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自民党の演説に気分がザラザラ。

今日土曜日は、shiozyさんの「妻のために生きる」の原画展の最終日。これまでずっと行くことが出来なかったので、なんとしても今日いかなければ。だから、午前中の診療は一生懸命だった。二時前に何とか診療を終えることが出来て、大急ぎで「ちから」の定番の中華そばミニを食べる。そして、ちょっとだけお土産を買おうと本通の交差点のほうに向かおうとしたら、何やらスピーカーの声が聞こえる。

 見ると、自由民主党の豪華な車が止まっており、その上に人が三人立っている。車の上からは、垂れ幕が。その一つには、衆議院議員岸田文夫氏の名前。よく見ると、車の上の一人は岸田氏だ。そのうちの一人の演説が始まった。「北朝鮮の拉致問題について」と。

 車のまわり、本通には、何人もの若者が自民党の旗を持ち、広報誌とパンフレットを配っている。私は急ぐので、早足で通り過ぎる。アンデルセンに行ったかえり、そこをまた通ろうとしたら、今度は岸田氏の演説だ。今日は、全国の統一行動の日だと。北海道から沖縄まで、全国で自民党の青年部が一斉に行動をしているのだと。そして、また、北朝鮮の拉致問題だ。ちょっとだけ立ち止まったが、やはり時間がないので、立ち去ろうとしたら、一人の青年が、パンフを持って近づいてきた。

 広報誌とパンフを渡されたので、たずねた。

「後期高齢者医療について、何か書いてありますか?」と。そしたら、さあ、と首をひねり、バンフをぱらぱらとめくっている。

「後期高齢者医療の委員会の強行採決の議長をしていたのは、岸田さんでしょう?張本人はこれについて、今どういっているの?」

と聞くも、さあ、だけだ。「年寄りは死ね、というような制度でしょう?」というも、なんにも答えられない若い青年を相手にしてもしょうがないので、パンフ、読んでみるね、と言って立ち去った。

 広報誌は、自由民主という。「原油高から国民生活を守れ」とでかでかと赤で見出しが書かれている。まるで、人ごと。野党の新聞だ。福田内閣は緊急対策を決定したと。中小企業や建設業や農林業に対しての対策が書いてあるが、消費者の視点がない。さまざまな物価が上がって、この上に後期高齢者医療費が天引きされて、生活に困っている人たち、特に高齢の方たちに対しての対策なんて、なんにもない。「石油税」を一時ストップしてでも、物価高に対しての支援をしましょうと、こんなことはいえないのだろうか。

 パンフレットも馬鹿馬鹿しいったらありはしない。青年部の宣伝だけだ。こんなむなしいものをお金をかけて作って、何の効果があるというのだろうか。政策の一つも出ていない。もっとも、今、年金や高齢者医療について語ると、怒りを買うだけだとわかっているからなのかも知れないが。

 民主党の離党騒ぎも、自民党による切り崩しだと。参議院の過半数を取れない与党が、もうじき民主党から何人かを離党をさせるべく、ひそかに動いている、と何回も聞いた。ここに来て、それが実行されたということだろう。あの人たちは、やがて自民党に吸収されて行くのだろうか。これだけぼろぼろになっている自民党に何の魅力があるのだろうか、と、かわいそうになってしまう。

 まあ、似たような人は、まだまだ民主党の中にいるだろうし。本当は自民党から出たいのだけれど、枠がないので、仕方なく、という人たち。そろそろ政界再編で、すっきりさせたほうがいいのかも。

 なんだか、意味のない広報誌とパンフレットをもらって、気分がざらざらしてきた。いそいで自転車で中国新聞社の原画展に行って、カットの原画と原稿をあらためて見た。間に合ってよかった。本当にこのエッセイはよく出来ている。面白い。どうか、本が沢山売れますように。運よく、shiozyさんにもあえて、ラッキーだった。

 今夜は、大阪のホテルに来ている。明日は、岸和田で講演だ。ブログで出会った方たちにも何人か来ていただけるようで、たのしみ。晩御飯は、一人ホテルの部屋で、駅弁をぼそぼそと。駅弁も大分飽きてきたなあ。でも、知らないところで、一人でどこかで御飯をなんて、出来ないもの。仕方ないことなのです!!

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大汗をかいた話。

 全国的にひどい雨ですね。あちらこちらで雨による被害が出ているようで、お気の毒です。昨日の新横浜からの新幹線での帰広は、途中激しい雨だったところ、そほどでもないところ、突っ走る所、ゆっくり行くところ、さまざまでした。

 昨日のブログで、のんびりしたことを書きましたが。実は、この横浜での講演のたびは、汗びっしょりかきました。

 まず、朝。横浜のホテルから、横浜線の列車に乗るのに、少し時間があるので、横浜そごうに買い物に行きました。本屋さんに行きたかったのです。そごうには広島と同じように、紀伊国屋が入っていると知りました。急げ急げです。紀伊国屋は七階。一階からエレベーターに乗ろうとしました。ところが、エレベーターの表示は一階になったのに、開きません。おっかしいなあ、ちゃんと呼ぶボタンは押して赤くなっているのに。隣のエレベーターもまた一階になっても開きません。

 そしたら、表示が地下二階になったときに、エレベーターが開いたのです。正面玄関から入って、一階だと思った所は地下二階でした。都会はこれだから嫌いです。七階でエレベーターを降りて紀伊国屋に行こうとしたのですが、そこはLoftoでした。見渡す限り、広い広いLoftoです。どこにも本屋さんらしき姿がありません。あっち行き、こっち行きして、あっ、あそこだ、と走って行ってみると、そこは楽器屋さんで、本が並んでいたと思ったのは、音楽関係の本だけでした。

 表示もほとんど出ていないし、あったのかも知れませんが、目に入りませんでした。人に聞きながら、やっとのことで紀伊国屋にたどり着いたのですが、目当ての本はありませんでした。

 さあ、もう、列車の時間が迫っていて、走りましたね。思い荷物を持って。汗びっしょりです。

 またまた、帰りの話。大雨で新幹線が遅れていました。駅員さんは、来た列車に乗ってください、それが賢いです。と言います。ところが、東京から来る列車は、みな超満員です。運休の列車が出ているためもあるでしょう。自由席は、立つ隙間もないほどです。そんなところに四時間もたって帰るのは、気が遠くなりそうです。で、本来の自分が指定を取っている列車に乗ることにしました。

 どれも40分ほど遅れているので、それを待つ間、また本屋さんに行きました。目当ての本はこれまたなかったのですが、代わりの二冊を買って、新幹線のホームに行ったら、なんと、私が乗ろうとしていた列車が突然、20分遅れだけ、早くにやって来ていたのです。私がホームに来たときに、「ドアが閉まります。」と言っているのですよ。もう、びっくりして、叫びました。「乗るよ、乗るよ、乗るから待ってえ!!」と。荷物を持って叫びながら、走りましたね。禁じられている駆け込み乗車です。だって、これを逃したら、やっぱり自由席で立って帰らないといけないのですから。必死です。恥も外聞もありやしません。

 もう、汗びっしょりです。車両をずっと歩いて、やっと私の席についた時には、もうへなへなでした。パソコンを開く気力もなく、よって、本を読んですごしました。

 今日、診療後、アキハバラ塾に行って、残りの原稿を全部書きました。書き終わりました!!新幹線の中でしようと思ったのに、しなかったので、それを今日中にしないと。で、出来ました!!あと少し、口座のこととか、あと何人かと打ち合わせをして、もう少しでホームページアップです。河口塾長、平木さんのおかげです。

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神奈川相模原での講演・ほか

 相模原での講演は、途中、ドウドウと降る雨で、声が聞こえないのじゃないかというくらいで、大声で話して、くたびれました。

 帰りもひどい雨で、飛行機を変更して、新幹線にして正解でしたが。でも、新幹線もずいぶん遅れました。やはり乗ってる時間が長くて、疲れました。

 遅れることがわかって、新横浜で本屋さんに行き、「芥川賞」の「時が滲む朝」と「直木賞」の「切羽へ」の二冊を買って乗りました。広島に帰り着くまでに「時が滲む朝」を全部読みました。「天安門事件前夜から北京五輪前夜まで 中国民主化勢力の青春と挫折」これを、中国からの留学生が書いたというから、驚きです。中国語で書いたのを翻訳したのでなく、日本語で書いたというですから。

 読みながら、私たちの学生運動の挫折と重ねあわせていました。日本では、この手の小説が出ないなあ、と。団塊の世代、全共闘世代、今、どこに言ってしまったのだろうか、と思いながら。

 淡々とした、でも久々に読み応えのある読み物でした。本当は、「逆臣青木幹夫」を買おうとしていたのですが、これは店頭になく、取り寄せになるということでしたので、あきらめました。娘から、「天安門のあの小説を読みたいから、ママ、買って。ママが読んだ後、今度広島に帰ったときにもらって帰るから」と言われていたので、貧乏な娘のために買ったのですが、読んで良かったです。

