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またまた番外編 イチゴ大福奮闘記です

 もう一二回コンドームについて話をししたいのですが、またまた番外編です。昨夜、ばつぐんさんのお店を出ると、お隣が果物やさんでした。そう言えば、少し前夫とウオーキングをしていてこの前を通った時に、柿がとても安くて、一山買ったことがあります。昨夜はそこにきれいなイチゴが光っていました。

 そうだ!いちごを買って、イチゴ大福を作ろう!だって、今、広島ブログはイチゴ大福だらけで、火をつけたのはshiozyさんだと思うけれど、つゆまめさんや、やんじさんや、ファンキーさんなどいろんな人が書いていて、気になっていました。

 イチゴを買ったら、上新粉だ!少し遠回りをして24時間のスーパーに行って白玉粉を買ったら、何と、そのウラに「いちご大福の作り方」とあるではないの。私は、団子の粉が好きで、特におみそ汁に団子を作ってぽいぽい入れて食べるのが好きです。(ぜんざいは本物のおもちの方が好きです)その粉を少し柔らかめに作ってお湯にぽいぽい入れて、浮いたのをすくって冷やして、イチゴとあんをくるもうと思っていたのですが。何と、その作り方を読むと、一気に全部水で溶いて、お砂糖も入れてそれを電子レンジにかけるようにと書いてありました。ふむふむです。

 一袋で16~19個のイチゴ大福が出来ると。で、少しイチゴが足りないので、そのスーパーで追加を買いました。前のは「とよのか」で、今度のは「あまおう」です。

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 小豆はゆであんを器に入れて、スプーンでつぶしながら練ります。これが、力仕事でした。ふうふうです。イチゴをあらかじめあんでくるんで置いておきます。そして、初めての経験です。団子の粉をレンジに掛けるのは。途中で一度出して、箸を混ぜろと書いてありました。これがまた、力仕事です。出来たのをまた混ぜます。これはもっと力がいりました。腕が痛くなるほど混ぜて、お持ちが出来ました。片栗粉を蒔いたまな板の上に出します。

 これをあらかじめ小分けして一つ一つあんにくるまったイチゴをくるみます。これが難しい。イチゴは一つ一つ大きさも形も違います。買ったように大きさはそろいません。イチゴも大きくて、皮が薄くなって、あんやイチゴが透けて見えます。とても不格好です。

 やっとの思いで15個の大福が出来ました。本当に不格好で恥ずかしいのですが。でも、お味はサイコー。皮も奮闘のかいあって、柔らかくて口当たりが良くって、とてもおいしくて満足です。夫もおいしいと二個ぺろりと食べました。でも、何とも、15個です。これを二人でたいらげなければなりません。人にあげられるような代物でないので。それにしても疲れました。労力を考えると、やはり買って食べた方がよさそうです。今日は、廿日市のひさまつ産婦人科で診療です。なんか、寝不足でふわふわしています。そろそろこんなことはやめなければなりません。

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(あの、私の写真はどうして段違いになるのでしょう。いろいろとやって見たけど、修正出来ません。これも恥ずかしいことです)

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コンドームのお話(7)コンドームが破れちゃった!時。

 コンドームは、もうすでに言った様に、避妊としては完璧なものではありません。ちゃんと使っていたのに妊娠して「どうして」となげく人を何人も見ています。ただ、使っていても破れてしまったとか、はずれていたという場合。これは、妊娠しても産めない人には、ショックですね。以前だったら、ひたすら次の月経が無事に来るのを祈るように待つしかありませんでした。

 でも、そのような場合の緊急の避難としての緊急避妊の存在がだいぶ知られるようになりました。レイプされた、とか、コンドームが破れたとかの、ハプニングが起こった時、出来るだけ早く、産婦人科に行くこと。遅くとも、72時間以内に。でも、本当は出来るだけ48時間以内に来て欲しいですね。中用量ピルを2錠飲んでもらいます。その12時間後にもう一度2錠。でも、中用量を二個ですから、どーんと体内にホルモンが入ります。ほとんどの人が吐き気がして、気分が悪くなります。もし、初めに飲んで12時間以内に吐いてしまったら、その時にもう一度2錠飲みます。2時間以上たって吐いた場合、また、二度目に飲んだ後吐いた場合は追加は入りません。吐いてしまって追加を飲んだ場合も、最初に飲んで12時間後に飲むのは、変わりません。

 数日後から二週間以内におそらく出血があります。それを月経と見なして、それでO.K.です。ただ、この方法は100%ではありません。大体、85%の成功率と言われています。そして、この緊急避妊をしても妊娠した人の原因の多くは、緊急避妊をしたから大丈夫として、その後の避妊を怠った時。緊急避妊によって、ただ排卵を遅らせるだけの場合もありますので、その後からの排卵で妊娠という、そういうケースが多いと、最近になって分かりました。だから、その後も確実に避妊をしなければならないということです。

 ただ、私は、このごろ、この緊急避妊をあたかも避妊法として乱用している人たちに良く出逢います。先日は、緊急避妊の薬を飲むのが5回目だと言う人が新患で来られました。どうして?そんなにコンドームがやぶれるの?と聞きました。そうではなく、要するに、避妊を怠って、後から薬をのめばいいと、そう考えてのことだったのです。しかも、それは、悲しいことに、そう彼に言われ、彼の言う通りに後に彼女一人で産婦人科に行っては、薬をもらう、というそんなことの繰り返しでした。

 これはいけません。大量のホルモンをどーんと体に入れるというのは、彼女の体にいいわけがありません。緊急避妊は、一回限りのもの。そもそも、レイプされて、妊娠、中絶という、二重三重のダメージを少しでも軽減させてあげるべく考えられたものです。少々体に良くなくとも、中絶よりは、ということで。避妊をずぼらするために使われることではありません。

 私は、彼女に低用量ピルをつかうように、話しました。そしたら、彼女は、「でも、ピルは副作用が怖いです。」と言いました。何を言ってるの。中用量ピルを一度に4倍も飲むほうが、よほど体に良くないのがわからないの?と私は言いました。彼女の体のために、こんなことを続けてはいけません。そもそも、こんな事を度々彼女に強いる男性も私は、サイテーと思います。

 それから、この緊急避妊は、100%ではありませんので、もし妊娠したときには、その時には産みますという人は使わない方がいいのです。その時は覚悟を決めて待つしかないでしょう。大量のホルモンを入れる訳ですから。

 しつこい様ですが、あくまでも、妊娠しては絶対に産めない人の、ハプニングが起きた時の緊急避難としての措置なのだという事です。くれぐれも、乱用しないように!!ですよ。

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広島限定番外編です。ばつぐんさんのこと

 コンドームについては、明日の早い時間に書きますが、ちょっと広島限定で、番外編です。私は今夜、ばつぐんさんの新しいお店に行きました。昨年クリスマス前にクリスマスまで限定でクリスマス・リースのエビとキノコのかき揚げを食べるためにお店「海人」に行き、そのルポをしました。その時、偶然なのですが、沢山の広島ブログの若い人たちが集まっていて、挨拶をしました。若い人たちのおじゃまむしになってはと、私と夫はカウンターで戴きました。

 とてもおいしく、楽しく過ごしたのに、それからすぐに、ばつぐんさんが突然のように「お店を閉じる」とブログに書いていたのです。しばらく、何をするか分からない、とも書いてありました。一体何が起こったのか、と心配していました。まあ、ばつぐんさんはシーサーづくりもあるし、チンドン屋さんも引っ張りだこの様だし、いろいろと才能のある人だから、何かをするんでしょうね、と夫と話していました。

 そしたら、新しいお店の開店の案内が来たので、びっくり、うれしくて。今日は開店三日目、今日まで生ビールが半額というので、仕事を済ませて、姉と二人で行きました。

 新しいお店「居酒屋ばつぐん」は、これまでより、きれいで、カウンターと、机の席と、奥には座敷と、今までよりもうんと広くなっています。水槽には、石鯛などが泳いでいます。

 とても沢山のお客さんが来ていました。ばつぐんさんは忙しく、くるくると働いていて、ほとんど話しも出来ないくらいです。私と姉は、生ビールと、白子ポン酢、赤なまこ、なすの味噌煮、おでん(大根、厚揚げ、ゴボウ天、卵、馬のすじ肉)、イベリコ豚のたたき、白あえなどを戴きました。どれも、とても美味。量もたっぷりで、お腹いっぱいです。鉄板焼きのおいしそうなにおいも魅力的だし、前回食べたサザエの煮たのも食べたかったのですが、次回にしました。

 帰る時も、本当に沢山のお客さんでした。彼が元気で安心しましたけれど、もしかしてみなさんは、お店を変わるために、これまでのを閉めると知ってたのでしょうか。まさか、心配していたのは私だけということはないですよね。

 写真は相変わらず、携帯でピンぼけですが、カウンターです。この右に椅子席が、左の奥に隠れ家のような座敷があります。もう少しおちついたら、またブログも更新するそうでした。以上、御報告でした。20080130195719

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コンドームのお話(6)大学事情

 憮然としている校長先生の前で、私は養護教諭の先生に言いました。私は、何をするにも分相応ということが大切と思っています。その生徒が、自分のお小遣いでコンドームを買える範囲内で、行動を取ればいい。コンドームが買えないというのは、まだそれだけの実力がないということ。お金も力の一つだから。力もないのに、それを越えて行動を取ってはいけないと。回数を減らせばよろしい。コンドームもないのに、それ以上したいというのは、贅沢というもの。将来、自分で稼げるようになって、買うお金も十分にあるようになったら、その時には、したいだけすればいい。それまでは、ガマンするなり、自分でするなり、彼女に迷惑を掛けない範囲で、どうすればいいのか、自分で解決しなさい。そういう物だと思うのだけれど、と。

 要するに、まだ高校生で、力もないのに、やりたいだけやるというのは、許せん!そう言ったのです。

 まだHIVの予防のためにコンドームを使うことをいかに広めるか、というのが課題だったころ、実は今でもこれは課題で在り続けているのですが(ソープ嬢にコンドームを使う講習をやった話は以前しました)A大学の売店にコンドームを置いて欲しい、と交渉しました。そしてそれが実現したのです。もちろん、その大学では、エイズ予防の取り組みが盛んになされていました。

 そんな時、B大学に講演に行きました。実は、そこでは、学生の妊娠が相次ぎ、中絶がとても多かったのです。私のクリニックにも何人も来ました。が、その大学の近くの産婦人科の先生が、大学に申し入れをしたと。あまりに中絶が続くので、ちゃんと教育をしなさい、河野ドクターを呼んで講演会でもしたらどうですか、と。で、私の講演が実現しました。行って見てびっくり。あまりに人里離れた寂しい所に、まるで学生達が隔離された生活を送っているかの様でした。コンドームなんて、一体、何キロ離れた所に行かなければならないのか、というような所です。なるほど、これでは子ができるわ。まあ、寂しさのあまり、自殺というよりはいいかも知れないけれど。本当にそう思いました。

 で、私は、そこの養護の先生に、大学の売店にコンドームを置く事は出来ませんか。と言いました。そしたら、目を丸くして、そんな、大学にコンドームなんて。と、絶句されたのです。「でも、A大学では売店においてありますよ。」と言ったら、また目を丸くされました。とても実現は不可能、という様子でした。

 その話には後日談があります。コンドームを置いていたA大学。そこが、売店での扱いを止めたのだそうです。それは、「万引き」のせいなのです。あまりに万引きが多くて、結局止めた、と。では、自動販売機を置いて欲しい、と要求したのですが、でも、もうその時には大学の周辺に薬局やコンビニも出来て、買いやすい状況は出来ている、と。だから、内部で扱わなくともいいでしょう、と、そうなったそうです。

 もちろん、買いやすければ、どこででもいいのです。大学の中であろうと、外であろうと。で、B大学は気になりますが、その後は分かりません。

 こんなことを書くと、また、河野は若者をそそのかしている、と言われそうです。でも、何度でも言います。若者は、「コンドームがあるからセックスをしよう」ではなく、なくともやってしまう。なくとも大丈夫だろうと、甘い考えで行動してしまうのです。

 明日は、コンドームが破れた、はずれていた、という時の緊急避妊とピルの話をします。

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コンドームのお話(5)買うお金がない?

