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皆様、本当にありがとうございました。

 2007年最後の日を別府で迎えました。夫はまだおなかが痛いと言っています。彼は胃がありません、食道から腸に繋がっています。船酔いで吐きたくとも、胃がないとなかなか難しいのです。何度も何度もから嘔吐して、腸が傷ついた、と言っています。

 朝、庭のスィーティーの収穫をしました。大小取り混ぜて56個。それに、レモンが三個。大豊作です。そして、おみやげを持って義姉の家と本家に行き、それから実家です。みぞれや雪が降る中、私は庭の掃除をしました。とっても寒いです。庭は広く、強風で掃いても掃いても落ち葉がひらひらと飛んで来ます。きりがありません。適当に切り上げました。

 今、少し時間が出来ました。皆様に今年のお礼を申し上げなければなりません。

 一年前、私はブログという物の存在すら知りませんでした。2月のおわりに、秋葉さんの市長選挙の運動をする中で、一緒にしていた人から、面白いブログがある、と教えてもらったのがきっかけです。広島ブログの存在も知りました。読んでみて、面白いのに夢中になりました。多くの方のドキュメントが満載です。そのエネルギーにびっくりしました。

 私もやってみようか、と悪戦苦闘の末に始めたのが、運のつきです。すぐにはまってしまって、ここまで来ました。始めた時にはまだ思いもよらなかったのですが、途中、私が選挙に立候補するという出来事もありました。

 この間、皆様方には、本当にお世話になりました。とくに、ブログを通じて、多くの皆様と知り合えたこと、そして、声援を戴きましたこと、何よりうれしいことでした。ブログというのは、その匿名性ということから(私なんぞは、この辺りが良く分からないままだったので、最初っから本名でやってしまいましたが)ともすれば、不愉快なことがあるのでは、と思います。でも、広島ブログの場では、ほとんどそのようなこともなく、暖かい雰囲気で、とても素敵でした。(途中、ちょっと何だか変なことがありましたね。でも、主催者の適切な対応で、また雰囲気が戻って良かったです。)

 私も様々な勉強をさせて戴きました。お知り合いになった方たちは、一生の宝物です。一年を振り返ると、まさに感無量のものがあります。私の、そして皆様もですが、これからの人生、何があるのか分かりません。でも、これからもありのままの自分と情報を発信し続けたいと思っています。

 本当に皆様、ありがとうございました。これからも、どうぞどうぞ、よろしくお願い致します。

皆様、どうぞ、良いお年をお迎え下さいませ。

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やっと別府の我が家です。

 先ほど、無事別府の我が家につきました。が、へとへとです。雪は降っていましたが、たいしたことは無かったのです。でも、風が冷たく、強く吹いていました。徳山からフェリーに乗りました。これがすごかったのです。風の為でしょう。波が高く、船が揺れました。デッキに波がばさばさとかかっていますし、揺れと、どーんという音でとても怖かったです。時には、ジェットコースターに乗って入る様に、体が浮く事もありました。なんか、気分が悪いなあ、と思って夫をみたら、真っ青になっていました。完全な船酔いです。

 このフェリーには何度ものっていますが、こんなのは初めてです。夫は気分がわるいーと、トイレに行ったまま、帰って来ません。船が港についても帰って来ません。仕方がないので、一人で荷物を持って車に行ったのですが、他の全部の車が降りてしまっても、夫は来ません。「すみません、連れが気分が悪くてトイレに行っています。待ってください。」と船員さんに言って待っていただきました。やがて夫がよろよろと来ましたが、船を降りてもすぐに車を止めて、と言います。で、船着き場の小屋に連れて行って、そこで待ちました。私も気分が良くなかったのですが、そんな連れの姿を見ると、いつの間にか、しゃんとしていました。

 家に着くまでの一時間半、夫は後部座席で、死んだようになっていました。やっと家に着きましたが、家の中は冷え切っていて、丁度0℃です。夫はなんにも食べたくないといいます。私もそうなのですが、なんにも食べないわけにも行かないので、スーパーでカップ麺を買って来ました。うどんなら食べられるかも、と言いますので。本当にやれやれです。夫の実家には電話をしましたが、繋がりません。きっともう休んでいらっしゃるのでしょう。今日は早めに寝て、明日(もう今日だ)は義母のおせちづくりのお手伝いをするつもりです。

 もう、帰りはフェリーには乗りません。ずっと陸を走って帰ります。ただ、雪と相談ですね。

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雪だそうです。どうしよう。

 たった今、年賀状づくりがやっと終わって、ポストに投函して来ました。大きな宿題が終わったようで、やれやれです。外は、ピューピューと風が吹いて、顔が凍りそうでした。天気予報は、今日は大荒れで、広島の南部も山口も雪だと言っています。おまけに、強風波浪注意報だそうです。

 今からちょっと寝て、部屋の掃除をして、大分に走ろうと思っていたのですが、どうでしょう。私は、スタットレスは捨てましたので持っていません。チェーンを買わないといけないでしょうね。強風波浪だから、たぶん、徳山竹田津間のフェリーもストップするでしょう。だったら、ずっと陸を走らないといけません。高速をやめて、下の二号線をてれてれと走りましょうか。そしたら、長時間になって、また腰が痛くなりそうです。ああ、とっても憂鬱です。

 うーん、いっそ、雪で帰れません、となったら、ホッとするのですが。

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残業で、今年のけじめをつけます

 今日は、今年最後の診療でした。午後一時まで受け付け。3時半に終了。それから、みんなで仕出しのお弁当を食べて解散しました。受付のスタッフと私だけ残って、レセプト(保険の請求)の打ち出しをしています。でも今私には、山ほど仕事が残っています。年賀状も残っているし、うちもまだ片づきません。河野の実家に帰るためのおみやげを買いにも行かないといけません。私だけお正月が来ないかも、と思っています。

 一昨日は、歯医者さんに行きました。もう、二年以上行っていませんでした。部屋の片付けをしていたら、広島市からの「節目健診」の葉書が出て来ました。もっと前に来ていたのでしょうが、選挙でごたごたしていて、見逃したのでしょう。でも、有効期限内です。節目の年齢の人に、いろいろな健診を受けなさいというものです。市がお金を出してくれます。胃ガンや肺ガンや、婦人科や、C型肝炎や、骨密度や、どっさりです。その中に歯科検診というのもありました。で、それを持って行きました。

 健診票を見た先生は「おうおう、節目か。もう、そんな年になったか」と言われました。で、「ええ、50才になったので、この際、ちゃんと健診をと思って来ました」と言いました。

 私は、歯科はずっと同じ先生にかかっています。私が大学病院時代から、当時大学病院にいた先生です。ずっと30年以上、まるでストーカーのように追いかけ回しています。だから、私の歯のことは、すべて知っていてもらっています。この先生、とにかく、痛くないのです。注射も、全く痛くありません。歯の注射をする時は、歯茎に「ぐわーん」と痛みが拡がります。でも、この先生、全く、ちくりとも痛くないのです。いつ注射をしたか、わからないほどに。そして、とにかく、歯を抜かない主義ですので、それが助かります。この先生にかかっている限り、入れ歯にならなくてすみそうです。歯だけは一生の物ですので、大切にしたいと思います。そのためにも、いいドクターにつくこと、これが何よりと思います。

 見てもらったら、三本の初期の虫歯がありました。それをちょいちょいと直してもらいました。初期だったので、注射もしなくとも、痛みもなく簡単に治りました。そして、全部の歯石を取ってもらって終わりです。

 昨日は、私の性教育バッシングの裁判の弁護士さんに、弁護費用をお支払いに行きました。これまで着手金のみで、後は手弁当でやっていただいていました。それどころか、支援する会の集会があれば来てもらって、発言、説明をしていただき、ニュースレターを出すと言えば、文章を書いていただきと、ずいぶん働いていただきました。皆様からカンパをいただいたり、裁判が終わって、資料集を出してそれを買っていただいたりで、お金が出来ましたので、支援する会の代表と一緒に行きました。本当にありがとうございました、と、お礼を申し上げて、お金をお渡しして、これで、終わりましたl。あとは、支援する会の方々に、和解の報告と会計報告などの最後のニュースレターを作って、発送して終わりです。

 つぎつぎと今年の終わりに向けて、けじめを付けようとしているのですが。まだ、選挙のけじめがついていません。気が重いことです。せめて、年賀状だけでもちゃんとしなければ、で、今日は一人、残業で頑張ります。レセプトは私の役目の分は、お正月の仕事です。どっさりと持って、河野の実家、別府に帰ります。

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性の健康とバッシング

 先日行ったばかりの大分で、その直後、県議会でひどい性教育の攻撃がされました。そして、県教育委員会が「遺憾に思います」と答弁をしたと知りました。その前に事実無根のプリントがくばられ、議会での追及も、根拠がないことを事実として例を上げて行われています。私もプリントを手に入れましたが、これは全国で行われているのと同じ内容で、宗教団体がからんでいます。全国で使われたでっちあげ満載のパンフレットと同じ内容ですから。

 そして、「新しい歴史教科書を作る会」が作った教科書を出版している会社が、また新しく「性教育の攻撃をする」本を出しています。これは、おそらく、これからまた地方議会で追及するための資料として使われるのでしょう。これには、沢山の人の実名が書かれています。私の名前も書かれているそうですが、気分が悪くて、読んでいません。これまで受けたバッシングから、おおよその内容は検討がつきます。

 性教育は、「セックスの仕方を教える教育」で、子どもたちをそそのかすという、まことに見当違いの攻撃がされつづけています。それを国会でも地方でも議員が追求するものですから、文科省も教育委員会もその「人数は少ないけれど、お金があって声の大きい人たち」のいいなりになっています。

 昨日の続きになります。性の健康とは、(WHOの定義、2005年、小宮山訳)「単に病気・機能障害・衰弱がないことでなく、性に関して身体的、情緒的、精神的、社会的に満ち足りた状態のことです。性の健康には、それを強制、差別、暴力の無い、悦びに満ちて安全な性的経験を持ち得ることと同様に、肯定的に敬意をもってセクシャリティや性的関係にアプローチすることが求められます。性の健康が達成され、維持されるためには、あらゆる人の性の権利が尊重され、守られ、満たされなければなりません。」また、国連もこれを定義し、「性の健康のケアは、単に妊娠・出産や性感染症に関する相談やケアにとどまらず人生と人間関係を豊かにするものであるべきである」としました。(IPPF国際家族連盟も支持)

 これらをふまえて、性教育のテーマ、教育課題としての位置づけは「ノーセックスの選択も含め、避妊、人工中絶、HIV/エイズ、多様な性、性と人間関係、性と人権など性教育、健康教育としてトータルに包括的に扱う」ものです。

 これに対し、バッシングをする人たちの位置づけは、「禁欲教育(結婚まで純潔という)を基本に、道徳教育、生活指導の課題として位置づける」というものです。

 かれらの主張を読んでいると、まるで「結婚まで性行動をとらなければそれでシアワセになれる」という幻想を持っているようです。そして、避妊を教えることも禁じていますので、もうアメリカでは完全に破綻していると、先日のエイズ学会にサンフランシスコから来ていた小林まさみさんに聞きました。

