけないと。

 私は、ことばを正しく使うことはとても大切なことだと考えています。性的接触と言うことによって、物事をとてもあいまいにしてしまいます。今どきの若者が「性的接触をしようよ」と言うでしょうか。

 いま、世界の不思議とされているのは、日本で「HIV」エイズウィルスの感染が増え続けていることです。日本のように経済的に恵まれていて、識字率も高くて、どうして感染を減らすことが出来ないのかと。アフリカやアジアの貧しい国のように、コンドームを買うことが出来ないということはありません。買おうと思えば、品物も豊富にあります。義務教育も長く進められ、字が読めないという国民もほとんどいません。それなのに、なぜ感染を減らすことが出来ないのでしょうか。

 これはひたすら教育の責任です。性感染症の予防ということをきっちりと教えなれければ。言葉も使えないと、どうやって教えればいいのか、分かりません。ある県で、これは十代の中絶がとても多くて、日本一多い県になってしまったと。そこで何とかしなければ、ということで委員会を作って、対策を検討し始めたと。それには、医療関係者だけでなく、当然教育関係、教育委員会の人たちも入っていました。で、具体的に討論をしていたら、教育委員会からストップがかかります。それはいけない、これもいけない、と。

 とうとうメンバーの一人のドクターが「バーン!!」と机を叩いて、「その結果が、中絶、ワーストワンなのか!!」と怒鳴ったのだと。そのドクターは医師会のメンバーとして参加されていたのですが、内科の方で、これまで性教育の現場のことなどは知らなかったと。で、びっくりなさったようです。

 私たち、これまでかかわってきたものは、そのような現場を知っていて、なれている部分もあります。でも、知らない人には、本当にびっくりのことだったようです。逆に新鮮だったのでしょう。

 私は、その話を聞いて、反省しました。そのような事態を何とかしなければ、と思い、様々な発言もしてきました。でも、そのドクターのように、直接どこかに怒るということをしていません。

 性教育が一部の特殊な政治的な人たちのために文科省が動き、各教育委員会が動き、現場の隅々にまでその指令が行き届き、後退してしまいました。その結果が、今、私のクリニックで起こっているように若い子、特に中学生の産めない妊娠の増加であり、性感染症の増加であり、若い人の子宮頸がんの陽性の増加であり、そして、日本中でのHIVの感染の増加でもあると。

日本の性教育事情は、本当に世界から見たら、なぜ?といわれるようなとても異常な状況なのです。

 私は、性感染症や子宮頸がんにかかった人たちを「自業自得」だとは思いません。こういう事実を教えてもらっていない、知らないからこそ行動をとってしまった、被害者なのだと、そう思っています。そして、教えてはならないとする人たちが加害者だ、その人たちは、国民の命を守ろうとしない、犯罪者ですらあると、そう思っています。


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性感染症と子宮頸がん②性感染症は防げます。

症例1 6月18日初診時30才。8月に結婚の予定。婚約者は38才。最終月経5月9日から。6月13日に避妊のない性交。6月16日から高熱と性器の痛み。性器ヘルペスの診断。尿検査で妊娠反応(+)。妊娠中の抗ウィルス薬は内服できないゆえ、治療をどうするか婚約者と相談してきてと話し、抗ウィルス薬の軟膏のみ処方。翌日婚約者と来院。妊娠についてはあきらめるので、彼女の治療をしてほしい由。抗ウィルス薬処方。一週間後ヘルペスはほぼ治癒。7月3日人工妊娠中絶。7月7日、人工中絶後の診察の際、外性器にコンジローマ様の所見。まだはっきりしないので二週後の来院指示。7月19日来院時、尖圭コンジローマ6個。冷凍凝固による治療。7月26日コンジローマ消失。8.24コンジローマ再発、治療。10.22ヘルペス再発。12.27ヘルペス再発。

症例2.19才。3日前から40度を越える発熱と性器の痛み。性器ヘルペスとコンジローマ合併。開いては18才。プロのスポーツ選手。プロになる前にすべての性感染症の検査をし、陰性であったと。彼女とは、コンドームを使ったり使わなかったりの性交あり。

 この二人の例の様に、コンジローマと性器ヘルペスは、事前に検査をすることが出来ません。HIV・クラミジア・淋病・梅毒などは血液や性器からの分泌物で検査できます。ですから、事前に検査をしてすべて陰性であったとしても、ヘルペスとコンジローマを彼女に移してしまうということが起こります。

 もう私はこのブログでも何回も言っていますが、コンドームを使わない性交で、病気が広がっています。

 結婚しました、妊娠しました、赤ちゃんを産みます、母子手帳をもらって来ました、性感染症にかかっていました。こんな例がとっても多いのです。独身時代に病気にかかっていることを知らないまま結婚し、妊娠した。独身時代に性感染症にかかっていることを知らないままに結婚し、妻にうつしてしまったと。こんなことは防ごうと思えば防ぐことができるのですから。

 性感染症の予防は?私は講演に行ったときにたずねます。性感染症とその予防は、今の文科省のカリキュラムでは、中学校ですることになっています。義務教育なのですから、すべての人が習っていなければならないのですが。

 予防法は二つ。ひとつは?性交をしないこと。完璧な予防だね。もうひとつは?コンドームを確実に使うこと。コンドームは、HIV等の性感染症にかかることを防いでくれます。

