またまた大学病院に助けてもらいました。
昨夜、演劇を見てハングルの先生たちと食事をして、遅くに家にかえって、ブログを書いて...。寝るのがとても遅くなりました。そして、やっと眠りに入ったとき。午前2時15分、携帯が鳴って飛び起きました。
私は、患者さんたち、特に妊婦さんにはすべて、小さな紙を渡しています。それには、クリニックがしまっているときの緊急の時の私への連絡方法を書いています。クリニックに電話をして、留守電に吹き込んでください、と。留守電にも、お名前、電話番号、ご用件を吹き込んでくださいと入れています。メッセージを吹き込まれると、それは私の携帯に転送されます。それを聞いて、私から患者さんに電話をすることにしています。
24時間、携帯に拘束されているようなものなのですが、でも、これがあるからこそ、私は安心してどこかに行くこともできるというわけです。
昨日の深夜の留守番電話は、患者さんのパートナーからでした。患者さんが、急にお腹が痛いといって、倒れているというものでした。びっくりして私から電話をしました。そして、聞きました。私の手元にはカルテがあるわけではありませんので、今の状態、いつ私のクリニックに来たか、その時、どう私が言ったのか、など。で、彼女は一週間前に一度だけうちに来ていた患者さんで、妊娠の初期だということ。でも、うちに来たときには、まだ子宮の中になんにも見えなかったということでした。
そして、今の状況を聞いて、青ざめました。意識を失って倒れたのだけれど、今、少しなら話ができそうだ、と。で、携帯を耳にもって言ってもらいました。大きな声で名前を呼んで、うちに来れますか、と聞いたら、「立てないんです。」と小さな声で答えます。その声を聞いて、ますます私は青ざめました。そして、とにかくもう一度電話をするから、待つように、と言って電話を切りました。
事態は急を要します。私がクリニックで診察をする状況ではありません。で、またまた、大学病院の時間外救急に電話をし、産婦人科の当直のドクターに変わってもらいました。子宮外妊娠の可能性が極めて高く、意識を失いかけるほどの状態であることなどの状況を説明しました。またまた、です。当直医は、すぐに越させてください、と言ってくださいました。
患者さんに電話をし、パートナーに詳しい住所、彼女の生年月日などを聞き、救急車がいくから、そして大学病院に連れて行ってもらうから、と説明をしました。
そして、119です。患者さんを大学病院に運んでいただくように依頼しました。その後また大学に電話です。名前、住所、連絡方法などを伝えました。そしたら、時間外受付で、患者さんが来るまでにカルテをつくっておいてくださるということでしたので。
ほっとしていたら、救急隊から電話です。患者さんを救急車に収容した、と。そして、搬送先の確認です。はい、大学病院に依頼をしています。と伝え、そして、「患者さんのバイタルはどうですか?」とたずねました。そしたら、「血圧が下がっています。酸素濃度も下がっていますので、酸素吸入をします。」と。どうぞ、よろしくお願いします、と、頭を下げました。もう、それから私は、心配で心配で、眠ることなどできません。救急車の中で不測の事態が起こったらどうしようかと、気が気ではありません。
朝、クリニックでも、どうなっただろうか、とスタッフと話しをしていたら、大学のドクターから電話が入りました。そして、子宮外妊娠の破裂に間違いなかった、と。そして、何と、お腹の中に2500ccも出血していて、沢山の輸血が必要であったと。朝方手術が終わったばかりだと言われました。
本当にありがとうございました。命を助けていただきました、と。深く深くお礼を言いました。またまた大学病院に助けてもらいました。でも、続くものです。
子宮の中に超音波エコーで袋が見えないうちは、本当に早すぎてなのか、子宮外妊娠なのか、わかりません。だから、この前の患者さんにも、今回の患者さんにも、なんらかのこと、痛みや出血があったら、すぐに連絡をください、とよくよく言っておきます。ほとんどの患者さんは、一週間もすれば、袋が見えてくるものです。でも、時々、本当にまれにですが、子宮外妊娠の事だってあるわけです。でも、今回はあぶないことでした。いつ、どこでそんな変化が起こるのか、これにも左右されます。もし、彼女が一人のところで倒れていたら、命があぶなかったでしょう。
夜中にもかわらず、救急を受け入れてくださった大学病院、大急ぎで駆けつけてくださった救急隊の皆様に心から感謝です。
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コメント
深夜まで、お仕事お疲れ様です。
前回の大学病院の対応の記事も読ませていただきました。
本当に、私たちの日常は・・・そんなドクターがおられることで、無事に生きていけているのだと・・・感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
命の現場は、待ったなしですね。
若いご夫婦には、過酷な出来事だったと思いますが、良いドクターに巡り会え、早く立ち直って欲しいと願っています。
投稿: さくらこ | 2008年7月 9日 (水) 09時56分
こうの先生、ドキドキして読みました。
先生と大学病院の好プレーで尊い命が助かり
ました。頭が下がります。
妊婦さんにとって先生のような方が居られる
のはなんと心強く、ありがたいことでしょう。
今、産婦人科が診療停止になる、過疎地や郡部
の病院が増えて、心配です。
れいが医療に関心があるのは長女を悪性リンパ腫
で失いかけたからです。
最初の診断がもっと早ければ・・・幸い血液内科
に転院して、移植によって助かりました。
先生のような産婦人科の医師は貴重です。お体に
無理がありませんように頑張って下さい。
投稿: れい | 2008年7月 9日 (水) 10時33分
2度目の妊娠がそんな風に「袋も見えないし、尿検査の結果の+マークが薄い」という状態でした。そのころ土屋病院にお世話になっていまして、先生に「子宮外妊娠か流産しかけか、どっちにしても普通じゃなさそうだから安静にして様子を見て」と言われました。結局2~3日後に自然流産でした。受精したけど着床しなかったのです。でも子宮外妊娠でなくてよかった。小さい子を抱えていましたし。