 なんにも教育されていないと、その防衛の方法も知らないままで、結果、妊娠、HIVの感染を引き起こしているということが、データではっきり現れている、と。アメリカでは、宗教的に人工中絶が出来ない立場の人は、妊娠すると産まなければならない、若年の出産が日本とは比べものにならないほどの数です。それでも、アメリカでは、その人達のフォローのために、子連れで教育が受けられる高校も沢山あります。日本では、そんな高校も無く、おまけに、避妊は教えず、中絶は「殺人」と教え込まれますので、いざ「妊娠、でも育てられない」となった時に、どうにもならなくなってしまいます。

 何度も繰り返しますが「知らないままに行動を取る、知らないからこそ、行動を取る」若者達を見て来ています。

 私、総理大臣すら「昔はそんな教育は無かった。教育を受けなくとも、ちゃんと大人になったし、子どもも生まれている」という大人達が、では、本当に「性の健康」に定義されているような、豊かな生活を送っていますか、と聞いて見たいと思います。何より大切なのは、人間関係を豊かに作って行く事だと思うのです。びっくりするような大学を出て、超エリートの人が、パートナーとみじめな関係しか作れない、そんな姿も見ています。ドメスティックバイオレンス「身近な人からの暴力」単に肉体的な暴力だけでなく、言葉の暴力で傷つく人たちも沢山見ています。

 今回、狭い所で、偏見を持って性教育を捉え、攻撃する貧しい人たちに対し、地道に実践をしている人たちがこんなにいるということで力をもらいました。私もめげません、ということでお返ししたいと思います。

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自己肯定感と性の健康

自己肯定感と性の健康を育む健康観について ≪どんと来い!思春期≫~わたしたちの健康の定義を作ろう!~の実践を通して、という小学校の養護の先生の実践を聞きました。

 これがまた素晴らしかったのです。彼女の話を全部ここに再現するとは不可能ですが、(本当はそうしたいのだけれど)キーワードをいくつか紹介します。

「健康とは(HOの定義)身体的にも精神的にも完全に良好な状態をいい、単に疾患にかかっていないとか虚弱でないということではない。」さらにこう続きます。「○到達しうる最高の基準の健康でいられることは、人種、宗教、政治信念、経済的ないし社会的地位にかかわらず、誰もが有する基本的人権のひとつである。○政府はその国民の健康に対して責任を負うものであるが、その責任は適切十分な保健的・社会的施策を行うことによってのみ、果たすことができる。」

 この定義を先生は「健康というのは、からだも心もくたくたじゃなくて生きいきしていて、人とのつながりのなかでもくたくたじゃなくて生きいきとしていて、病気やけがにかかってないとか、体力が無いとか、からだが弱いとかそういうことではないんだよ。」と子どもたちに伝えています。

 こどもたちが本当にストレスにさらされていて、自己肯定感を持つことができないでいる様を彼女は見ています。

 (家族・友だち・地域・学校・学級など)・大切にされたという経験・大切にしてもらっているという実感それらが自己肯定感に繋がって行くのですが、具体的には体を育てるていねいに(食べる・寝る・遊ぶ)心を育てるたっぷりと(つながる)それらを必要な時に与えてもらうことで、育って行きます。自己肯定感とは、「心とからだの主人公になって生きていく力のベース」。

「ありのままのわたしで、ありのままのあなたで、つながりの中で自分らしさを発揮して、一人ひとりが存在の大切さと安心感を実感し、時間をかけて成長しながら、こころと体の主人公となって生きていける力が育つ」これが、思春期に獲得したい自己肯定感であるといわれます。そのために、具体的にさまざまな実践に彼女は取り組みます。そして、これらの健康観をしっかり押さえた上で、性の健康へと授業は進みます。

具体的な授業ははぶきますが、生徒達が作った健康の定義がすごいので。

5年生からだ○よく食べ、よくね、よく遊ぶ そしてシャキッと からだモリモリ、バッチグー

        ○めし食えば、元気はつらつ百万力!

    こころ○ごめんなさい。その言葉で、心が笑う。

        ○仲直り、勇気をだせば、すっきりだ!

    つながり○友だちを、傷つけないで、大切に!

         ○自信をもてば、いいんじゃない!

6年生からだ○休めば、なんとかなるもんさ!

        ○誰か、たすけてーっ!

    こころ○思い切って相談しよう!言ってみれば、心がすっきり!

        ○いじめられてもあきらめず その相手に向き合おう!

    つながり○こわがらず、勇気をだして、相談しよう!

         ○自分を好きになって 人を大切にしよう!

このような授業を受けた上での6年生の感想文の一つを

「最近、いらついたり、今までと違う感じがする。」と思っていました。でも、それは、誰にでもある「思春期」であることを知りました。子どもの頃、思ってもいなかったのに、急に反抗したりするのは、自分だけでなく、同じ学年の友だちでも同じ気持ちになるって分かって、正直安心しました。(中略)一人になった時、ナイショ話をされた時は、特に自分でもいやになるほど、悲しくなります。でも、自分の意見が言えなくて、自分の思ってもいない方向に進んでいることもあります。なので、これから、きちんと自分の意見を言って自分の気持ちをおさえられるような人になっていきたいです。

 私は、この年になってもまだ思春期の頃のしんどかったことを思い出しては、胸がずきずきとすることがあります。あの頃に、こんな授業を受けることができていたら、私はもう少し、楽に生きることが出来たであろうに、とそう思います。

 性教育って、とても幅が広く、深く、大切な「生きる」教育なのです。

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怖い東京でのドジな話

 もう一回だけ性教育について書きたいのですが、次回に回します。少々頭が疲れていて、難しいことは今はだめです。今日は一日中うちにこもって、うちの片付けと、そして年賀状づくりです。作るのはもう一週間前に出来ていたのですが、宛名書きと、一言を書くのがまだなのです。うちは、さっぱり片付きません。日頃がひどいので、少しくらいごそごそしても、ちっとも片付きません。お正月までにきれいになるのでしょうか。やれやれです。年賀状も、出来たのから、どんどん出さないと、昨年は、ひどく配達が遅かったですから。

 ちょっと私の情けないというか、ドジというか、年なのか、東京でのお話です。

 一日目の研修がすんで、懇親会も済んで、ホテルに入ったら、部屋がとても暑いのです。暖房は入っていません。それでも暑いのです。パソコンで、メールのチェックをしたりブログを書くのに、暑くて暑くて浴衣一枚でもだめで、裸になりました。我が家では、こんなことは出来ませんが、ホテルで一人というのは、本当に気楽です。どんな恰好でも、全然かまいませんから。でも、机の前は鏡になっています。不細工な恰好が鏡に写ります。自分の姿にげんなりしながら、それでもブログをせっせと書いていたら、突然、チャイムが鳴って、ドアを誰かがどんどんと叩くのです。びっくりして、そしてあわてました。だって裸ですから。

 ドアののぞき穴から見ると、ガードマンの男性が立っています。私は中から、「何でしょうか」と叫びました。なんか、わーわーと言われるのですが、聞き取れません。何回聞き返しても、分かりません。で、「何なのか分かりませんが、困ります!」と、大きな声で言いました。でも、向こうも引きません。わめいています。しょうがないので、裸の上にコートだけを着て、チェーンを掛けたまま、少しドアを開けました。そしたらガードマンさんは「鍵鍵」というのです。「はあ?」と問うと、「鍵が刺さったままになってる!」と。私は部屋の鍵を外から開けて、そのままにして中に入ったようです。びっくりしました。

 仕方がないので、コートの前を掛け合わせて、ドアを開け、鍵を抜きました。ガードマンさんがじっと見ています。何とまあ、怖い東京で外に鍵を刺したまま、何事もなくって良かったなあ、と冷や汗でした。

 次の日、電車に乗るのに、切符を買って、ホームで電車を待っていたら、はっと気がつきました。切符を持っていません。自動改札を通るのに、出て来た切符を取らないままに来たようです。荷物を、一緒に行っている人に頼んで、階段を駆け下りて、駅員さんの部屋に飛び込んで、「切符を取り忘れました!」と言いました。駅員さんは手慣れたもので、鍵を持って、「どこでしたか」と聞かれます。改札は沢山並んでいます。「たぶんここかここ」と言った所の改札機の横を鍵で開けて、何やら箱を取り出して見ています。でも、何もなし。次の改札機の横をあけると、そこの箱の中に、ちゃんと切符が一枚入っていました。取り忘れると、吸い込まれて箱に入るようになっているのですね。知りませんでした。きっと、東京にもドジな人が沢山いるのでしょう。

 鍵といい切符といい、取り忘れてばかりです。でも、ちょっとだけいい訳をすれは゛、「腰が痛くて」もう、本当に痛くて、つらかったです。意識がかなり腰に行っていました。まだ今日もかがむのが難しくて、拷問のようです。ドジはする、腰は痛い、やっぱり年なのでしょう。先が思いやられます。

 

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障害児(者)の性教育について

 昨夜最終の飛行機で広島に帰って来ました。それからご飯を食べて「やまとの湯」へ行くと、もうブログを書く元気がありませんで、一日抜けてしまいました。

 今回の東京での研修は、とても充実していて、大変元気をもらいました。連休をつぶしてでも行って良かったなあ、と思っています。バッシングが厳しい中、こんなに子どもたちのことを真摯に考え、実践している人たちが沢山いることを再確認することが出来ました。私なんて、甘いもので、泣きごとを言ってはおれないなあ、と思いました。

 ワーキングプアについては前回書きました。今日は、「障害児の性教育」について感動したので、そのご報告を。

 「高校生であっても就学前の子どもの能力の子どもへ、たとえばおとこ、おんな(発達段階3才)が分からない子どもの性教育」に、取り組んでいる人たちの活動報告です。

 障害があっても、体は成長します。2次性徴の混乱から、問題行動に表れることがあります。「問題行動(性器露出、女の子へのいたずら、下着泥ぼうなど)は発達要求の現れである」と言われました。性教育に取り組む事で、子どもたちは大きく成長するのだそうです。 

 性的存在とも、性教育が必要とも思われず、放置されている人たち、子どもたちは障害故に尊重されない上に、性と生の人権を尊重をされていないのですから、自尊感情も傷つき、人格がゆがみます。彼らは変質者ではありません。子どもたちの起こす問題行動から障害児の性教育に向かった人たちで性教協障害児サークルが発足しました。

 根深い障害への偏見(日本の国の優性思想)と性教育への偏見などで課題は大きいけれど、障害児(者)の性教育を語ることで障害者自身や親、職員を勇気づけています。障害者や親の生き方や教育の内容を豊かにしています。

 現在、障害者サークルは90名もの会員がいます。そして、障害児性教育セミナーは来年3月1.2日に大宮で開かれますが、これは13回目となります。今年のテーマは「障害をもつ子どもたちの思春期・青年期のとらえかた、性教育、支援について」事例を検討しながら丁寧に思春期・青年期の人格形成、性教育のあり方などを研究する。となっています。

 困難な課題に丁寧にねばり強く取り組んでいる方達に、本当に頭が下がる思いをしました。私が何度もこのブログで話している、七生養護学校の先生達の取り組みもまさにこういうものでした。それを、一部のマスコミ、都議、東京都等は、先生方の処分などで強引につぶしてしまいました。何より子ども達が大きく傷ついたことでしょう。