 相模原から新横浜に帰る途中の町田まで、娘がやって来ました。そして、私が到着するまでに店を下見して候補を選んでくれていました。結局「タイ料理」を二人で食べました。

20080828162611 生春巻き(ほとんど食べた後で写真を取ったのでちょっとしか残っていません)、ココナッツのトムヤンクン、えびのすり身のふわふわ揚げ、グリーンカレーなどです。これに飲み物と、デザート、ココナッツミルクのアイスクリーム・ピーナッツかけと、タロイモのプリンなど。堪能しました。

 娘とは、食べるとすぐに町田で別れました。1時間と10分だけしか会えませんでしたが、わざわざ来てくれて、荷物も持ってくれて、うれしかったです。

 神奈川県でも、性教育に対してのバッシングがひどくて、(バッシングを中心になってする人が足元にいるのですから)だから、講演のタイトルを工夫したりで、なかなか大変だと聞きました。そんなところに行って講演が出来て、とてもうれしかったです。私に声をかけてくださって感謝です。

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男の編み物。ありがとう、Nくん。

今日診療中に高校の同級生が来てくれました。おみやげというか、プレゼントを持って。彼は、四国に住んでいます。先日の出版記念パーティーにも来てくれました。

そのときにプレゼントを持ってきてくれていたのですが、私の姿を見て、これはだめだと、判断したそうです。そしてそのプレゼントは出席していた私たちの先輩のものになってしまったのです。

彼は、そのとき、ちょっとごめん、といって、私の両肩を触りました。そして、わかった、今度ちゃんと作ってくるから、といったのです。彼とは、高校のクラスだけでなく、部活も同じ演劇部でした。大学は工学部。仕事は製造業をやっていましたが、なかなか苦労したようです。仕事中の事故で指の先も失っています。

 その彼は、編み物の達人なのです。ずっと前、もう二十年以上も前、彼が大病して入院していたとき、お見舞いに行ったら、ベットの上で編み物をしていました。指先がなくても器用なものです。二本針で編んでいました。それからもずっと編み続けているのでした。

 私に、ベストを編んで持ってきてくれたのに、しばらくぶりに会ってみると、私が太っていて、だから、サイズがだめだったのです。それで、今日、肩においた手で図ったサイズでのベストを仕上げて、もってきてくれたというわけです。

 真っ白でふわふわして、そして素敵な凝った模様のベストです。後ろも前と同じような素敵な模様が入っています。長さもおなかやお尻が隠れてピッタシです。

 ありがとう、N君。大切に着ますね。

20080827122321  今、新幹線の中です。横浜に向かっています。明日、神奈川県の相模原の高校で話をします。実は、飛行機で行く予定だったのですが、雨だというので、急遽新幹線に変更しました。欠航してしまったらどうにもなりませんし、お天気の悪い中での飛行は、とても気持ちが悪くて好きではありません。揺れる度に飛行機に乗ったことを後悔しています。仕事の後の新幹線は、足がだるくてつらいのですが、でも、揺れても地に足が着いているだけ安心です。

 それに、新幹線の中ですることはたくさんあります。新しいパソコンで、どこでもネットができます。コンセントのある座席もゲットしました。アキハバラ塾の宿題もこの往復のうちにすべてでき上がりそうです。久々に編み物も持って来ました。そろそろ、秋、冬ものの帽子の新作を手がけようと思います。N君ほど上手ではないにしても、私でも、編んだらもらって下さる方があるということが先日のパーティーでもわかりましたし。しんどい旅も、それなりに楽しみたいとそう思っています。そろそろ名古屋着です。横浜までまだまだ時間がかかります。

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おっぱいを創る(2)逆の場合

 Bさんは、出産の経験がある。が、どうにも自分が女性であることに耐えられなくなって、男性への変更を強く望むようになった。で、男性ホルモンを投与する。それによって月経は止まる。

 性同一性障害の人にとって、どちらの場合も月経は大きなネックになる。自分が男だけれど、女の体である場合、月経があることがてもつらい。どうしてこんなものがあるのか、とのろいたくなる、という。自分は女だけれど、男の体である場合、月経がないことがつらい。人並みの体になって、子どもも生みたいのに、と嘆く。

 Bさんは、ホルモンの投与によって筋肉隆々の男っぽい体になった。そこで、おっぱいがあることがいやだと。授乳をしたバストは、大きくて、垂れ下がっている。

 バストの手術を受けるのも、お金がかかる。だから、懸命に働いてお金をためた。その手術、とても大きいオッパイなので、傷がわからないように、たとえば腋下からの傷で乳腺だけを取るというのは、難しい。皮膚も余ってしまう。だから、胸を一文字にばっさりと切り取る。

 乳首は自分の乳首を小さくして移植をした。小っちゃい男性の乳首が出来上がった。しかし、問題は乳輪だ。何もないところに乳首だけがポツンとある。

 私は、足の付け根から皮膚を取ってそれを移植するのだと思っていた。乳がんの手術後の乳房再建術の時などにそうすると知っていたから。

 でも、彼の場合はそうではなく、乳輪はタットゥー、刺青でするという。やがて、薄い茶色のきれいな色の乳輪が出来た。男性の乳首そのものになった。私は、刺青で作るというのに感動した。美容外科の技術というのは、本当に進歩するものなのだ。

 そのうち、胸の傷もほとんど目だたなくなって、裸になると筋肉が美しい、男性の体になった。でも、彼の場合はまだまだこれからの道のりは険しい。頑張ってお金をためて、一つずつクリアしていくつもりでいる。

 ところで、彼は母子家庭で子どもを育てているのだが、いつの間にか、父子家庭となっているので、子どもの学校の先生が家庭訪問に来るとびっくりすると笑っていた。

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おっぱいを創る(1)

 久しぶりにやって来たAさんが、弾んだ声で言った。「センセ、おっぱいできたよ。」と。そして、胸を開いて、おっぱいをポロリと出した。ふっくらとしたいいおっぱいだ。でも、「あれ?あなた、もうおっぱいは出来てなかったっけ?」と言ったら「ウン。食塩水のバック゛を入れてね。でも、それを出して、これは本物の私のおっぱい」と言う。

 彼女は、性同一性障害で、高校生の時から、私のところに来ている。初めは、ミニスカートにルーズソックスの制服で、それはかわいかった。私のところでは、同じ病気の人のホルモン治療を沢山している。女性ホルモンを注射したり、内服薬を出したり、逆に男性ホルモンを必要とすれ人もいる。でも、彼女は、あまりに女そのもので、あまりホルモンを必要としない。顔も声も体形も。

 時々、節目節目にやってくる。高校を卒業後の就職の相談。それから、睾丸を取ったとき。初めのおっぱいを作ったとき。それから、いよいよ本格的な手術で、女性の体になったとき。「先生、見て見て。」と。名前はすでに家裁で変わっている。今度は、総仕上げとして、性別の変更だ。それを控えて、またおっぱいを作ったと。

 触ってみて、びっくりした。しっかりと弾力がある、でもふわふわとして気持ちのいいおっぱいだ。何?これ!と言ったら、「わたしの脂肪」という。よく聞いたら、以前に入れたバッグを引っ張り出して、そこに自分の脂肪を入れたと。脂肪は、肘から上腕の、そしてへそから、下腹の脂肪を吸引して、それに定着剤を混ぜて、バストに注入したのだと。でも、脂肪はなくならないの?と聞いた。それは、大丈夫なのだと。しっかりと定着するのだと。私はうなった。なんと立派なバストなのかと。そして、なんと見事な方法なのかと。

 この分野は、進歩が著しい。でも、私たちはそれらの情報を、患者さんから得るしかない。それは、ほかの患者さんへの情報となる。

 彼女は、今、完全に女性として就職している。誰にも性の変更をしたということを知られないで。でも、ここまで来るには大変な道のりだった。大体、体を作り変えようとすると、若くしてお金がいる。それを作るためには昼も夜も働かなければならない。大変な頑張りで、ここまで来たものだから。よくやったね、でも、良かったね、としっかりほめてあげた。

 明日は、逆の場合。女性のバストを男性のバストにした人のこと。これも、びっくりして、うーんとうなったので。その報告をします。

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「完治は困難」

今日、私はある病院に人に会いに行った。入院している彼女は、これから厳しい治療生活を送る。昨夜、彼女から電話があって、あれこれ話したのだが、電話だけでは埒があかず、直接会ったほうがいいと思ったので。

 病院で彼女が医師から説明を受けたときに渡されたものを見た。彼女の病気がどんなもので、どんな進行度で、そして、どの治療を受けるか、患者本人も考えよ、という趣旨であった。抗がん剤による治療が三種。どんな薬で、どんな副作用があって、その効果はどうであるか、など詳しく書かれている。

 本人も、家族も、いちばん効果がある治療を受けたい。しかし、それにはかなりの副作用を伴う。副作用があっても、生きたい。生きるために、できるだけ効果がある治療を受けたい。それが本心だ。

