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性感染症(6)やはり教育が、、、

 昨夜は、サンフランシスコからのまさみさんのカップルと、ずっと学会場でのコーヒーやお茶のサービスをしている広島エイズダイアルのメンバーと共に、食事をしました。そして、その後、まさみさんと一緒に「やまとの湯」に行きました。以前体調を崩してから、お風呂には毎日入るというまさみさんは、まさざまな湯船がある温泉をとても喜んでくださいました。

 久々にお会いして、また様々な情報や、感動的なお話をしていただきました。これらは、またいつかこのブログでお話するでしょう。でも、つくづく思うのは経済的には豊かであり、(アフリカやアジアの国々に比べて、コンドームが買えないほど貧しくはないという意味で)教育も、義務教育でほとんどすべての人が字が読めるというこの日本において、なぜHIVの感染が増え続けるのか、これはやはり教育の問題であると、はっきり言えるということです。

 社会に出ると、性感染症の予防などの社会教育をしてくれる所はまずありません。そうでない性情報ばかりがあふれています。その意味で学校教育はとても重要です。今のように、教えるとそそのかすことになるから、と、そして、言葉を使うことも制限されている、結果的には十分な教育が出来ないままに社会に出、性を実行するようになる。こんな状況が続けば、今の性感染症が増えるという状況も続くと思います。サンフランシスコでの真摯な取り組みのお話を聞いて、ますますその思いは強くなりました。

 今日は、エイズ学会最終日。エイズダイアルの店番をしながら、ちょろちょろと気になるシンポジウムやセミナーを聞きに行っています。エイズ治療の最新情報とか、「HIV研究の新たな交錯点を求めてー社会は何をどう経験してきたかー」に参加する予定です。

 学会が終了した後は、明日の公開講演会の講師や司会の方達と、打ち合わせを兼ねて、食事をします。その後、会場であるシャレオに、舞台などの搬入、セッティングに立ち会います。夜中になりそうです。

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性感染症(5)ボランティアということ

 昨日診療をしていと、クリニックに小林まさみさんが訪ねて来てくださった。彼女はずっと以前からサンフランシスコでエイズボランティアをしている。今回のエイズ学会に参加するためにはるばるやって来たと。彼女とは、先述の、17年前にメモリアルキルトの展示会をした頃からの付き合いである。

 メモリアルキルト展から、広島エイズダイアルを立ち上げるに当たって、まさみさんには、ボランティアとは何たるか、その基本を教えていただいた。まだHIVに感染すると、生きるのがとても難しかったころ。サンフランシスコでは、患者さんも立ち上がり、かつ、様々なボランティア活動も展開されていた。

 例えば、会社に勤めている男性が、お昼時間になると、上司に「ちょっと行って来ます。」と伝え、ホットドックなんぞをかじりながら、車を運転して、エイズの闘病中の患者さんにランチを届けて、また会社に戻るとか。また、エイズのこどもや患者さんにマッサージをしてあげるボランティアとか。実際、アステールプラザの和室を借りて、マッサージのトレーニングもしてもらった。弱っている患者さんに素手で優しくマッサージをするのは、患者さんにとってとても気持がよく、ほっとリラックス出来ること、それだけでなく、ふれ合うことで患者さんに連帯を示し、精神的にも励ましになると教えられた。

 様々な人が、それぞれの事情の範囲で、出来ることをする。サンフランシスコでは、何にもしない人は、能力のない人か、病気の人だと見られますよ、とも教えられた。ボランティアは、全く当たり前に自然にされる事なのだ、と。

 また、エイズウィルスのワクチンの研究などの最新情報を教えても下さった。まだインターネットなどない時代である。アメリカから、フランシスという最新の研究をしているドクターを連れて来て、広島でも講演をしてもらったこともある。このように、日本とサンフランシスコを行ったりきたりしながら、幅広いボランティアを展開している人だ。

 あちらこちらで、よく出会っていたが、今回は何年ぶりの出逢いだろうか。本当にうれしかった。今回の学会では、まだまだ様々な人に出会うと思う。タイのエイズのボランティアをしているグループ、アフリカのエイズ患者の支援をしているグループ(アフリカの人の手作りのビーズのレッドリボンを買った)。みんなが、それぞれの出来る範囲でボランティア活動を展開している。その人達と出逢い、新たな時刺激を受ける。これもまた、学会の楽しさの一つでもある。

 写真は、石田吉明さんのメモリアルキルト。石田さんは、輸入血液製剤で感染し、HIV訴訟の原告として頑張っていたし、社会に患者の立場からの厳しい告発を行っていた。が、HIV訴訟の和解成立の一年前に、志半ばにして、亡くなられた。彼の「そして僕らはエイズになった」は、重い著書である。また、彼の写真集には、美しい草花など、やさしい写真が収載されている。生前、何回もお会いしたが、スケールの大きい、根はとても優しい人だったと思う。キルトには、石田さんが来ていた衣服、カメラのNikonのストラップなどと共に、彼の言葉がアップリケしてある。

「エイズは、自分の体の状況が今どの辺りまで進んだかが見える病気なのだ。ちょうど、それは砂時計の砂がサラサラと落ちて行くのを、じっと眺めている情景に似ている。人は未来への期待と希望なしには生きられないのだと思う。それにしても、残り時間を意識した瞬間から、命が輝いて見えるのはなぜだろう。石田吉明」

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性感染症(4)今日からエイズ学会

今日から広島の国際会議場で日本エイズ学会が開かれている。国内外から沢山の人が集まっている。私は今日は診療なので、お昼時間に参加しただけだ。広島エイズダイアルは、NGO、ボランティアのブースに出店している。持ち帰り自由のリッドリボンのコンドームやティッシュペーパーや啓発用の冊子などを置いている、また、私が着ているのと同じ大きなレッドリボンのついたTシャツも置いているが、これは有料なので、さっぱり捌けない。私の姿を見て、写真を撮ってくれたA君が「Tシャツはいいけど、お腹を何とかしたら」と、いらんことを言ってくれた。が、ザンネンながら、その通りだ。後ろのかべには、メンバーであるA君のゲイバーや医療従事者に対しての啓発活動をプリントして貼っている。20071128144147_3

広島エイズダイアルの一方の隣はメモリアルキルトジャパンで、石田吉明さんのキルトを展示している。もう亡くなって何年になるだろうか。キルトに縫いつけてあるジャケットを見て、胸が痛い。

 もう一方の隣はエイズ予防財団で、さすがに啓発グッズが豊富で、面白い。中でも、リーバイスのジーンズで作ったコンドームの携帯用ホルダーは、ちゃんとリーバイスの赤いタグが付いていて、とても素敵だ。こんなのが、無料で頂けるなんて。私も欲しい。でも、、、私がもらってどうするの?なんて、だから、もらっている人のを写真だけ撮らせてもらった。20071128170742_2 20071128170804_2

明日とあさっては、診療がないので、朝から晩まで会場にいて、ブースの番をしたり、聞きたい演題を聞きにに行ったりする。そして、その次の日は公開講演会だ。出来るだけ沢山の方に来て欲しい。シャレオの地下で、もちろん、参加費無料。無料のお持ち帰りのおみやげも、どっさり用意しておきますからね。

それから、A君の活動などを中心に明日の午後6時10分ころから、NHK広島で報道する。お時間のある限り、ぜひ見て戴きたい。よろしくお願いします。

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性感染症(3)すべての検査ができる訳ではない

 HIVに感染しているか否かは、血液の検査で分かる。保健所などでする検査は、無料で匿名でできる。それも以前は、検査の一週間から二週間後に結果を聞きに行かなければならなかった。それがつらい。待っている間に、もし陽性だったらどうしようかという恐怖、不安が膨らんで来る。で、怖くてたまらなくなって検査結果を聞きに行かない、行けないという人たちも結構いた。でも、今は結果は20分で分かる。ちょっと待っていただくだけで結果が出るので、迅速検査を導入したとたん、検査を受ける人がとても増えた。

 広島エイズダイアルでは広島県の事業として、電話相談で受け付けをして(第一土曜日を除く土、日の9:00時から16:00時まで TEL.082-242-0812)予約をしてもらって、日曜検査をしている。日曜日の検査だから、結構遠方からも来られて、今、10分ごとに予約を入れても、もう毎回いっぱいいっぱいだ。広島市の中保健センターでは、夜間検査もしている。県内どの保健センターでも、曜日を決めて検査をしいる。これは、どこの都道府県でもやっていることであるが、日曜検査や夜間検査は、各地の事情によって、やっているとは限らない。

 迅速検査は少しだけ(100回に1回)偽陽性が出ることがあるので、その時には、再度精密検査に回すので、一週間後に検査結果を聞きに来て戴くことになる。そのことを、あらかじめお話しておいて、検査をする。もし、検査がはっきり陽性であるということが分かったなら、その告知をするドクターとカウンセラーなどをあらかじめ用意をしておく。

 私のクリニックでは、私の手書きのポスターを貼っている。「HIV検査を受けましょう。HIV、エイズウイルスは、感染していることが早くわかれば、治療が出来るようになりました。赤ちゃんを産むことも可能になっています。HIVの検査は、性交の経験がある人であれば、どなたが受けてもいい検査です。5CCの血液を採取して検査をします。20分後には結果をお伝えします。希望する方はスタッフにお声をかけてください。」などと書いて、キティーちゃんのシールを貼ったりして、かわいく作った。これを見て、検査を希望する人が急増した。心配なら、早くに検査を受けて、気持が楽になった方がいい。もし、陽性であれば、きちんと医療を受けること。この様な検査への理解が広まって欲しい。

 ただ、すべての性感染症がこのような検査が出来る訳ではない。「全部性病の検査をして大丈夫だったから。」と婚約者に言われ、それにもう妊娠してもいからと、とコンドームもなしで性交をしたとたん、高熱と性器の潰瘍で、ふらふらになって来る人がいる。性器ヘルペスの感染である。これはつらい。尿をするのも、しみてものすごくつらい。ヘルペスと、妊娠もしていて、おまけに後から尖圭コンジローマも出てきて本当にむごい目に遭った人もいる。ヘルペスや、コンジロームは検査のしようがない。おまけに、ヘルペスは、男性の80%がウィルスに感染しても無症状と言われる。だから、彼女がひどい目に遭っても、自分のせいではない、と言う人もいる。