 こんなことは分かっているのに、でも、性感染症にかかる人は後を絶ちません。ちゃんと教育できているのでしょうか。その問題について、明日話します。

2009_05140016 私の英会話の先生で、妊娠の前後の私の患者さんでもあったニコラ先生が、パートナーと赤ちゃんを連れて来てくださいました。女の赤ちゃんは、お目目パッチリ、まつげがとびっきり長くて、もう、かっわいい!!広島の県北の静かな環境の中ですくすくと育っています。ご夫妻は、ずっとそこで暮らしたいのだそうです。スローライフを大切にする、素敵な家族です。 


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性感染症と子宮頸がん①当院の統計から。

 昨日、診療後の午後7時から、ある会社の社員研修に行きました。講演のテーマは「性感染症」。でも、教科書を読めば分かるような、そんな講演はしたくありません。私は私にしか出来ないお話しをしたいといつも思います。

 そこで、それに向けて、データ取りをほぼ一月前からしました。と言っても、受付の医療事務や検査技師のスタッフにお願いして、パソコンや検査台帳から引っ張り出してのデータ取りです。

 私のクリニックでの最近一年間のデータです。クリックすると大きくなります。

Photo_2  それに加えて、子宮がん検診の陽性例も調べました。こうしてあらためて統計を取ってみると、さまざまなことが分かります。

まず、今言われているクラミジアや尖圭コンジローマや淋病はやはり若い人に多い感染症です。でも、性器ヘルペスに限っては、70代まで感染した人が存在します。ちょうど10年前に同じように一年間のデータを取ったことがあります。このときにも、やはりヘルペスは、50代3人、60代3人、70代1人と高年の方にまで感染が起こっています。それと全く同じ傾向でした。もちろん、この方たちを感染させた相手はパートナーなのですね。ヘルペスは、とても痛Photo_3 くて、高熱も出るし、本当につらい病気なのですが、とくに高年の方が嘆かれる姿は気の毒で。性感染症が家庭に持ち込まれている、ということでしょう。

それから、ウンとびっくりしたことです。一年間に子宮頸がんの細胞診をした数が2982。そのうちの89人にクラスⅢa以上の陽性が出ました。それも、表をみて頂いたらお分かりでしょうが、なんと20代の陽性の人が35人と一番多かったのです。これは、延べではなく、実人数ですので、同じ人をフォローして何回も陽性が出たのは、一人として数えています。以前は子宮がん検診は30才以上で、とされていたのですが、今は20才以上は検診を受けましょうとなりました。この20代の彼女たちが30代まで待っていたら、と考えたら、ぞっとします。

 子宮頸がんは性感染症です。性交により、人パピローマウィルスに感染し、子宮の細胞が癌化します。

 この89人の方たちは、さらに精密検査をし、そしてこの中の7人の方が手術を受けています。でも、7人の内5人の方は、円錐切除という、子宮の頚の部分だけをぐるりと切り取る手術ですみました。ですから、子宮も、もちろん卵巣も残すことができて、妊娠も出産も可能になりました。もしこの方たちが癌化していることを知らないままだったら、子宮も、さらに命までも危ないことになっていたと考えると、本当に危なかった!!検診を受けてよかったね、という思いをあらためて持ちました。

 やはり、私は皆さんに検診を受けましょう!!と呼びかけます。さらに、特に若い人たちに性感染症やがんの予防のために、予防教育をしなければならないと思います。女性に対してだけでなく、癌になるウィルスを彼女に移してしまうかもしれない男性たちにも、コンドームをぜひ使うべきだとの教育が必要と思います。

 ところで、このパワーポイントで作ったスライドをブログに載せるのに、苦労しました。朝早くから四苦八苦。でも、どうにもならなくて、一旦プリントアウトしてそれをスキャンして載せようとしたのですが、スキャンがちゃんとできないのです。部分しか出来ません。

 結局、コピーをするのにPrt Scとペイントを使うこと、それをピクチャーに保存してここに載せることを学んだのですが。周りに広い空間が出来てしまって不細工なことです。でも、これ以上とうにもならなくて。すみません。

 明日は、性感染症の事例から学んだことを少し述べたいと思います。


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ニットカフェで癒しのひと時でした。

 今日は、と言っても、もう日が変わっているので正確には昨日ですが。念願のニットカフェ、和みカフェはせがわ のイベントに行って来ました。先週行ってもう場所が分かったので今日はスイスイです。

 到着してまずランチ。

2009_05140017 お任せを先週予約していたので良かったです。私を最後に、もう後こられた方たちにはお任せはなくなっていて、でもおいしそうなカレーを食べていらっしゃいました。マダムはせがわは大忙しです。

 とてもおいしくて、ぜーんぶペロリと戴きました。ところで、写真の左上のお料理、私は「スナックえんどう、甘くておいしーい」と思っていたら、これは「スナップえんどう」と言うのですか。マダムはせがわが、ネットでは「スナップ」になっていると教えてくださいました。ああ、私はこれまで間違って覚えていました。でも、本当かしら。長谷川さんの実家での自家製なのだそうです。

  今日のニットの生徒は五人です。サマーストールです。私はこれまで自己流で編み物をして来ました。一度、ちゃんと習いたいと思っていたので、とてもいい機会でした。先生    には、丁寧に、いろいろなヒントを戴きました。

2009_05140020 鎖と長編みだけで編むストールですが、ずっと数を数えます。36、27、36、15、36、、、63、3、3、、、、36、、、、63、42、、、。つくづく編み物はボケ防止になると思いました。私は、一番細い糸を選んで、だから針も3号と細いので編みましたので、なかかなはかどりません。疲れます。

 途中でコーヒータイム、マダムはせがわの手作りのシフォンケーキでケーキセットです。シフォンケーキは、二種、マンゴーのといちじくとクルミのケーキを半分ずつにしてくださいました。おいしい!!

