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家庭での性教育(4)性交をどう教える?私の場合。

Q.4.  性交はなかなか教えられません。

A.4.  子どもはかぶと虫などの虫さんや小さな生き物が大好きです。子供が小さいころから、うちでもずいぶんいろいろと飼いました。かぶと虫、クワガタムシ、ハムスター、十姉妹、せきせいインコ、金魚、うさぎ、そして猫ちゃんなど。

 子どもたちは、飼育の本と首っ引きでそれらの育て方を勉強します。えさは何がいいか、お水はどうすればいいのか、中でも、繁殖は大きな興味でした。カブトムシが交尾をすると、卵が生まれる。その卵を大切に育てて、冬を越し、春を終えるころ、沢山のかぶと虫が生まれてくる、子どもたちにとっては、わくわくするような出来事なのですね。

 子どもたちが、虫かごを覗き込んで、「交尾せんかいのう、交尾せんかいのう」と言っていました。時には、オスをつかんで、メスの背中に乗っけたりしています。私は、ああ、そうだ、と思いました。交尾によって赤ちゃんがうまれる、これは決していやらしいことではない、子どもにとっては素敵なことなのだ、と。で、そのときに私は、笑いながら言いました。人間もそうなんだよ、交尾で赤ちゃんができるんだよ、と。

 子どもたちもあっ、そう、なんて、あっさりしたものでした。

 ある日、娘が赤ちゃんをほしがりました。赤ちゃん産んで、二人じゃ少ないと。そして、いったのです。「パパとママ、お願いだから、交尾してっ」と。私は、吹き出しました。だから、言いました。「あのね、虫や動物は、交尾って言うけど、人間だけは交尾とは言わないよ。」と訂正です。「どう言うん?」「あのね、人間はね、性交って言う。英語だと、セックスというよ。」と。

 そしたら、子どもたちが目を丸くして言いました。「ああ、セックスって、交尾のことじゃったん。分かった分かった」と。息子が小学4年生。娘が2年生の時です。私は、すでに子どもたちに「セックス」という言葉が入っているのに、あらためて驚きました。何か知らないけれど、何か変な雰囲気のある言葉として、耳に届いていたのですね。

 私は性交については、早ければ早いほど教えやすいと思っています。世の中は情報社会。それも、とてもいやらしく興味深い物としての情報が飛び交っている今、まともに正面から、大切なこととして伝えるには、そんな情報が入る前のほうが教えやすいと思っています。それに、そう語った後は、本当に教えたいこと、もっともっと語らなければならないこと、それらを、まっすぐに語ることができるようになりました。

 文月さん、息子さんが「どうやって精子を卵子にとどけるん」と聞かれたのですね。そのときには、すでに彼は本を読んで知っているはずなのに。だから、それをそのままに自然に会話をすればいいのです。「あれえ?あなたはもう図書館の本を読んで知っているでしょう?本を読んでもまだ分からないことがあるの?」そう切り返せばよかったのではないでしょうか。彼は、本を読んだだけではまだ分からないことがあったのかも知れません。何か信じられない気持ちだったのかも知れません。それは、その先を聞いて見なければわからないので、だから、そう尋ねてみてほしかったですね。

 子どもとの会話の基本は、「性は決していやらしいことではなく、大切なこと」との姿勢をしっかり持つことです。そうして向き合うなら、きっともっと大切な会話がしていけると思うのです。文月さんの場合も、最高のチャンスだったと思うのです、、。

 もし、質問をされて答えることがとてもむずかしいのなら、「私は今、どう説明したらいいのか、よく分からないから、だから、何か本を買ってこようね。その本を一緒に読んで調べようね」せめてそのような逃げ方にしてほしいのです。子どもは知りたがっている、知りたがっているものを拒絶するのは、最悪のパターンだと思います。子どもたちは、どこかから、答えを得ようとするのですから。この子はどこから答えを得るのだろうか、と考えたなら、やはり私が頑張ってこたえなければ、そう私は考えて来ました。でも、それは私が医師だからでは決してありません。子育てで子どもと向き合うときは、職業なんて、ホント、関係ないのですから。

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家庭での性教育(3)スカートめくり

Q.3.娘がスカートめくりをされた!息子がスカートめくりをしたことがわかった!どうすればいい?

A.3.  性教育は、人と人との関係をつくる、コミュニケーションのつくり方を学び、教える場でもあります。また、人として生まれ、人として生き抜いて行くための人権感覚を身につける場でもあります。

人間関係を作る上で大切なのは、自分の意見ははっきり言うこと。人の言うことにはちゃんと耳を傾けること。

だから、とてもいやなことをされたなら、それはいやなのだということをはっきり言わなければなりません。また、人が嫌がることをしてしまったと気づいたなら、素直に謝ること、そして、二度としないと誓うこと。

それらを子育ての中でしっかり教えることが大切です,。それも大切な性教育です。もしも本人が意思表示をするのが難しいようであれば、担任に話すなり、手助けをしてあげなければならないこともあるでしようね。

 文月さんから、質問が来ています。明日は、「性交」をどう教えたらいいか?のお話をしますね。

 ここから、近況です。昨日、シャワーだけの生活がどうにも耐えられなくて、思い切って「やまとの湯」に行きました。ギブスをしたままでも、車の運転は大丈夫でした。チェンジを入れる時が少し難しいくらいです。

 脱衣所で服を脱いで、ギブスの手にナイロン袋をかぶせ、口をガムテープでぐるぐる巻きにしました。湯につかるときは、左手を上に上げてつかります。頭や体を洗うのも、右手だけですが、何とかなりました。でも、露天風呂で片手を挙げて首までつかると、バランスが取れなくて、湯船の中で倒れそうになります。おっとっと、こんなところでおぼれてはいけないよ、と苦笑です。

 本当に気持ちよくって生き返った気がしました。生活はどんどんと回復しています。ありがたいことです。

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家庭での性教育(2)子どもたちも情報社会

Q.2. 子どもがお友だちからいろいろなことを聞いてきます。中には知らせたくない情報も。どうすれば?

A.2. 子どもたちも情報社会です。一クラスに30人いれば、一人が得た情報は30人に拡がる、情報収集力は30倍あると考えたほうがいいですね。ちゃんと質問に答えていれば、外で得た情報をうちに持って帰ります。「ねえ、お母さん、本当?お友達がこんなことを言っていたのだけれど」と。あまりまともなことを聞いて帰りません。そんな時こそ、軌道修正ですね。正しいことを、大切なことを真っ正面から答えてあげる。とても大切な親の仕事だと思います。

そうして答えてあげるのも、小学校のうちがせいぜいです。中学校、思春期、さあ、そろそろ何か教えなければ、となってもそれでは遅い。それまでが勝負だったのです。小学校のうちにどれだけのことを話して、話が出来る関係を作っていたか、というのが問われるのですね。

そうすれば、思春期になっても、大切なことを話しあう関係ができるでしょう。それまで逃げてごまかして、すっかり性や体についての会話を避けてしまう状況になっていると、いざ思春期から始めようとしても、なかなか難しいのです。

 もっとも、手遅れということではありません。本を渡して読んでもらうというような、何か媒介を使うほうがスムーズに行くと思います。

 子供たちがまだ小学生の時です。「ママ、ラブホテルって何をするところ?」と息子が聞きました。うーんと考えて、言いました。「ええっとね、恋人同士でね、二人っきりになりたくてね、でも二人っきりになるところがない人が、二人っきりになるために行くところだと思うよ。」と言いました。

 そしたら、娘が言いました。「お兄ちゃん、あのね、このごろね、妊娠する人はみんなラブホテルで妊娠するんと。」と言ったのです。わたしは、「わあ、そうなん。あなた、誰に聞いたの?」といいました。そしたら、やっぱりお友達からです。そして、もっと続きました。「あのね、ラブホテルにね、車で行ったらね、車のナンバーをね、こんな板で隠すんと」

 本当に子どもたちの情報社会というのは、相当なものだと、子どもたちと話すとわかりました。子供たちがどんな情報を得て、どんな意識が作られていくのか、それを知り、軌道修正するためにも、逃げないで会話を交わすことが必要だと思うのです。

 ここから、番外編です。

 今日、福山の高校で講演をして来ました。車の運転がまだ少し不安でした。そしたら、保健師のKさんが、車の運転をかって出てくださいました。Kさんも今、性教育の学習と実践に取り組んでいる方です。私の高校生への講演も聴いてくださいました。いろいろと個人差もあるのが当然で、自分なりの性教育をつくって行けばよろしいのですが、私の講演もそのための参考にしていただけたら、と思います。自分が運転しなくてもいいというのは、楽でした。Kさんに感謝です。

 今度は来週も再来週も三次です。実は、アップしていませんが、何人かの方から、三次のどこで講演なのか、という問い合わせを頂いています。オープンにしたいのですが、何しろまだ情勢は厳しくて、予定されていた講演がつぶれてしまうというのも、現実にあります。つぶしたいという勢力の人たちがまだ県内外にもいるために、とても警戒しています。すみません。個メールでお伝えしようと思います。お許しくださいませ。

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家庭での性教育(1)性教育はいつからはじめるの

Q.1. 性教育はいつ、どんな風にはじめたらいいのでしょうか?

A.1. 家庭での性教育は、よく難しい、どう教えればよいのか戸惑う、と言われます。でも、私は決して難しい事ではないと思っています。それは、子育てそのものだからです。

 こどもというのは、外界の様々なことに疑問を持つ。その疑問の答えを得ることで成長していきます。だから、口が回るようになった時から、質問攻めですね。これなあに?どうして?と。

 そして、親の大切な仕事は、その質問に対して、子どもが分かるように、説明をしてあげることですね。子どもの疑問は必ず、赤ちゃんとか、命とか体、性器などにも向けられます。

 「お兄ちゃんにはおちんちんがあって、どうして女にはないの?」とか、「どうして男は立っておしっこをして、女は座ってするの?」とか。それから「赤ちゃんはどこから生まれるの?私はどこから来たの?」これは、5才までに85%の子が、6才までには、ほぼ100%の子がいつかは質問をすると言われています。早い子は、3才で。

 そんな質問が出た時に、逃げないで、ごまかさないで、おめめをみながら、本当のことをちゃんと答えてあげる。それがすべてです。家庭での性教育とは、それをすれば十分なのです。いつからはじめるかと言えば、その質問が出たときということになりますね。

 逃げたりごまかしたりしたら、こどもは敏感ですから分かってしまいます。ああ、お母さんは困ってる。こういうことは親には聞いてはいけないのだなと。その時から、自分での答え探しが始まります。探す所は、雑誌から、友人からですね。それを考えると、やはり頑張って答えなければ。

「赤ちゃんはね、女の人の性器から生まれるよ。あなたは、ママの性器から生まれたよ。おしっこが出るところとウンチが出るところの間に赤ちゃんが出てくるところがあるからね。だから、性器は大切な所だから、いつもパンツをはいて守っておこうね。(恥ずかしい所だから隠しておこうではなく、大切な所だから守ろうです)はパンツはね、お風呂に入る時とトイレだけ、ぬいでもいいけど、他は脱がないでね。」

 子どもたちの中には、子どものことだから罪はないけれど、時には性器を対象にした遊びがあります。3才の子で血と膿でどろどろになった性器を、麻酔で眠らせてそっと調べたら、金属製のおもちゃが出てきたこともありました。お兄ちゃんたちとの遊びの中で入っちゃったのですね。石っころが入っていたこと、おもちゃの指輪が入っていたこともあります。

 男の子には「おちんちんの後ろの卵?たまたま?呼び方は何でもいいです。そこには大人になった時に赤ちゃんが出来る元が入っているからね、大切にしようね。そこは大切な所だから、打ったり蹴られたりしたら、とっても痛い。そうしないように、痛く作ってあるんだね。」と、そんなことが教えられる素晴らしい質問なのです。それに、子どもにとってはすごく当たり前の、自然な質問なのですね。

 それなのに、お母さんのおへその下がぱかっとはじけて生まれたとか、橋の下で拾って来たとか、畑で取って来たとか、病院でもらって来たとか、まあ、そんなうそばっかり言って。答えるのを躊躇するのは大人の側がいやらしい事だとか、恥ずかしいこと、隠さなければならないこと、と考えているからでしょう。そうではなくって、大切な事なのですから。正面からちゃんと答えれば良いのです。質問に答えてあげましょう。それが家庭での性教育のすべてであると言ってもいいでしょう。

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抜糸、ほかあれこれ。

 今日は、手の病院に行った。レントゲンでボルトと骨のチェックをしていただいて、手術の傷の抜糸をしていただいた。そして、いよいよ待望の許可が出た。ギブスをしたままだったら、自転車に乗っても、車の運転をしてもいいですよ、と。ばんざい!