 HIV、淋病、クラミジア、梅毒は検査が出来る。でも、すべての性感染症があらかじめ検査が出来る訳ではないということも知っておかなければ、と思う。

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性感染症(2)性風俗について

 広島エイズダイアルを作った1990年から今日まで、ずっと電話相談もしています。性風俗で感染したのではないかという不安で、電話して来る人が初めから今まで、ずっと続いています。ただ、その風俗の内容はだいぶ変わっています。

 初めの頃はソープランドがほとんどでした。それで、感染したのではないか、と。一方、私は診療の場で風俗で働く女性達を診ます。当時、広島のソープは、ほとんどコンドームを使っていませんでした。客が「ここの店はコンドームを使うか」と聞いて「使う」と言ったら客が逃げるのだと。「遊ぶ時くらいナマでやらせろ」と言われると、彼女たちも嘆いていました。だって、働く側でも、こわいのですから。

 風俗の中味がわからなくて、風俗の人に来てもらって、研修をしたこともあります。その時に聞いたのですが。「今、世の中不景気で(バブルが丁度はじける頃でした)客が減って大変なのだと。それも、領収書をくれという客が減ったのだと。」「へえー!ソープで領収書を出すんですか!?」「いくらなんでも、店の名前では出せないから、店を経営している会社の名前で出すのだ」と。それが、バブルがはじけて、企業の接待費、交際費が削減されて、それで客が減ったのだと。客の8割は、中年の、家庭のある男性なのだと。「ああ、そうだったのか!」と思いました。独身男性の為にあるのかと思っていたら、そうではなかったのですね。

 今だったら、さしずめ、「ゴルフ接待」ですか。でも、当時、日本のトップと言われた「大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ接待疑惑」が報道されもしていました。そんな大人社会なのですね。若者のことをなんだかんだと言っても、肝心の大人がこうだったのですから。

 で、ソープでもコンドームを使うように、これが第一義だということになりました。で、いろいろと紆余曲折はあったのですが、結局、ソープランド組合に働きかけて、一斉に「よーいどん!」でコンドームを使うようになったのです。同時に、広島市と広島エイズダイアルと共同で、ソープで働く人のための講座を開きました。私が講師で、ソープ嬢や経営者にHIV等の性感染症の話、そして、コンドームを使うことの大切さ、特に、客にいやがられた時に客に分からないようにコンドームをつける訓練、練習を、とそんなこともやりました。

 で、一斉にソープでコンドームを使うようになりました。もし、それを着けるな、と言う客がいたら、「では、帰ってちょうだい」と言えるようになったのです。同時に、ソープ嬢から一斉に性感染症が消えました。

 でも、今、時が経ってまたコンドームを着けないことがあるようになったとソープ嬢に聞き、心配しています。それから、風俗の形態が変わって、もちろんソープもあるけれど、「ヘルス」が主体となりました。「ヘルス」、本番をしないのが立て前です。でも、あくまでも立て前で、実際はそうとは限りません。それに、立て前がそうだから、コンドームを用意することが出来ません。今、ヘルスは性感染症の巣窟になっています。クラミジアや淋病は、口の中にも感染しますから。女性の性感染症の検査をする時に、口の中の検査も一緒にすることが多くなりました。

 もちろん、風俗がHIVの温床になっているという根拠はありません。でも、淋病やクラミジアは本当に増えています。それと、性器ヘルペス、コンジローム、これらはたしかに増えています。

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性感染症(1)エイズについて

 私は広島エイズダイアルのボランティア活動を続けている。1990年、エイズパニックなどがあって、まだエイズがとても恐れられている時。また、同時に輸入血液製剤により、血友病の方達が沢山HIV、エイズウィルスに感染させられて、大問題になっていた頃のこと。メモリアルキルトの展示をしたいと声を掛けられた。

 メモリアルキルトとは、エイズによって亡くなられた方達を偲んで、友人や家族達が記念のたたみ一枚の大きさのキルトを作った物である。全世界から、100枚近いキルトが日本に送られ、日本を縦断して展示をする、それをぜひ広島ででもやって欲しいというものであった。ボランティアで駆けつけた人たちとこれに取り組み、当時の中電のホールを借りて展示した。

 それは、大変な物であった。亡くなった方の遺品や写真が縫いつけてあったり、メッセージが刺繍してあったり。アフリカのある国のキルトには、木の皮が縫いつけてあった。そこでは、人がなくなると、木の皮にくるんで葬るのだと。そして、余りに沢山の方が亡くなるので、木の皮が足りなくなってしまっていると聞いた。ベビー布団にベビー枕、そして赤ちゃんの写真が縫いつけてあるキルトには、「私たちの所に来てくれて、ありがとう。あなたと過ごせて本当にシアワセだったよ。」という英語のメッセージがアップリケで縫いつけてあった。これは、エイズウイルスに母子感染して生まれた来た赤ちゃんを養子として引き取って育て、亡くなるまでのケアをしてきた養親が作ったキルトだった。

 そして、そこに日本からのキルトも。血液製剤で感染した書家の赤瀬さんが、自らの血を赤の墨汁に混ぜて、それで手形を布に写し、その下には、書で、多くの若い人たちが感染させられ、亡くなっているのに、自分が生きていて申し訳ない、という詩を書いた。これは、四国から広島に駆けつけて下さった赤瀬さんが、私たちの目の前で作ってくださった物だ。

 当時、このキルト展を通して、全国の多くの方達と知り合った。赤瀬さんを初めとしてその何人もの方たちが、その後に次々と亡くなっている。

 そのキルト展をやった者が集まって「広島エイズダイアル」を作った。当時、12月1日の世界エイズデーに、48時間連続電話相談をした時などは、電話会場はまるで野戦病院のように、雑然とした雰囲気で、次々とかかる電話の対応にてんてこ舞いであった。

 まだまだ当時はエイズは不治の病で、かつ性により移る病気で、だからあたかもふしだらな人がなる病気というイメージも強く、それ故に感染したのではないかという不安はとても強く、多くの人を悩ませたと思う。

 今、医療が急速に進み、HIVに感染しても、早くに感染がわかり、医療を受ければ発病しないままに生きる事が出来る所まできている。子どもを持つことも。でも、まだそのようなことは伝わっていなくて、まだまだ「エイズは死ぬ病気」との思いを持っている人がとても多い。私たちは、「検査を受けましょう」と盛んにアピールするのだが、「検査を受けて、陽性だったら、もう終わりだ」という思いこみが強い。

 感染しないようにその予防法と同時に、早くの発見をというのは、車の両輪である。でもマスコミがこれを報道しなくなり、教育現場でも、さっぱりエイズ教育や予防教育がされなくなって、そして、日本では、新たに感染する人が増え続けている。

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辛い、からーい!

 今日の晩ご飯は、久々にキムチ鍋だった。明日日曜日はなにも予定がないから、思いっきりニンニクをたべてもO.K.だから。まっかっかなスープで、とびっきり辛い鍋をふうふう言って食べる。辛い、辛いと言いながら。

 いつから、辛い物が好きになったのだろうか。今週は水曜日の夜に東京に行ってすぐに娘と韓国料理の店に行って、辛いトッポギなんぞを食べた。

 木曜日は、例のアクロバットでお湯を注いでくれる(言い忘れたけれど、一滴もお湯をこぼしません。)中華料理やさんなのだが、これが四川料理の店であった。すべてが辛い訳ではないけれど。いくつか、ひどく辛い料理もあって。左の写真が私の食べる前のお皿。右がすべて食べ終えたお皿。20071122212009 20071122213057

残っているのは、すべて唐辛子だ。鴨肉とピーナッツが唐辛子とともに炒めてある。大きい唐辛子、小さい唐辛子、すべて刻んであるので、唐辛子のかけらだけでなく、種がいっぱい鴨肉にくっついていて、それは辛いの何の。お箸で出来るだけ唐辛子を除くのだが(除いた唐辛子の種がお皿の周りにいっぱいくっついている。不謹慎ですみません。)

辛い、カラーイといいながら、それでもおいしいので、がんばって食べる。涙と鼻水がじわーと出て来る。隣の男性は、汗が吹き出て、しきりにハンカチで顔をぬぐっている。「どうして辛いのを食べると、汗が出るの?」なんて聞いても、誰もひいーひいーと言うばかりで、答えはなし。つらーい顔をしながらご飯を食べるなんて変な話だ。

 その上、さいごのご飯が「麻婆豆腐ご飯」だった。ご飯に麻婆豆腐がかけてある。四川の麻婆豆腐は辛いとは聞いていたが、ここまで辛いと、もう、どうにもと言うほどだった。涙と汗でずるずるになって、ついに私はギブアップ。半分しか食べられなかった。

 でも、、、しょうこりもなく、今日のキムチ鍋、それは辛くても、とてもおいしかったです。ダイエットにいいですかね。

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エイズ学会公開講演会

 一週間後の世界エイズデーに行う公開講演会について詳細をお知らせします。学会のホームページからの転載です。皆様、どうぞ気軽に覗いて下さいませ。

AIDS 今私たちができること
第21回日本エイズ学会学術集会 市民公開講座
TALK SHOW 「AIDS 今私たちができること」
 AIDS/HIV感染症は、世界で、そして日本でも増加し続けています。
早めに見つかれば治療の進歩で死に至る病気ではなくなりました。
それでもHIVをからだから追い出すことはできず、陽性者は病気を抱えて生きていかなければなりません。

 今回は、「HIV陽性者が集まり、つながり、力を合わせて、
自分たちがあたりまえに生きていくことのできる社会をめざして
結成された」日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス代表の長谷川さん,

医師としてHIV治療のかたわら、人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」での執筆活動や
「ひとりストップエイズキャンペーン」にも力をいれていらっしゃる本田さん