 こんな実践を聞いて、だから私なんて甘っちょろいもの、泣きごとなんて言ってはおれない、と思ったのです。

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ワーキングプア・東京で研修です

 今日は朝8時に家を出て、空港へ。午後から東京の研修に来ています。全国からたくさんの人が集まって、熱気むんむんです。いろいろな方の話を聞いています。

 中でも、首都圏青年ユニオンの人の話に感銘を受けました。「ワーキングプア」のお話て゜す。今、日本の社会はどんどんと格差が広がって、働いても働いても貧しさから脱却出来ない人たちが次々と生まれています。若い人たちも、今4人の1人が正規の職に就く事ができなくて、パートで使い捨てにされています。不当な首切り、これも労働基準法違反なのですが、時間外労働でこき使われて、しかも時間外手当が支払われないという若者達も沢山います。彼らの多くは、正規の社員ではないので、労働組合もなく、多くが泣き寝入りです。

 本当にちょっとの収入しかなくって、一日三食食べられない人。アルバイトに行こうとしても行くバス代もないという人も。つぎつぎと実例が話されます。ネットカフェ難民という人たちがいるという事は、もう、さんざん報道されていますが、彼らの多くは、路上でも寝ていると言われました。

 そのような、組織を持たない、支援してくれる人もいない彼らに、個人で加盟出来る労働組合があるということ情宣します。不当な扱いを受けた人からのSOSに丁寧に対応しています。それも、助けを求めて来たら、全部やって上げますでなく、本人が自分の力で闘う、それを組合員が支援するという形です。不当にクビと言われた人には、自分で組合加盟通知書を作ってもらい(ひな形があるのですぐに出来ます。)要求書も作り、それを雇い主に自分でファックスをします。そして、団体交渉。みんな自分でそれを体験した若者たちで、都合のつく者が集まって、みんなで、その交渉の場に行きます。それのビデオも見せていただきました。全くの素人である若者が、訥々と泣きながら訴える姿は、胸を打ちます。

 一人一人が、労働者としての権利意識を身につけて行きます。でも、彼らの組合費だけでまかなうには、労働組合はとても貧しいので、月500円の支援をする支える会を作っています。さらに、かれらは反貧困のネットワークを作りました。対象は主に20~30才。障害のある人やシングルマザーなども。月、300円の会費を払います。会員が万が一、病気などで失業した時には、月1000円の生活日を10日間支給する。その他、無利子で1万円の生活資金も貸し付けます。ワーキングプアの互助会です。

 私は、この方達の地をはうようにして行っている活動に、本当に感動しました。そして、写真のようなバッチを買いました。一個200円で売って、会の資金にしているのだそうです。100個でも買って帰って、みなさんに分けようかとも思いました。でも、その会に来た人たちで、全部売り切れてしまっていました。思いがかなったら、おばけが成仏するのだそうです。

 本を三冊買いましたので、それを読むのが楽しみです。「貧困襲来」と「もうガマンできない!拡がる貧困」です。もう一冊は、元七生養護学校の校長先生の不当処分の裁判の本です。私より、はるかに厳しい状況にある先生の裁判は、身につまされます。

 全国から、バッシングにもめげず、元気に性教育を実践している人たちの話もいっぱい。とても勇気づけられます。明日は、朝9時から、また研修です。

 夜、広島に帰ってから、またご報告します。20071223224941 20071223210244

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近況のご報告

 しばらく「怒りのシリーズ」を書いていたので、抜けていた近況のご報告を。昨日、来年2月24日に行う性教協の中国セミナーの後援の依頼の書類を持って、県や市に行きました。毎年やって来た広島セミナー、時々西日本セミナーなどを織り交ぜましたが、今回で20回。20年この活動を続けて来ました。20回記念で中国地方全体て取り組むことにしました。岡山や山口、島根などで実践している人たちも模擬授業や分科会を受け持ってくださいます。逆境の中、めげないで頑張っている人たちを迎えて、私たちも張り切って準備しています。

 忘年会続きのこのごろ、ひよっと日を間違えていて、昨夜がブランクとなりました。で、かねてから行きたい、でも日がない、とあせっていたばつぐんさんの「海人」に行きました。そしたら、私、全然予期していなかったのですが、沢山の「広ブロ」のブロガーさん達が集まっていました。びっくりです。

 何より驚いたのは、私の大先輩、高校時代からずっとお世話になった広島テレビの名アナウンサー、故脇田義信さんのお嬢さんに会ったことです。お葬式以来です。彼女もブロカーさんだったのです。全然知らなくって、本当にうれしかったのですが、でも、お互い涙でした。

 広ブロの人たちは、若い人たちばかりで、おじゃましてはいけないと思って、私と夫は、カウンターで戴きました。その後、やまとの湯に行くので、私は車の運転をしなければなりません。居酒屋で申し訳ないのですが、ウーロン茶で食事をさせて戴きました。

 で、戴きましたよ。「クリスマスリース」!エビときのこのかき揚げです。きのこたっぷりでとてもおいしかったです。でも、大きかった!二人ではとても食べ切れなくって、半分持って帰りました。トンペイ焼きやさざえや、鴨など他に沢山戴いていたもので。とてもおいしくって。満喫しました。

 ぱつぐんさん、ありがとう!!

 今日は診療。明日朝早くから東京です。腰が相変わらず痛くて、東京が無事に過ごせるか、ちょっと心配です。

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年の瀬に腹の立つ事(5)終わりに、来年に向けて

 今日は、すでに書いたことの追加と、その他もろもろを。

 年金、私の場合。すでに社会保険事務所には3回行っている。でも、まだ私の年金は片付いていない。3回行って厚生年金と、国民年金、そして農林年金(農協病院に勤めていた時のもの)は、やっと一つに繋がった。でも、大学の医学部で文部教官をしていた時と、県立広島病院に勤務していた時は、共済年金で、厚生年金とは違うので、これはこれで独自に請求して下さい、と言われていた。ところが、今回社会保険事務所に行った時、「この空白は、公務員だったから」と言ったら、共済年金を掛けていたのなら、その間の基礎年金はつながりますよ、と言われて驚いた。これが繋がれば、すべてが繋がる。でも、そんなことは、全く言われなかったし、窓口で、「別物です」と言われたのに。どうしてこれまで教えてくれなかったのか。これで、また手続きをしなければならなくなった。大学に請求すると、どさっと書類が送られて来た。県病院は、古い資料を出してみないと分からないから、時間を下さいといわれ、まだ連絡がない。一体いつになることやら。

 本当に、年金の請求がこんなに面倒で、しかも社会保険庁のミスというより、怠惰というか(だって私には三つも年金の番号が付けられていたのだから)、こんなのが山ほどの国民の上に起こっているのだから。でも、こうして何回も社会保険事務所に足を運んで何とか完璧に手続きをしようと出来る人は、数少ないと思う。私は、今は時間があるから出来るだけのことだ。

 薬害肝炎、これはうららさんのコメントにお答えしたのだが、当時の厚生省からミドリ十字に天下りした人物が世間に公表しない、ということを厚生省とともに決めていたということがどれだけ公にされただろうか。薬務局長で、薬害エイズの責任者であった人は、ミドリ十字の社長になった。厚生省で、その部下であった人は、ミドリ十字の東京支社長になって、薬害肝炎をもみ消そうとした。官僚の天下りは、独立行政法人にだけでなく、どんどんと民間の企業に行く。そこで、行政とのつなぎという役目をする。この国の政治と役所の腐敗は根が深い。

 何だか、すべてが厚生労働省の問題になってしまっているが、それだけ国民の生活や命関係があることだから。まだまだ問題は沢山ある。

 障害者自立支援法は、早く変えなければ。障がいのある人たちが、作業所に通うのに、自己負担を求めるというもの。作業所で働いて、一ヶ月に頂けるのは一万円くらい。でも、自己負担金の方が上回って、泣く泣く通うのをあきらめた、という人たちが沢山いる。作業所に通って仕事をするのは、唯一社会とつながる生き甲斐である。それをあきらめて、うちに閉じこもってしまわなければならない。これは、天下の悪法となったと、私は思う。誰も、この法律は当然だと言わない。小泉、安倍政権の元で、こんな法律が作られ、実行され、社会的に弱い立場の人たちの命を削っている。

 私が、選挙の中で必死に訴えたので繰り返しになってしまうが、介護保険の見直しにより要介護の認定が厳しくなってしまったこと。何より、脳卒中で体が不自由になってしまった人のリハビリが半年で打ち切りとなってしまったこと。これは、許せない。脳卒中で体の半分や言葉が不自由になった人のリハビリは、長い時間を要する。長い時間を掛けて、ゆっくり機能を取り戻して行く。半年以上リハビリをしたい人は、自分のお金でしなさい、ということだ。だから、お金のある人はリハビリが受けられる。お金のない人はあきらめなさいと。命にまで格差をつける、こんな政治は許せない。

 まだまだ。教育再生会議が、福田政権になっても、まだ残り続けていることが許せない。そもそも、中教審(これも数々の問題があるのだけれど)が「徳育」はまだカリキュラム化するには、いろいろと問題ありと結論を出したのに、それなのに教育再生会議が、これに意義を唱えている。福田政権になった時に、これを解体させるべきだったと思う。二つも教育に対しての審議をする機関を設けて、内部の統一が着かなくなってしまっている。

 私達の性教育の活動も、その被害を一身に受けているが、でも、来年もその次も、めげないでねばり強く続けて行くだけの覚悟はできている。

 今年はいろいろとあって、皆様にも多大のご迷惑をおかけしたが、来る年は、少しはいい年になるように、頑張りたい!と思う。

 (今、テレビのニュースで安倍前総理が広島に来て、山口県人会で「これからも、美しい国日本を作るために、尽力したい」と言っているのを見て、気分が悪くなった。そう、諸悪の根源はここにもあったのだわ。何が美しい国、なのですか。これだけ国民が苦しんでいるのに。彼がやろうとしたことは、逆だ。もっと国民を苦しめる方向に向かおうとしていた。まだまだこの国は三流国だ。)

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年の瀬に腹の立つ事(4)アメリカ軍と日本

 イラクでは、アメリカ軍が大量に使った、劣化ウラン弾によると思われる白血病の子どもたちが沢山いる。以前、広島に来ていたイラクの青年医師が「軍隊はいらない。」とはっきり言った。彼は、その治療の研修のために広島にやって来たが、来るのも帰るのも命がけだった。そして、イラクに帰った後も、経済制裁で病院には薬がない。病気のこどもの治療が出来ないとの訴えが来ている。「軍隊よりも薬を!」と。

 日本の新テロ特措法が国会延長により、衆議院の再可決で通りそうな気配だ。インド洋沖の他国軍への給油は、アフガンに対してと限定されていたのに、実はイラクにもとばればれになった。でも、、、その大変な問題は、何だかうやむやのうちに、何も言われなくなってしまった。防衛省の問題は、まるで守屋さんの問題であるかのように。マスコミや国民の目がそっちに行って、さぞ、防衛省の人たちは、守屋さんに感謝しているのでは、と思う。