  だけど、自転車は少し怖い。ギブスで親指が固定されて、包帯がまだ分厚く巻かれている。だから、ブレーキがどうなるか。少し、うちの周りで練習をしてみて、それからにしようと思う。もし左のブレーキがかけられないようなら、自転車はもう少しあきらめなければ。親指以外の4本の指は動くので、車の運転はまず大丈夫だと思う。これも練習しなければ。

 でも、助かった。今週の木曜日は福山で。日曜日は広島市内の南区で。来週の木曜日は三次で、と、県内の講演が連続している。車を運転して行かないと、とても不便だ。

 今日は火曜日。中原先生の診療、最後の日だ。一年以上診療をしていただいてとても助かった。先生に感謝。来週、6月からは火曜日もすべて私一人の診療となる。一年前の選挙の態勢から、これで完全に戻ったということになる。フルの診療と、休みはほとんどすべて講演が入っているので、少ししんどいかも知れない。

 しかし、本当にグッドタイミングでのけがだったものだと思う。昨日は、ハングルの日。一週間前のこの教室に行くときに転んで、手をおさえながらだったので、それが折れていたというのに、先生もびっくりされてしまって。面目ないことだった。今日は英会話。さすがに先週の英会話は休んだのが、今日は行かなければ。自転車に乗れると楽なのだけれど。

 この日曜日、原稿を書いた。家庭での性教育についてのQ&A、400字詰め原稿用紙20枚。ギブスの手でパソコンを使うのは手が重くてつらかったけど゛、何より困ったのは、パソコンを新しくして、初めての長い原稿で。ブログは散々書いていても、出版社指定の設定にしての原稿書きは初めてで。ワードにしたら、原稿の設定の仕方がわからない。windowsXpは簡単だった。Vistaになると、さっぱりわからない。何とかしなければとあれこれつっついても、どうにもならない。あきらめて、一太郎にしてみたら、これで何とか設定ができた。ので、これで原稿書きとした。それにしても、あれこれ調べるのに、パソコン用語ってどうしてこんなに難しいのだろう。本当にもう、わからない言葉だらけだ。

 せっかく、家庭での性教育の原稿を書いたので、明日からしばらくこのシリーズをアップしようかと思う。これまでブログで書いてきたことと少しダブルかも知れないが、でも、新しくブログを読んでくださる方もいらっしゃる様だから。ということで、明日から性教育シリーズにお付き合いくださいませ。

 

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検証・私が転んだ理由

一週間前の月曜日、私は自転車で転び、手首を骨折した。手術でボルトを入れていただき、今もギブスで固定して、仕事にも四苦八苦している。

 私は、自転車乗り暦50年。超ベテランの部類に入るはずだが、なぜ転んだのか。息子は、電話をしてきて、自転車に乗るのはもうやめろという。「もうやめろ」というのは、どういうことか。やはり年だから。自転車にのっていい年齢は過ぎているというのか。夫は、荷物をハンドルにぶら下げて乗るのはよせ、荷物がいつも多すぎるという。荷物が多いといったって、仕事に行くにはそれなりの荷物がいるし、その日はハングルの教室に行く予定だったから、教科書や電子辞書など少しは荷物が多かったが、でも、前のかごへに入れていた。かごに入るだけの荷物だった。

 いずれにしても、面目丸つぶれ。身近な人の信用をすっかり失墜させてしまった。

でも、納得がいかない。なぜ私は転んだのだろう。そんなにスピードも出していなかったし、確かに雨だったから、タイヤが滑ったのかも知れない。しかし、これくらいの雨はよくあるのに。どうにも納得がいかなくて、転んだところを見に行った。いわゆるる検証というやつ。そして、意外なことがわかって本当にびっくりした。

 私のクリニックの前。デオデオどおりといわれている、デオデオ本店に向かってその右を本通りに向けて入る、その道。右側には県民文化センター、鯉城会館がある。そこには、今年の一月、カラフルでおしゃれな歩道が作られた。これは、広島コンシェルジュ1月31日のブログにきれいな写真が載せられている。この写真のZIPPとトーワ靴店の間にあるビルが、私のクリニックがある大野ビルである。

 そのビルを出て、右へ。歩道を自転車で通った。ここは、自転車通行可なのだが、とても人通りが多く、人にぶつかりそうになると、車道に下りる。車道は反対方向への一方通行だ。だから、自転車は右側通行になってしまうので、向こうから車が来ると、歩道に上がるか、または自転車を降りる。その歩道は、コンシェルジュの写真でもお分かりのように、デオデオの裏から、本通まで、ずっと、右も左も、車道に斜めにきれいに段差がないように作られている。緩やかな斜面で車椅子でも、自転車でも、まったく抵抗がないように。

 と思っていた。ところが、ところがなのですよ。そごうに向かっていくと、右に大きな駐車場がある。ここにはいつもガードマンさんがいて、車の出入りを指示している。その駐車場の入り口の手前、上原屋の向こうだけ、ほぼ三メートルほど、その車道と歩道の斜めのつなぎがなく、段差になっているのだった。これは初めて知った。全部が斜めになっているとの思い込みがあった。

 その段差に自転車がもろにぶつかったのだ。私か゛転んだのは、まさしくそこだった。駐車場から車が出てきたので、歩道に上がろうとした。段差がない斜面で、30度くらいの角度があれば、上がれるはずだった。それが上がれなかった、そして転倒、というわけだ。

20080526183203 段差は5センチ以上ある。あるいは昼間だったら、段差に気づいたかも知れないが、夜でおまけに雨が降っていて、まったく気づかなかった。それに、ここはすべての歩道が、斜めに段差をなくしてあると思い込んでいたのも要因だろう。

なぜ、ここだけ段差が作られているのか。五角形の白い塗料が取り囲んでいるのは、マンホールだ。でも、ほかの場所と同じように歩道から車道までを斜面にしても、マンホールのふたまでには距離がある。

私は、これで転んだ理由に納得がいったけれど、でも、危ない。自転車だけでなく、車椅子の人だって、歩道を通っていて、ここでがたんと車輪が落ちる事だってあるだろうし、歩いていても、足をひねってしまう事だってあるかも知れない。

 こんなのは、どうにかしたほうがいいと思うのだけれど。私が市に意見を言うと、うさんくさがられるかも知れないしなあ、とも思う。私の転んだ理由がわかっただけでよしとするか、それとも、この段差を何とかしてくださいと言いに行くか、もう少し考えることにしよう。

 

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キャラメルアイスクリーム

 日曜日。不思議なことに、先週の木曜日とこの日曜だけ、講演も何も入っていなかった。この二日以外は、これから、ずっと予定が入っている。まるで私のけがを予想したように、休みを入れていた。前からこの二日を楽しみにして、日帰りの温泉に行こうか、何しようかと考えてしいたのだけれど。

 自転車に乗れない。車の運転もできない。外に出ても、歩くしかないわけで。通勤も歩き。昨日は通勤のために雨の中、荷物を肩にかけて、傘をさして、片手を三角巾でつって、平和公園を歩いていたら、ちょっとだけ、ああしんどいなあと思った。

 車を運転できないので、もちろんそれだけでなく、お風呂も入れないので、「やまとの湯」にも行けなくなった。お風呂は手に袋をかぶせて、ガムテープでぐるぐる巻きにとめてシャワーをあびる。

 やまとの湯にいかなくなったら、夜時間がある。それに、編み物もできないし。編み物は左手も大切な役割があって、右手と左手の共同作業だから当分ストップだ。金曜日の夜、いろいろな人のブログを読んでいたら、」brownie*さんの「裏技キャラメルアイス」を見つけてしまった。brownie*さんも「naoさん」のブログで知ったそうだけど。

 手を怪我して手作り欲求不満になっている私は、即、飛びついた。思い立ったら我慢できない性格の私。真夜中、24時間オープンのスーパーマーケットまで歩いて買い物に。牛乳と生クリームとキャラメルを買って帰った。本当にこれでキャラメルアイスができるのだろうかと疑いたくなるほど、簡単で。タッパーウェアーに入れてふたをして冷凍庫へ。朝、本当に立派なキャラメルアイスクリームができていて、びっくり。これはおいしい。アイスクリームを作るのは、途中でガーッとかきまぜたりしなければならないはずなのに、キャラメルの場合は何にもしなくていいなんて。

 土曜日、早速にクリニックのスタッフにも教えてあげた。あんまりおいしく簡単にできたので、今度は、ラムレーズンをいれてみようとか、塩キャラメルだったら、もう少しコクができそうとか、チョコレートキャラメルだったらどんな味になるかな、とか。当分病みつきになりそう。昨夜と今朝で全部食べてしまった。出来立てと違って長時間凍らせていると、硬くなるが、室温においておくと、すぐにまたやわらかくなって掬いやすくなる。

 さて、暇をもてあましているようだけど、実は原稿の締め切りが来ている。気が向かないなんて、言ってはいられないので、また。キャラメルアイスクリームお勧めですよ。ぜひ、brownie*さんのブログをのぞいてみてくださいませ。

 

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後期高齢者医療制度、もう一度。

今朝のテレビで、また後期高齢者医療制度について議論していた。聞いていて、本当に腹がたった。なんか、自民党の参議院議員で、医師と弁護士の両方の資格があるような人が出ていた。すごい資格を持っている人で、人の心を持たないと、こうなるのだな、という典型的な人で情けなかった。物事を数字で考えることができる人。心でものを見ることができない人。それに、遅れて舛添厚労大臣が参加して言ったのだ。わたしはしっかり聞いた。

 高齢の方の医療費をただにするということは、高齢の方のプライドを奪い取ることです。と。私は、ちゃんとお金を払っていますよ、というそれでこそ、その人が誰にも遠慮なく、堂々としておられることになるのです、と。私は、これまで働いて税金を収め続けてきたことで、もう十分誇りを持っていいことなのだと思う。

 それに、この人は、いつも言う。私も母の介護をして来ましたから、と。お母さんのどんな介護をしたのでしょう。そして、お母さんと一緒に住んでいたお姉さまと、今、どんな関係になっているのでしょうか。たまに、東京から福岡に帰って、車椅子を押して、それをテレビに撮るらせたからと言って、毎日毎日の食べることや排泄や、体の訴えに対してとってあげる介護や、そのどれだけのことを受け持ったというのでしょう。

