若い人のお通夜
ゴールデンウィーク明けの診療も一日だけで、今日は木曜日の休診日。午後、浄土真宗本願寺の広島別院で講演をしました。仏教徒の方たち対象です。本願寺では、ビハーラ安芸という活動をしています。ビハーラとは、インドのサンスクリット語で「寺院」「身も心も安ずる場所」という意味です。「ビハーラ活動」とは、医療従事者や福祉関係者と連携しながら、病院や高齢者施設にいる方たち、またその家族の方たちの精神的な不安や苦悩に寄り添い和らげて行こうとする活動とされています。
以前もこの活動の講演に呼ばれ、お話したことがあります。今回、二度目なのですが、行ってみて驚きました。もう、前回から五年もたっているとのこと。私は、ほんの二三年前に行ったと思っていたのです。まったくもう、時の流れというのは、本当に早いと実感しました。
今年は、「いのちをみつめる研修会」、年間テーマは「こころをみつめて」として、一年間で計10回の講演が予定されています。その第一回目が今日の私の講演でした。責任重大です。私は、「いのちを迎えるということ」と題して、みんなから歓迎されて生まれる命も、事情から歓迎されないで生まれる命も、等しく「おめでとう、よく生まれてきたね」と迎えてあげたいというスタンスでお話しました。
お話した後、本願寺別院の本堂を案内していただきました。そこで、お釈迦様や聖徳太子や、親鸞聖人、そして別院の原爆前から、原爆で焼けてしまって、その再建の話など、たくさん説明をしていただきました。私の心もずいぶんと落ち着きました。私が行っているお寺は真言宗なのですが、でも、他の宗派のお話も、とても勉強になります。どんなお寺に行くのも好きです。全国のどこへ講演に行っても、近くにお寺があれば行ってお参りしてきます。
そして、夕方から、お通夜に行きました。若い人の多いお通夜でした。若い人のお通夜は、特に悲しいものです。私は、一昨日昨日も詳しく書けなかったのですが、今日、喪主であるお父様がちゃんとお話なさいましたので、書いても大丈夫だと思います。
亡くなった彼は、私の息子と同じ年です。そして、私と同じお寺に行っていました。特に最近は、熱心に通い、いつも手にはお念珠をしていました。フラワーフェスティバルでアジアのボランティアの活動をし、ミャンマーのサイクロンの被害に心を痛めていました。そして、フラワーフェスティバルが終わった次の日、仲良しの友人たち8人で7階建てのビルの屋上で焼肉パーティーをしていたのです。その一人がTシャツを落としてしまい、引っかかったのを「僕が取ってあげよう」と、柵を乗り越えてしまったのだそうです。お酒を飲んでいて、大胆になっていたのでしょう。そして、バランスを崩して落ちてしまったのだと。それは、私も病院で警察の方たちから、説明を聞きました。事故であって、事件ではないということで、警察としても、これで終えます、ということでした。
一緒に焼肉パーティーをしていた若者たちが、みんな病院のソファでうなだれていました。
でも、今日のお父様の挨拶で、「本人は、大好きな仲間たちに囲まれて、見送られて逝ったことは、きっと幸せだったと思う」と言われました。それは、若い仲間たちへのいたわりの言葉でもありました。悲しい中で、そんな風に言われたお父様を私は立派だと思いました。
彼は、難病を患っていました。何回も何回も手術をし、気管切開までして、しゃべるときにはのどの穴を指で塞いで話していました。でも、とても前向きに生きていました。不動産の仕事をしていて、それも、風水を取り入れたホームページを立ち上げたばかりでした。そんなときの急死だけに、ご両親もどんなにかつらいだろうと思います。
彼は、7階から落ちたにしては、とてもきれいな顔で、まるで眠っているかのような安らかなお顔をしていました。どんな思いで落ちていったのかと思うと、本当にかわいそうで涙がこぼれました。病気で苦労の多かった彼だけれど、あの安らかなお顔を見ると、きっと天国に行けると思います。
今日は、一日中、死を考えた日でもありました。
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コメント
「若い人の死」は本当にやり切れませんね。以前、私の知人のご子息が16歳でくも膜下出血のために突然亡くなられ、そのご両親にどうお声をかけていいのか・・とおもったことがありました。
ブログの中に書かれている方は、難病を患い辛い目にも多くあってこられたからこそ、常人の人と較べて「優しく、思いやりがある」人だったから、人の辛さも分かったのでしょうね。お父様が本人は、大好きな仲間たちに囲まれて、見送られて逝ったことは、きっと幸せだったと思う」と語られたとの事。このようなお父様の下で生きてこられた彼は幸せだったと思います。
投稿: eastwaterY | 2008年5月 9日 (金) 05時28分
eastwaterYさま
暖かいコメント、ありがとうございます。本当に人の命というのはわからない。みんな、明日死んでしまうかも知れない、ということをことさら教えられたように思います。だからこそ、生きているときを大切にしなければならないのでしょうね。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年5月 9日 (金) 22時58分