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医師会と医師政治連盟

 昨日の診療を終えて今、東京まで来ている。明日は性教育に携わっている産婦人科医の集まりがある。全国から集まって勉強や情報交換をする。私はその会の世話人の一人だ。ほとんどの医者が私よりも若く、元気いっぱいだ。そして、とても居心地が良く、楽しい会だ。

 実は、金曜日の夜は、地域の医師会のブロック会があった。このような会には、とにかく今は万難を排して参加する。縮こまるような思いで、できれば顔を隠したい思いで参加する。選挙のお礼を申し上げなければならないから。みなさん、本当に良くしていただいた。医師会は自民の支持団体だから、私の応援はしていただけなかったけれど、地域のドクター達は、個人的にすごく応援して下さって、何ともありがたいことだった。金曜日の会でも、みなさん、次々と激励をして下さってもう、ただひたすら恐縮と感謝、感謝のウルウルだった。

 明日の会でも、またみなさんにご挨拶をする。こんなご時世だから、特に性教育に関わっているドクター達、みなさんに期待されていた。誰かが何とか歯止めをかけないと、そのために頑張って、と遠方からも応援して下さった。だから明日はただひたすら申し訳ないと謝罪とお礼を申し上げるつもりだ。

 ところで、私たち医師のほとんどは医師会に入っており、また、同時に医師政治連盟にも加盟していて、毎月自動的に口座から会費が引き落とされる。私も、これまで、医師政治連盟に一体いくら献金しただろうか。何百万?そして、そのお金はひたすら自民党と自民党の政治家に献金されている。今回の参議院選挙では、選挙区は当然、○○候補の応援で、当選してめでたしめでたしで。でも、比例区では医師会が押した候補(その人は医師ではないが、これまでの因縁で支援している様だけれど)その人は落選してしまった。

 組織と個人。建前と本音。そろそろ医師会や他の団体も、このあたりで政治献金を見直すべきだと思う。いつまでも自民党の政権が続くとは限らない。そうなった時には、組織として惨めなことになる可能性が強い。今回のような首相の交代劇があって、それでも信頼出来る党であるのだろうか。実は個人的に話してみると、多くの方が見限っているのに。でも、組織となると、なかなか変革は出来ないようだ。

 私も、医師会員で、医師政治連盟の会員で、でも、私が立候補するに当たっては、会員が立候補したにもかかわらず、組織としては何にもしていただけなかった。だったら、医師政治連盟は脱退して会費ももう払いません、と言えばいいものなのだけれど、それがなかなか出来ない。そうすると、仲間はずれになるようで、それがちょっと怖い。だから、釈然としないままにそのままにして、会費も払い続けている。個人的には、みなさん本当にいい人達で、良くしていただいている。それで十分、と考えてお付き合いをする、建前と本音の世界だ。

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広島県の学校ではブログが読めません。

 昨日は広島県立高校の講演に行った。講演後、校長室で話していた時、私が

「ああ、しまった。生徒にブログを読んでというのを忘れました。」

と言った。いろいろ性教育や悩みについても情報を発信するから、時々は見て欲しいのです、と。そしたら校長が

「大丈夫です。こちらから生徒に伝えましょう。で、どんなものなのですか?ここからでも見ることが出来ますか?ヤフーでいいですか?」

と、校長室の机の上のパソコンの前に行って尋ねられたので、

「ええ、大丈夫です。ヤフーだったら河野美代子と入れてブログで検索したら出ますから。」

と言ったのだが、うまく出来ない風なので、私もパソコンの前に行って検索したら、ずらずらと表示された。一番上に一番新しいブログが表示されている。で、これをクリックしたら出ますからと言って校長がクリックしたら、突然、道路標識の進入禁止と同じ、赤い地に白で横一の太いのが入っている、丸いのが表示された。そしてHEIWAnetとこれまたでっかく書いてあり、小さく広島県教育委員会とも書いてある。びっくりしてなんですか?と聞いたら、校長もびっくりして、

「これは、教育委員会が見てはいけないものをフィルターをかけているのです。」

「それをHEIWAnetと言うのですか。うっそみたいな名前ですね。でも、、、」

どうして私のブログが見てはいけないものになっているのでしょう。さあ、分かりませんねえ。私の思想が悪いのでしょうか。性教育について書いたからいけないのでしょうか。でも、いつからダメになったたのでしょう。などと言っていたら、校長が

「選挙に出られたからでしょうか」と言われた。

「そうかも。でも、それなら、他の人もでしょうか」

で、校長がちょっと見て見ましょう。と、佐藤公治といれてブログで検索すると、やはりずらずらと表示された。で、これですね、というのをクリックしたら、何と、ちゃんと出るではないの。わあ、佐藤さんは出ますね。では、選挙に出たからと言う事ではないですよね。どうしたのでしょう。分かりませんねえ。でも、それ以上言っても校長先生におきの毒なので、もう止めて帰ったのだけれど、私は面白くない。

 性教育について、全力で書いたのも、学校現場の教師や生徒達に読んで欲しい、その思い一心だった。でも、学校では、教師も生徒も見ることが出来ないのだ。高校生は、自分で家にパソコンを持っているのは数少ないだろう。結局彼らは私のブログは見ることが出来ないということなのだ。きっと、私のブログはアダルト、わいせつと一緒に捉えられてしまったのだろう。

 首相補佐官にあの人が留任したというだけで暗いきもちになっていたのが、さらに落ち込んでしまった。その後、講演をした高校の近くの友人の家に行った。選挙以来の訪問。選挙では、本当に頑張ってくれて、ありがたい事だったので、そのご挨拶をかねて。そこでおしゃべりをしていたら携帯が鳴った。その高校の養護の先生からだった。

「校長先生から早く河野先生に連絡をしてあげてくれ、と言われたから。」と。「HEIWAnetはすべてのブログが見られないようにしてあるので、決して河野のだけではないのだ。」

と言う趣旨であった。でも、佐藤さんのは?それは、ブログではないのでしょうと。ふうん、でも、ブログで検索したのだけれどねえ。でも、ありがとうございました。良く分かりましたので。校長先生にもお礼をお伝え下さいませ。と、申し上げた。