お二人を講師にお迎えしました。

 「HIVと共に生きること」とはどういうことなのか、HIV感染しないためには、どうすればいいのか、
また感染したときにはどうすればいいのか、あるいは陽性者にはどう接すればいいのか、
フロアからの質問も交えながら、「今私たちができること」は何なのか、を考えていきたいと思います。

 是非多くの皆さまにご参加いただきますよう、お願い申しあげます。
■ 期日: 12月1日(土) 13時30分~
■ 会場: 紙屋町シャレオ中央広場
■ 講師: 長谷川 博史さん(日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス代表
雑誌編集者。大学卒業後、広告代理店、出版社勤務を経てフリーランスの雑誌編集者、プランナーに。1992年、HIV感染を知り、1993年に患者会活動、講演活動を開始。ゲイ雑誌『バディ』創刊企画プロデュース。2002年「日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス(JaNP+)」を設立。現在、同代表。アジア太平洋地域HIV陽性者ネットワーク共同代表でもあり、全国各地でゲイコミュニティの予防活動のアドバイザーや行政の対策委員などをつとめていらっしゃいます。
■ 講師: 本田 美和子さん(国立国際医療センター エイズ治療・研究開発センター医師
内科医。法学部を経て医学を学び、日本の病院に数年勤務の後、1998年からアメリカ・フィラデルフィアに渡り、研修医から再出発。日米の医療システムの違いなどを肌で感じながらの3年間の研修生活を修了後、ニューヨークの大学病院勤務をへて帰国。現在は国立国際医療センターで多くのHIV感染者を診療中。アメリカ滞在時から、人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」での執筆活動を開始。最近は「ひとりストップエイズキャンペーン」とご自分で名づけた予防活動にも力をいれていらっしゃいます。
■ 参加費: 無料
■ 問合せ: TEL/FAX:082-257-5581   第21回日本エイズ学会学術集会事務局 
■ 主催: 第21回日本エイズ学会学術集会・総会
■ 共催: 広島エイズダイアル
■ 後援: 厚生労働省・文部科学省・広島県・広島市・広島県教育委員会・広島市教育委員会・(財)エイズ予防財団・(社)広島県医師会・(社)広島市医師会・(社)広島県歯科医師会・(社)広島市歯科医師会・(社)広島県看護協会・(社)広島県薬剤師会・広島県病院薬剤師会・広島県臨床心理士会・広島県医療ソーシャルワーカー協会
■同時開催 バーンロムサイ」展示・販売
名取美和さん代表のタイ チェンマイの施設「バーンロムサイ」は、両親をエイズで亡くし、自分たちもHIVに母子感染した孤児たちの生活施設です。子どもたちの絵の展示や自立のために製作している品々の販売をいたします。
ユニセフ「子どもとエイズ」世界キャンペーン リストバンド販売
日本ユニセフ協会広島県支部の皆さまが、「子どもとエイズ」世界キャンペーン支援製品を販売します。

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盛岡往復

 朝、東京を出発した時には気温は低いものの、かんかん照りで、ダウンのコートを着ているのが恥ずかしいような気持でした。でも、新幹線が動き出して程なく、空がどんどんと暗くなり、みるみる雪が降って来ました。

20071122112305 これより先は吹雪で見通しが悪く、窓の外は真っ白で何も写りません。先が思いやられましたが、盛岡に着くと雪は小降りになっていました。

 今日の講演は盛岡女子高校の生徒さん達、教師、保護者と近隣の学校の先生達です。学校は大きな池のそばにあります。池には、沢山の白鳥が来ていました。学校に着く前に、少しだけ時間があるので、タクシーで池の周りを回ってもらいました。白鳥と鴨です。雪の中ですので、私は寒そうな顔をしています。

20071122124717 20071122124736講演は体育館でしたが、これまで見たこともない大きなストーブが沢山置いてあって(写真を撮らなくてザンネン)、ステージにも置いてあって、とても暖かかったです。生徒さん達も、良く聞いてくださいました。無事講演を終えて、新幹線で東京に戻りました。

 東京では、花王の社員の方達6人と会議を兼ねて食事をしました。花王では、もう10年前から、ずっとホームページで「からだの情報」と「からだの相談室」をやって来ました。それを今後どうするかというような話し合いです。実は、その会場が面白い所でした。20071122200040

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八寶茶といいます。一番左の写真の上の茶碗には、ジャスミン茶、紅なつめ、クコ、菊花、氷砂糖、百合根、龍眼(ライチ)、くるみが入っています。中国から来ている男性二人が、アクロバットのような様々なこんな恰好で熱いお湯を注いでくれます。武術の一種なのだそうです。それは見事でした。以前、新丸ビルができて、こんなお店がオープンして、武道の茶道があるというのをテレビで見ていましたが、実物に接して、感激です。8回から9回お湯を注いで飲めるそうです。段々と氷砂糖が溶けて、甘くなって風味もまして、おいしいお茶でした。でも、お腹がいっぱいで、4杯しか飲めませんでした。最後に、くこやクルミなどを食べました。

 明日、東京でもう少しお世話になっている人たちに会って広島に帰ります。

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世界エイズデー

 今日診療がすんで東京に来ました。娘と渋谷で食事をして、ホテルに入りました。寒いです。明日は朝から新幹線で岩手県の盛岡に行きます。寒気団が来ていて、盛岡は雪なのだそうです。盛岡の高校生に講演をします。学校だと、講演会場は多くの場合体育館です。体育館では、舞台の上は風が吹きます。風はピューピューと顔を直撃します。寒いだろうなあ。カイロを持って来ましたが、覚悟がいります。

 講演がすんだら、すぐに新幹線で東京まで戻ります。

 今日、クリニックのパソコンでここ一年間の性感染症の統計を出してもらいました。8年前に同じような統計を出した時と、数はほとんど一緒です。でも、年齢別内訳を見ると、何と、30代、40代、50代の感染が増えています。若い人達より、中年の感染が増えているのです。

 生徒達には、性感染症についてもちゃんと話しをします。妊娠や性感染症についてもしっかり知識を持つこと。そして、予防についても知らないと行けません。でも、ただ知っただけではダメで、ちゃんと実行できなければダメです。行動と結びついた、力としての知識が必要です。

 12月1日は世界エイズデーです。その直前、11月28、29、30日には、広島市で日本エイズ学会が開かれます。その学会の公開講演会を12月1日のエイズデーの午後一時半から開きます。シャレオの地下の中央広場にて。参加費は無料です。そして、何と、この公開講演会には、文部科学省、広島県教育委員会、広島市教育委員会の「後援」がついています。これは、とても、ものすっごく、ひどく画期的なことなのです。教育委員会の後援がついていれば、学校の教師や生徒も堂々と参加出来るからです。

 皆様、ぜひ参加して下さいませ。ここには、タイでエイズ孤児を育て、時にはこども達の死を看取る活動をしている、日本人の名取りさんの施設の運営のための、グッズの販売もします。熊のぬいぐるみやエプロン等です。皆様、ぜひ参加して下さいませ。高校生や中学生の参加も期待しています。

 公開講演会のチラシを載せます。明日は、この講演会についてもっと詳しくここに出します。そして、この機会に私の所でのデータを示すと同時に、性感染症のシリーズを書こうと思います。退屈かも知れませんが、ぜひ今の状況を知っていただきたいとの思いで、連載をする予定でいます。(このチラシは、クリックすると大きくなります。)

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韓国語を学ぶ

 毎週月曜日には、午後7時から韓国語を習いに行っている。そもそもは、1998年からNHKテレビのハングル講座で自習を始めたのが出発である。ふと目にしたハングル講座のテキストが、とても面白くて夢中になった。英会話のビジネス講座と、中国語とイタリア語と、フランス語も同時にはじめ、予習、復習をもまじめにやった。が、何とか継続出来たのは、ハングルだけだ。ハングルは、法則が簡単で、すぐに読めるようになる。読めるようになると、おもしろくて、街中でハングルを見つけると、足を止めて読むようになる。

 そのうち、「冬のソナタ」を初めとして、韓流ドラマのブームが起こる。たしかに、韓流ドラマは面白くて、となると、ハングルのテレビ講座もより一生懸命になる。

 でも、何よりも語彙力が乏しい。この、硬化した頭は恐ろしいほど記憶力が低下しており、なかなか頭に残らない。いつか、韓国に語学留学したいなあ、とかなわぬ夢をぼんやりと持ってはいた。

 突如、まあ、いろいろとあって、来年の三月まで期間限定ではあるが、暇が出来た。ので、この間の時間の使い方で真っ先にやりたいと思ったのが、ハングルをきちんと学ぶ事だった。そこでYMCAに入学をしたのだが、、。

 先生は、とても面白くて、かつ厳しい。一生懸命工夫をしながら、私たちの力を付けるための授業をしてくださる。先生は、素晴らしい教師のプロだと思う。授業はどんどんと生徒に当てられるから、生徒がしゃべらなければならない。し、次々と前に出て、黒板に書かなければならない。いい加減なことではごまかされない。でも、私は、みなさんより半年遅れで加わった。しかも、私以外はみんな若い。新しいことがどんどん頭に吸収されているのが良く分かる。私は、遅れて加わった上に、ひどい記憶力で。ハングルは読むことができる、という程度だったのだが、それは何の力にもならず、四苦八苦している。

 それに、私がまだ参加していない時に教えられた文法が、私には抜けている。だから、先生が、「コウノし、(ハングルの「し」は日本語の「さん」)はい、ここを宿題ね、ここの問題をして来なさい。」「コウノしは、ここも宿題ね」と、授業中に次々と私だけの特別の宿題を指示される。私は、素直に「はい。」と教科書に赤丸を付け、ノートに書き付ける。

