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パソコンケースを頼まれて。

20080331210013  先日も書いた、全国の性教育にかかわっている産婦人科医のネットワークの集まりに行くと、皆さん、それぞれ自分の自慢のパソコンを机の上において、いろいろと論議する。時には、サッサとパワーポイントで自分のデータを示したりしながら。本当に皆さんめまぐるしいほどにさまざまな最新式のパソコンを買い換えては、使いこなしていらっしゃる。小さいのや薄いのや。私のパソコンなんてもう骨董品だ。

 私は、AirHがどこに行ってもインターネットが使えるのが便利だし、とても小型で持ち運びもやさしいので、なかなか手放せないで来た。しかし、あまりに速度が遅い。私がネットカフェに行っていたのも、居場所がなかったせいもあるのだが、そこのパソコンがとても早くて、さっさと動いてくれるので、それが便利で味を占めたように行っていた。

 が、もう時間の無駄、人生の貴重な時間が無駄なような気がして、結局このたび買い換えたのだ。ようやく今、新しいパソコンを使いこなしかけている。とにかく早く動いてくれるのがうれしい。それに、電源につながないで、バッテリーでも、画面がとても明るいままなのがうれしい。昨日なんぞは、私は、時間がなくって、でもブログを書かなければならなくて、結局、風呂やの脱衣室でブログを書いたのですよ。さっさと書けてとてもうれしかったのだ。これで、今度の会でも、皆さんの前に堂々と新しいパソコンを見せびらかすことができる。

 ところで、先日のそのネットワークの会で、マックのものすごく薄いパソコンを持ってきている先生がいた。とても美しい。みんなでワアワアと言ってそれを見たのだが。その先生が、「河野先生、これのカバーを作って。真っ赤なのがいいなあ。」と言われたのだ。おんなじパソコンを持っている先生が素敵なバックに入れているのを見られたから。

 で、いいですよ。とは言ったのだが、正確なサイズも図らないままに帰ってきて、そして、デザインをうんうんと考えて、結局、出来上がったのがこれ。写真はどうもオレンジっぽいのだが、これは真っ赤のフェルトで、周囲を赤のメタリックの糸で編んだ。

「先生、手をつける?」「いいえ、かばんに入れるから手はいいわ」「ポケットつける?」「ポケットつけたら厚くなるからいらない。ただ、薄いのが入ればそれでいいから」といわれたので、いたってシンプルなただの袋だ。ふたには、三箇所マジックテープをつけた。表にテープを縫い付ける糸が出ないようにするのが結構難しかった。もっといろいろと細工をしたかったけど、このままで。

 さて、気に入ってもらえるだろうか。これから忙しくなるので、あまり好きなこともできなくなるだろう。その前に出来上がってよかった。でも、やっぱり帽子作りの方が気楽で面倒でなくっていいなあと思う。

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後期高齢者医療・あらためて悔しさが

 今日は一日忙しかった。朝から性教協の役員会。先月行った20周年記念中国ブロック・広島セミナーの総括というか、反省会。参加者は約100人。会計もちょうどトントン。参加者のアンケートは、本当に皆さん、びっしり書いてくださって、とても好評だった。ほっとして、またうれしくて、力が出てきた。情勢は困難でも、中にはやはり頑張ってやらなければという人たち、主に教師なのだが、存在していることがうれしい。

 今後のスケジュールも決めた。私たちは、これからも広島セミナーも中国ブロックのセミナーも継続してやっていく。全国大会にも発表を出す。あらためて決意した次第。また、こちらで行事の案内をしますので、どんなことをしているのかだけでも、見てくださいね。

 午後は東広島に車を走らせ、講演に。いただいたテーマは医療について、命の現場からの報告ということであった。得意の性教育とは少し異なる。でも、医療について、特に医療崩壊についてはこのブログで書いたので、それは話せる。私が行って来た、産婦人科医療の現場で起こっていること、さらに昨年の選挙の際に訴え続けた、医療は医療単独ではなく、福祉や介護の現場、国民の命にかかわることと、連動していること、などをからめながら話をした。

 それなりに皆さんにわかっていただけたかと思う。もうひとつ、この四月から始まる、「後期高齢者医療」についても言及した。75才を越える人は、後期高齢者としてひとくくりにし、保険料は、年金から天引き。病院にかかったときの医療費は一割負担。しかし、保険料については2年に一回見直し。たくさん医療費がかかれば、保険料も高くなる。足りない後期高齢者の医療費については、国保や健康保険から補う。そして、ひとりひとりがいったい高齢者にいくら負担をしたのかを検出して、知らせるという。

 まったく、高齢者には、病気になってもあまり医療にかからないでくださいよ、といい含めるそんな意図が見え見えの制度だ。または、お年寄りは、社会の迷惑になるのだと言わんばかりである。

 私は、今日の講演でも言った。国が国民の命を守るために医療費を負担するのは当たり前。何の遠慮も要りません。日本の医療費は他の先進国に比べて、決して負担が大きいわけではないのだから。堂々と、我々の命のために、お金を使え、といっていいのですよ。「わしら、年寄りを馬鹿にするのか」といってもいいのですよ。そんなことをちゃんとデータを示しながら話した。

 日本の政治はますます悪くなっている。この後期高齢者医療の制度なんて、小泉総理のときに決められたことなのだが、これについて、マスコミも含めて、どれだけの人が知り、声を上げただろうか。アット気づいたときは、もうこの制度がはじめられようとしたその時だ。野党も今になって声を上げているようだが、遅い。遅すぎる。

 密かに密かに、秘密裏に準備万端整えて、そして、それっと始められようとしている。

 それにしても、いつまでもうじうじとして申し訳ないことなのだが、昨年の、あの参院選で受かった人たち、いったい何をしていらっしゃるのだろうか。ぜんぜん姿が見えてこない。まさか、党の一員として、党の議席の一つとして埋もれていらっしゃるのではないのでしょうね。これら、とても困っている国民、県民のためにどんな活動をしていらっしゃるのでしょうか。(私の立場から言ってはならないことかも知れないけれど、でも、、、今日の講演をしながら、また、受かりたかった、という思いがひしひしとしたものだから。ごめんなさい。)

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めでたく進級です。

 昨年10月から、YMCAで英会話とハングル講座に行っていることは度々恥さらしのブログに書いている。さて、そのクラスも今、春休み。英会話はともかく、ハングルは、四苦八苦だった。なにぶんにも、本当に記憶力が落ちてしまって、何回も辞書で同じ単語をひいては、嫌悪感に駆られてきた。宿題も毎回どっさりで、それをしないで行くと授業についていけないので、がんばらざるを得ない。

 そして、YMCAから通知をいただいた。お勧めの講座、英会話も韓国語も一ランクずつ上のクラスを勧められている。要するに、無事進級ということか。しかし、ハングルはどうだろうか。先生に、問うてみた。何しろ劣等性の私である。しかも、皆さんより半年遅れの入学で、だから「先生、私、もう一回、このクラスをやったほうがいいのではないでしょうか。」と。そしたら、大丈夫、やっていけます。と言っていただいたのだ。それに、9月には検定試験があるから、それを受けましょう。12月には、スピーチコンテストがあるから、それを目指しましょう、と、とんでもないことで。

 今学年の最後の日、英語のクラスでは、先生と生徒(二人しかいない)で近くのレストランに食事に出かけ、そこで食事をしながらの授業となった。新しい学年になると、その先生のクラスになるかどうかわからないので、いったんこれでお別れとなった。アメリカ人のとてもチャーミングな若い先生で、授業は雑談になることも多く、楽しいクラスだった。

20080318203407 食事をしながら、みんなで記念撮影だ。料理はメキシカンタコスやイカ墨のパエリアなど、エスニックでとてもおいしいものだった。

 そして、ハングルの最後の日、先生が材料一式抱えてきてくださって、韓国式海苔巻き、「キンパ」を作って食べた。

 キンパは、大好き。韓国に行くと、キンパキンパと探して食べる。子供の遠足や運動会は、必ずキンパを作るとガイドさんに聞いた。おむすびではなく、必ず海苔巻きなのだと。すし飯ではないのが日本の海苔巻きと異なる。それを作る方法を教えてくださるというので、とても楽しみに、お茶だけ用意して待っていた。

1.まず暖かいご飯にごま油、すりゴマ、お塩をぱっぱと入れて、スプーンでまぜまぜ。

2.海苔の上にご飯を広げ、真ん中にソーセージ(魚肉の)、たくわん、ほうれん草のゆがいたの、それと先生が作ってきてくださった牛肉のミンチのそぼろ(ミンチをにんにくと砂糖としょうゆで煮たもの)を置き、巻く。

3.切って食べる。海苔は、味のついた韓国海苔だと破れるので、何も味がついていない岩海苔がいいと、おっしゃった。

 それぞれの味のハーモニーが絶妙だった。特に、そぼろの甘みとたくわんのちょっとすっぱからいのがよくあった。中身は、キムチやツナなど、何を入れてもいいのだそうで。ご飯の味付けがポイントかも。自分のだけでなく、夫の分まで作ってもらって持って帰った。

 ハングル講座は、厳しくもあったが、とても楽しいクラスであった。仕事が暇な間だけのつもりであったが、やっぱり続けなければ。4月から火曜日以外毎日の診療に復帰する。6月からは火曜日も全部私の診療となる。はてさて、そんな状況で宿題がこなせるか、講座の始まりに間に合うか。しんどくなるだろうとは思うけれど、先生の人柄にほれているから。もう少しがんばってみようと思う。

 しかし、春休み中ももう、尋常ではないほど、どっさりと宿題が出ているのですよ。得意の切羽詰っての一夜付けなんて、まったく利かないほどに。

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「ヴァギナ・モノローグ」続き

 以前、例の「ヴァギナ・モノローグ」のお芝居を見に行って、その中で元弁護士の女性が、女性を喜ばせる職業に転職した、というその演技を見て、みんなが抱腹絶倒したという話を書いた。この水曜日に、その役者をした人にばったりと会ったのだ。私は、思わず「ああっ」と声を上げ、そして「ユーアーアアクトレス、ヴァジャイナ・モノローグ!」といってしまった。そしたら、(以下英語で)見に来てたのか、と聞かれ、ええ、行きましたとも。あなたの演技は、それは面白かった、と。あのお芝居全体はどうだったか、どこが一番面白かったか、とか、いろいろと聞かれて、やっとこさっとこ答えたのだが。

 驚いたのが、彼女は広島の人で、私は東京から来たのだとばかり思っていたのだけれど、それも、YMCAの英語の先生だったのだ。それどころか、あのお芝居にでていた、英語の演技をした人は、皆さん、YMCAの先生だったのだそうだ。それは知らなかった。でも、皆さん、堂々として、まるで役者さんみたいだったのだが。彼女も、それから中心になって語りなどをやっていた、指導役の人も、大学で演劇を学び、そして日本に来ているのだそうだから、さもありなんだった。ひとしきり彼女と話していたその時、まさにその時に、アマゾンに注文していた「ヴァギナ・モノローグ」の日本語訳が届いたのだ。

 うわあ、今来た来た、とその本を見せると、彼女も驚いていた。

 このたび、東京への往復の間にこれを読んだ。そして、英語が聞き取れなかったために芝居を見ただけではわからなかったことが、これで明らかになった。

 この本は、劇作家であるイヴ・エンスラーが200人の女性にインタビューし、劇の台本を書き、彼女自身でブロードウェイでひとり芝居をし、大反響を呼び、オビー賞を受賞。その後も役者は変わりながら、世界各地で上演され続けている。それを、このたび、YMCAの先生たちが中心になって、広島で上演したというわけだ。