 結論:広島県の教育委員会は、教育現場ではすべてのブログが読めないようにしているのだそうだ。なぜ?それは分からない。何か教育に差し障りがあるのでしょう。なんか、全然すっきりしない。

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次をどうするか、が課題で。

 昨日は広島まで陸を走って帰った後、洗濯物を洗濯機に放り込んで、飛んで出かけた。昨日から、正式にYMCAの授業に出席する申し込みをしていたから。初めて申し込みに行った後、英会話はとってもむずかしい筆記試験と面接を経てクラスが決められた。一度見学をして、そこのクラスに入ることを決めた。

 ハングルは、初めに見学をしたクラスが、むちゃくちゃに難しくて、入門講座に変えてもらった。私はこれまでNHKのハングル講座で独学をしただけだからちゃんと筋道を立てて学んだ方がいい。でも、、、その入門クラスも、見学をするともうずいぶん進んでいる。何とか追いついて行くよう頑張らなくては。

 昨日は教科書も準備していただいた。私の英会話のクラスの生徒は、若い主婦の方と私の二人だけで、先生は大学院で数学の勉強をしているという若い女性、たぶんアメリカ人だと思う。久々に学生気分になって楽しく学ぶことが出来た。

 今日は診療。その後、私の裁判を支援してくださった方たちとの事務局会議。今度、報告集会をする。その打ち合わせだ。選挙も裁判も済んだ後をどうするか、が課題であると思っている。裁判は報告集会で、一応ピリオドを打つが、今後の性教育について監視と行動をする、それは延々と続く事であると思う。

 昨日は新総理が決まって、大臣達も代わり映えしない顔ぶれで、なんにも面白くない。新文科大臣がどんなスタンスになるのか、この方だけは全くの新人のようだから、もしかするとこれまでの文科省のいいなりになるのかも知れない。まあ、首相補佐官の名での奇妙な立場で教育再生会議の担当となっていた人と、会議がどうなるのか、それが全然明らかにされないので、まだ性教育の行くえも不明だ。少なくとも、突然にすっかり良くなることは絶対にないとは思う。

 選挙を共に闘ってくださった方達、そして、多くの支持してくださった方達のこのエネルギーは、なんらかの形で継続しないともったいない。「いのちと憲法を守る仲間達」のようなものが旗揚げできないか、と考えている。安倍首相の無茶な国会運営で強行採決された「国民投票法案」は不気味に生きている。憲法が危機であることは変わっていない。これからの政治の動きをしっかり見据えながら行動をしなければ、と思っている。

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別府でのんびりしています

 昨日、到着するとすぐに墓参りに行った。河野のお墓は山の中にある。河野によると、樹齢2000年という大きな杉の木の根本に本家の墓と、河野の父が眠っている墓が並んでいる。両方のお墓のお花にお水を上げ、掃除をしてお線香を上げる。そして、本家にご挨拶に行った。本家には河野のいとこがいて、一人暮らしの義母の世話をいろいろとしてくださるので、ありがたいことで、よくよくお礼を申し上げる。当然、遠方から応援して下さった選挙のことも話に出るので、恐縮してしまう。

 そして、実家の母を連れて、ご飯を食べに行き、我が家に一緒に帰って来た。我が家は、近い将来、こちらに帰って来る予定で、実家の近くに建てている。が、建てては見たものの、まだいつ正式に帰省してここに住むのか未定のまま、日頃は空家になっている。今回、ここに帰るのは、選挙の前の5月の初め以来だ。

 私は広島では実家を出てからずっとアパート住まいで、土のない生活をしている。だから、ここに庭があるのがうれしくて、いろいろと花や樹木を植えている。はじめの頃は、トマトやなすやゴーヤや枝豆、大根、トウモロコシ、ネギなどせっせと畑も作っていたのだが、どうにも手入れや収穫に来ることがなかなかで、結局畑はあきらめた。

 一番初めに鉢植えの小さなサクランボの苗を生協で買って2本植えたのが、今では二階の屋根までの 大木になって、毎年、何千個ものサクランボができる。それだけでなく、近くにこどもの苗が出て来たので、それを庭の隅に移植したら、それも元気について、今では三本の木となった。また、同じくはじめに、福岡の兄がお祝いにザボンに似たミカンの苗をくれたのが、これも毎年60個くらいの大きな実を付ける。今日も、数え切れないほどの緑の実が重そうに下がっている。

 私の父が高齢となって、母も死んで我が家で同居していたとき、私たちがこちらに帰る時には、必ず連れて来ていた。父は、まあるくなった背中で、いつも庭のこれらの木々の周辺に肥料を埋めていた。父が死んだので、私が父をまねて肥料を埋める。さらに、今回帰って見たら、父が死んだ時に広島から持って来て植えたレモンの木に二個のレモンがなっていた。昨年は花は咲いたけど、実はならなかった。そろそろ今年は実がつくのでは、と思っていたが、とても大きい立派なレモンが二個だ。

 父が死んだ時、父の家の庭に植えてあった椿を掘って、こども達みんなに分けて、庭に植えてもらった。他の人達のは、立派に育ったのに、我が家の椿だけ枯れてしまった。福岡の兄が、その育った椿から挿し木をして小さな苗にしてくれた。5月にそれを我が家に植えたのが、今日見ると、まだ30センチにもならない小さな苗なのに、つぼみを3個付けている。もう、いとおしくて。

 もう何年も前に兵庫県の八鹿高校に行った時に庭に咲いていた芝桜を頼んで一株戴いて植えた。それが、今では塀沿いにずっと伸びて、塀から垂れ下がって可憐なピンクの花を咲かせている。

 まだまだ様々な花木達、ナンテンや万両やあじさい、菊、コスモス、レモングラスなどが元気に生き続けている。近所に住む義姉夫妻が度々来て草取りや水やりをしてくださるようで、そのおかげでもある。久々に土に触れて、心なごんでのんびりしている。日頃、必死で肩肘張って生きているので、ほっとする一時がとてもありがたい。昼は大分に住む私の兄夫婦が来て、またまた選挙の話を中心に盛り上がり、お風呂にも入ってもらう。夜は義母と義姉夫婦が来て、お風呂にも入ってもらった。私も、朝から何回もお風呂に入っている。明日、広島に帰る。