 今夜、というよりもう昨夜ですね。YMCAでのハングルの教室でした。終わって外に出ると、真っ白。「わあ、すべりそうじゃね。気をつけんといけんね。」と言い終えた時には、もうすべっていました。石の階段に、しこたまお尻を打ち付けて、右足をひねったようです。若い人たちに助けてもらいました。自転車で家に帰るのが泣きそうでした。やっとのことで家に帰り、靴を見ると、底がつるつるです。私は外反母趾があり、なかなか合う靴がないのですが、気に入った靴ばかりを履いていたので、すり減っていたようです。明日の朝は路面がもっと凍っていると思われます。皆様もどうぞ、お気をつけ下さいませ。←お尻と足が痛くてよれよれの河野からのメッセージです。

 さて、コンドームです。コンドームの避妊率は、一年間で約85%と言われています。一年以内に、100カップル中15カップルが妊娠するということですね。でも、私の所でのデータでは、毎回欠かさず使った人の妊娠率は、13.5%。使ったり使わなかったりと、チャランポランな使い方をすると、妊娠率は34%。ちなみに、避妊していなかったと言う人たちの妊娠率は38%。その人たちとたった4%しか差がありません。毎回欠かさず、性交の最初から最後までというのがコンドームの使い方の原則なのですが。

 ここに、コンドームの出荷数の減少と、性感染症の増加の相関関係にあるグラフを貼り付けたかったのですが、出来ません。リンクを張っておきますので、ぜひ皆様に一度このグラフを見ていただきたいのです。

下げ止まらないコンドームーコンドーム出荷数と性感染症

 そこで、なぜ正しく使わないのか。ひたすら、その理由は、前回言いました。アダルトビデオに影響されているのか、「外に出せば大丈夫」という間違った伝説が広まっていること。これにつきると思います。

 また、経口避妊薬、ピルが認可されると、コンドームを使わなくなって、HIVなどの性感染症が増えるであろうと言われています。とんでもない。これもまた、現状を見ていない人が言っていることです。今、ピルを使って望まない妊娠を防衛しようとする人は、自分の体を自分でちゃんと管理しようとしている人です。性感染症に対しても、それはちゃんとしています。多くの人は、ピルを飲みながら、男性にはコンドームを使ってもらっています。この全国のデータが、今、集計されていますので、結果が出たら、またここでお知らせしましょう。

 若い人たちのコンドームの使い方は経済的な物にも左右されています。ある中部地方の高校で、養護教諭の先生が、ため息混じりに話されました。「生徒にあなた達、一体どれくらいセックスをするの?と聞いたら、一回のデートで、大体、6回はすると言うんです。そしたら、二回のデートでコンドーム一箱。週に二回デートするとして、月に4箱。高校生のお小遣いでは、無理なのです。一体、どう指導したらいいのでしょう。」と。そこはかなりの進学校で、生徒はアルバイトはしないで、ひたすら勉強に励んでいます。それも校長室で校長先生の前での話で、校長はびっくり、憮然とされていて、おかしかったです。

 そうですね。若いというのは、すごいエネルギーですよね。まさか、コンドームを洗って使う訳にもいかないし。私の答えは、、、。皆様は、その養護教諭にどうアドバイスされますでしょうか。長くなりましたので、また明日お話します。くれぐれも、雪に気をつけてくださいませ。

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コンドームのお話(4)アダルト・ビデオで学んでいる。

 このごろ、大人も若者も性の仕方が変わって来ました。これにはA.V.アダルトビデオの存在が大きく関わっていると思います。A.V.は、セックスの仕方を学ぶ物ではありません。あれは、大人の娯楽として作られた、演技の世界なのです。でも、実際、今、A.V.のまねをする人がとても多くて、教科書になっているような感があります。

 私は、ああ、A.V.でセックスの仕方を学んでいるんだ、と、気づいた時があります。それは、「セックスで出血する」と言って来る人たち。この人達は、みんな膣の中に傷を作っています。中にはバスタオルをまたに挟んで、それが血液でぐっしょりになるほどの大出血をしていた人もいます。そう、男性が指を入れて、中を引っかき回す、そのため爪で傷を作っているのですね。膣はとても柔らかく、傷つきやすいのです。また、血管に富んでいて、出血しやすい所です。せっかくペニスの先は柔らかく、丸くって、傷つけない仕組みになっているのに、爪なんぞでひっかいたら、とても危ないのです。

 これは、明らかに昔にはなかったことです。アダルト・ビデオのまねなのですね。実際、指なんぞを入れられたって、女性に取っては全然いいことではないのですが、A.V.の女優さんはみなさん、とても感じた演技をします。それに、男優さんは、女優さんを傷つけないように、爪をとても深く切っています。でも、A.V.の中で「さあ、みなさん、こうして爪を切りましょう」なんてしません。

 私は、大阪のテレビ局で、吉本の番組に出たことがあります。吉本の今田さんと山口さんの二人が司会で、「性の悩みに答える」というものでした。その時に共演したのが、カリスマA.V.男優と言われている加藤鷹さんです。(テレビの共演です!A.V.の共演ではありませんからね!ちょっとザンネン!?)そして、丁度この指の話になりました。そしたら、加藤さんが両手の指を拡げて、私やみなさんに見せて下さったのです。本当に爪がないくらいに深く切ってありました。そんなことも知らない男性が、ただA.V.のまねをして、女性を傷つけています。今は私は分かっていますので、出血すると言って来た患者さんには、「彼氏が指を入れた?」と聞きます。そして、「指なんかいれたらいけん!危ないのに。」と言います。

 日本のA.V.は、コンドームを使いません。いえ、実際、撮影の現場では使っているのだそうですが、使っていることは絶対に見えないように、あたかも使っていないように見せることが必要なのだそうです。使っていることが見えると、それは上映を許可されないのだそうです。

 A.V.では、外で射精をしています。いわゆる膣外射精。でも、これは、避妊の仕方を見せているのではなく、一つの物語が完結したということの証拠のために、そう見せているのだと。でも、A.V.の男優さんによっては、射精している風に見せるために、小麦粉を溶いて、それを注射器で飛ばすのだと。中には、女性のお腹の上だったり、ひどいのになると、女優さんの顔にかけたり。そんなまねをされたら、女性にとってはとても不愉快です。

 多くの若者達は、実は大人達も、膣外射精をすればそれで避妊になると思っているようです。ましてや、性感染症の予防なんて、本当に頭にはないようです。若者達は「外出し」「中出し」などという言葉を作ってしまいました。これには、明らかにA.V.が大きな影響を与えています。

 膣外射精の妊娠率は26%。私のクリニックでの10代の女性の(10代の性の相手の男性は半数を超えて20才以上の大人であり、75%が社会人です)の場合は妊娠率は29%でした。A.V.はあくまでも演技の世界なのだということを、私は生徒に講演する時には必ず言う様にしています。

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コンドームは一休み・お花とお菓子とみそゆべしです

 コンドームの出荷量と性感染症の関係のグラフを載せたいと悪戦苦闘したのですが、どうもうまく行きません。で、コンドームのお話は一休み。明日からまた2.3回は続けるして。近況のご報告です。

 昨日はkei.先生のレッスンの日でした。お花は水仙。白い素敵な花器にハランの筒を立て、そこに水仙を飾ります。ハランは、小さな石を花器に入れて固定します。でも、、、先生のは優雅でとても素敵なのに、私のは、なにか荒っぽい。先生は「力強い」と言って下さいました。お茶は一月なのでお抹茶と、お菓子はバニラ・ケフェルという三日月の真っ白なクッキーです。お花とお茶とお菓子という、本当に魅力的なレッスンが楽しくて。来月はチューリップだそうです。本当に楽しみです。20080125194507

 20080125195718               家に帰ってやまとの湯。その後で、ゆずの「みそゆべし」を作りました。台所でごそごそしていたら、夫が夜中から何をするん?明日は診療でしょ?休みの前にすればいいのに。と言います。でも、昨日、行きつけの八百屋さんで、きれいなゆずが6個で105円だったのです。すぐに飛びつきました。思いついたら、すぐにしなければ気が済まないのが私の性分です。

 ゆず6個をゆでます。それと平行して、クルミ、ピーナッツ、干しぶどう、干し柿を刻みました。ゆずはゆでた後、ざるに取っておきます。白ごまを鍋で炒ります。そこに、味噌、お酒、みりんを入れ、きざんでいたのを入れ、練り上げます。ゆずは、一個ずつ半分に切って、茶こしを通して、なべにしぼり入れます。そして、ゆずの中をきれいにして、皮を刻んでまた鍋に入れます。味をみながら一個ずつ入れていると、三個で丁度風味が良くなったので、そこでストップです。味噌が辛すぎたので、少しお砂糖を足します。

 練り上がったら、今度は二つに分けて、大きなお皿に入れ、電子レンジに入れて、水分を飛ばします。途中出して練って、もう一度レンジに。ほどよく固くなったら、ラップに包んで形を整えました。

 これは、中国新聞のこだまの欄に広島市西区の江川美栄さんという私と同じ年の方が書かれていたのを切り取っていつか作ろうと思っていた物です。これだけでは分からない所があるので、インターネットでゆべしの作り方をしらべ、後は自分流です。薄切りにして、ご飯に載せてたべたら、もう、最高!です。これと、くんちゃん卵があれば、もう何もいりません。もう少ししたら、今度は毎年定番の「ふきのとう味噌」を作ります。これは自信があります。ご希望の方、お分けしますよ。20080126221156

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コンドームのお話(3)人工中絶とHIV

 ある時、ある大学の教授がエイズの統計に関わる講演の中で、「コンドームを使え等と言うから、性が乱れるのです。」と言われて、こけそうになったことがあります。今、性教育に反対する人々は、これと似たような考えでしょう。コンドームを教えることは若者をそそのかすことになる、と。その方達は、セックスは誰がする物と考えといるのか、不思議に思うのです。

 それだけでなく、私は今、多くの人たちが誤解をしていると思うのです。望まない妊娠をして、人工中絶を受けるのは、若い人たちである、と。だから若者の性が乱れて困ると思われているのでしょう。

 ここに、最新の統計があります。2005年度(平成17年度)の母胎保護統計、日本の人工中絶の統計です。

 総数         289127件                                

20才未満        30119                                                20~24才       72217                                  25~29才       59911                                  30~34才       59478                                      35~39才       46038                                  40~44才       19319                                   45~49才        1663                                  50才以上           28    不詳84