 本を読んで、あらためて著者がボスニアに行き、女性たちに会い、そこのレイプ・キャンプで行われていた戦争の中でのレイプについての記述に戦慄を覚えた。

「最初のボスニア行きからニューヨークに戻った私は、怒りではちきれそうになっていた。ヨーロッパのど真ん中で,93年の一年間だけで、二万から七万もの女たちが、軍事的な目的でレイプされたのだ。なのに、誰もそれを止めようとしなかった。それは私の理解を越えていた。ある友達が言った。何を驚くことがあるのよ?アメリカでは毎年五十万人の女がレイプされているのよ。しかもこの国は、いちおう平和っていうことになっているのに。」

(注)レイプ・キャンプ:ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時、セルビア人側が民族浄化戦略の一環として行ったもの。セルビア人人口を増やす目的で、多くのイスラム教徒の女性が収容所に集められ、妊娠するまでセルビア兵によって繰り返しレイプされた。

 この女性のモノローグは、あまりに悲惨で、ここに記すのははばかられる。

 ただひとつ残念で、このことは、会った役者のYMCAの先生にも言ったのだが、日本の、広島の、ドメスティックバイオレンスにかかわったり、シェルターの仕事やボランティアをしている方たちが来ていなかったこと。その人たちにも見てもらいたかった。でも、たぶん、情宣がされていなかったのだと思う。私だって、見た後で、ことの重大さがはじめてわかったのだから。はじめからわかっていたら、私からも宣伝したのだけれど。これが、返す返すも残念だ。

 それにしても、こんな芝居をみんなでやりましょうと、実現させたYMCAの先生たちにあらためて、感動した次第だ。

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東京はサクラが満開です。

 一昨日パソコンをお引越しした。ちょっと前に買っていたのを、設定ができないままにどうしようかと思っていたら、河口さんの手配で、助っ人が現れた。若い男性で、シャカシャカサッサと何の物おじもせずに引越しをしてくれたのだ。頼もしい限りだった。

 でも、まだ新しいパソコンに慣れなくて。昨日おそるおそるブログを書いたら、何とみっともないことに、同じブログが五回もアップされてしまった。あわてて四つ消そうとしたら、なかなか消えてくれない。でも、これはちょうど私がパソコンを変えたのと、ココログのプロ、ベーシックが長時間のメンテナンスをしたのが重なっていたのだが、それが終わって、ブログのアップが集中したからかも知れないと私はひそかに思っている。

 そうこうしてたら、結局広島ブログのタイトルのところに、同じのが三つもならんで、みっともないったらありゃしない。

 それと、まだもたもたしていて、コメントのアップは携帯からできるのだが、お返事が書けていない。皆様、ごめんなさい。今晩中に必ず書きます。

 今、東京にいる。思春期学会の理事会で、今日飛行機で来た。理事会の前に二人の方に会う用事も作っていた。そして、お一人の方の家に向かうために、日暮里の駅に降りたら、サクラが満開だった。びっくりした。本当にきれいに咲いている。広島はまだまだだ。冷たい雨が降り続いて、昨夜なんて、本当に風が冷たかったもの。やまとの湯の露天風呂で頭が冷たくなったほどだ。

 やはり東京の温暖化は進んでいるのだと思う。これだけピルが立ち並んで、空調のガスを噴出したら、温暖にもなるだろうと思う。

 写真は、会議があった四谷の土手に咲いていた「そめいよしの」。本当に満開だ。

 さて、思春期学会の理事会、「コンドームを学校で教えられない」「中、高校生には、結婚するまでセックスをしないように、それをしっかり教えてくれ。そうでないと、医師の講演なんかいらない」といわれた、とかの声が上がった。コンドームは今、教育現場ではおしえてはならないとなってしまっている。

 高校を卒業して、大学生になったり、社会に出ると、こんなことを教えてくれる場なんてないのだから。将来に備えて、望まない妊娠や、性感染症の予防の方法を学校現場で教えておくことが大切なのに。いつまでも政治の世界では、まったく効果のないことをやろうとしている。

 それから、私の尊敬する堀口雅子先生が、「摂食障害」を学会としても取り上げるべきでないか、それと、性同一性障害や同性愛、染色体異常の子などが、思春期の胸を痛めているという現状がある。それらにも、思いをはせるべきだと発言されて、私は、拍手だった。

 なかなか学会というところは、難しい面もあるけれど、年配の重鎮の先生からこのような発言があることがうれしい。おかしいと思われるかも知れないけれど、このような学会の中では、私なんて、まだ若造の力を持たない医師の一人に過ぎないのだから。

 明日、広島に帰ります。帰ったらまたお話したいことがいっぱいあります。 20080327172639

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医療崩壊(6)終わりに・国は医療にお金を使うべき

さて、これらの現象は、おそらくこれからももっと続くであろう。ずっと以前からこのようなことは懸念されていたにもかかわらず、厚生労働省は、なんら有効な手段を取れないままでいる。今となっては、本当にどうすればいいのか、誰も、考えが及ばないのではないか。

 これは、考えてみるに、医療の問題のみならず、介護、福祉すべてにいえることである。今、政治をつかさどっているものには、国民の命を守る姿勢が見えない。国民あっての国家であるはずなのだが、今の為政者たちは、国民不在の国家の運営をおこなっている。

 弱者がどんどん切り捨てられている。鳴り物入りではじめられた介護保険も、昨年、その見直しがされたことにより、要介護の認定がとても厳しくなった。また、もっとも私が許せないと思うのは、脳卒中(脳梗塞や脳出血)で体や言葉が不自由になった人のリハビリが半年で打ち切りとなったことである。

 この病気は、不自由になった体を他の機能で代替するなどで、ゆっくりと機能を取り戻していく。何年もかかって、少しづつ改善する。改善するからこそ、多くの人が希望を持って、つらいリハビリを続けようとする。それが半年で打ち切りだ。それ以上リハビリを続けたければ、ご自分のお金でどうぞ、ということになった。要するに、お金のある人は、介護もリハビリも受けられ、お金のない人は半年で打ち切りで、不自由なまま生活をしなさい、ということになる。私は、このことを、参議院選挙に立候補したときに必死で訴えた。

 福祉にしてもしかり。障害者自立支援法の改悪により、体や心に不自由を抱えた人が作業所に通うのでさえ、負担金を払わなければならなくなった。作業所でいただくお金はほんのわずかで、負担金のほうが上回って、残念なのだけれど、それが生きがいで、行きたいのだけれど、作業所に行くと経済的に生活できなくなって、あきらめざるを得ないと涙をこぼす人にも出会った。

 それら、弱者切捨ての政策と連動して医療の崩壊があると見なければならない。医療単独の問題ではないのだ。国が国民の命をどう考えているかの問題なのだ。

 どうすれば、医療の崩壊を食い止めることが出来るのか。国が本気で取り組もうとしていない今、私たちにできること、それはやはりあらゆるところで声を上げることであろう。さまざまな機会を捉えて、すくなくとも、国が医療にお金を使うのは、当たり前なのだ、くらいのことは、言ってほしい。

 先進国たるもの、医療や福祉にお金がかるのは当たり前。医療費を押さえようとするのでなく、医療費が増えることは当然と、為政者が発想を変えるように。国民あってこその国。国民の命を守るのが政治をつかさどるものの責任である。(私は、医療、福祉、介護、そして教育にお金をしっかりかけるべきであると考えている)

 国が医療にしっかりお金をかけてくれたなら、何より人件費にお金を回すことができる。たくさんの医療者を雇うことができたなら、すくなくとも、疲れ果てての事故は防ぐことができるであろう。医療の現場で働く者が、せめて人間らしい生活ができるように。睡眠時間の確保、休日の確保ができるように。夜勤で徹夜をしたら、次の日は休んで睡眠がとれるようにすべきだ。

 さらに、医療事故の防止策を徹底すると同時に、もしも不幸にも事故が起きたときには、今のように、裁判に訴えることができる人のみが補償されうるのでなく、補償が平等に出来るような、何らかのシステムづくりが必要であろう。裁判に訴えるのは、大変な労力を要する。また、医学に不案内な人が、医療者側を論破し、裁判官を説得するのは、並大抵ではない。また、医療者側も、通常の勤務をつづけながら、裁判の資料集めなどの準備をしなければならないという大変な負担が大幅に軽減されるであろう。

 そのような改善がなされたなら、その時には、命が誕生するという感動的な現場に立ち会うことができる、充実した仕事に産婦人科医が戻って来るであろう。私は、今でも時々分娩を扱う産婦人科に手伝いに行くことがある。命の誕生は、本当に感動的で、今私が分娩をしない産婦人科医であることを寂しく思う。ほとんどの医師はやはり良心的で、人道的である。人の命を何とか助けたいと、志を持って医師になる。患者さんに感謝されれば、労力も喜びとなる。

 今、医療の現場では、それが空回りしてしまって、医療者側も、そして結果的に病気の人たち、これからお産をしようとする人たちに大きな負担を強いることになってしまっている。

 これらのことが、今、やっと論議され始めた所である。まだまだこの問題の解決には、長い年月を要するであろう。その間国民は、自らの病気や怪我や高齢になることや妊娠や出産について、どこでどう対応したらいいのか、自ら、防衛的に考えておかなければならない。

 今回でこのシリーズを終わります。はじめに断ったように、私は、医療の内部にいる産婦人科の医師です。医師の立場から、この問題を論じました。その点で、違和感や反感を持たれる方もあったことと思います。あくまでも数々の修羅場をかいくぐってきた、一医師の考えたこととして、お許しください。ご愛読ありがとうございました。

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医療崩壊(5)医師不足は産婦人科だけではない

 もう少し、医療事故について。(財)日本医療機能評価機構の医療事故防止センターが、行っている「医療事故情報収集等事業」の報告によると、報告義務対象医療機関273施設(国立病院機構や特定機能病院など)から、昨年一年間に1266の医療事故が報告され、うち142の死亡事故があったとのことである。科としては、整形外科、外科、内科の順に多く、場所としては、病室、手術室、検査室、トイレなど様々な所での事故である。このように、医療現場の事故はとても多い。だからこそ、単に医療者個人の問題にするのではなく、防止のためのシステムをつくって対応しなければ解決の方向には行かないということを示している。

 昨日述べた福島県の産婦人科医が逮捕された件、このドクターに対する検察の論告求刑は禁固一年、罰金10万円というものであった。彼が大量に出血する患者さんを必死で治療していた4時間は察するに余りあって、人ごとではなく、胸が痛い。しかし、検察の論告を読むと、あたかもすべての医療は、すべての患者さんの命を救うことが出来るべきである、という立場に立っている。

 医師とて不可能な場合はあるという、この観点が抜けている。家族は、法廷で、この医師にたいしての厳罰を望むと証言したという。判決はまだであるが、このドクターがもし刑事事件で有罪であるとの結果が出れば、おそらくまだまだこの医療崩壊は進むであろう。

 具体的には、医師は、どんどんと責任がある立場にはなりたくない、出来るだけリスクが少ない立場の医師を選択するということになるであろう。実は、産婦人科医はいる。でも、お産を扱う産婦人科医が激減しているということである。たとえば、私の様に。私の廻りには、いわゆるビル開業、外来患者さんのみを診るという産婦人科医が半径一キロ以内に12人もいる。入院患者さんを診ない。外来のみだと、そのリスクはとても少なくなる。私たちは、もうさんざん働いたあげくの開業であるが、若い人たちがはじめからそのような立場の医師になることを望むのは、残念である。

 救急医療も大変で、救急車のたらい回しが良く報道される。断った病院が悪いと言われても、多の患者さんを診ている最中に、ほかの患者さんをも診られないのは当然だ。激務の救急医も足りない。

 小児科医もしかり。小児科医は夜昼ないこどもの急患に常に対応することが求められる。また、物がしゃべられない、自分をちゃんと訴えることが出来ない子どもの場合、ちょっとしたことで容易に症状が悪化したりもする。それだけ医療事故に繋がりやすい。小児科医を希望する医師はこれも激減している。