 授業はついて行くのがやっと。その上に、宿題をこなすのが本当にしんどい。辞書をひきながら、自習をし、宿題に取り組む。この記憶力だから、同じ言葉を何回も辞書引いたりして。私はバカだバカだと頭を叩いたりして、自己嫌悪に陥ったり。厳しい授業と、本当にしんどいこれらをこなすことで、私のハングルの力は今、急ピッチで進んでいるように思う。読むのも書くのも、スピードが上がった。夫が韓国ドラマを見ていて、私がそばで洗い物をしていても、あれっ?意味が分かる。ということがしばしばあるようになった。

 昨日の授業では、外国人の入国時の指紋採取が日本でもされるようになったことから、これまでの外国籍の人への指紋採取、また創氏改名のことなども話してくださった。韓国人にとって氏を引き継ぐというのは命をかけて守らなければらないことで、日本により、その氏を変えなければならないということは、本当に大変なことであったと。そのために自殺をした人も出たということもたんたんと話して下さった。このような歴史的なことを聞くのも、ただ漫然と過ごしている私たちにとってとても大切だし、ありがたい。

 授業は今、数字に入っている。数字の読み方、お金の言い方、カレンダーの読み方などとても大切だ。ビンゴを一枚ずつ配られて、それぞれが数字を書き込んで(もちろんハングルで)来るのも宿題で。それを使って、ビンゴゲームをした。今度は、新聞の折り込み広告を使って、おもちゃのお金で買い物ごっこをする。これまで韓国に行っても「これはいくらですか」とは言えても、向こうがぺらぺらと金額を言われるのが聞き取れなくて、苦労した。それをクリア出来るようになるだろうか。

 劣等生の私が何とか若い人に迷惑をかけないようについて行く為に、人の何倍もかけて自習をするしかないだろう。車を運転する時には、ハングルのスピードラーニングをかけて、聞き流しながら行く。今、私の頭の中には、いつもハングルが存在している。

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昨日から今日

 昨日は三井まり子さん、足立弁護士を迎え、無事裁判終了の報告集会を開くことが出来ました。お部屋に丁度いっぱいの人が参加して下さいました。武田さんが徹夜して作って下さった資料集の改訂版、和解調書までちゃんと載せてあるのを参加者の皆様に配ることが出来ました。

 シンポジウムでは、改めて産婦人科の現場ではどのようなことが起こっているのか、どのような教育が必要であるのか、それに対してどのようなバッシングがされているのかを改めてお話し、皆様の理解をしていただくことが出来たと思います。

Dvc00017_m そして、これから先、どのような活動をして行かなければらないかも。改めて、皆様に感謝申し上げます。ブログ仲間も五人、来て下さいました。本当にありがたいことです。

 その後、懇親会がありました。にぎやかにおしゃべりをしました。まるで女学生の集まりの様に、笑いころげながら。私は、途中ちょっと抜けて、夫とホテルグランビアに行きました。私の選挙の時にポスターやチラシにお顔を出して支援して下さった、熊本、菊池養生園の竹熊先生がいらっしています。本日、アステールプラザでJA主催の講演会、シンポジウムがあるとのことで、連絡を戴きました。あいかわらず、先生はお元気で、楽しい方でした。

 そして、またみなさんと合流し、三井さんと西宮から来て下さったピアニストの池辺さんと宮島口の我が家に来ました。また、三人でおしゃべりをし、すっかり遅くなりました。でも、7時前、朝焼けの中で、宮島から朝日が昇るのを感動を持って見ました。

 朝ご飯は気合いを入れて作りました。20071119083616今から三井さんと池辺さんをお送りします。これで、一段落です。

 今日の午後は、12月1日の世界エイズデー、日本エイズ学会の公開講演会の準備、打ち合わせです。そして、夜はハングル講座。まだ宿題が出来ていません。 大変です。

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私はめげません

 今日日曜日は、午後二時から「性教育バッシング広島裁判」全面的勝利和解報告集会が開かれる。「性教育バッシング広島裁判を支援する会」の主催で、広島市中区大手町の広島市女性教育センターで。これを持って、同会は解散となる。

 本当に会の皆様にはお世話になった。この方達の支えがなかったら、私はここまで続けられたかどうか分からないと思う。法廷の場にはいつも溢れるほどの方が傍聴に来てくださったし、和解協議に入ってからさえも、様々な軋轢はあるもので、何度「もうヤーメタ」と言いたくなったことか。でも、非公開の和解協議の部屋の外に、いつも何人かのメンバーが待機してくれて、私が部屋から出る度に話しを聞いて下さった。一人ではない、仲間がいる、ということはとても心強かった。

 その会も解散だ。このような会がめでたく解散になるというのは、あまりないのではないかと思う。でも、本当の闘いはこれからだと思う。性教育については、まだまだ厳しい状況が続く。この裁判で力を得て、これからもねばり強く進んで行きたい。

 ところで、種類は全然違うけれど、血液製剤によるC型肝炎の感染の薬害裁判で、和解の勧告が出、舛添厚生労働大臣が原告に初めて会ったと報道された。その時のテレビで見た大臣の笑顔が忘れられない。にこにこと笑いながら、「これから共通の目標に向かって、一緒に頑張りましょう」と原告に言っていた。私は、立場をわきまえろ!と思った。どうしてあんな笑顔が出来るのか、と。一緒に頑張りましょうだなんて。立場が違う。彼らは被害者であって、大臣は加害者の代表である。必要なのは、笑顔よりも心からの謝罪でしょう。これから、原告にとっては、厳しい和解の話し合い、それはぶつかり合いとなると思うが、はじまる。

 私のような小さな裁判でも、和解のテーブルについて一年かかった。ずいぶん悔しい思いもした。大臣のあの笑顔は、実は冷徹な本音を隠す仮面だ。どうか、原告のみなさん、悔しい思いは決してみずから押し込むことなく、しっかり主張をする事だと思う。本当に大変でしようけれど。

 私はこれからも、性教育の講演や、イベントなども次々と行うつもりだ。決してめげない。この裁判は私にとってしんどい思いをした、その分だけ力をつけてくれたと思う。

 どうぞ、皆様お時間があれば、今日の会に参加していただければ幸いです。

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大阪でデモ行進

 昨日は、朝新幹線で出て、大阪へ。三井まり子さんの裁判の「館長雇止めバックラッシュ裁判」の支援の集会とデモ行進に参加して来ました。多くの女達があちこちから集まって、楽しい会とデモでした。デモの先頭には、車いすの人や赤ちゃん連れの人も。ギターやサックス(アメリカから丁度帰ってらっしたMASAさん)の演奏も素敵だったし、デモ周囲で配るチラシも多くの市民が次々と受け取って、しっかりアピール出来たと思います。

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 広島に帰って、夜はお寺で滝の行でした。さすがに寒くて、震えました。12時近くにうちに帰って、買って来ていた駅弁を食べてこたつに入ると、いつの間にか眠ってしまっていました。よって、ブログは一日飛びです。コメント下さっている方、ごめんなさい。今日中に必ずお返事を書きます。関西の女性達が次々と「ブログ、読んでますよ」と言って下さって、びっくり。頑張って続けようと、元気が出ました。

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性教育裁判報告集会

 以前、一度述べた「性教育バッシング広島裁判」終了の報告集会を18日日曜日に行う。すでに、スタッフと打ち合わせを済ませた。これまで、多くの人たちが「支援する会」をつくって支えて下さった。私が自ら訴えたこととはいえ、裁判というのは、本当にしんどいものである。相手からは容赦ない非難の言葉が浴びせられる。それらに一つ一つ丁寧に証拠を集め、提示し、反論をしていく。それには大変なエネルギーを要する。

 ここまで持続出来たのは、性教育に対しての、私のこれまでの努力を、こんな事でつぶされてたまるものか、という怒りのエネルギーでであったのだが、それでも、支援する会の人たちの支えがなかったら、とてもやって行けなかったと思う。ひたすら感謝、感謝の思いである。

 その日はゲストに三井まり子さんを迎える。三井さんは、私なんかより、本当にしんどい裁判を闘っている。私の裁判の相手と同じ勢力により、それまで勤務していた女性センターを一方的に首になった。東京では、七生養護学校に勤務していた先生や保護者が性教育を巡って「こころとからだの学習裁判」を闘っている。知的障がいがあるこども達に、体や命を教える、その懸命な授業を、一方的にわいせつと決めつけた勢力により、多くの教師が処分された。私の裁判は終わったけれど、まだまだ社会には、不当な勢力により苦しめられている人たちがいる。

 今日は、朝から廿日市の友人の医院で診療。お昼には、帝王切開も行った。先週も、今週も、新しい命に出会えて、本当にシアワセだと思う。そして、「フジ」で、とっさり買い物をして宮島口の我が家に来た。日曜日、三井さんがここに泊まられる。他にもきっと何人かが泊まるだろう。掃除をし、こたつを引っ張り出してセットし、ベットに冬用のボアシーツなどを敷いて、すぐに寝られる様に。何しろ、ここに人が泊まるのは、夏以来だから。お風呂も丁寧に磨く。後は、朝ご飯のメニューをあれこれ考えて、出来る範囲での準備をした。

 明日、日帰りで大阪に行く。三井さんと打ち合わせ。そして、三井さんの裁判を支援している、主に女性達がデモ行進をする。たぶん、私もそれに出るだろう。みなさんに私の裁判の報告と、お礼をぜひ述べたいから。デモなんて、学生時代以来、38年ぶりだ。頑張って来よう。だから、きっと明日はブログが書けなくて、皆様に失礼するだろう。

 皆様、私の裁判の報告書の新版が出ます。訴状や、裁判所の和解調書や、それから、私が懸命に書いて裁判所に提出した3つの陳述書、それぞれの主張について、どのような証拠を提出したかの証拠説明書、それから、弁護士の解説、多くの方達の励ましの言葉など。500円で販売するつもりです。ぜひ、ぜひ、買ってください。そして、一人でも多くの方に読んで戴いて、理解して欲しい、そう訴えます。よろしくお願いします。

