性感染症(1)エイズについて
私は広島エイズダイアルのボランティア活動を続けている。1990年、エイズパニックなどがあって、まだエイズがとても恐れられている時。また、同時に輸入血液製剤により、血友病の方達が沢山HIV、エイズウィルスに感染させられて、大問題になっていた頃のこと。メモリアルキルトの展示をしたいと声を掛けられた。
メモリアルキルトとは、エイズによって亡くなられた方達を偲んで、友人や家族達が記念のたたみ一枚の大きさのキルトを作った物である。全世界から、100枚近いキルトが日本に送られ、日本を縦断して展示をする、それをぜひ広島ででもやって欲しいというものであった。ボランティアで駆けつけた人たちとこれに取り組み、当時の中電のホールを借りて展示した。
それは、大変な物であった。亡くなった方の遺品や写真が縫いつけてあったり、メッセージが刺繍してあったり。アフリカのある国のキルトには、木の皮が縫いつけてあった。そこでは、人がなくなると、木の皮にくるんで葬るのだと。そして、余りに沢山の方が亡くなるので、木の皮が足りなくなってしまっていると聞いた。ベビー布団にベビー枕、そして赤ちゃんの写真が縫いつけてあるキルトには、「私たちの所に来てくれて、ありがとう。あなたと過ごせて本当にシアワセだったよ。」という英語のメッセージがアップリケで縫いつけてあった。これは、エイズウイルスに母子感染して生まれた来た赤ちゃんを養子として引き取って育て、亡くなるまでのケアをしてきた養親が作ったキルトだった。
そして、そこに日本からのキルトも。血液製剤で感染した書家の赤瀬さんが、自らの血を赤の墨汁に混ぜて、それで手形を布に写し、その下には、書で、多くの若い人たちが感染させられ、亡くなっているのに、自分が生きていて申し訳ない、という詩を書いた。これは、四国から広島に駆けつけて下さった赤瀬さんが、私たちの目の前で作ってくださった物だ。
当時、このキルト展を通して、全国の多くの方達と知り合った。赤瀬さんを初めとしてその何人もの方たちが、その後に次々と亡くなっている。
そのキルト展をやった者が集まって「広島エイズダイアル」を作った。当時、12月1日の世界エイズデーに、48時間連続電話相談をした時などは、電話会場はまるで野戦病院のように、雑然とした雰囲気で、次々とかかる電話の対応にてんてこ舞いであった。
まだまだ当時はエイズは不治の病で、かつ性により移る病気で、だからあたかもふしだらな人がなる病気というイメージも強く、それ故に感染したのではないかという不安はとても強く、多くの人を悩ませたと思う。
今、医療が急速に進み、HIVに感染しても、早くに感染がわかり、医療を受ければ発病しないままに生きる事が出来る所まできている。子どもを持つことも。でも、まだそのようなことは伝わっていなくて、まだまだ「エイズは死ぬ病気」との思いを持っている人がとても多い。私たちは、「検査を受けましょう」と盛んにアピールするのだが、「検査を受けて、陽性だったら、もう終わりだ」という思いこみが強い。
感染しないようにその予防法と同時に、早くの発見をというのは、車の両輪である。でもマスコミがこれを報道しなくなり、教育現場でも、さっぱりエイズ教育や予防教育がされなくなって、そして、日本では、新たに感染する人が増え続けている。
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コメント
こんばんは。
今から10年以上も前、学生時代にちょうどエイズについて学ぶ機会がありました。(ちなみに、臨床心理の先生で、とても積極的にエイズに対する活動をしていらっしゃる先生でした。)1990年ではなかったと思いますが(1993年か1994年あたり?)、広島で行われたキルト展にも一度足を運んだことがあります。
その当時から思えば、確かに今の私の中でのエイズに対する関心もずいぶん小さくなってしまっています。
医療の進歩に対する妙な安心感からか、以前よりも巷で話題にされなくなったからか…。
先生のブログのおかげで、いろいろ考える機会が持てます。
投稿: うさこ | 2007年11月27日 (火) 23時36分
うさこさま
お久しぶりです。コメント、ありがとうございます。心理の先生は、きっと児玉先生ですね。本当に最初からHIVに感染した方達のカウンセリングに取り組んでいらっしゃいます。これまで、様々な方達がHIVには尽力して来ました。このような方達にふれあえるだけでも、私たちにとってはとても励みになります。
また、いつかブログ、よろしくお願いします。河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2007年11月29日 (木) 00時09分