 一方、ある美容整形外科医が、タレントとしてテレビに出ては、医師の仕事はとてもお金がもうかる、年収ウン千万円以上に人としか結婚しないというようなことを平気で公言している。楽をして、お金がもうかる職業の代表として医師があるかのような発言は不快である。

 また、刑事事件としての訴追は、医師だけでなく、看護師等他の医療者にも及んでいる。看護師の逮捕が度々報道されるようになった。責任が重く、勤務も不規則で、また子育てをしながら勤務出来る社会の体制も不十分である今、看護師の資格をもちながらも、看護師としての仕事に就かない者が増えている。どこの病院も看護師不足に悩まされている。この度、聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院は、看護師不足から、病棟を一つ閉鎖することになったと発表した。さまざまな環境が整っているはずの大学病院でさえ、しかりである。

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医療崩壊(4)医療事故

   あらゆることに事故はつきものである。医療もしかり。人は完全ではないし、医療も常に完璧ではない。あってはならない事ではあるが、しかし、人のすることである以上は皆無とはならない。

 全国の多くの病院で今、「ひやり、はっと」要するに、ひやりやはっとした、医療事故一歩手前の出来事を報告するように義務づけている。そこから、何らかの事故を起こさないシステム作りが考えられる。単に個人の問題でなく、医療事故を減らす為のシステムとしての改善への取り組みである。

 また、現在問題となっているC型肝炎の問題。これでも、当時は、お産で大量の出血があった場合には、多臓器不全にならないために、何よりもフィブリノーゲン製剤を使うように、と指導されていた。20年以上経つと、これがC型肝炎の原因となると分かった。このように、医療は恒に完璧ではないし、事故とは言えずとも、時間と共に、また医療の進歩とともに、新たな展開となり、流動的なことでもある。

 事故が起これば、当然トラブルとなる。医師として、私も事故や間違いがあった時には、とにかく隠さないで、きちんと説明をする事、そして誠意を尽くして、謝罪すべき事は謝罪をし、補償すべきものは補償をするいう、こんな当たり前の事をしたいと思って来た。素直に「ごめんなさい」を言うことが出来る、これが医療者側と患者さん側との信頼関係を作る基礎となるものであると。そう考えて来た。

 しかし、現実はそうはいかない。患者さんの側の激しい怒りの前に、ただうなだれるしかない。そんな医療の現場から逃げ出したくなる。

 さらに、現在、医療事故には、民事の補償だけでなく、刑事事件として逮捕、追求される時代となった。医療に警察や検事が関与する。

 福島県で、侵入胎盤の女性が亡くなり、医師が一年後に逮捕されるという事態が起きた。これには、日本中の産婦人科医が怒った。私自身も震え上がった。侵入胎盤は難しい。私でも、またどんなベテランのドクターでも、その患者さんを助ける事が出来たかどうか確信をもてない。全国の産婦人科医が逮捕は不当であると署名をした。

 この事件以来、全国の産婦人科医が一人で勤務している病院から、医師は一斉に引き上げた。二人以上の医師が勤務するところでしかお産を取り扱わなくなった。また、前々回に述べた広島県の病院の産婦人科の集約化、これは、三人以上の医師がいる所でのみお産を扱うということになっている。

 また、民事にしろ刑事にしろ、裁判に訴えた、または逮捕されたとの発表があるなり、マスコミにはまるでそのドクターが極悪非道な医師であるかのような報道がなされる。訴えられた者は、その報道がつらい。せめて、民事では、そのドクターに過失ありとはっきりしてから報道されるくらいの配慮があってしかるべきなのだが、訴えられた時点で、まるでそのドクターに責任ありと決まったかのような報道がされる。

 勤務が過酷な上に、常に民事訴訟や刑事事件で訴追される可能性がある科となったら、誰も産婦人科医なんてなりたくないと思うのは、極めて自然なことだ。

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医療崩壊(3)勤務医の仕事は過酷である。

 研修制度が変わった事に加え、確かに産婦人科は医師になろうとする者から嫌われている。その原因の一つは、やはり過酷な勤務状況がいやがられたといえるであろう。

 お産は夜昼問わない。また、妊婦には救急が伴う。出血した、お腹が痛い、という連絡は毎日のように入る。多くは経過をみていればすむ事なのだが、時には大事になることもあるので、放っておくことは出来ない。

 私の勤務医時代、私が初代の産婦人科医師として、大学病院から一人で赴任した。段々忙しくなって、医師もひとりずつ増え、その度に私は大学の教授にお願いして、女性のドクターを派遣してもらった。

 当時はまだまだ女の産婦人科医は少なく、まして子どもを産んで育てながら産婦人科医を続けるという先輩は、私のそばにはいなく、同僚に一人いるだけであった。また、出張病院(大学から若手のドクターを派遣してもらう病院をこう呼んだ)のドクターからは、女の医師は嫌われていた。堂々と「女医さんはいりません」と言う人もいた。女は妊娠するから、だそうな。産婦人科のドクターにそう言われたのでは、なにをか言わんやなのだが、それが現実であった。だから、私の所に女の後輩を取ることにした。

 女同士、力を合わせて働きましょう。勤務時間には目一杯働きましょう。時間が来たら、とにかく早く帰りましょう。子どもの保育所へのお迎えが間に合うように。ただ、毎日交代で当番を決め、その夜だけは、子どもをどうするか、これだけは自分で何とか対処をして。それはパートナーとの連携であったり、近くに親兄弟がいる場合はそちらのお世話になったり。

 私の場合は、大学病院時代は、保育所の友人同士でずいぶん助け合ったりもしたし、保育専門学校の学生さんに来てもらったりで、二重三重保育を余儀なくされていた。しかし、何と言っても広島市近郊に住む両親や姉妹にはずいぶん助けてもらった。大学から勤務医になった時には、子ども達もすでに小学生になり、保育園への送り迎えがないのだけ、楽にはなっていた。

 それでも、お産は月80。救急指定病院で、毎日のように救急車が飛び込んで来る。そして、夜通し働いても医師にはナースのような交代のシステムはない。朝からまた、同じように働くのが医師の義務である。ひどい時には、34時間ぶっ通しで働かなければならなかった。

 子どものご飯が作れない時には、病院に来させ、出前を取って食べさせた。病気になれば、病院に連れて来て、当直室に寝かせて働いた。さらに、私は責任者であったから、自分の当番でなくとも、後輩から呼ばれれば、飛んで行かなければならない。いつもパジャマは着ないで、ジャージの上下で寝て、そのまま飛び出せるようにしていた。電話がかかれば、自転車を飛ばし、3分後には分娩室に到着するようにした。睡眠時間は一日4時間あれば十分体は楽で、3時間だとしんどい、とそんなものだった。こんな生活を10年も続けたら、疲弊し切って、このままでは私は死んでしまう、と思ったものだ。開業を決意したのは、疲れ切っての事であった。

 いま、私のブログを読んだ人たちから、よく「忙しくて大変ですね」と言われる。しかし、この勤務医時代からくらべれば、今の生活なんて、天国だと思うほど、楽だ。それに、この勤務医の時代に寝ない習慣が付いてしまっているものだから、いまだに睡眠は少なくてすんでいる。

 そのような過酷な勤務でも、勤務医には献身的に働く事で、人助けをしているという大きな誇りがあり、それにより支えられていた。

 しかし、その誇りも、医療事故による患者さんとのトラブルがあると、吹っ飛んでしまう。たとえ、千人の患者さんに感謝されても、一人の人に恨まれると、その千人の感謝なんて、飛んでしまう。

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医療崩壊(2)大学の医局に医師がいなくなった

 大学の医局に新人のドクターが入局しなくなった。

 2004年より、厚生労働省は、大学を卒業し医師免許を取った者に二年間の研修を義務づけた。それまでにももちろん研修医というのはあったが、ある科に入局して、そこで研修を行っていた。しかし、今回の新しい制度では、大きい研修病院でいろいろな科を回って、研修をすることとなった。大学病院でローテーションをしながら研修をする者は大変少なくなった。東京などの都会の大病院が人気で、そこで研修をしようと望むなら、試験を受けなければならないほど新しいドクターが殺到する。

 二年の研修を終えても、あらためてどこかの大学に入局するよりも、そのまま大手の病院に残るなり、そこが無理なら、また試験を受けて、どこか別の病院で働かせてもらう。それら、大病院で勤務医を続けたいと望む者が多くなった。

 大学は、当然人手不足になる。大学では、文科省の方針もあり、基礎の研究が重視される。新人はほとんどが大学院生となり、研究をして博士号を取る。同時に臨床もしなければならない。当然、勤務は過酷となる。

 さらに、大学の使命として、これまで、地方の大手の病院に医局から医師を派遣するという大きな役目があった。いわゆる、大学の教授が人事権を握る、白い巨塔とも揶揄されて来たものである。その人事権が働かなくなった。入局者が少なく、派遣出来るだけの医師がいなくなったから。

 広島大学の産科婦人科学教室でも、今医局にいる医師は教授まで入れて、15人だそうだ。私たちの時代は常時30人はいた。この少ない人数で、手術、癌の化学療法、お産などの入院患者を診、救急患者を受け入れ、外来診察をし、さらに研究もしなければならない。外の病院に医師を派遣するゆとりはない。

 これは、全国の大学で起こっている現象である。どこの県でも、産婦人科医がいなくなって、お産が出来なくなったという病院が存在する。

 広島県でも、国立大竹病院、庄原日赤病院、JA府中総合病院、JA吉田総合病院、福山市民病院、県立安芸津病院、さらに広島市の福島生協病院、マツダ病院などがすでにお産を中止しており、さらに四月からは御調総合病院、呉市の大病院、呉共済病院までもがお産を取りやめることになった。あの、呉共済病院の産科がなくなるなどと、誰が想像しただろうか。

 これにより、たとえば県北の東城町に住む人などは、お産のためには、60キロも離れた三次市まで車で通わなければならなくなった。冬の凍結の時期は、それこそ命がけで車を運転すると聞いた。県西部の人も同じ状況になった。大竹市の人は、廿日市市か、お隣の山口県に行かないと、お産が出来ない。

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医療崩壊(1)医療費高騰、医師の偏在は本当か

 このシリーズは、「アジェンダ 未来への課題 第20号」(星雲社) 【特集「少子化ニッポン」の子育て事情】に、寄稿したものを加筆、修正し、ここにあらためて提示するものです。 

 ここに来て、日本の医療が崩壊すると危機感を持って議論されている。
その原因は、何よりも、政府の低医療費政策によるものだと考える。

 少子高齢化に伴い、高齢社会となって医療費が高騰し、国の経済を脅かすほどになっているという。その医療費を抑制する政策のために、中堅の病院、とりわけ多くの自治体の病院はのきなみ赤字となり、そのために人件費抑制に動く。勤務医は少ない人数で過酷な労働を強いられ、その結果さらに病院を辞めるものが増え、多くの病院で勤務医不足となっている。
 

 特に小児科、とりわけ小児救急と、産婦人科の医師が不足していると言われている。
 しかし、実際勤務医が不足しているのは、この二つの科だけでなく、外科医も麻酔科医もそして、地域によっては内科医も不足している。
 

 厚生労働省は、医師が都会に偏在しているから、地方によって、医師不足となっていると言う。
 

 しかしながら、医療費が高騰し、国の経済がおびやかされるほどになっているというのは、本当であろうか。たしかに、高齢者が増えれば、医療費は必然的に上がる。しかし、今、日本の医療費の対GDP(国内総生産)比はOECD(経済協力開発機構。ヨーロッパの国々を中心とし、アメリカ、日本などを含め30カ国の先進国が加盟する国際機関)諸国で30カ国中22位である。