2009_05140018 編み物はとても今日中にはできなくて、後は自力で家で仕上げます。また、出来上がったらアップしますね。

 ああ、もう、本当に癒しのひと時を戴きました。このような場を提供してくださったはせがわさんに感謝です。

 これを最後に、これから休みのない生活が続くことになりそうです。明日は診療後ある企業の社員の方たちに話しに行きます。まだスライドが出来上がりません。どうしよう。


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うれしい知らせ、本が増刷されると。

 昨夜、一人でクリニックに残っていたら、電話がかかってきた。懐かしい、NHK出版の編集者の女性だ。彼女とはもう長い間あっていないし、電話で話すことも余りなくなっていた。

 彼女は、「新版 SEX & OUR BODY  10代の性とからだの常識」が重版になります、と伝えてくれた。「わあ、ホント?それはうれしい!」と答える。彼女は、1993年に初めて私の本を手がけてくれて、前の本、「SEX & OUR BODY」を出してくれた。これは中学生の男の子と女の子双方をターゲットにして、体を教えようという本だ。あまり本を読まないのなら、イラストだ!!で、イラスト一杯にして体を語った。「体を知れ!!知ることは力だから」そんな思いで精一杯作った本だ。

 それは版を重ね、今、私の手元にあるのは、2003年8月5日 第14刷りとなっている。さらに、その初刷りから12年経って、新版をつくり直した。データも新しくして、イラストもすべて書き直して。2005年11月25日一万二千冊の印刷だ。それがやっとはけて、このたび1500冊を印刷すると。

 本が売れないと聞く。本屋さんも出版社も大変だと。人々が本を読まないだけでなく、ネット社会になって、何でもネットで片付くようになって。小説までネットやゲーム機で読めるようになって。まして、性教育も衰退して、なかなか広がらない今、この本が重版になるのは、本当にうれしい。男性も女性も男性の体と女性の体を知るべきだ。それがすべての基本だと私は信念を持っている。そのためにも、読まれるとうれしい。

 先日は、集英社から「新版 さらば、悲しみの性」を増刷するとの知らせが来た。これは、1985年に高文研から出した「さらば、悲しみの性」を加筆、書き直しをして、文庫とした物である。1999年5月25日に六万冊の初刷りで出した。原本もかなり版を重ねたが、この文庫も版を重ね、今回は17刷り、計3000部だそうだ。これで計十万八千部となるとのこと。私の初めての本で、一番思い入れのある本なので。うれしい。

 本を買ってくださる皆様、ありがとう。うれしい知らせをもらってなんかうれしい。力をもらって、めげないで頑張れそうな気がする。


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佐賀での出来事③佐賀牛を食す。

 ゴールデンウィークに入って程なく、⑦パパさんがブログ「反面教師!(親馬鹿チャンリン2)」で九州日帰り旅行という記事を書かれていました。ご家族で、佐賀牛を食べに行ってきたというお話しです。JA経営のレストランで、とても安いそうで、おいしそうなお肉の写真が出ています。

 もうすぐ佐賀に行くということが分かっている私は、ふうん、いいなあ、佐賀にはこんなレストランがあるんだとうらやましく読んだものです。講演前に佐賀のお城跡などを案内してくださっていた大隈ドクターに、ついその話をしたのです。私のブログ仲間がね、と。そしたら、「今日そこにいきますよ。」といわれるではありませんか。講演会の後の打ち上げをそこでするように、予約してあるというのです。

 本当にびっくりして、そんなことがあるのだと、内心小躍りしました。

 そして、会場に行くと、確かに、⑦パパさんのブログに載っているのと同じお店でした。

2009_05110019_2 2009_05110022_2

でも、お料理はちがいました。お部屋に入ると、こんなでっかいせいろが二つ。「佐賀牛のせいろ蒸し」というのだそうです。私は牛肉をせいろで蒸す料理なんて、食べたことがありません。

2009_05110020 2009_05110023                   

せいろの蓋を開けると、ぎっしりのお野菜やキノコです。蓋をして火をつけ、お野菜から湯気が上がる頃、お肉が運ばれて来ました。キャッ!豪華!!

2009_05110024 2009_05110027                     

お肉を野菜の上に並べて、もう一度蓋をして待ちます。お肉の色が変わったら、お肉で野菜をくるむようにしてお皿へ。

たれはポン酢とゴマだれの両方がありました。

2009_05110021 2009_05110028                    

どちらも美味。これを何回も繰り返します。前菜とデザートコーヒーも。御飯と味噌汁、お漬物は写真を撮るのを忘れました。

もう、大げさでなく、この世のものとも思えないご馳走でした。ありがたいことです。スタッフの皆様のお心使いに感謝です。

 それから、⑦パパさんのまねで、午前中には小城羊羹の総本舗に行って自分用とお土産用の羊羹を買ったし、お肉のレストランと隣接したJAの食品売り場で、ソラマメをどっさり(30鞘で250円です)買いました。ソラマメは買って帰った晩に剥いて、次の日の朝にソラマメ御飯にしました。残りは鞘ごと焼いてたべようと思います。