 私は、これだけで不信感を持つのだ。そして、さらに言った。障害者の方でも、ちゃんと働く場を作ってあげることで、その人たちの生きがいになるのです、と。何を言っているのだろうか。障害者自立支援法によって、障害を持っている人が作業所に通うのだって、負担金を取るようになったために、その負担金が払えなくって、作業所に行くのをあきらめたという人の訴えが届いていないのだろうか。作業所に通うことは、生きがいだったと。まさに大臣が言っているように。そこで仕事をして、わずかのお金を頂く。それを上回って、お金を払わなければならなくなって、だから、行くことをあきらめざるを得なくなって、結局生きがいを奪ってしまったのは、誰なのか。

 よく言うよ、と思った。

 この後期高齢者医療制度は、大臣が言うように、高齢者が安心して医療を受けられるようにという制度では決してない。これは、いつか破綻するだろうといわれている、国民健康保険を守ろうとする制度だ。高齢者を守ろうとする制度ではない。

 やがて団塊の世代が高齢者となる。それの医療費を若いものたちで支えることができない、と。では、団塊の世代の多くが働いて払ってきたお金はどこに消えたのか。やがて団塊の世代が高齢者となるのは、誰だってわかっていた。では、なぜそれに備えて、ストックを作っておかなかったのか。破綻させてきたのは、誰なのか。

 くどいほどいうが、国家予算の組み立てそのものから変えなければならない。それに健康保険の一元化も含めて考えなければならないことだ。安易に消費税を上げればいいというものではない。健康保険の一元化は、国民健康保険と、政府管掌の健康保険と、組合保険と三つの一元化が検討されている。私は、とても卑怯だと思う。いちばん金持ちの共済保険、公務員の保険をなぜ特別扱いするのか、と。今日、ある公務員の人と話した。民主党も、社民党も、共産党も、公務員の保険については、口がだせないよねと。自治労を怒らせるわけには行かないから、と。それに、自民党だって、官僚を怒らせられないもの、結局全部の政党が 公務員だけ特別扱いをしているんだよね。と。

 公務員の天下り、特殊法人、財団法人などの税金から作られている法人に、一人の人が次々と数年ずつ、六つも渡り歩いて、その間にもらった給料と退職金が三億五千万円だと。「そんなにもらっているのかな、それは、女房に教えてやらなければいけないなあ、あっはっは」と、笑い飛ばした、77歳の元官僚。これをテレビで見たときに本当に情けなかった。 わずかな年金から保険料を天引きされて、食うのに困るほどになって、高齢者が次々と自殺しているこの現状を一体、どうするのか。

 ギブスをした手でも、だいぶ両手でキーが打てるようになって来ました。また書きます。

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無事仕事を終えました。

 はいっ、元気に一日診療を終えました。大丈夫でした。行き帰りはまだ三角巾で手をつっていますが、診療の時にははずします。内診に左手を使うので、すこうし心配ではあったのですが。手袋の柔らかいのを使ったので、ほとんど問題なくできました。診療の初めにギブスもはずしたのですが、ちょっと痛くなり始めたので、またギブスをして、内診の時だけはずすようにしたら、それが正解でした。大勢の患者さんで、なかなか大変でしたが。

 診療が終わって、心配している後輩のS先生に大丈夫だった旨、電話をしました。彼女は水曜日の私の手術日に午後の診療に駆けつけてくれた医師です。以前、一緒の病院で働いていました。私が開業した後、別の病院に移って勤務医をしていました。そのときに、左足を骨折しています。そのときのことを思い出すと、ぞっとすると言っていました。

 ねえねえ、あなた、足を折ったとき、あの時には仕事、休んだの?とたずねました。そしたら、やはり一日も休まなかったと。ギブスで固定して、松葉杖で歩いて、ころがついた椅子で、大丈夫な方の足でころころと椅子を移動させて内診台やベットなどを移動しながら診療をしたのだと。

 もっとすごいのは、夜の産直もぜんぜん休まなかったと。だって、みんないっぱいいっぱいへろへろになりながら仕事をしているのに、代わってくれなんて、言えなかったと。松葉杖で歩いて車に乗って、車は右足でアクセルやブレーキを踏むので大丈夫で、病院についたら、また松葉杖で分娩室まで行ったと。ひどいときには、一晩で三回も呼ばれたことがあったと。毎日仕事が済んだら、足がパンパンに腫れてつらかったと。

 そうでしょう。私だって手がまだパンパンに腫れているのだから。まして、足だからねえ、腫れたでしょうね。よくやったねえ。と言うと、彼女が言いました。

「でもね、先生、私、手が自由だから。ああ、足でよかった、手が動けば仕事ができるもの。そう思ったんだけど。」

「あはは、私は今、手でよかった、足だったら仕事ができなかったもの、と思ってるのに」

そういって、二人で笑いました。彼女はギブスを三週間して、その後もずっと松葉杖で歩いていたそうです。これまで、私たちはそうやって怪我をしたり病気になったりしても仕事だけは穴を開けないようにして来ました。それが当然だと思っていたのです。

 でも、今回、私がこうしてブログに書いたりしたものだから、すっかり大げさになってしまって、なんだか申し訳なく思っています。私の日記にひとつの出来事として書いたつもりだったのですが、もっとさりげなくやり過ごさなければならないことPhoto だったかも知れません。

クリニックのスタッフが携帯で隠し撮りしたからと、知らないうちに私のパソコンに画像を送ってくれていました。

 こんな風でした。明日、もう一日診療をしたら、また日曜日はお休みです。

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退院しました。

 退院しました。一泊二日でしたが、三十ウン年前のお産以来の入院でした。今日のガーゼ交換で包帯は少し小さくなりましたが、ギブスを新しく作ってくださいました。骨が完全にくっつくまでしばらくこれはしておいた方がよいそうです。

 私の事情はよくわかって頂いています。仕事の時はギブスをはずして、すんだらまた添えるように、とのことです。これをしたままの仕事はとても無理ですので、ほっとしました。

 うちに帰るとすぐにベランダのナスとトマトと玄関のビデマイヤにお水をあげました。一日もうちをあけていないのに、植物たちが気になるものです。

 昨夜は、午前三時に点滴が終わりました。痛さであまり寝られませんでした。でも、朝になるとだいぶ痛みは和らいでいます。時というのは、本当にありがたいと思いました。痛みが一番ひどい時を10としたら、どのくらいですか?と聞かれます。朝はもう4くらい。うちに帰って今は1から2くらいになっています。ありがたいことです。でも、まだ手術した方の指はパンパンに腫れています。

 帰る前に理事長室に行って話をしました。彼は、今、広島市医師会の病院群輪番制運営協議会委員長をしているとのことでした。先日の私の当番医の時の困った話や、私の怪我の時に私は名乗ったわけではないけど、とても親切な対応をしていただいてうれしかったことなどを話しました。

 そして当然、これからの医療の行く末の話になりました。このままでは、きっともっと医療は崩壊するであろう、と。でも、もっと崩壊してはじめて政治家や国民のみなさんたちにやっと本気で考えてもらえるようになるんではないか、とそこの意見は一致しました。

 彼の病院は救急医療にも、それから、民間の病院としては画期的なことなのだけれど、いわゆるホスピス、緩和ケア病棟をも設置してがんばっています。緩和ケア病棟は赤字だけけど、これは彼の思い入れもあって頑張っていることがよくわかりました。

 スタッフの皆さんの細かい心遣いもすばらしかったし、システムもきちんとしていて、とても勉強になりました。術後の食事はすべて串に刺してあって片手で簡単に食べられました。サラダも鳥も大根の煮物もみんな串だし、漬物は爪楊枝がさしてありますし、御飯は小さなおむすびです。総婦長さんのお話だと、寝たままの患者さんでも、何とか一人で食べられないかと検討した結果、三年前からこのような工夫をしているとのことでした。そのアイデアにも感心しました。

 皆様には、励ましていただいて本当にありがとうございました。お返事を書いていないのが心残りです。携帯でこまめにアクセスしては、コメントを読むのがとても楽しみでした。感謝しています。

 寝てないのと微熱のせいもあってか、少々疲れています。明日からの仕事に備えて、 今晩はごろごろと怠け者でいようと思います。ありがとうございました。

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手術終了!!うわーん、手が痛い!!

無事手術が終わりました。手首にネジネジのボルトが入りました。今、まだ一本目の点滴中。酸素も吸っています。

 手が痛い!!です。とても痛いけど、痛み止めは座薬、注射、注射と指示が出ているそうで、一番目は座薬です、と看護師さんに言われました。内服はだめ?と言ったのですが、ドクターの指示がないので、だめだそうです。座薬は私、だめなのです。だから、こっそりボルタレンを二錠飲みました。が、さっぱり効きません。ああ、痛い!!

 術前に、尿は、管を入れるか、オムツかどちらにしますか?と聞かれました。どっちもいやだ、といいました。まさか、手の手術なのに、おしっこの管まで。でも、全身麻酔だから、仕方がないと。だから、オムツパンツにしてもらいました。情ないっ!!

 術後も一晩寝たきりなので、オムツにおしっこをしてください、と。いやだー、私は我慢をする、といいました。そしたら、絶対無理です。沢山点滴をしますから、と。じゃ、私はトイレに行くといいました。そしたら、「不良患者ですねっ」と。

 でも、わがままを聞いてくださいました。点滴を持ってトイレに行ってみました。大丈夫です。平気で歩けます。でも、点滴が入ったままの片手でトイレはとても難しいです。

 もう一つ。手術室には患者着で行ったのですが、術台の前で脱いでください、といわれました。ええっ?手のオペでも、裸なの?と聞きました。だって、麻酔のM先生の前で裸だなんて。結局方腕は脱ぎました。肩まで消毒をするのだそうで。後は、わかりません。眠ってしまいましたので。目が覚めたら、ちゃんと患者着を着ていました。

 わがままな患者で申し訳ありません。きっとやりにくいことと思います。でも、ドクターにもスタッフの皆様にもとても感謝しています。

 それにしても、こんなに痛いのに、本当に明日退院で、あさってからの診療はできるのでしょうか。少し、不安になって来ました。

20080521174241 夫と姉と甥が来てくれましたが、もうみんな帰って、一人です。手術中にいっぱい寝たので、今夜眠れるか不安です。テレビも今切れました。病院のほうで強制的に切るのでしょうね。パソコンを持ってきてよかった。少しでも気がまぎれます。後は、原稿の校正を持ってきています。ボツボツと目を通そうと思います。

それでは、また明日。

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明日、手術をしてもらいます。

皆様、大変お騒がせいたしました。お見舞いのコメントを沢山頂いてありがとうございます。今日、MRIやCTで詳しく調べていただきました。そしたら、やっぱり骨折していました。痛いはずです。手首の甲がぽっこり腫れています。痛みと腫れでほとんど動きません。

 明日、お昼に病院に行き、二時ごろから手術をしてもらいます。手術をしなければギブス固定で約二ヶ月、手術をすれば固定をしなくていいのだそうで、それなら、当然、手術をしてください、となります。

 たいしたことのない手術ですが、でも、全身麻酔だそうで、だから今日血液検査や胸部レントゲンや心電図などの術前検査をしました。そうそう、手術は整形外科の部長ともうお一人の先生で、麻酔は外科の先生がかけて下さるとの説明でした。

 よろしくお願いします、と言っていたら、M先生がにこっと顔をのぞかせて、僕が麻酔をかけます、と。友達のお連れ合いで、私の大学の後輩で、おまけに演劇サークルの後輩でもあって、私の選挙の応援演説もしてくださった方です。安心しました。

 私はとてもラッキーでした。けがをした日の整形外科の当番病院がここだったのですが、理事長が「どうしたの?」と顔を出してくれました。はい、患者になりました。お世話になります、と小さくなってご挨拶をしました。理事長は、私の大学の同級生です。恥ずかしい限りですが、心強くもあります。