 イラクの戦争は、本当に対テロなのか。アメリカは、一体、何を目指しているのかが分からなくなっている。日本は、ひたすらアメリカに追随しているが、ヨーロッパやオーストラリア、そしてアメリカ国内でも、ブッシュの「対テロ」という名の戦争に対しての世論が変わって来ていることを見なければ。

 おそらく、アメリカでは、次の大統領戦では共和党ではなく、民主党が勝つであろう。イラク戦争に方針転換がなされるであろう。その時に日本はどうするのか。

 今年3月15日、「新型イージス艦あたご」が、三菱長崎造船所から防衛省に引き渡された。httt://www1.linkclub.or.jp/~chi-tan/news/news070315.html 「あたご」の建設予算は1453億円。建設中の「あしがら」は1389億円。海上自衛隊は6隻のイージス艦を持っている。

 この金額を見て、あっと思う。薬害肝炎の人たちが一人あたりの補償は国が一人あたり2000万円と言っているが、1500万円でいいから、全員の補償を、と言っている。原告側はおそらく被害が特定出来る人は約800人と言っているが、たとえその10倍、10000人であっても、1500万円の一万人で、1500億円。イージス艦一隻の金額だ。もちろん、テロ特措法で他国に給油する石油のお金も日本持ちだ。

 国にお金がない、医療や福祉などの金額がふえて、予算がないないと言う。お金がないのなら、せめてイージス艦一隻くらいは削ろう、とならないのか。

 インド洋沖で給油することにより、イラクの戦争に日本も荷担しているということをあらためて認識しなければ。今や、決して、テロの為ではなく、石油を巡るアメリカの利権がらみの中東への侵略だということも認識しなければ。

 アメリカの良識ある人たちの選択で、大統領が替わるとイラク戦争の質も変わるはずだ。ベトナム戦争が示している。アメリカ軍が撤退すると、ベトナムに平和が戻った。貧しいながらも、豊かな土地で人々は懸命に生活している。何より平和だ。でも、そこには、アメリカ軍が残して行った枯れ葉剤と地雷による被害がまだ続いている。

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年の瀬に腹の立つ事(3)原爆症の認定について

 薬害肝炎についてもう少し。私の所にみどり十字の人が来たのがいつだったか、何とか思い出す手がかりがないか、と考えても、どうしてもその時期が分からない。それ以降は、薬を使うのに慎重になっていたので、ほとんど使っていないのだが、それがいつなのか。

 いつからだったかと言うのは、分かる。出血や胎盤早期剥離などの時に、フィブリノーゲンを使え、というのは、私が医師になった時にはもうそれが鉄則だったと思う。1975年には、お産の時の出血で母親が亡くなって、その時にフィブリノーゲンを使わなかった、というのが理由で、医師が民事裁判に負けている。それ以降、特に、フィブリノーゲンを使わなければならない、となったはずだ。

 それが汚染されているなんて、つゆほども知らないで、でも、止血のため、そして、DICの予防のためには使わなければならないものと思いこんでいた。

 そこで、産婦人科学会は、どういう態度を取っているのだろうか。産婦人科医の偉い人が、厚生労働省側の証人で法廷に立ったと言うのは、2,3,の報道で見ているが、私たちのところには、これについて何にも伝わって来ない。多くの産婦人科医が自分も使った!と思っているだろう。だから、学会としての声明が欲しいと思うが、、。

 今日の新聞に大きく報道されている、被爆者の認定について。国は、これまで次々と裁判で負けていて、認定すべきと判決が出ているのに。そして、昨年の8月に当時の安倍総理が広島に来て、「認定の基準を必ず見直す」と約束をし、被爆者団体の人たちが喜んだ。私は、総理が言ったからといって、喜ぶのは早計だと思ったし、そうブログにも書いた。だって、政府よりも行政、とくに厚労省はなかなか一筋縄ではいかないと、これまでの数々の出来事で分かっているから。

 私の友人だった近藤幸四郎さんは、肺ガンだった。のちに胃ガンも発症した。そして肝癌も。全部別々の癌だ。被爆者の癌の特徴でもある、ダブルキャンサー、トリプルキャンサーというもの。同時に二つも三つも異なる癌を発症する、これが特徴だ。しかも、被爆者の発ガン率は被爆者でない人に比べて、高いということも分かって居るのだから。だから、被爆者が癌や白血病になれば、これは原爆症として認定しても当然だと思う。し、裁判でもそう決定が出ている。それなのに、近藤さんは認定されなかった。主治医が「被爆の影響である」とはっきり診断書に書いたけれど、それでも認定されなかった。

 この度発表された認定の基準は、ちっとも裁判、司法の決定にそうものではない。それに、唖然としたのは、この前に発表された、「申請があってから、8ヶ月以内に決定を出すことを約束する」これは一体何だ。原爆症の認定は、病気になってから申請するものだから。癌になった、そして申請をした。8ヶ月も待っている間に命が失われる人も出るだろう。なぜ、申請してから、決定されるまでにそんなに時間がかかるのだろうか。これをお役所仕事と言うのだろう。もっとさっさと審査をすべきだ。一人一人の命が懸かっているのだから。

 それに、被爆者は数が限られている。これから増える訳ではない。もう20年もすると、ほとんどの被爆者はいなくなっているだろう。際限なく、そのためのお金が増えて行くのではない。限られた人たちの限られた命なのだから、もっと手厚く対応してもいいはずだ。本当に、この国は、全くいつから、どこまで国民に冷たい国になってしまったのだろうか、と嘆いている。怒っている。

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年の瀬に腹の立つ事(2)薬害肝炎について私の懺悔

 今日も薬害肝炎の被害者の方達の記者会見が開かれていた。国の和解案を拒否すると。被害者である患者を、投与の時期によって差別するとは許さないと。被害者のほとんどが、女性達である。それは多くの方が出産に伴う出血で、フィブリノーゲンを投与されたからだ。女性達が命をかけて闘っている姿は胸を打つ。

 福田内閣の支持率が、急降下していると報道されている。それは、年金の問題と、この薬害肝炎に対する国の態度が国民に受け入れられていないからだと。両方とも厚生労働省のからみで、だから、あれだけ期待された舛添大臣もここで馬脚を現した。

 私は、以前にも述べたが、大臣がはじめて薬害の被害者の原告団に会った時、にこにこと笑顔で、謝罪もなく、「心を一つにして、共に困難な途を乗り切りましょう」と言った。何と、分をわきまえない人かと思った。被害者と加害者は、立場が違う。これまで裁判で闘って来た相手とそんなに簡単に心を寄せ合う事なんて、出来る訳がない。大臣という立場だの偉い人だから、その偉い人が会って上げるのだから、ありがたいでしょう、という魂胆が見え透いて、本当にいやだった。

 私は、産婦人科医で、大学病院で10年学んだ後、救急病院の責任者をしていたので、痛恨の極み、確かにフィブリノーゲンの投与をしている。大学病院時代からだったと思う。お産の大出血は、即、命に関わることで、だから手順を厳しく鍛えられた。素早い血管確保、酸素吸入、子宮収縮剤の投与、用手での子宮の圧迫、昇圧剤の投与、そして止血剤とともに、フィブリノーゲンの投与、それから、輸血。どうにも止血しない時には、手術で子宮を取ることも。これらを素早くやらないと、出血死だけでなく、DICという全身の出血と多臓器不全に陥ってやがて死亡する。お産をする産婦人科には、フィブリノーゲンは必須の薬剤で、必ず常備すべきものであった。だから、ほとんどの産婦人科でフィブリノーゲンを使っていたと思う。

 何としてもお産で患者さんを死なせてはならないから、それは大変だった。救急の時には、産婦人科医、ナース、総動員で、また麻酔科のドクターにも来てもららって救命の措置をする。

 大学病院にも、その後勤務した病院にも、よく救急車で出血が止まらなくなった患者さんが運ばれて来た。お産の後だけでなく、まだ胎児がお腹にいるままで、胎盤の早期剥離であったり、前置胎盤であったり。救急の手術の体制もICUも整っていて、だから他の産婦人科からの転送はよくあった。

 救命出来た後、患者さんの肝機能が上がることがあった。多くの方に、輸血もしているし、沢山の薬物を使っているので、一時的に肝臓に負担がかかったからかもしれない。まだ初期の頃は、輸血後肝炎と言って、B型肝炎がうつってしまったこともある。そのうち、B肝は日赤の血液センターではチェックされるようにはなったが、新鮮血は、チェックが間に合わないこともあった。そして、そのうち、ノンAノンB肝炎と呼ばれる肝機能障害が起こるようになった。このまだ名前がない肝炎が後にC型肝炎と言われるようになる。

 でも、まだノンAノンB肝炎が、後に命まで脅かすようになる肝炎だとは、夢にも思わなかったし、まして、フィブリノーゲンが汚染されているとは、全く知らなかった。ある日、みどり十字の社員が尋ねて来たことがある。そして、フィブリノーゲンで、肝機能が悪くなることがある、これはこちらの病院では、心臓外科のドクターにはお伝えしていた、でも、産婦人科の先生には伝えていなかったので、と。どうしても使わなければならい時には、肝臓が悪くなることがあると言うことを承知の上で、患者さんにも説明の上で、使って欲しい、と。

 その時、私は怒った。どうして、心臓外科だけなのか、と。産婦人科でフィブリノーゲンを使うのは、当たり前でしょう。どうして私にそれを言ってくれなかったのか、と。この病院の産婦人科でもフィブリノーゲンを使うとは知らなかった、と、その人は言った。「救急病院じゃないの。救急車が運んで来るじゃないの。」そして、フィブリノーゲンを使った患者さんを調べて見ると、みなさん、肝機能が上がっていた。でも、まだその時は、一時的な現象だと思っていた。肝機能が上がった人には、追跡してその後も来て戴いて検査をしていた。多くの人の肝機能はそのうち、落ち着いていた。でも、その後が分からない。

 C型肝炎の検査が出来るようなったのは、もう私がその病院を辞し、開業した後のことである。あの頃の患者さん達はどうしているだろうか、と、ずっと心が痛い。ただ、フィブリノーゲンを使った病院の一覧表が報道された時、その病院の名前もちゃんと載っていたし、お産の出血が多かった人は、検査を、と呼びかけてもいた。私がその病院にいるのだったら、自分でカルテをひっぱり出して調べもするが、もう止めた病院に入る事も出来ない。何人かの人が、私の所に来て、自分は使っているか、と尋ねられたことがある。はっきり覚えている人もいるし、覚えていない人もいる。

 救命のための投与ではあるが、何人かの人にフィブリノーゲンを使ったことは間違いない。その私が報道を見ている。どうしたらいいのだろうか、と、ずっと心が痛い。せめて、投与した人には、全員の救済をするべきだ。救済と言っても、せめてお金の保証をするだけで、健康を取り戻せる訳ではない。早くに知っていたなら、インターフェロンで治療をすることもできるのに、知らないままだったと言われると、その通りなので、ますます心が痛い。