 人口当たりの医師数もOECD平均より少ない。しかも、日本では医師の数は、医師免許を持っているものの数を医師の数として計算している。高齢で医師を辞めた者まで、あたかも医師の活動をしているかのごとく数に入れている。それでも他の先進国に比べて医師の数が平均より少ないのである。
 

 であるから、厚生労働省の言う医師の「偏在」ではなく医師の絶対数が不足しているわけだ。最近よく報道される「救急車のたらい回し」という出来事は、決して一部の地域に起こっていることではなく、全国的な現象でもある。
 

 それにもかかわらず、日本の医療は世界でもトップレベルであって、まさに医師、医療者の献身的な働きで、医療レベルが保たれているとも言える。

 さて、私は、勤務医を17年前にやめて、クリニックを開業している産婦人科の医師である。産婦人科医が不足しているというのは、医療界の内部にいても、ひしひしと実感することである。

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ずうずうしくバカな私・AQUA

 昨日、私は急いで欲しい本があって、紀伊国屋に行った。近くの本屋さんではなかったので、そこならあるかと思って。お目当ての本はやっぱり在庫がなく、結局アマゾンで買うことにした。他にも買いたい本があって店内をうろうろ。結局、あれこれ9300円分買ってしまった。

 今、AQUAでは「春のキャンペーン」とやらをやっていて、525円以上買った人には、抽選券を上げる、と。それも「ディズニーランド2泊3日の旅」だと。この前、京都の旅が当たった私は、よーし今回も、と思ったのだが、レジで、あれっ、抽選券をくれなかったのだ。あれ、レシートで抽選なのかなあと思って、2階の抽選会場まで行って見た。そしたら、みなさん、抽選券を持っている。ああ、本屋さんはだめなのか、なんだ、と思って、それでもと1階の案内所に行って聞いてみた。「紀伊国屋はだめなのですか」と。そしたらそんな事はない、と。でも、私は9300円も買ったのに、券をくれませんでしたよ、と。わざわざ両手の紙袋に入った重い本を上げてみせたのだけど。そしたら、案内の女性がとても困ったので、仕方がないね、と思って引いたのだ。

 でも、どうにも、もしかしてディズニーランドがと思うと、、、。で、結局また6階の「紀伊国屋」まで戻った。重い本の袋を下げて。そしてカウンターで、抽選券をもらえませんでした。私にも下さい、とレシートを見せて言ったのだ。そして、券をもらって抽選会場に。それも、いくら買っても、一枚だけなのよ。私は9300円だから18枚くらいもらえると思ったのに。

 ずいぶん沢山の人が並んでいた列の後ろに並んで、順番を待って、結局抽選でもらったのがこれ。行ったり来たりの労力とずうずうしいかなあ、との心労の果てが、ガム二粒だなんて。私はバカだと、自己嫌悪一杯だったのです。

20080321012214   先日、力を入れて書いた「医療崩壊」の原稿が載った本が届きました。明日から、そのシリーズを書きます。

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帽子(ブログがうまくいかなくて)

 少し遅ればせながらですが、昨夜の風はすごかったですね。雨も上がった事だしと、深夜、ウォーキングに出ました。コートは冬用のにしましたが、その風の冷たいこと。川沿いを歩くと、冷え切った川風が、びゅんびゅんと吹き付けます。二号線に出る頃から、ゴミ箱がひっくり返って本体とふたがバラバラに飛んでいたり、看板が倒れていたり、路上の自転車がなぎ倒されていたり、植木鉢まで倒れています。

 早足で歩きますが、とにかく寒い。耳が冷えて、そこからクビ、頬、頭まで冷えが拡がってとてもつらかったです。コートは着ていたもののの、真冬の様に帽子をかぶっていませんでした。真冬でも、帽子をすっぽり耳までかぶっていると、そんなに寒くはなかったのです。あらためて、帽子の防寒性を思い知りました。

 その帽子です。もう、防寒様の冬のはおしまいです。これからは、陽差しから守る、春夏用です。春夏用のブルーのは息子の妻に行きました。オレンジのは、意外にも娘が欲しいと言ったので、彼女のところに。これは、第三作目です。軽い黒の糸に銀色のラメが入っています。息子の卒業式から帰って自分で撮ったので、写真が良くありませんが、模様が入っています。ひさしが太陽を遮ってくれるでしょう。

よく見ると、コサージが少し切れています。ザンネン。ちゃんと入っていれば、帽子とコサージ、手作りのコラボレートとなったのに。

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実は、このブログ、同じ内容を書くのが3回目です。どうもうまく行きません。私のパソコンが悪いのか、ココログが不具合なのか。午後5時、9時、そして今と。写真のアップがどうしても出来ませんでした。今回はどうでしょうか。こんなに時間がかかってしまうと、とてもストレスになります。パソコンを新しく買ったのですが、まだ設定が出来ていません。それをしなければ、と思うだけで、うんざりです。これがうまくアップ出来なかったら、もう、どうしよう!              

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私のランチ事情

 今日は、診療の後、YMCAでのハングル講座。ここの所、先生のご都合で月曜日が水曜日に変更されることが多く、少々しんどい。でも、4月からは、火曜日を除いて私の診療になる。ハングル講座は月曜日のままだから、やはり診療の後の講座になるので、今からその訓練になると思って頑張っている。昨晩は英会話。その後やまとの湯。そしてハングルの宿題と予習。完全な寝不足で。

 今日は目一杯で、ご飯の後ついうとうとと寝てしまっていた。はっと目覚めて、ブログにとりかかる。今日中に間に合うかしら。

 今日は私のクリニックの周辺のランチ事情を。紙屋町というビジネス街の中心で、沢山のお店がランチを競ってくれている。各お店は大変だと思うが、利用者としてはありがたいことで。

 私は、たまあに残り物がある時にはお弁当を持って行く。夜、食事付きの会合がある時などは、お昼は軽く。ほとんどは、「ちから」の中華そばのミニを。夜何もないけれど、診療が一杯でお昼の時間がない時は、やはり「ちから」でカレーうどんか、天とじうどんを。昼に手術に出かける時など、もっと時間がない時は、すぐそばにワンコイン(1個100円)のパンやさんがあるので、そこでカレーパンと、もう一つ。そしてグレープフルーツジュースなどの飲み物を買って来てもらって、それを手術に行くタクシーの中などで食べる。

 とても時間があって、ちゃんと食べられる時は、

1.県民文化センター、鯉城会館の1階か地下でランチの日替わりを。1階は、サラダバイキングが付く。地下の日替わりはお袋の味が満載でうれしい。

2.喫茶「ゲートイン」の日替わりのことも。野菜がたっぷりと、おかずは必ずメインが二つはつく。

3.平和公園に行く橋のたもとにある「ズッキーニ」の日替わりは、お肉かお魚のメインを選ぶ。ご飯か、パンか、また少しお金を追加すればパエリアにしてもらえる。それから、かならずコーヒーか紅茶に、またデザートで手作りのアイスクリームなどがつく。

4.その向かいにあるカレー屋さんでは、レディースセットの焼きカレーがとってもおいしい。これには、スープ、サラダ、デザートのアイスクリーム、ヨーグルトも付く。

5.お客さんとランチをという時には、そごうの10階で、中華のバイキングか、イタリアンのバイキングか、加賀屋のランチか。たまあに、露庵のバイキングか。でも、これらは高価だし、夜ご飯は控えめにしないと、大変なことになる。高価ついでに、これもたまあに、子どもが帰って来た時など、アンデルセンで食べることも。でも、、、これらは、本当に年に何回かの物。

6.時々、新しいランチを開拓しようと、知らない所に行くことも。先日の冒険は大当たりだった。クリニックの前、県民文化センターの前の通りを南に下って右側にある「風土」。ここは、「OLランチ」800円と、セレブランチ1300円。当然OLランチを。飲み物は、ドリンクバーで。オレンジジュースやグレープフルーツジュースは、本物のジュース。まず、前菜が。なすの洋風煮物、ポテトサラダ、ミックスベジタブルのゼリー寄せ、タケノコの煮物など、ちまちまとお皿一杯におしゃれに出て来て。それからセットが。これが豪華で。鳥の唐揚げ、山菜の天ぷら、揚げ出し豆腐、イカと野菜のスープ仕立て、シジミとわかめのおみそ汁、などなど。食べきれないほど満載で、やっと食べ終わったと思ったら、デザートが運ばれて来て、びっくり。三月なので、と、桜のアイスクリームクレープ仕立てとの事。クレープの下にピンクのアイスクリームが隠れていた。ドリンクバーからコーヒーを持って来て。これで800円は安い。写真は風土のランチです。

ランチは、普通300円から800円まで。でも、少々安くても、コーヒーを飲むと800円を超えてしまうことが多いので、ズッキーニや風土では、結局安上がりとなる。まだ近所には、ここに書けなかった安くておいしい所が何カ所もある。また、おいおい第二弾を紹介します。

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モンゴルの少女テムーレンさんのコンサート

 今日は、今日の早くにあわててお知らせしたように、クリニックのお昼時間にモンゴルの少女、テムーレンさんのミニコンサートをしました。

 テムーレンさんは一年間の留学生活を終えて、モンゴルに帰ります。その直前のコンサートになりました。モンゴルのボランティアの取り組んでいる小川順子さんと共にクリニックに来られました。モンゴルから一年間の留学生、山陽女子高でのスカラシップを受け入れ続けて、彼女は6期生。広島への留学の条件は、日本語の3級の資格を持っていること、試験で優秀であること、そして、モンゴルの伝統芸能の一つは出来ること、というものだそうです。テムーレンさんは、「ヨーチン」を持って来ました。とても重い楽器です。日本の鉄琴に匹敵するといわれますが、でも、鍵盤に当たる物はなく、ピアノ線のような物が沢山貼ってあり、それを軽い竹?製のようなばちで叩いて音を出します。アジア独特の音でとても美しい音色です。

 広い草原を馬で走っているようなイメージのモンゴルの音楽二曲、そして日本の「ふるさと」や「浜千鳥」などの演奏、そしてモンゴルの音楽で踊りを見せてもらいました。とてものびのびした、かわいい踊りです。美しい衣装、帽子にはパールの飾りが額のマユの上と、横には三つ編みのように二本下がっています。

 写真は、「ヨーチン」を引いている姿、踊りを踊っている所、みんなにモンゴルについてお話しているところ。そして後で楽器を取り囲んでみんなが変わる変わる叩いたりしている所。中心に座っているのが、私の今朝のブログを見て駆けつけて下さったshiozyさんです。18人の観客のミニミニコンサートでしたが、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。これからのテムーレンさんの活躍をお祈りします。

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今日、モンゴルの少女のミニコンサートをします

 昨日のブログでご紹介をしようと思っていたのに、つい忘れてしまいました。(年齢のせいかも。なさけない!)