と、こうなのです。30代の方が28万件の内10万件以上、中絶の手術を受けているのです。これに比べると、10代は3万件と少ない物なのです。避妊というのは、若い人だけの問題ではないのです。

 それでは、性感染症は?厚生労働省のエイズ・サーベイランス(エイズ動向委員会)の最新の発表を見ます。2007年7月2日~2007年9月30日までの三ヶ月間のHIV感染数者数と、エイズを発症して見つかった人の統計です。日本国籍の男女別、年齢別統計を見ます。

           HIV感染数者         エイズ患者 

           男     女         男     女

10~19才     4     0         0      0                 20~29才    70     5        15      1                 30~39才    88     5        36      0                 40~49才    48     1        21      1                 50.才以上    24     3        23      2  

さらに、感染したのは 

国内 感染者男性 216 女性 10 エイズ発症 男性 83 女性 2          国外          11      3              8     2          不明           8      1              4     0 

 お分かり戴いたでしょうか。あらゆる年代の方が人工中絶を受けているのだし、HIVにもそれもほとんどが国内で感染しているのです。いくつになっても、女性に取って人工中絶を受けるのはしんどいことですし、性感染症にかかることも、ましてHIVに感染することは、その個人にとって大変なことなのです。

 性の問題は、若い人だけの問題ではないのです。私は、だから、一生を豊かに過ごすために、早い内からの性教育が必要だとしつこく言い続けているのです。では、今、コンドームと性感染症の関係は、日本ではどうなっているのでしょうか。次回述べます。                                                        

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コンドームのお話(2)コンドーム販売業者

 県の人は「医薬品販売業者」の資格がいるのだと言った。コンドームどころか、私が当時からクリニックでお分けしていた「基礎体温計」。これも、売ってはいけなかった。

 体温計なんて、問屋から仕入れて、その値段そのままに、もうけなんて考えもせず、ただ街で買うよりはお安く分けて上げることができるから。そのお金はちゃんとパソコンでクリニックの収入として入れている。私としては、売る、販売するというよりも、問屋さんから仕入れて、そのまま素通りでお分けするという感覚だったのだ。それにその基礎体温計を出して、はかり方を説明し、そのまま手渡す。ここはクリニックなのだし、それが違法であるなんて、思いも寄らなかった。

 なんと、私は知らないままに違法行為をしていたのだ。本当にびっくり。でも、その方はエイズの研修会に来ていた人だから、理解はあった。で、手続きを教えてくださった。それがなんとも面倒くさい。大変な手続きだった。場所の地図や、クリニック内の設計図まで必要であった。何枚もの書類を沢山作り、それで県の許可が出て、やっとやっと晴れてコンドームをクリニックでも販売してもよろしいということになったのだ。本当にお役所仕事というのは、何とも面倒くさいことが山ほどあるのだということが良く分かった。

 「どうぞ、これで自由に売ってください。」「では、私は、この片隅にコンドームショップを作っても良いのですか?」「はい、結構です。どうぞご自由になさってください。」と。まさかそこまではしようと思わなかったけれど。

 でも、それから、なんとほんの少しすると、行政改革、規制緩和ということで、コンドームはだれもが自由にどこででも売ることが出来るようになったのだ。何のこっちゃ。あの私たちの苦労は何だったのか!と、まあ、がっかりしたのだけれど。でも、人工中絶を減らすことや、エイズ予防のために、人々が買いやすくなるということはいいことだから。それからだ。コンビニにもコンドームを置くようになったのは。

 そこで。クリニックでおわけしていると、いろいろな人が出て来た。一流企業の安心できる製品を入れていたのだが、サイズが合わない人がいた。Lサイズ、Sサイズが必要になったのだ。今でこそ、それらは手に入るけれど、当時は苦労した。私が東京に講演で行く時に、当時東京に出来ていて評判になっていた、コンドーム専門店に行って買って来たり。それから、これはもう時効だろうから言うけれど、岩国の基地の売店に売っているというのを聞いて、患者さんで来ている米兵の妻に買って来てもらったりと。

 もう一つ。ゴムアレルギーの人がいる。コンドームを使うと、男性でも女性でも痒くなってしまうと。これらのゴムアレルギーの人用のゴムカットの製品が出来たのは、ここ数年の事だ。今、クリニックには、普通のコンドーム、Lサイズ、Sサイズ、アレルギーの人用などを揃えている。でも、買いやすくなったのだろうけれど、需要はあまり無い。だから、仕入れるのは少しずつにして、期限切れにならない様に、気を遣っている。

 でも、繰り返すけれど、コンドームは、いつも欠かさず使わなければならないもの。持っているだけでは何にもならない。(次回はコンドームを巡るエビソートを話します)

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コンドームのお話(1)だれがどこで買うのか

 診療の場では性交の経験のある患者さん達には、必ず避妊の方法を尋ねる。日本では多くの人がコンドームと答える。で、その使い方を尋ねる。コンドームの避妊の基本は、「毎回かかさず、性交の最初から最後まで」が原則なのだが、実にチャランポラン、本当に多くの人が使ったり、使わなかったり途中から使ったりしている。結果妊娠。産んで育てられるのならそれでもいいが、育てられないのに妊娠をすると、当然女性にはつらいことになる。それだけでなく、これでは性感染症の予防も出来ない。

 で、なぜ使ったり使わなかったりということになるのか。それを尋ねた。「安全と思った時」は使わないという人もいる。女性はいつでも妊娠するからだなのだが、「安全日、危険日」ということばが一人歩きしている。「なかった時」使わないという人もいる。で、ふと考えた。コンドームは誰がどこで買うのだろうかと。

 そこである時期を区切って聞いて見た。誰がどこで買うの?と。私のクリニックは女性が来る所。だから女性のみに聞いたのだが、やはり女性は買わない。男性がどこかで買って来る、と。女性はとても買えないというのがほとんどだった。ああ、やっぱり女性は買えないのだ。だから、男性が持っている時は使うけれど、持っていない時は使わない。となってしまう。要するに男性まかせ。持っていないのだったら、しない、と言えたら、これは男性任せではないのだが、そうもいかないというのがほとんどの女性であった。

 やはり女性がちゃんと買える環境を作らないと。で、考えた。うちで売ろう、と。クリニックには薬の問屋さんが毎日来る。私の所では、膣式の超音波を使う時、プローベにコンドームを被せる。それを問屋さんで買っていた。それを患者さんにも分けて上げればどうだろうかと。

 早速、「コンドーム、当院でお分けします。ドクターでも、ナースでも、受付でも。誰にでも気軽に声をかけてください。(定価1000円を800円で)」ピンクの紙にこう印刷して張り紙をつくり、何カ所かに貼った。(この張り紙は古ぼけたまま、今でもクリニックに張ってある)

 これは、1993年の話。今から15年も前だ。まだコンビニもほとんどなく、あったとしてもコンドームは扱っていなかった。ネット販売もない。ほとんど薬局で買うしかないころだ。ただ、コンドームの自動販売機があったり、タバコの自販機にタバコと並んでコンドームを置いている所もあった。まだエイズの予防が深刻だったころ。エイズの予防のために、いかにコンドームを使わせるか、が課題であった。使うどころか、買えないのでは話にならない。

 今では、スーパーマーケットのカゴにぽいと入れることもできるが、やはり少し年を取った人しか買いにくい。自動販売機は姿を消した。これは、青少年の教育上よろしくないとの声を上げた人たちのためだ。

 さて、クリニックにひっそりと張り紙を貼るだけにしたのだが、やはり次々とコンドームを分けてくださいという人が現れた。この事を、私は当時盛んにあったエイズの研修会でも話しをした。

 そしたら、県の職員の方、いわゆるお役人が飛んで来られた。「先生、コンドームを売ってはいけません。」と。私は、意味がわからないまま驚いた。

(このコンドームのシリーズ、何回か続きます。)

 

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息子夫婦と、寒行

 それにしても、コメントを読んで戴くと、月経で悩んでいる人がこんなに沢山いるということが分かっていただけると思う。これらは、個人的にすべて胸の内に秘められて来た。

 寝ていてシーツを汚したという経験はおそらくほとんどの人にあるであろうに、それはその人の困った、または恥ずかしい経験として納められて来た。大人で、夫に何もかも知られても平気な状況の人はまだいい。思春期の多感な時に、下着のような小さなものはまだしも、自分でシーツの様な大物を洗わなければならなくなったら、これは情けない。中には父親はもちろん、母親にすら言いたくない子も沢山いる。

 私、思春期の子達のプライバシーについて、大人の方から思いやってあげなければならないと思っている。これについてはまた話す事として。

 今日は午後から目一杯忙しいので、今のうちに近況のご報告を。

 日曜日、新婚の息子夫婦が初めて広島に(帰って)来た。で、広島在住の親戚や友人達とお食事会をした。結婚式は家族だけで海外でしたので、みんなに不義理をしていたので。息子達は、今、息子は岡山で、彼女は東京でと別居をしている。息子は今まだ学生で、この四月から卒業、東京での就職となる。

 その場での話。息子は学生をしながら、もち論、学業にさしさわりない範囲でではあるが、アルバイトをしていた。そして、バイトでためたお金で結婚式などもした。だから、私たちは結婚式には自分達の飛行機代、ホテル代だけを負担して、後はほとんど出さなかった。そのアルバイト、家庭教師とパチンコやさんで、というのは知っていた。その食事会で、息子が立派に挨拶をしのが、パチンコやさんで鍛えているから、との話になった。

 えっ?パチンコやさんで何かしゃべってるの?私はただ、アルバイトだから、物をはこんだりしているのだろうと思っていたから、驚いて、どんな風にしているの?やって見て。と言った。えっ、ここで?同じ様にやるの?で、息子がマイクをもったふりで、しゃべり始めた。

「いらっしゃいませ。いらっしゃいませ。本日はジャンボ○○店におこし下さいまして、まことにありがとうございます。本日も、、、、本日当店お勧めの台、必殺仕事人、3人4人5人6人、じゃーんじゃんフィーバーしております。、、、、」

 なんと、すごい早口で、どんどんしゃべる。私は、もう、びっくりして、おっかしくて笑い転げた。その座の一同、みんな笑い転げた。まさか、息子にそんな才能があるとは、思いもしなかった。聞けば、パチンコ屋さんにすごく気にいられて、これからもずっとここで働かないかと言われたと。そこでちゃんとまじめにトイレ掃除もすべてやっていたと。ふうん、親から見ればちゃらちゃらしているようでも、意外と苦労しているのだわ、と、感心してしまった。今は卒業試験と国家試験を控えてさすがにパチンコやさんのバイトは止めて、家庭教師だけやっているそうだ。

 そのお食事会の後、私のお寺の先生が寒行でクリニックに来てくださった。毎年この時期、何人もの山伏さんと信者さんの会社などを回ってくださる。丁度息子夫婦も先生に会って戴いて、息子達もうれしかったと言い、私もうれしかった。

 写真がピンぼけで申し訳ないのだけれど、クリニックの下で、先生と山伏さん達。先生は、相変わらずかわいくも威厳があり、山伏さんはホラ貝をぼーぼーと吹いて、それは勇壮でした。20080120170325 みなさんで力強いお経を唱えて戴きました。

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絶対に漏れないナプキンの開発(2)