 全身麻酔なので、術後一泊だけ入院します。もっといたい気持ちなのですが、仕事があるし、そうも行きません。そうそう、今日の私の患者さんの手術のことです。MRIの後、CTもということになったのですが、「どうしても手術をしないといけません。患者さんがもう入院してるし、自己血輸血の採血もしているし、今さら手術はできませんとはいえません。ちょっと行って来ます、午後三時には帰ってきますので。」と、許可を頂きました。「親指を使わないでください」といわれ、はいっと言いました。が、手術をするのに、親指をつかわないですむわけがありません。とてもとても痛かったです。

 明日も、病院に行くまで診療をします。私たちの仕事って、こんなもので。自分に突然何かが起こっても、患者さんにご迷惑をかけられないというのが、もう宿命みたいなものです。特に、開業医は厳しいです。仕方がありません。午後からは、中原先生と四方先生に診療を代わってもらいます。

 あさっては、木曜日で休診日。その次の金曜日には、もう退院もしているし、診療ができると思います。人にご迷惑をかけるのは、最低限ですみそうです。この際、ゆっくりしなさいとたくさんの方のお言葉を頂きました。とてもとてもありがたかったです。一晩だけゆっくりさせていただきます。

 明日、手術もすんで麻酔からもはっきりしたら、また病室から皆様にご挨拶ができるでしょう。以上、ご報告でした。重ねて、お見舞い、ありがとうございました。ごめんなさい、お一人ずつのお返事はまたにさせてくださいませ。

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負傷!!情けないことになりました。

昨日のブログに、では行って来ますと書いて、自転車で出かけてすぐに転んでしまいました。紙屋町の道路はとても人どおりが多く、車道を走っていたのですが、駐車場から車が出てきたのを避けるために、歩道にあがろうとして、タイヤがすべってしまいました。雨にぬれてつるつるでしたから。

 ずいぶん派手に転んだようで、三人も四人もの男性たちが寄って助けて下さいました。自転車を起こしたり、飛んだ荷物を拾ったり。駐車場から出てきた車の運転手さんも車を止めて降りて来て、「当たりましたか、当たりましたか」と何回も聞かれました。「いいえ、自分でころんだのです。」と言いましたが、もう恥ずかしくて。

 ありがとうございます、大丈夫です、とひたすら頭を下げて、とにかく早くその場から立ち去りたくて。右膝はしこたま打ち付けて、すりむいていることはすぐに分かったのですが、左の手首が痛くて。それから、今日に限って持っていた、私の好きな赤い花模様の、高いお金を出して買った傘、その骨が四本も折れてしまいました。傘は、ハンドルの固定器に固定していたのですが。手首が痛いと思いながらも、ハングルの教室に行きました。

 そしたら、だんだん手首がはれて来て、痛くて動かせなくなってしまいました。

 帰りは折れた傘を固定し、また自転車で帰ろうとしたのですが、もう、手が痛くて。泣き泣き帰りました。左のブレーキが使えなくてあぶないので、ゆっくりゆっくり帰りました。

 広島市は、今、社会局が救急の病院の案内をしてくれます。素晴らしい!! そこに問い合わせて、整形外科の当番病院を教えてもらいました。シムラ病院です。車で行こうとしたら、手が動かなくって、運転できません。仕方ないので、歩いていきました。そこでは実に気持ちよく診てくださいました。そして、こんなことになってしまいました。

20080519233418おそらく、手首が骨折しているでしょうと。明日MRIを撮って、たぶんすぐに手術になるでしょう。だから、食事はしないで来てください。ということでした。

もう、本当に情けないことです。明日は中原先生の診療ですが、私は明日の午後に筋腫の手術が入っています。午前中の検査の結果、もし骨折ではないということになったら、すぐにギブスをはずしてもらおうと思っています。もし、骨折してたら、、、。そのときは仕方がありません。手術をどなたかのドクターに頼むしかありません。

 ギブスがきついからでしょうか、今も痛くて痛くて。ボルタレンがさっぱり効きません。

それにしても、、、私のブログは本当にハチャメチャです。すみませんです。これが落ち着いたら、またちゃんと書きますので。お許しを!!

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ビデマイヤーを作りました。

今日は診療が終わると、ハングルの教室です。ハングルが終わると、急いで御飯を食べて、やまとの湯に行く日です。いっぱいいっぱいです。実は、まだ後期高齢者医療について調べていることがあります。ちゃんと調べて、また私流の論を述べます。それまで、ちょっと一休みです。

 先日、クリニックの歓送迎会、カニ料理だと書きました。そのカニが出てくるときに、しだの葉が敷いてあるのです。それを見て、ああっと声を上げました。以前、kei.先生の教室でビデマイヤーを教えていただきました。(これに書いています。)

そのときに使ったのと同じしだの葉です。でも、なかなかお花やさんにありません。それが目の前に!!私は、その葉っぱを二枚頂いて帰りました。これ、何回も使うかなあ、と思ったけれど。それをうちで一日ずっと水につけておきました。カニのにおいもすっかり取れて、葉っぱもぴんぴんです。

 土曜日、カーネーションを買って帰って、そして、ビデマイヤーを作りました。教えていただいたことを復習しながら。まだ私は下手で、写真に撮って見ると、まるーくなるはずが、少しゆがんでいます。でも、色合いはきれいにできたと自己満足です。

20080518022540

 kei.先生、しだの葉っぱはこんなに出てはいけないのでしょうか。あんまり見事な葉っぱだったので、つい大きいまま、使ってしまいました。

 このごろ、お花やさんがとても気になります。カーネーション、母の日が過ぎてとてもお安くなっていました。

 それでは、ハングル教室に行ってきます。

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共済組合について、どなたか教えてください。

 ここのところ、仕事もしながら、気合を入れてブログを書いていると、 やはり何だか疲れる。さまざま調べものもしなければならないので、寝る時間も少なくて。でも、ありがたいことに、私のブログのコメント欄にさまざまな人が意見を寄せてくださってそれが私への励ましになっている。行政の現場にいる方も、医療の現場にいる方からも。イギリスからもご意見を頂いて、本当に皆さん、ありがとう。感謝しています。私のこのブログの場が皆さんの意見の交換の場になれば幸いと思う。

 さて、これからの医療保険の財政をどうするかが問題になっているが、わたしははじめっから主張している。国家の財政の枠組みを根本から変えなければ、と。国民の命のためにお金を第一義に使うような仕組みにしなければ。イージス艦1隻を減らす、在日米軍のための思いやり予算も見直す、天下り役人や、国土交通省、道路特定財源、ガソリン税などの無駄遣いの排除など、捻出すべきところは沢山ある。

 それらをそのままにして国民に負担ばかりを押し付けようとするから、怒りを買うのだと思う。高齢者の方たちにあえて言いたい。山口二区の衆議院選挙で負けた自民党の幹部の方が言っていた。後期高齢者医療制度で、本来自民党の支持者であった高齢の方たちを怒らせたのが痛かった、と。そう、多くの高齢の方たちはこれまでひたすら自民党を支持し、投票をしてきたのではないか。そして、ここまで自民党を増長させ、完全に国民を馬鹿にした政治が出来上がってしまったではないか、と。

 もう、私はこの際、言いたいことを言ってしまおうと思う。

 厚生労働白書を読んでも、厚労省のホームページを読んでもどうしてもわからないことがある。どなたか、教えてほしい。厚労省のホットラインに電話をてもそれでもわからない。ちょっと待ってください、と、資料をあれこれ探していらっしゃる様で、さっぱり要領を得ない。

 後期高齢者医療の一割が高齢者の負担で、五割が税金で、そして四割が各健康保険で、受け持つと。

 この健康保険というのがわからない。

 白書にあるのは、図表4-4-2 都道府県単位を軸とする医療保険者の再編、統合

それと、図表4-4-3 医療費適正化に資する地域における取り組みと保険者の再編・統合

この二つの図表には【市町村国保】【政府管掌健保】【健保組合】の三つが出てくる。4-4-2では、それぞれの保険の説明も出ている。後期高齢者医療制度には、この保険から、計四割の負担金が出さされる。近い将来、結局、ここの負担も増大することが目に見えている。

 それはそうなのだが、ところで、共済組合はどこにいるのだろう。というのも、ある高齢の方から、共済年金からは、ぜんぜん天引きされていなかったよ、と聞いたからだ。年金の天引きというのは、国民年金だけからなのか。共済組合、共済年金は、国家公務員、地方公務員が加入する。一番お金持ちの組合といわれている。プール金も沢山あるらしい。後期高齢者医療制度を支える健康保険に国保、政管、組合の三つしか書かれていないのは、一体なぜなのか。

 公務員共済もこれに入っているのか。入っているのなら、この三つのどこに入っているのか。私は、何を見てもわからない。

 健康保険の一本化に一番反対しているのは、公務員共済だと言われている。私は、将来、健保は一本化すべきて考えているので、特にこれが気になって仕方がない。どうか、分かる人は教えてください。

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まだまだしつっこく後期高齢者医療制度について

もう一度、何度でも。後期高齢者医療について。

 高齢者は、若者に養われている役立たず見たいな捉え方をしてはいけません。一昨日の私のブログに書かれていたコメント。それも医療者らしき人。「今まで金は払っていない、でも十分な医療をって都合がよすぎる。」

 別の人。「実際にお金を出しているのは政府ではなく、働いている若者であることを忘れてはいけません。」

 何を間違っているのでしょうか。お年の人は、初めっから保険金や医療費を払っていないのではないのですよ。これまでさんざん働いて、お金を払い続けてきた方たちなのですよ。ほとんどの人は、40年以上払い続けてきたのです。ひとり一人が払ってきたお金をそれぞれ計算すると、一体、いくらになるでしょうか。すくなくとも、私は、これまで健康保険代だけで、一千万円は払っています。

 その人たちがお金を払ってきたからこそ、あなたたちが子供の時だって、学生の時だって、一銭も稼いでいない、一銭も健康保険のお金を払っていないあなたたちだって、病気の時には保険で医療が受けられたのです。今、働き出した若者たちが、働き終えた人たちに、えらそうなことを言ってはいけません。

 本来なら、その集めたお金を賢くプールし、将来に備えなければらなかった役人たちが、このお金をどんな使い方をしてきたのか。そこにこそ、目を向けなければらないはずなのに。働き続けて、今、高齢になった方たちにそんな目を向けてはいけません。向ける先が違います。

 少なくとも、このコメントを書いた医療者と思われる人。こんな医療者がいることが私は恥ずかしい。こんな医療者の世話にならなければならない患者さんが気の毒で。

 もう少し。「いつも見ています」さんが書いて下さったように、課税所得が年145万円以上ある人は、高齢者でも三割負担です。それから、高齢となった方たちがみんな病気かというと、そうではありません。元気なお年寄りがいっぱい。働いているひともいっぱい。働きたいひとも沢山います。その人たちの雇用を考えること。社会全体が若い人も年をとった人も、望む人たちは職に就けるような、景気対策に取り組むこと。

 それから、大切なこと。これまで老人医療として一割負担だった「前期高齢者」といわれる人たち、65才から75医未満の人は、窓口の支払いが一割から二割負担になりました。もちろん、145万円以上の課税所得がある人は三割負担です。一割から二割に。負担が倍になりました。