 本日18日火曜日、午後1時過ぎから(正確には、外来診療がすんでから)、以前書いたモンゴルの少女、テムーレンさんの歌、踊り、楽器演奏などのミニコンサートを河野産婦人科クリニックの待合室で行います。彼女は一年間の広島での留学を終え、来週月曜日にはモンゴルに帰ります。広島滞在中、あちらこちらでミニコンサートをして、ずいぶん多くの人に喜ばれました。

 どなたでも、お時間のある方は、どうぞ見に来てください。河野産婦人科クリニックは、広島市中区紙屋町。県民文化センターの向かい側、1階に広島信用金庫のある大野ビルの5階です。

 モンゴルの音楽は、郷愁があってなかなかいいですよ。衣装も素敵だし。

 今日の今日のご案内で、本当にすみません。どうぞよろしくお願いします。

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VDAY HIROSHIMA2008

一昨日の「VDAY」HIROSHIMA2008について。ほとんど英語、ちょっとだけ日本語の演劇というか、朗読により構成されてるお芝居。英語がもっとわかったらもっとおもしろかったでしょうが。残念ながら私の実力では、聞き取れたのは、半分以下。以下、パンフレットを引用しながら。

 V-Dayとは? 女性や少女に対する暴力盆滅を目的としたグローバルな運動のこと。強姦や暴行、近親姦、女性気の暴力的切除(縫合)、性的奴隷制度を含めた女性に対する暴力を阻止することを目的としている。これらの利益は、アムネスティ・インタナショナルのストップ暴力キャンペーンや地域の女性シェルターに寄付されている。

 広島では、イヴ・エンスラーの書いた「ヴァギナ・モノローグ」を二ヶ国語で上演した。「ヴァギナ・モノローグ」とは、200人のさまざまな女性にインタビューした、性の記憶や体験を記録したものである。

 悲しい怖い話だけでなく、とても幸せだった話や、おっかしくて、大笑いする話も。

 セルビア兵に犯されたボスニアの女性のモノローグ。緑の野のように平和だった自分のヴァギナが残虐に汚されていく様子が衝撃的に描写された。ヘアを剃れという夫にしたがったけれど、その不快感から以後抗ったために、暴力を振るわれた女性のモノローグ。少女時代のひとつの体験がトラウマになり、一生セックスしないですごしてきたという老婦人の打ち明け話。性器を上手に愛してくれる彼との一夜で自分のヴァギナ感がポジティブに変わったという幸せな体験談。圧巻は、女性を喜ばせるのが好きな女性弁護士さんが、女性を感じさせる商売人に転進した話。道具や環境、自分のスキルを駆使して、それに調教されるように、二人の女性がさまざまなオーガズムの声を展開して、これには、本当に大笑だった。

 中でも、印象に残った話を。

 世界では少なくとも、3人に1人の女性や少女たちが人生の中で性的暴力を振るわれたり、肉体的暴力を振るわれている。

 世界には、(主にアフリカの国々で)約1億から1億4000万人もの女性や少女たちが女性器の切除や縫合を受けている。(女性が性を楽しむことがないように、クリトリスや性器全体を切り取ること。今の社会でも行われている)

 日本では。内閣府の調査では、日本女性の5人に1人が、夫または恋人から肉体的な暴行を受けたり、性行為を強要されたり、脅迫されるという被害を体験している。1997年には1600件だったレイプ事件が2001年には2228件と40%も増加している。

 広島では。2007年、ドメスティックバイオレンス(身近な人からの暴力)についてカウンセリングを希望した女性は広島県内で6413人。そのうち、2199人の女性が1対1のカウンセリングを希望している。電話でカウンセリングを受けた女性は4214人。また、142人の女性が安全を求めて実際に家を出て、シェルターに移った。

 アメリカの話。「アラバマ、テキサス、ミシシッピ、ジョージア、ルイジアナ、バージニア、インディアナの7つの州では、女性用のバイブレータを販売すると、5000ドルの罰金と3年の懲役となる。銃を持つことは合法なのに、バイブは違法。危険なのはどちらでしょうね。バイブで大量殺戮なんて聞いたことないですよね。」

 レイプや、暴力などの性のマイナス面だけでなく、平和な世界で、男性も女性もともに性を楽しむことができるなら、という大変おおらかな、楽しい、しかし、さまざまな重いものを胸に残す芝居だった。そして、なんらかの行動を起こすように、みんなには何ができるかという提言もあった。

 残念だったのは、観客の多くが多分アメリカ人か、その人たちに関係のある日本人だったこと。せっかくだったので、もっと日本人のたとえばシェルターに関係のある人たちやカウンセラーの方たちにも広がるとよかったのに、と思った。

 それから、土曜日の午後7時から10時半までとなっていて、必死で診療を終えて、パンをかじって、7時3分前に到着したのだけれど。始まったのが8時5分。もう、参ってしまった。皆さん、久しぶりの人たちに会って、ビールなんぞを飲みながら、楽しく語り合って(もちろん英語で)その時間が入っていたのでしょうが。私なんか、一人りでポケッと。ああ、時間が勿体ないとおもいながら。だんだん腹がたってきて、もう帰ろうと思ったら、始まったの。こんなのがアメリカ風で、日本だと、一分もたがわず始まるのが当たり前みたいに慣れている、私の感覚がおかしいのかも。でも、、、それなら、まだいっぱい残っている仕事をやって、ちゃんと夕飯も食べて、8時に行けばよかったのに。と、そう思った次第。

広島ブログ

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今日は親ばかでした。

 今日は、親バカをして来ました。昨夜、夫が朝5時半に起きないといけないよ、と言いました。式は10時からなんだから、それくらい早く出ないと、と。冗談じゃない、7時半に出れば大丈夫よ。と言ったのですが、結局6時に目覚ましを掛けて2時に寝ました。と、眠れません。あれ、眠れないわ。睡眠薬を飲もうか、と思ったのですが、そしたら起きられないと困ります。で、この前風邪を引いた時に飲んで残っていた、お湯に溶かして飲むタイプの風邪薬、これを飲むととても良く眠れるのですが、それを飲みました。そしたら、すぐに眠っていました。

 朝、目覚ましで起きて寝覚めのコーヒー飲んでいたら、「そんなにのんびりしていたら早く起きた意味がないじゃないの」と、せかされます。遅く出てスピードを出して、事故でもおきたらいけんでしょう、遅刻してもいけんでしょう、と。やいのやいのととてもうるさくって。で、結局7時に家を出ました。出る時に、「おめでとうと言っておいて。」だそうです。そんなんだったら、一緒に行けばいいのにと思いました。

 そうそう、手作りのコサージ、しっかり霧をふいて、ナイロン袋にいれて冷蔵庫に置いていたら、全くきれいなままでした。黒のスーツにとても良くにあったと思います。ちょっと得意でした。

 途中二カ所のパーキングで休んで、ガムを買ったり、ドリンクを買って飲んだりのんびりしました。やはりちょっと眠かったりしたもので。でも、何とハングル講座を聴こうとして、間違って出たのが、もうずっと前にCDを買って聞いて、その時に論音されていた「あやのこうじきみまろ」のライブだったのです。聞いていたら、もうおかしくっておかしくって。けらけらと笑っていたら、眠けなんて、すっかり飛んで行ってしまいました。いいお天気だし、快適なドライブで、結局9時10分に会場についてしまいました。

 卒業生の女性達は一人を除いてみんな袴姿です。私たちの頃は、着物姿は少しありましたが、袴はありませんでした。今、すっかり袴になっているのですね。一人だけ、チマチョゴリの女性がいました。ピンクと赤で、とっても美しかったです。でも、みんなが写真を撮っているのを見ていて気づいたのですが、袴姿とチマチョゴリの姿は、並んでみると本当にそっくりなのですね。両方とも、ウエストではなく、胸の下が切り替えになっているのです。そして、多くの人がご夫婦で出席されていました。やっぱり!

 卒業式は、結構いいお話もあって、感動でした。特に理事長の「世界には、紛争や貧困で病気になったり障害を持った人が沢山います。その人たちの心に光りをあてて、世界を相手に活躍していただきたい」と、なかなかスケールの大きい言葉もありました。女性の学園長からは、スエーデン、デンマークの修学旅行に行った時、大変礼儀正しい学生達だと絶賛されたというお褒めの言葉もあったりして、保護者としてもうれしい物がありました。

 式が済んで、お世話になった先生達に息子と二人で挨拶に行って、私はすぐに帰りました。卒業生たちは、まだ学校で用があり、夜は謝恩会などで忙しいのです。いつまでも親に関わってはいられません。息子は、このまま広島に帰ることもなく、東京に引っ越しです。そしていよいよ社会人としての生活が始まります。それじゃあね、頑張ってね、とだけ言って別れました。あっさりしたものです。

 ほんの一時間ほどの式に出席しただけですが、私は多いに満足して帰りました。帰りもとてもいいお天気。車の中は暑くて、冷房が必要でした。また、つい眠気が来そうで、またまた「あやのこうじきみまろ」です。この人は、ほんとうにおかしい。ここまで年寄りをばかにして、その年寄りに人気があるのだから、不思議なものです。でも、私も含めて、当事者だから笑えるのですね。もっと若い人たちがこれを聞いて笑ったら、笑った人に対して、腹が立つでしょう。

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コサージを作りました。

 昨日の夜は、毎月一回、楽しみにしているkei.先生の「花とお茶の時間を楽しむレッスン」の日でした。今回は「かんたんコサージをつくろう!!」でした。生花を使って胸に着けるコサージを作るのです。かんたんコサージということでしたが、全然簡単ではなく悪戦苦闘。お花にワイヤーを通したり(それもお花に寄って通し方が全然違うのです)茎の切り口をコットンでくるんで水を含ませて、それとワイヤーを一緒に緑のテープで巻いたり。本当に大変でした。コサージってこんなにして作るんだ!と、本当に初体験で。

 で、出来たのがこれです。とても素敵なのが出来たと思います。kei.先生のおかげです。

20080314210809_2 明日日曜日は、息子の卒業式です。これを着けて行こうと思います。「卒業式に丁度いい」とつぶやいたら、夫が「30才も過ぎたいい年をした男に、そんな物つけさせなさんなや」と、にくにくしげにいったのですよ!私はびっくりして、「まあ、○○に着けさせるのではないわ。私がつけるんだわ。」と言いました。

 それより、夫は、卒業式に私が参加するのが気にいらないのです。それこそ、いい年をした男の卒業式なんて、なのだそうです。自分の大学の卒業式なんて、絶対に親なんかに来て欲しくなかったと。私もそう。私も卒業式なんて、親は来ませんでした。でも、私は今回だけは行きたいのです。私は、ずっと仕事をしていて、子どもたちの卒業式なんて、ほとんど行っていません。今回が、もう人生のうちで最後の卒業式でしょう。

 もしかすると、夫は、卒業式に行くことよりも、息子が方向転換して、それこそいい年をしてまた学校に入り直したことが気に入らなかったのかも知れません。でも、私は、息子は良く頑張ったと思っています。何回も言いますが、いい年をしてまた学校に入って、資格を取る所まで、良くやったと。(もっとも、国家試験の結果がまだ出ていませんが)。そして、学校の先生にそっとお礼の頭を下げて来たいと思っています。私もこれで肩の荷が一つ降りました。今日聞いたのですが、息子は何か知らないけれど、卒業式で表彰されると言っていました。何なのか楽しみです。

 今日の夜は近くまで行ってホテルに泊まって明日の朝からの式に出たいと思ったのですが、今夜、「V-Day Hiroshima2008」というイベントで、「The VaginaMonologues」という演劇を見に行きました。そのために、夜中の移動はやめて、明日朝早く起きて行くことにしました。今日の演劇については、また書きます。とってもおもしろかったので。明日は、ぜったいに早く起きなければ!です。

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さとまさこさんのコンサート

 私は中学、高校、大学と演劇に熱中した。学校の部活だけでなく、RCCドラマグループでも、多くの社会人の方たち共に舞台を作った。その若かりしころの演劇仲間とは、今もずっと交流がある。特に観音高校演劇部OB会の仲間は、とても絆が強く、ずっと仲良しが続いている。私の選挙の時にも、ずいぶんたくさんの仲間が駆けつけてくれた。その仲間の大切な一人、広島テレビの脇田義信さんが亡くなってさびしくなったけれど、それでも残ったものの絆は変らない。