 花王で早速開発に取りかかって下さったが、本当にいろいろと大変だったと聞いた。まず、ナプキンには伸縮性はいらないが、ショーツとなると、いろいろなサイズの方にピタっとフィットするためには伸びがないといけない。それをどうするか。ウェストの部分にゴムまたはギャザーを入れる、それには大人用のおむつにすでに特許があって、それをどうクリアするか、また、新しいのはいいとして、後、血液が着いたものを足から脱ぐのはなかなか難しい。それをどうするか。

 それらをクリアするのに、とても時間がかかった。何年も。やっと試作品が出来た時には、本当にうれしくて、バンザイ!という思いであった。使用した後は、脱がなくとも、両サイドを手で破って簡単にはずすことが出来るようになっていた。なるほど、すごいアイデア。これをまた協力していただける、量の多い人に使っていただいた。その感想を私が聞くだけでなく、花王の本社の方も直接話を聞きに来られた。

 その結果、おおむねいいのだけれど、ただ、お尻の内側の部分、谷になっているところ、そこから血液が伝って漏れの原因になるのだけれど、そこのフィット感がいまいち、ということであった。さあ、それをどうするか。それは、そこにギャザーを一本入れることでクリアできた。

 そうして、何と苦節10年。りっぱに出来上がったのですよ!ナプキンで出来たショーツが。クリニックの患者さんで量が多いという人には、サンプルとしてお渡しして、沢山の人に試してもらった。みなさん、グーッと、大好評。

 舞台に立つ人、スポーツをする人、修学旅行でスキーをしなければならないと言う少女、何より量が多くて寝るのが恐怖という人。みんなこれで安心と言う。ただ、普通のナプキンより少し高価なので、このショーツを生理用ショーツにしてナプキンと併用をする。普段はそのナプキンのみを換えればいい。たとえナプキンからはみ出してもショーツのナプキンがしっかりと受け止めてくれる。お風呂に入る時にショーツも換える様にする。そんな使い方をする人も。

 やっとその新製品が出来た時に、花王は在京の雑誌などのメディアの人を集めて、宣伝をした。その会に、私が参加して講演をした。でも、その後花王はそれを宣伝費を使って大々的に宣伝をするということはしない。ただひっそりと、スーパーのナプキン売り場のすみっこに少数を置いてあるだけだ。私はどこのスーパーに行っても気になってナプキン売り場に行き、それが置いてあるかどうかを見る。約三分の一のスーパーが置いていない。

 だから、ほとんど知られていない。知った人、使った人は、みんな大感激をして、もう手放せないと言うのだが、何しろ知っている人がほとんどいない。花王としては、売れるのは少数だけれど、根強いファンがいて、少量ずつ売れ続けていると言う。

 私は、知って欲しい。こんなのがあるよと、知ってほしいだけだ。でも、私は医師だから、広告をしてはいけないのだそうだ。県の人に釘を刺されている。だから商品名や写真を出して宣伝をすることはしない。売れたって私が儲ける訳でもないし、今は花王の仕事をしている訳でもない。ただ、女性達が生き生きと生活できれば。そのためにいろいろなものを使いこなせるよ、と、それが言いたいのでお知らせした次第。

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絶対に漏れないナプキンの開発(1)

 産婦人科には月経の異常で来院する方がとても多い。周期がおかしい人、ダイエットで月経がなくなってしまった人、だらだらと続いていつまでも止まらない人など。でも、大変なのは、量が多い人だ。特に子宮筋腫とか内膜症とか内膜肥厚症とか病気がなくとも、量が多くて、小学生でもヘモグロビン5.0という様な重症の貧血になっている子もいる。医師としては量を減らしたり、貧血の治療をしたりという治療を行う。

 治療はいいのだけれど、精神的なケアも必要である。大人でさえ、寝ているうちに漏れてしまった、パジャマだけでなく布団まで汚して情けない思いをしたという経験は、ほとんどの人が一度は持っている。

 これが、まだ思春期の中学生となると、スカートを汚してしまい、それを男子生徒にからかわれて、以後不登校になってしまったという女性を私は何人も知っている。男子生徒にもちゃんと女性の体を教え、たとえ漏れて汚していたとしても、そのことを絶対にからかったりしないように、ましてナプキンを持っているというだけで、心ない事を言ったりということは女性を傷つけることなのだという指導が必要なのだけれど、そこまでしていない学校も多い。

 ある日、まだ若い少女が量が多いと言って来た時、超音波でお腹から子宮を見ようとしてスカートを上げてもらったら、大人用のごわごわのおむつをしていた。生理中は外出もままならない、家でおむつをしてじっとしている、と。それは少女には似つかわしくなく、痛々しい姿であった。

 月経があるというだけで、そして量が多いというだけで、行動が制限され、大きなハンディーを背負ってしまう。量は減らすけれど(今は低用量ピルが何よりも効果があるのだが、親がその使用をいやがることが多くて、根気強く説得をしなければならない)もう少し、その対応が何とかならないか。絶対に漏れないナプキンというのは出来ないだろうか。

 その少女のおむつを見た時から、ずっと考えた。大きなナプキンもいろいろと開発、販売されているけれど、大きいだけでは絶対に安心という訳でない。外出、寝ること、生徒だったら、体育の時間のジャージや短パンになること等が恐怖となる。

 考えているうちに、思いついた。いっそ、全部ナプキンのパンツというのはどうだろうか、と。それも、おむつの様なごわごわでなく、スマートでぴたっとはける、下着と変わらないようなショーツだ。生理用のショーツはいろいろとあるけれど、それをナプキンで作ってしまうのだ。

 当時、私は花王のサイトでQ&Aを受け持っていた。その関係で、花王のマーケティングの人や商品の開発の人等に面識があった。で、私は「全部ナプキンで出来たショーツを作って!!絶対に漏れない、究極のナプキンを」と言った。花王の人は、真摯にそれを受け止めてくれた。

 そして、そこから開発が始まった。私も言い出しっぺだから、協力を惜しまない。まずやったのは、月経の多い人の経血量の計測だ。量が多い患者さんに協力していただいた。ナプキンと「はかり」を渡して、ナプキンを換える時にその重さを量ってもらい、それを記録していただく。沢山の患者さんがいやがりもせず、協力してくださった。

(この項目、まだ続きます。)

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「うわさ」って何だ。

 私は、若い人たちに対して妬んだりしない。若い人は育てるべきものと思っている。私はもう年だから。でも、年をとっているということは、ただ漫然と生きているという事ではない。それだけ修羅場もくぐって来ているということだ。数々の経験を積んでいるということだ。

 私は、若い人であろうと、年の人であろうと、卑怯者は嫌いだ。自分の言ったことを人のせいにするのも嫌いだ。自分の言ったことは言ったこととして認めるべきだ。認めた所でしか議論は始まらない。それから、議論はあくまでも議論であって、排除ではない。

 うわさって一体なんだ。「うわさ」があったと文章に書くと、その噂はひとり歩きする。書くのなら、その噂を検証した上ででないと、もしそれが事実でなかったなら、ウソを広める事、それに荷担するということになる。

 私は、その「うわさ」でさんざんいやな目に遭った。でも、ある時このまま見過ごしてはいけないと刑事告訴した。事実でないことを書かれ、それをそのままに見逃していては、ウソを認めたことになってしまうと思ったから。四人の男が逮捕され、結局全員が有罪となり、主犯格の男は、実刑判決を受けた。その代わり私は大変だった。右翼に乗り込まれたり、ある時期は24時間警察にガードされるという情けない状況にもなった。ただ、負けてはいけない、との一心で何とか乗り切った。が、まだ危険な状況は続いているので、気をつけないと、と心配してくれる人もいる。

 また別の事件では、名誉毀損の損害賠償の民事訴訟を起こした。私のライフワークである性教育、私の命がけの仕事に、また噂の形で事実でないひどい中傷を書かれたから。先の事件も、この事件も相手の男性達が言うのは、「そういう噂があったから」と。「それは本当だと思った」と。裁判を起こすと言うのは、とてもしんどい。でも、これも負けたくないという一心で乗り切った。

 「うわさがあったことは事実だ」と書くのは、それくらい重いことなのだ。しかも、そのうわさはうわさではないのでは?自分で作ったことなのでは?

 私はちゃんと読んだ。広ブロから削除の理由が届いた、と書かれたのを。その時、はっきり書いていたではないか。「俺が一位になったから。嫉妬したのだ。古い人間達が新しい者が一位になったのを許せなくて、排除したのだ。」と。もう一つ、ここではもういわないけれど、「広島ブログには派閥があって、新しい人間が一位になったら、古い人間達が排除した」ということを言うために、それを自分で広めるために、もっと姑息な手段を使わなかったか。私は、これらについて謝罪すべきだと書いたのだが。

 今日、私は、大学時代の友人達と新年会をした。友人の一人は、小学校で学級崩壊したクラスの立て直しにかりだされている。その悪戦苦闘ぶりを聞いて、彼女の頑張りに感動した。と同時に、ブログのことで気が重いここ数日がすっと晴れたような気がした。もう止めよう。

 それこそいい年をして「死者にむち打つようなことをするのか」と言われそうだけれど、彼の嫌いな古い人間の一人として、shiozyほど広島ブログと広島blogに集う人たちを愛していた人間はいなかったという事だけは言っておきたい。彼は、大好きだった広ブロを自分がはずれ、若い人たちにもう任せようという気になったと言った。私は、「もう古い人間ははずれて若い人にと言うのなら、shiozyより年上の私はどうすればいいのですかね」と言って、吹き出した。

 で、これでおしまい。もう何も言わない。日々小学生や保護者と本気で向き合っている彼女に比べれば、悩むエネルギーがもったいない。私は、これまで闘いの人生を生きて来た。でも、このことでは闘おうとは思わない。

 

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今日も赤ちゃんが生まれて。

 今日は木曜日の休診日で、朝から廿日市の友人のひさまつ産婦人科で代診をしました。朝からつぎつぎと患者さんが来られます。そのほとんどは妊婦さんです。お一人、まだほとんど痛みはないけれど、子宮口がかなり開いている方がありました。これは、開いているので、もし陣痛が来るとすぐに生まれるから、一応、入院して下さいと言いました。そしたら、入院されて一時間もすると、自然に陣痛が来ました。それから一時間で赤ちゃんが生まれました。入院してもらっていて良かったと、ホッとしました。

 生まれてすぐにお母さんのお腹の上でお母さんと初対面です。その後、このごろはお風呂に入らないのですね。

20080117130747 20080117132803                それは赤ちゃんの体温が下がるのを防ぐ為です。頭に帽子を被せてもらって、体をざっと拭いてもらって、この後で私が聴診器で赤ちゃんの心音や呼吸音を聞いて、それから服を着せてもらっています。今日も、お母さんにブログに乗せてもいいですか、と尋ねて、逆にありがとうございます、と言われてしまいました。

 それにしても、私はもう産婦人科医になって37年ですが、それでもまだ慣れません。赤ちゃんが無事に生まれて、ぎゃあっと泣いた時は、今日も胸がきゅーんとして、思わず涙が溢れそうになってしまいました。「おめでとう!良く生まれてきたねっ」と感動の中で語りかけることが出来ます。やっぱりお産が好きなのですね。緊急のことがあると少し怖いけれど、でも、命の誕生には慣れるということがありません。毎回、感動させてもらっています。