妊娠って、するところからもうリスクがあるのですよね。友達がちょっと前まで庄原に住んでいましたが、庄原には産婦人科がなくて三次までいかないといけない。しかし彼女には小さい子がいて、自分では車を運転できない。そんな中2度目の妊娠をしましたが、残念ながら流産でした。出血が始まったときにたまたまだんなさんがお休みで家にいて、広島の実家まで車で帰ってきたのです。もしこれが命の危険を伴うものだったら、そしてだんなさんが家にいなかったら…。
次の世代を担う子供を増やすには、今の状況はあまりにも酷です。安心して子供を産むどころか、安心して妊娠もできない。広島はまだ恵まれていて、受診拒否や出産拒否をされたとは聞きませんが、いずれそうなっていくのでは…と心配です。
先生、大変でしょうけれどこれからも頑張ってください、新しい命とそれをはぐくむ環境のために。
投稿: 文月 | 2008年7月 9日 (水) 12時16分
河野先生の書かれたことにも、文月さんのお話しにも、とても考えさせられました。
人類という種を次代へと引き継いでいく大きな仕事が、かよわい一個人に重くのしかかっている。
現代ってそんな時代のような気がします。
投稿: 六郎 | 2008年7月 9日 (水) 20時58分
初めてコメントします。
先生のクリニックにお世話になり、二人の子どもに恵まれたものです。
妊娠中は先生からいただいた「小さな紙」を持っていることがとても心強かったです。
すぐに頼れる人がいるということは本当にありがたいことでした。
岸田先生のところでの出産でしたので、お礼もできないままでした。ありがとうございました。
今日の日記を見てお礼をしたくなってしまい、
コメントしてしまいました。
投稿: emu | 2008年7月 9日 (水) 23時08分
わたしもあの小さな紙をいただき、心強かったです。
大事にお財布の中に入れています。そして、それを見る度に先生を思い出します。
妊娠のことで初めて受診したときにわたしも袋が映りませんでした。
そのとき、先生が『検査薬の反応は薄かった?』と聞かれたことを思い出しました。
まれに子宮外妊娠の恐れもあるからだったんですね。
そのときのわたしはそんな知識もなく、今思えばお腹が大きくなる“自分の身体の変化”のことしか考えていなかったような気がします。
勉強になりました。
投稿: ぷりもこ | 2008年7月11日 (金) 22時56分
一人目の妊娠の時に先生から「何かあったらここに連絡しなさいね!」って小さい紙をいただいたことがあります。あれから2年半経った今もお守りだと思って大切にしています。9月には二人目を出産する予定です。実は夫のDVで避難中…。どんなに辛くても先生のブログを励みに頑張ります!(^-^)
投稿: あいこ | 2008年7月12日 (土) 06時46分
さくらこさま
本当にそうですね。若い二人には、これからも強く生きて行ってほしいですね。たちなおのために、私もなんらかのお手伝いをするつもりでいます。いつもコメントありがとうございます。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年7月14日 (月) 00時03分
れいさま
暖かいコメント、ありがとうございました。そうだったのですね。お子様のこと、大変でしたね。ブログ、読ませていただいています。静かな生活、絵がとてもお上手でいらっして。私の憧れの生活でもあります。これからもどうぞ、よろしくお願いします。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年7月14日 (月) 00時11分
文月さま
そうだったのですね。流産したのですね。妊娠っていろいろあることをついみんな忘れてしまっています。女性の、時には命がけになることなのだから。ということを特に男性の皆さんに心してほしいですね。それに、庄原や東城、西城の方たちは本当に大変です。私、選挙の時、一生懸命、医療難民やお産難民のことを訴えたのです。東城の人たちの切実な訴えがありました。これは、早く何とかしなければ。広島の人たちはまだ恵まれているといえるでしょうね。いつも、貴重なコメントありがとうございます。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年7月14日 (月) 00時32分
六郎さま
そうなのです。女性にとって命がけのことにもなりのだから。だから、特に若い男性たちにはこのことをしっかり知ってほしい、そう思っています。いつもコメントありがとうございます。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年7月14日 (月) 00時34分
emuさま
わざわざコメントありがとうございます。うれしいです。いつか、また何かありましたら、どうぞいらっしてくださいせ。お子様も一緒だとうれしいです。そのときには、どうぞこのコメントのことをおっしゃってくださいね。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年7月14日 (月) 00時39分
ぷりもこさま
そうだったのですね。子宮外妊娠でなくって良かった!ですね。どうぞ、何かありましたら、その紙のとおり、お電話くださいませ。コメントありがとうございます。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年7月14日 (月) 00時41分
あいこさま
そうなのですか。大丈夫ですか?何か私にできることがあったら、ご協力しますので。遠慮なく言ってくださいね。コメントありがとうございます。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年7月14日 (月) 00時43分