 さて、その大切な仲間の一人、後輩の里博康のお嬢さんのコンサートが開かれる。サトイモの会ブログ さとまさこさんは、生後10ヶ月で高熱による痙攣で生死をさまよい、命はたすかったが、知的障害が残った。中学校の養護学級に通っている時から、突然お姉さんが弾いていたピアノを弾き始めた。そして、独学でピアノを弾き、作曲もするようになった。そのCD「わたしのあおぞら」は、本当に美しい曲満載で、すっかり心が癒される。しかし、いやし系だけでなく、神楽を見に行った後、「カ・グ・ラ」という新境地の曲ができた!と弾いて見せた。そのうち、ピアノと同時にピアニカも弾くようになり、「被爆アオギリに捧げる曲」も作った。

 セラピスト☆マリリンさんのお嬢さんのさやさや絵本の詩をよんで、即、即興の曲を作って演奏もした。まさこさんとさやちゃんの出会いについては、マリリンさんのブログ チャイルドセラピーを呼んでいただけるとうれしい。

 これまで、廿日市市を中心にボランティアで介護施設などでピアノを弾いてきたが、このたび初コンサートだ。主催は、音楽団体 広島シューレ。3月30日(日)15時から17時。アルパーク天満屋1階レストラン「ティア」で。男性3000円女性2000円。ビュッフェ形式の食事、飲み物つき。連絡先082-292-7738こちらで予約をしてください。

 本当に感動し、癒されること請け合いです。さやちゃんの詩の曲も演奏されます。おそらく、マリリンさんの詩の朗読つきとなるでしょう。

 と皆様にお知らせしておいて残念なのですが、私は、当日、東広島で講演です。参加できなくて、本当に残念。どうぞ皆様、参加してまさこさんやさやちゃんや、お二人のご家族を励ましてあげてくださいませ。それどころか、ご自分が力をいただけること請け合いです。どうぞ、よろしくお願いします。

広島ブログ

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養護施設にて

 今日木曜日は休診の講演の日でした。朝から、県内のある養護施設に行きました。そこの職員の皆様に「性教育のすすめかた」というテーマで話しました。養護施設で育つ子どもたちにとって、この施設が家庭です。家庭の中で自然に体や性が学べる環境をどう作れば良いのか。私の話がどれだけお役に立ったかは分かりません。が、施設を出ると、即、社会に出ることが多い彼女、彼らが、十分に力を付けて欲しい、と願います。

 もう10年以上前。いろいろな職業の者が何人かが集まって、ボランティアをしていたことがあります。養護施設を出て、一人暮らしをする人たちを支援しよう、と。そこで、本を作りました。「一人暮らしのいきいきハンドブック」という本です。一人暮らしをするために必要な事を満載しました。アパートの探し方、借り方、役場の届けの方法、仕事の探し方(転職の場合)、ご飯の炊き方、みそ汁の作り方、洗濯の仕方、等々。そして、私は、「心と体」編を担当しました。

 恋人が出来た時。セックスをしようと思った時(妊娠してもいいのかどうか、だめなのなら避妊はどうするのか、二人で話し合うことの必要など。もっといろいろと。)もしも、妊娠したら。産むのなら、何が必要か。産めないのなら、人工中絶のために必要なこと。病院の行き方。などなど。もちろん、避妊の方法。コンドームの使い方、なども。

 そして、これらの本とパジャマを養護施設から独立する人たちに渡していました。その他、運転免許を取りたい人たちへの資金の援助なども。資金作りも兼ねて、いろいろな人たちを呼んで、講演会もしました。今、あらためて、懐かしく思い出します。

 今日の施設に、その本を一冊、持って行きました。古い本ですが、どこか役に立つ所があれば、コピーでもして使ってもらったら、と思って。それから、性教育関係の本や、初経教育セットや、例の「絶対漏れないショーツになったナプキン」のサンプルや、エイズ予防のキャンペーン用のコンドームなど、いろいろとおみやげに持って行きました。

 そして、あらためて、古くなったそれらの本をまた手を入れて、作りなおしたらいいのになあ、と思いました。施設を出た人たちだけでなく、大学生になって一人暮らしをする人にも十分必要で役に立つ本だと思ったのです。でも、それらの本作りに必要な資金の問題などもありますので、そうたやすいことではありません。

 お昼ご飯をごちそうになりました。ハヤシライスでした。そのご飯がとてもおいしくて、びっくりしました。食べながら、職員の皆様とお話をしました。やっぱり、いろいろと教えておいてあげなければ。社会に出ると、そして一人暮らしをすると、誰もこんなことは教えてくれません。社会に蔓延している、ウソだらけの情報のみから学び、行動を取るようになってしまいます。今、学校現場では、ほとんど性教育が出来ない状況になっているので、なおさらです。

 また、昔のメンバーに本を作りませんか、と、声をかけてみようか、と思いながら帰った次第です。

 

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チマチョゴリ初体験です。

 昨日の続きをちょっとだけ。思春期の始まりは話しましたが、ではいつまで?一般的に言えるのは、18才くらいまでなのですが、これも個人差があります。だいたいは、高校2年の終わりくらいになると、だいぶ落ち着いて来ます。親子の間でも落ち着いて話ができるようになることが多いと、これはあくまでも一般論ですが。

 この思春期にしっかりと孤独を味わったり、親に反発したりして、それを通り越して大人になって行くのですが、このような思春期をまともに過ごすことが出来ないと、難しい大人になってしまいます。例えば、いつまでも親にいいなりの「いい子」で過ごした場合。大人になってから、いきなりとても難しい反抗をしたりすることがあります。いわゆる反抗期がないまま大人になった人ですね。

 または、親への反抗がそのまま、強力な誰かと絆を深めてしまった場合。ある種の宗教団体だとか、暴力団の下請けのグループだとか。これも、なかなか引き離すのが難しいことになってしまうことがあります。

 これらは、特殊なことのように思われますが、でも社会には、我が子がそうなってしまって、とても苦しんでいる大人の方は沢山いらっしゃいます。私は、そのような気配が見えた時には、何が何でも親が頑張って早く手を打ったほうがいと思っています。親だけではどうにもならない時には、誰かの手を借りてでも。

 が、そうならないためにも、子どもの時代にしっかりとかわいがって絆を深めておいて欲しい、そのかわいがられた記憶を植え付けて欲しいと思っています。その記憶は、一生の宝物になります。くれぐれも、子育てはしつけだなんて思わないで。こどもの虐待で検挙された人たちは、その多くがしつけだったと言っているのを見なければなりません。

 一般的には、難しい思春期の対応は、「高2の終わりになったら落ち着くから。」それまで頑張って!と私は言い続けています。

 さて、これで思春期については終わります。少し、近況のご報告を。まず、うれしい事。スーパーマーケットの懸賞に当たりました。京都旅行です。私、講演などで京都にはよく行っていますが、旅行なんてほど遠い、観光などしたことがありません。ただで京都の観光旅行が出来るのです。私、こんなうれしいことは本当にないのです。何日かの間で自分の都合のいい日を選べるので、私も参加出来ます。懸賞なんて、めったに当たらない物ですが、でも、応募してみるものだと思いました。

 それから、今日、スタッフの歓送迎会をしました。「333」での韓国料理です。そこで、チマチョゴリを着せてもらいました。着た者集合!です。初めて着たのですが、チマチョゴリって本当にきれいですね。着てみて、あらためてうっとりしました。もちろん、お料理もおいしくって。盛りだくさんのメニューに、韓国旅行を思い出しながらみんなで楽しみました。

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思春期っていつからなのでしょう。

 ところで、「思春期」っていったいいつごろからなのでしょうか。「第二次性徴」のはじまりから。とされているのですが、これには個人差があります。でも、その第二次性徴は、「バストの変化」から始まることが多いのですね。女性の皆様も覚えがあるでしょう。おっぱいになんかくりくりとしたものができて、触ると痛い。これは何か病気ではないかと思っていたら、それがだんだんと大きくなって、と。それが第二次性徴のはじまりなのですね。

 そして、そのおっぱいのくりくりは、小学校の二年生や三年生かころから始まる人が多いのです。どうも、第二次性徴は初経があったときと思われていることが多いのですが。それより早いのですね。だから、お嬢さんが小学校に入学した、思春期はまだまだと思っていても、以外と早いものなのだと言うことを知っておくべきです。

 初経は、今は学校では小4で教えるようになっています。でも、それまでに始まってしまう子もあります。早い子は3年生で。うんと早い子は2年生で始まった子もいます。これはさすがに少々痛々しかったですね。知らないうちに始まることは避けたいですね。びっくりするだけでなく、とてもショックを受けます。

 できれば2年生までに教えてあげればいいのですが。以前にも言ったのですが、男の子も精通年齢は低年齢化しています。小4で約10%。小学校で射精にいたるマスターベーションをしている子は半数近くいるのですね。

 でも、どうも親は、自分の子の二次性徴は遅いと思っているようです。実は、「遅いと思いたい」のでしょう。また、赤ちゃんのときからいつもずっと一緒にいると、わが子の成長が見えないということもあります。「いつまでも子供でいてほしい」という思いなのかも知れません。

 私は、保護者や学校の教師などに話をするときに、本を持って生きます。必要な方に購入していただきたいと。その中に、思春期を迎える子供のために、体の発育や命の誕生、性犯罪からの防衛など、教えたいことを「漫画」にした本もあります。大体、小3か4の子に読んでほしいと。先日、保護者の方が、娘のためにと、その本を買おうとされました。「お嬢様はおいくつでらっしゃいますか」とたずねたら、19歳なのだそうです。「これは、小学生用ですから」と申し上げました。そしたら、「でもうちの子はまだねんねですから」といわれます。

 親というのは、こんなものなのでしょう。ところで、性教育の講演をする人の中に、「自分の子が射精があったことだけはちゃんと知っておくように」といわれる方があります。「パンツをちゃんと調べなさい」と。

 私は、子供のパンツをしげしげと調べる親なんて、ぞっとします。女の子でも、男の子でも、お風呂に入ったときに「パンツと靴下」は「自分で洗いなさい」とそういう決まりにしておいたら、子どもたちはどんなに助かるだろうかと思います。お洗濯の仕方を2年生くらいから、お風呂の中で教えるのです。まだ精通や初経の前に。または、自分でさっと洗ったあとで、洗濯機の中に入れて置きなさい、とか。要するに、汚れた下着を親の目に触れなくともいいようにしてあげること。もしも、血液で汚れた下着を上手に洗えなかったら、そのときには、お母さんに頼んでもいいでしょう。頼める関係を作っておくということですね。

 これは、なんどもいいますが、子どもにもプライバシーはあるということなのです。それを大切にした上で、SOSを求められる関係を作っておく。それは、思春期(以外と早くやってくるのですから)の前に作っておく、大切なことなのだと思います。

広島ブログ

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昨日の続きです

 少しだけ昨日の続きを。「何でも話し合える関係」というのは、子どもが小さい時。それから、大きくなった時。でも、思春期は無理です。親などの大人社会に厳しい批判の目を向け、かつ自分自身の世界を作り始める。これが思春期です。しゃべらなくなるのが当たり前なのです。

 思春期前にすなわち子どもがうんと小さい時は、しっかりとかわいがって上げること。良く話しをすること。質問に対しても、決して面倒くさがらないで、ちゃんとおめめを見ながら本当のことを答えて上げること。小さいうちに、ちゃんと話しをする関係を作っておくことが大切なのです。

 思春期というのは、実は本人もとてもつらいのです。大人社会が汚く見えるのと同時に、自分自身にも厳しい目を向けます。気持は不安定で、泣きたくなったり、腹が立ったり。時には、自殺を考えることも。そのつらい時に、親に何でもしゃべりはしません。でも、幼い時にかわいがってもらったその記憶はしっかりと残っています。それによって、この不安定な時を乗り越えられるのだと思います。

 そうですね。思春期は、親子ともどもしんどい時だと思っていいのです。でも、親はやはり大人なのですから、包容力を持って子どものことを見守って上げるべきだと思います。

 自分の思い通りにならない子どもに対して、まるで憎んでいるかのような言動を取る親もいます。高校生で妊娠してしまった女の子を「階段から突き落としてやろうかと思った」と言った人もいました。