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妊婦への大きなお世話

「先生、人にお腹が小さいね、と言われて気になっているのですが。」

 この頃妊婦健診では、超音波で胎児の頭の径や足の長さやお腹の輪切りの面積などを測り、推定体重を出す。そして、実際の週数との比較をして、発育のグラフも描く。その他、羊水の量も見るし、胎盤の位置や形なども見る。スリーディーで胎児を見たりもする。
 何か異常があれば、もちろん本人に告げるし、さらなる検査もする。
 この様に、ちゃんと健診をして発育などのチェックをしているのだから。

 大体、服の上からお腹を見ても、本来の体型もあるし、脂肪の付き方も違うのであって、お腹が大きい小さいは、妊娠そのものがどうこうだとは言えない。
 お腹の形で男の子だの女の子だと言うのはまだかわいらしい部類に入るかもしれないが、お腹が大きいだの、小さいだのというのは、大きなお世話だ。妊婦はただでさえナーバスになっているのに、何か言われると、気になるし、傷つきもする。無責任にあれこれ言わないで欲しい。

 だいたい、日頃から人の体について気軽に物を言いすぎる。久々に会った人に、
「太ったんじゃない?」とか「やせた?」と言ったり言われたりしたことはないだろうか。体は、プライバシーそのものである。普通、プライバシーは人に触れられたくない。こんなのは、セクハラの部類に入るとさえ思う。もっとみんな、そういうプライバシー意識を持たないといけない。

 さらに、妊婦さんの大きなお腹を手を伸ばして触る人もいる。考えてみて欲しい。触る所は下腹である。誰に対しても、ついと手を伸ばして下腹に触ってごらんなさい。女の下腹を触るのだから、これはちかん行為だ。触る人が女であっても男であっても、ちかんにはかわりない。

 なのに、なぜ妊婦にだけはお腹をかってに触るのだろうか。触る側はお腹を通して胎児をなでているような気になるのだろうが、でも触るのは下腹である。触られる側は気持が悪いのは当然である。妊娠中はかってに触ってもいいなんてことはない。多くの妊婦は人がいいから、不快でも黙っているが、実は気持が悪いのだと知らないといけない。

 以上、妊婦さんと話をしていて、気になった事のお話でした。

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廿日市の方達に謝罪

 私は以前「行政による健康診断」についてこのブログでお話した(10月23日、24日)。職場などで健診を受ける機会がない人には、行政が責任を持って住民健診をするようになっている、と。その広報が不十分だと、住民の多くがそのことを知らないままでいることになってしまうと。結果、住民健診を受ける人は少なくて、行政の予算も少ししか組まれない。もっと、ちゃんと行政のすることにウオッチングをして。などと述べた。

 行政のお金で安くに健診を受けることができる。これは、当然のことと私は思っていた。ところが、大きな間違いをしてしまった。

 広島市は、いつでも希望の産婦人科に行けば、1000円の自己負担で、広島市の行政の子宮頸癌の検診を受けることができる。だから、「安く」検診出来る。もし、行政による検診ではなく、健康保険を使えば(健康保険では、原則検診は出来ないことになっているが、子宮膣部びらんとか、お年の方だったら萎縮性膣炎とかの病名がつけば、癌検診は保険でできる。だから、どこの産婦人科でも、これらの病名で癌検診をしている。)初診料も含めて、3割負担で約1900円だ。1900円かかるところが、1000円で。もし、日頃その産婦人科に行っていて、保険で検診をするなら、初診ではなく再診料になるので、約1600円でできる。まだ、行政のほうが安い。

 もし子宮体癌検診も必要で、頸癌と一緒にうけたら、広島市では自己負担は1800円になる。保険だと、初診で3440円。再診だと2850円の自己負担で。

 要するに、広島市だと、1000円で頸癌の検診が。1800円で頸癌と体癌の検診が受けられる。

 だから私は、「市のお金を使って安く受けられるのだから、ちゃんと利用しなさい」と言ったつもりだった。廿日市の人にも。

 ところが、先日廿日市の友人の産婦人科に診療に行ったとき、びっくりしてひっくり返りそうになった。廿日市市の負担での検診を受けに来た人がいた。その自己負担が頸癌の検診で2500円だった。体癌も一緒だと、3500円なのだそうだ。何と、保険でやったほうが安い。これでは、市の負担の検診を受けない方がいい。わざわざ高いお金を出して受けなくとも、自分の保険で受けた方がいい。何のための住民検診なのだろうか。

 例えば乳ガン検診など、もっといろいろと調べてお伝えしたいことは沢山ある。でも、私の居住地ではないので、これ以上あれこれ悪口を言うことはしない。が、すくなくとも、廿日市市の方、住民検診として産婦人科で子宮癌検診を受けるのはお勧め出来ない。私は前のブログで勧めてしまったから、ここで取り消して、心から謝罪をする。

 引き続き、住民の福利厚生が一体どうなっているのかということは、他の地域と比較してのウォッチングが必要ですよ、とだけお伝えしたい。

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YMCAで講演

 昨日の日曜日、姪に赤ちゃんが生まれたので、お祝いに行きました。私には、孫はいませんが、甥や姪が全部で11人の赤ちゃんを産んでいます。かわいいものです。このごろ、お風呂に行っても、小さな子を抱いている人につい目が向きます。私は、裸で裸の子を抱いてお風呂に入るのが大好きでした。お風呂屋さんで、ちょっと抱かせてと言いたくなります。ここはお風呂やさんではないので裸ではありませんが、抱かせてもらいました。

 ちょうど姪のお昼ご飯が運ばれて来ました。今日はお昼は、お弁当になっていました。大変なごちそうです。昨日は、お祝いでステーキのフルコースだったそうです。お昼があんまりごちそうのお弁当だったので、写真を撮らせてもらいました。

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 午後からは、YMCAでのYWCAとの合同の講演会に行きました。賛美歌とお祈り、アーメンで始まる講演会でした。キリスト者の方達にお話をさせていただけるのは、とてもうれしいことです。いえ、クリスチャンだけでなく、仏教のお寺でもそうなのですが、宗教を持っていらっしゃる方達に「命」について話をするのは、面はゆい物があります。でも、今の危機的な状況を、それがある種の宗教団体に牛耳られているということを、宗教者にも知っていただきたいのです。そして、それを意識して子どもの教育などを見つめて欲しいのです。無関心でいてはいけない。子どもたちが知らない間にとんでもない方向に連れて行かれようとしている、それではいけないと思うのです。

 今の私のクリニックでの状況、性教育が置かれている現状、家庭での性教育、今、何を子どもたちに伝えなければならないかなどを総論的に話しました。学校現場だけでなく、このような場で一般の社会の人たちに話すことが出来て、本当にうれしかったのです。

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宮島の紅葉とお花の教室

 しばらくシリーズを書いていたので、日記が書けませんでした。9日金曜日午後急に時間が空いたので、思いついて宮島に行きました。久しぶりに一人で船に乗って渡りました。季節柄でしょうか、それとも世界遺産になったからでしょうか。とても多くの観光客が乗っています。船を下りて、海沿いから土産物屋さんの通りを行くと、まるで私も観光客の気分です。

 お世話になったもみじまんじゅう屋さんに行きました。「その節は、本当にお世話になりました。気になっていながら、お礼にお伺いするのが遅くなってしまって申し訳ございませんでした。」と、ご挨拶を申し上げました。みなさん、にこにこと迎えて下さいました。一生懸命もみじまんじゅうを焼いている若店主と、奥様や、そのお姉様やご両親や、それから私が来たからと駆けつけて下さったかたたち、みなさん優しくて、「もう、疲れは取れましたか?」などといたわって下さいました。つい、うるうるとしてしまいました。この方達も、宮島でのポスター貼りもやって下さったのです。宮島は、ポスターを鹿が食べてしまうので、高あい所に貼るようになっています。はしごや脚立を持って回らないといけないので、大変なのです。

 本当にお世話になっていながら、ご挨拶がとても遅くなってしまって、申し訳ないことでした。これで、ホッとしました。ご挨拶をし、焼きたてのもみじまんじゅうとお茶をいただいて(焼きたてのあつあつは、廻りがかりっとして香ばしく、とてもおいしいのです)お店を後にしました。

 まだ少し早いのですが、もみじ谷に紅葉を見に行きました。もう10日くらいすると、きれいになるようです。でも、薄く紅葉し、廻りの緑と混ざり合った姿はそれはそれで美しかったです。少し薄暗くなっての携帯の写真ですので、ちょっとはっきりしませんが。紅葉の真っ盛りにもう一度行って見たいと思いました。その時間があるといいのですが。

20071109161236     その後、大元公演の方に歩いていると、突然、不動明王のでっか         い仏像に出くわしました。宮島にこんなのがあるとは知らなかったので、びっくりしました。お賽銭と、お経をとなえておきました。

なんだか、本当に久々の観光気分でした。

 広島に帰って、夜は袋町の交流プラザでのkei.さんの教室に参加しました。お花とお茶とお菓子のレッスンです。語学の教室と違って、緊張することもなく、本当に楽しくて、ほっとする時間を過ごすことが出来ました。

 白いフレームの中にガラスの試験管をセットし、フレームからはみだすように、お花を入れます。kei.さんの適切でゆったりとした指導で、素敵なお花が出来ました。私の好きな白とピンク赤と濃いグリーンとで、本当にきれいで、大好きになりました。お茶はみかんの紅茶で、お菓子は、リンゴのくず煮でした。リンゴも紅茶も食べてしまってから、はっと気づいて、まだ残っている人のを借りて、写真を撮らせて戴きました。

20071109193220 20071109194849              素敵な時間をすごさせていただいたkei.さんに感   謝です。これからも、ぜひ月一回参加させて戴きたいと、お願いしました。

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女性ホルモン・男性ホルモン(4)

 私は、以前10年に渡って月刊家族に「更年期ダイアリー」を連載していた。それを抜粋して本にしたのが「産婦人科医河野美代子の更年期ダイアリー」である。この本に、ホルモンについて書いた一文がある。以前私の患者さんであったアメリカ人が広島に来た時に、一緒に温泉に行った。その時に、彼女がアメリカでホルモン補充療法をしていること。そして、女性ホルモンと共に、少量の男性ホルモンをも飲んでいると聞いた。性欲が減退しているのをアップさせるのだと。それには驚いた。アメリカでは更年期の治療を性欲まで配慮するのか、と。その事を書いたものである。