 少なくとも、国はこの汚染した薬物の認可を与えているのだから、その責任はある。使った時期によって患者さんを差別するのはおかしい。イラクの戦争を続ける為に、莫大なお金をかけて給油を続けようとするよりも、苦しんでいる国民の命を救済する、そのために貴重な税金を使うのは、だれも文句は言わないと思う。

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年の瀬に腹の立つ事(1)年金について

 年の瀬も迫ってきて、腹の立つことが多いこの頃だ。何よりも年金の問題だ。また、以前ここにも書いたことがあるが、薬害肝炎の被害者の方達への裁判所の和解案、政府、厚生労働省、大臣たちの一連の態度は、許せない。政府自民党は新テロ特措法の成立、インド洋沖での他国艦船への石油供給が出来るようにと、これに熱心であり、国民のためにこれが成立しないと、日本の未来がないかのような態度である。これら、腹の立つことについて、シリーズで書いて置きたい。

 その1.年金の問題。あの夏の参議院選挙の時に大騒ぎになって、年金選挙と言われた。その結果、自民党の惨敗となったのだが、あの選挙に立候補をした者としてどうしても言って置きたい。

 私は、5000万件の年金行方不明は、来年の3月までに必ず解決するという、あの自民党、政府、総理大臣の言うことは、絶対ウソだと思った。出来るはずがない、と。でも、彼らは、「必ずやる」と言った。それをいまさら、「公約違反というほど大げさな物なのですかねえ」と言われたのでは唖然としてしまう。

 私は、街頭でもしきりに訴えた。「出来る訳がない。でも、、、本当に今、本気でやろうとする、その約束をするというのであれば、逆になぜこれまで放っておいたのか、これまで国民の年金を何と思って来たのか。政府、自民党が、国民の生活や命を軽んじてきた証拠である」と。さらに、「今、知らないままに本来戴けるべき年金を、少なくしかもらっていない人たちが沢山いるはずだ。その人たちの問題を早く解決しなければ」とも訴えた。

 私自身も社会保険事務所に行って確認したら、私の年金は三つに分割され、そのうちの一つだけで戴けるべき年金が決定されていた。当然、もうものすごく少ない金額で。これまで働いて来た、そして納め続けたのは、一体なんだったのか、と思うほどの。

 これらのこともふくめて、そして医療や介護や福祉とあいまって、本当に私たち国民が大切にされていない、と訴え続けた。

 私は選挙の間、政府、自民党が「必ずやる」と、出来るわけもないのに言ったのは、公明党対策も絶対あったと思う。だって、多くの公明党の支持者、それは圧倒的に創価学会の人たちなのだけれど、やはり時の政府に怒っていたのだから。多くの学会の信者さん達は、まじめに仕事をし、年金も払い続けていて、宗教を信じながら生活している。

 私は創価学会の人たち何人もとお会いした。そして、年金問題について、こぞって怒っていらっしゃることも聞いた。でも、選挙が大詰めになって、年金については必ず三月までにすべて決着するから、自民党に投票を、との方針が降りて来た、と。中央からの指示であれば、もう仕方のないこと。学会票はあきらめざるを得なかった。

 今、学会の人たちはどう感じていらっしゃるだろうか、と思う。本当に自民に裏切られ、裏切られ、いい加減、つらいだろう。本来、「平和の党」として出来た公明党なのだが、自民と連立してからは、その変節はあまりにひどい。日頃、本当にまじめに慎ましく生活をしていらっしゃる学会の人たちが、気の毒だ、と思う。

 ここに来て、あれが公約でなかったなんて、何てことを言うのか。「大げさ」だなんて、ささやかな年金を頼りに細々と生活している、多くの高齢者の生活は眼中にないのだろう。国民の生活よりも、アメリカのブッシュ政権の方ばかり見ている今の政府、総理大臣、自民党にはそろそろ退陣願いたいと本気で思う。

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インフルエンザの予防接種をうけましたか

 昨晩というか今朝です。午前3時頃にブログを仕上げて、さあ、アップという時に、突然パソコンの画面に、英語でマイクロソフトが何とかかんとかという字が現れ、そして、すべてがパアッと消えてしまいました。呆然です。一体何なのでしょう。何をしてももう書いた物は現れません。がっかりして、もう一度書き直す気力もなくて、ふて寝をしました。そろそろパソコンが古くなって、たぶん容量もいっぱいになって来ているのだと思います。買い換えなくっては、と思ってはいるのですが。ちょっと今はまだ買えるだけの余力が、、、。もう少し、なんとかこのパソコンで頑張ってもらわなければなりません。

 そこで、気を取り直して。今日は当番医です。朝から午後6時まで診療です。

 皆様、インフルエンザの予防接種は受けましたか?今年は流行が早いそうで、それもソ連Aなんとかという新しい型の、結構ひどい症状が出るウィルスのようです。私は、一度ひどいインフルエンザに罹って、大熱で苦しんだことがあって、それからは必ず予防接種をするようにしています。

 あの、宣伝などではないのですが、今日は日曜日なので、日頃お忙しくて、受けそびれている方でも、来られれば接種します。ワクチンは、自由診療です。当院では、初診料だの、再診料だのは一切なしで、2500円戴いています。ただ、広島市の住民で65才以上の人は1000円で受けられます。ワクチンの注射をしてから免疫の獲得までに約二週間かかります。今年は流行のピークがクリスマスからお正月にかけて、と言われていますので、早めに接種したほうがいいでしょう。(当院は産婦人科、内科ですので、もちろん、男性でも大丈夫。接種しますよ。)

 昨日、消えてしまったのにせっせと書いたこと。実は、腰を痛めました。昨日の土曜日の診療で、椅子から立ったり座ったりがうーん、といいながら、とても苦痛でした。大分往復に、丁度うちを出発して金曜日の夜帰るまでに1044キロ運転をしました。久々の遠出です。私は車の運転は全く苦にならないのですが、少しこたえたのかも知れません。年ですかね。でも、昨夜早めに「やまとの湯」に行ってマッサージをしてもらいました。ここのマッサージはとても上手です。女性のマッサージ師さんが「うわあ、ごりごりだ」といいながら、必死でマッサージをして下さって、今朝はすっかり楽になりました。やれやれです。

 しばらく行っていなかった別府の我が家ですが、スイーティーというザボンに似たミカンがすずなりで、黄色くなっていました。主がいなくても、ちゃんと発育しているのがいとおしいものです。父の形見の椿を兄が挿し木してくれたのは、まだ20センチの高さしかならないのに、二つつぼみを付けていました。これも、いとおしくって。父が死んだ時に植えたレモンは、今年初めて実を付けています。三つ黄色くなっています。きんかんは12個の実がなっていました。どれも、お正月には収穫出来そうです。

 当番医はとても暇で、いろいろとたまっている仕事をすることが出来るので、好きです。今日はそろそろ締め切りが来る原稿書きと、年賀状作りをします。20071214093742_2 20071214154938_2

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山田泉さんの講演を聞きました。

 一昨日、大分での講演を終えて、山田泉さんに連絡をしました。そしたら、「明日、別府で講演をする」と言われるではありませんか。もう、びっくり。即、「私も行く」と言いました。そして、昨日の午前10時から、別府市中央公民館で彼女の講演を聞きました。別府市教育委員会の主催で、会場は沢山の人で溢れていました。立ち席がいっぱいです。私はかろうじて座ることが出来ました。

 彼女と知り合って、もう20年になります。彼女が務めていた中学校に私を講演に呼んで下さったのが、きっかけです。彼女は、素晴らしい養護教諭でした。生徒達と常に本音で向き合い、性教育も優れた実践をしています。私たちの性教育の仲間、性教協のとても大切なメンバーでもあります。広島の会にも来て戴いて実践を報告して戴きましたし、全国大会でも、大切な発表をしてもらっています。

 そんな彼女が乳ガンに罹り、闘病をしながら、生徒達に「命の教育」をします。その実践は、地元のテレビ局大分放送やNHKの全国放送でも何回も取り上げられました。彼女の実践は、涙なしでは見られません。今、彼女は癌の再々発で、今年の3月で仕事は退職しました。でも、全国の要請に応じて、学校での実際の授業や、講演に行っています。私は、今回の天の配剤のような偶然に、本当に感謝しました。

 今回の講演も、本当に涙々で聞きました。彼女の授業を受けることで、生徒達がどれだけ命を考えることができたか。学校には、様々な方達に来て戴いて、話をしてもらってています。たとえば、脳性麻痺で体が不自由で、でもわずかに動く足を使って書を書く方。癌の末期、余命3ヶ月と言われている方。そして、ハンセン病の方。この病気については、生徒達ととても長い時間をかけて学習もしたし、実際、菊池恵楓園にも行っています。そして学校に来て戴いたハンセン病の方のお話には、以前いじめを受けていた生徒が「差別される人の心の強さとやさしさに感動しました。」と感想を書いていたり。とにかく、彼女の実践はこんな所では書き尽くせません。

 講演の後、彼女と彼女の友人で今日だけ臨時のお手伝いをしている教師と三人でお昼ご飯を食べました。彼女は、腫瘍マーカーも上がり、痛みも出ています。そして、1月から抗ガン剤の治療を受けようかどうしようか、と悩んでいると言いました。私は、「受けて!」と言いました。抗ガン剤の副作用はつらいかも、でも、「死なないで」。生きるために受けて、と。医療の進歩はすてたもんじゃない。頑張って生きてたら、また新しい薬が出来るかも知れない。何とかがんばって生き抜いて欲しい。彼女は以前、抗ガン剤の治療が吐き気がしてとてもつらかったのです。「でも、癌で死ぬのは、もっとつらいから。先生に、副作用が出来るだけ出ないようにしてとしっかり要求する。白血球が下がったり髪が抜けたりということはあるかも知れないけれど、吐き気は押さえられると思うから。」

 食欲がないという彼女も、今日はなんか食べられると言って、沢山食べました。よかったよかったです。たべないと力がわいて来ません。沢山の人達や教え子達が、彼女を応援しています。やまちゃんには、いつまでも生きていていてほしいと願っています。

山田泉 著書紹介
「いのちの授業」をもう一度

「いのちの授業」をもう一度
本体価格1800円(高文研)
二度の乳がん、命の危機に直面した教師が自らのがん体験を子どもらに語り、生きることの意味を共に考えた「いのちの授業」。思春期に揺れる子らの心を揺さぶり、人間の尊厳に目を開かせていった感動の記録!
・読みながら笑い、思いっきり泣きました。子どもたちに対する深い愛。あなたに出会えた子どもたちはなんて幸 せなんだろうかと。(女性・40代)
・昨夜遅くまでかかって泣き笑いしながら、一気に読みました。これこそ、いま日本中の子どもたちに一番必要な 授業だと思います。(女性・50代) 20071214152003
山田泉さんと私。食事をした後、友人に撮ってもらいました。

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教育委員会主催の講演会

昨日の午後、大分市内の中心地にある中学校で講演をしました。全校生徒600人強。保護者300人、近隣の学校の先生方、合計約1000人の方達にお話をしました。この講演は、大分市の教育委員会の依頼です。教育委員会が私を中学校に派遣をするという形でした。