 それから、この後期高齢者医療の実施機関として、厚労省は、都道府県ごとに47の「」広域連合」という組織をあらたにつくり、そのための公用車の購入や、電算システムの導入などに公金をつぎ込んでいます。私は、県の職員が新たな仕事をまかされて、ご苦労なことだと思っていたのですが、そうではなく、新たに、1300人もの職員の組織を作ったのだそうです。そこでは、厚労省からの天下りのお役人に高い給料が支払われると。これらのお金も、「高齢者にかかる医療費」のうちなのです。年金や国民健康保険団体連合会の職員の不正なども散々報道されてきました。その上に、またあらたな厚労省の組織を作ったのですよ。そのために、莫大なお金が使われるのです。

 まことにおかしな、知れば知るほど腹立たしいこの制度は、やはり撤廃するしかないでしょう。もう一度、ゼロからやり直しをするしかないと私は考えます。

20080516185957 広島県医師会からこんなポスターが送られて来ました。びっくりして、ほっとしました。これまで、医師会がこの制度に対してどんな態度をとるのか、と疑問に思っていました。だって、この制度を作るにあたって、医師会の意見も入っていると聞いていたからです。

 でも、どうも医師会との合意のもの以上に厚労省がつくった部分が沢山あると聞きました。終末期医療のあの2000円のペーパー作り。こんなのを現場の医師が賛成するなんて、とても考えられません。この制度に対しての日本医師会の態度を見守りたいと思います。当時の執行部の責任問題にならなければおかしい、と私は考えています。

一昨日の木曜日は岡山の高校で話ました。明日日曜日は、夜、竹原で講演です。ここのところ、少々疲れ気味です。でも、ここに来て、やっと講演の依頼も以前のように戻ってきつつあります。すこうし、雪解けの気配を感じています。頑張らなくっては。

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昨日の記事について。

 昨日の私のブログに、沢山のコメントを頂いた。個人的なものなのか否かはわからない。アップしようかどうしようか考えた。これは、私のブログほなのだから、コメントをアップするか否かは、私の自由だ。これまで、私は時間がかかっても、お一人づつのお返事をちゃんと書いてきた。でも、今回は、アップするけれど、お一人づつのお返事はやめようと思う。いかにひどいコメントであるかを皆さんにも呼んでいただいたほうがいいだろうと思ったから。

 私は、決していい加減な原稿か書かない。これは、原稿を書く者の常として、必ず根拠があるものを書くべきであるというう信念を持っているからだ。私も、昨日書いた、今後の高齢者の死に場所についての厚労省の人の数字を読んだとき、信じられなかった。これは、厚生労働省の老人保健課長が出した数字である。

 だから、私はずいぶん調べた。時間がかかった。

20080516152027 あこれは、ものすごい本だ。昨年の9月、まだ後期高齢者医療なんて、問題にもならないときに出された本だから、かなり無防備だ。隅から隅まで読んだ。これまで、いかにして医師を減らしてきたか。いかにして、入院のベットを、それも公立だけでなく、私立の病院をも、指導して減らしてきたかなどが、淡々と、いえ得々とと言った方がいいだろう、述べられている。この2900円の本には、CD-ROMの資料も付いている。それも見た。その上で、さらにネットでいろいろと探した。

厚労省が出した、世代別死亡者数の推移。これは、白書による。それから、死亡する場所の推移。これは、人口動態白書だ。さらに、ネットも沢山さまよった。「高齢者死亡場所」「厚生労働省老人保険課長」さらに「厚生労働省老人保健課長 死亡する場所」などと検索すると、いっぱい出てくる。これらから、根拠のある数字がやはり出てきたので、そこで昨日の記事を書いた。

 もう一度。私は、決していい加減な数字を出したはしない。それから、ずいぶん見当違いの攻撃もされているが、私は医師であって、政治家ではない、政治家になりそこねはしたが。さかのぼって、私は沢山の医療崩壊についての記事も、後期高齢者医療についても書いている。できれば、ご参照いただきたい。

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日本は本当に姥捨て山になる。

後期高齢者医療について、もう少し。以前に少し書いたけれど、「後期高齢者終末期相談支援料」なるものが保険に設置された。これは、75才以上の人がもし余命何ヶ月となったとき、要するに、「治療の効果が期待できず、予測される死への対応が必要となった時」に本人または家族に「私は、下記の医療行為について、受けるか否かについて以下のように希望します」とあり、それぞれ補液(点滴)は希望する、しない、昇圧剤の投与は希望する、しないなどを患者さんに選択させるものだ。そのペーパーをつくれば、その医師に2000円のお金が支払われる。

 私は、死にそうな人にそんな残酷なことは、絶対に聞けない。2000円がほしいがためにそんなことを聞いてペーパーを作る医師がいるだろうか。しかも、これは、75才未満の人には行われない。75才以上、後期高齢者とされる人だけに設置された2000円なのだ。

 こんなことは、たとえば尊厳死協会に入って、私には無駄な延命措置はしないように、というペーパーを作っている人たちもいる。しかし、これは、元気なうちに自発的に考え、自ら宣言することである。、いざ死が目前になった人に、他人がしかも治療をすべき医師が迫ることでは、決してない。

 もう、情けなくなるほど、高齢の方たちに冷たい制度を、よくもまあ作ったものだと、本当に腹立たしい。

 しかも、ここにデータがある。厚生労働省のこの制度を中心になって作ったらしい人は、「後期高齢者の人が亡くなりそうなときに、家族が一分でも生かしてほしいと要望して、いろいろな治療がなされたなら、500万とか1000万円の金額になってしまう」と言っている。

 しかし、東京医科歯科大学大学院の医療経済学の教授が10万例以上の調査をしたレポートがある。死亡前一週間にかかった平均医療費は、がんなどの「悪性新生物」が約32.8万円。心疾患で38.9万円。脳血管疾患で22.3万円である。500万とか1000万とかいう金額はどんな根拠で出されたものなのだろうか。

 しかも、もっと大変な数字がある。今、厚生労働省は、療養型の入院ベットを減らそうとしている。今後5年間で25万床から15万床に。医療費の伸びを抑えるために、入院をへらそうというものだ。で、厚労省の人が作った資料にすごいのがある。2030年、私たち団塊の世代のものが寿命を迎えて、約165万人が死ぬ時期である。病院のベットで死ぬ人が89万人。自宅で死ぬ人が20万人。介護施設で死ぬ人が9万人。そして、これがすごい。「その他」が47万人との数値を出しているのだ。「その他」とは何ぞや。病院でも、自宅でも、施設でもない。参考までに、2005年の死んだ人の割合の中で「その他」とは、路上や公園などで死んだ人のことを指している。行き場のない医療難民が将来、年間47万人出るという数値だ。まったくもう、なんということを目指しているのだろうか。

 厚生労働省、政府、国会議員みんなおかしい。こんな法律をつくり、強行採決で通し、実行。一体、何という政治なのだろう。調べれば調べるほど腹立たしい。

 何度も言うけれど、単に、年金からの天引きはおかしいとか、負担がどれだけ増えたとかだけで見ていたのではだめだ。5月9日の新聞に出ていた。小泉元総理が言ったそうだ。「時間が経てば、感情的議論は収まってきますよ」と。やがて天引きされるのも仕方がない、と、みんなが黙ってしまうのを待っているのだから。

 今、今すぐに。この制度が着々と根付く前に、この制度をとりやめさせなければ。本当に行き場のないお年寄りが、医療を受けられず、路上で死ぬ、まさにこの国全体が「姥捨て山」になるのが目に見えている。

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今日はカニ料理

 今日は、診療の後、クリニックの歓送迎会をする。昨年の四月から中原先生が来てくださっていた。週三回、今年の四月から週一回の診療を引き受けていただいていた。彼女が来てくださったから、私は立候補をすることもできた。その中原先生が、6月から新規の開業をされる。その送別会。

 同時に、新しい看護師さんが就職したので、その歓迎会をする。彼女は若くて、試験にとおったばかりのぴちぴちだ。彼女が入ってきたときに、「歓迎会をするけど、何が食べたい?」と聞いたら、即座に「ヤキニク!!」と言った。その言い方がおかしくて、笑いながら「わかったよ。これからいろいろとご馳走を食べさせてあげるからね。」と言ったら、「じゃあ、カニ!!」と言った。だから、今日はカニ料理だ。私たちもカニ料理なんて、何年も食べていないので、楽しみにしている。夜に備えて、昼は「ちから」の中華そばミニにした。

 別府の実家にかえったときに、畑にいろいろと野菜が植えてあるのがうらやましくて、ナスと、トマト(桃太郎)の苗を買ってきた。あと、腐葉土と油粕だ。これから、ベランダで育てる。以前、いろいろとベランダで育てていたが、猫が葉っぱを食べてしまうので、その対応が大変だった。その猫ももう死んでしまったので、遠慮なく植えることができる。もう、毎日の水遣りがとても楽しみで。これから、時々はこれらのご報告ができるかも。

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三分の二の横暴に怒る

 ここのところ、日曜の当番医を含んで、ずっと連続で診療をしていて、少し疲れた。今日は、火曜日で中原先生の診療日。久々に朝からのんびりしている。夕方から人に会うことと、英会話が待っている。

 ずっと何時間もパソコンに向き合っている。ずいぶんいろいろな人たちのブログも読ませていただいた。皆さん、いろいろな立場で、いろいろと情報を発信している。私は、以前から小説も読むがそれ以上にルポものが好きで。いわゆるノンフィクションというの。だから、ブログで、同時進行でさまざまな方のドキュメントを読むというのは、とても楽しい。このブログという世界は、将来社会の大きな力となるだろうと思う。

 生活に密着した、食べ物や手作りのものや花など、心和むものが多い。私も、それらのブログを読むとほっとするし、私自身も書かせていただいている。

 が、一方、今日、またまた衆議院の三分の二の力で持って、道路法案が再可決された。参議院で否決されても、衆議院で再可決が可能。その三分の二の数を与党が占めているからだ。国民があの郵政民営化の選挙で、時の小泉首相の支持をこんな形で示したから。国民が、衆議院の与党議員をこれだけ沢山当選させたからだ。数を与えたということのこの危険性を国民は思い知らなければならない。

 本当にそう思う。世論調査によると、道路法案の再可決に75%もの国民が反対しているという。内閣の支持率も20%前後だと。それでも、三分の二の与党議員がいれば、何でも通ってしまうのだから。

 こんなこと、すなわち社会や政治を見据える、そんなブログがもっともっと出てこないかなあ。と、密かに期待しているのだけれど。おーいみんなあ、もっと怒ろうよう、声を上げようよう、なんて。

 20080512010818

 そんな思いに決して矛盾はしないと思うのだけれど。これは、kei.先生の教室で9日の金曜日に作った小さなブーケです。五つのガーベラが、今もきれいに生き生きとしています。お花のまとめ方を教えていただきました。

医療や政治に憤らなければならないけれど、同時にこんな時間をも大切にしたいと思っています。

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当番医で情けなかった話。

昨日の当番医は参った。次々と急患があって、対応に追われた。当院で、点滴したりお薬出したり、対応できることはする。でも、午前中に一人、とても強い腹痛を訴える人は、腎臓か尿管、いわゆる尿路結石だ。

 このようなときには医師会から指示が出ている。「二次救急患者を紹介される場合は、まず病院群輪番制当番病院および舟入病院(小児の場合)にお問い合わせください」と。そして、当番病院の一覧表を頂いている。

 その票では内科が広島市民病院になっている。で、連絡をして、受け入れていただいた。

 午後、これもひどい腹痛の方が救急車で運ばれて来た。ほかの内科医院から「卵巣のう腫の茎捻転に間違いなさそうなので」と。患者さんは、歩くこともできないで、うんうんと苦しんでいる。ところが、痛いところが違う。右の肋骨の下をさわると飛び上がるほど痛がる。婦人科の領域には痛みはない。念のための超音波エコーでも、卵巣の腫れもない。その代わり、右の肋骨の下、痛いところに塊がある。さらに念のため、内診をし、膣式の超音波もする。卵巣のはれはまったくない。血液の検査も。