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福田首相に期待してもいいのか

 今日は彼岸の中日。以前から決めていたこと。別府の河野の実家に帰る。何だかんだでお盆にも帰らなかった。義父のお墓参りをしなければ。昨日、仕事が済んで母たちへのおみやげを買っておいた。そして今日のお昼に出発。徳山から国東半島の先っちょの竹田津までフェリーに乗ると楽なのだけれど、車で走りながら電話で尋ねると次のフェリーは午後三時半発ということ。時間が余り過ぎ。で、結局陸を走って帰った。

 夫は車を運転しない。だから、私一人で運転する。夫は必ず後部座席に乗る。英会話やハングル会話や冬ソナの音楽バージョンやテレサ・テン(後の二つは河野のリクエスト)を聞きながらひたすら運転をする。出発時はかんかん照りのすさまじい暑さだったのに途中、山口で前も見えないほどの豪雨となってびっくりした。でも、九州に入るとまたからりと晴れている。

 九州に入ってからはラジオで自民党の総裁選の中継を聞く。もう情勢は分かっているようなものなのだけれど。結果、麻生票が伸びたのが意外だった。でも、福田さんになって少しほっとした。安倍総理が退陣してバンザイだ。

 今、「官邸崩壊」を読んでいる。安倍政権の成立から、この8月まで、でも、まだ安倍氏が放り出す前までのルポである。退陣前にこの本が出されたのがすごい。しかし、これがもう、もっのすごく面白い。読み出したら止められない。寝るのを止めてでも読みたい。今朝も5時まで読み続けた。

 この本で知った。安倍総理は元々能力がないのに、総理になった。そして、ブレーンがいて、そのブレーン達の影響を強くうけながら政策などを決めて行ったこと。そのブレーンが、いわゆる「超保守」の人たちだ。憲法を変えることを中心として、教育基本法を初めとする教育三法を変えること等をもくろんでいる人たちだ。教育三法案は、結局、強行採決されてしまった。

 ブレーンは、日本政策研究センターの所長の伊藤哲夫氏だとか、高崎経済大学の八木秀次氏だとか。私は、裁判の中で、日本会議の出版部である日本政策研究センターや「新しい歴史教科書をつくる会」の八木秀次氏などが黒幕であることを立証してきた。全国の地方議会で同センターが作った同じパンフレットを振りかざして、男女共同参画や性教育をつぶすべく画策し、また、そのパンフレットは広島のPTA協議会の講演会で売られたりもした。

 その彼らが安倍首相のブレーンとして、官邸深く入り込んでいたという現実に改めて愕然とする。そして、八木秀次氏とも大変親しい山谷えり子氏が安倍首相の補佐官として任命され、「教育再生会議」なるものの責任者となった。しかし、彼女もこの本によると、全く能力が不足していて、あまりにばかばかしいパフォーマンスが克明に書かれている。赤ちゃんの目をみながら母乳を上げましょう。子守歌を歌ってあげましょう、などと国民に向かって提言する等と行って嘲笑されもした。それでも、この会議は中教審などを無視した所で教育三法を変えるべき提言を出し、それが強行採決されたのだから、つくづく情けない。

 北朝鮮に対しても、かたくなにまで圧力が必要と言い、中国に対しても、強く出よ、という人たちの意見そのままを政策の場に持ち込もうとしたのだから、恐るべしだ。安倍氏にたいする同情論も見られるが、もともとこのような事態を招いたのは彼自身である。そして、彼を降ろしたのは、まさに国民、参議院選での民意なのだから。誰かのクーデターだとか犯人捜しなんてものではなく、国民の意思なのだと見なければならないと思う。

 安倍氏が失脚して、福田さんになって、これで、事態は少しは変わるだろうか、まさか、そのまま教育再生会議が彼女の指導の元に残ると言うことはないだろうと思うけれど。福田氏といえども同じ自民党だから、そう期待するのは良くないかも知れないけれど、でも、なんか、ほっとした。

 ラジオを聞きつつ、こんなことを考えながら、車を運転し続けて、大分までやって来た。

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裁判がおわりました

 一部報道がされていますので、ご存じの方もおありかと思いますが、昨日、私の裁判が終了しました。私が「月刊ビジネス界」の出版社展望社とそれに連載を書いていた当時の広島市PTA協議会会長渡部武氏を名誉毀損による損害賠償で2005年6月1日に訴えたのものです。

 この終了がほぼ確定的だったため、ブログでも必死で性教育について私の思いを書かせていただいたものです。ただ、事前に和解が成立すると言うことを公表することが出来ませんでしたので、黙っていてすみませんでした。

 和解の条件は「ビジネス界」の紙上に双方の主張を掲載するというものです。ただ、双方と言っても被告側の主張は自分のメディアですから、自由に自分の主張を載せてもいいのですが、「原告の主張」を載せると言うことが書かれた側の「反論権」を認めるということで、これは意義のあることであると裁判所の裁判官にねばり強く説得されました。

 確かに、これまで日本共産党が産経新聞社に共産党批判を書いた記事に対して紙上で反論させよと訴えた事件で最高裁判所が「反論権は認めない」という判決を出しています。また、本多勝一さんが雑誌「諸君!」に反論分を掲載させよと訴えた事件でも最高裁の判決が「認めない」と出ています。最高裁の判例は覆すことが出来ないので、判決でこれを出すことは出来ない、と。しかし、和解であればこれを認めるということは画期的なことなのだそうです。初めは私もとまどいましたが、これは「勝利的和解」であるということがはっきりわかりましたので、一年間の和解協議を経て今回の結論となりました。もし私の敗訴であれば「原告の訴えを棄却する」となるわけですから。

 これにより、私の陳述書が雑誌に掲載され、その雑誌が20部ですが私に提供されます。

 このような結論ですが、私は今、終わった!とほっとしています。というか、負けなかった!という思いです。裁判というのは、たとえ訴えた側でもなかなかしんどいものですが、多くの方が支えて下さいました。それに、とてもとても勉強になりました。