「かわいそうに」と私は言いました。「今、つらいのは彼女なんだから。彼女を助けてあげようとは思いませんか。」と。

 自分の知らないうちに人工中絶をしていたと、ひどく怒った親もいます。なぜ彼女が母親に言えなかったのか、そこを考えて欲しいのですが。

 彼氏と別れろ、の一点張りの人もいます。人工中絶というつらい思いをして、立ち直るプロセスでは、その相手の男性が立ち直りの力になる事だってあり得ます。このしんどい時に、より孤独にさせるというのは、ますます彼女を追い込んでしまうことにもなります。

 拒食症にかかった子どもに、ただ食べろ食べろと言い続けるだけの親もいます。なぜそうなってしまったのか、そこに自分達親の問題はなかったか、と、考えて欲しいのですが。自分達のことは飛んでしまって、ただ、こどもだけが悪いかのように。

 もちろん、親ですから、みなさん子どもはかわいいのです。かわいさ故の言動なのですが、そんな表面に現れた言動では、こどもに愛情が伝わらないのです。あくまでも表に出たものがこどもには見えるわけですから。

 その難しい思春期を乗り越えるためにも、だから、小さいうちから「助けるよ」と言っておいて欲しいのです。性的な事だけではありません。友人関係やいじめや教師と合わない事や進路や、いろいろな事に子ども達は悩んでいます。そして、思春期の悩みは、大人になった時には、どうしてこんなことであんなに悩んだろうかという、些細なことでもうんと大きく増幅されてしまいます。

 その心の内を知ろうとしても無理。自分は子どものすべてを知っている訳ではないのです。でも、しんどい時には、自分を頼って欲しい。この言葉を思春期に入る前からぜひ伝えて置いて欲しいのです。

 やっとの思いで、親にSOSを求めることが出来て、そして問題がするすると解決して行って、結果的に「良かったね。でも、もっと早く言えたら、ここまで苦しむこともなかったよね。つらいことがあった時には、親がちゃんと助けてくれるということがこれで分かったよね。」と言ったことも何度もあります。

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思春期のこどもの子育てへの提言

 焼き肉を沢山食べて娘と別れて、ホテルに入りました。明日、例の「避妊教育ネットワーク」の会合があります。全国の性教育に取り組んでいる産婦人科医の集まりです。ずっと前にお話した、みんなでやった性感染症の調査結果の検討などがあります。和気あいあいとした、とても楽しい会なので、できる限り参加しています。終わるとすぐに広島に帰ります。みんな、そこで力を得て、また全国に散って行くのです。

 昨日私が話した「いい子ほど大変な事態になってしまう」ということについて。今や家庭的に問題のある、いわゆる寂しい子が、早くから性行動を取るというのは、過去のことになってしまっています。どんなにしっかりした家庭の子でも、それから勉強のよく出来る子でも、大変なことになってしまったのを何人も見て来ました。祖手して、一旦そんな事態がおこると、なかなか親には言えないのです。どうしてもおかしいと母親が問いつめても、強く否定し続けて、そして、とうとう臨月になってしまったという少女もいました。

 でも、彼女たちに共通しているのは、やはり無知であるということ。これまで、さんざん語って来ました。無知であるが故にカジュアルに行動を取ってしまう。取った後で、そして大変なことになった時に、初めて自分の甘さを知るのです。だから、性教育を。まともな情報をしっかりと真っ正面から伝えなければならないのです。しっかりした子は、行動を取らないだろうと思うのは、間違いなのです。

 私は、大人達に言いたいのです。思春期のこどものすべてを知ろうと思うのは、無理なことなのです。思春期というのは、親に知られたくない物を持っている。だから、親が、こどものすべてを知っている訳ではありません。中には、こどものことを知ろうとして、こっそり日記をよんだり、今だったらさしずめメールですね。人から来たメールをこっそり読んだり。そして、自分が秘密にしておきたい物を盗み見されたことに気づくと、子ども達はひどく傷つきます。

 でも、、、日記をみないと分からない。親にウソばっかりついて。何しているのか分からないではありませんか。こう涙ぐむお母さんもいます。私は言います。

 お母さんね。こどもが中学生にもなったらね。こどものすべてを知ろうと思うのがもう無理なんよ。思春期というのはね、親に知られたくない心を持っている。それが思春期なのよ。大切なことは、こどものすべてを知ろうとする事ではないのではないかね。そうでなくって、「私はこどものすべてを知っている訳ではない」ということを認識すること。こどもは私の知らない物を持っていると。寂しいけどね。それを認識した上で、こどもとの関係を作って行かないといけないのではないかね。

 その上で。私の場合。娘が小学校4年生のときから、私に作文を見せなくなリました。先生には提出するのに、私には見せてくれない。あ、始まったな、と思いました。そのときからです。私は娘に言いました。見せたくない物は見せなくていい、と。私にも覚えがあるから。おばあちゃんにこっそり見られていやだった事があるからね。私は、あなたが見せたくない物をこっそり見るということは、絶対しない。学校からの親へのおてがみなんか、これはあなたがちゃんと責任をもってわたしてよ。それさえ守ってくれたなら、私はあなたがいない時にこっそりランドセルの中をさがして見るということは、絶対に、ぜったたいにしないから。信じていいよ。

 でもね、覚えておいて。あなたがこれから生きて行く時にね、いろいろとつらいことがあるよ。進路の事とか、お友達のこととか、壁にぶち当たってね、どうしていいか分からない、自殺したくなることだってあるかも知れない。そのときにはね、ここに、相談相手がいるよ。私は、あなたの親なんだから。あなたが困った時には、なにをしてでも、あなたのことを助けて上げたいと思う。どうしたらいいか一緒に考えることができると思う。だから、困った時には、ここに相談相手がいるというこのことだけは忘れないでね。

 この、「何かあったら、助けるよ。」というメッセージを私は繰り返し、繰り返し、子どもたちに伝えて来ました。

 子育て。長いこどもの成長の過程では、本当にいろいろなことが起こります。私は、私のそばで「お母さんだけには言わないで。親にだけは知られたくない」と、泣く子のことが、そして、そのために、さらに問題が拡大していくことが、本当に寂しいと思って来ました。どうして、一番身近にいる大人である親が相談相手たりえていないのか、と。

 もう、すっかり大人になって、時々会ってご飯を食べるだけの関係になりましたが、振り返って見ると、本当にいろいろなことがありました。そして私は、「助けるよ」と言い続けて来て、本当に良かったと思っています。

 どうかみなさま、子育ての中で、こども達に門をちょっと開いておいてあげて欲しいのです。しんどい時に、たった一人でいい、相談相手が身近にいたなら、ここまでしんどいことにならなかっただろうに、と、本当に度々そう思うことがあったものですから。

 

 

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東京にいます。

今東京、新宿にいます。診療が済んで車をぶっ飛ばし空港へ。最終の飛行機で東京に来ました。娘が、焼き肉を食べさせて、と言ったので焼き肉屋さんに来ています。相変わらず貧乏暮らしで、お肉なんてめったに食べられないのだそうです。この前食べたのは、オーストラリア産の切り落としで、とっても固くて臭かったと言いました。
昨日の続きをホテルに入って書きます。それでは、また。

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いい子ほど大変なことになるということ

 昨日は、夕方ひさまつ産婦人科での診療を終えて廿日市の医師会に行った。そこでは、小児の心身医学の研究会が毎月一回開かれている。小児科のドクターや精神科のドクター、心理療法士、学校の教師等が集まっての研究会だ。私は、そこで「産婦人科からみた最近の思春期模様」のタイトルで話をした。

 5年前にこの会で話をしたことがある。その後もずっとこの研究会が続いていて、もう110回を越えている。すごいと思う。毎月毎月、これだけ継続して行うというのは、並々ならぬ努力、それも中心になって会を運営するドクターと、毎回出席して勉強をする方達の双方が、本当にすごいと思う。

 私の話、5年前に話した時と今では何かが変わっているだろうか、から始めた。そう、確かに変わっている。決定的に違うのは、性行動の低年齢化、これはあきらかだ。今や、中学生の妊娠は珍しくもない。ロリコン相手の小学生の売春だって、私の所にもあるし、他のドクターの報告もある。

 このような中で、特に対応が困難だった患者さんの例を挙げての報告を行った。なぜそうなるのか、そして、その対応は実際どうしたのかなど。現場は大変で、頭を抱えることもしばしばだ。具体的なことはこのネット上では書けないけれど、でもはっきりしているのは、大変なことになってしまうのは、一部の突っ張りさんや家庭的に問題のある子ではないということだ。

 例えば人工中絶が間にあわなくて、初めてクリニックに来た時に、もう産むしかない、となってしまう子。これは、「大変なことになってしまった」と一人抱え込んで、悩んでいるうち、時が経ってしまったということだ。それまで、行動にいろいろと問題のあった子は、友人について来てもらってでも、早くに病院に来ることが出来る。怒られることを覚悟で、「お母ちゃん」とSOSを求める事だってできる。でも、それまで何事もなく、すくすくと育った子。勉強だってちゃんとするし、別に親を困らせることもない、いわゆる「いい子」ほど大変な事態になるということを大人は知るべきだと。

 みなさん大人達は、うちの子は大丈夫と、何の根拠もなくそう思っている。でも、その「うちのこ」は、ちゃんとした知識もないままに、容易に行動を取るのだと言うことも知らないといけない。性教育が後ろ向きになって、そして相変わらず子どもたちの廻りには、いっぱい正しくない性情報が溢れていて、それらに翻弄されているということをも知らないといけない。

 こんな話をした。また、いつか機会を見て、もうすこし詳しく話しをしたい。

 

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モンゴルのテムレーンさんとひさまつ産婦人科

今日は、朝から廿日市のひさまつ産婦人科に来ています。昨年10月から月の二回来させていただいていました。それも今日でおしまいです。今日は、来るとすぐ、9時から帝王切開の手術です。

 その赤ちゃんが生まれてすぐにモンゴルの少女がやって来ました。彼女、テムレーンさんは、今山陽女子高校のスカラシップの留学生です。広島アジア塾のメンバーで、アジアの花たばとモンゴリーンテンゲルなどのモンゴルへのボランティア活動の代表をしている小川順子さんからのお話で、今日、ひさまつ産婦人科の見学をすることになっています。

 小川順子さんは私の高校の先輩、それも同じクラブ、演劇部の先輩です。これまでもいろいろとモンゴルについお話を伺っています。山陽女子高のスカラシップは、今、6期め。いつも、とても優秀な生徒がやって来ます。ティアラさんもそうです。まだ17才ですが、モンゴル語は当然、日本語、ロシア語、英語、ドイツ語が出来ます。数学も物理も大好きと言い切ります。

 お母さんはモンゴル国立母子総合病院のドクターをしています。立派な病院のようですが、小川さんが訪問した時、建物は老朽化し、エレベーターも止まった状態。保育器は、木の箱を布で覆って、裸電球が一つぶら下がっていただけだと。電球の熱で暖めているのでしょう。それを見て、小川さんは涙が出たと言われます。

 国全体が貧しく、格差がとても大きく、彼女の家も生活がなかなか大変だそうです。彼女には、小川さんがいろいろとお世話をし、勉強だけでなく、広島市の平和文化センター、ピースボランティアのシニアの方について、一年間平和学習もしています。三月いっぱいでモンゴルに帰りますが、きっとモンゴルのリーダーとして活躍するでしょう。日本の医療の素晴らしい所をしっかり見てもらって、モンゴルで頑張ってもらいたいと小川さんは言われます。