車なら、もっと買えたのに。と、残念でした。レンコンもどっさりで200円だし、イチゴは地元だし。だから、今度行く時は、車にしようと思ったしだいです。


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佐賀での出来事②ストップ!プルサーマル人文字フェスタ

 佐賀の会場に着いたとき、隣接の広場に沢山の人がいました。何でしょう?とたずねると、「プルサーマルの反対の集会が開かれているのです。」と教えてくださいました。

 ええ?それは気になる。出来れば私も参加したいほどだと思って。少し早く会場に着いていたので、時間がありました。で、会に行ってみました。

 私は無自覚で、知りませんでした。プルサーマル、人が人為的に作りだしたものの中で、最悪の毒とされるプルトニウムと劣化ウランを混ぜたもの、それがフランスを出発して日本に向かっている、そのために様々な国がとても警戒をしているという話は知っていました。

 でも、なかなかその受け入れ先がないと思っていました。それが、ここ、佐賀の玄海原発が受け入れ、もうすぐプルサーマルが玄海に到着し、今秋から試運転が始まるという、とても緊迫した事態となっていました。

 沢山の人が集まっていました。ここで人文字も作るのだと。そして、昔だったらデモなのでしょうが、今日はパレードをするのだと知りました。気になって、写真を撮ったり、チラシや資料をいただいたりしましたが、何せ、私は私の講演をちゃんとしなければなりません。

 そしたら、講演のすぐ前に、一人の女性が尋ねてきてくださいました。高校の先輩のFです、と。びっくりしました。私は高校時代はそれほど親しく話したことはありませんが、とても優秀な方で、憧れの先輩でもありました。そして、私が医学部の学生の時、医学部のある教室の助手として入られ、私たちの実習の指導をしてくださいました。その方がほぼ40年ぶりに目の前にいらっしたのです。私は佐賀にいらっしゃるということも知りませんでした。

 そして、そのプルサーマルの集会にきていると、と。力を貸して!!といわれます。子どもたちにこんなもの残してはいけないと。昔はおとなしい方でしたが、とても情熱を持って一生懸命語られました。もうすぐプルサーマルが来てしまう、と。住民投票を求めて沢山の署名を集めても、県議会が即否決をしてしまったのだそうです。

 国の安全宣言はっいったい何を根拠にしているのでしょう。原発では様々な事故が起こっています。スリーマイル島、チェルノブイリ、こんな大事故でなくとも、日本でももんじゅなど数々の事故は本当に沢山起こっています。

 プルトニウムは再利用するといいますが、再利用されるのは10%にもならない、ほとんどは核のごみとなります。それも地下深くに埋めるとされていますが、埋められるようになるまでに温度を冷やさなければなりません。それが冷えるのに、何と百年かかるのです。そして、その後数万年、管理しつづけなければなりません。それまで放射能を出し続けます。

 ひどい毒性でどこの国もこれを燃やしてエネルギーにするなどということはいないのに、日本だけがこの危険なものに手を出そうとしています。日本は、この核爆弾の元になるプルトニウムを大量に持つ国として、IAEAに厳重に監視されています。北朝鮮のことをあれこれいいますが、それ以上に日本が警戒されているということなのです。

 エネルギーの問題は、太陽光や風や波や地熱などの自然のものの利用をするという方向に、もっと真剣にとりくまなければ、と思います。

 講演の途中、映画の上映をしているときに行ってみたら、皆さん、人文字を作り始めていました。

2009_05110018 空にはヘリコプターです。空から見るとすごい人文字です。(これをぜひクリックしてみてください。)

先輩は、行ったり来たりしながら、私の講演も聴いてくださいました。とても大切なことを教えてくださって感謝です。

 私もヒロシマの地で、原発や核の問題を本気で考え、行動しなければ、と思いました。

それから、講演を聞きに来てくださった人の中に、私が昔取り上げた人がいることも、感想文を読んで知りました。ヒロシマでなく、佐賀の地にそんな人がいるなんて。感激です。

明日は、佐賀の食べ物のことを書きます。 


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「佐賀」での出来事①「いのちと性を考えるフォーラム」終了。

昨夜遅くに佐賀から帰って来ました。楽だからと思って列車にしましたが、重い荷物を持っての移動、特に乗り換えの階段などは結構つらいものがあります。何回も車で来ればよかったと思いました。

 200人の方の参加がありました。一部で私の講演を1時間40分、二部でさらに大隈先生との対談の形で50分と、たっぷり時間を取っていただきましたので、しっかり話すことが出来ました。それでも、まだ少し話しきることができなくて、後悔があります。でも、後で感想文を読ませていただいて、よく聞いてくださって、それにりにご理解を戴いたのではないかとうれしく思いました。

 佐賀県では、三年前に20才未満の人工中絶が全国のワーストワンになったということで、本気で性教育をしなければ、ということで盛り上がっているようです。様々なネックがあるなかで、関係者の方々が頑張っています。建前でお茶を濁そうとする方たちもありますので、なかかな大変だとは思います。でも、ほかでもない、子どもたちが豊かな大人になるためなのですから、がんばらなければ、と思います。

 スタッフの皆様には本当にお世話になりました。いたれり尽くせりで本当に恐縮です。私にとっても、皆様とつながったことでまた元気を戴きました。感謝しています。ともに頑張りましょう!!