 私は、性教育が、今若者達になされなければ、と言う思いで一心に活動をして来ました。それをあまりにひどい中傷を、それも教育界に影響を与える立場であるPTA協議会の会長が書いた、というのが許せなかった故に訴えました。しかし、裁判の中で、広島市のPTA協議会が、日本全体で活躍している「バックラッシュ」と言いますが、たとえば「新しい歴史教科書を作る会」が作った教科書を採択せよ、などという動きと全く連動して動いて来たという構造もよく分かりました。その一貫として私たちへの根拠のない批判がなされたということも。だって私たちは、「若者達にフリーセックスをそそのかして家族解体をめざす革命家だ」とまで書かれたのです。わかもの達にクラミジアなどの性感染症が増えているのも、私たちの性教育で若者をそそのかして来たからだ、などと。

 それらに対して、丁寧に、全力で沢山の資料を集め、提出し、立証するべく務めて参りました。このような裁判の為の活動を通してでも、私は今の日本の社会が置かれている危険性、安倍内閣やその元で行われて来たあの「教育再生会議」のひどい問題なども見えて来ました。

 私は、言いっぱなしは許せないと思います。何を書かれても、泣き寝入りをするしかないのだという風潮も許せません。今、本当にほっとしています。

 また、安倍首相が退陣し、おそらく教育再生会議とそれを宗教団体のバックにして動かして来た方は退陣するでしょう。その時期が同じくなりましたが、広島においても、また、若者達に生きる力をつける、命の教育である性教育が復活することを強く願っています。私もこれからも負けることなく、頑張って活動を続けたいと思います。

 これまで私を支えて下さった皆様に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

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性教育の講演(終章)

 今日木曜日は休診の講演日でした。島根県の益田まで車を運転して行きました。一昨日の夜中にソウルから帰り、昨日はてんてこ舞いで診療をし、貯まった雑用を片付けていて、ふと気づくと申し込みをしていた広島ブログの会の終わった時間でした。本当に申し訳ないことに、すっぽかしてしまいました、私もとても楽しみにしていたのに、そしてみなさんへと思って韓国のお菓子をどっさり買って来ていたのに、もう、ザンネンでした。皆様本当にごめんなさい。

 そんなことで、やや疲れていて、益田への車の往復の運転が少し心配だったのですが、かんかん照りの残暑の青空に、緑がとてもきれいで心なごみながら行って来ました。益田では、看護学校の学生さん達に話しました。近い将来、医療の現場で働く方達です。高校生に話す内容に、大人に話す内容をミックスして話しました。この性教育の話のシリーズも、いよいよ終章です。今日話したことも含めて、ここに記します。

 私は、「性」と言うものは、決していやらしいもの、恥ずかしいものとは思っていません。そうではなくってとても大切なものだと思っています。大切で、さらにとてもいいもの、素敵なものと思っています。私は、若者達に素敵なものを素敵なものとして実行できる、そんな大人になって欲しいと思っています。そして、素敵な性を実行するために何が必要なのでしょうか。何よりも、びくびくしながらの性、後ろめたさをもった性、例えば「妊娠したらどうしよう、誰かにばれたらどうしよう、親に知られないかしら」これらは、絶対に素敵なものにはなりません。

 そして、「この人はどんな人なのかしら」という警戒心を持ちながらの性。これは、「出会い系サイト」での性にしばしば見られるようになりました。今、出会い系サイトでの被害が急増しています。私は、以前はこの話はしていなかったのですが、どうしてもこれは話しておかなければと思い、若者向けの講演の時には、入れるようにしています。出会い系サイト、携帯やパソコンにどんどん飛び込んでくるでしょう。出会い系サイトは、決してメールの交換だけでは終わりません。これは、会おうと言うもの。そして、会う目的はセックスです。はっきり言います。これは、セックスが目的なのです。

 若い人たちは、「会ってもいいじゃん。会ってみて感じが良かったらご飯をおごってもらったり、カラオケぐらい行ってもいいかね。まあ、一回くらいホテルに行ってもいいかね。感じが悪かったら黙って帰ったらいいんよね。」と言います。「感じが良かったら、悪かったら」会っただけで人を見る目が出来てるなんて、思い上がらないで欲しい。まだ君たちは未熟ですよ。私くらいになってやっと、患者さんと話してて、「ああ、この人はいろいろな社会を背負っているな」と言うのがやっと何となく分かって来ているのに。君たちはまだ未熟だと認識しないとね。

 私の所で一番多いのは、やはり妊娠です。妊娠が分かって告げたとたん、携帯を変えられて連絡がつかなくなって、中絶の相談をしようにも、お金の相談どころか同意書にサインすらしてもらえなくって途方にくれる、というケースが度々あります。

 優しそうな人だと思ってホテルについて行って相手が裸になったら、全身に入れ墨があって震え上がったという患者さんもいました。もっとも、入れ墨がある人、即、悪い人と短絡的には言えないけれど、「外見からはとてもそんなに見えなかった。怖かったよう。」と私に訴えました。

 それから、私の患者さんではないけれど、私の性教育の仲間の教師の生徒だけれど、ホテルに行ったら、相手ががらりと変わって、いきなり殴られたと。殴る人、いわゆるサディストだったのですね。いいですか、密室の中に二人っきりになるというのは、命を危機にさらすことなのです。声を上げたって聞こえはしない。逃げようとしたって逃げられはしない。殴られて、蹴られて、ほほの骨が折れて、鼻も折れて、そうしてレイプされた、と。殺されなかっただけ、まだ良かったのだけれど。殺人事件にならないと、こんなのは報道されないけれど、殺される人もとても増えているのですよ。

 相手に対して、すべての警戒心を解き放って、心まで裸になって、裸の心と心で向き合う性でこそ、とそう思います。どうか、焦ることはありません。何よりも、しっかりと自立した大人になること。そして、素敵なパートナーと心から望んで、コミュニケーションが取れ合った、素敵な性が実行できる、そんな大人になって欲しい、そう思います。

 私は、こんなことを話しています。まだまだその場によって立ち会い分娩のこととか、性感染症のこととか、性風俗のこと。それから、大人の方へは、自らの性意識を点検して欲しいこと、熟年離婚が増えている今、本当にパートナーとコミュニケーションの取れ合った関係であるか、とか。そんな話を盛りだくさんにしています。