 そしたら、それを読んだ東京の産婦人科の大先輩の堀口雅子先生から連絡があった。日本でも、少量の男性ホルモンを投与しているドクターがいる、と。そして、そのドクターにも連絡をしてくださって、ドクターから私に論文を送って来た。島根の産婦人科医である。

 その論文には、女性ホルモンだけでなく、少量の男性ホルモンを投与することにより、テンションが下がっていた患者さんに活気が戻って来るという物であった。そうなんだ!男性ホルモンは人を活気づけるのだ、とよく分かった。

 そして、その投与している「男性ホルモン」が、大東製薬工業株式会社のチューブに入った軟膏であった。それを塗ればいいのだと。そんな薬があるなんて知らなかったから、もうびっくりした。やはり病院ではなく、薬局で売っている薬であると。そして、その会社の方がクリニックに尋ねて来られた。地味な会社で大々的な宣伝をすることもなく、ひっそりとこつこつと、女性ホルモンと男性ホルモンの軟膏を作っているということであった。女性ホルモンは「バストミン」といい、男性ホルモンは「グローミン」という。でも、多くのドクターは、こんな薬があるということを知らない。

 私は男性ホルモンは、不妊症で性交があまり出来ない人と、性同一性障害で女性の体から男性の体にしたい人にも使っている。でも、後者は注射による男性ホルモンの投与がメインで、グローミンはあくまでも補助的な物だ。それから少し高齢で、性的なこともふくめて、ポテンシャルが下がって希望する男性にもお出ししている。これは、とても好評だ。体が元気になって活気づいて、気分も明るくなると言われる。

 私自身、多くの患者さんに接して来て、そして自分自身も体の変化を感じて来て、体にとってホルモンはとても大切な物なのだと思っている。若い頃にはホルモンいっぱいの体で、そのことを何も感じなく過ぎて来ても、この年になると、いろいろと感じる事がある。

 少し前、精神科の大先生と同席した時に、ホルモン補充療法を「自然に枯れて行けばいいじゃないですか。」と言われたことがある。あたかも、若さを保とうとしてホルモンを使うのは、とても不見識、と言う言い方であった。でもそのドクターだって、多くの安定剤や抗うつ剤や自律神経調整剤や睡眠薬などを患者さんに出されている。自然でいいじゃないですか、と言うなら、それらの治療をすることも自然ではないことなのだけれど。ホルモン補充療法は、決して若くありたくて使う物ではなく、あくまでも、体や心ににさまざまな障害が起こるから、その治療として行う物である。やはり更年期治療に対して、他の科のドクター達はまだまだ理解をしていないようだ。

 皆様も、もし、しんどければ、少しだけ医療の力を借りて、元気に生きることも選択肢の一つであるということをお伝えして、このシリーズを終えたい。

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女性ホルモン・男性ホルモン(3)

 昨夜(8日)「更年期医療における漢方療法の治療戦略」という講義を聞きに行った。ほてり、冷え、不眠、不安、うつ、頭重、頭痛、喉のつまり感等漢方を駆使することによってずいぶん改善される。それは、私でも実践していることだが、より具体的に教えていただいて、とても役にたった。が今一つ、私が一番聞きたかった、漢方で骨密度は上がるか、コレステロールは下がるか、そして何より、性交痛などの粘膜症状は改善するのか、それらがちゃんと語られなかった。これらは私がこれまでやって来て、漢方では効かない、と実感して来たことである。

 講義の後、質問の時間が限られていて、でも、3番目のだけ何とか質問することが出来た。そしたら、女性ホルモンが出なくなったための膣炎は、漢方で何とかなるというお返事であった。八味地黄丸やもう一種類(聞き取れなかった)などを使うと。でも、とても胃が悪くなってしまう、と。私は、その為なら、ホルモンの特に膣錠ですぐに改善するので、一日三回もせっせと漢方を飲むよりはるかに効果的と思う。が、先日私が「性交痛などの粘膜症状には漢方は効かない」と書いたのは、訂正しなければならない。

 結局は、東洋医学と西洋医学を融合させて、それぞれの患者さんに応じた治療を、という事だと思う。

 さて、私がカナダで見た男性ホルモンのパッチの個人輸入はダメであった。でも、そのうち、日本でも販売されるようになるだろう、と思っていたが、なかなかだ。私の分野では、不妊症で、中でも、なかなか性交が出来ない、と言う人の対応が問題であった。子どもを作るだけなら、人工受精をすればいいのだが、結婚してもまったく性交が出来ないとなると、単に子作りの為とは異なる意味が出てくる。以前は、カップルで岡山のドクターの所に紹介して、行ってもらっていた。男性のペニスに細い針でプロスタグランディンの注射をしてもらう。そしたら、勃起するので、急いで近くで待っている彼女の元へ。一旦それでうまく行くと、後は大体、大丈夫であった。

 でも、それも、バイアグラが認可されて、不必要となった。バイアグラは、とてもありがたいお薬で、効果は抜群である。よく、これを飲んで死んでしまうという事故が報告されて、こわい薬のように思われていたが、もともとは心臓の薬だ。心臓の薬を他に飲んでいるお年寄りが重ねてこれを飲むことで、事故となっていたものだ。個人輸入やネット販売などで手に入れた人の事故があいついで、厚生省(当時)は、早々に認可した。このころ、いつまでも低用量ピルが認可されず、バイアグラだけさっさと認可した厚生省に、なぜなのかと批判が上がって、そしてそれからほどなく、低用量ビルもやっと認可されたという経緯がある。

 しかし、バイアグラは、血管を拡張させて勃起を促すが、これはホルモンではない。あくまでも機械的に勃起させるというたぐいの物である。全身状態を元気にさせたりする物ではない。

 漫画家のはらたいらさんが、うつであったのはホルモンのせいだったと告白されたこともあって、男性の更年期が注目されるようになる。が、まだ男性ホルモンは女性ホルモンと異なってなかなか薬として市場に出ない。ところが、あったのだ。先日、私は女性ホルモンのクリーム(軟膏)の話をした。その会社が男性ホルモンの軟膏を、一般の薬局で売っていたのだ。私はびっくりした。このいきさつをまた明日書きます。

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女性ホルモン、男性ホルモン(2)

 昨日の女性ホルモンにもう少し追加を。女性は、閉経して女性ホルモンが出なくなると、血液中のコレステロールが高くなる。女性ホルモンがコレステロールを消化する働きがあるからだ。それから、女性ホルモンは、血液中のカルシウムを骨に取り込む働きもある。それがなくなるわけだから、骨のカルシウムが不足して、骨粗鬆症になる。お年寄りの背中が曲がるのは、背骨がスカスカになってしまうから。また、転倒によって簡単に背骨の圧迫骨折や、大腿骨頭頚部骨折を起こしてしまう。そのためにも、食事に気をつけて、乳製品をしっかり取ることが必要だ。ちなみに、小魚などのカルシウムは吸収が悪く、あまり効果がないとされる。それと、適度な運動も。コレステロールについては、食事療法は、お野菜をしっかり。それと、お魚。でも、野菜ばかり食べていたのでは、栄養的に偏ってしまう。ここを間違える人がいる。野菜をとればそれで健康的なのだと。でも動物性蛋白質も血を作ったり、筋肉を作ったり、カルシウムを取る意味でも大切なので、適度にとらなければ。

 これらのコレステロールや骨の問題をもホルモン補充療法は解決してくれる。

 さて、男性ホルモン。最近、男性にも更年期があるということはしきりにいわれるようになった。そもそも、女性が50才前後で生殖能力はなくなるのに比べ、男性ホルモンは平均80才まで出続ける。だから、70代で赤ちゃんが出来たと言うことは時々聞く。しかし、個人的には、若くとも男性ホルモンの分泌がされなくなるという人も沢山いる。さらに、年齢的には管理職となり、仕事の責任が重くなり、ストレスでうつになる方も決して少なくない。中には、自殺に追い込まれる方も。この中高年のうつと、ホルモンの関係も、たしかにあると言われる。しかし、そのあたりがまだ曖昧で、多くは、この両者が混在しているようだ。

 今、まだ治験の段階であるが、男性ホルモンをうつの方に投与して、劇的に良くなったという人もいるし、一方、男性ホルモン投与中に自殺されてしまったという人もいる。精神科と繋がりをもちながら双方で治療をすべきだろう。しかし、まだ男性に対してのホルモン補充療法は日本では軌道に乗っていない。ごく一部の泌尿器科のドクターが治験をしているに過ぎない。この点、日本は男性に対してとても冷たいとも言える。

 もう、10年以上前になる。1996年にカナダのバンクーバーで世界エイズ会議があり、参加した。この時に、エイズの薬を併用して治療することにより、生きることが出来るようになったという画期的な発表があり、会が興奮に包まれた。また、エイズ関連の会社のブースが、デモ隊に襲われてこわされるという事態も起こって、何分にも活気に満ちた会であった。

 その時に、私は奇妙な物を見た。ある会社のブースで、陰嚢に(もちろん、つくりもの)サロンパスのような物が貼ってある。見ると、男性ホルモンのパッチであった。その頃、日本では女性ホルモンのパッチが出たばかりであったが、男性のもあったのだわ、と、痛く感激した。HIVに感染し、エイズを発症すると、ポテンシャルが下がって、活気がなくなる。で、男性ホルモンを投与すると、とても元気が出るとの解説であった。女性ホルモンのパッチは小さく丸く肌色なのだが、男性のは、とても大きく四角くて白く、とても目立つ。それに、なぜ陰嚢に?それは陰嚢の皮膚が目の上のまぶたの皮膚のように、とても薄いので、吸収が良いからだそうだ。で、そのキットには、陰毛を剃るためのひげそりまで一緒にセットされていた。