 私、産婦人科医が少なくなって、お産する病院も少なくなって、とくに離島とか、山の中とか、とても不便な所にいる方達がお産が出来ないというのを聞く度に、胸が痛みます。私は、こなんところでこんなにのんびりしていていいのだろうか、もっと必要としている人たちがいる所に行くべきではないだろうか、なんて、少しばかり自分を責めてしまいます。

 それにしても、またしつっこく言います。広島ブログのトップにshiozyがいなくなって、なんとも気が抜けてしまいました。ランクが一つずつ上がって、みなさん、うれしいと言う人はいないでしょう。私も、何の魅力も感じなくなってしまいました。何でも、おもしろおかしく、楽しくやればいいというものではなくって。あのしみじみとした味が広ブロからなくなって、寂しい限りです。もちろん、そのままshiozyはブログを続けているし、コメントにも丁寧に答えていて、彼に取っては、何の労力も変わらないのだけれど、でも、広ブロには大きな穴が開いてしまいました。まだ残念で、ふっ切れずにいます。うじうじ、、、。

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私的編み物考

 出雲の行き帰りのパスの中で帽子を編んだ。この冬、娘が広島に帰って来た時、「ママ、帽子を編んで」と言った。いいよ、と、好みを聞いた。

 「野球帽みたいなひさしがあって、でもひさしはそう大きくなくって、ひさしの幅は顔より小さくならなくって、帽子は浅め」と。かなり細かい。

 で、そごうの手芸やさんに毛糸を買いに行って、それを持ってバスに乗った。丁度帰り着く少し前に出来上がって、そして、次の日、ボタンを買いに行って、それも付けた。そこで、モデルが年寄りで残念なのだけれど、携帯で写真を撮ってそれを娘に送った。帽子第一号出来たよ、と。20080115162147

 そしたら、電話がかかって来た。「ママ、かわいい。良くにあっているから、それ、ママがかぶりんさい」と。何のこっちゃ。これは、あんたの為に編んだので、私の為ではないよ。どこが気にいらんの?と問うたら、「私はもっとカジュアルなのがいい。模様が入っていて、透けてて、かわいすぎる。これが濃い紺だったらまた違うと思うけど、ベージュだから。模様が目立ち過ぎて、かわいすぎる。」と。娘はロックミュージシャンだ。たしかに、ロッカーには似合わないかも知れない。

 やれやれ。昔から、好みの厳しい子だった。一発で気にいるとは思わなかったので、紺も濃いグリーンも糸を買って来ている。今度は、紺でまた違うデザインで編み始めている。今度は、色はいいけどデザインがね、何て言われそうな気もするが。

 まあ、娘の為というよりも、自分の楽しみで編んでいるのだから、結果、好みに合わなかったら、仕方がないこと。また、次を編めばいいだけのことだ。

 私の編み物歴は長い。せっせと子どものものを手作りしていた(多分に経済的な必要性もあってのことだろうが)母の影響だと思う。子どもの頃から、手作りが好きで、小学生の頃には、自分で編んだバッグを使っていた。中学、高校、大学と、そして医師になってからも、様々なものを編み続けている。こどもが生まれる時には、おくるみやベビー服や帽子、靴下など、一式編んで揃えた。

 ただ、一旦編み出すと、もう、なにもかも後回しにして編みたいばっかりになるので、仕事と子育ての忙しい時には、編み物を封印していた時期もある。仕事や家事に差し障るから。

 編み物をしている時は、なにも考えなくていい。数を数え間違わないようにするだけで、後は無心になれる。いえ、何も考えないと言うよりも、頭の中はいろいろなことがぐるぐると駆けめぐる。だから、特にうつっぽくなった時に編みたくなる。

 昔から、女達は、こうしてじっと思いを巡らせ、思いを押さえながら、針を動かしていたのではないかと思う。一目一目には女の思いが編み込まれている、そんな思いを持ちながら、でも、結果必ず作品が出来上がるのだから、楽しいことに違いない。

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出雲に行ってきました。

 13.14の一泊二日で出雲にお墓参りに行って来ました。寒くて山陰の風は強く、雪がちらついていました。バスで出雲に着いてすぐにレンタカーを借り、まず叔母の家に行きました。

 叔母は、丁度一年前に叔父を亡くし、一人暮らしです。叔父は心筋梗塞での急な死で、以来、叔母は元気がありませんでした。でも行った時には一周忌を済ませて、何かが吹っ切れたのか、だいぶ元気になっていました。おじさんは、以前、自治労から社会党の県議をしていました。でも、自治労が連合となり、民主党支持になった事に、怒っていました。いつも私や夫が行くと、政治談義になっていたものです。私はこの叔父が大好きでした。夫婦には子どもがなく、その分二人はとても仲良しでした。飼っているダックスフンドも私たちが行っても、全然元気がありません。犬も高齢で、耳も鼻もきかなくなって、だから、私たちに吠えもしませんでした。叔母は、その犬をちゃんと看取ることが仕事だ、と。犬より先には死ねない、と言っていました。たしかに、ペットは生きる力を与えてくれるのです。

  私たちの両親のお墓は、出雲市平田町の金光教の教会の庭にあります。信者さんの共同の墓地で、祖父も祖母も、両親もみんなこの中に入っています。毎日教会の先生が拝んで下さるので安心なのですが、すっかりそれに甘えてしまっています。ありがたいことです。

20080114101640  平田のホテルにチェックインした後、すぐそばにある「ゆらり」に行きました。「ゆらり」にはバイキングのレストランがあり、そこでたらふく食事をして、お風呂に入りました。お風呂は、そのホテルに泊まる人は200円です。ホテルに泊まらなくても、バイキングを食べた人は300円。ただお風呂に入るだけの人は600円、休日は700円だそうです。お湯は、本当に素晴らしい源泉掛け流しです。ピューピューと風が吹いて、雪がちらつく中、十分熱めのお湯にゆっくりつかるのは、とても気持のいいものです。ここには、開業以来、100万人の人が利用したとの新聞が張ってありました。

 つぎの日、一カ所だけ観光をという事で、日御碕の燈台に行きました。石造りでは日本で一番高い灯台だそうで、真っ白で、すっくと立っている姿は感動的です。163段の階段を上って頂上の展望台に行きました。私は子どものころから出雲には何十回と行っていますが、日御碕燈台に上がるのは初めてです。上からは、日本海の水平線がどこまでも丸く、感動しました。

20080114121054 20080114115015_3   日御碕では、サザエの壺焼きを食べ、キスの干物といかの一夜干しを買いました。キスは、15匹もあって300円ととても安かったです。

 たったこれだけの旅ですが、なんだか、とても充実して楽しかったです。お墓まいりが出来た事も、叔母に会ったことも、ホッとしました。行き帰りのバスの中では、予定通り、ルービックキューブと格闘しましたが、まだまだです。解説書がなんとも難しく、なんどもなんども読んでは試すの繰り返しで、道は遠いと絶望的です。編み物は、帽子を一つ編みました。行き帰りで丁度できあがりました。これについては、また機会を改めて書きます。

 それにしても、また言いますがshiozyさんのことは、気が重いことです。

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shiozyに再考を促す

 昨日から今日、一泊で出雲の両親のお墓参りに行って来た。ホテルでパソコンを出して、広島ブログでshiozyさんがブログを移動することと、それを機会に広島ブログのランキングを卒業するというのを読んで、びっくりして、がっくりと来た。

 shiozyさんにコメントを書いたのだが、そこでパソコンが動かなくなって、結局コメントを送れなかった。そこのホテルでは、前回も1階のロビーに行かないと、接続が続かなかった。今日、家に帰って急いで書こうとしたら、またまた接続がうまく行かない。あれこれやってやっと今、なんとかなりそうになってこれを書いている。

 お墓参りの事などを書きたかったのだが、それはまたにして。

 私は、ブログを書き始めて、まだ一年にならない。昨年の2月の終わりの日にまだ良く分からないままに書き始めた。以来、選挙の間に書きたくても書いては行けない時期があって、それ以外時々一日飛んだことはあっても、何とか書き続けて来た。

 メディアの力を借りなくとも、自分で情報を発信することが出来るというのは、大きな魅力で、今、これほどありがたい物はないと思っている。

 ブログを書く原動力となったのは、多くの方にそのままを読んで頂ける魅力と、もう一つは、やはり広島ブログの魅力だったと思う。一年前、私は広島ブログの存在すら知らなかった。人に教えてもらって参加して、たちまちその魅力にとりつかれた。こんなに沢山の人が、「広島」という一つの地域のつながりのみで、ブログを発信し、参加し続けている。ランキングはやはり面白かった。でも、途中から気がついた。これはランキングを目指す物ではない。あくまでも、自分が言いたいこと、書きたいことを発信する、それに同調する方がポイントを与えて下さるもので、本末転倒になってはならない、と。

 だから、「一位になってやる!」と言う人のブログを読んだ時、「違うんじゃないの?」と言いたかった。そんなに力むと、それを第一目標にすると、しんどくなるよ、と。でも気分を悪くするようなことを書いては行けないと思って、その時には書かなかった。その後その人の広島ブログのへひどい攻撃を読んだ時、はっきり言ってこっちの気分が悪かった。私は、広ブロに参加している一人としてやっぱり傷ついたと思う。私は、彼は広島ブログに参加している人たちに謝罪すべきだと思っている。

 広島ブログの魅力は、やっぱりさまざまな人が良識を持って自分を発信する、そのおもしろさだと思う。派閥やねたみなど、その人が言うまで思いもしなかった。文章を発信するみんなは良識がある、素敵な人たちばかりだもの。

 shiozyさんの魅力は、誰しも認める所だ。これまで、とにかく真っ先にshiozyさんのブログをよんだ。誰のよりも、何よりも彼のを読まないと、始まらなかった。秀子さんへの愛情の深さがうかがえるブログの内容も魅力的だし、それに、彼の仕事となっていたのだが、若い人たちへの大変暖かい対応がこれも素晴らしかった。その意味で、shiozyさんは若い人達に慕われながらも、彼らの目標の一人となっていたと思う。

 私は、彼がランキングからはずれるというその意図が分からなかった。が、今日、コメントを読んで、「自分が権威になったから」と知った。でも、、、それはちょっと違うのではないの?と思う。「反権力でありたい」と。shiozyさん、十分「反権力」ですよ。私は広島ブログその物が、主催者は意図しなかった事だと思うのだけれど、その存在その物が反権力だと思っている。だって、こうしてみんなが自分の思いを公にするということがもっともっと拡がってごらんなさい。それは、権力者に取って、大変な脅威になることなのだから。独裁者がまずするのは、言論の封殺なのだから。

 私は、若い人たちへの責任として、shiozyさんには広ブロのランキングに留まってまっていて欲しいと思っている。もちろん、気を抜いて、気楽に書きたい時だけ書けばいい。これまでのように「ネタ、ネタ」と探して無理に書かなくとも。私は、マスナガさんが「頭ん中」これもすっごく面白かったのだが、それを止めて、別の形でブログを発信したような、それはとても意義があると思って、そんなやり方もあるなあと思って。どんな形でもいいから、やはりランキングに残ってほしいと願う。多くの人にshiozyの魅力を続けて読んで欲しい。若い人たちを指導し続けて欲しい。ここまで来たら、shiozyさんにはその責任が、義務があると思うのだ。何とか思い直していただけないだろうか。ランキングをはずれても、まだブログは書くと言っても、それは、広ブロにいなくなったのと等しい。広ブロの魅力も半減してしまう。