 で、そのプリントされたものに、赤字でいろいろと書き込みがしてある。その一つに、「完治は困難」と書かれていた。私、「これは誰が書いたの?」とたずねたら、ドクターだという。そう、と聞き流しておいたが、私は、がっくり来た。

 本人にとっても家族にとっても、降ってわいたようなこの困難な病気の、これから治療に入ろうというときになぜ「治らない」などと言うのか。それも、わざわざ赤で。それが今のやり方なのか。困難でも、治療に希望を持って立ち向かうような、そんな言い方は出来ないのだろうか。

 癌であることは今、本人にもかくさないようになった。しかし、言い方があるはずだ。治りにくく、死が近いかもしれないということは、そのうち、おのずから本人にわかるはず。まずは、希望を持って治療に向かおうという姿勢を持つ、それをサポートすべきではないのか。

 それとも、初めっから、自分の予後もちゃんと知って、死ぬ覚悟をして治療を受けなさい、と、これが今のやり方なのか。

 もう三十年も前、夫が進行性の癌であると告げられたとき、当時は本人には、とことん隠すようにと言われたのだが、でも、私は、それでも「希望を持って闘病を支えます」と言った。私にその事実を告げたドクターは、首を振って、何も言われなかった。私は、いいじゃないの、何を言われても、自分は彼に生きてもらおうと思ってるんだから。それを否定しないでよ、と、心の中で悲鳴をあげていた。

 ダメだといわれても、夫は生きた。でも、私はあの時の絶望的な思いは忘れない。それと全く同じ思いを今日味わった。胸が苦しい。

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もう少しで、ネット販売のHPが完成。

今日は、診療がすむとすぐにアキハバラ塾に。二期生として採用された私だが、まだホームページが完成していない。もうすぐで出来上がる大詰めに来ている。

 普通、とても買いにくいもの。コンドームのLサイズとか、Sサイズ、ゴムアレルギーの人用のゴム臭カットなどの特殊なもの。女性用コンドーム。これは、アジアやアフリカなどのコンドームも高価でなかなか手に入らない貧しい国々の女性に無料で配られたりしている。その様なところでの需要はあるが、男性用のコンドームが苦もなく手に入るような日本では、ほとんど需要はないと思っていた。しかし、ここに来て、女性用コンドームの需要が急に出てきていると聞いて驚いた。それは、ゲイの人たちに重宝されているためだと。

 HIVの感染者数は、日本では増え続けている。中でも、男性同性愛の人たちの感染予防が大きな課題となっている。実は、女性用コンドームが、その人たちのHIV感染予防に使われている、と。それはすごい!!では、必要なときにはちゃんと手に入るようにしなければ。

 それから、以前このブログでも紹介したけれど、絶対にもれないナプキンとか、子どもと大人の間の小学高学年の子のパンツ式オムツとか。これは、まだ時々おねしょをして、修学旅行や課外活動が不安な子がこれをはいて寝れば、安心できるというものだ。でも、このサイズのは、なかなか手に入りにくいので。

 それから、乳首が引っ込んでいて、友人と温泉に行くのも不安な人用の、乳首の吸引器とか。アトピーの人や、妊婦の皮膚アレルギー用の入浴剤やボデイシャンプーとか。妊娠診断約や排卵チェックなどの検査用品。

 もちろん、こんなのは、医師法上私が販売することは出来ない。だから、薬局の方に売って頂くしかない。私は、感染予防や望まない妊娠をどうしたら防ぐことができるか、それには、ただセックスをしてはいけません、と禁止することではなく、自分が賢く選択できるように、力をつけてほしい。そして、もし必要なのなら、それをちゃんと手に入れて、つかわなければ、意味がない。知っているだけではだめで、どう実行するかが課題だと思って来た。だから、私が儲けるためにするのではなく、少しでもそれらのことに貢献できれば、と思ってアキハバラ塾に応募した。だから、薬局のホームページで売っていただくなら、それで十分うれしいことだ。

 それから、性教育本のネット本屋さん。これは、私でもどうどうと売れる。おもに私の著書だけれど、それ以外にも、私が推薦する本。今、それらの本の解説を一つずつ書いているところだ。

 それから、なんと言っても、これがいちばんの目玉だと思うけれど、主に女性のあらゆる悩みのネット上のQ&A。これまで、花王と組んで、10年にわたって悩みに答えてきた。それの積み重ねはまことに膨大なもので、500を超えるQ&Aだ。これを公開する。永年の私の産婦人科医としての経験から、ほとんどすべての女性、子ども(子ども特集もあり)から熟年までの悩み網羅している。

 少しでも、悩んでいる人たちの力になれれば、と思う。それらを一挙に公開するホームページがもうすぐできあがる。

もう一ふん張り!!頑張らなければ!!

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殴る側の論理

 暴力を振るう人が、決まって言う論理がある。論理というより、屁理屈とでも行ったほうがいいかも知れない。

「怒らせたお前が悪い」

 というものだ。理由があって殴るのだから、と。殴られる側は、だから怖くていやでも「そっか、私が悪いのだ。」と思い込まされてしまう。もういやだと思っていても、あやまられると、また戻ってしまう。そんな繰り返しをする人がどれだけ多いことか。

 出ていけっ!!もう、離婚だ!!とすぐ怒鳴る男がいる。妻は、物を投げられたり、殴られたり、30年も我慢し続けてきた。そして、今、とうとう家を出ようと決心している。そしたら、夫は、「自分には離婚する気はない。私は一生こいつの面倒を見ようと思っている。」

と言ってのけた。びっくりした。「面倒を見る。」これは、経済的に俺が食わせている、という思いから出る言葉だ。本気で、一旦家を出てみたら。そしたら、男はどれだけ自分が妻の世話になってきたかがわかるだろう。本当にそう思う。

 殴る側は、それによって殴られた人がどれだけつらく惨めな思いをするか、それに想像力を働かせることが出来ない。

 殴られるだけでなく、妻に対してして、皮肉やいやみばかり言う人もいる。言われて気持ちがいいはずがない。不愉快だし、情けないし。

「一緒にいて、心がやすらげる」「一緒にいるとホッとする」そんな人と一緒にいたい。

私が、夫と出会ったとき、この人のそばにいると、私は絶対になぐられない。皮肉も言われない。私のことを見守ってくれる、という大きな安心感があった。

 子育てだって、ぐちぐちと文句ばかりだったり、しかられてばかりで過ごさなければならない子どもはしんどい。親たちは、しつけだというけれど、しつける前に楽しく安らいで家で過ごせること。それがどれだけ子どもの心をほっとさせ、豊かにさせるか、ということに気づかなければならない。

 夏休み明けの診療と、大変な量の宿題と、本当にしんどい日を何とかクリアしました。左手の抜糸も無事終了。しかし、痛みは続いています。これは、長い間、ギブス固定をしていたための腱の痛みだそうです。まだ時間がかかりそうです。

 それよりも、右手の親指が腱鞘炎になってしまいました。仕事と、パソコンのしすぎかも知れません。肘の辺りから、ずっと腱の痛みがあって、親指は飛び上がるほど痛みます。あわてて、サロンパスのシップで様子を見ています。やれやれです。

 これから、アキハバラ塾の追い込みです。

 それから、北海道の匿名様。匿名はいいのですが、質問をされるのでしたら、せめてメールアドレスくらい書いてください。個人的なことは、私は読んでも、アップしないことが出来ます。そんなときには、私は個人的にお返事をします。ただ「匿名」だけでは、お返事のしようがありません。それから、お尋ねのビデオは、私は全く関与していません。何かの間違いだと思います。したがって、お尋ねの件については、私は何にも知らないとしかいえません。というのが事情です。アドレスがないし、間違いの質問だし、で、アップしませんでした。ご了承くださいね。

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男に暴力を振るわれたら。

  D.V.。身近な人による暴力。今でこそドメスティック・バイオレンスという言葉は、大分使われて、知られるようになってきた。 

 産婦人科という特殊な科で診療をしていると、更年期の夫婦の摩擦だとか、恋愛のもつれだとかが体に異常を起こし、だから、単に薬などの治療だけで対応しきれないことがしばしばある。今ある状況に食い込んで行かないと、根本的な治療にならない。

 うつ症状やパニック状態など、よく話を聞くと、実はD.V.が原因であることがとても多い。昔から、女はよく殴られてきた。殴られても、耐えるのが女とされてきた。でも、ここに来て、暴力は我慢しないで逃げていいのだという風潮も大分出てきた。日本の熟年の夫婦の離婚が増えてきたのは、女が我慢しなくなったからだ、と言ってのけた政治家もいる。

 その身近な人からの暴力というのは、決して熟年の人ばかりでなく、若いカップルにも多い。今の時代、若い女性が男に殴られ、けられ、レイプまがいのセックスを強要され、それでも、別れることも出来なくて。中絶を繰り返し、あげくに極度のストレスで、精神状態に影響を及ぼすようになって。と、こんな患者さんをどれだけ診てきたことか。