 そして、胆石だと診断をした。どうして、内科で卵巣のう腫と考えられたのか、わからない。

 でも、どこか受け入れを。ひどく痛がる患者さんに、とりあえずの痛み止めをして、病院に連絡をする。

 まず、内科の当番病院、市民病院に。そしたら、今、手のかかる患者さんを診ているので、だめだと断られてしまった。一人診ていたら、次はだめだと、そんな体制しか取れていないのか、と、びっくりした。では、外科に頼んでもらえませんか。胆石に間違いないので、と言ったら、またびっくり。今、うちの外科は胆石の手術はしていません、胆石の人はほかに行ってもらっています、と。それも知らなかった。びっくりした。で、どこかの外科を探してください、と。

 外科の当番病院は、日赤だ。で、連絡をした。そしたら、外科の当直医が、そんな急性のときは、外科ではなく、内科です。どこか内科に頼んでください、と断られてしまった。内科では外科へといわれ、外科では内科へといわれる。

 仕方がないので、消化器の当番病院となっているマツダ病院に連絡した。そしたら、今日は、そんな処置はできません。とても不機嫌に、けんもほろろに断られてしまった。当番病院なのに、今日はだめです、と。

 こうなると、なんか、こちらが悪いことをしているような気がしてきた。こっちだって、好きで頼んでいるわけではないし。でも、そもそも胆石の患者さんを婦人科に送ってくる内科のドクターも問題なのだし。

 どうしよう。で、病院群の整形外科の当番病院になってといるシムラ外科に連絡した。整形だけど、夜は消化器と外科が当番となっている。そこにはたくさんの内科医も外科医もいるし、何とかしてもらえないだろうか、と。そしたら、やっぱり整形外科医しかいません、と断られた。ますますどうしよう。で、やはり夜外科の当番病院になっている原田病院に連絡した。無理かも知れないと思いながら。そしたら、やっぱり、内科をお探しください、といわれてしまった。

 もう、こちらもパニックになりそうだ。で、当番病院はあきらめて、同時に医師会から頂いている「官公立病院日直表」を見る。県立広島病院の当直が一般外科と消化器内科となっている。で、すがるような思いで、連絡をした。そしたら、当直のドクターが、呼吸器内科だといわれた。「医師会から頂いているのは、消化器内科となっているのですがというと、「ご不幸があって代わりました。」といわれる。それでも、一般外科も当直になっているしで、外科に頼んでもらえませんか、と食い下がった。そしたら、「消化器内科はいるんですが、今、吐血の処置をしていて、手が取れません。外科もたぶんだめでしょう。まあ、聞いてみましょうか。たぶんだめですよ、10分くらい待ってください、と。」そのとき、私は、「すみません。お名前をお聞かせいただけませんか。」とたずねたのだ。だって、10分待っている間にどこかほかも探そうと思ったから。たぶんだめなのを漫然と待つよりは。もしかしたら、キャンセルの電話をいれなければならないかもしれないので。」そしたら、ムカッとされて「さっき言ったでしょ。呼吸器内科の〇〇です。」と。本当に、私、悪者そのものだ。ぺこぺこして、一体、何をしているのか、と情けなくなった。

 そこで、また官公立病院日直表を見る。そこに、広島記念病院が内科となっている。7件目の連絡をした。そしたら、ありがたいことに、そこの当直の内科のドクターが受け入れてくださったのだ。やっと、やっと。「ありがとうございます。先生、先生で7軒目なのです。感謝します。」と頭を下げた。

県病院の〇〇ドクターには、外科は結構ですとの連絡を入れて、すぐに救急車を呼んで転送した。記念の先生からは、ほどなく、連絡を頂いた。胆のうにも、腎臓にも大きな石があります、と。

 私は、疲れ果てた。次々と連絡を入れながら、一体どうなるのか、と。そして、まるで罵倒されるかのようなドクターの対応も、ほんっとに傷ついた。勤務医が忙しくて大変だというのはわかるけれど、当番医の私はどうすれば良かったのだろうか。一日経った今もまだ私は情けない。

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広ブロオフ会楽しかった、今日は当番医

 昨夜は広島ブログオフ会楽しかったです。

20080510191442 いろいろな方にお会いして、お話できてうれしかったです。中でも

ウルトラハルクさんの風船芸、子供たちにも大うけで、たくさんの子どもたち、広ブロでない人の子のも、たくさん作ってあげていらっしゃいました。私も、お花の腕輪を作っていただいてうれしかったです。

 イメージどおりの方、イメージと大変に違っていた方、お会いするというのも、楽しいですねえ。

特に、〇〇さん、私、もっとおっさんかと思っていたのに、本当にかわいいお兄さんで、思わず、カワイイ!!と。密かに楽しませていただきましたよ。

二次会は、私のクリニックの待合室で。一次会から一分のところなので。大盛況でこれも楽しかったです。

20080510215732 院長室にたまっていたお酒類を皆さんに片付けていただきました。

 今日は、日曜の当番医。事務長に、朝、ファブリーズをまいておくように頼みました。でも、その必要もなかったようです。窓を開けておけば、すぐににおいも消えました。

 いつもは当番医は暇で、いろいろとたまったことができるので好きなのですが、今日はずっと休急患が続いて、忙しくしています。

 お昼休みには、本願寺展に行くつもりです。夜はなんか対談があるとのことで、一日中ばたばたする予定です。

オフ会では、また後期高齢者医療とか、更年期とか、男性更年期とか、話が出ました。それらについては、またお話します。

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ゴールデンウィークあれこれご報告

今日は、広島ブログのオフ会です。会場は、ラッキーなことに、私の職場から一分のところ。屋上のビアガーデンとのことだけれど、残念なことに雨が降っています。できるだけ早く仕事を終えて駆けつけたいと思っています。よって、きっと今日は夜ブログを書くのは不可能でしょう。今の昼休みのうちに。

 もう少し、ゴールデンウィーク中のあれこれを。行き帰りの乗り物の中などで、ひたすら編み物をして、その間にできたのがこれらの夏の帽子たちです。

20080504152642 これらは、お土産にしました。薄いベージュが息子の妻のお母様に。小さいお花をつけました。茶色は、息子の妻に。これは、お花はなくていいとのことで、つけませんでした。ピンクが娘です。これにも小さいお花をつけました。でも、娘は、ほしいとはいいましたが、今一つ気に入りません。細い銀色のラメが入っているのですが、そのラメがいやだといいます。どうして、もっと普通の糸にしないん?こんなところがまるで美川憲一じゃ言うんよね、と辛らつです。今度は、普通の糸で作ってね、と。黒は私がかぶります。

 別府の実家には、たくさんの植物が植わっています。その中でも、これはすごいと思ったのが、「えびね」の群生です。ちょっと日陰でえびねにちょうど適しているのでしょう。これだけたくさん生えているのも珍しいと思って、写真を撮りました。写真はちょっと斜  めに撮っています。

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別府から帰り、福岡の兄の展覧会に行きました。

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 兄は、福岡の郊外の新宮町で陶芸をしています。その新宮町での書家、日本画家、ステンドグラス作家、などの5人での作家連盟展ということでした。

 兄の作品を見るのは久しぶりでしたが、作がずいぶん変わっているのでびっくりしました。上薬を使わず、焼き締めなのでずか、それに緑や青の色を出していました。手前の壷は、「終末」という題がつけてありました。奥のは、「天地創造」。兄はクリスチャンです。大学の農学部を出た後、農事試験場に勤めていたのですが、そこをやめて、大学の神学部に行きました。今は、陶芸家です。肺がんや脳梗塞をしており、さらに聖書と陶芸の作品とが近づいているように思います。(どうも、写真の並べ方がうまくいきません)

 以上、ご報告あれこれでした。

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豆ごはんとチェリーパイ

 別府から頂いたり、収穫したりして持って帰ったものを、無駄にしてはなりません。でも、野菜などはすぐにもう傷んでしまいます。ほうれん草は、ゆでて食べて、残りは冷凍に。えんどう豆はまめご飯にしようと思ったら、もう夫がご飯を炊いてしまっていました。それも、親子どんぶりにしようと思って、と言います。私、北海道からも、いかの塩辛とか、いくらのしょうゆ漬けとか買って帰っていたので、それらをも食べるのを楽しみにしていたのに。どうして、こんなときに親子どんぶりなの?と思ったけれど、それは飲み込みました。

 次の日の朝、冷えた白御飯のスイッチを入れて温めました。大体、彼は、御飯をたくさん炊きすぎるのです。それは、一度にたくさん炊いて、後は冷凍にしておくという、手抜きのためです。

 むいたお豆さんを、かつおだしと強めの塩味で炊きました。煮すぎないように、さっとです。そして、御飯が温まったところで、豆を入れて、御飯にも少し塩を振って、そして混ぜました。そしたら、とってもおいしい豆御飯ができました。色も鮮やかです。お米と豆を一度に炊くよりも、色がきれいで、豆も新鮮で甘くって、これまで食べた豆御飯の中で、一番おいしくできたと思います。写真の右側のは、ふきのはっぱを煮たものです。これは、母が炊いてくれたのを頂いて帰りました。ふきの風味があって、豆御飯によく合いました。

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うちの庭のさくらんぼもたくさん取って帰りました。そもそもは、生協で小さい鉢植えを二本買って植えたものです。これが、二階の屋根を越える巨木になって、何千個と実をつけるようになりました。夫が脚立に乗って取るのですが、とても取りきれず、後は鳥たちのえさにおいておきました。

 そのさくらんぼも食べるのですが、もう、しんどくなって、どうしよう、捨てるのはもったいないし、でも、人にあげるほど立派でもないし。と、ふと思いついて、チェリーパイを作りました。

さくらんぼの種を手で取りました。

20080508002741 これをお砂糖で煮て、色止めにレモンを絞りました。市販のパイシートを切って、冷ましたさくらんぼとラムレーズンと、シナモンを少し振って、包み、表面に卵黄の溶いたのを塗って、オーブンで焼きました。全部で15個のパイができました。

20080509015545 これもおいしかったです。で、今日、クリニックに持っていって、スタッフにも食べてもらいました。まあまあ好評だったようです。

これで、後、残っているのは、大根と小松菜と甘夏になりました。今晩、大根はサラダにしましたが、まだ残っています。とにかく、無駄にしないように、頑張って食べます。そうしないと、バチが当たります。

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若い人のお通夜

 ゴールデンウィーク明けの診療も一日だけで、今日は木曜日の休診日。午後、浄土真宗本願寺の広島別院で講演をしました。仏教徒の方たち対象です。本願寺では、ビハーラ安芸という活動をしています。ビハーラとは、インドのサンスクリット語で「寺院」「身も心も安ずる場所」という意味です。「ビハーラ活動」とは、医療従事者や福祉関係者と連携しながら、病院や高齢者施設にいる方たち、またその家族の方たちの精神的な不安や苦悩に寄り添い和らげて行こうとする活動とされています。

 以前もこの活動の講演に呼ばれ、お話したことがあります。今回、二度目なのですが、行ってみて驚きました。もう、前回から五年もたっているとのこと。私は、ほんの二三年前に行ったと思っていたのです。まったくもう、時の流れというのは、本当に早いと実感しました。

 今年は、「いのちをみつめる研修会」、年間テーマは「こころをみつめて」として、一年間で計10回の講演が予定されています。その第一回目が今日の私の講演でした。責任重大です。私は、「いのちを迎えるということ」と題して、みんなから歓迎されて生まれる命も、事情から歓迎されないで生まれる命も、等しく「おめでとう、よく生まれてきたね」と迎えてあげたいというスタンスでお話しました。