 これまで、性教育について、何をどうしたいのか、私の話をさせて戴きました。性教育について、誤解をしたままに(というより、意図的にねじ曲げて)反対している人たちの力が強くて、今、社会では性教育が後退しています。そうして性教育が出来なくなったとたん、私のクリニックでも中学生の妊娠が相次いでいます。私は、性教育とは生きる底力をつける教育であると思っています。すべての若者がしっかり学んで、素敵な大人になって欲しい、心からそう願っています。そんな日がいつかは来るであろうことを期待して、一旦、性教育について、終了とします。でも、これからも、私の現場で出会ったこと、考えたことをその時々に書かせて戴きますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

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若者の無知(6.避妊、経口避妊薬)

 経口避妊薬、ピルは女性が欠かさず飲んでいれば確実に避妊できる、という面で女性にとっては大きな福音です。1999年9月やっと日本でも当時の厚生省がその販売を許可しました。欧米に遅れること40年です。やれやれやっと、と思ったら、もう、びっくりしました。マスコミが「副作用」の報道をどっさりとしたのです。まるで、ピルイコール副作用、みたいに。

 欧米の女性達の40年間にの渡る犠牲のおかげで、ホルモンはとことん改善され、量も減らされ、ほとんど副作用を考えなくともいい所まで来ています。 ただ、飲んではいけない人というのがあります。例えば「35才以上でタバコを一日15本以上吸う人」「コントロール出来ない高血圧の人」とか、ずらりとと病名が並んでいます。それが分からなかったからこそ、それまで犠牲が出たのです。でも、それらが分かった今、健康な若い女性が飲むのには、ほとんど副作用は考えなくともいいところまで来ています。少なくとも、「人工中絶の副作用」に比べれば何百分の一だと言ってもかまわないでしょう。

 それと、副効用として、月経痛の改善や量を少なくするということで、子宮内膜症の方などは、ピルによって救われた、と言われます。実際今内服している方達に全国の産婦人科医が一斉にアンケート調査をしました。それによると、ピルによって改善した事は、1.月経が規則的になった2.量が減って楽になった3.月経痛が改善したと言うものが上位三位で、その次の四番目にやっと「男性任せでなく、自分の意志で避妊が出来る様になった」と、避妊が出て来ます。

 今、ビルを処方している多くの医師は、受験生には夏ごろから、ビルによる月経のコントロールを勧めています。月経がきつく、試験とぶつかりそう、と言って直前に来られたのでは、いわゆる中用量ピル、ホルモンの多いピルでコントロールしなければならず、体に負担がかかってしまいます。それよりも、低用量ピルでコントロールをしたほうがよほど楽に無理なく出来ます。

 でも、まだ低用量ピルについて、大人達の理解が得られていません。月経がとてもきつい高校生がピルでコントロールをしていました。それによって量が減って貧血が改善されました。痛みも痛み止めで対処出来る所まで来ました。それで何とか楽になっていたのに、それを知った保健室の先生が強く止めて、本人が途方にくれたこともありました。

 恋人のいるO.L.の方がピルを飲んでいることが母親に知れ、怒って止められたため、飲むのを辞めざるを得なくなりました。そしてあっという間に妊娠してしまい、中絶をせざるを得なくなったこともありました。

 ビルは妊娠を防いでくれます。「もしも、将来確実な避妊がしたいと思ったなら、その時にはピルの処方を求めて産婦人科に相談に行くのも選択肢の一つである」ということを私は、若い人たちにも知ってもらいたいと思います。

 ただし、ピルは望まない妊娠は防いでくれますがHIVなどの性感染症の予防には全く無力です。

「これからの君たちの時代だから、望まない妊娠はしない、させない。のと同時に性感染症の予防ということも本気で考えなければならないと思います。」

「結婚しました。妊娠しました。赤ちゃんを産みます。母子手帳をもらって来ました。性感染症に罹っていました。こんなのが、今、とても多いよ。」

「独身時代に性感染症に罹っていることを知らないまま結婚し、妊娠した」「性感染症に罹っていることを知らないまま結婚し、妻に移してしまった」「こんなことは防ごうと思ったら防ぐことが出来るのだから」

 「性感染症の予防は?二つですね。一つは?セックスをしないこと。完璧な予防だね。そして、もう一つは?確実にコンドームを使うこと。コンドームはHIVなどの性感染症を防いでくれます。」「だから、君たちはコンドームのないセックスはしないこと。コンドームのないセックスは、ふたりで、さあこれから赤ちゃんを作りましょう。妊娠を目指しましょう。と言う時の為にとっておきなさい。」

 「でも、わかりますね。コンドームは性感染症は防いでくれるけれど、妊娠は100%ではありませんね。これは、いかに妊娠しやすいか、という証でもあります。だから、もしも将来君たちカップルの双方がどちらか片方ではぜったいにダメですよ、双方が強く性を望む、そして、実際、セックスもできる状況になったとしたら、とにかく、二人で話し合いなさい。自分達は今、妊娠を望むのかと。もし、ダメなのなら、コンドームプラスもう一つ。世界的には、避妊は確実なピルで、性感染症の予防はコンドームで。この両建てで行くべきとなっています。でも、そこまでは言わないとしてもコンドームプラスもう一つ。もう一つはふたりで話し合って決めなさい。そして、毎回欠かさずコンドームプラスもう一つをきっちり実行して、初めて確実な避妊と性感染症の予防の予防が出来るでしょう。」

「それくらい厳しいものなのですよ。甘いものではないよ。そして、大切なのは、そこまでできるか?出来る関係であるか?と言う事だと思います。もしも、二人でそこまできっちり話し合って実行出来るとしたら、その二人はコミュニケーションの取れ合ったいい関係なんだろうね、と思います。でも、若者の多くは、妊娠したらどうする?しない為にはどうする?という話し合いすらしないままに、行動が先行している、とても貧しいセックスをしている、と、そう思います。」

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若者の無知(5.避妊)

 私はすべての患者さんに性交の有無と、有りなのなら、避妊の方法を尋ねます。そして避妊がもし不確実であるのなら、「このママでは妊娠するだろう。そしたら、産めますか?」とたずね、もし産めないのなら、これではいけないのでは、という警告を行います。

