フラワーフェスティバルの思い出
東京のホテルにいます。ここで、皆さんのブログを読んで、広島のフラワーフェスティバルの楽しそうな様子に思いをはせています。
31年前の冬、ある日、夫から電話がかかって来ました。彼の職場から私の職場、大学病院です。困った、困った、と。何?と、まあ、話を聞いてみれば、なんか、五月の連休に、広島でパレードなんかするお祭りを始めるらしい。そのコマーシャルに、うちの一家で出てくれといわれる、と。花のお祭りでね、フラワーフェスティバルというらしいよ。で、家族で花を持って、平和公園を歩いてくれといわれるんよ。と、困り果てています。そう電話をしてきたのは、RCCのえらい方で、夫の新聞社の元支局長で、とてもお世話になった方で、断りきれないよ、と。でも、僕はいやよ。絶対に僕はそんなもの出れないけど、君と子供だけで出てくれる?とまあ、そんな電話だったのです。
後でわかったことなのですが、私は若いころ、演劇に熱中していて、大学のサークルと同時にRCCのドラマグループにも参加して、演劇や、ほかの局も含めて、いろいろとテレビなどの出演もしていました。その頃お世話になった、岩崎徹先生の家に、その年のお正月に二歳の息子を連れて、ご挨拶に行ったのです。息子を見て先生は、「おお、いい子じゃ、いい子じゃ」と目を細めてくださいました。
RCCでフラワーフェスティバルのテレビコマーシャルを作ろうとなったときに、岩崎先生に相談があったと。そのとき、私のうちの子がかわいいといってくださったそうです。息子は二才、娘は一才でした。で、断ることができない人から、私にではなく、夫に話しがあったというわけです。でも、私は、大学病院に勤めているし、どうしようと躊躇しました。でも、別に大写しになるわけじゃないので、いいんじゃない?との判断で、結局お受けしたのです。
まだ冬の寒い日、できるだけ春らしい格好で来てください、とのことで、薄着で花束を持って歩きました。我が家の三人と、もう一家のふた家族でした。
ところが、出来上がってテレビで放映されると、子供たちは、特に一才の娘は、チョコチョコと走る姿がとてもかわいくて、よかったのですが。私も顔が大写しになっていたのです。これには、びっくりしました。大学病院では、何人もの人にいろいろといわれて、私は小さくなっていました。何度も何度も放映され、そのたびに縮こまる思いでした。
あのときに始まったフラワーフェスティバルが、まさかこれほどに大規模に、毎年続くとは思ってもいませんでした。子供たちは、フラワーが大好きで、今も、いいなあ、フラワー行きたいなあ、といいます。あれから31年。毎年フラワーが近づくと、あのコマーシャルの、冷や汗が出るような思いをしたことを思い出します。
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コメント
31年前そのようなことがあったのですか。
拝見したいです。
うちの長男は、31年前の前夜祭の日に生まれました。
忙しい中、生まれたての子供の顔だけ見て仕事に戻りました。それから31年間子供の誕生日会には不在です。
フラワーフェスティバルがこのようにずっと続くとは思ってみませんでした。
投稿: お茶の時間 | 2008年5月 4日 (日) 11時59分
懐かしいですね。第1回フラワーフェスティバル。
当時、小学生だったわたしは、祖父に連れられて、
はるばる福山から、見に来ました。
すごい人でパレードは見えないし、暑いし、
あまり良い印象はなくて、わたしもまさかこんなに
続くとはビックリです。
最近は、パレード・ステージ・企画と楽しいですね。
もっとも子ども会の出店の手伝いでの参加ですが・・・
投稿: ウリ坊 | 2008年5月 4日 (日) 21時04分
お茶の時間さま
31年前のフラワー前夜祭にお子様がうまれたのですか。でも、お互いですが、、、アット言う間にときは立ちますね。私、ついこのあいだのような気がしますもの。どうぞ、これからもよろしくお願いします。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年5月 5日 (月) 23時46分
ウリ坊さま
コメント、ありがとうございます。私、初めのころは、ウリ坊は、男性だとばかり思っていました。女性だとわかったとき、ほんとうにびっくりして。でも、いい趣味でブログを読むのも楽しいです。これからもよろしくお願いします。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2008年5月 5日 (月) 23時48分