 ところで、会場の外の広場に沢山の人が集まっていました。「プルサーマルに反対の方たちの集会」でした。これについて、また今日の夜に書きます。

 


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佐賀に来ています。

 佐賀に来ています。診療後新幹線と特急で来ました。先週の別府行きに比べれば、佐賀のほうがウンと近いので、車で来ることも考えましたが、結局は列車にしました。移動の間の時間がもったいないことや、やっぱり診療後の運転はしんどいということや、もろもろの理由です。

 広島駅の新幹線口には、双葉図書のリユース、要するに古本屋さんがあります。そこで四冊の文庫を買いました。村山由佳二冊、それに森瑤子と、例の納棺夫日記です。疲れているときには、気楽に本が読みたいので、まず村山由佳から。私はこの人の大人の女のエロチシズムが好きです。新幹線に乗るとすぐに読み始めて、乗り換えても読んで、結局少し残ったので、ホテルに着くとすぐに残りを読んで一冊終了です。

 佐賀駅には、友人の産婦人科医の大隈先生と、佐賀大学保健管理センターの竹富さんが迎えに来てくださっていました。夜なのに、ありがたいことです。

明日は、「いのちと性を考えるフォーラム」です。

Img047_2 佐賀県、佐賀県教育委員会、佐賀エイズ研究会、NPOウィメンズサポートネットワークの共催で、沢山の団体の後援が着いていますが、どれだけの方が集まってくださるのかは、ふたを開けてみないと分からないということでした。

 参加者が多くても、少なくても、せっかく与えられたありがたい機会ですので、頑張って話したいと思います。

一部で後援をし、母の日コンサートがあって第二部のトークは、大隈先生との対談です。

 彼とは、昨年の11月の千葉での母性衛生学会で、一緒にお芝居をしました。私はミニスカートのセーラー服の女子高校生、大隈先生は、特大のナース服を着ての産婦人科のナース役を演じました。爆笑の芝居ながらも、現代の高校を舞台に、若者の気質やその困難な課題を浮き彫りにして評価の高い芝居をしたものです。

 彼との対談も楽しみです。

 性教育へのバッシングが厳しいいま、これではいけないのではないかという空気が大分出てきたことに、ほっとしています。


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母の日のプレゼントに思う。

 連休明けの初日、全くもう忙しいばかりでした。明後日10日は母の日。お昼時間にそごうに買い物に行こうと思っていたのが、午前中の診療が長引いて、行けず。では、診療がすんで行こう、と思っていたら、これも遅くなってしまって、すんだときは8時を過ぎていました。

 大分の母にプレゼントを贈るのは今日の夜がタイムリミットで。どうしよう、どこか遅くまで開いているところはないかなあ、と言ったら、うちのスタッフが先生、イーオンなら10時までやっていますよ、と教えてくれたのです。

 家に帰ったら、もう9時。大急ぎでカレーをかっ込んで。カレーは夫が作ってくれていました。バーモンドの辛口と甘口を混ぜたと、それなりに美味しいカレーでした。そして府中のイーオンモールに行って。どうしよう、何にしようかと見ていたら。

 見つけました。宇野千代さんのブランドのいろいろを。以前、宇野千代さんの財布やバッグをプレゼントしたら、とても喜ばれたことがあります。母は千代さんのファンでした。以前はバッグくらいしかなかったのが、今では、いろいろな小物がありました。それらの中から、夏用の薄いベージュのストール、もちろん、宇野千代さんですので、隅っこのほうにカラフルなサクラがついています。同じくベージュで薄く軽い、そしてつばのところがしましまになっている夏の帽子。片方に茶色のお花がついています。そして、ブルーのパジャマです。これにもサクラがついています。

 それらをラッピングしてもらいました。イーオンから送ってもらうと、郵パックなので11日になると。母の日に間に会わなければ困るので、持って帰って、やまとの湯のところにできているセブンイレブンから宅急便で送りました。これだと、10日の午前中に着くそうです。本当に、ほっとしました。

 その後やまとの湯で、湯につかりながら、私の母を思いました。母も宇野千代さんが好きでした。母も義母も、あの時代にあれだけ奔放に生きた女性に憧れがあったのかも知れません。二人とも、同じような見合い結婚で。それだけでなく、私の母と、義母はその境遇がとてもよく似ています。

 二人とも、小さいときに母を亡くしています。そして、私の母は、島根の小学校を卒業すると、朝日新聞の記者をしている神戸のおじさんの家に身を寄せて、神戸女学校に通いました。でも、両親からまた呼び寄せられて、途中から松江の女学校に転校しています。

 河野の母は、大分の小学校を卒業すると、毎日新聞の記者をしていた兄の家に身を寄せて、大阪の女学校に通いました。でも、兄が転勤となり、母は一人実家のある大分に帰って、日出の女学校に転校したのだそうです。

 その頃の話を聞くのは、とても楽しいのですが。私はもう自分の母から話しを聞くすべもありません。母にプレゼントを買うことも出来ません。母が生きているうちに、私はどれだけのプレゼントをしただろうか、と考えても、なかなか思い出せません。とても苦労をかけたままに、亡くなったように思います。

 でも、一度だけ、父に「美代子はずいぶんお母さんに孝行したんだよ。」といわれて、ホント?と信じられない思いで、でも、本当だったらうれしい、と思ったことがあります。

 今は、その父も亡くなって、河野の父も亡くなって、義母一人しか残っていません。その母へのプレゼントが何とか間にあって、ああ、ほんとに良かったと露天風呂の中であらためてホッとしたのです。