 私は、そのキットを戴いて、日本に持って帰った。だって、日本には、そんな情報は全くないのに、海外では、こんなのがもう実際使われているのだから。そして、産婦人科医の小さな集まりでその話をしたら、参加していたドクターがとても興味をしめされ、それを教えて欲しい、と。そして、個人輸入をしたいと、アメリカの会社まで連絡をしたが、「日本の政府は、まだこれを許可していないので、個人輸入も出来ない」と断られたと。ではハワイにでも行って、そこの医師に処方してもらうしかないね、という話になった。

                     (長くなりました。この項、まだまだ続きます。)

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女性ホルモン、男性ホルモン(1)

 以前、私の咳が止まった理由を女性ホルモンのクリームを塗ったから、と書いた。更年期以後の女性のホルモン補充療法は、今や大変にポピュラーな治療になった。

 ほんの少し前まで、更年期は病気ではなく、誰もが通る道とされていた。そして、何か自分の物を持っている人は更年期の症状は軽くて、子育てばかりをしていた人はこどもが巣立った後、喪失感で症状が強く出る。だから、何か生き甲斐を持ちなさい。さらには、あなたは一家の太陽なのだから、朝から不機嫌な顔をしないで、笑顔でご主人を送り出してあげるように、なんて、本当に言われていたのだ。

 そんなの、絶対ウソ。精神論ではない。女性ホルモンの果たす役割はとても大きくて、それが急に出なくなると、体調が不良になって当たり前なのだ。卵巣が働きを停止すると、脳から、卵巣を刺激するホルモンが大量に出る。卵巣に「働けー」と命令をするホルモンだ。それでも、まだ卵巣が働かないと、脳は必死でホルモンを出す。そのホルモンを出す場所のすぐそばに自律神経を司る所があって、一緒に混乱し、自律神経失調状態になる。これが更年期障害だ。

 その自律神経失調症と、女性ホルモンが出なくなったための粘膜症状。これがミックスされる。私の咳は粘膜の症状だった。粘膜は、外陰部、膣、子宮、膀胱、そして、口、目などに存在する。喉のエヘン虫になったり、目が乾いて目薬が欠かせなくなったり、度々膀胱炎を起こしたり、痒かったりひりひりしたり。そして、性交痛も起こって、これがしばしばカップル間の不仲の原因になったりする。

 これらを一気に解決するのがホルモン補充療法だ。ほんのわずか、最低限のホルモンを補うことで、脳は、卵巣が働いてホルモンを出したと勘違いし、静かになる。自律神経も正常になって、めまいや頭痛や不眠やうつなども改善されて来る。粘膜症状も改善されて、楽になる。

 前にも言ったが、世界的にはもう当たり前になっているホルモン補充療法が、日本では、ホルモンは悪というイメージが強く、抵抗感を持つ人が多い。決して怖い物ではなく、とても体が楽になるのだから、しんどいしんどいと言いながら毎日を過ごすよりもいいのではないか、と思う。漢方は、自律神経失調症には効くが、粘膜症状には効果を持たない。

 そして、ホルモン補充療法は、私が言ったクリームは亜流であって、内服(一日一回飲む)、パッチ(お腹や腕などに貼って、2日か3日に一回張り替える)、膣錠などがある。そして、この度二つの化粧品会社がホルモンを含んだジェルを出す。化粧品感覚で、腕に塗りなさい、と言うスタンスなのだろう。

 それぞれがそれぞれ使いやすい方法を、ドクターと相談しながら選べばいい。若い人たち、更年期なんて私はまだまだだわ、と思っていても、人生なんてあっという間なのだから。本当に、すぐにそんな時期が来るからね、その時のためにも知識を持っておくというのは、とてもいいことなのですよ、と伝えておきたい。

 明日は、男性ホルモン、男性の更年期やうつなどについて話します。

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脳梗塞の治療と筑紫哲也さんに感動

 家にいる間はテレビをつけている。ニュースとドキュメントを見たい。特に、今のような自民・民主の大連立なんて茶番劇が起こると、どうなっているのか知りたい。特に、昼間は見ることが出来ないので、一日の総括みたいに、夜チャンネルを変えながら、次々とニュースを見る。

 しかし、昨夜は少し違った。テレビ朝日の報道ステーションを見ていたのが、ひょいとチャンネルを回してそのまま見続けた。本当に感動した番組の報告を。一つは、夜10時からのNHKスペシャル、「脳梗塞の新治療」について。まあ、本当に驚いた。普通、悩の細胞は一旦死ぬと戻らないとされてきた。三時間も血流が遮断されると、脳の細胞は死ぬ、そこが司った機能ももう戻らないと。リハビリはあくまでも死んだ機能を他で代替させる訓練である。

 それなのに、脳の細胞を生き返らせる治療が行われつつある。まだ治験の段階だが、その効果に、本当にびっくりした。本人の骨髄液を採取、培養して細胞を増やし、それを点滴で血管内に戻す。治療はそれだけだ。

 脳梗塞から二ヶ月。すっかり左半身が麻痺した男性の脳は、治療の5時間後のMRIで、死んだとされる部分がうんと縮小し、指がその翌日から動き出した。上がらなかった腕も上がるようになり、次々と機能を取り戻して行く。左に倒れて歩けなかったのが、日と共に、スイスイとまっすぐ歩け、坂道も、登りも下りも平気で歩くことができるようになった。

 そればかりか、心筋梗塞で死んだ心臓の細胞も、同じ治療で再起する。心筋梗塞で壊死した心筋が再生する。死にそうになった人がサッカーまでしている。これは、ドイツでの治療だが、脳梗塞は札幌の大学病院での治験だ。まだまだ治験は続くようだが、早く、全国でこのような治療がされるようになって欲しいと、感動の中で思った。

 もう一つ。報道ステーションが見られなかったので、これは必ず見ようと「筑紫哲也NEWS23」のチャンネルを出して、これもびっくりした。筑紫哲也さんの顔がいきなりアップだもの。「もう少し、療養をしたかったのですが、そうも言っておられない状況になりました。」と、大連立の状況にじっとしておられず、出て来たと言われた。

 私の選挙の時、筑紫さんに来てもらいたいと、人を通じ手紙を書き、さあ、お返事は、と待っていたら、いきなり「肺癌で治療をします。また、必ず戻って来ます」」と宣言されて、びっくりした。その後なかなか戻って来られない。筑紫さんの後任が決まったという記事も見て、状態がお悪いのかしら、と、心配していた。が、そうやつれていらっしゃらないお顔を見て、本当にうれしかったし、感動した。やはりこの方の一言、一言には重みがある。どうぞ、ご無理をなさらない範囲で、これからもお顔を見せてくださいね、と、一人ごとだ。

 それにしても、大連立。うまく行かなかったようだけれど、まあ、私から見ると自民も民主も同じ穴のムジナ。民主には、自民の中道よりももっと過激な右派がいるのだもの。そんなみんなが仲良くやりましょうというのが、そもそも無理な話だ。でも、今回の出来事は、完全に自民党を救ったね、これで自民は衆議院選も安泰だろう、そう思う。

 

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つづき

 昨夜遅くに松本から帰って来ました。昨日のブログがずっと気になっていました。慣れない携帯での文章で、列車がもうすぐ到着となってしまって、終りがとても中途半端で嫌みな文になっています。ここで続きを書きます。

 私が忙しくしているのは、自分の好みだからです。私は別に講演を引き受けなくともいいのです。原稿だって、書きませんと言えばいいのです。それから、オフ会だって行かなくともいいのです。それらを全部やろうとしたのは、私のかってであって、それが面白そうだからです。そうしたいからです。

 その意味で、勤務医の時と全く違います。勤務医の時代の忙しさは、こんな物ではありませんでした。このままでは、私は死んでしまう、と、最後は投げ出すように開業をしました。勤務医を続けているかぎり、この忙しさにちゃんと対応しなければ私の産婦人科医としての根底がひっくり返る事でした。

 でも、今は自分で選ぶことができる。自分のやりたいことだけをすればいいのです。クリニックでの診療は、これだけは決してさぼることは出来ません。それ以外は自分で好んでやっていることだから。

 私は飲みにも行かないし、ゴルフもしないし、あまり遊ぶということがないままに来ています。言ってみれば、今の私のスタイルが自分に取って楽しい、それにつきると言うことだと思います。もちろん、後で少し後悔する事だってありますけれど。これは自業自得というものだ、と、そう思っています。

 これらが言い足りませんでした。結果嫌みになってしまいました。今日は月曜ですが、臨時に診療です。行って参ります。

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忙しいということ

今長野行き特急しなのの車中です。
昨夜、広島ぶろぐのオフはとても楽しかったです。多くの方たちに出会いました。本当に参加して良かったと思いました。オフ会を少し早めに失礼して新幹線で名古屋まで来ました。車中では必死で保険のレセプトのチェックをしました。それを終えるないと、重い荷物を長野まで持って行かなければなりません。わき目もふらず一生懸命にやったら名古屋到着2分前に全部終えました。万歳です。それをホテルから宅配便で出しました。5キロありました。クリニックに月曜日の朝届くはずです。
ホテルでは滞っている原稿に取りかかりました。この休み中に仕上げないと、出版社の方に大迷惑をかけています。
そしてそれがたった今出来上がりました。またまた万歳です。
今、山々が紅葉で泣きたくなる程きれいです。こんな景色が見られるなんて、本当にありがたいことです。
オフ会でも多くの方に忙しくて大変でしょうと言っていただきました。
いいえ、私はとても楽しんでおります。もうすぐ松本に到着します。またご報告いたします。

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秘密を守るということ

 今日は、午後からひどく忙しい。夜中までびっしり予定が入っている。原稿の仕上げも出来ていない。レセプトも山ほどある。これをやらないと、私のクリニックはお金が入らなくって倒産する。だから、新幹線の中でそれをやって、ホテルから宅配便でクリニックに送ることにする。こんな時にはブログを書くのはとても無理だと思うから、今のうちに。

 昨日のテレビのニュース、今朝の新聞でも、少年事件の鑑定の資料を本の著者に見せたとして医師が逮捕、起訴されたと報道されている。そこに、報道の自由への挑戦と、さかんに言われている。報道の自由と言うのであれば、著者は、絶対にその情報の提供者が分かる形で書いてはならないと思う。それを守らなかった著者と出版社は失格と思う。