 私は、今、一度でも男から殴られたら、上手に別れることを考えなさい、とアドバイスすることにしている。きっと、殴った男の多くは、後で誤るのだ。そして、もう二度と暴力は振るわないからと、土下座すらする。そして、また同じことを繰り返す。

 もちろん、D.V.の加害者が更正することはない、とはいえない。でも、その更正のためのプログラムは、日本ではまだ実行例も少なく、大体、そんなプログラムのところに通って自分を作り変えたいと思う人すら、とても少ないのが現状だろう。

 昔、一人目を生んだ直後から夫に殴られていた女性が、暴力に耐えた挙句、結局三人の子どもたちの目の前で夫に刺し殺されてしまったという事件を見ている。三人とも、私が取り上げた子だ。夫の暴力を見ていながら、なぜ彼女を救えなかったのか。ずっと私は自分を責めてきた。

 子どもたちは、母親と父親の両方を失った。その後の子どもたちの人生が、どんなものだったのか。垣間見ると、また胸がつぶれそうになる。

 だから、以来私は、一度でも暴力を振るわれたら、上手に別れなさい。殺されないように。一人の力ではとても無理。誰かの力を借りながら。と、アドバイスを続けている。

 8月7日に仁保中学校に講演に行ったときに、頂いたお花がとてもステキで、それでこのビデマイヤーを作りました。ばらやトルコ桔梗の茎がまっすぐでないので、苦労しましたが。それと、夜中にあるもので作ったので、レザーファンなどがありません。バラの葉の大きめのが三つ付いたのを緑の受けにしました。下手でも、「ビデマイヤーは数です。」というkei.先生の言葉を励みに、作ったものです。

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ゴーヤと苦瓜について、さらに。

今日は、夏休み明けの初日。さすがに患者さんが多くて、お昼休みも15分しかなかった。急いでちからに行って定番の「中華そばミニ」を食べる。

 実は、お昼に時間があれば、シムラ病院に行って抜糸をしてもらうつもりだったのだが、とても無理だった。明日はどうなのだろう。行けないと、困ってしまうのだけれど。手はやはり動かすと痛い。抜糸をすると楽になるだろうか、と望みをたくしている。

 ハングルは、今日月曜日の予定が水曜日に延びて、宿題をするのに少し助かった。でも、初日にテストをすると。それも、宿題をして行かないと、できないようなテストなのだと。それに、9月の終わりごろに韓国語の検定試験を受けるようになるらしい。ぜんぜん自信がないので、どうしよう。全くもう、いい年をして、宿題だの試験だのと、何やってるんだろうと、自ら望んでしていることなのに、少し情けなくなってしまう。

 アキハバラ塾の宿題もなかなかはかどらないけれど、ボツボツとやっている。これができあがると、いよいよネット販売の開始だ。これは、希望を持ってこなしている。

 ゴーやと苦瓜について、同じものだとの声が寄せられているが。でも、理科の教師で、大分県の農業文化公園に勤めていた義兄のいうことは、正しいと私は思っている。九州で育っていた夫は、小さいときから、苦瓜を育てて食べていたと。今から考えても、あきらかに苦瓜で、今のゴーヤのような品種が九州でも出て来たのは、最近だという。苦瓜は長くてボツボツが小さくて、硬くて苦味が強い。

 そうすると、やはりこの7月26日のブログ「ゴーヤと苦瓜の違い」に書かれているのと、ぴったり一致する。これの写真も見てほしい。二つをならべて、かつ、食べ比べてみたら、その違いははっきりするのだが。ゴーヤは苦瓜の品種改良をしたもの、というのがそうなのかも、と思う。

 義兄に電話してもう一度確かめた。やっぱりゴーヤと苦瓜ははっきりと別物だと。大分では、苗を売るのも、「ごーや」と「にがうり」とちゃんと分けて売っているよ、と言われた。

 大分市内に住んでいる、私の実兄の連れ合いも、農家の方にゴーヤと苦瓜は違うと教わって、そうブログに書いたら、クレームがずいぶん来たよ、と言っていた。もしかして、大分だけでそんな区別をしているのだろうか。でも、私はやっぱり違うと確信を持ってそういう。だって、見た目も味も固さも似てはいるけれど、違うのだもの。

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刺身の残りの「りゅうきゅう」とYWCAでの講演

 もう少し、食べ物のお話しを。お刺身の残ったのを、おしょうゆ、わさび、ちょっとのみりん、お刺身についていた大葉の刻んだものにつけて、冷蔵庫へ。翌朝これでお茶漬け、というのが河野の実家で習ったことでした。これはどこでもするもので、お料理といえるものではありませんが。それを、大分では「りゅうきゅう」と呼ぶのです。先日の「オランダ」これは「りゅうきゅう」。なぜか知りませんが、地名が食べ物の呼び名になっているのが不思議です。

 でも、おいしいです。残り物利用ですが、これをわざわざ作りたくなります。

 さて、今日は朝9時から日本YWCAの「広島を考える旅」のに講演に行きました。全国と、海外も9カ国からの参加者が二泊三日で研修をします。そこでの基調講演で責任重大でした。

「広島の産婦人科医として」とのタイトルで、私の広島での生い立ち、中学での「差別をなくそう」という目標での生徒会活動、高校での演劇部での反戦ものの上演などで、私の意識が作られていったこと。父や教師に教えられる中で、私は誰の「いのち」も大切。だから、戦争はいけない。核兵器は三度使ってはならない。憲法は守らなければならない。などとの信念が作られていったこと。

 大学時代には被爆者や被爆二世で運動のグループを作って活動したこと。そのときには「親の被爆体験を聞こう」「被害者としてだけでなく、戦争でアジアに侵略していった加害者としての立場をも聞こう」そして、「被爆者の運動を引き継ごう」「被爆者の血を受け継ぐためにも、子どもを生もう」など、ディスカッションをしながら活動していったこと。

 医者になってから、産婦人科に入って、「染色体研究室」に所属し、そこで初めて、ABCCが被爆者や二世の体を調べて、その結果を数々英文の論文が書かれていることを知ったこと。

 私が医師を続ける中で、必然的に性教育にかかわっていったこと。今、日本の社会全体が右傾化する中で、性教育もとても難しくなってきていること。性教育も平和教育も、人権教育も根底ではつながっていること。でも、それらの教育すべてがとても難しくなっていること。

 そんなことなどを話し、そしていつも使っている映画「妊娠と出産」の上映をしました。命の誕生が正面から撮られています。それを見てほしかったのです。

その後、参加者のディスカッション、質問などもありました。日ごろの性教育の話しと少し違うテーマなので、どうだろうかと思いましたが、全体として喜んでもらえたのではないかと思います。ただ、外国からの参加者は、アジアの人と、アメリカやヨーロッパの人たちでは性教育の実践とその受け止め方も異なるので、異論があったかも、と思います。

 これで、私の夏休み中の大仕事は終わりました。

 実は、おおきな宿題がまだ出来ていません。韓国語の宿題がどっさり。それから「アキハバラ塾」も沢山の宿題があります。どうしよう!!

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簡単でおいしい料理。

昨日のゴーヤに続いて、ぜひ試していただきたい簡単料理を少しお教えしますね。料理と言えるほどのものでもないのですが。

 一つめ。なすを縦二つに切って、5ミリくらいの半月切り、または大きければイチョウ切りに。これをたっぷりめのサラダオイルで炒めます。というか、あまりガチャガチャと炒めないで、一回か二回ひっくり返すように、オイルで焼く感じです。大体すべてのナスに油が行きわたったら、おしょうゆをジャーッと回します。なすはまた一回か二回ひっくり返すように。醤油でこんがり焼き目が付くくらい。急いでしないと、こげてしまいます。もしこげそうだったら、火を早めに止めます。そして、かつお節をたっぷりバサッとかけて、後は混ぜ混ぜ。かつおが全体にいきわたったら終わりです。簡単なのに、おいしいです。これも御飯の友です。

 これは、もう二十年以上前に「暮らしの手帳」に出ていて、試したらすっかり気に入って、以後せっせと作り続けています。なすに飽きたら、ぜひお試しください。

 もう一つはたまねぎとシーチキンの餃子です。たまねぎはみじん切り。シーチキンのフレーク、いちばん安いのを。ふたを開けたらふたを押さえてオイルを切ります(捨てます)。これをたまねぎのみじんの中に入れます。これにマヨネーズ(多すぎないように)とお醤油をちょっと入れて味付けします。市販のワンタンの皮で適量包みます。餃子の皮より、四角いのを四方から寄せて、きゅっと巾着のようにするのが簡単ですし、おいしいと思います。これをさっと油で揚げます。中身は生でも食べれるものなので、皮が色づけばそれでよろしい。全部を揚げたら上から塩を振ります。ぱりぱりと食べます。