 私はすべての若者が避妊を学んで大人になることを悲願にしています。すべての、と言うからには、だから、義務教育で、ということなのですが。でも、今のカリキュラムでは、すでに述べた様に避妊は高校で「家族計画」として教えるようになっています。高校だと、高校に行かない子や中退する子は、こんな大切なことをちゃんと学ばないまま、社会に出、性を実行するようになってしまいます。知らないまま実行することの悲しさを、私は、いやと言うほど診て来ました。「ほとんどの人がいつかは、きっと避妊が切実になる時が来るから。だから、今、避妊の話をしておくよ。」と言って私は若者達の避妊の話をします。具体的には、4月27日のブログに書きましたので、繰り返しませんが。

 話す内容です。私が診た10代の少女達が1000人になった時点でのデータです。1000人のうち、709人に性交の経験がありました。その彼女たちの避妊法と、そのうちの実際何人が妊娠していたかという妊娠率を調べました。女性は10代ですから、10才から19才まで、職業ではやはり高校生が一番多い。そして、たとえ生理痛で来ても、過去に性交の経験がある人は全部このデータに入れていますので、若干妊娠率は低く出ています。ですから、絶対数より、比較を聞いてほしいのです。そして、相手の男性です。私は若年の性というと、いつも女の子の事ばかり言われるのが不満です。相手もちゃんと見ないといけない、と。だから、私は、必ず相手についても尋ねます。

 10代の少女達の性の相手の男性は半数を超えて、20才以上の大人です。職業で言うと、圧倒的に、4人のうち3人、75%が社会人でした。

 一番多いのが避妊していなかったと言うもの。避妊していなかった人の妊娠率は38%。次に、コンドームを使ってはいるけれど、「使ったり使わなかったり」するというもの。コンドームは多くの人が使ってはいますが、でも、毎回ちゃんと使っていない。実にちゃらんぽらんな使い方をしているのです。この人たち妊娠率が34%。避妊していなかったという人とたった4%しか差がありません。と言うことは、一回でも手抜きをすると、ずっと避妊していないのと同じような意味になってしまうんだよ、ということなのです。そして、これまた、困ったことなのですが、すでに述べました。アダルトビデオの影響だと思います。膣外射精。これの妊娠率が29%。やはり100人中30人近くが妊娠していました。

 さすがに、コンドームを毎回かかさず、ちゃんと使ったと言う人は、ぐっと妊娠率は低く、それでも13.5%という数字が出ました。この方達はお気の毒で、「どうして?ちゃんと避妊していたのに。」と嘆きます。どうしてと言っても。コンドームの避妊率は一年間で85%と言われています。100カップル中15カップルに妊娠が成立すると言うことですね。それと本当に近い数値、13.5%と言う数値が私たちの所でも出ました。

 中には、コンドームが破れたとか、はずれてしまったという気の毒な方もいます。もしも将来、レイプされたとか、コンドームが破れたとか、ハプニングが起こった時、その時には出来るだけ早く、遅くとも72時間以内にできれば48時間以内がいいのですが、産婦人科に駆け込みなさい。緊急避難としての緊急避妊薬を処方して下さるでしょう。でも、「避妊しないでセックスしたから、薬を下さい。」では、ダメですよ。これが避妊法だと思ったらいけません。大量のホルモンをどーんと飲みますので。はきけがしたり吐いてしまったり大変なのだけれど、それでも、レイプされた、妊娠、中絶という二重三重のダメージよりは、それよりはせめて妊娠だけでも防ぎましょうとしてあるものなのだから。

 それから、安全日、危険日、いわゆる荻野式。これほどダメなものはありません。人間の体は機械じゃないのだから。機械だって時々は故障するのに、ましてや、女性の体は微妙なホルモンで左右されているのだから。それも、脳から出るホルモンに。ちょっと憂鬱なことがあったなら、ぐっとホルモンの出が押さえられたり、わあっと興奮すると、わあっとホルモンが出たり、ということが、日常的に起こることなのです。だから、女性の体はいつでも妊娠可能な体と思っていつも避妊しなければならないものなのです。安全日危険日で避妊したという人は少なくて、9人しかいなかったので、統計的意味を持ちません。(危険な時だけコンドームという人はコンドーム時々という所に入れましたから)だから参考までにですが、9人のうち、実に7人が妊娠していました。77.77%。こんなの、避妊とは言えません。

 こんなものなのですよ。多くのカップルが沢山こどもを産まなくなった今、避妊というのは、とてもとても大切なものなのだけれど、でも、未だに100%安全で100%確実な避妊法というのは、ザンネンながら、まだないのです。ピル、経口避妊薬、これは、女性が確実に飲んでいれば、まず確実に避妊ができる、と言う意味で、女性には大きな福音なのです。次回、ピルについて話します。

(今日、福岡空港から、ソウルに行きます。台風が心配なのですが。ソウルのホテルから、ブログが送れるでしょうか。パソコンはもって行きます。どうしても、今週中に性教育について、きっちり話し終えておきたいので。ピルのこと。出会い系サイトのこと。それから、大人の性についても。ソウルで頑張ってためして見ます。送れなかったら、ザンネンだけど、帰ってからまた送ります。)

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若者の無知(4.人工中絶は殺人?)

 教育現場でよくやられていることなのですが、「中絶は殺人。不妊になる。女の心と体を傷つけるやってはならないこと。」こう教える方達は、「中絶があるから若者が性行動を取る」「中絶でおどせば若者は行動を取らなくなるだろう」という目論見が見えます。

 ところが、これは全く効果を見ません。だって、すでに述べたように、若者たちは、「性は生殖」ということがちゃんと分かっていません。もちろん、「性交によって妊娠する」ということはだれでも知っていますが、それが自分のものになっていません。自分の行動と結びついた力としての知識になっていません。「これで私が妊娠するんだ」「これで彼女が妊娠してしまうんだ」と。

 そんな彼女、彼らがいざ妊娠してしまう、そこで初めて自分の甘さを知り、涙することになるのです。そして、「赤ちゃんを殺すのはいや。」産んでも育てるだけの力もないのに、「産む、産む」となっても当然だと思います。

 私は、人工中絶は、産んでも育てられない妊娠をしてしまった女性の(男性のではなく)救済策としてある、という一面もあるということを、話してあげないと卑怯だと思っています。だって、いざ妊娠してしまったら、大人達は一斉に「堕ろせ、堕ろせ」と言うのですから。もちろん、あんなもの、受けるより受けない方がいいに決まっています。それは、つらいから。みんな泣きながら受けています。でも、「人工中絶を受けたから、彼女は殺人者。それで彼女の人生はもうダメになってしまう」訳では決してない、と思うのです。

