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先輩達の経験をどう記録するか

 先日ダイエット中にもかかわらず、広島市中区女医会に行った。イタリアンのフルコース。私は食べましたね。オリーブオイルにつけて食べるパンもおいしくて、三つも食べた。でも、体重は前日のわずか0.2キロ、200グラム増えただけで、ほっとした。

 今日しゃべりたいのは、その事ではない。そこに、初めてお会いする先輩のドクターがいらっした。東区なのだけれど、幹事がお声を掛けて参加していただいたとのこと。おそらく、85才におなりになるだろう、その先生のお話がもう、猛烈に面白くて。先生のお話を聞けただけで、この会に来たかいがあったと、本当にそう思った。

 当時広島県病院のドクターであったその先生は、原爆で爆心地近くにあった家も丸焼けになり、命からがら医師免許証だけを持って、裸同然で逃げた、と。途中、警察官に呼びとめられ、私はこういうもので逃げている、と話すと、警察官につかまえられてしまったと。そして、廿日市の小学校に連れて行かれ、こで患者の治療をしろ、と。そこには、1000人を超える被爆者が収容されており、そこで医師二人で必死に治療した、と。でも、なんにもない、薬もガーゼも、何もない所で。真っ黒でだるまのようにふくれあがった人たちが、「水、水」という。もう末期の水だから、飲ませてあげましょうと。そして、水を飲んでは、次々と亡くなっていった、と。太い棒が背中に刺さっている人が、抜いてくれ、と。それを抜かないと、座ることも、寝ることも出来ない状態で。ひっぱっても抜けない。で、包丁と、裁ちばさみを煮て消毒し、それで麻酔も何もなく切開して引っ張って抜いた、と。その人は感謝して横になられて、その30分後には亡くなった、と。

 もっともっといろいろな被爆した人たちの話を聞いた。体にウジ虫がわく。でも、そのウジ虫が体の膿などを食べてくれて、却って治療になったとか。豆にわずか米が混ざっているようなご飯がだされても、食べるスペースが全くなくて、「死体部屋ならたべられます」と言われて、躊躇した話などなど。

 県病院の医師は、徴兵や爆死、残ったのはわずか4人で、その4人で今の草津で県病院の再建をした、と。その後、基町のバラックが次々と建つ、後にいわゆる原爆スラムと呼ばれた場所に開業をしたと。いろんな人が来て、懸命に治療をしたり、けんかをしたり、脅されて警察を呼んだりと、ものすごい経験を一生懸命話してくださった。

 そして、ふと気づいた。私、様々な被爆者の話や原爆直後の医師達の活躍について、ずいぶん話も聞いたし、本も読んだ。でも、被爆直後に頑張った女医さんの話は聞いた事がない。そんな若い女医さんが広島にいたということすら、聞いていない。
「先生、そんなお話、私は聞いたことがありません。どこかでお話になりましたか?」と言うと、これまで、誰にも話さなかった、と。話すのは、とてもつらいから、と。実際あの惨状の中で、本当に医療活動をしていない人ばかりが被爆者の話をしていると。

 私は「もったいない。せっかくの先生の話は、どこかに残してください。書くことが出来ないなら、話すだけでも」と訴えた。だって、先生がもし亡くなったら、なんにも残らない、先生とともに消えてしまうだけだ。

 いつもそう思っている。先陣達のさまざまな経験や思いは、その人とともに消えてしまう。文才のある人なら、いろいろと書き残すことも出来よう。その意味で、作家や評論家など、書くのが仕事の人や、映画を作る人、絵を描く等の芸術家などはありがたい存在だ。でも、私たちの先輩の女医さん、本当にこのドクターの様なすさまじい体験は、ぜひ残してほしい。ともすれば見失ってしまいそうな、医の原点とは何たるか、それから、命を救う仕事である医師たるもの、反戦、反核の立場を取らなければならない、ということを言い伝えるためにも。さて、この先生のお話をどう残すか、また、私に課題が残ったような気がする。

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コメント

たくさんの文章を書かれている先生が、レコーダーを持ってお話を聞き録音して、同じ医師としての立場から、その方の本を出されたら良いと思います。
先生のお父様から聞いた話も力になると思います。

投稿: やんじ | 2007年10月28日 (日) 21時05分

そういう方が、おられたのですね。 今もその記憶を、その方の中にとどめておかれているのですね。 
やんじさんに賛成です。 手さえあれば、ということならお手伝いさせていただくこともできます。 広島に住む者として、私はまだ原爆に関わる仕事(生業という意味ではなく)をしたことがありません。 いつか、なにかを・・と思ってはいるのですが。 

投稿: kay | 2007年10月28日 (日) 22時57分

よく、私も、広島県外から来た方を案内する際、ビデオなんか見せますが、あんなもんじゃあないということですよね。

本当のところは、本当に経験した人しかわからないんですよねえ。

多分、バーチャルリアリティーが発達しても表現は難しいかもしれません。

でも、精一杯伝えることが大事です。

何かお手伝いできることがあればお申し付けください。裁判も終わりましたし、これからですね。

投稿: さとうしゅういち | 2007年10月29日 (月) 01時58分

私もつい最近に「広島第二県女二年西組」という本を読みました…はじめて身近に原爆を感じました。

父も大久野島の毒ガス工場で働いていましたし、
戦後シベリアで捕虜生活もしたようです。
でもなかなか話してはくれませんでした…近頃になってこちらが聴いたらポツポツと話し始めました。

やっぱり今聞いておかないといけないんですよね。

投稿: のりたま | 2007年10月29日 (月) 13時56分

やんじさま
それはそうだけれど、、、。私は自分の事以外の本は書いたことがないし。まず先生をしゃべることを説得しないといけませんね。でも、、、あの時に、それこそ、一生懸命しゃべってくださったのだし、もう、60年以上も経っているのだし、それは大丈夫だろうと思うのです。女医会で撮った写真をとどけないといけませんので、その時に話してみようと思います。
河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2007年10月29日 (月) 16時05分

kayさま
コメント、ありがとうございます。
そうですね。何とかしなければなりませんね。
また、当事者の先生と話しをして何としてでも残すようにしたいと思っています。
それはそうと、テレビ出演、お疲れさまでした。ろくかに撮って見ました。このテーマについては、また、ブログの中に書かせていただきますね。
河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2007年10月29日 (月) 16時24分

さとうしゅういちさま
そうですね。本当に何とかしないといけませんね。そして、こんな思いをしている方がまだまだたくさんいらっしゃるのでしょうね。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2007年10月29日 (月) 16時30分

のりたまさま
コメント、ありがとうございます。
私、ぜったいおとうさまのお話を聞いていた方がいいと思います。私、父からもっと聞いておけば良かったと、亡くなった後後悔しています。そのような体験をしたお父様がいて、あなたがいて、そしてご自分のお子様がいる。そのつながりをいつか、お子様にお話してあげてくださいね。河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2007年10月29日 (月) 16時44分

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