 こんな材料で、こんなにおいしいのが、とびっくりされること請け合いです。

 シーチキンついでにもう一つ。白菜を使うので、夏の料理ではないのですが。白菜をザクザク切ってなべに入れます。これにシーチキンフレーク(油を切って)とコーンの缶詰のクリームの(ホール、粒でなく、つぶしたの。)を入れ、ちょっとだけお水とお醤油を入れて火にかけます。煮えたらおしまい。スープ皿に入れてどうぞ。冬には、これにおもちを入れてせっせと食べました。

 お金がないときのピンチ料理をもう一つ。ジャガイモとちくわのかき揚げです。あれば三つ葉や枝豆を入れると豪華になります。なくても十分おいしいです。

 これらは、乱暴なようですが、簡単なわりに味はよく、子どもたちも喜んだものばかりです。ずっと仕事をしていると、飢ええた子どもたちに早く食事を出すというのも、大切な勤めでして、簡単でおいしいものをというのが私のテーマでもありました。日ごろはそれらでしのいで、時間があるときに、手の込んだものを作ればいいのです。

 無事、陸を走って広島に帰って来ました。手は少々痛いです。それより、もう夏休みが終わってしまいます。それが悲しいです。何か、楽しいことが何にもなかったなあ、と。私、今でも海に入ったり、山でキャンプをしたりしたいです。子どもが小さいときは良かったなあ、とつくづく思います。明日は、朝から講演です。

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「にがうり」と「ゴーヤ」の違い

 私は35年前、結婚して夫の実家である別府で初めて「苦瓜」なるものを見た。これ、何ですか?ボツボツが付いて気持ち悪いものを見て、驚いてたずねた。それが「にがうり」との出会いである。それまで広島の八百屋さんでは見たことがなかった。全国のスーパーマーケットに出回るようになったのは、それから後のことだ。 

 そのときに義母が作ってくださったのが「オランダ」というもの。変な名前だけれど、うんと後にテレビの料理の番組でこれが出てきて、びっくりした。正式な名前だったのだわ、と。とてもおいしくて、これさえあれば御飯が何膳でも食べられる。作り方を習ってせっせと家でも作っている。

 にがうりかゴーやとたまねぎ、なすびを薄切りにする。それをサラダオイルで炒める。さっと火が通ったら、味噌(母は白味噌を使っていたが、何味噌でも大丈夫)に砂糖とみりんを入れて練ったものをいれ、ざっと混ぜる。またさらに火が通ったら、小麦粉を水で溶いたものをいれ、とろみをつける。これでできあがり。御飯に乗っけて食べる。本当においしくて、私はゴーや料理というと、こればかりを作る。

 今回、里帰りしたときに「ゴーヤ」と「にがうり」が実は少し違うものだと初めて知った。義兄が実物を二つ見せて、このボツボツが小さいのがにがうり。こんなに大きいのがゴーヤと教えて下さった。でも、味や扱いは全く同じでいいと。

 そして、また今回知ったこと。ゴーやをそのままおいておいて熟すと黄色くなる。それを割って食卓に出してあった。中に真っ赤な種がある。その種を食べるのだと。ゴーヤの種を食べるなんて、私は初めて知った。河野はこどもの頃から食べていたのだそうだ。食べてみると、ほんわかと甘い。ちょうど「あけび」のような味がする。すっかり気にいって、一個分の種すべてを私が食べさせていただいた。もちろん、食べるのは周りのやわらかいところだけ。中に硬いペッタンコな種があるので、それは食べられない。

20080814170355 この写真の上のが黄色のゴーやと真っ赤な種。下の右のは、ゴーヤとしょうがの味噌炒め。ゴーヤの薄切りと、しょうがをみじん切りではなく、小さめに切ったのをサラダオイルで炒めて、味噌をみりんで伸ばしたものをざっくりと混ぜる。しょうががあっさりして、少し甘みがあって、これも御飯とよく合う。下の左のは塩もみしてざっと洗ってゴマやかつお節、しょうゆをかけたもの。これもあっさりしてとてもおいしい。

 これらの野菜は義兄と義母が庭で作ったもの。もちろん、無農薬だと。母は料理上手。特に、 地元の野菜の料理と、漬物が天下一品だ。今日も、お盆だからと、「ふくれまんじゅう」と「ちらし寿司」を作ってくださり、私たちも戴き、本家にもお土産に持って行った。

 もう私の母がいない今、帰る度にお袋の味を食べさせてくださって本当にありがたい。本家にご挨拶に行くこと、お墓参りをすることなど一通りのことはしたが、親孝行はなんにも出来なかった。明日には広島に帰ります。

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団子汁定食ほか。

 無事別府にやって来ました。これまではよく徳山・竹田津のフェリーを利用します。が、今日は12時のフェリーに少し間にあいそうもなかったので、陸を走りました。だって、12時を逃すと次は15時半だそうです。それなら、陸路のほうがうんと早く着きます。以前は2時間ごとに運行されていたフェリーも、時間を空けるようになっています。きっと燃料の高騰で便数を減らしたのだと思います。

 途中、豊前の道の駅「おこしかけ」で団子汁定食を食べました。私は、大分の団子汁が大好きです。大分のは団子は長い太いうどんのようになっています。別府ではとくに海地獄の入り口にあるレストランの団子汁がとてもおいしいので、別府に便のある人は試してみてください。普通の団子汁と真っ赤な激辛団子汁もあります。めちゃうまでしたよ。ここおこしかけのは団子の形が違って、普通の団子を押しつぶしたような形になっています。

 かぼちゃ、ナス、大根、にんじん、シメジ、白菜など沢山の野菜と団子が入ったお味噌汁です。定食は、これに御飯(さすがに御飯は入りませんでした)、出来立てのお豆腐(お替り自由です。カボスをかけて食べました)、揚げだし豆腐、ところてん、オレンジなどがついて700円。大満足です。

20080814142629 河野の実家で義母と河野の姉夫婦と一緒に御飯をいただきました。自家製のお野菜たっぷりの食事です。明日、ゴーヤの料理について書きますね。

 明日は本家へのご挨拶、お墓参りなどで忙しくなります。

そうそう、左手はバックで駐車するときなど、ハンドルを回すときには痛みますが、高速の運転には、何の支障もありませんでした。ご心配をおかけしましたが、もう大丈夫です。皆様、ありがとうございます。

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shiozyさんの本完成!

 やれやれ、無事退院しました。

 昨夜は、痛みでつらくて、とうとう夜中に「痛いんです。鎮痛剤をください。」とナースステーションに行って訴えました。ほどなく病室に持ってきていただいたお薬を飲んで、でもこれだけではとても眠れそうにないので、持っていた睡眠薬、ハルシオンをかってに飲みました。それから、テレビのオリンピック、男子のバレーボールと女子ソフトボールをチャンネルを回しながら両方見ていました。

 両方とも面白かったので、ずいぶん気がまぎれました。薬を飲んで一時間半して、やっと痛みも楽になってきて、眠りにつきました。三時間ほど、ぐっすりと眠ることが出来ました。

 今日は午前中、やはり痛みが続く中、おもしろくもないテレビを漫然とつけて、パソコンを開いていると、コンコンとノックがあって、何と入ってきたのは、shiozyさんでした。その前にshiozyさんのブログを読んで本が出来上がったことを知っていました。その本を持ってきてくださったのです。私は、その本の帯に推薦文を書いているので、出来上がるとすぐに届けてくださったのでしょう。恐縮してしまいました。おめでとうございます!!

20080813221628_2 すぐに読み始めました。立派な本です。出来上がってよかった。これから売るための協力をするつもりです。難を言えば、著者の名前が小さいではないですか、塩崎さん。裏の帯の私の名前よりも著者の名前が小さい。私のピンボケの写真では、右下の黒い名前が読めないではないですか。今度、版を重ねるときには、もっと名前を大きくしましょう!シャイなshiozyではありますが、でも、こんなところをつつましくしても、、、。これから沢山売らなければならないのに。名前も売らなければ。

 中身はもう、言わずもがな、あのshiozyですもの。ほろりとしたり、くすりとしたり。そして、いつの間にか、shiozyのペースに巻き込まれて、読むだけで自分の人生が深くなったような気になる、そんな本です。できるだけ多くの人に読んでいただけますように。

 さて、私の手はでっかい包帯を解いてもらって、小さくなって、動きやすくなりました。ただ、動くとまだ痛いのですが。明日は予定通り別府へ帰るつもりです。河野の母が84歳で一人暮らしをしています。せめてお正月、五月の連休、お盆は母のところに帰ることにしています。高速道は無理をしないように、ゆっくり走るつもりです。

 夕方、おみやげを買いにそごうに行きました。街はすごい人です。カープの試合があるのも一因でしょうか。そごうの地下では、おみやげやお惣菜やお弁当売り場に長い行列があっちこっちで出来ていました。

 まだ、たとえばお財布のチャックを開けるときなど、手が痛むのですが、でも、デパートの地下を歩きながら、昨日、病院のベットでうんうんと苦しんでいたのがうそみたいと思いました。私は今、元気です。