 後は、一刻も早く立ち直って強く生きて行くこと。その為に、何が必要なんだろうか。それには、二度と繰り返さないと決心することだが何より必要だと思っています。彼とのこれまでの関係の見直し。「彼とはこれからも付き合うのか、別れるのか。付き合うのだったらセックスは?これからもするのかどうか。自分に取って本当に必要な物なのか。もし、するのであればこれからの避妊は?これまでの避妊の何がいけなかったのか。これからどうするのか。彼とそれをどう話し合っているのか。」これらをしっかりと話し合います。

 私たちだって、好きでも何でもありません。しなくてですめばそれに越したことはありません。でも、私たちがもし、「これで人工中絶はおしまいです。もう、私たちは二度と人工中絶はしません。」と、道具を捨てることが出来る時が来たとしたら、その時は、「望まない妊娠をする女がいなくなった時。望まない妊娠をさせる男がいなくなった時。」その時こそ、私たちは心からの笑顔で人工中絶終了宣言をすることが出来るでしょう。

 アメリカではブッシュ政権の元で、宗教団体が主張する禁欲教育を推進してきたせいで、実は、またアメリカでのエイズ患者が増え続けていると一昨日、HIVの専門医の講習でならいました。でも、アメリカの人工中絶を厳しく禁じている宗教が強い地域では、一方で、たとえば保育所のついた高校などが沢山あって、出産しながら学業も続けられるようなそんなケアがなされています。

 日本の宗教団体では、このような手当もしないままに、ただ、アメリカの宗教団体のまねだけで、ただただ「セックスはしてはいけません。」と、そのような教育をせよ、避妊を教えると避妊してのセックスをしたがるから、と、このような圧力を掛けています。これでは、傷つく若者達が増え続けて行くだけだと思っています。

 そして私は、このような人工中絶や出産、養子縁組などでつらい思いをするのも、女だから。これらの意味も含めて、「身ごもる性を持っている女は自分の体に責任を持て。身ごもらせる性を持っている男は女の体に責任を持て」といい続けなければ、と思っているのです。

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若者の無知(3.人工中絶が出来ない)

 若い人が、妊娠してるのではないかと言って来院した時に、最終月経からずいぶん経っていることがあります。私は、ドキドキします。間に合うのだろうか、と。

 多くの大人達は誤解しています。今時若者の性というと、どこか、家庭的の問題のあるつっぱりさんが、出会い系サイトだの、不特定多数ととか、時には薬物を伴ったり、とか、非行として捉えています。たしかに、うちの来る子の中で売春している子とかいますが、ごく一部です。そして、そんな子は、まだ安心なのです。友だちについて来てもらって、産婦人科を受診することが出来ます。叱られることを覚悟して、「お母ちゃん」と、SOSを求めることも出来ます。でも、これまで何ごともなくすくすくと来た子ほど、大変なことになったというのが先に立って、自分一人で抱え込みます。一人で病院に行くこともできず、誰かに助けを求めることもできず、ただ一人抱え込んでいるうちに、あっという間に時は経ってしまいます。来た時には、遅い!もう産むしかない、と言うそんな時、これが私は怖いのです。

 こんな子に出会って見て思うのは、例えば「妊娠週数、月数の数え方」「出産予定日はいつごろか」「いつまで人工中絶が可能なのか」そんなことを何にも知っていません。例えば「妊娠する原因になった性交から、二週間、二週間前を思い出してごらん。つい、この前でしょう。性交から二週間経った時点ですでに妊娠二ヶ月と言うんだよ。」と言うと、生徒達はがやがやとなります。まして、出産の予定日なんて、10ヶ月ではありません。性交から、8ヶ月と少しで予定日は来ます。この特殊な数え方を知らないと、性交から一ヶ月経ったから妊娠一ヶ月、二ヶ月経ったから、妊娠二ヶ月と、これが当たり前の数学の数え方なのですが、そう思っていると、とんでもない。そして悩んでいるうちにあっという間に時は経ってしまいます。やっとの思いで来た時には、もう遅い!となってしまうのです。

 産むしかない!こうなってしまうのは、本当にそれまで何事もなく来た子達です。家庭的にも問題のない、学業もちゃんとしている、そんな子が突然、子どもを産まなければならなくなったなら。本当にその一家は大変なことになってしまいます。こんな出産をしなければならなくなったのは、ほとんどが中、高校生ですが、私は小学生の出産にも二人関わっています。最低年齢は、11才。5年生での妊娠です。小学生の妊娠は、まず100%出産となります。誰もまさか小学生が妊娠しているとは思いません。生理が不順でも当たり前です。あっと廻りが気づいた時には、遅かった、ということになります。

 もうすぐ、高校の受験がある子、大学の受験がある子もいました。こんな子が、途方にくれて、子捨て、子殺しの犯罪者となったり、自殺に追い込まれたりするのです。私は、自分が関わった人の中から、犯罪者と自殺だけは出したくない、と、それが最低限の私のスタンスであると考えて来ました。何があっても、助ける。「こんなことであなたの人生がダメになってしまう訳では決してない。道はいろいろとあるから」と。

 出産しなければならないのなら、その赤ちゃんをどうするか。誰がどこで育てるのか。そして、もし、その子が学生であるのなら、学業はどうするのか、学校や廻りにはどこまで知らせるのか、知られないようにするにはどうするか。具体的に肉体の隔離だけでなく、住民票の移動、戸籍の移動など、何でもします。何をしてでも知られない工夫が大切になる場合もあります。

 私は、これまで60人の赤ちゃんの養子縁組のお世話もして来ました。国内にも国外にも、いろいろな所に赤ちゃんが引き取られて、そして大切に育ててもらっています。その後の報告を戴いていますし、会うこともあります。赤ちゃんは大丈夫。でも産んだ女性は。

 私はいろんな女達に出会って来ていますが、育てられない出産をしなければならないほど、悲惨なことはない、と思っています。みんな、産まなければならないと分かった時点で何とか自分で育てたい、と言います。では、どんな方法で。もし、相手の男性が