 私は、shiozyさんも好きだし、広島ブログも好きだし。広ブロに参加しているとても多くの人たちも好きだし。みんなのハッテンを願うなら、shiozyさん、もう一度、考え直して下さいませ。(県外の読者の方、何のことか分からないようでしたら、広島ブログ、オレンジ色のバナーをクリックしてみてください。私は、これまで、このバナーをつけてはいても、これを押してほしいというのは、一度も書きませんでした。でも、今、今日のうちに、クリックしてください。そしたら、広島ブログに飛びます。そのランキングの一位にshiozyさんの介護生活というブログがあります。それをクリックしていただいたら、shiozyさんのブログに行きます。ぜひ、読んでみて下さい。)

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お墓参りに行きます。

 今日は、もう日曜日。朝からバスに乗って出雲に行く。出雲駅から、前は平田市今は合併して出雲市平田町の両親のお墓参りだ。いつもは自分の車で行くのだが、雪が心配で。赤名峠の辺りはとても雪が深い。そこを通らざるを得ないので、考慮の末バスにした。そして、出雲についてレンタカーを借りる。

 レンタカーは、姉が手配をしてくれたのだが、傑作なことを聞いた。ご一行の中に60才以上の方はいらっしゃいますか?と聞かれたと。で、みんな60以上です。と答えたのだと。姉と夫と私の三人だから。そしたら料金が15%引きなのだそうだ。シルバー料金!こんな恩恵にあずかるなんて、良かったね。と言いながらも、大笑いだ。

 お墓まいりと、出雲の叔母の家にも行く。昨年一月に叔父が亡くなって、叔母一人暮らしだ。私たちに取って、父の兄弟も母の兄弟もこの叔母ひとり残してみんな亡くなっている。だからどうしても機会がある時には会いたい。

 それから、平田には「ゆらり」というとても素敵な温泉がある。お湯はぬるぬるとして、肌によさそう。露天風呂は大きくてまるで広い庭一杯の池のようだ。そこでバイキングのご飯を食べて、温泉に入る。これもすっごく楽しみで。あちこちするのに、やはり車が必要で、少々の雪でも、レンタカーなら多分冬タイヤにしてあるだろうから、安心ではある。

 実は、昨日土曜日に大仕事を終えた。診療を終えて、友人の家に行く約束をしていたのだが、ちょっと残業をして終了させた。それは、何か!恥ずかしながら、年賀状。昨年の内に頑張って、出すのはすべて出したのだけれど、出していない方からのお年賀状への返事書き。これがなかなか大変で。やっと終えた、ということだ。なんと常識はずれ、と言われるかも知れないけれど、昨年は私に取っては特別で。だから、年賀状の数も特別で。とても時間がかかってしまった。すべての方に(ほんの少数例外はあるけれど)一言のコメントを書いた。絶対に時間がかかってもすべての方に出すことにしたので、やっぱり大変だった。それが終わった!

 ああ、これで心置きなく、お墓に参ることができる。行き帰りのバスの中を楽しみにして。ルービックキューブと編み物と、本と、そしておやつと飲み物も、と。うきうきしています!

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レッドリボンの続きです。

 今日土曜日は、目一杯の診療とその後、友人の家に行く約束なので、今の内に。昨日の続きです。昨日のいろいろなリボンに、肝心のレッドリボンを忘れていました。

20080111213215_2 下のハート型の。これは、昨年の広島での日本エイズ学会で配られた物です。今、HIVに感染している方の治療法、多剤併用療法をHAARTと言います。それと、ハート、広島発の平和の象徴である鳩とレッドリボンを組み合わせて、学会の会長である高田昇先生がデザインされたそうです。これは大好評で、私が胸につけていると、多くの人にそれは何だ、と尋ねられます。説明をすると、「私も欲しい」と言われます。でも、学会にはもう残っていないそうで、残念です。

 その上のは、エイズ予防財団が作ったゴムのレッドブレスレットです。写真では見えませんが、横にSTOP AIDSと書かれています。その横のが同財団が作っている、キャンペーン用のレッドリボンがついたコンドーム。その下のは、やはり学会の時に買った物です。アフリカ、ザンビアのエイズウイルスに感染している女性達のグループで作った、ブレスレットです。三角の紙をくるくる巻いて、赤く塗り、ビーズと交互にゴムに通してあります。材料は粗末でも、とてもきれいで、私はいつもこれをしています。貧しい国の貧しい人たちで、こうして作った物を売って、生活の糧にしています。他にもネックレスや馬の置物とかいろいろと作って売っていましたが、売れ行きはあまり芳しくなさそうで、気の毒でした。

 日本では、HIVに感染しても、治療で生きることが出来るようになりました。でも、アフリカやアジアの貧しい国では、感染すると治療も受けられず、食べるものもあまりなく、ただ、亡くなって行くしかない、そんな国が沢山あります。

 日本の国際貢献、戦争の一方の国のみに荷担するために、国年の税金を湯水のごとく使って。本当に今日の新テロ特措法の成立。これ、一年に100億円だそうです。国内の格差の拡大で困っている人が沢山いるのに。それらの対応をちゃんとした上で、国際貢献をするのなら、このような貧しい国の貧しい人たちの生活に直接援助できるような、そんな貢献をするべきだと思うのですが。なかなか、私たちの思いは政治の場には届きません。

 私が買った一つのブレスレットで、どれだけその女性達が助かるのか、わからないのですが。

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いろいろなリボン

 昨年11月の終わりの日本エイズ学会があった。その時、広島エイズダイヤルのブースを出して店番をしていたのだが、多分どこかの医療系の学生さんだと思う。若い女性が何人かで来て、レッドリボンのついたコンドームを見て、「へえっ、赤いリボンもあるんですね。ピンクリボンは知っているけど。」と言ったので、こけそうになった。

 そうか、エイズのボランティアを初めて、もう17年目。時が経つと、どんどんと若い人たちが参加して来て、初期の頃の出来事、歴史を知らない人たちも増えて来たという事だと思う。毎年の世界エイズデーになると、いろいろとレッドリボンのついたイベントもされるが、日常的にひっそりしていると言うことでもあるのだろう。その意味で、ピンクリボンキャンペーンに取り組んでいる方達に頭が下がる。

 手持ちのものを並べて見た。一番左から。もう10年以上に前に手に入れたもの。

20080111161650_2  広島市が作ったレッドリボン。次は、スロバキアのもの。94年。横浜で世界エイズ会議が開かれた時、私が発表し、その時に司会をしていたスロバキアの女性のドクターからいただいたもの。次は、ロスアンジェルスの、チューズデイズチルドレンという、エイズにかかった子どもたち、当時はほとんどが母子感染の子ども達だが、その子達へのボランティアをしているグループのもの。レッドリボンの廻りにバットやグローブや人形などのおもちゃが取り囲んでいる。これは、ドクターフランシス、ずっとエイズウィルスのワクチンの研究をしているアメリカ人ドクターだが、その人を広島に招いて講演をしてもらった、その時に通訳として来てくださった小林まさみさんがしていたもの。あんまり素敵だったので、ロスアンジェルスから輸入して希望者に販売をした。次は、レッドリボンの陶器のネックレス。これは新しくて、昨年夏の性教協の北海道での全国大会で売っていたのを、広島のメンバーが買って来てくれたもの。(私は分科会の司会をすることになっていたのに、参議院選が一週間延びて、行けなくなったため、きっとかわいそうに思っておみやげを買ってくれたのだと思う。)ここまでは、レッドリボンでエイズウィルスに感染している人たちと、共に生きますよという意思表示の物。

 次がご存じ、ピンクリボン。乳ガンの早期発見のための検査の普及や、よりよい医療を求めての意思表示。次がパープルリボン。これは、ドメスティックバイオレンス、身近な人からの暴力防止のキャンペーン用。薄い紫がとても素敵だし、テーマにも共感し、選挙の時にはずっとこれをつけていた。政見放送の時にもつけて収録したのだが、NHKだけは、示威行為となるものはダメなのではずすようにと言われて、はずさざるを得なくて、残念だった。次は、イエローリボン。障害者自立支援法の改善を求めて、障がい児・者と、そのサポートをしている人たちが作ったもの。これは、新しいと思う。このブログにも書いたけれど、12月の終わりにあった性教協の東京での全国幹事会に行った時、障害児・者への性教育の実践をしている先生に戴いた。

 このように、これらのリボン、ピンバッチは、それぞれ意味があるのだけれど、多くは、活動の資金とするのと、理解の輪を拡げる為に、活動するグループが作って売っている。みなさんもこのようなバッチをつけている人をみかけたら、声を掛けてみてください。いろいろとお話をするきっかけになると思うので。        

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ルービックキューブを買ったよ。

 昨年11月の広島ブログ、第一回公式オフ会に参加した時のこと。何よりびっくりしたのは、きのぴーさん(http:kinopworld.exblog.jp/)だ。鞄からルービックキューブを取り出して、「チャンチャカ、チャンチャカ、チャンチャンチャン」と言いながら、体を前後に揺らして、ホイッと6面そろえて、机の上にほうり投げたのだった。もう、びっくりした。テレビでは、鮮やかに素早く完成させる人を見たことはあるが、目の前で実際見たのは、初めてだった。

 私は、もうずっと前から時々ルービックキューブをやっているのだが、二面そろえるのが精一杯で、一度も6面を完成させたことがない。きのぴーさんは、何回でもいとも簡単にそろえて見せる。お酒がずいぶん入った時に、何人かの女性たちの前でやった時、一回失敗しただけだ。その時に話も聞いた。国際的にコンクールもあって、中国の三歳くらいの女の子がちょこちょこと出て来て、ホイホイっと完成させていた、と。

 そして、きのぴーさんが、ルービックキープの講座を持っていることもその時に聞いた。即座に「私も入れて!」と言った。講座は、三ヶ月。もう、一ヶ月過ぎているので、次のクラスに、と言われた。で、次のクラス、1月から入れてもらうべく、12月のうちにRCC文化センターに申し込んだ。そしたら、まだ申し込みの人数がそろうかどうか分からないので、あらためて連絡をする、という事であった。連絡先を伝えて待ったのだが、なんにも連絡がない。もう、一月。確か、講座は金曜日と聞いていた。そろそろ始まるのではないかと、気になって、今日連絡をしてみた。そしたら、「今回は、募集しませんでした。次は4月からです。」と言われてしまった。人が集まらなかったとは言われなかった。もう、本当にどうなってるのだろう。連絡もくれなかったし。無責任だなあ。

 でも、待ちに待ったあげくなので、がっかりして。4月まではとても待てない。で、そごうのおもちゃ売り場に行ってみた。ルービックキューブはいくつも持っているのだが、今、攻略法がついているのを売っている、と、ネットで見たことがあるので。で、見つけたぞ。今のキューブには、ちゃんと攻略方法がついていたのだ。

 それを見ると、一段は簡単にそろえられる。次を間違っていた。二段目を揃えるのではなかったのだわ。テキスト通りにやったら、何とかなりそうな気がする。近々、長距離バスに乗る。その間の時間の過ごし方がこれで出来た。一度でいいから、頑張って6面揃えてみたいと願っていたのが、これでかなうかもしれない。そして、きのぴーさんのように、「チャンチャカ、チャンチャカ」いいながら、ホイッとそろったのを投げ出せるように。うちのスタッフを驚かせるように、頑張ってみましょうかね。どうしても出来なかったら、その時には、キノピーさんに、個人教授を頼みましょう。いいですね、きのぴーさん!

