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お葬式に参加して

 スタッフのお父様が亡くなって、今日、お葬式に行った。長い間煩われたあげくにとうとう亡くなってしまったのだった。私は面識がない方だけど、写真や皆様の弔辞などで、そのお人柄が偲ばれた。とてもお優しい人で、仕事も家族をもとても大切になさった方のようだ。だから、奥様の手厚い介護がずっと続いたと。奥様に取ってとても沢山の恩をいただいたと。だから、ご恩返しだと思って、命のあるかぎり、精一杯介護をします、といわれたと友人の弔辞で語られた。

 私は、診療で熟年や更年期の方達に接することが多い。熟年を二人でどう過ごすか。多くの方が夫との二人の生活に気詰まりを訴えられる。

 夫が病気になった時に、本当に誠心誠意看病が出来るかどうか。これは、やはりそれまでの二人の関係がどうであったかにつきる。妻のことをただ「家事をする人」みたいに思い、接している人は、その陰て゛妻がどれだけプライドを傷つけられ、苦しんで来たかが見えないだろう。

 「平均寿命からして、どうしても男性の方が先にくたばるのだから、その時に妻に手厚い看護をしてもらいたいと思うなら、今からですよ。今からの関係を暖かい物にしておかないと。」などと、企業で講演する時に言ったりすると、段々と男性達の顔がこわばったりする。そして、「今から妻に電話をかけて置きます。」などと、単身赴任の方が言ったりする。

 今日のお葬式では、そうではなく、全く逆に、本当に仲良くお二人で暮らして来られた姿が見えて、だから胸が詰まった。

 私も父が倒れ、意識のないまま一年間寝たきりだった時、ただ、生きているだけで良かった。話ができなくとも、死なないで生きていて欲しかった。意識がなくとも、それでも娘が呼びかけると、父の目からは涙が溢れていたから。だから、話はできなくとも、こちらの言うことは分かってくれているのではないかと思って。本当に生きていて欲しかった。

 大好きな人の看病は、だから、体はしんどくとも、本当は苦にはならないと思う。とうとう亡くなってしまって、これからがとてもつらいだろうと思う。でも早く立ち直って元気に生きていただきたいと思った。

 今日のお経の中でも言われていたけれど、命ある者は誰でも必ず終わりが来る。さて、私達も人生の終演にむけて、これからをどのような生き方をし、どのような関係を作るのかぼつぼつ考えなければならないようだ。

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コメント

生きていてくれるだけでも、ほんとありがたいことなんですよね。毎日当たり前だったことが崩れたとき、ほんとに大事なものに気づきました。

投稿: さくら | 2008年3月 5日 (水) 00時04分

どこまで生きていけるかいつも思います。
どこで倒れるんだろうっていつも思ってます。
どこでも誰にでも人としてまっとうなことしてれば
その時がきても報われるんじゃないかと。

非情な毎日に無常な心でいつもいたいと思います。

投稿: ハッスルカーン | 2008年3月 5日 (水) 20時58分

さくらさま
本当に。私も父が亡くなって初めてそう気づきました。今、時々無償に母に会いたくなります。父には、しっかり看病もして悔いはないけれど、母には、もっとちゃんとしてあげれば良かったという悔いが残っています。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2008年3月 8日 (土) 01時25分

ハッスルカーンさま
この前、私、コメントへのお返事、とんちんかんことを書いてしまったのではないでしょうか。ごめんなさい。いつも人生の終わりを意識しながら生きるって、少々憂鬱ではありますが、だからこそ悔いのないようにしっかり生きたいですよね。コメント、ありがとうございます。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2008年3月 8日 (土) 01時28分

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