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また、でっかい手になりました。

無事手術も終わりました。今、ベットで痛みを耐えています。とても痛いです。

 実は、麻酔をかけて下さるドクター、前の手術の時にももかけて下さった方なのですが、術前に点滴をしているお部屋に来て、「どうして全身麻酔なのですか、こんなの局麻ですよ。」といわれるのです。「いやあ、私も局麻だと聞いていたのだけれど、これを決めたときに全麻だと言われて、あれっ?と思ったんですよ。」と、そんな会話から、結局局麻ですることになりました。

 局麻だと、ボトルを抜く時にちょっと骨が痛むだけです、と。それくらいなら、我慢しますよ、と。だって、それなら、術後すぐに何を飲んでも食べてもいいのだそうです。朝から絶飲食している身には、それが何よりの魅力でしたから。

 ところが、その局麻をするのが痛いこと、痛いこと。手の掌の皮膚の厚いところに注射をするのがひどく痛くて、それも何箇所もなので、「痛い、痛い」と声を出してしまいました。深いところまで、ぐいぐいと容赦なく刺されます。もう、涙ぼろぼろでした。「先生、骨がちょっと痛いだけだと言ったじゃないですか」と言ったら「手の掌にうつんですから、それは痛いですよ。そんなこと、当然知っていると思ってたる」なんて言われて。

 レントゲンを見ながらの手術なのですが、ワイヤーのようなのが、骨の中に入って行きます。それがボルトを突き抜けると、ぎりぎりっと痛みます。もう、途中痛くてギブアップです。「先生、今からでも何とかして。」と頼むと、じゃ、とすぐに麻薬を手配してくださいました。そして、言われたのです。「でも、これを使うと、食べるのが遅くなりますよ。」と。何と残酷な。私の空腹と、痛みとのどっちを選ぶか、ということです。じゃ、我慢する。と言いました。

 わあわあと言いながらも、無事終わりました。手術をしてくださったドクター(全麻でと決められたドクターなのですが)はさぞやりにくかったことと思います。

 後もすぐから痛くて、我慢するしかありません。

 気を紛らわすのに、テレビでオリンピックを見たり、本読んだりしています。痛みさえなければとても贅沢なひと時なのですが。実は、編み物も持ってきたのですがとんでもないことでした。この文も片手で打っています。だって、こんなに大きな手なのです。痛いし重いし、術後がこんなにしんどいとは思ってもいなかったのですから。ああ、しんど。それに、こんなので明後日別府まで車の運転ができるのか、いささか不安です。

20080812210348   そうそう、夕飯はペロリと食べました。痛みを我慢したご褒美です。もし全麻だったら、まだおあずけでしたし、それにトイレも自由なのが何よりです。

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明日からまた病院です。

 昨日の宮崎で講演も夏休みに入ります。と言っても一週間だけで、次の日曜日はYWCAの「広島を考える旅」に全国からこられる方にお話しします。28日は神奈川で高校生に。

 そして、31日は大阪、岸和田で一般の市民向けの講演をします。大阪性教協設立20周年記念総会セミナーで記念講演をします。後援は岸和田市、大阪助産師会、岸和田市教職員組合など。中、高校生にも枠を広げて、一緒に聞いていただくようにしてあります。もしも、大阪近郊の方で聞いてみたいという方がありましたら、ご連絡くださいませ。

 今日一日のみ、特に予定のないオフの日。家の片付けなど、ごとごとしてました。テレビでオリンピックを横目に見ながら、以前テレビで見て、お試しセットを買っておきながらそのままにしていた、顔のパックをしたり、足の爪の手入れ、切って、やすりをかけて、ペテキュアまでしました。久々の体のメンテナンスです。しても無駄と思いながらも。

 夕方近く、クリニックに来て、ベランダのトマトのお世話です。水耕栽培のトマトは、花をつけ、実も今三個なっています。そうそう、二つの種からどちらも育ったので、一つにするのがしのびないと以前書きました。で、一本を鉢に植えました。水耕栽培の液肥を足すときに、鉢のほうにも、水遣りのように液肥を上げているので、こちらもとてもよく育っています。三日遅れて、こちらにも花が咲きました。今日は、液肥の補充と、水耕栽培のほうに支柱を二本立てて、紐でゆるく結び、つっかえをしました。風が強いと、ひどくなびくので、そろそろ支柱が必要だろうと思っていました。これで、休みの間も安心です。

 もっとあれこれすることがあるのですが。つい、これも買ったままになっていた「美味しんぼ」102巻を読みふけったりしていたもので。長い間敵視していた親子が和解にいたったところで、不覚にも落涙しました。漫画で泣くなんて、と思いながらも、似たような親子が沢山いるもので、その人たちのことに思いをはせていると、つい涙してしまいました。一旦、これで「美味しんぼ」は「完」となりました。また、今秋から新たに、メインの登場人物を少し変えて、再開するらしいですが。

 しなければならないことがほとんど片付いていません。何しろ、明日からまた病院生活です。明日午前中に入院をしてすぐに午後から全身麻酔で手術。また「オムツパンツ」だとおもうと、憂鬱ですが。翌日には退院する予定です。今日は、午後8時以降は飲まず食わずで、さらにお風呂で体を清潔にしてきてください、と爪もちゃんとして来てください、なんてこまごまと注意いただいています。ええ、今日はやまとの湯で磨いておきますよ。事故以来、左の手首の痛みが続いていて、物を持つのがつらいのですが、改善するでしょうか。

20080807142424

 先週の木曜日、仁保中学で講演をした後、kei.先生のレッスンで活けた真夏の花です。一輪挿しとともに、すっきり涼しい作品になったと思います。

それでは、明日はたぶん手術後に病室から更新するでしょう。もし出来なかったらすみません。

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宮崎でのこと。

 いやあ、さすがにくだびれました。宮崎から無事に帰って来ました。

 けさ早く博多のホテルで起きました。2時半に寝たのに、5時半に目が覚めてしまいました。仕方がないので、テレビを見ていたら、お天気で、宮崎は大雨、洪水、かみなり警報が出ているといいます。注意報ではなく警報です。

 いやあ、どうしよう。いまさら飛行機が飛ばない、なんてことになったらと。県内から皆さん研修に集まっていらっしゃるはずです。とにかく、早めに空港に行きました。結果的には、飛行機は遅れて飛んだのですが、乗るなり「今日の飛行は揺れることが予想されます」なんていわれるものだから、気持ちが悪かったです。

 私は飛行機は苦手です。揺れるとどきどきして、乗るんじゃなかったと、いつも後悔します。博多ではほとんど青空、少しだけ雲だったのが、だんだんと雲が多くなり、宮崎に近づくと分厚い雲ばかりで、それを突っ切って着陸です。やれやれですが。

 でも会場に行ってしびれました。皆さんが大丈夫でしたか、揺れませんでしたか、遅れませんでしたか、などと聞かれるのです。実は、昨日、雷が空港に落ちて、滑走路に二箇所穴が開いて、空港は閉鎖されていたのだそうです。いやあ、こわっ!今日でなくって良かった!といいました。でも、今日の午前中も雨と雷だったそうです。危ないところでした。

 講演は三時間、ぶっとおしで、映画の間の20分だけ座りましたが、後は立ちっぱなしで話しました。看護師さん、助産師さん、それに電話相談を受けていらっしゃる方など、性教育の研修です。私に声を賭けていただいてありがたいことでした。

 すんだ時に、若い看護師さん、宮崎医大に勤務しているという二人がわざわざ「感動しました!」といってきてくれました。とてもうれしくて、私が逆に感動しました。後で、性教育で学校に入っている助産師さんや、大学の看護科の先生や、県の職員の方たちと話しました。

 やはり、全国的に展開されている、性教育の後ろ向きは、ここ宮崎でもそうで、講義をするのに、性交の話しはしないでください、ペニスやワギナなどの言葉は使わないでください、などとの指示があったりして戸惑うと。でも、そのような困難な中で、がんばっている姿に接してうれしかったです。やはりめげないでがんばらなくっては、と思いを新たにしました。

 すぐにとんぼ返りで空港に向かいました。やはり飛行機は遅れるということでしたので、おみやげを見たのですが、マンゴーだらけです。本物のマンゴーは高くて手が出ません。それに、ほとんどといってもいいほど、どの商品にもあの県知事の顔がプリントされていて、飽き飽きします。

20080811024438 結局マンゴーキャラメルの五個入りと冷や汁を買いました。冷や汁の右下が目障りなのです。

 博多駅で駅弁を二つ、晩御飯用に買って、新幹線で広島に、そして家に帰ったら、すっかり疲れていました。疲れているけれど、明日はオフなので、うれしいことです。

  

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私の年金のご報告

今、博多のホテルです。明日は宮崎の看護協会でお話します。そのため、今日診療を済ませてここまでやって来ました。明日は朝飛行機で宮崎に入ります。終えるとすぐにまた博多経由で広島に帰ります。