追加。昨日の文教女子大の講演の感想を、沢山の学生さんがコメントしてくれて有難うございます。時間かかるかも知れないけれど、かならずお一人ずつ返事をしますからね。感謝です。


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大学生への講演と「和みカフェ」

 今日は午前中広島の文教女子大の一年生たちへ講義をしました。広島市こども未来局こども・家庭支援課からの思春期保健教室の講師として派遣されました。

 中・高での性教育が十分になされていない今、大学生への教育はとても大切です。

 日本性教育協会の調査によると、2005年、大学生の性交経験率は男女とも63%。しかしこれは、大学一年から四年まで全部くるめての率です一年と四年でその差があるのは当然です。

 若者の世界では、大学生にもなれば性がずっと身近になるのですね。私の時代を振り返ってみても、高校までと大学生とでは、もう、全然その世界は変わってくるのです。それまで本当になんにも知識を得ていない若者が、行動が先行してしまうと、どんなことになるか、それを大人たちは真剣に考えるべきだと思います。

 また、大学生になると、アルバイトも多くの学生がするようになるでしょう。そこにも様々な人間関係が作られて行きます。

 大学生の保護者の方がお子さんの相談にみえることがあります。そんなとき、自分の子は絶対にそんなことはしていない、と言い張る姿を見て、ため息をつくことがあります。お子さんが妊娠や性感染症で悩んでいる、その人の親が、なのです。もっとも、患者さんのプライバシーは守らなければなりませんので、わざわざそれを伝えることはしませんが。

 今日、大学生に話しをさせて頂いて、良かったと思っています。学生の皆さんの感想文が楽しみです。

 その後、マダムはせがわの和みカフェに行きました。一旦家に帰っていたのですが、和みカフェで、来週の木曜日にニットカフェが開かれるという記事を見て、とても気になっていたのです。それと、一度行きたいと思って行くも、たどり着けなくて、帰ってきたことがあります。お任せランチもいつもおいしそうだし、手作りケーキも気になるし。で、車を飛ばして行ってみました。私のナビは古くて、このお店の住所が出ません。本当に苦労して、たどり着きました。

 古民家のカフェはとても落ち着いていて、ほっと和みました。遅く着いたにもかかわらず、無理を言ってお任せランチを出して頂きました。

2009_05070011 2009_05070012                     

 庭を見ながらの食事も美味しくて、ペロリです。その後の和みカフェ名物の「しょうがプリン」、とてもなめらかでおいしくって。それも、作り方を聞いてびっくりです。卵もゼライスなども全く使わないで蒸すこともしないで固まらせるという、まるで手品です。コーヒーも戴いて、とんぼの手作りネックレスも買って、すっかり満足して帰りました。来週のニットカフェで作るショールの実物が置いてありました。それを作るのがもうとても楽しみです。このような場所のこのようなお店、そしてマダム長谷川さんとご縁が出来たのも、広島ブログのおかげだと、またまたブログをやっていて良かったと思いました。

 さあ、明日からまた診療です。


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私のゴールデンウィーク⑤「玉椿の湯」であかすりです。

そういえば、報告を忘れていました。4月30日木曜日、クリニックのお休みの日、東広島高屋の新しい温泉「玉椿の湯」に行きました。友人から、いいお風呂ができたよ、と聞いていたのです。私はおふろフェチです。いいお風呂があると聞けば、どこまでも。で、姉と二人で行きました。西城インターからすぐ、10分もかからないところにありました。

2009_04300019 平日の午後なので、人も少なくて、のんびりと。真っ青な空の下、広い露天風呂でこんな贅沢してもいいのかな、と思いながら、ひと時を過ごしました。

 ここには、岩盤浴やあかすりもあります。私はあかすりが大好きです。日ごろはやまとの湯に行きますが、ここにはあかすりはありません。それが残念なのです。

 早速姉と二人並んであかすりをしてもらいました。シャンプー、リンパマッサージもとても上手でした。

 これは、病み付きになりそうです。ちょっと遠いのですが、何とか月いちくらいは通いたいなあと思います。モール街で、同じ敷地内にスーパーマーケットもあって、地産の野菜が一杯で、トマトやキューリを買って帰りました。この近くに住んでいる人はいいなあ、と姉と話しながら帰りました。

 今日6日は最後の休み。何か緑のところに行きたいなあ、といいましたが、結局家にこもっています。大分から帰りに一般道を通っていて、道の駅「豊前おこしかけ」でスイカやイチゴや卵などいろいろと買い物をしました。ちょうど広場でやっていた古本市で買って帰った本を読んでいます。なかなか読書もママならない日々、こんな日にのんびりと本を読むのも、贅沢なことです。

 明日は木曜日のクリニックの休診日。続いての休みですが、私は朝から講演に出かけます。さあ、これでゴールデンウィークもおしまい!!です。結局何をしたのか、はっきりしない休みでした。これも、真ん中に当番医があったためなのでしょう。仕方ありません。


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私のゴールデンウィーク④私のフラワーフェスティバル

昨夜別府から広島に帰ってきて、そして今日は朝から当番医。バタバタ、バタバタ、まあ、忙しいったらありゃしない。お昼は韓国語の李先生がちぢみを焼いているからきてね、ええ、絶対に行きます!!と言っていたのです。流産の方の手術などもあって、午前中の診療がやっと終わったのがもう二時過ぎていました。

