« 医療崩壊(5)医師不足は産婦人科だけではない | トップページ | 東京はサクラが満開です。 »

医療崩壊(6)終わりに・国は医療にお金を使うべき

さて、これらの現象は、おそらくこれからももっと続くであろう。ずっと以前からこのようなことは懸念されていたにもかかわらず、厚生労働省は、なんら有効な手段を取れないままでいる。今となっては、本当にどうすればいいのか、誰も、考えが及ばないのではないか。

 これは、考えてみるに、医療の問題のみならず、介護、福祉すべてにいえることである。今、政治をつかさどっているものには、国民の命を守る姿勢が見えない。国民あっての国家であるはずなのだが、今の為政者たちは、国民不在の国家の運営をおこなっている。

 弱者がどんどん切り捨てられている。鳴り物入りではじめられた介護保険も、昨年、その見直しがされたことにより、要介護の認定がとても厳しくなった。また、もっとも私が許せないと思うのは、脳卒中(脳梗塞や脳出血)で体や言葉が不自由になった人のリハビリが半年で打ち切りとなったことである。

 この病気は、不自由になった体を他の機能で代替するなどで、ゆっくりと機能を取り戻していく。何年もかかって、少しづつ改善する。改善するからこそ、多くの人が希望を持って、つらいリハビリを続けようとする。それが半年で打ち切りだ。それ以上リハビリを続けたければ、ご自分のお金でどうぞ、ということになった。要するに、お金のある人は、介護もリハビリも受けられ、お金のない人は半年で打ち切りで、不自由なまま生活をしなさい、ということになる。私は、このことを、参議院選挙に立候補したときに必死で訴えた。

 福祉にしてもしかり。障害者自立支援法の改悪により、体や心に不自由を抱えた人が作業所に通うのでさえ、負担金を払わなければならなくなった。作業所でいただくお金はほんのわずかで、負担金のほうが上回って、残念なのだけれど、それが生きがいで、行きたいのだけれど、作業所に行くと経済的に生活できなくなって、あきらめざるを得ないと涙をこぼす人にも出会った。

 それら、弱者切捨ての政策と連動して医療の崩壊があると見なければならない。医療単独の問題ではないのだ。国が国民の命をどう考えているかの問題なのだ。

 どうすれば、医療の崩壊を食い止めることが出来るのか。国が本気で取り組もうとしていない今、私たちにできること、それはやはりあらゆるところで声を上げることであろう。さまざまな機会を捉えて、すくなくとも、国が医療にお金を使うのは、当たり前なのだ、くらいのことは、言ってほしい。

 先進国たるもの、医療や福祉にお金がかるのは当たり前。医療費を押さえようとするのでなく、医療費が増えることは当然と、為政者が発想を変えるように。国民あってこその国。国民の命を守るのが政治をつかさどるものの責任である。(私は、医療、福祉、介護、そして教育にお金をしっかりかけるべきであると考えている)

 国が医療にしっかりお金をかけてくれたなら、何より人件費にお金を回すことができる。たくさんの医療者を雇うことができたなら、すくなくとも、疲れ果てての事故は防ぐことができるであろう。医療の現場で働く者が、せめて人間らしい生活ができるように。睡眠時間の確保、休日の確保ができるように。夜勤で徹夜をしたら、次の日は休んで睡眠がとれるようにすべきだ。

 さらに、医療事故の防止策を徹底すると同時に、もしも不幸にも事故が起きたときには、今のように、裁判に訴えることができる人のみが補償されうるのでなく、補償が平等に出来るような、何らかのシステムづくりが必要であろう。裁判に訴えるのは、大変な労力を要する。また、医学に不案内な人が、医療者側を論破し、裁判官を説得するのは、並大抵ではない。また、医療者側も、通常の勤務をつづけながら、裁判の資料集めなどの準備をしなければならないという大変な負担が大幅に軽減されるであろう。

 そのような改善がなされたなら、その時には、命が誕生するという感動的な現場に立ち会うことができる、充実した仕事に産婦人科医が戻って来るであろう。私は、今でも時々分娩を扱う産婦人科に手伝いに行くことがある。命の誕生は、本当に感動的で、今私が分娩をしない産婦人科医であることを寂しく思う。ほとんどの医師はやはり良心的で、人道的である。人の命を何とか助けたいと、志を持って医師になる。患者さんに感謝されれば、労力も喜びとなる。

 今、医療の現場では、それが空回りしてしまって、医療者側も、そして結果的に病気の人たち、これからお産をしようとする人たちに大きな負担を強いることになってしまっている。

 これらのことが、今、やっと論議され始めた所である。まだまだこの問題の解決には、長い年月を要するであろう。その間国民は、自らの病気や怪我や高齢になることや妊娠や出産について、どこでどう対応したらいいのか、自ら、防衛的に考えておかなければならない。

 今回でこのシリーズを終わります。はじめに断ったように、私は、医療の内部にいる産婦人科の医師です。医師の立場から、この問題を論じました。その点で、違和感や反感を持たれる方もあったことと思います。あくまでも数々の修羅場をかいくぐってきた、一医師の考えたこととして、お許しください。ご愛読ありがとうございました。

広島ブログ

|

« 医療崩壊(5)医師不足は産婦人科だけではない | トップページ | 東京はサクラが満開です。 »