 学校に着くと、校長室に校長と教育委員会から来られた方が待っていてくださいました。そして、教委の方からいろいろとお話がありました。私は、今週の月曜日には大阪の中学校で、先週の金曜日には徳島の中学校で講演をした旨もお話しました。それから、使うビデオも文部省選定のビデオであることも。社会の状況は、子どもたちを直撃している事。情報の渦の中に子どもたちがいること。そのような状況だからこそ、子どもたちには正しく情報を与えて、情報を選択する力を身に付けて欲しい。それも中学生、義務教育のうちに教育をしておくことが必要だと考えている事、などをお話しました。

 そして、校長先生も教委の方も、私の生徒への話を初めから終わりまで聞いてくださいました。沢山の保護者の方達も。すんだ後、教委のかたは、大変勉強になりました、と言って下さいました。議会で忙しいさなかにずっといて下さったことを感謝します。

 もしかして、これから、議員やその他の勢力から、何らかのクレームがつけられるかも知れません。これだけ沢山の保護者の方が来られれば、中にはいろいろな考えを持っていらっしゃる方もあるでしょうから、保護者からのクレームがあるかも知れません。そんな厳しい状況です。もしそんなことがあったなら、どうか、今の子どもたちには、必要な知識を話してもらったのです、と、ちゃんと説明して欲しいと、そう先生方にもお願いしておきました。

 ここの中学校では、世界エイズデーをきっかけとして、エイズの教育がされていました。そして、生徒達がエイズについて調べたことを模造紙にいっぱい書いて、廊下に張り出してありました。一年生は、エイズとは何なのか、そして二年生も三年生もそれぞれ世界の状況や治療や患者さんの支援などにについて、実に克明に調べてありました。中学生で、ここまで自分達で調べて発表していることに、感動しました。予防にはコンドームを使うことも、ちゃんと書いてありましたよ。少し暗くて、きれいな写真でなくて申し訳ないのですが、一枚だけ、アップしておきます。生徒達の力作の片鱗でも感じていただければ幸いです。

 講演には、産婦人科医の性教育のネットワークの仲間である先生や、他校の養護教諭のやはり性教育の仲間達も来て下さって、とてもうれしかったです。一方で、バッシングされるのではないかとドキドキし、一方では仲間達にはげまされ、と、そんな講演活動ですが、子どもたちに豊かな大人になって欲しいとの信念を持ってこれからも頑張ろうと思います。

 ここまでくどくどと書くのは、実は、やっと私の名誉毀損の裁判が終わったところに、また、私の実名の名指しの、言われなきバッシングの本が出されているからです。これは、「新しい歴史教科書を作る会」の作った教科書を出版している会社が出した本です。特種な宗教と結びついた、しっかり色のついた出版社です。でも、本当にこんな勢力が、議員を動かし、行政を動かしているのですから、情けない話です。これをどうするか、また、気分が重いのですが、そのうち、ご報告をすることが出来るだろうと思います。

 写真の講演会の様子は、後の椅子に保護者が座り、前の床に生徒がすわり、ずっと奥の舞台の上に小さく茶色いのが演台で、そこで私が点のようになって講演をしています。1000人もの人の前だと、私はこんなに小さくなるのですね。20071213141510 20071213155007

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断腸の思い、美川さーん!

 やっと別府の我が家に着きました。私たちが将来住む予定の家は、締め切っています。鍵を開けて入ると、中はひんやりと冷え切っています。すぐにお風呂を入れ、暖房をつけても、まだまだ寒くて。うち全体が暖まるのは、夜が開けてからになるでしょう。

 今日、ここに来るには、つらい物があると昨日書きました。あの、実は、昨夜は美川憲一さんのディナーショーだったのです。私は、美川憲一のディナーショーだけは欠かしたことがありません。皆勤賞です。しばらく沈んでいた人がコロッケのおかげで再登場するようになって、まずプリンスホテルでディナーショーが始まりました。毎年行きました。それもすごい努力で、受付の日の開始時間に、ソレッと電話をかけて、一番に申し込みます。だから、いつもいい席をもらっていました。

 その為に、毎年きらきらの服を用意します。安い外国製(アジアの)服でも、きらきらしていれば、いいのです。そしたら、必ず美川さんが「まあ、こちらの奥様、素敵だわあ。おしゃれなさって!」とほめてくれます。握手をしてもらったら、とてもいいにおいがします。きっと握手の前に、それ用に香水をつけているのだと思います。臭いが消えるのがもったいないので、トイレに入っても、右手は使いません。お風呂に入るのも、右手を高く上げて、濡らさない様にします。そして何回も手のにおいを確かめます。

 何年かした時、美川さんと後援会長とのトラブルが報道されて、プリンスホテルのディナーショーがなくなってしまいました。これにはがっかりで、でもあきらめませんでした。大阪のヒルトンホテルでやることが分かって、そこに行きました。でも、席は、そうそう広島のホテルの様に行きません。で、電話です。ホテルの担当の人に、「広島から行くんです!広島ではいつも一番前の席なんです。ヒルトンに行っても、後ろの席ではいやなんです。前の席を取ってください!」と泣きつきます。どんな人にも熱意というのは、伝わる物で、だから、一番前の真ん中の席を下さいました。

 次の年は、プリンスからリーガロイヤルになりました。一回だけ美川さんのがない年がありましたが、また復活して、 もちろん、全部行っています。そして、毎年、いいにおいの手を大切にしていたのです。

 今年は、全日空ホテルに移りました。もちろん、チケットは買っていたのですが、、、。それが昨夜にぶつかったのです。昨夜のうちに別府まで来ないといけません。

 診療があるので、二回目の午後8時からのです。終了は10時半。それから、うちに帰って、11時に車で出発して、夜の高速道を飛ばして、着くのが朝4時。それから寝て、その日に講演。徳山発国東半島の竹田津着のフェリーがあるのですが、それだと午前2時のしか乗れません。そしたら、4時に竹田津着。うちに着くのは、朝5時過ぎです。ますますしんどいことになります。

 悶々とした上で、結局ディナーショーをあきらめました。断腸の思いです。チケットは、若い人に譲りました。私の姉と姪との三人で行くつもりでしたので、姪の友人が私の代わりに行きました。別府に着いて電話をしたら、ステージがとってもとっても良かったのだそうです。そして、若い二人を「あらあ、お若いのね」と喜んでくださったのだそうです。だって、美川憲一のディナーショーなんて、客はほとんど全部がおばさんかおばあさんなのですから。ほんの少し、女性の付き添いで男性が混ざっています。さぞ、若い二人が新鮮だったのでしょう。

 そんなわけで、つらい思いを吹っ切って、別府までやって来たのですから、今日の講演は頑張ろうと思います。

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クリスマス・デザイン

 昨日も忙しく、朝からいろいろなお約束で、人々にお会いしました。お昼、久々に会う人たちと、話が弾みました。やはり、気の置けない人たちとおしゃべりをするのは楽しい物ですし、またいろいろな情報を戴いて、ありがたいことでした。

 午後は、かねてから楽しみにしていたkei.さんの教室に行きました。いつもは、袋町の夜の教室なのですが、今回、申し込みが遅れてしまって、やっとお宅の方の教室に入れて戴きました。一緒に行っているクリニックのスタッフは仕事で行けないので、私が材料だけ戴いて帰って、教えてあげることにしました。

 お花は、クリスマス・デザイン。姫リンゴの赤、みどりの葉、白のお花、黄色のローソクと、カラフルで、素敵なお花になりました。お菓子は、とうふグルト。お豆腐をシェークして、甘酒で味付けしてあります。それ、クリスマスのおかし、シュトーレンです。生徒は全部で六人。みなさん、お優しい方達でした。こんなゆったりした時間を過ごすことが出来てkei.さまに感謝です。お花はクリニックに飾りました。

 夜は、またまたビル開業の産婦人科医の集まりで、研修です。金沢大学から、講師が来てくださって更年期のホルモン補充療法の最近の知見についてのお話をして戴きました。新しく知識を得ることが出来ました。私のこれまで持っている知識を漫然と使い続けるのでなく、常に最新情報をえながら、それを患者さんの提供することが、医師という職業にある者の義務と思います。それにしても、よく研修があります。この間は更年期の漢方療法でした。漢方のドクターは、漢方が一番で、今日のドクターは、ホルモン補充療法が一番で。それらをどう自分なりにこなして行くかということでしょう。

 明日は、ではなくもう今日でした、診療の後、大分に出発します。久しぶりに会う義母におみやげのコートを買いました。軽くて暖かいコートですが、気にいって戴けるか、少し心配です。おみやげは、それと補聴器です。以前プレゼントした補聴器が具合が悪くなったそうですので、新たに買いました。

 今日の夜出発するに当たっては、とてもつらい物があります。それについては、また明日書きます。20071211145845 20071211151236

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中学生への講演が続きます

 昨日は、日帰りで大阪に行って来ました。大阪と言っても新大阪から地下鉄でなんばへ、なんばから近鉄奈良線で生駒山の手前まで行った所にある中学校でした。慣れない所での乗り換えは、結構もたもた無駄な歩きをして疲れます。

 実は、大阪に行ったついでに、梅田のドイツクリスマスに行きたいと思っていたのですが、行くことは出来ませんでした。時間的にいっぱいいっぱいでした。

 広島に帰ったらすぐにYMCAのハングルの講座に行きました。大阪の行き帰りの新幹線の中で宿題をしました。いい年をしたおばさんが、教科書とノートと、辞書をひっくり返しながらぶつぶつつぶやいて、鉛筆、消しゴムをせっせと動かしている様は、どう見ても不格好だと思いながら、て゜も切羽詰まってて必死でした。昔からいつもいつもぎりぎりになって何かをするという癖は、この年になっても変わりません。

 でも、宿題をやらないと、どんどんと当てられますので、本当にやってて良かったと思いました。

 昨日の中学校では、校長先生が広島大学の後輩でした。「校長先生、教育委員会はうるさくありませんか?」と聞くと、「ええ、うるさいてすよ。私は、以前教委にいました。私か゛いる時も小学校に何箇所か指導に入りました。今、ジェンダーフリーなんて言葉も絶対禁止です」と。続いて、「でも、性教育は大切ですから。やらなければ、ね。」と言って下さいました。この講演会については、教育委員会にちゃんと報告をしていると。でも、今回は何も言われませんでしたよ、と。校長先生がとても発想が柔らかい人で、それも広島大学の出身ということで、うれしかったです。助かりました。

 もしかすると、総理が替わって、少し文科省の対応が変わって来たのかも知れません。または、各地方議員への司令塔が少し力を失いつつあるのかもしれません。もしそうだとしたらうれしいのですが。

 なにより学校現場で、日々生徒に向かいあって先生方、特に養護教諭が、その必要性を分かっていらっしゃるのです。生徒達は、食い入るように私の話を聞いてくれます。先週の金曜日は徳島の中学で、今週の月曜日は大阪の中学で、そして今週の木曜日には、大分の中学で講演をします。呼んで戴いて、ありがたいことです。

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今日も研修と、食いしん坊

 今日は、朝から性教育の仲間達との研修会。山口から、性教育に頑張っている助産師さんを迎えて、彼女の実践を話していただいた。全国あちらこちらで、若い人たちが頑張っている。いろいろな職種の、様々な年代の人たちが、それぞれの立場から若者に向き合うというのは、とてもうれしい。私も、常に様々な実践に学ぶべく、勉強を続けなければならない。