 お話した後、本願寺別院の本堂を案内していただきました。そこで、お釈迦様や聖徳太子や、親鸞聖人、そして別院の原爆前から、原爆で焼けてしまって、その再建の話など、たくさん説明をしていただきました。私の心もずいぶんと落ち着きました。私が行っているお寺は真言宗なのですが、でも、他の宗派のお話も、とても勉強になります。どんなお寺に行くのも好きです。全国のどこへ講演に行っても、近くにお寺があれば行ってお参りしてきます。

 そして、夕方から、お通夜に行きました。若い人の多いお通夜でした。若い人のお通夜は、特に悲しいものです。私は、一昨日昨日も詳しく書けなかったのですが、今日、喪主であるお父様がちゃんとお話なさいましたので、書いても大丈夫だと思います。

 亡くなった彼は、私の息子と同じ年です。そして、私と同じお寺に行っていました。特に最近は、熱心に通い、いつも手にはお念珠をしていました。フラワーフェスティバルでアジアのボランティアの活動をし、ミャンマーのサイクロンの被害に心を痛めていました。そして、フラワーフェスティバルが終わった次の日、仲良しの友人たち8人で7階建てのビルの屋上で焼肉パーティーをしていたのです。その一人がTシャツを落としてしまい、引っかかったのを「僕が取ってあげよう」と、柵を乗り越えてしまったのだそうです。お酒を飲んでいて、大胆になっていたのでしょう。そして、バランスを崩して落ちてしまったのだと。それは、私も病院で警察の方たちから、説明を聞きました。事故であって、事件ではないということで、警察としても、これで終えます、ということでした。

 一緒に焼肉パーティーをしていた若者たちが、みんな病院のソファでうなだれていました。

 でも、今日のお父様の挨拶で、「本人は、大好きな仲間たちに囲まれて、見送られて逝ったことは、きっと幸せだったと思う」と言われました。それは、若い仲間たちへのいたわりの言葉でもありました。悲しい中で、そんな風に言われたお父様を私は立派だと思いました。

 彼は、難病を患っていました。何回も何回も手術をし、気管切開までして、しゃべるときにはのどの穴を指で塞いで話していました。でも、とても前向きに生きていました。不動産の仕事をしていて、それも、風水を取り入れたホームページを立ち上げたばかりでした。そんなときの急死だけに、ご両親もどんなにかつらいだろうと思います。

 彼は、7階から落ちたにしては、とてもきれいな顔で、まるで眠っているかのような安らかなお顔をしていました。どんな思いで落ちていったのかと思うと、本当にかわいそうで涙がこぼれました。病気で苦労の多かった彼だけれど、あの安らかなお顔を見ると、きっと天国に行けると思います。

 今日は、一日中、死を考えた日でもありました。

 

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息子夫婦の料理

 昨夜なくなった若い彼のお通夜は、明日になりました。彼とも、彼のお母さんとも友人なのですが、昨夜は、余りに突然の事故なので、すっかりパニックになっていたお母さんも、今日は、最後はちゃんと送り出してやりたいと、泣きながらもけなげに頑張っています。

 そんなときに何なのですが、私のゴールデンウィークの仕事は、初めの三日間、北海道での講演だけでした。北海道から東京に行ったのは、息子たち夫婦が、私たちと彼女のご両親と、私の娘(息子の妹)を招いて、食事会をしてくれたからなのです。息子は、この春に、国家試験も合格し、就職しました。こちらとしては、そのお祝いを、というつもりでした。私は北海道から、夫は、広島から新幹線で東京で合流しました。

 どこか、レストランで食事をしましょう、と言ったのですが、家に来てほしい、二人で食事を作ってご馳走するから、といいました。私は、娘から、あの二人の料理は半端じゃないよ、ものすごいよ、と聞いていました。娘は、二度ほどご馳走になったことがあるのだそうです。それにしても、7人分の食事を作るのは、大変だろうと思ったのですが。

 メニユーです。

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前菜 : ・ラタティーユ(ズッキーニなどの野菜の煮込み)  ・マッシュルームのオーブン焼き(中ににんにくなどの刻んだ野菜が入っていました。) ・ヒヨコマメのパテ(フランスパンに乗っけていただきます)・マグロとアボガドのタルタル・アジのくんせいのサラダ風(自分でスモークしたそうです)・ハマグリのワイン蒸し

お魚料理 : すずきとホタテのオーブン焼き、バジルソース(盛り付けもきれい)

お肉料理 : カモ肉のソティー、赤ワインとバルサミコ酢のソースで

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20080504150412パスタ : わたりがにのパスタ

デザート : いちご

これらに、白ワインや赤ワインやジュースなどの飲み物が準備されていました。

 下ごしらえをしていたのでしょうか。7人で食べながら、息子たちのどちらかが、すっと立って、何かしていると思ったら、次の料理が運ばれてきます。そのタイミングも抜群で、台所にこもりっきりではなく、みんなでわいわいと話しながら、楽しく戴きました。

 昔、息子が大学生のころ、学校に行くのをサボって、青山かどこかのレストランで働いていたことがありました。はじめはウェイターだったのが、そのうち調理場を任せられるようになったと。それを知って、私は、一体何をしているのか、と怒ったことがあります。

 とてもとてもおいしい料理を戴いて、息子のそんな回り道も悪くはなかったかな?と夫と話しました。息子が卒業する春まで、別居していた二人は、晴れて同居の生活を送っています。二人とも忙しくて、帰りが遅いのですが、一緒にご飯を作って食べてるのだそうです。とにかく、仲良く暮らしてね、と言いました。

 写真は全部ではありませんし、撮り方が下手なのもあります。まあ、見てやってください。

20080504163234_2 広島ブログ

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広島に帰りました。

 明日の診療に備えて、午後8時過ぎに広島に無事帰って来ました。もうすぐうちに帰り着くときに携帯がなりました。運転中でしたので、家に帰ってその人に私から電話をしたら、なんと、余りに思いがけないことで。私の親しい若き友人が、事故にあったとのこと。荷物もそのままにして、病院に飛んでいきました。私が病院に着いたときには、友人は亡くなっていました。フラワーフェスティバルで、昨日まで一生懸命にボランティアの活動をしていたそうです。それが、一瞬にして、もう命が。事故ですので、警察の人の出入りもあわただしく、私はご家族にずっと付き添っていました。

 本人もご両親も、あまりにかわいそうで、私は今、少し頭が混乱しています。

 ご心配をかけてしまいましたが、義母は、朝一緒にホテルの部屋から、別府湾のすばらしい朝焼けを見た後、一緒にお風呂に入りました。何より、母が温泉に入ってくれたので、ほっとしました。

 これらのことや、帰りに福岡で兄が陶芸の展覧会をしていたので、たずねていったことなど、また、折を見てお話します。きょうは、診療と、その後きっと友人のお通夜などで、ブログは書けないかも知れません。また、皆様のブログを尋ねることもできないかも知れません。すみません。

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杉乃井ホテルで孤独にしています。

 実は、昨夜から別府、杉乃井ホテルに来ています。夫と母と三人で。ただ、来るまでが大変でした。以前、河野が母に五日にはスギノイに行くからね、と言っていたのですが、母は、聞いていないと言います。きっと、耳が遠くて、電話でよく伝わらなかったのでしょう。かぜで具合が悪いから行かない、キャンセルして、と。でも、今日の今日キャンセルはできないし。まあ、お金を捨てると思えばできないこともありませんが。

 いろいろとなだめすかして、やっと夕方ホテルに来ることができました。でも、今度は車に酔って気分が悪いといわれます。お風呂には、とても入れない。あんたたちだけで入っておいで、と。かぜプラス車酔いなのですね。私は葛根湯を持ってきていましたので、それを飲んでもらいました。そして、夫と私だけ大浴場に行きました。母は、その間夫が敷いたお布団で横になってもらっていました。

 そして、ご飯の後、またお風呂に誘ったのですが、行かない、といわれます。それで、マッサージをよんであげて、受けてもらいました。それは、気持ちがよかったそうです。

 そして、10時には、テレビも切って、ぐっすり、いびきをかいて寝ています。結局、お風呂には入られませんでした。明日の朝、お風呂に行きましょう、ともう一度誘ってみるつもりです。夫は、母よりもうんと早く、9時には、これまたいびきをかいて、ぐっすりと眠ってしまいました。私、一人、いびき以外は、静かな部屋でポケットしています。テレビをつけたいのですが、母を起こしてはいけないので、我慢です。

 ここスギノイホテルは、ジャングル風呂がとても広くて、好きだったのですが、これがなくなって変わりに「棚湯」になっています。広い露天風呂、海が見えて、それは素敵なのですが。でも、何しろお部屋から遠いのです。延々と歩かなければなりません。それに、食事も、また、延々と歩かなければなりません。私たちはいいのですが、母のような高齢の人には、大変です。お年寄りを連れて行くときは、もう少し規模の小さい、お風呂までがすぐで、お部屋で食事ができるよようなホテルにすべきだと、つくづく思いました。

それにしても、喜ばせてあげようと思ってしたことが、却って迷惑がられるというのも、さびしいことです。

 二人とも寝てるし、私一人、もう一回お風呂に行って来ました。夜景をみながら、夜風のにおいをかぎながら、素敵でしたけれど。部屋に帰っても、二人とも、なんにもかわらず深く寝入っています。自動販売機でアイスクリームを買ってきて、一人食べました。これから、また編み物でもしようと思います。でも、今日は広島まで車を運転しなければならないので、適当にしようと思いますが、、、。p> 広島ブログ

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別府で母と過ごしています。

 昨夜、最終から一つ前の飛行機で広島に帰りました。9時に家に帰り着いて、一息ついて、すぐに出発、車をぶっ飛ばして徳山発10時半のフェリーで国東半島の竹田津港へ。そしてまた車。午前2時ごろに別府の我が家に到着しました。今日は、一人暮らしの義母とすごしています。

 夫の姉のうちと、本家にご挨拶に行った後、夫は、実家の庭の松の新芽を摘んでいます。

20080321010316 私は、姉のお連れ合いが実家の庭で作っているたくさんのお野菜の中で、えんどう豆を収穫しました。ありがたく、頂いて帰ります。母は、84歳で一人暮らしです。お盆とお正月とゴールデンウィークは、かならず一緒にすごすことにしています。

明日は、私のうちのみかんの木の肥料を上げたり、たくさんなっているさくらんぼを収穫したりします。

久々に土や緑に触れると、ほっとします。

後期高齢者医療、特に終末期医療について、調べたこと、言いたいことはいっぱいあります。また、お話しますね。

広島では、フラワーフェスティバルも終わりですね。以前は、花の塔に並んで、鉢植えのお花をもらっていました。もらったら、すぐにまた列の尻尾に並んで、いくつももらっていました。明日は、陸を走って広島に帰る予定です。あさってから診療ですから。

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フラワーフェスティバルの思い出

 東京のホテルにいます。ここで、皆さんのブログを読んで、広島のフラワーフェスティバルの楽しそうな様子に思いをはせています。

 31年前の冬、ある日、夫から電話がかかって来ました。彼の職場から私の職場、大学病院です。困った、困った、と。何?と、まあ、話を聞いてみれば、なんか、五月の連休に、広島でパレードなんかするお祭りを始めるらしい。そのコマーシャルに、うちの一家で出てくれといわれる、と。花のお祭りでね、フラワーフェスティバルというらしいよ。で、家族で花を持って、平和公園を歩いてくれといわれるんよ。と、困り果てています。そう電話をしてきたのは、RCCのえらい方で、夫の新聞社の元支局長で、とてもお世話になった方で、断りきれないよ、と。でも、僕はいやよ。絶対に僕はそんなもの出れないけど、君と子供だけで出てくれる?とまあ、そんな電話だったのです。