 姉と一緒に必死で歩いて会場に。平和大通りはパレードの最中で、人を掻き分けるようにして大通りを横切りました。そこで先生にも無事会えて(先生は粉だらけになってちぢみを焼いてらっしゃいました)ハグのご挨拶です。

 そこで、お昼はちぢみとトッポギとキムチチャーハンです。大急ぎでとても美味しく戴いて、またクリニックの診療に戻りました。

 私のフラワーフェスティバルはそれでおしまいかと思ったのですが。

 いえ、診療を終えて雷と大雨の中、自転車で平和公園を横切ろうとしたら。とてもきれいです。

2009_05050029 広場に置かれた折鶴がライティングされて、雨の中で光っていました。思わず私も雨にぬれながらパチリです。

 ステージではファイナルのダンスがにぎやかです。そうだ、と思いついて。うちに帰って晩御飯の準備を急いでした後、また平和公園へ。花の塔のお花が配られるのをもらおうと急いだのです。出たときはそうでもなかったので、かさも持たずに。そして行列に並んだときから猛烈に雨です。持って行ったナイロン袋をかぶり、ずぶぬれになりながら、それでも根性で並んで、ゲットしたお花たちです。

2009_05050034 二回並んで計八鉢。本当はカーネーションや白のお花もほしかったのですが、自分で選ぶことはできず、しかも暗い中で、良く分からなかったのですが、帰ってみると、結局紫のパンジーが五つもになってしまいました。でも、赤のなでしこも入っていたのでそれがうれしかったです。下着までずぶぬれになった姿に夫は大笑いです。

これらは、クリニックのベランダに持っていくつもりです。

                                                                  私のフラワーは、これで終わりです。作業所の人たちのマーガレットステージの売店に行こうと思っていたのですが、2009_05050018 それもかないませんでした。また来年を楽しみにします。

お昼に戴いたキムチチャーハンとトッポギとちぢみです。午後の診療はマスクをしてしました。


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私のゴールデンウィーク③母の手料理、たけのこ、木の芽。

 別府に昨日着いたのに、今日はもう帰らないといけません。

 昨日は、義母の手料理でお昼御飯を戴きました。夜は家に来てもらって、御飯とお風呂と夫とのおしゃべりで過ごしてもらいました。母は85才。一人暮らしで、まだ小さなお店をしています。元気に過ごして下さっているので、ありがたいことです。

2009_05030021 たけのこの煮物、ふきの煮物、たけのこやにんじんや木の芽の入った白和え、便利菜や大根などの漬物、きびなごの煮付け、味噌汁、それにクリの入ったお赤飯などなど。赤飯は沢山作って、本家(夫のいとこが住んでいます)や義姉(夫の姉夫婦)などに配られました。

 きびなごは頂き物だそうですが、ほかはすべて材料も自家製で、無農薬で、本当にヘルシーです。木の芽は庭に沢山育っています。

 実は、4月30日、戴いたたけのこを湯でて、料理をしました。煮物、たけのこ御飯、木の芽和え・・・。ところが。木の芽を買ってきて、と夫に頼みました。そしたら、運が良かった、一個だけ残ってた、と買って来たのが、しわくちゃに縮んでしまって、なんか軸だけが残っているようにひどいものでした。葉っぱをちぎることも出来ません。

 でも、それをすり鉢ですると、とても言い匂いで、美味しくて大丈夫だったのです。「昔は木の芽なんて、庭から取ってくるものだったのにね、こんなのを買わなければなんて。」と夫に言ったら、夫もそうだったといいました。「僕なんか、山に行ったら、沢山あった」と。その日、東広島の西条のスーパーに行って、木の芽をさがしたら、そこでももう売り切れているのか、もともと売っていないのか、ありませんでした。

 この際、と庭の木から沢山戴いて袋に入れて持って帰ることにしました。同時に回りに生えている小さな苗を二個掘って、私の家の庭に植えました。山椒の木はなかなか着かないといわれていますが、まあ、ためしにやって見ました。どうでしょうか。

2009_05040018  話しは横道にそれますが、たけのこ御飯は、テレビでやっていたののまねをして、油揚げを小さくみじんにして入れました。こくが出てとても美味しかったです。それから、煮物は京風に薄味のかつおのだしで炊いたら、夫が味が薄いと言ったので、もう一度、今度は若鶏の手羽元と一緒に濃い目の味付けで炊きました。どちらも美味でした。鳥と一緒に炊いたのは、残りを煮汁と一緒に冷蔵庫にいれたら、煮汁がにこごりになりますので好きです。御飯の残りは一膳ずつの小分けにして冷凍しました。新鮮なたけのこを食べることが出来るのは、幸せなことです。

 母のは、母の実家の山から義兄が沢山掘ってきたのだそうです。前日は、姉夫婦やいとこたちと、たけのこの先だけをホイルにつつんで、庭で焚き火で焼いて木の芽味噌をつけて食べたのだそうです。同時に竹の筒に入れてたけのこ御飯も戴いたと。うらやましいことでした。

 さて、今朝から、コスモスの種を買ってきたのを庭に植えたり、庭から道にはみ出した枝をおとしたり、忙しく庭の手入れをしました。レセプトはさっぱり出来ていません。お昼に出発してゆっくり広島に帰ります。