コメント

小泉純一郎さんは、道路特定財源を一般化する一方、セーフティーネットを約束しました。また、男女平等にも熱心に見えた。

人々は小泉純一郎さんが無駄を削ってセーフティーネットを充実させると思い込んで支持してしまった。これが間違いの一つです。

もう一つは、医師や教師、そして公務員などを次々叩きすぎたこと。

私は一時期の医師叩きは文化大革命にオーバーラップして見えました。

確かに一部にボロ儲けして脱税していた輩もいますが、それを以て医療費抑制に利用したのは大間違いでした。

公務員や教師叩きにしても、より良い行政改革という視点がかけ、「安定雇用だとだらけて行政サービスが低下する」などという暴論がまかり通りました。

張本人の小泉純一郎さんは逃げ出しましたが。

小泉政治ないしその前の橋本政治くらいの前まで巻き戻すことが必要でしょう。

投稿: さとうしゅういち | 2008年3月26日 (水) 23時39分

河野先生、先日は色々とありがとうございました。
先生の「粋なはからい」とても感激いたしました。
これで名古屋でも、頑張れます。

今回のブログは身につまされる思いで読みました。

私の父親は現在、「要支援2」の状態で、「介護1」に申請しなおそうとした時に肺炎をおこし入院しました。
退院したら以前より、ほんの少し歩けるようになったので申請が通らず、今まで通えていたデイサービスも回数が減りました。

デイサービスが減ることにより、家族に負担がかかり、母親もダウンしてしまう始末です。

「医療崩壊」は、ひいては家族まで崩壊してしまう、そんな気がしてなりません。

私もいずれは介護される立場になります。
「国民一人一人が安心して老いていける国」にするためには、先生のいわれるように、あらゆる所で声を上げることだと私も思います。

名古屋に行っても先生のブログは読み続けますので、どうか、知識不足の私にブログよりご指南くださいませ。


投稿: Masa | 2008年3月27日 (木) 15時34分

さとうしゅういちさま
勘弁してください。安部政権よりはましかも知れないけれど、小泉の時代に、安定多数を取ったために、どれだけの横暴が繰り返されたことか。それよりも、政権交代に希望を見ることはできないでしょうか。今の民主党ではだめでしょうね。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2008年3月28日 (金) 01時04分

Masaさま
楽しかったですね。また、広島に帰ってきたときには、食事をしましょうかね。お父様のこと、心配ですね。いろいろとお世話をしてあげてくださいね。かけがえのないお父様ですから。また、ブログでお話しましょうね。どヴそ、お元気で。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2008年3月28日 (金) 01時07分

舌足らずでした、すいません。

小泉さんの前、すなわち小渕さんくらいか、医療費負担増をした橋本さんが総理になるの前くらいの状態にはいったん戻さないと、という意味です。

私が小泉純一郎をいいなんていうわけがありません(笑)

当面は支持率低下しまくりの福田さんが、選挙対策でもいいから苦し紛れで野党の要求を丸呑みして医療を良くしてくれることを期待していたりします(笑)

最悪なのは福田さんが財界の反発を買い、自民党内で引きずりおろされ、別のどうしようもない総理が任期満了までやることですね。

投稿: さとうしゅういち | 2008年3月28日 (金) 06時45分

コメント失礼いたします。
今回の連載で感じたことをいくつか。
患者が命を落とした場合、やはり遺族感情は常に正しい訳ではないということでしょうか。最善を尽くしても助からないこともある、ということを大概の方は分かるのですが、ごく一部のそれを認めない方のために訴訟が起きてしまうのでしょうか。
ただし、医師の側にも過去に隠蔽を行うことが度々あり、信頼面の絶対性が揺らいでいるのもあるかとは思います。

次に、医師=金持ち、セレブという偏った見方が世間に流布していることも歪んだ嫉妬心を生む土壌かとは思います。これはマスコミのミスリード以上に世の人がそう見たがっているように感じます。

あと、医師の数不足については、医学部の金銭面の敷居の高さを是正してはと思います。意欲はあっても資金面で医学部を断念、ということは意外とあるのではないでしょうか。

最後に、政治においては民主中間派・左派と社民・共産がイデオロギー闘争を捨て(ここ重要)、「労働党」を結党する、というのは如何でしょうか。自民が懐の深さを喪失した現在ならイケるかも?

以上、取り留めのない話で恐縮です。

投稿: めかちゅーん | 2008年3月29日 (土) 06時29分

めかちゅーんさま
コメントありがとうございます。確かに、医療によつて命を落とされた方の家族の感情は、当然とお思うのです。だから、その感情を持つことがおかしいというのではなく、それを何かいい方法がないだろうか、そのシステム作りをするべきだと、そう思うのです。保障のシステムですね。
 それから、医師になるのに金銭面の高さをいわれるのですが、私立は確かに、お金持ちの子しかいけないほど高額です。でも、国立など公立の医学部は、学費は他の学部とおんなじなのです。ただ、専門書、本が高いとか、大学が四年でなく六年通わなければならないとかという問題はありますが、それもアルバイトでできる範囲と思います。だから、お金のある人しか医者になれないということはないと思うのですが。
 政界再編、そうなればいいと私も思います。民主党の中には、自民中道より右派の人もいますしね。もず民主が割れるところから始まれば、とそう思っています。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2008年3月31日 (月) 00時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 医療崩壊(6)終わりに・国は医療にお金を使うべき:

« 医療崩壊(5)医師不足は産婦人科だけではない | トップページ | 東京はサクラが満開です。 »