 後でわかったことなのですが、私は若いころ、演劇に熱中していて、大学のサークルと同時にRCCのドラマグループにも参加して、演劇や、ほかの局も含めて、いろいろとテレビなどの出演もしていました。その頃お世話になった、岩崎徹先生の家に、その年のお正月に二歳の息子を連れて、ご挨拶に行ったのです。息子を見て先生は、「おお、いい子じゃ、いい子じゃ」と目を細めてくださいました。

 RCCでフラワーフェスティバルのテレビコマーシャルを作ろうとなったときに、岩崎先生に相談があったと。そのとき、私のうちの子がかわいいといってくださったそうです。息子は二才、娘は一才でした。で、断ることができない人から、私にではなく、夫に話しがあったというわけです。でも、私は、大学病院に勤めているし、どうしようと躊躇しました。でも、別に大写しになるわけじゃないので、いいんじゃない?との判断で、結局お受けしたのです。

 まだ冬の寒い日、できるだけ春らしい格好で来てください、とのことで、薄着で花束を持って歩きました。我が家の三人と、もう一家のふた家族でした。

 ところが、出来上がってテレビで放映されると、子供たちは、特に一才の娘は、チョコチョコと走る姿がとてもかわいくて、よかったのですが。私も顔が大写しになっていたのです。これには、びっくりしました。大学病院では、何人もの人にいろいろといわれて、私は小さくなっていました。何度も何度も放映され、そのたびに縮こまる思いでした。

 あのときに始まったフラワーフェスティバルが、まさかこれほどに大規模に、毎年続くとは思ってもいませんでした。子供たちは、フラワーが大好きで、今も、いいなあ、フラワー行きたいなあ、といいます。あれから31年。毎年フラワーが近づくと、あのコマーシャルの、冷や汗が出るような思いをしたことを思い出します。

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今日は東京へ移動です。

 5月3日憲法記念日です。昨年は、2日に参議院の立候補の記者会見をし、3日に原爆ドームの前の広場で、憲法についてのリレートークに参加し、マイクを握っていました。あれから1年。政治をめぐる状況は、ますます悪化、国民の生活は苦しくなるばかりです。

 そんなことを、北見のホテルでどんより曇った空を見ながら考えています。北海道でも東に位置するここは、日の出、日の入りがとても早く、戸惑います。カーテンを開けて寝る主義ですので、4時半には明るさで目が覚めました。

 昨日は、講演を二つ。さすがに立ちっぱなしで2時間の話を連続してすると、足がだるくなります。それと、暑さです。フェーン現象で、異例の暑さだと、地元のテレビでも、盛んに報道しています。が、出かける前は広島が異例の暑さでしたので、私には、そんなギャップは感じません。ここに来て、一気に開いたといわれるサクラが見れて、得した気分です。

 でも、講演の会場は暑い。高校では、制服のジャケットを脱いでいいからと言うと、多くの生徒が一斉に脱ぎました。それと、自由な楽な姿勢でいいから、で、耳だけはこちらに向けててね、と言って話しました。高校の体育館も熱かったですが、生徒はよく聞きました。夜の講演会は、狭い会場に、ぎゅうぎゅう詰めでしたので、熱気で熱くて熱くて、話しながら、汗たらたらです。頭もボーっとしてくるほどでした。まだ、季節的に冷房は入らないということでしたので。

 夜の講演は一般市民向けでしたが、定時制の高校生は、授業の一環として、そして全日の高校生もけっこう来てくれていました。大人の方と、高校生とに同時に話すのは、とても難しい。そこで、高校生に向けて話すのを、大人の方にも聞いていただくというスタイルで話しました。それに、最後に大人の方たちに、子供に向き合うときの心構えの話をさせてもらいました。

 講演がすんだときに、一人の少女がが私のところにやって来ました。制服を着ているので、高校生?と聞くと、「はい、網走の高校に通っています。」といいます。ええ?ずいぶん遠くから。どうしてこの講演会を知ったの?と聞きました。そしたら、父が、私と妹に、行って聞くようにといいました。と。そして、かばんから私の「思春期ガイド」を出して、事前学習として、これを買ってもらいました。といいます。もう、びっくりです。聞けば、お父様は、広島大学の後輩で、医師をしているとの事でした。こんな離れたところに後輩がいるというのも、びっくりです。本にサインをして、握手をしてわかれました。ありがたい事です。

 これで、講演も無事終えました。今日は、東京に向けて移動です。たぶん、夜中までパソコンは開けないと思います。飛行機の中は、ひたすら編み物の予定です。広島は、憲法記念日のいろいろと集会があるのでしょうね。それと、フラワーフェスティバルですか。フラワーフェスティバルについては、また、思い出を書くことにしましょう。

 

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北海道滞在二日目。部屋にこもっています。

 北海道、北見滞在二日目、ずっとホテルにこもっています。お昼12時にお迎えに来ていただくことになっています。どこかに出かけるには、時間が中途半端です。午後高校生にお話します。一旦帰って、午後6時から、ホテルの近くの芸術文化ホールで市民に向けて話します。実行委員会と、市教育委員会の共催です。ここには、市内の定時制高校生も60人ほどが来てくれることになりました。

 昨夜、交流会で、この講演会に当たって涙ぐましい努力をしていただいたことを聞き、あらためて、感謝しました。これについては、また、これが終わってからお話しますね。

 ところで、交流会は、市内のおすし屋さんであったのですが、これがすばらしくおしゃれなお料理を出して下さいました。単純なおすし、和食ではなく、工夫が凝らされています。かにクリームコロッケは、だれでも聞いたり食べたことがあるでしょうが、ここのは、「かにみそ入り」のコロッケでした。そして、うなったのが、えんどう豆のスープ。クリームの入った、うす緑のスープに、タピオカとジュンサイが入っていました。ちゅるちゅるした食感が楽しく、絶品のスープでした。

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まるで和食とフランス料理のコラボです。お刺身は、もちろん新鮮な海のもの。私、ホタテの刺身も広島ではよく食べていますが、新鮮だと、こんなに味が違うのだと、よくわかりました。

 とてもおいしく、楽しい食事会をしていただきました。

 そして、その後、実は、「どこか銭湯がないかなあ」とつぶやいたのです。走って疲れているし、ホテルのお風呂はとても小さくて、シャワーが精一杯です。このごろ、やまとの湯ばかり入っている私としては、ゆっくりお風呂につかりたいと思って。そしたら、「銭湯というより、温泉ならありますよ」といわれるではありませんか。

 もう、うれしくってすぐに飛びつきました。私、タクシーで行こうと思ったのですが、実行委員の一人の江口先生が連れて行ってくださいました。かすかに硫黄のにおいのする、源泉かけ流しの本格的な温泉。しかも入浴料は390円と、とてもお安くって。なんと、そこにはサウナはもちろん、「あかすり」までありました。露天風呂も広いのが三つも。時間がおそくで、あかすりをしてもらえなかったのが残念でしたが。

 大満足のお風呂で、すっかり疲れが取れました。

 部屋では、窓から北海道の空と山なみを見ながら、パソコンとあみものばかりしています。今日の講演、張り切ってしますね。

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初日、走って疲れたお話です。

 広島から遠く離れた北海道、それもうんと東の北見のホテルにいます。いやあ、疲れました。とっても疲れました。ほんっとに、もう、聞いてください。

 そもそもは、今朝の広島空港です。旅なれた、飛行機にもなれた私です。荷物チェックも、ちゃんとパソコンの本体とペットボトルのお茶も手渡しして、くぐりぬけたと思いきや、止められたのですね。そして、聞かれたのです。「眉バサミか、鼻毛切りバサミをお持ちですか?」と。はあ?です。いいえ、そんなもの持っていません。だって、私、眉はぼさぼさ、自分ではさみで整えるなんてしたことがありません。まして、「ハナゲキリバサミ」なんてものがあるなんて知りもしません。そして、荷物をあけられて、化粧ポーチを出してくださいと、二つのポーチを念入りに調べられました。でも、はさみなんて出て来ませんよ。そして、もう一度、機械に通しますと、三つの袋を調べてられました。そして、「やっぱりはさみがあります」と。荷物ぜーんぶ、ひっくり返して調べられました。

 おかしい、おかしいと、あれこれ調べても、ないのですよ。もう、みんな飛行機に乗って、私ひとり残されて、ANAの人も近くに来て、待っています。そして、ああっと私、気づきました。編み物ですよ。私が還暦で医局から表彰されて、頂いた商品券で買った、編み針セット。その中に小さなはさみが入っています。私、セットを引っ張りだして、あけて、これですかと、差し出しました。ああ、もう、刃の部分が1.5センチしかない、糸きりバサミです。これがいけなかったのです。こんなものが凶器になるわけないのに。こんなもののために大騒ぎだったのです。

 これ、いりますか?と聞かれました。いりますっと答えます。だって、大切な記念の品、それもお気に入りのかわいいはさみです。放棄なんてできません。到着地は羽田でJALに乗り換えて、女満別。これには、ANAの担当の人も困って、では、羽田で渡します。と、そうなったのです。

 まあ、一番最後にみんなに見られながら機内へ。飛行機が込んでいて、羽田への到着が遅れました。乗り換え時間があまりありません。でも、はさみを返してもらおうと、大急ぎでカウンターに行ったら、なかなか持ってこられなくて、待ちました。

 JALのターミナルへのバスが、あせる私の目の前で発車してしまいました。走っていたのに。次のバスを待ち、降りて、必死で走りましたね。そして、自動チェックイン機の前へ。そしたら、無常にももう、締め切ったと出たのです。急いでカウンターに行き、泣きつきます。

 そしたら、チャカチャカと手続きはしてくださったのですが、若い元気な女性が、走ってください。と、いきなり走り始めました。それも、半端な距離ではありません。南ウィングから北ウィングへ。一番端っこですから、と。私、ウォーキングはしているけれど、ジョギングはしていません。ひいひいと走って、やっと、荷物チェックのゲートに着きました。私は、はさみの入った荷物を手荷物にあずけようとおもったのですが、もう、そんな時間はありません、と、ここではうやむやのうちに、うまくパスしたのです。

 やれやれと思ったら、そこからまた、走ります。歩く歩道にものらず、その横をどんどんと走られて、もう、私は「カンベンして」と、止まりました。だって、本当に心臓が爆発しそうだったのです。ものすごい距離を走ったと思います。それも、荷物を持って。止まったところから、JALの女性が荷物を持ってくれました。

 走りながら、私は、もしかして、私の死に場所は羽田かもね、なんてチラっとそう思ったのです。

 そなんことで、無事、飛行機に乗れ、女満別に着きました。そして、リムジンバスで、北見市内へ。考えてみたら、なんにも食べていません。お弁当を買う時間もありませんでした。夜は講演会の実行委員の人たちと交流会です。どこか、一箇所くらい、観光してこようか、とも思いましたが、とても疲れているので、ホテルでおとなしくすることにしました。そこで、ここのホテルレストランに行って、せめて北海道を味わいたいと、チーズケーキを食べました。交流会までのつなぎです。

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 そう、昨晩は、レセプトをちゃんと仕上げました。一時過ぎていました。帰って洗濯したり荷物の準備をしたりして、とても遅くなって。そして、今日の大運動です。もう、足も体も、とても疲れています。

 長々とお話してすみませんでした。初日のご報告でした。

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