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私のゴールデンウィーク②別府に1000円で来ました。

高速道1000円で別府まで来ました。

 昨夜、診療を済ませて、すぐ午後7時家を出発しました。そのままクリニックにレセプトなどの荷物を取りに来て、7時10分クリニック出発。五日市インターから高速に乗り、ひたすら走りました。ガソリンは、30日に東広島でとても安いスタンドをみつけ、そこで満タンにしています。

 いつもなら、徳山・竹田津のフェリーに乗るのですが、それだけで夫の同乗者分もあわせて15000円もかかります。せっかく千円なのだから、陸を走る、と決めていました。それも、普通小倉から南下するのですが、そうすると、ここはまだ高速は整備されていません。一般道を走らなければなりません。

 そこで、どうせ1000円なのなら、遠回りですが、鳥栖まで走ってから大分道に乗り、日田や湯布院を通って別府へというルートにしました。

 途中美東パーキングで食事です。壇ノ浦だと込んでいるだろうと思ってその前にしたのですが、ここもごった返していました。私はとんこつラーメン、夫はわかめそばを食べただけなのに、それでも一時間もかかってしまいました。

 福岡から大宰府の途中で事故(名古屋ナンバーの車でした。きっと疲れていたのでしょうね)渋滞に巻き込まれましたが、結局別府の我が家に午前二時に無事着きました。計442キロでした。当然、1000円でしたが。ガソリンはちょうど満タンの半分です。でも、疲れました。

 運転しながら足がだるくて。連休前の多くの患者さんの診療がすんだ時点で、もうだるかったのですが、途中座席に左足をあげたり、靴をぬいだりしながらの運転です。それと、一度猛烈に眠くなりました。パーキングでカフェイン入りのドリンクを買っていましたので、それを飲んで乗り切りました。それと、ガムとニッケの飴玉を口にしながらです。

 それにしても、1000円はありがたいことだけれど。やはり若い人向けですね。私のような年寄りは無理をしてはいけません。さて、帰りはどうしましょう。やはりフェリーは勿体ない。フェリーの業種さんは大変でしょうね。遠回りをせず、素直に一般道を北上して、小倉から高速に乗るという、そのルートにしようかと思っています。

 そのまま崩れるようにして寝ました。朝おきて庭に出てびっくりです。

 いつもはこのゴールデンウィークが庭のさくらんぼの収穫なのですが。すべて鳥に食べられてしまっています。周りを突っついた後のある種が沢山残っています。それともう少し熟していない青っぽいのだけです。やられたね、と苦笑いです。

 でも、父が亡くなった後に持ってきて植えたレモンの花が沢山咲いています。昨年三個だけ実をつけました。今年はきっと沢山実るでしょう。肥料をあげなくては。スイーティーはまだつぼみのつき初めですが、今年はなんだか花が少なさそうです。

2009_050300102009_05030011 2009_05030012

2009_05030008                   

10年前、小さな鉢から移したラベンダーも、兵庫県の八鹿高校から分けて頂いた持って帰った芝桜も、父が生きているときに植えてくれた南天もまんりょうも紫陽花も菊も、その父の形見を兄が挿し木して分けてくれた椿も、みんな生き抜いています。まだ若い庭もずいぶんうっそうとして来ました。

 これから義母のうちに行きます。私はレセプトもあるし、忙しくしそうです。もう明日には広島に帰らなければなりません。5日は、なんと当番医なのです。とんでもない時にあたったものです。                            


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私のゴールデンウィーク①ニューハーフレビューショー

 4月29日。緑の日だと思い込んでいたら、いつの間にか「昭和の日」になっていました。

 この日、ディナーショーに行く予定でいました。「リーガロイヤルホテル15周年記念ーニューハーフレビューショー」です。それを夫に言ったら「へえっ、そんな物に行くの? と言うことは、昭和天皇ももう遠いことになっているということかなあ」と。何?といいかえしたなら、「だって、昭和天皇の誕生日に、それも天皇が泊まるようなホテルでしょう? そこでニューハーフのショーなのでしょ?」といわれました。

 それもそうだ、そんな発想すらしなかった私も気づいてみて、大笑いです。

2009_04300006 私は、ニューハーフショーは大好きです。昔、ラブちゃんがまだ若かったときからの付き合いで。彼女はいろいろなお店で、本当に楽しく美しく、様々なショーを演出していて、よく見に行っていました。そんなショーをしなくなっても、まだラブちゃんとは大の仲良しです。

 今回のリーガのショーは、東京のお店から選抜されたニューハーフの集まりでした。

それはそれは、楽しくてお腹を抱えるほど笑ったり(だって、かつらの父娘に扮した二人の「夕べ娘が酌してくれた・・・」という歌にあわせての無言劇は、酌が尺なんですもの)、妖艶で美しい踊りに酔ったりの充実したひと時でした。ショーの写真が禁止だったのが本当に残念。すんだ後、お見送りをしてくれる時のみ写真O.K.でした。

2009_04300016 左から二人目の白いドレスの彼女は、ニューハーフ世界大会の二年連続の日本代表だそうで。しなやかな体のダンスは、それは絶品でした。

ディナーもおいしかったし、すっかりバカになっての楽しいひと時を過ごしました。

そう、昭和天皇が生きていらっしたら、こんな日にこんなホテルで、こんなショーと言うのは、決して許されなかったでしょうね。時代が変わったということでしょう。


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