親が死ぬということ。
広島ブログでいろいろな方のブログを読んでいると、親の介護をしている人たちがとても多い。体が不自由な人、認知症にかかっている人、ほとんど意識のない人、両親の片方が病院に片方が施設に、その両方を毎日のように訪れている人などなど。時には、それらのブログを読んで、涙することもある。
親を看取るということは、とてもつらいことではあるが、子の義務なのかもしれない。時には、これがいつまで続くのかと先を見るのはこわいけれど、その終わりがいつなのか分からない、そのための不安もある。
shiozyさんのお母様が亡くなったとのブログに接した。
そのブログを読んで以来、ずっと両親のことを思っている。二人ともすでに亡くなっている。母は妊娠中毒症の後遺症の高血圧、心不全、腎不全、最後は透析を続け、亡くなった。父は、脳出血で意識のないまま一年間人工呼吸を続け、亡くなった。二人とも、亡くなる前はとてもつらそうだった。父などは意識はないのに、そして喉から人工呼吸器がつながっているのに、それなのに深い下顎呼吸を必死でして亡くなった。
亡くなって時が経ってもなお、私は毎日両親のことを想う。両親は一生懸命に子育てをしてくれた。その最後、たとえ意識はなく、話はできなくとも、とにかく生きているだけでいい。生きていてほしかったと想う。人であるからには、いつか、きっと誰でも亡くなるのだけれど、それは出来るだけ後のほうがいい。そう思う。
阪神大震災から14年。以前、ものすごいドキュメントを見た。まだ彼女が小学生の時、震災で両親を亡くした。その後成長し、「あしながおじさんー親のいない子の学資の支援」を求める活動に参加していて、一人の男性と出会う。やがてその男性と結婚し、妊娠。赤ちゃんを産むというそのとき。手術での出産であったが、赤ちゃんの泣き声が無事元気に聞こえてきて、その後に。ものすごい彼女の泣き声が聞こえてきた。うぉーんうおーんと号泣して、そして叫んだ。
「パパとママに会いたい!会いたいよう!!」
すさまじい叫び声であった。ひとつの命を生み出した、その瞬間に彼女は両親を想い、会いたいと叫んだ。
小学生で両親と死別した彼女が、どんな思いで生きてきたのか。それを考えると、私は大人になるまで親が生きていてくれて、幸せだったのだと思う。もっと母に、父に、こうすればよかった、ああもしてあげたかったと後悔することばかりだけれど。そして、その後悔は今後もずっと続くであろうが。
私だっていつかは死ぬ。その時に私の子どもたちができるだけつらい思いをしないように。そんな準備をしたいとも思う。
shiozyさんとは、25日にWeプラザの「ブロガー大集合」での対談などが待っている。親の死の後はいろいろと大変なこともあるだろうが、どうか、それまでには立ち直って、元気な顔を見せてほしいとそう願っている。合掌。
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コメント
初めてコメントをさせてもらいます。
どうぞよろしくお願いします。
子どもは、親がいなければ存在していません。
だから、子どもは、親に感謝しながら生きていかなければならいと思っています。
親が亡くなって、涙を流して後悔するのではなく、
「しっかりと親孝行できた。産んでくれてありがとう」
と、良い涙を流しながら見送ることができる自分であり続けたいと思いました。
とても良いブログを読ませていただきました。
ありがとうございます(^-^)
投稿: わか先生 | 2009年1月14日 (水) 11時49分
はじめまして。
読ませていただいて、思いっきり泣きました。
私は母を亡くしていますが、やはり出産の時に心からお母さんに会いたい!
と思いました。
がんばった自分を褒めてほしい!お母さんになった私をみてほしい!
とか色んな思いが交錯してました。
特にこの女性は幼くして両親を失ったので、その思いはなおさらだった事でしょう。
この女性が末永く幸せに暮らせる事を、心から願います。
投稿: スミレ | 2009年1月14日 (水) 22時20分
わか先生さま
はじめまして。コメント有難うございます。ブログ、楽しく読ませていただいています。
ええ、親が亡くなっても後悔のないように、というのは、確かに理想ですね。私なんて、後悔だらけです。でも、母がなくなって何年もして、父が「美代子はとっても親孝行をしたよ。」といわれて、そうなのか、とちょっと救われた気持ちになりました。これからもよろしくお願いします。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2009年1月16日 (金) 20時16分
スミレさま
コメント有難うございます。いつも素敵なブログも読ませて戴いています。私は、産婦人科にいますので、癌などで幼くして母親を亡くした人にも出会います。それはやはり運命なのかなあ、と。その運命の中でしっかり生きて行ってほしい、と。そして、私は自分の子どもが赤ちゃんを産むまでは、生きていてやりたい!といつも思っていました。また、いろいろとレポートさせていただきますね。これからもどうぞよろしくお願いします。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2009年1月16日 (金) 20時25分
はじめまして。
最近この広島ブログを知り、参加して読ませて頂きました。
私は中学校の丁度反抗期真っ只中に父を亡くし、父と向き合い生きることも出来ずに
見送ってしまったことを今でも後悔しています。
自分が親になり、親への感謝・尊敬の念は深まるばかりです。
老いていく母、そして旦那方の父母に父と果たせなかった分も
きちんと向き合い、伝え合って支えて、そして見送れたらと思います。
このブログを読んで、改めて考えさせていただきました。ありがとうございました。
これからも読ませていただきます。
投稿: あもぽん | 2009年1月23日 (金) 16時02分
あもぼんさま
はじめまして。コメント有難うございます。そうですね。今、できることをやって後悔しないようにしなければ。親が死んだ後では、どうにもなりません。ブログ、読ませていただきました。面白いブログですね。これからもよろしくお願いします。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2009年1月23日 (金) 21時31分
小学生のとき、阪神大震災で両親を亡くし、その後出産した女性のドキュメント 私も見ました。 すごい衝撃を受けたことを覚えています。
そして今、もう一度あの映像を見たいし、小学生の娘と息子に見せたいと思っています。
時に 人には、思いもしない不幸や悲しみが訪れますが親や兄弟、子を亡くす辛さより辛い苦しみはないように思えます。
投稿: なおこ | 2010年11月30日 (火) 00時21分
母をなくし,1年がたちました。しかし,1日たりとも,母のことを思わなかった日は,ありません。これは,一生続くと思います。母もそうだったんだと思います。こうしてしておけばよかったと,後悔ばかりの日々でしたが,少しずつ変わっていけると思います。生きているときは,素直に聞けなかったことが,今は,母の言葉,生き方として素直に聞けるようになりました。これからもずっと思って生きていくでしょうが,みんなそうなんだと思っています。親の死を経験して,初めて大人になれるのでしょうね。
投稿: みつお | 2012年7月22日 (日) 20時23分
後悔しないようにとのことですが、私は深い後悔と悲しみの真っただ中にいます。最後まで付き添ってあげればよかった。それなのにまだ大丈夫だろうと上京してしまったその3日後に一人で逝ってしまった父。私は父を見捨ててしまったのだ。一人で情けなかっただろう、辛かっただろう、淋しかっただろう、ごめんなさい。お父さんごめんなさい。見舞っている間は元気そうにしていたのに、最後はそばにいてほしいと言っていたのに、私は父を見捨ててしまったのだ。心から悲しく申し訳なくとても残念です。
投稿: | 2013年7月20日 (土) 08時30分