 今日の診療で、一週間の夏休みに入りました。この休みの間にしなければならないことが沢山あります。ぼやぼやしていたら、アッと言う間に過ぎ去ってしまいそうです。

 ところで、皆様に報告がてら、整理して置かなければならないこと、年金について、お話します。お若い皆様には本当に関係ないことと思われるかも知れませんが、その若い時のことが、先になって、本当に面倒なことになるのですから。

 私は、大学を卒業して以来、ずっと働き続けて来ました。二度のお産も、産前の休暇はなく、産後に一度目は5週、早産をした二度目は6週休んだだけです。

 だから、年金もずっと入っているはずなのです。土谷病院をやめて、開業する時には、すぐに国民年金に入っています。年金がとぎれたことはありません。そのはずでした。

 ところが、昨年、選挙の前です。私の年金は三つに別れていることがわかりました。年金番号が三つもあったのです。それに、廿日市の農協病院に勤めていたときの農林年金は、厚生年金と統一されていたはずですが、そのままになっていました。

 だから、社会保険事務所に行って、手続きをしました。三回行って、やっとこれで、と思ったとき、私が医学部の文部教官、すなわち国家公務員であったときと県立広島病院に勤務していたときの公務員共済年金は、それぞれ別物ではあっても、基礎年金としては統一されていると知りました。それまで、私は、こういう職歴だと書いたものを持って行っても、一度もそう教えてもらえませんでした。最後だと思ったときにそんなそんなことを教えてもらってびっくりしたのです。

 だから、また広島大学へと県病院へ問い合わせをしました。広島大学の担当の方は、とても親切で、すぐに手続きの用紙を送ってくださいました。それが昨年の暮れです。で、必要事項を書いて、国家公務員共済組合の方に、組合員であった旨の証明を請求しました。

 それが待てどくらせど、一向に届きません。返信用の速達の切手も貼った封筒を入れていたのですが。それが、半年近くなって、7月の27日にやっと届いたのです。

 一方、県病院からは、たしかに私は、県病院の勤務していた、と。その記録はあるのだが、年金には入っていなかったとの知らせでした。何のことかさっぱりわかりません。私は、ちゃんと給料日に県病院からお給料をもらっていたし、健康保険も、保険なしでいたということは一度もありません。それでも、そのお給料の仕組みが「謝金」という形であったと、だから、年金の手続きまではしていなかったのだとの説明でした。

 でも、その間は、もう大学病院を辞して県病院にの行っていたのだから、それまでの厚生年金は、どうなったのでしょう。どこかに移動という手続きはなかったのでしょうか。

 どうにも納得できないのですが、でも、仕方がありませんでした。

 で、国家公務員共済の証明書が届いて、すぐに翌日、社会保険事務所に行って、手続きをしました。行くのは四回目です。その前に区役所に行って、所得証明を作ってもらい、郵便局に行って年金の振込み用の通帳も作って持っていきました。やっとこれで手続きは終わりです。

 でも、これだけ苦労して手続きをしても、私はいま働いていて収入があるので、年金がもらえるわけではありません。まだまだおあずけです。それに、県病院にいた間の年金が途切れたために、基礎年金が途切れていることによって、どれくらい年金が違うのですか、とたずねました。そしたら、計算をして下さって、4~5万円も違うのだそうです。もう、全く、たまりませんね。

 それにしても、これだけ煩雑な手続き。ずっと一生一つの会社で働き続けた人はこんなことはないのでしょうが、私たちのように、あっちの病院、こっちの病院と派遣されていたものなどは、みずから手続きに動かないと、どうにもならないのですね。

 本当に苦労しました。そして、手続きを終えて汗だくになって家に帰ったら、郵便受けに、「年金特別便」が入っていました。やはり公務員時代の年金は、すっぽり外れたままです。かならず返信をせよ、と書いてありました。しゃらくせえ、てな物です。

 そして、またあの選挙を思い出します。5000万件もの行方不明、これを絶対に年内にすべて片付ける、と大見得を切った、時の政府、自民党、本当に大嘘つきだとつくづく思います。

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モンゴルのオランさんの送別会

 来週一週間、クリニックの診療を夏休みとするため、ここのところ、診療はとても忙しくしています。忙しいのは、休むためですから、仕方がありません。

 今日は診療後、モンゴルからの医師、オランさんの送別会でした。彼女は、モンゴルの放射線科の医師です。一ヶ月だけ放射能障害の医療の勉強に広島にやって来ました。主に、広島大学の原爆放射能医学研究所で研修をしました。先月、彼女が広島に来てすぐに、一緒に宮島口でお好み焼きを食べて、もうアッと言う間の一月でした。先月の私の出版記念会にも来てくれました。車椅子ダンスなどを見てもらってとても良かったと思います。まだまだモンゴルでは、車椅子はあまりないとのことでしたので。

 送別会は、小川順子さんたち、モンゴルやアジアのボランティアをしている方たちが集まっての会でした。

 彼女にとっても、一月はあまりに短い日々だったと思います。せめて一年はいたかったことでしょう。でも、招かれる身ですから、そうも言ってはいられないのでしょう。もう、明日帰ることをたんたんと受け止めているようでした。

 美しくて、聡明な彼女は、モンゴルに帰ってからも、きっとモンゴル人々のいのちのために働くことでしょう。また会いましょうね。今度はもっと長く研修ができるように、また必ず来てね、と言って分かれました。

20080808204146 いろいろな人と、出会い、そしてあっという間に分かれることが多くなりました。若い間は、こうして出会いと別れを通して成熟していくのでしょうが、年を取ってからは、寂しさを感じるばかりです。 

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子どもたちへのお土産他、いろいろです。

 昨夜また飛行機が遅れに遅れて、だから灯篭流しには間にあいませんでした。その前夜、東京に着いたのも、ずいぶん遅くなって、やっと子どもたちに会えたのは夜11時過ぎ。それから御飯を食べました。ずいぶんおなかもすいていたことでしょう。

 ちょうど一昨日から、そごうで「おめざフェア」をやっていたので、お昼の寸暇を縫うようにして行って来ました。そこで、行列をならんで「名古屋コーチンの手羽先」を買いました。後、仙台のだだちゃ豆と福岡のからし明太です。だだちゃ豆は、クリニックに帰って急いでゆでました。塩を振って、さめてから、二つに分けてナイロン袋に入れました。ちょっとつまみ食いをすると、とても香ばしくておいしーい枝豆です。

 それらをみんな子どもたちへのお土産にしました。彼らはとても喜びました。娘からは、昨夜電話がありました。お土産は、お弁当にしたと。お弁当は鳥の手羽先と枝豆と、からしめんたい御飯で20分もかけないで出来たと。そしてとてもおいしかったとの報告でした。近くにいれば、いつもおいしい物をたべさせてあげられるのにねえ、と言った次第です。

 さて、広島の原爆祈念式典は東京のホテルで見ました。秋葉市長の平和宣言は、いつもはっとさせられるものを含み、鋭く力強い、でもちょっとむずかしいしいかな?と思えるほど格調高いものでした。子どもたちの宣言は感動しましたね。福田首相の言葉は空々しいですね。原爆症認定法を新しくし、出来るだけ多くの方たちを救済したい、とは言ったものの、でも一方では、原爆症認定の裁判の国の敗訴、そしておこなった控訴を取り下げる意思がないことを被爆者を前に言明したのです。

 そもそもこの認定の見直しはとても遅すぎました。多くの被爆者が二つも三つも癌になって、でも申請をしても認定されず、亡くなってしまっています。今なら、もう被爆者も少なくなったので、認定しても数は限られるということなのでしょう。

 そのような思いを持った、8月6日でした。

 今日7日は、朝から市内の仁保中学の生徒さんに講演に行きました。いつも、8月6日前後には、語り部人の話しを聞く、平和学習をしているのだそうです。今年は私の話で、「いのちの学習」をするということでした。それも、広島市の「こども未来局」が、私を学校に派遣するという形でした。私は、感無量で、それを受けさせていただきました。とてもうれしかったです。少し前には考えられないことでした。

 生徒たちは、暑い中にもかかわらず、よく聞いてくれました。全国、あちこち話にいきますが、デモ、肝心の地元、広島市内で話しが出来るというのが、何よりも喜びです。

 午後はkei.先生のお花のレッスン、夜はアキハバラ塾で講習をしてもらいます。来週の夏休みまで、まだまだ暑い中、忙しい日が続きます。

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今日はこれから東京です。

今、診療を済ませて、広島空港に来ています。多くの人でにぎわう平和公園や原爆ドームに背を向けるようにここにやって来ました。明日、8月6日は診療はお休みします。広島で、原爆や平和関係の出たい会がいっぱいあるのですが、でも、明日は私は東京で講演です。

 「学校保健ゼミナール」という、全国の保健室の先生、養護教諭の方たちにお話しします。

 でも、飛行機はとても遅れています。今日東京はひどい雨で、下水工事をしていた方たちが流されるという事故もあったようです。羽田の都合で、私が乗る予定の一つ前の飛行機は50分遅れだそうです。私の乗る最終の飛行機はどれだけ遅れるのか、まだ発表もありません。