 でも、彼女は本当は、広島大学の医学部を受験したいのです。どうしたら、受験の資格が取れるのか、またちゃんと調べて知らせてあげようと思います。外国の高校の卒業者はセンター試験を受ける資格を取るのがなかなか難しいようですので。

 この半年、ひさまつ産婦人科では、本当にお世話になりました。最後の回診の赤ちゃん達です。今日が最後のおやつです。手作りの桜のパウンドケーキと、さくらと抹茶のマコロンとイチゴでした。ケーキ、桜の塩漬けが入っていてとてもいい香りと塩味がおいしかったです。マコロンも栄養士さんの手作りだそうでびっくりしました。最後に花束を戴きました。先生と師超さんと外来看護師さんと記念撮影をしました。初めの写真は、モンゴルの少女テムーレンさんです。

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春、夏の帽子二つです。

 今日は診療。その後月曜日の代わりにハングルの教室、帰ったら、ご飯を食べてやまとの湯の予定で、いっぱいいっぱいです。(診療をしながらハングルの単語を覚えています。動詞や形容詞です。今日、試験があるらしくて。もう、記憶力が悪くて、泣きそうです。)

 明日は朝からひさまつ産婦人科で診療。その後、夜、廿日市で講演と、これまたいっぱいいっぱいです。

 そんな時の定番になりました。すみません。帽子です。春、夏物二作。息子が国家試験がすんだら二人でモルジブに行くと言います。やっと、晴れて、結婚以来続いていた別居解消出来そうです。それで、彼女にモルジブの青い海と白い砂浜に合うように、ブルーと白のまだら染めのコットンの糸で編みました。できてみたら少し大きくてぶかぶかしましたので、ひもを編んで通しました。それを結んで大きさの調節をするように。ひもの先に玉をつけて、結ぶとリボンになるようにしました。

 もう一つは、オレンジとアイボリーのやはりまだらの染めのコットンです。ブルーのと似ているように見えますが、編み方も模様も実際は違います。お花が難しかったです。お花一つ編むのに、帽子が出来るほどの時間がかかりました。お花は、ブローチ用のピンをつけて、取り外しができるようにしました。これだけでもコサージュになりそうです。二つとも、私が携帯で自分を撮ったので、不細工ですみません。顔は見ないで帽子だけ見てください。

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お葬式に参加して

 スタッフのお父様が亡くなって、今日、お葬式に行った。長い間煩われたあげくにとうとう亡くなってしまったのだった。私は面識がない方だけど、写真や皆様の弔辞などで、そのお人柄が偲ばれた。とてもお優しい人で、仕事も家族をもとても大切になさった方のようだ。だから、奥様の手厚い介護がずっと続いたと。奥様に取ってとても沢山の恩をいただいたと。だから、ご恩返しだと思って、命のあるかぎり、精一杯介護をします、といわれたと友人の弔辞で語られた。

 私は、診療で熟年や更年期の方達に接することが多い。熟年を二人でどう過ごすか。多くの方が夫との二人の生活に気詰まりを訴えられる。

 夫が病気になった時に、本当に誠心誠意看病が出来るかどうか。これは、やはりそれまでの二人の関係がどうであったかにつきる。妻のことをただ「家事をする人」みたいに思い、接している人は、その陰て゛妻がどれだけプライドを傷つけられ、苦しんで来たかが見えないだろう。

 「平均寿命からして、どうしても男性の方が先にくたばるのだから、その時に妻に手厚い看護をしてもらいたいと思うなら、今からですよ。今からの関係を暖かい物にしておかないと。」などと、企業で講演する時に言ったりすると、段々と男性達の顔がこわばったりする。そして、「今から妻に電話をかけて置きます。」などと、単身赴任の方が言ったりする。

 今日のお葬式では、そうではなく、全く逆に、本当に仲良くお二人で暮らして来られた姿が見えて、だから胸が詰まった。

 私も父が倒れ、意識のないまま一年間寝たきりだった時、ただ、生きているだけで良かった。話ができなくとも、死なないで生きていて欲しかった。意識がなくとも、それでも娘が呼びかけると、父の目からは涙が溢れていたから。だから、話はできなくとも、こちらの言うことは分かってくれているのではないかと思って。本当に生きていて欲しかった。

 大好きな人の看病は、だから、体はしんどくとも、本当は苦にはならないと思う。とうとう亡くなってしまって、これからがとてもつらいだろうと思う。でも早く立ち直って元気に生きていただきたいと思った。

 今日のお経の中でも言われていたけれど、命ある者は誰でも必ず終わりが来る。さて、私達も人生の終演にむけて、これからをどのような生き方をし、どのような関係を作るのかぼつぼつ考えなければならないようだ。

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私は依存症かもしれません。

昨日の会が終わって、ホットしたり、同時に憂鬱な気分も続いている今日です。昨晩、ブログを書こうとして気づいたのですが、編み物の針のセットがありません。いろいろと探してもありません。きっとクリニックに忘れているのだわ。今、私は、何かをしながら編み物も、というパターンになっていて、ブログを書きながらも編んでいます。昨日の会のぎりぎりまでクリニックで参加者名簿や寄せられたメッセージをを作っていたりしていました。そのまま、そこに置き忘れたのでしょう。これは困った。編み物ができない。だから、クリニックにとりに行こうと思ったのですが、あんまり遅いので、夫の意見もあって、今日まで待つことにしました。

 結局、編めないままで、本を読みました。この前の性教協の会で買った「自殺防止マニアル」です。私の所には、更年期の人など「うつ」の方も来られます。思春期のうつは、精神科に行った方が良いのですが、更年期の場合はホルモンが影響していることも多く、ある程度私の所でも対応します。でも、自殺に追い込まれないように、というのも、大切なことです。でも、まだ少ししか読んでいませんでした。

 で、読んでいて気づきました。私は、ここのところ、あんまり本を読んでいません。新幹線の中など、恰好の読書の時間なのですが、今、編み物が面白くて、寸暇を惜しんで編んでいて、大切な本を読むということがおろそかになっています。いけません。

 私は、熱中すると、そればかりやりたくてたまらなくなります。だから、以前は他のことが出来なくなるので、編み物を封印していたこともありました。

 もう少し、時間の使い方を考えないといけません。何か自分の中で取り決めをしないと。

 今日は、保険の請求のレセプトのチェックをしなければなりません。月初めは忙しいのです。だから、午後からレセプトを持ってネットカフェにこもっています。でも、あまりはかどりませんでした。やっぱり編み物にも手が出たからです。いけません。私は依存症かもしれません。

 今日の6時半からはある会に行かなければなりません。ああ、あんまりやっていないレセプトを持ってクリニックに帰ったなら、事務の人たちをがっかりさせるでしょう。本当にいけません。

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みこし連総会・懇親会

 今日(もう日が変わってしまいましたが)は、夕方から秋葉市長のみこし連の総会ならびら懇親会でした。約一月前から準備をしての今日です。多くの方が楽しみにして下さっていました。

 ゲストは広島市議会の藤田議長です。みこし連では、毎回ゲストに講演をしてもらっています。藤田議長は、昨年6月から全国市議会議長会の会長を、そして今年の1月からは政令指定都市市議会議長会の会長も務めていらっしゃいます。その講演を聞いて、びっくりしました。話の初めから、数字がポンポンと出て来ます。全くメモなどはなしに、歴史的なこと、全国市町村がどのような変遷をたどったか、現在の市町村の状況、いくら税が入って、いくらが国に、そしていくらが市町村に戻るのか、地方自治とは何を目指すべきか、国とどう相容れないか、これから地方は何を国に要求していかなければならないのか、それらを具体的に説得力を持って話しをされました。その見事な話にうなりました。

 秋葉市長の話もしかり。今の市政の状況がまた、具体的に良く分かりました。それから、これからの広島市の課題も。

 私たちは、とても困難であった二期を経て、この三期目こそやっと市長の力が発揮できる時と考えています。車の両輪であるべき行政と議会とが、やっとその両輪としての機能をもつことができつつある、と。これまでのソフト面の充実、財政の立て直しなどに加えてこれから、新球場の建設、市民球場跡地利用、駅前再開発、広大跡地の利用など沢山のハード面の充実も控えています。

 今、来年度の予算議会の最中です。今度の目玉は「環境」と「農業」だそうです。「地球温暖化対策行動元年」と位置づけること。農業では地産地消を目指して、一万区画の市民農場を作る、と。などなど沢山話を聞くことが出来ました。

 その後の懇親会では、歌手の方が三人も来て下さって、歌って下さいました。それに市長のデュエットも。それから、参加者にもそれぞれの思いをマイクで話していただきました。

 最後になりましたが、私のことで。私は、昨年の参議院選に立候補するに当たって、秋葉さんの応援団「みこし連」の代表の座を降りる、表明しました。それを実行しなければなりません。これまで、多くの人に後の代表になってほしいとお願いしましたが、これまでにどなたも決まりませんでした。できれば、今日のこの会で皆様にお伝えしたかったのです。でも、だめでした。で、皆様に、どなたかやっていただけないでしょうか、とお話しました。

 みなさんは、私に続けてやれと言われます。でも、それでは私が嘘つきになってしまいます。結局、これからもどなたかに代表をお願いする努力をする。それが決まるまで暫定的に代表の任務を続けるということに落ち着きました。早く次を決めなければなりません。

 みなさん、それなりに楽しく過ごしていただけたのではないかと思います。大きな仕事が終わってやれやれです。ところで、この会のことをネットで批判をした人がいるとの事。私がみなさんに送った文章が、ある議員に回ったそうで、その人のHPに書かれているのだそうです。何ともバカなこと。不愉快になるから私は読みません。なんでもかんでも揚げ足取りのような事ばかりして、それで市政の批判をしていると思っているのでしょうか。

 実は、今日は、朝ある電話を受けて、憂鬱でした。23日に予定していた会が急遽中止になりました。理由は分かりません。わかれば、今後の対処法もあるのだけれど、分からないから、どうしようもありません。ああだろうか、こうだろうか、と胸が重いです。その重いまま、みこし連の会の司会やお世話をしていても、ずっと憂鬱でした。私には、こんな時、時間が必要です。時間が憂鬱な気分を癒してくれるでしょう。

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すみません。また帽子です。

 ふう、忙しかったです。今、やっと晩ご飯を食べ終わりました。今日の晩ご飯は、ヒラメとミル貝の刺身と、タマネギとあさりのおみそ汁と、大葉と貝割れとちりめんじゃこのサラダと、昨晩の残りの鳥の手羽元の肉じゃがです。お昼はちからのカレーうどんで、それから9時間近く経っているので、おなかがすき過ぎて、却ってあまり入りません。ご飯は茶碗に半分しか食べられませんでした。

 まだこれから、明日の会の名簿づくりとプログラムの印刷などをしなければなりません。

そこで、申し訳ないのですが長くブログを書けないので、帽子です。忙しい合間合間に、ぼつぼつと作っています。

花のがついたのは、「黒のつばのある帽子を作って」と頼まれて、自分でデザインを考えて作りました。出来てみたら、結構素敵だったので、これは自分でかぶります。頼まれた方には、もう一つ同じようなのを作ります。

青いのは、耳当てがついています。その耳当てからひもがぶら下がっているのですが、こうしてあごの下で結んでもいいかと思って結んでもらいました。これは、前の白いポンポンのついたのと一緒に、スタッフのお嬢さんの所に行きました。そしたら、何気なくひもも下にたらしてかぶったのが、なんともカッコイイのでびっくりです。彼女は今日、高校を卒業しました。卒業式に行く前にかぶって大急ぎで写真を撮ったそうです。かわいいねえ!とみんなで写真を見て、大騒ぎをしました。

 まだまだ作り続けていますので、また新作を披露します。いい加減、飽き飽きされたかも知れませんが、まあ、見てくださいませ。

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