 私は性教育に取り組んで、30年近くになるが、もうそろそろ後継者を作ることが課題となっている。でも、大丈夫。次々と全国で若い人たちが育ってくれている。私なんかが心配しなくてもよさそうだ。20071209102756 ただ、参加者が少ないのは仕方がないこと。今は冬の時代。どんなに少人数でも、とにかく続けること。歯を食いしばってでも続けること。内容については、誰にでも誇れることをやっているのだから。でも、今日の会でも、新しい人の参加があってうれしかった。

 午後は役員会。来年二月に行う予定の中国大会について、細かいことを決めた。岡山、島根、山口からも模擬授業や分科会の演題が決まって来た。どこの県でも、冬の時代を頑張っている人たちがいて、心強い。内部では、厳しく検証しながら、私たちの力を付けて行くことが大切だ。

 今週は、目一杯、ぎりぎり忙しい週になる。今日の夜だけ、ちょっと時間が出来たので、かねてから気になっていた「ばつぐんさん」の「海人」に行くことにした。ブログに載っていたクリスマスまで限定のリースのかき揚げを食べたかったから。もちろん、お魚も。そしたら、お休みでがっかりした。日曜日がお休みだと、ちゃんと調べなかった私の問題だ。でも、どう考えても、後10日は行く日がない。クリスマスまでに何としてでも行かなくっちゃ。

 さて、どうしましょう、と、夫と歩いていると、韓国料理のお店があって、そこに入ることにした。メニューを見ると全く本格的な韓国料理だ。これはうれしい。お店のママのアドバイスで、韓国のホルモン鍋にした。どっさり野菜やきのこやホルモンが入った鍋で、それはそれは美味であった。20071209192053 ほとんど食べたところで、ママがご飯を入れて、お鍋の中に残った汁で、混ぜ混ぜしてくれた。雑炊かと思ったら、そうではない。しっかり汁気がなくなって、ご飯を石鍋にぎゅーぎゅーと押しつけて、焦がす。とってもおいしいチャーハン風だった。お店の人達とも仲良くなって、大満足。

 これも、海人さんがお休みだったおかげでしょうか。明日から、さあ、猛烈に一週間、頑張りましょう!!

 

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医家芸術展懇親会

 私は、ホント、気楽に応募したのだった。マウイできれいな景色が撮れて、医家芸術展がもうすぐ開かれるはず。もし間に合えば、出品してみようか、と。自分でプリンターでプリントもした。画廊に行って額縁を選んでいただいて、装丁もしてもらった。画廊の方は、「ああ、きれいですねえ。」と言ってくださって、元気づけられた。額に入ったら、とてもきれいななかなかの写真になったと思った。で、おそるおそるではあるが、応募したのだった。

 ところが、一日、お寺の帰り、産婦人科医の大先輩を車に乗っけてお宅まで送って行った時に、「今度写真を出されたのですね。カメラは何ですか。レンズは?もうだいぶやっていらっしゃるんでしょう?」なんて、立て続けに言われて、もうびっくり。この大先生は、もう10年以上、作品を出し続けていらっしゃる。そのとたん、「ああ、えらいことをしてしまった」と、思ったのだ。

 で、4日から県民文化センターで展示されている。みなさんの作品は、本当に素晴らしく、プロの方もいらっしゃる。きっと医者が趣味なのだ。私は軽はずみだった。ただひたすら恥ずかしい。そして、今日、診療の後、午後7時から、懇親会が開かれた。これも事前に気軽に参加の申し込みをしていた物だ。

 私は、知らなかった。それは単純な懇親会ではなく、一人ひとりの作品がスライドになって紹介され、プロの方の批評を受けるのだと。もう、びっくりしてホント、逃げ出そうかと思った。

 大変、きれいな瞬間を映し出されたと思います。などと先生は言われていたが、もう、すっかり緊張して、私が何をしゃべったか、何を言われたか、ほとんど記憶に残っていない。やれやれだ。他のドクターたちは、○○のカメラで、○○のレンズで、どう狙って、なんてことこまかに話した方もいる。本当に趣味の域を超えている。もう私は、冷や汗どっさりで。

 でも、、、何だか楽しい。私、今度は恥をかかないように、一年間頑張って、いい作品を出してみようか、という気にもなっている。また、性懲りもなく、という気がしないでもないけれど。全く知らない世界をちょっと覗かせてもらったと、それだけでもたのしい出来事であったと、そう前向きに考えることにしたのだった。

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徳島での講演

今日は、徳島県三次市の三野中学校に講演に行った。高知行きの特急で、阿波池田駅についてまず驚いたこと。小さな駅だが、その駅前に、こんなのぼりが立っていた。20071207121234 20071207155031 20071207154109

びっくりした。私を迎えに来てくださったのは、保健所の保健師さんたち。保健所の仕事として、こののぼりを作り、市内のあちこちに立てて、エイズの検査を受けましょうと啓発している。保健所でやっと迅速検査をしはじめて、少し検査を受ける人が増えたそうだ。途中の横断陸橋にも横断幕が張ってあった。すごい!

 吉野川沿いををどんどん行って、約30分。全校生徒140人余りの小さな学校での講演だ。保健所が、私を中学に派遣するという形での講演会だ。女性教育としての予算が降りて来たらしい。学校の養護教諭の先生が熱心に保健所に申し込んで、実現したという。生徒達は良く聞いてくれた。講演の後、男子生徒がお礼を言ってくれてうれしかった。この写真を養護の先生に送っていただいたのだけれど、どうしたことか、どうしてもアップ出来なくて、ザンネン。

 そして、帰り。保健師の方から、こんな袋に入ったおみやげをいただいた。2007120722521820071207225350 袋の横には、レッドリボンの説明や、県のエイズ相談のホットラインや、各保健所の検査日や電話番号が印刷されている。県が作って配布したそうだ。

 頑張っていますね、徳島県!!と、エールを送りながら、気持良く広島に帰りました。

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もう、食べる食べる。

 今、岡山に来ています。あした、徳島の中学校で講演をするため、今夜のうちにここまで来ておくことにしたのです。

 今日は昼は友人の産婦人科、廿日市の久松産婦人科で診療をしました。今、月に二回、木曜日にここで診療をさせてもらっています。ここではお昼に、産婦さんと同じ食事を出して下さいます。何しろ、お乳を出さなければならない人たちと同じなのです。とてもごちそうで豪華です。すっかり全部戴きました。そして、ここでは三時におやつを出して下さいます。20071206150956_2 紅茶のケーキ、マロンパイ、そしてばななとココナッツのアイスクリーム。全部栄養士さんと調理師さん達の手作りです。それとコーヒー。すべてありがたく戴きました。

 実は、昨夜はうちのクリニックの忘年会でした。何年ぶりかに行ったのですが、いのしし料理の深山です。ここで、イノシシのしゃぶしゃぶでした。お花のように盛ったお肉がピンクでそれはきれいです。それに、お鍋にはほとんど「あく」が出ません。それは、すぐに血抜きをして保存するからなのだそうです。そしたら、本当に上品な味になります。

 ここの親父さんが猟師です。昔来ていたころには、いつもお店の中に段ボールのかげで、イノシシが一頭眠っていました。子どもたちが小さかったころ、親父さんが娘達をかわいがって、いろいろな猟のお話をして下さいました。20071205192415_2   猟は、取れる時と取れない時と、波があって、いつもコンスタントに供給出来るように、養殖をしようとしたと。そして瀬戸内海に無人島を買って、そこに何頭ものイノシシを放し飼いにしたと。そしたら、イノシシは全部、海を泳いで逃げてしまったのだそうです。

「イノシシはのう、泳ぐんよ。向こうの島を目指して泳いだんじゃろうのう。」と、親父さんが自分でクロールの恰好をしながら、迫力を持って話して下さるので、おかしくって、みんなでけらけらと笑ったものです。そのことを書いた新聞の切り抜きも見せてもらいました。本当の事だったのです。

 しゃぶしゃぶは、本当に上品でおいしくって、後は「ラーメンにしますか、雑炊にしますか」と聞かれたのを、「両方!!」とみっともなく言って、結局両方を作ってもらいました。それはそれは絶品でした。

 その上に今日のお昼とおやつ。もう、体重のアップが止まりません。スープダイエットの効果なんて、とっくにどこかに飛んで行ってしまいました。だから、今日の晩ご飯は抜きにしよう、お腹がすく前にさっさと寝てしまおう、なんて思って岡山に来たのですが。あの、やっぱり無理でした。岡山では駅ビルにスーパーマーケットがあるのです。そこで、迷った末に、太巻き寿司が4切れ入ったのと、ウーロン茶と、135ccの小さいビールをひとつ買って来ました。ホテルでもう、ぺろりと食べてしまいました。

 これからまだまだ忘年会が続きます。ははっ、全部すんだら、またスープダイエットをしましょう、そうすればいいのだわ、と思っています。

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ウォーキング(3)実は傷がずきずきと

 車でさっと通り過ぎるのと違って、とことこと歩くのは、細かに街のことを見て歩くことでもある。そして、いつまでもぐずぐずとして申し訳ないのだけれど、どの街角に行っても、「街宣」をしたその場所だらけなのだ。十日市の角で。横川駅の前で、西広島の駅前で。舟入のスーパーの前で。本通りの入り口で。お店の前で。並木通りの角で。福屋の向かいで。天満やの前で。そごうの前で。県庁前で。基町の高層住宅の中で。

 その時の情景が、本当に昨日の様によみがえる。そして、ずきずきと胸が痛い。なんか、こうしてはいられない、という気になる。だって、世の中、おかしい。さすがに参院選で大敗を喫した自民党が、総理も替わって、鳩派路線をとっているかのように見えるが、なんにも解決していない。被爆者の問題も、年金も、福祉も、子育て支援も、教育も。一体、何をやっているのか、と思う。せっかく大勝した民主党もみっともなく、もたもたしているし。

 私は、何をしなければならないのか。日常は、忙しくしてはいても、一体、この忙しさはどこに集約されるべきものなのだろうか、と。

 「私、また街宣をしようかな。だって、政治団体の届け出をしているのだから、政治活動は出来るのよ。街宣を選挙活動でなく、政治活動としてやってもいいのだから。街頭に立って、しゃべろうかなあ。しゃべりたいこと、訴えたいこと、いっぱいあるんだけれど。一人で立ってしゃべるのも、いいんじゃないかなあ。」

 と言ったら、夫は、しばらく考えていたが、「やめんさい。やめて、ブログで言いたいことを言いんさい。」と言った。たしかに、ブログは、自分から情報を発信する、とても貴重な場ではある。でも、ブログを読まない人、インターネットなんて無縁な人は社会には沢山いる。その人たちに声は届かない。

 せっかく、多くの方の支援を受けて、でも、挫折してしまったことを、このままにしていてはいけない、なんか一つの力にしなければ。そろそろ、前に言った、「命と憲法を守る仲間達」の活動を開始しようか。そのために街宣を手始めに、そこで、賛同していただく方へのビラを配ろうかなんて考えている。考えながら、そして、ずきずきする胸の痛みを抱えながら、せっせと歩いている。そんなウォーキングなのです。