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11才の少女の出産が映画になると。

 性行動が低年齢化していることは、私のデータだけでなく、全国同様だったようだ。あちこちのドクターから、同じ結果で驚いたとの声が寄せられた。

 私は、ずっと言い続けている。若者達は情報の渦の中にいる。その情報をまき散らしているのは、また、大人達なのだが。若者達を直撃している情報には、性はリスクを伴うものだということは、全く出て来ない。それらも含めて、真正面から性をしっかり教えることが必要である、と。教えないと、若者達は、それらの情報のみから性意識も形成してしまう。若者達は無知だ。無知だからこそ、カジュアルに行動を取る。知れば知るほど行動は慎重になる、と。

 こう言っても言っても事態は変わらない。教育界は逆に行くばかりだ。肝心なことは教えない。そして、性行動を取ると、妊娠するよ、性病にかかるよと、脅しておきさえすれば、若者達は行動を取らないであろうと。中絶は殺人、不妊症にもなる、やってはならないこと、と。こんな上っ面の脅しだと、若者達は自分自身の事として実感を持つことは出来ない。だから、カジュアルに行動をとり、結果、当然のごとく妊娠しても、中絶はいや、赤ちゃんを殺すのはいや、産んで育てると、育てる実力もないのに泣き叫ぶ。

 私は、30年近く訴え続けているのだが。

 このたび、11才の少女が出産をする映画が作られていると聞いた。漫画が原作なのだそうだ。子どもたちだけで妊娠、出産、子育てをする映画なのだと言う。テレビドラマでないだけまだましなのだけれど。妊娠した女が状況によっては、どんなにしんどく、出産がどけだけ大変で、そして、ましてや子育てには経済的なことも含めてどれだけ様々な労力が必要なのか、ということをすっ飛ばして、妊娠や出産を語って欲しくない。

 実際、若ければ若いほど、妊娠した女は、産む産むと言う。産んで育てることの生活の実感がないからか。産めば何とかなる、と。中学生の我が子が、突然、子どもを産むと言い張った時、その親は本当に大変だ。どう説得すればいいのか、と。だって、中絶は殺人と聞いて育った子が、殺人はいやだと言うのは当然のことである。どこに住むの?家賃はいくら?生活費は?電気、ガス、水道、食費、いくらと考えている?出産の費用は?何より、誰がどこで働いて、いくらお金が頂けるの?この様なことを私は一つ一つ問いつめて行く。 

 私も11才の少女の出産を取り上げたことがあるが、それはそれは大変であった。本人も、家族も、われわれ医療者も。産ませ方一つ取っても、本当に大変だった。

 そのような現実をどう取材しているのか知らないが、映画という娯楽の一つに11才の少女が出産するという事を取り上げるという。漫画の世界ではなく、よりリアルな映画の中の現実として。実際子どもに手を出すロリコン男達が、こぞって見に行くのではないかと、気が重い。

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モードが戻って。仕事をこなしています。

 昨日からやっとモードが戻って来た。昨夜は4時までかかって3000字の原稿を一つ書いて、メールで送った。朝起きてすぐから次の原稿に取りかかってお昼をだいぶ過ぎてできあがり、これもメールで送った。これは、三年間続いた学校の保健室の先生、養護教諭向けの月刊誌の連載の最終回だった。やれやれこれで終わった、とホットした。

 ここで冷やご飯をチンして温めて、たまごかけご飯にしてたべて、またすぐ次にとりかかる。性感染症のデータの整理。一人ひとりのデータをエクセルにまとめる作業だ。

 昨日、初めての性交が低年齢化していると書いた。調査の対象は、昨年9月から、クラミジアの検査をした29才以下の人100人。全国一斉に、一施設100人を限度に調査をしたもので、それに私も参加したものだ。100人の内、初めての性交が12才だった人3人。13才5人。14才4人。15才9人。16才16人。17才15人。18才19人。19才10人。20才15人。後、21.22.23才が一人ずつ。不明が一人。

 この中で、実際クラミジアに感染していたのは、15人。でも、もっとびっくりしたのは、子宮頸癌の細胞診で、クラスⅢ以上が8人もあったことだ。クラスⅢはいわゆる疑陽性で、さらにコルポ診、組織診の精密検査を要する。この内一人に、すでに上皮内癌が発症していて、円錐切除という手術が必要であった。

 今、厚生労働省は、子宮頸癌の健診は20才以上の女性に、との方針を出している。数年前までは、30才以上であった。もしそのままだとすると、この8人は、全員20代で、だから、見逃されたことになる。10代は私は厚生労働症の方針のとおり、細胞診はしていない。この調査は、10代は17人。20代が83人。結局、20代83人の内の8人に、細胞診に異常が出たということになる。本当にびっくりした。

 その他、淋病1。コンジローム3。トリコモナス1。妊娠が30。その内の出産は16。人工中絶が13。自然流産が1。

結婚していた人は、16人。コンドームを毎回使っていた人は13人。でも、この内5人は、性交の途中から使っている。

 100人全部のデータを整理して、これもメールに添付して送った。全国のデータがどう出るか、楽しみだ。

 ただ、今回は29才までの統計だけれど、先日当院で一年間の性感染症の統計を取って見たら、性感染症はあらゆる年代で感染していて、病気が家庭に持ち込まれているという状況が良く分かった。また、いつかこれらをちゃんと整理してお話しすることにする。

 全部済ませて、後は、年賀状のお返事のまだ書いてないの(特に、クリニック宛に来たものの受け取りが遅かったので)を書くだけだ。そこまでやったら、すべての宿題は終わり。いえ、、、ここまで来て思い出した。ハングル講座の宿題がどっさり出ていたのを。キャー!全くこれには手をつけていないので。年賀状がすんだら、取りかかることにしよう。明日は診療。でれでれムードが払拭出来て、朝からしっかり働くことができそうだ。

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性感染症と年金と。

 今日から河野産婦人科クリニックは診療開始。でも、私はまだ水・土が診療日なので、ゆっくり出勤。そして、昨年の終りにアンケートをとった性感染症のデータの整理を行った。一人ずつのカルテを引っ張り出して、病気のチェック。少々のことでは驚かなくなった私だが、今回の調査では、初交年齢(初めての性交はいつだったか)、ここ一年間の性交の相手の数、避妊の方法、コンドームの使い方等、かなり詳しく尋ねている。私も知らなかった世界が見えて来て大変に驚いている。初交は、ほとんどが10代で、20代になると珍しいほどだ。それに、10代といっても、10代前半がとても増えている。もう、中学生の性交が多いと、その現実からの教育を考えなければ、と本気でそう思う。また、いつかテータがでたら、ここでも差し障りのない範囲でお伝え出来ると思う。

 ところで、以前私は、大学で文部教官をしていたことがある。そして、広島県立病院にも麻酔科のローテーションで勤務したことがある。それが、公務員は共済年金なので、年金が国民年金や厚生年金と異なるのだが、基礎年金は繋がると聞いて、びっくりした。そして、その手続きのために大学と県病院に問い合わせをした、と以前書いた。大学からは速達で書類を送って来たのだが、県病院から、やっと、今日結果を知らせて来た。

 当時、大学病院の様々な科から麻酔科にローテーションで行っていたのだが、その医師たちは、みんな正式な雇傭契約ではなく、謝礼金として給料を払っていたので、年金はついていなかったのだと。そんなばかな。私は、ちゃんと県から給料をもらっていたし、では、その間の健康保険はどうだったのだろう。私は、無保険でいた事は一度もない。保険がないなんて、そんなこわいことは出来ない。本当に無保険、無年金だったのだろうか。県たるもの、なんともいいかげんなものだと、立腹している。

 様々な苦労の果てに、ようやく私の年金は、県病院に勤めていた間だけ空白となって事が決まりそうだ。いただける金額がいくらになるのか、そのうち、分かるでしょう。が、何としてもこのわかりにくい制度は、もっと簡潔に、そして、だれもが安心して老後を迎えられるような制度に変わらなければならないと思う。それがちゃんとできる政治であるか否かを、しっかり見続けなければ。

 

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でれっと休んでしまって。

 今、クリニックにいる。長い(?)冬休みも終わり、明日から診療が開始だ。この休みの間、本当に何をするでも無く、でれでれとしてしまった。家族のご飯を作るくらいの主婦業をするだけで、後はテレビを見たり、パソコンのゲームをしたりで過ごした。

 休みの間にしておかなければならないレセプト(保険の請求)が一部しか出来ていない。昨日からやっていても、ペ・ヨンジュンの久々の連続ドラマ「大王四神記」のこれまでの一挙放映なんぞがあって、そっちに目がいってしまったり(だって、見ないと字幕なので)で、さっぱりはかどらない。今朝もずっとやっているのだけれど、まだ終わらない。で、今夜の夕飯のシチューの煮込みだけをしておいて、レセプトの残りとパソコンを持ってクリニックまで来た。  明日の朝までに全部仕上げておかないと、10日の提出日に間に合わない。そうすると、保険での診療報酬が入らなくって、クリニックの経営が回らなくなる。それに、明日が締め切りの原稿もある。性感染症のデータの整理、これは10日までに仕上げなければならない。年賀状を出していない人への返事も書かなければ。

 なんか、日頃忙しい時には、あれもこれも気合いを入れて、どんどん物事を片付けることができる。レセプトなんて、えいっと気を入れると、新幹線で広島駅から名古屋に着くまでに脇目もふらず、一心不乱、全部やってしまったこともあるのに。暇だと、でれっとしてしまって、なにも取り組む気がしない、ということが良く分かった。こんな時を過ごすのは何十年ぶりで、本当に気分が緩んでしまったようだ。

 まあ、こんな時を過ごすのもいいかも知れない、と自分にいい訳をしながら。だって、多くの人はもう定年退職の年だもの。でも、そうしていると、後がしんどくなるということは十分に分かっているのだけれど。ああ、休んでしまったなあ、明日からエンジンがかかるかなあ。

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大学病院の講座の名前について

 昨日のブログで、大学病院に行ったと話した。ところで、なのだけれど、大学というところは、ダイナミックに機構改革が行われている。国立大学は国立なので、職員は国家公務員だったはずだが、独立行政法人となったので、公務員では無くなったと聞いた。へえっ、では選挙運動もO.K.なの?と聞いたら、それはまだ良くわからないという事であった。国立と独立行政法人との違いが私にはさっぱり分からない。

 それより何より、医学部が大変だ。かつて私がいたのは、産科婦人科学教室であるが、今、そこを何と言うか、ご存じだろうか。「展開医科学専攻病態制御医科学講座産科婦人科学」というのだ。何とまあ、さっぱり分からないし、覚えられない。ちなみに、私たちが第二外科と言っていた外科学第二講座は、「創世医科学専攻先進医療開発科学講座外科学」という。私たちが一内科と言っていた内科学第一講座は、「創世医科学専攻先進医療開発科学講座分子病態制御内科学」、第二内科は「展開医科学専攻病態制御医科学講座分子内科学」、第三内科は「創世医科学専攻病態探求医科学講座脳神経内科学」と、ちょっとずつ異なる。

 これらの名称変更にどんな意味があるのか、何の為なのか、さっぱり分からない。今は、まだ内科などは一内科、二内科、と呼んでいるようだけれど、将来どうするのだろうか。どう分けて呼ぶのか、紹介状にはどう書くのか、さっぱり分からないまま、ふうんと眺めているだけだ。