 でも、それ以上に、私は医師がそれらを見せた責任は多いにあると思う。私たち医師は患者の守秘義務がある。これは侵してはならない義務だ。

 先日、ある患者さんの職場の上司から電話がかかって来た。その患者さんについて、話を聞きたいと。それは、患者さんのことを思いやって、善意での問い合わせであるということは十分に察せられた。それでも、私は言った。「申し訳ございません。患者様個人の事は、これは個人情報です。私たちには患者様の秘密を守る義務がございます。その方がいらっしているかどうかということも含めて、お電話ではお話出来ません。それに、お出でになってお話を聞かれるのでも、ご本人の了承が必要です。」と。

 これは、親だと名乗る人からでも、妊娠の相手の男性だと名乗る人からでもすべて同じである。もう、ずっと昔、高校生の親だと名乗る人からの電話で、彼女について話したことがある。そしたら、それは患者本人の親ではなく、友人の親であった。そして、それを学校に密告され、患者さんが処分されるということがあった。痛恨の極みであった。それ以来、絶対に電話では話さない。その私の対応に怒る人がいる。それでも私は、申し訳ございませんと、謝りながら、絶対に言わない。

 未成年の場合、親が来院されれば、これは仕方がない。親に養育の義務があるのだから、カルテをみながら話す。成人の親や夫が来た場合、ご本人の了解を得ていらっしゃいますか?と問うが、得ている場合はとても少ない。これは、時と場合による。患者さんの利益になるかどうかの判断をしなければならない。あくまでも「患者さんの」であって、「来た人の」ではない。時には、嘘はつけないけれども、事実を伏せなければならない事だってある。

  これらは、親などのごく親しい身内の場合であって、第三者にする事ではない。ましてジャーナリストに、患者さん本人の立ち会いや了解もないところで、決して話してはならないし、ましてやカルテや鑑定書を見せるなんて、絶対にしてはならない。だから、私は今回の医師のやったことは許せないと思っている。医師が秘密を守ってくれる、というのは、患者さんの信頼のもっとも基礎の所であって、これが守られないと、我々の仕事そのものが根底から崩れる。これくらい大変な事であって、この医師はこれまで患者さんの秘密を守ると言うことをして来たのだろうか、疑問に思う。

 これは、医師だけでなく、公務員にも必要な義務である。これも、ずっと以前、妊娠した高校生が出産することとなり、私の指示で保健所に母子手帳を取りに行った。そしたら、そこの保健婦(今は保健師)さんが、彼女の高校に電話をし養護教諭に「あなたの高校の生徒が妊娠しています」と伝えたのだ。そして、学校から退学を迫られ、退学してしまった。もう少しで二年が終わるという三学期。私たちは、二年の終わりまで行って単位を取って、三年から通信の高校に転校しようという計画を立てていたのに、二年の単位がダメになってしまった。私は許せなくて、二年終了まで戻してくれ、と大変な闘いをしたことがある。結局彼女は二年の単位は取れて、通信の高校も無事卒業。今は、四人の子の母親である。保健婦は、大変な守秘義務違反、おおきなお世話だった。私は、そのおかげで、当時決まっていた教育センターの講演もすべてキャンセルされたし、あれこれ言われて苦い思いもした。

 まあ、長い間こんな仕事をしていればいろいろなことがあるものだけれど、それらの経験を通しても、秘密を守るということは、とてもとても大切で重いことなのだと、私は今回の事件に怒っている。

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癌治療について思うこと

 今日、あるご夫婦と話しをした。女性が卵巣癌に罹って治療中である。すでに手術もすんで化学療法中であると。ついてはそのことについての相談であった。いろいろと資料を持って来て戴いた。それを見ると、今罹っている病院のドクターから実に丁寧に説明がされている。手術も今されている抗癌剤の治療も何の問題もない。今の日本で、もっとも優れた治療を受けている。

 で、なにが問題なの?と問うた。実は、私には分かっていた。このような時、廻りが様々なことを言うのが常である。ほかの病院に行って見たら、とか、日常生活でもそんなことをしてはいけないのではないの?とか、もっとも多いのは、「この薬をのんだら」とか「この漢方が癌に効くよ」とか、「このサプリを」とか、「このワクチンがいいよ」とか、実に沢山の物を勧められて、時には、とても高価なキノコなどを飲み続けたりする。果たして、今日の方達もそれで悩んでの事であった。

 もちろん、それらを教えてくれるのは、親切心からである。ごく一部、詐欺まがいの物を売って、罪に問われたりしている業者はいるが。患者本人やその家族、絶望的な思いをしている人は、何かにすがりたいし、何でも頼りたい。たとえ高価な物でも命が助かるのであれば、無理をしてでも購入し使いたい。

 そして、それによって心の安定が保たれ、前向きに生きられるのなら、それでもいい。でもそれは、あくまでも治療を妨げない範囲で、と思う。

 今、せっかく治療を受けている人に、惑わせるようなことを言ってはいけない。卵巣癌は、とても医療が進んだ。私が医師になった頃には卵巣癌はとても厳しい癌で、当時半年しか生きることが出来なかった人でも、今、抗癌剤による治療を受けることで、ずっと生き続けることが出来るようになった。

 確かに、抗癌剤の治療は副作用があってつらいかも知れない。それでも、生きるためなのだから、何とか頑張って治療を受けて欲しい。治療の副作用も、いろいろな薬を添加することによって、吐き気などは随分押さえられるようになった。髪が抜けても、また必ず生えて来るから、その間ウイグなどで対応して欲しい。頑張って治療を受けてほしい。

 してはいけないことは何にもないから。仕事に出てもいいし、スポーツでも、旅行でも。好きなことをして生き生き生きるのが一番よ。その方が免疫も上がるでしょう。あれをしてはいけない、これをしてはいけない、ただ、静かにじっと寝ておいた方が体のためにいいということは絶対にないから。もっとも、抗癌剤の副作用で白血球が下がっている時には風邪を引いたりしないように、人混みには出ない方がいいでしょう。それは、主治医からすでに伝えられていた。気を付けることはその程度よ。

 そんな話をした。実は、30年前、私の夫が深刻な胃ガンになった時、私が一番しんどかったのは、廻りからあれこれ言われることであった。病院で一番の治療をしてもらっているのだから、それを妨げたくなかった。まだ当時は、本人に癌であることを伝えてはいけない、と、厳重に禁じられていた時だったから、一人で耐えなければならず、それはとてもしんどかった。一番の相談相手である夫に相談できない。そんな時に廻りからさまざまなことを言われると、もう、つらくて。

 治療中の方がいた時には、どうぞ、廻りの人たちはそっとしておいてあげて欲しい。そして、その人や家族から相談を持ちかけられた時だけ、一緒に考えてあげる。そのために、「何かあったら言ってね。何でも協力するからね。」とだけ言っておいてあげる。大きなお世話をすると、それだけでも当事者はとてもつらくなることがあるのだということを知っておいて欲しい、そう思う。

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健康診断と女達の会

 一週間の緊急ダイエットをして迎えたドック。結局体重は2.5キロ減。ほっほ、たいしたもんだわ。で、今年から加わっていたおへその廻りの計測とお尻の計測、これでメタボリックシンドロームを見分けるらしい、それもセーフだった。もし、あのままの体重だったら、完全にアウトの所だ。危ない危ない。それに、コレステロールが昨年は280もあったのが、今年は244と下がっていた。薬を飲むようにと言われたいたのを飲まないままにしていたのに、下がっていた。少しは高いけど、許せる範囲だ。これもきっと緊急ダイエットのおかげにちがいない。ちなみに血圧は、右が101と63。左が102と63とまあ、低めだけれど、昨年が85と60だったので、それにくらべればましになった。肝機能も腎機能も腫瘍マーカーも全然問題なし。やれやれだ。もちろん、まだマンモグラフィーや子宮癌検診などの結果は出ていないが、現在のところ、すべてO.K.だった。

 おかしなもので、これであと一年間は健康が約束されたような気になってしまう。健康診断というのは、決してそんな保証が出来るほど甘いものではないということも分かってはいるのだが。

 それにしても、胃の内視鏡、これはしんどい。いつもオエオエとなってしんどくて、後がぐったりしてしまうので、今日は安定剤をいっぱい使ってください、とたのんだ。ところが、その前の麻酔剤を口に含んでじっと待っている時に、オエオエと来てしまった。この麻酔剤がとても苦くて、おいしくない。しかものどの奥の方をしっかりしびらせたいので、奥へ奥へと入れていたら、胃の方から、おえっとなってしまった。これがとてもしんどくて、何ども何どもオエオエとなって止まらない。目は真っ赤に充血するし、本当にしんどかった。検査その物は、よくよくお願いしていたおかげで、安定剤をたっぷり入れて戴いて、ほとんど眠っているうちにすんで楽だった。しかし、内視鏡の検査は、その前後も含めてもう少し何とか楽に出来るようにならない物だろうか。

 大仕事がすんで、食べるものも自由になったし(量は加減する。ように努力する。)、今、ほっとしている。

 夕方からは、岩国の海兵隊員4人による女性への暴力の件で、緊急の会があった。沖縄から、高里鈴与代さんがわざわざ来てくださった。沖縄において、何度も何度も繰り返される米兵による犯罪と闘い続けているその経験から、様々アドバイスして戴いた。私たちは、「岩国基地米兵の暴力から女性の人権を守る女たちの会・広島」を結成し、10月22日には、マスコミに対して要望書を提出している。被害者である女性を特定しようとしたりして女性の人権がふみにじられることがないように、という意図の要望書である。すでにのべたように、性暴力の被害者は、廻りから、またマスコミによってセカンドレイプ、すなわちさらに傷つけられることが常であるから。

 今後どのような活動をして行くか、深夜まで話し合ったが、まだまだディスカッションを続けなければならない。この私たちの活動については、また、報告したい。

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