 東京に行ったら、息子夫婦と娘たちと焼肉を食べるつもりなのですが、どうなることやら。みんな明日は朝から仕事があるので、そうそう遅くになったら、彼らが気の毒です。

 明日、午前中、ホテルで黙祷します。それから、人とお会いして、午後講演。夕方の飛行機で帰る予定なので、たぶん、灯篭流しには間に合うでしょう。ただ、時間的に灯篭を流すことが出来るかどうかはわかりません。

 以前、父と母の名前を書いた灯篭を流しました。先に母のを流して、後で父のを流したら、父の灯篭が、つつーっと早く流れて行って、母の灯篭にぴたっとくっつきました。そして、二つが一緒にゆっくり流れて行きました。それはびっくりしました。

 写真は、先日kei.先生の指導をしてもらった、ビデマイヤーです。左のが先生の。右が私の作品です。やっぱり私のはまだ下手で、これからもレッスン続けなければなりません。丸みも不十分、花と花の感覚も不均一です。

20080731160601

 それでは、また、明日広島に帰ってから書きますね。飛行機が無事飛びますように。

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性教協全国大会(付録)とても腹が立ったこと。

 名古屋での性教協全国大会での発表はうまく行って、ひと段落なのだけれど。どうにもあったまに来たことがあって。あんまり腹がたってショックだったので、すぐにはとても書く気がしなかったのだけれど。頭にこびり付いてつらいので、ここに書いてしまおう、と。

 名古屋では、大荷物を持って、とても重くて、それも地下鉄などのほとんどの駅はバリアフリーになっていないので。エレベーターにもエスカレーターにものらず、えっちらおっちら荷物を持って行き来するのがとても大変でした。暑くて、汗びっしょりになるし。腰がまた痛くなってしまって。今、前かがみになるのもとてもつらいのです。

 で、ホテルから会場に行くのに、タクシーに乗ったのです。地下鉄でいけることは知っていたのだけれど、もう、あの階段を上り下りするのがつらすぎたので。

 タクシーの運転手さんは、とても温厚でやさしくて、丁寧な人でした。そして、私に言われたのですよ。

「おめでたのようでいらっしゃいますので、ゆっくり参りますね。」

だそうです!!私は、一瞬何のことがわからなかったのだけれど、はっと気づきましたね。そして、強く言いました。「いえ、違います!!」「ですから、どうぞ、早く行ってってください!!」

もう、あったまに来て、よほど私の年を言おうかと思ったけれど、黙っていました。しっつれいな!!私は、その日、胸に赤いビーズの刺繍のあるとても豪華な黒のジャンバースカートを着ていました。この日に備えて、選んだ新しい着衣です。

 それを着ていて、あんなことを言われたので、それはショックでした。会場に着いたら、着替えようか、頭の中をぐるぐる回ります。でも、それは着るもののせいではないかも知れない。やっぱり私の体系がいけないのよね。ここのところ、忙しさにかまけて、フラフープもサボっているし。本当に本気でダイエットをしなければ。

 でも、いくらていねいな人でも、あんなプライベートなことを口に出してはいけないと思います。あなたのおなかば出ていますね。といわれたことなのですから。もう、本当に失礼な。今思い出しても、むかむかとはらが立ちます。

 一人だけ先に帰る私を、広島のほかのメンバーが名古屋駅まで送ってくれました。

20080802172138_2 新幹線に乗るまで少し時間があったので、みんなでお茶をしました。これは、「ムロン」といいます。メロンを器にして、丸くくりぬいたメロンとほかいろいろな果物が入っていて、それを透明なゼリーで固めてありました。つめたーく冷やしてあって、ほっとするおいしいスイーツでした。

 それでも、帰りもまだ私の憂鬱は晴れませんでした。あのタクシーの運転手さんの大きなお世話のあの言葉がこれからも私を苦しめ続けるでしょう。

 以上、全国大会の報告を終わります。

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姓教協全国大会(5)他にどんな講座があったか

昨日の三時間の発表は無事、好評(?)のうちに終わりました。沢山のことを述べたので、それを全部ここに復元することは不可能ですが、私の書いたレジュメを採録します。まだまだ夏のスケジュールが続きます。でも、大きな一仕事を終えて、ほっとしています。

 性教協の全国大会は、三日間。今日まであったのですが、この会に出席するために、飛んで帰って来ました。学部が違うので、知っている人は少なかったのですが、でも、昔を彷彿とさせる熱い議論が久々に出来て、楽しかったです。

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 全国大会の初日は記念講演とトーク&トーク、二日目が模擬授業や分科会。三日目が理論講座となっています。模擬授業は、小学校が7題。中学校が5題。高校が3題。障がい児と養護施設が一つずつ。分科会はさまざまなテーマで計19題。たとえば「あなたはあなたでいいんだよ」とか、「スクール・セクシャル・ハラスメント」、「性教育とカウンセリング」、それから私が5月に北海道北見に講演に行くのに、その開催に東奔西走してくれた北見の家庭科の高校教師である江口凡太郎さんは、「主夫生活から見えた「格差社会」と「ワークライフバランス」」の提案者でした。ほかにも、あなたにフィットプログラムとして、「ステキにシニアライフ」とか、「」それってデートDV?」などが8題と盛り沢山でした。

 今日の理論講座は、岡山の上村茂仁医師の「メール相談から見えてきた若者の事情」と金子由美子さんの「思春期の育ちなおし」の二題です。

このように、全国からバッシングにもまだまだめげない者が千人近く集まって、学習をし、力を得て、また全国に散っていきます。私もその人たちの姿を見ることで、さらに力をいただきました。そして、このような仲間がいることを、つくづく幸せだと思いながら帰って来ました。

 今日は、恒例の月始めの保険のレセプトをするためにクリニックに来ています。今日中にやってしまわないと、今週もいっぱいいっぱいですので。

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性教協全国大会(4)エイプリルフールのセックスで妊娠すると。

 名古屋のホテルです。配布用の重い荷物を持って階段を上り下り。とてもくたびれました。名古屋に着くとすぐに広島から来ている人たちとの食事会というか、交流会で、名古屋コーチンの料理をいただきました。遅れて到着しましたが、お店では私のために一人分だけ温かい料理を出してくださいました。最後は、食事はきしめんか卵かけごんです。卵かけ御飯は私を含め三人だけ。ほかの7人はきしめんでした。とてもおいしい卵で大満足でした。

 その後はホテルの私の部屋で二次会です。もってきた配布用の資料などを皆さんに配って点検していただきました。考えてみれば、長い間、性教育の大会に参加して、勉強をさせてもらっています。昨夜にも話したのですが、勉強もせず、弱い立場の人への思いもなく、人権感覚もなく、「性教育」にかかわる人たちが沢山見られるようになりました。ただただ若者を脅して、セックスをしないようにさせてやろう、と。それが性教育であると勘違いした人たちです。

 昔話もいろいろと出ました。昨夜集まっている一人ひとりがどんなきっかけで性教育にかかわるようになったのかという話しも。いつか、このあたりの話もしたいなあ、と思いました。まだ若い頃、情熱に燃えていた頃、どんな人とどんな出会いがあったかなども含めて。

 さて、今日配布する資料の一つです。私の中学生の男女向けに作ったNHK出版の「Sex&ourBody」から取りました。

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患者さんと話していて、若い人も大人でもそうなのですが、最終月経について話すときは常に始まった日を告げるべきなのですが、終わった日を言う人がいます。これは始まった日と間違えられてしまいます。

 月経の周期も「始まった日から次の月経の前の日まで」ですね。これを、終わった日から次が始まるまでの間を言う人がいます。周期が短いと言ってくる人の多くは、この数え方をしています。ちなみに周期は、25日から38日までを正常とされています。

 妊娠週数、月数の数え方も正しく知らないと、大変なことになってしまうのです。妊娠週数は最終月経の開始日を0週0日として数えます。だから、ちょうど周期の14日め、排卵日の頃の性交で妊娠すれば、それから二週間後の次の月経の予定日は妊娠4週、すなわち二ヶ月となります。

「妊娠する原因になったセックスから二週間で妊娠二ヶ月というんだよ」何て言うと、中学生も高校生もざわざわとします。「何で?なんで?」と。

 出産の予定日も「十月十日」なんていうものだから、セックスして10ヶ月後に生まれると考えてしまいます。

 本にも書いていますように、4月1日のエイプリルフールの性交で妊娠すると、クリスマスイブが出産の予定日です。赤ちゃんがプレゼントされるのですね。さらに、人工中絶はお盆を過ぎると出来なくなります。中期中絶が出来るのは、22週未満、21週までなのですが、これも最終月経の開始日から数えるので、実際は4ヶ月と2週でタイムリミットなのですね。

 これらのことは、「科学」として知るべきことで、知っていて無駄なことはないのに。なぜ教えないのでしょうか。

 まだ伝えるべきことが沢山あります。また続きをお話ししますね。

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