 ここのところ、月初めのレセプトの点検、月刊誌の連載の原稿、講演が立て込んでいること、もちろん、診療もだけれど、かなり目一杯の生活をしている。仕事をしていらっしゃる皆様、ブログを一体どんな時間に書かれているのでしょう。私は、飛び飛びになってしまうかも。書きたい事は、日々、沢山あるのだけれど、何しろ時間が。それも仕方がなくって、失礼してしまいそうです。

 あの、恥ずかしいので、黙っていようかと思ったのですが。今、県民文化センターで、医家芸術展をしています。私、恥ずかしげもなく、初めての小さい出展をしています。私のはともかく、医家の皆様の素晴らしい絵や写真などが展示されています。お時間のある方は覗いてみてくださいませ。

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ウオーキング(2)ドリミネーションを歩く

 今、もう多くの方か゛ブログに書いていらっしゃるように、広島の平和大通りでは華やかにライティングがされている。私も難しいことは抜きにして、ただ楽しく、そこを歩くことが多い。そこは、たくさんの人がぞろぞろと歩いている。職場の仲間や家族連れなど。写真を取っている人も多い。

 で、思う。人々はただ歩くだけで、後はどこかに消えて行く。ああ、もったいないなあ、と。カフェのひとつでもないだろうか、と。大通りに沿って、喫茶店のひとつも、ビールの立ち飲みのひとつもない。ただ、ライティングがあるだけだ。

 大阪の梅田、大阪駅の近くのホテルの庭に面した広場で、毎年「ドイツクリスマス展」が開かれる。大きなツリーだけでなく、ドイツの木製のメリーゴーランドも移動してきているし、ドイツのクリスマスグッズや、おもちゃやお菓子のお店がたくさん出展している。そして、ドイツソーセージなどを食べるスペースもあるが、何しろ冬の外なので寒い。

 そこで、飲み物。マグカップに入ったドイツのホットワインを販売している。マグカップには、ドイツのクリスマスの絵がプリントしてあり、中には熱々の赤ワインがたっぷりと注がれている。それをみんな飲みながら歩く。もちろん、座って飲んでもいい。子供用には、アルコール抜きの赤ワインが提供される。そして、カップは、お持ち帰りだ。毎年、絵が変わるので、それを収集するのを楽しみにしている人もいる。

 広島の大通りでも、そんなのができないか。動かないメリーゴーランドの横などには、結構スペースが開いている。そこで、ホット赤ワインや、甘酒や、熱燗のお酒、コーヒー、ホットコーラなどの暖かい飲み物が提供されれば、もっと多くの人が長い時間、わいわいと楽しむことができるだろう。もちろん、飲みたい人には冷たいビールがあってもいい。人手があれば、豚汁などが。それに、ラーメンやうどんでも。と、食いしん坊の私には、思いが広がる。

 民間の屋台などの入札をすれば応募する人は、いるに違いない。すたすたと歩いていても、風は冷たい。ウオーキングの途中、ちょっと暖かいものを飲みたいなあ、としばしば思うから。

 大阪にお出かけのある人。ぜひ、ドイツクリスマスに足を伸ばして見てください。私は、ちょっとずつクリスマスグッズを買ってきて、クリニックに飾るのを楽しみにしている。真っ白のふわふわの赤ちゃんとか、ミニチュアのバイオリンとか、ろうそくの熱でくるくると回るメリーゴーランドの木のおもちゃとか。日本にはなかなかお目にかかれないようなものが満載で、大人一人でも十分に楽しめます。

余談ですが、私、このブログ、はじめてネットカフェで書きました。うまくアップできるでしょうか。これがうまくいったら、また私の世界がひとつ広がります。ナムサン!!

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ウォーキング(1)歩きながら父を偲ぶ

 今もまだウオーキングは続けている。一日置きに「やまとの湯」のお風呂に入りに行く。ウオーキングもして、それからお風呂で、とやっていたら、あまりに時間がなくって、寝る時間を削るようになってつらいので、結局、お風呂の日とウォーキングの日と交互にするように落ち着いた。夕食後しばらくして、ハングルや英会話のある日は、帰って来てすぐに出かける。大体、一時間から二時間、その日の気分によってどこを歩くかを決める。

 昨夜は中島町の家を出て、西へ。平和大通りをまっすぐに観音を過ぎて己斐の西広島駅まで。そこを南に下って、庚午から二号線に。それを伝って、帰って来た。早足で一時間半。歩くだけでも結構運動になる。橋を渡る時はかなりの勾配があって、息が弾んだりする。

 己斐の駅から庚午に行く道に小さなお見せが沢山並んでいる。私が子どもの頃、住んでいた観音から己斐に行き、そこで洋服などを買ってもらうのが昔の私たちの楽しみだった。今も同じような作りのお店が並んでいるが、お店の種類は全く異なっている。当時は、ほとんどが衣料屋さんだった。

 そこのお店に観音高校の定時制に通う生徒さんが勤務をしていた。父は、長い間社会科の教師として授業を教えながら、定時制(当時も今も珍しい昼間の定時制である)の主事をしていた。日曜日、私と妹の手を引いて、その店を何軒か廻り、生徒さんに声をかけ、お店の経営者と話しをしていた。私たちは、その間、外で待っている。父は、子どもの私から見ても、教師の中の教師。生徒を真から愛するプロの教師だったと思う。

 庚午から二号線の上りを歩くと、新旭橋になる。この橋は、先日腐食が心配で調査をするなどと報道されていた。これは、私が小学校の三年生の時に完成した。原爆からほぼ10年。三つのアーチの吊り橋で、当時としては、大変豪華な画期的な橋だった。出来上がってまだ開通する直前。父と妹と三人で橋を見に行った。誰もいない直線の広い広い橋。そこで父が「走ろう!」と言った。三人で橋の上、もちろん車道をキヤーキヤー言いながら、思いっきりかけっこをした。

 教師であると同時に良く子どもをかわいがる父親だったと思う。私の高校時代、受験勉強でくさくさしていた時、父に出かけよう、と声をかけられた。そして、父と母と私の三人、縮景園の梅を見に連れて行ってくれた。もうすぐ試験という気持が焦っていたとき、のんびりと公園を歩いて梅を見て、心は安らいだと思う。

 そして、思いは、父が倒れていた時になる。それを見つけて必死で人工呼吸をして、救急車を呼んで、それから長い間意識がないままに闘病をして、でも、声をかけると涙を浮かべていて。倒れて一年後、意識がないのにとても苦しい下顎呼吸をして、苦しんで苦しんで死んでしまった事、などと、いろいろと思い出してしまった。

 そのような、昨夜のウオーキングでありました。

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性感染症(7)最終回

日本エイズ学会も終わり、市民公開講座も沢山の人に来て戴いて、終了した。長谷川さんは、92年に感染していることが分かったのだが、その前後の事、心理状態などを本音で語ってくださった。その頃は、まだHIVに感染すると、死という時代であった。「後三年は生きられるだろうか。生きたい。」と思ったと。そして、今、感染者のためのサポート活動、学校や社会の教育活動のため、講演やワークショップなどで、国内は元より、世界中を飛び回っている。まさに隔世の感あり。感染が分かった当時こんな状況は想像だに出来なかったであろう。

 本田医師は、診療をしている女性の感染者達がどんなに厳しい状況に置かれているか、を語ってくださった。女性が感染していると言うことは、そのほとんどが夫も感染している。(アジアの女性の感染者の95%は、夫などのパートナーから感染している)子どもも含めて、家族中が感染しているケースも語られた。そして、でも今は、感染が分かっていれば、医療をうけながら無事子どもを産むこともできる。すでに、国際医療センターでは、50人の感染した女性が赤ちゃんに感染することなく、無事出産をしている、とも語ってくださった。

 それにしても、やはり大変だ。長谷川さんも言っていたけれど、薬をきちんと飲まなければならない、仕事をしながらて゜も、病院にも定期的に行かなければ、それに家族の問題など、ストレスは大きい。副作用の問題や、飲んでいる内に耐性を獲得してしまって効かなくなるということもある。学会でのシンポジウムを聞いていても、本当に大変だと思った。

 アジアやアフリカの貧しい国では、感染すると、ただ亡くなるしかない。でも、我が国では治療で生きることができる。それでも、生きるためには大変なのだ。

 長谷川さんが言っていた。「自分もそうだったのだけれど、今の日本の状況は、自動車教習所にも行かない、自動車学校にも行かないで、いきなり車の運転をしろというような物だ」と。性に伴うリスク、性感染症の予防など、ちゃんと教育をしないと、と。参加者の大学のスタッフの方が嘆かれていた。毎年、エイズ予防のための講座をするのだけれど、学生達はまたか、という感じで集まってくれない。インパクトのある講座をする、何かいアイデアはないか、と。いろいろと工夫はしなければならないけれど、その様な予算も回してもらえないという状況もある。

 繰り返しになるけれど、私は、大学や高校に行かない子でも、みんながきちんと学ぶべきことで、だから、義務教育の内に、すべての子ども達におしえなければ、と、本当にそう思う。

 写真は、会場の様子。車いすの主人と共に、介助犬も参加してくれて、うれしかったです。お世話になった皆様、参加者の皆様、本当にありがとうございました。20071201133957_2 20071201141253

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市民公開講座

 日本エイズ学会、1200人を超える人たちの参加を得て、無事終了しました。会長の高田先生、本当にお疲れ様でした。どうぞ、お疲れが出ません様に。

 後は、今日の市民公開講座「AIDS 今私たちが出来ること」を残すだけとなりました。午後一時半から。シャレオの中央広場です。昨夜、司会の中国新聞の山内雅弥さん、講師の長谷川博史さん、本多美和子医師と打ち合わせをしました。みなさん本当に魅力的な方達で、きっと意義のある、楽しい会になる事と確信しています。お一人でも多くのかたに参加して戴きたいのです。よろしくお願いします。学会は参加費が一万円必要でしたが、明日の公開講座は、もちろん、無料です。

 打ち合わせの後、シャレオの地下の会場設定に行きました。素敵な舞台が出来ました。20071130221114

 私は今日は午前中診療で、午後こちらに来ます。夜は一日なので、お一日参りでお寺に行きます。結構大忙しになりそうです。

 それから、今日はもうブログを書けそうにないので、今、お伝えしておきます。12月2日の日曜日、リーガルサポートひろしま主催の、「成年後見制度市民公開講座が開かれます。場所は司法書士会館地下ホール。広島地方裁判所の真ん前です。

テーマは「老後」を考える。(団塊世代が「老後」を迎える日が近づいて来ました。超高齢社会の「老人問題」ではなく、主体的な「老後」について考えてみませんか?)となっています。

 午前10時30分から。午前中は地域福祉センター仁伍代表理事の中島康晴さんの「新しい地域支援」の講演。午後は、私の「熟年世代の性を診ることから」と題しての講演。そして、その後、ディスカッション「これからの老後」近畿大学の小川富之さん、中島さん、私河野の三人で話し合います。興味があってお時間もおありでしたら、お出かけ下さいませ。これが終わると、ちょっと一段落で、ホッとすると思います。

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