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医師の資質について考えた。

 今日、大学病院に行った。受診ではなく、お見舞いでもなく、病気の友人の付き添いで、話を聞きに行ったのだ。相談に乗ってもらったドクターは、先端医療の責任者。大変偉いドクターだが、その話に感動してしまった。説明は、とても分かりやすく適切で良く分かったし、あらゆる疑問、質問にも丁寧に答えてくださる。命の危機にある人に対しての態度もいたわりを持って対応して下さる。私よりもうんと若いのだが、私は心から尊敬した。

 そして、また一人のドクターを思った。産婦人科のある学会で、関東の大学病院の教授の話を聞いた。卵巣腫瘍についての総論であったが、内容はたいして新しくもなく、知っていることばかりで、役にも立たない。それより何より、話の中に患者さんのことを「まあ、おばあちゃんですから」と何回も出て来る。高齢の方の治療をそんな風に言われて本当にびっくりした。おばあちゃんですから、どうなの?治療はいい加減でいいというふうに聞こえて、とても不愉快だ。それも、私と同じ年齢の人まで「おばあちゃんですから」と言われた時には、本当にアッタマに来た。

 治療法の選択は、特に婦人科の場合、妊娠する能力をどうするかは、とても大切な選択になる。まず何より、患者さんの命を、そして、次には産む能力を、と考える。でも、、、もう出産が考えられないお年の場合、たとえば80才の方の癌の治療をどうするかは、体力的にどうかなどで、手術の方法や治療法も考える。でも、高齢の方、人生の先輩に対して謙虚な態度で、その命を守ろうとする事は、医療者の義務であると、私は考えているから。だから、本当にびっくりした。

 その人の話がすんで、「なにか質問がありますか」と司会者が言った時、私は、よっぽど手を挙げたかった。そして、「話の本筋の質問ではではないのですが、先生に取っておばあちゃんというのは、おいくつからなのでしょうか。」と聞きたかった。本当に聞きたかったのだけれど、かろうじて止めた。それは、その教授を連れて来た、広島の偉い人のメンツがつぶれるかも知れないと考慮したから。

 でも、私は、どんなことがあっても、その人の治療だけは絶対に受けたくないし、もし、その病院に行こうという人から相談があったら、ためらう事無く、止めなさい、というだろう。

 やっぱり医療者は尊敬できる人柄でありたい。それはどのようにして培われるのだろうか。生まれや育ちというより、もっと根本的に、人や命に対して謙虚に学ぶ姿勢を持っているかどうか、そして人の痛みに対してどれだけ想像力を働かせることができるか、それらによるのかも知れない。それから、それらを培う為には、社会にも目を向けなければならないだろうし、読書などによって人の幅を拡げることも必要であろう。それらによって総合的に医師としての資質が出来て来るのだろうと思う。

 今日のドクターに接して、私はまた、自分自身の今後を教えられたような気がする。自分が患者さんに対して不遜になってはいないか、常に検証をしなければ。もちろん、私なんぞを比べるのも恐縮な、偉い方ではあるが。若く、優秀なドクターに、ひたすら感謝。

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コメント

先生、私は、このようなお話について、ずっとお聞きしたいと思っていました。個人的にお話させていただくことは、難しいでしょうか。先生はとってもお忙しい方なので、私のような者が伺ってよいものか、ずっと、考えていました。

投稿: みほ | 2008年1月 4日 (金) 22時27分

お医者様といえば、どちらかと言うと患者とは上下関係という感じがあります。しかし、私の場合は、特にホームドクターの方が素晴らしい人で、いつもその言動に感動しています。たとえば、私を問診中に高齢者の人から電話がかかってきたら、その方の話をしっかりと聴き、易しく納得がいくまで話されます。また、薬にしても、やたらと出すのではなく、最低限しか出さす、そこで様子をみると言う方法をとられます。そして、自分では力に余るとか、専門外であったら、患者引っ張らずにすぐに専門医につなげてくださいます。以前母(82歳)が大腸がんの手術をするときも、わざわざ病院まで来て励ましてくださいました。もちろん胃腸科に関しても素晴らしい先生で、過去に見逃すような小さなガンでも見つけることができると他の人から聞いたことがあります。人格的にも優れていらっしゃるので、とても尊敬しているし、信頼しています。そういう方が、私の家族のホームドクターであることをとても幸運だと思っています。

投稿: eastwaterY | 2008年1月 4日 (金) 23時25分

先生の意見に賛成です。医師の中には患者さんを見ないで病気を診ている人がいます。たぶんその医師は卓上で一生懸命勉強をし大変な知識を持っているのだとは思いますが、患者さんと面と向かって話したことが無いのだと思います。医療崩壊と言っていますが、もっと患者さんのための医師が育って欲しい。

投稿: POKE | 2008年1月 5日 (土) 07時58分

私は、
お医者さまというのは、患者に元気を下さる存在だと思っています。
治療だけでは元気にはなれない・・と思うのです。
私は先生のところに伺って、
先生の「あっはっは」パワーを頂いて帰ってくると元気になれるのですが、
どうもお薬のせいだけじゃないような気がします。
(・・・お薬、よく飲み忘れるし^^;)
これが信頼というものなのでしょうか。

「まあ、おばあちゃんですから」のお医者さんはひどいなぁと思います。
どんなに優れたお医者さんでも
「先生」とは呼びたくない気がしました。

投稿: Hoch | 2008年1月 5日 (土) 11時56分

みほさま
どうしましたか。何が事情がおありのようですね。「私のようなもの」と言われても、私は患者さんを選んだことはありませんし、何か事情がおありだったら、個別にお話を伺うことも出来ますよ。それより、何か連絡をする方法を教えてください。このコメントに書いてくだされば、みなさんに公開しないで、私だけに連絡をすることが出来ますのでね。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2008年1月 5日 (土) 20時02分

eastwaterYさま
ホームドクターとしてどうあるべきか、私にも参考になるお話、ありがとうございます。全科に渡ってちゃんと知識を持つこと。その為に、常に勉強を怠らないこと。それに加えて、親切であること。すべてが問われることですね。それにしても、eastwaterYさまは本当にシアワセなことですね。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2008年1月 5日 (土) 20時08分

POKEさま
そうですね。病気を診れない医師も困るけれど(本当にいるのですから)人間を見ない医師も困りますね。
そうならないようにお互い頑張りましょうね。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2008年1月 5日 (土) 20時15分

Hochさま
そんなに言って戴いて、なんか恐縮です。ご期待を裏切らないように、これからも頑張りますね。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2008年1月 5日 (土) 20時17分

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