 ただ、大学病院といえども、一病院なわけで、しかも独立した法人なので、赤字を出さないように経営しなければならず、大変だろうと思う。患者さんが病院をも選ぶ時代。昔から大学病院は患者をモルモットにしているだの、若い医学生の研修に使われる、だのという評判が根強くある。でも、大学ならではの最先端の医療を受けられる、または、癌の治癒率などで、ここが一番ちゃんと治療をしてくれる、という場合には、私たちも誠意を持って患者さんを説得し、紹介をする。大学病院全体として、以前よりもうんと患者さんに親切になったし、インフォームドコンセントがしっかりされるようになって紹介しやすくなった。 

 それと、この講座の名前の変更とは全く無関係。でも、私のような凡人には、とてもわかりにくい事ではある。

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医師の資質について考えた。

 今日、大学病院に行った。受診ではなく、お見舞いでもなく、病気の友人の付き添いで、話を聞きに行ったのだ。相談に乗ってもらったドクターは、先端医療の責任者。大変偉いドクターだが、その話に感動してしまった。説明は、とても分かりやすく適切で良く分かったし、あらゆる疑問、質問にも丁寧に答えてくださる。命の危機にある人に対しての態度もいたわりを持って対応して下さる。私よりもうんと若いのだが、私は心から尊敬した。

 そして、また一人のドクターを思った。産婦人科のある学会で、関東の大学病院の教授の話を聞いた。卵巣腫瘍についての総論であったが、内容はたいして新しくもなく、知っていることばかりで、役にも立たない。それより何より、話の中に患者さんのことを「まあ、おばあちゃんですから」と何回も出て来る。高齢の方の治療をそんな風に言われて本当にびっくりした。おばあちゃんですから、どうなの?治療はいい加減でいいというふうに聞こえて、とても不愉快だ。それも、私と同じ年齢の人まで「おばあちゃんですから」と言われた時には、本当にアッタマに来た。

 治療法の選択は、特に婦人科の場合、妊娠する能力をどうするかは、とても大切な選択になる。まず何より、患者さんの命を、そして、次には産む能力を、と考える。でも、、、もう出産が考えられないお年の場合、たとえば80才の方の癌の治療をどうするかは、体力的にどうかなどで、手術の方法や治療法も考える。でも、高齢の方、人生の先輩に対して謙虚な態度で、その命を守ろうとする事は、医療者の義務であると、私は考えているから。だから、本当にびっくりした。

 その人の話がすんで、「なにか質問がありますか」と司会者が言った時、私は、よっぽど手を挙げたかった。そして、「話の本筋の質問ではではないのですが、先生に取っておばあちゃんというのは、おいくつからなのでしょうか。」と聞きたかった。本当に聞きたかったのだけれど、かろうじて止めた。それは、その教授を連れて来た、広島の偉い人のメンツがつぶれるかも知れないと考慮したから。

 でも、私は、どんなことがあっても、その人の治療だけは絶対に受けたくないし、もし、その病院に行こうという人から相談があったら、ためらう事無く、止めなさい、というだろう。

 やっぱり医療者は尊敬できる人柄でありたい。それはどのようにして培われるのだろうか。生まれや育ちというより、もっと根本的に、人や命に対して謙虚に学ぶ姿勢を持っているかどうか、そして人の痛みに対してどれだけ想像力を働かせることができるか、それらによるのかも知れない。それから、それらを培う為には、社会にも目を向けなければならないだろうし、読書などによって人の幅を拡げることも必要であろう。それらによって総合的に医師としての資質が出来て来るのだろうと思う。

 今日のドクターに接して、私はまた、自分自身の今後を教えられたような気がする。自分が患者さんに対して不遜になってはいないか、常に検証をしなければ。もちろん、私なんぞを比べるのも恐縮な、偉い方ではあるが。若く、優秀なドクターに、ひたすら感謝。

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お正月もおしまいです。

 お正月3日目です。昨日は、車で別府から広島に戻って来ました。渋滞もほとんどなく、お天気もほどほどで、快適なドライブでした。途中、豊前の道の駅「おこしかけ」で団子汁を食べました。

 大分の団子汁は、うどんの太いような長いだんごです。初めて食べた時、これがどうして団子なのか、とびっくりしました。別府では、海地獄のだんご汁がおいしい、と義妹に聞いて何回か行きました。なかなかでした。とくに、辛団子汁は真っ赤っかで、辛好きにはたまらないと思います。豊前(福岡に入っています)のは、県が違うと団子も違っていました。長くもなく、また、丸くもなく、つぶした形です。具は、キノコや野菜がたっぷり、カボチャまで入っていました。お味噌もなかなかの手作り味噌で、それはおいしかったです。また、売っているお野菜や果物もとても安くて、干し柿やゆず(10個入っていて250円)やポン菓子やあられなど、あれこれ買いました。

 もう一カ所、美東のエリアでコーヒーを飲みました。その前、急に眠気が来たので、危ないと思い、休憩です。後は、一気に帰りました。

 夜、最終の新幹線で、娘が帰って来ました。駅まで迎えに行き、そのまま24時間のスーパーに寄って買い物です。鳥のささみやはまぐり、三つ葉、かまぼこ、生麩など、お雑煮の材料です。そして、夜の内に、遅ればせながらのおせちづくりです。今朝、お雑煮と、おせち、家族三人であらためて、「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と挨拶をしました。新婚の息子は帰って来ません。

 今日、午後、お寺に行きました。年越しのお参りに行かれなかったので、今日のお昼のお参りです。お経をいっぱい唱えて、お願いしてあったお札やお守りやカレンダーなどをいただいて帰りました。沢山の人がいらっしてました。今年もまた、お参りに行き続けると思います。

 娘は、夕方から、20年ぶり、卒業後初めての中学の同窓会だと、出かけて行きました。きっと多くの友人が結婚してたり、親になったりしているでしょう。娘がどんな刺激を受けて帰って来るか、楽しみです。

 今日は、久々に「やまとの湯」に行く予定です。そんなこんなで、もうお正月は終わりです。何とも、大人になってからのお正月は、特に楽しくも無く、淡々と過ぎてしまいました。これからは、残している仕事を片付けなければなりません。また、追い立てられるように気持が戻って来ました。

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広島に帰ります。

お正月二日目。今日はいいお天気で、陽が照っています。今日、広島に帰ります。今日の夜、娘が東京から広島に帰って来ます。それまでに帰っておかなければ。フェリーはもうこりごりなので、陸を走って帰ります。中国道、山陽道の山口の山の辺りは少しは雪が降るかも知れません。早めに出て、ゆっくり走って帰ります。

 大晦日、元旦と母と過ごすことが出来ました。レセプトはちょっとしかしていません。

 さきほどから、BSで地球の温暖化、エネルギーをどうするか、という座談会をしています。アメリカの共和党の議員がクリーンエネルギーを供給するために、原発をどんどんつくれ、と演説していました。核廃棄物を運ぶためのトラックが走り回る、それを狙われたらどうするのか、とも他の人が言っていました。原発は、最高の環境破壊です。核廃棄物は、いつまでも放射能を出し続けます。いわゆる核のゴミの埋め立てをどこに作るのかも決まらないままに、日本でも原発が稼働し続けています。

 それに、スリーマイル島の事故もまだアメリカでは記憶に新しいはずなのですが。日本では、まだひどい事故は起きていいないと思われていますが、危機一発の事故はつぎつぎと起こっています。原発がクリーンエネルギーだなんて、とんでもない。とても危険な物だという意識を持たないといけないと思います。

 これからは、やはり太陽エネルギー、風力発電、海の波を使っての発電、地熱発電などの自然を使うということにもっと積極的に取り組まなければと思います。

 自分は車を使って高速道を走って二酸化炭素をまき散らしていながら、でも、やっぱりこれは必要なんだよね、と、矛盾を感じながら。では、広島に出発です。

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明けましておめでとうございます。

 みなさま、明けましておめでとうございます。

 昨年は、大変お世話になりました。今年は、御迷惑をおかけしない様、心がけるつもりでいます。どうぞ、今年も仲良くしていただきますよう、お願い申し上げます。

 河野の実家で年越しをいたしました。河野の母は今、84才。一人暮らしです。母が、「おじいちゃんが死んだ後、ずっと一人で歳ご飯を食べてた。今年は、初めて一人ではなくってありがたいこっちゃ。」と言われてどきっとしました。考えてみれば、ここの所、私はずっと新年をお寺で迎えていました。そして、一日か二日に別府に帰省していました。今年はお寺には三日にお参りさせていただくことにして、こちらに帰って来て、良かったと思いました。

 一緒に歳を越しながら、おしゃべりをしたり、テレビを見たりしていました。今年も紅白歌合戦に行って見ることは出来ませんでした。私は、一度紅白をナマで見てみたいのです。いえ、歌はどうでもいいのです。もう、知らない歌手の方がとても多くて、知っている人でも、美川憲一以外はそんなに魅力はありません。ただ、舞台を見たいのです。

 私は、演劇少女でした。演劇の舞台を作るのが、本当に好きで、だから、選挙でもエイズダイアルのイベントでも、小さな舞台を作るのが楽しくて。あの、紅白歌合戦で、つぎつぎと変化する舞台や鮮やかな照明を、一度でいいから、見てみたいのです。今度こそ、申し込みの葉書をいっぱい出そう、と思いながら、いつも実現しないままに時が過ぎています。

 紅白の最後に山崎努さんが、月からの地球の像をうつしながら、メッセージを読み上げました。この美しい地球の環境を守ろう、と。今年は京都議定書の実行に入る年です。コマーシャルでも、盛んに自分が出来ることを!と呼びかけています。主に、ゴミの問題、そして何よりこの地球の温暖化の問題です。

 確かにそうなのだけれど、でも、この地球環境の最大の敵は「戦争」なのだと、地球を守るためには、平和が一番なのだということをちゃんと言わなければ、と思います。

 私は、アマゾンの原生林と現地住民を守る会に入っています。南研子さんたちの命がけの活動を支える会です。アマゾンの問題だって、ブッシュの侵略政策と結びついた石油の高騰、そのため、代替エネルギーのトウモロコシの栽培をする為に、どんどんと森林を切り開き、それが地球の酸素の供給を減らし、かつ、温暖化を導いています。そして、アマゾンの現地の住民を追い払い、命をおびやかし、また、食料としてのトウモロコシの不足から、小麦の高騰、ひいては小麦製品の物価の高騰まで引き起こし、台所を直撃する、、、。と、まるで風が吹けば桶やが儲かる式に、イラク戦争が地球環境や私達の生活すべてに影響しているということを直視しなければ、と思います。

 ただ単に、私達が電気を使わないようにしましょう、ゴミを減らしましょう、それも大事な事ではありますが、それだけでは、地球は守れないという認識を持たなければならないと思います。

 私は、昨年のことにはめげないで、これらのことを今年も訴え続けたいと思っています。

 我が家の玄関と収穫したみかんとレモンの写真です。河野の姉の連れ合いが、毎年しめ飾りと門松を作ってくださいます。広島の家では、ただ賀正の紙を貼るだけですが、ここでは本物です。

 今年も元気に明るく、でも、ちょっと深刻に過ごすつもりです。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。20080101113909 20071231110054

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