「よし、分かった。赤ちゃんが生まれるのなら、頑張って二人で働いて二人で育てよう」

と言ってくれたなら、いろいろと大変ではあっても、結果的には笑顔で赤ちゃん抱いて退院していけます。でも、もし、男性が困る、と言ったなら。赤ん坊なんて、自分にはまだ育てられない、と言ったなら。今の日本の社会で女一人で子どもを産み、育てるには、年齢的にしっかりして、職業、収入もあるのなら可能でしょう。でも中学生や高校生が一人で産み、育てるにはこの日本の社会はあまりに冷たい社会です。まず、不可能と言っていい。

 さんざん、悩んで苦しんで、そのあげくでのこどもを手放す、という結論です。彼女達は、みんなどれだけ泣いたことか。泣き泣き赤ちゃんを手放していきます。私は、そんな彼女たちのしんどい姿を本当に見て来ました。

(今回は長くなりました。明日は、いや、もう今日ですね。ある県で朝から夕まで講演をします。そのために、ホテルに入っています。移動のために安倍首相の退陣のニュースがほとんど見られなくってザンネン。また、この続きをお話します。)

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若者の無知(2.性の関係を考える上での大原則)

 先述の高校生カップルにも見られるように、若者達の無知の第一点は「性は生殖である」ということです。そして、その第二点。またあたり前の事を言う様ですが、「妊娠は女のみに起こることである」と言うことなのです。私は中、高校生に言います。

「女性のみなさん、もし将来好きな人ができて、その人と一対一のお付き合いをするようになったとする。好きな人とつきあえるのは、本当に大きな喜びで、世界が輝くよね。でも、そのお付き合いが進んで行くと、そして、また、今、これがとっても短くて、まるでつきあうと言うことはセックスもすることみたいに捉えている人がいるけれど。いつかきっと彼に求められる時が来るよ。君を抱きたいって。

 恋愛関係の中での性、いざ好きな人と向き合った時の性というのは、これだけ女が強くなった、積極的になったといわれても、未だに、彼が求め彼女が応じて行く、と言うパターンを取っています。その時には女性のみなさんは、自分で自分に問いなさい。今、自分は妊娠してもいいのか、したら産めるのか、育てられるのか。学校に行っていたらどうするのか。それを本気で考えなさい。行動を取る前に。後で考えたのでは遅いのよ。

 そして、もしダメだと思ったら、それをはっきり口に出しなさい。少なくとも、妊娠は困るくらいのことは言わなきゃいけない。これが言えないんですって。好きな人には。言えなかった、言えなかった、というんだから。言えないんじゃすまない。自分のこと、自分の体の事なんだから。言いたいことも言わないで黙って彼のいいなりになるのがいい女、かわいい女と思ったら、大間違い。これからの女はね、自分の頭で考えて、自分の言葉で語る、自分自身をしっかり主張すること。好きな人の前でこそ、自己主張しなさい。そうして初めて、彼と話し合いをしてのコミュニケーションが取れ合った言い関係が出来ると思うよ。」

「男性のみなさん、将来、好きな人が出来て、そして彼女を抱きたいと思う時がきたら、その時には彼女の体を考えなさい。結果が起こるのは彼女なんだから。彼女は今、妊娠してもいいのか、産めるのか、育てられるのか。彼女、学校に行っていたら、それはどうなるのか。それに対して、自分はどう関わっていけるのか。それを本気で考えなさい。後で考えたのでは遅い。行動を取る前に。そして、もしダメだと思ったら、彼女の体に対して責任が取れる行動をとりなさい。それが男性としての責任というものだと思うよ。」

 要するに、性の関係を考える上での大原則、それは「身ごもる性を持っている女は自分の体に責任を持て。身ごもらせる性を持っている男は、彼女、女の体に責任を持ちなさい。」ということなのです。これは、女のみが身ごもるという、おそらく、将来どれだけ科学が進んでも変わらないことから来る原則だと思います。

 これが言いたくて、私は「さらば、悲しみの性」も書いたのです。だって、若者の性は(実は大人の性もなのですが)これが逆転しているんですもの。

 こんなことを私は若者達に言います。私は決して「お互いにお互いを大切にしなさい。」とは言いません。今の状況を見ていると、女性は男性の希望を大切にしなさいとは言わなくていい、とさえ思います。これは、しっかりと二人の関係性が出来上がった時に初めて言えることであって、まだ若者のうちには、これくらい「女性は自分の体に」「男は彼女の体に」ということを言わなければ、と思っています。

 それも、具体的に。ただただ「体を大切にしなさいよ。」だけでは、観念論になってしまいます。具体的な行動を示さなければ、と思っています。(次回は、これをもう少し深めます。)

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若者の無知(1.性は生殖)

 若者は無知である。無知であるからこそ、行動がとれる。知れば知るほど行動は慎重になるはず。と、私は言いました。では、どこがどう無知なのか。

 何よりも、「性は生殖である」ということ。これが分かっていない。「いいか?性というのはね、本来生殖行為なの。望むにしろ望まないにしろ、たった一回だって、例え無理矢理レイプだって妊娠はする。妊娠する行為なんだよ。これをしらないといけません。」と私は生徒達に言います。「一回のセックスで妊娠する確率はどれくらいだと思いますか?ここに、妊娠が可能な年齢の女性が100人いる。その100人がみんな一回ずつセックスをしてきたとする。周期的には月経中の人も後の人も前の人も、いろいろといたとして。さあ、その中の何人に妊娠が成立するでしょうか。」元気のいい学校の生徒だと、「5人」「3人」といろいろと声が上がります。

「30人。一回の性交で妊娠する確率は30%と言われています。100人中30人の女性がたった一回で妊娠する。それくらい妊娠と直結する行為なんだよ。何回も何回もしているうちに、たまたま運のいい人か、悪い人が妊娠するものらしい、なんて考えていると、とんでもない。」

 生徒達は、何よりこれにびっくりしたと言います。だって、これまで言って来たように、H雑誌やHビデオなどには、妊娠や避妊のかけらも出て来ないのですから。

 先日の高校生2年生と3年生のカップル、一月前に中絶をしたのに、その二週間後の性交で、また妊娠しています。その彼が私に言いました。

「僕は分からんじゃないですか。彼女が大丈夫だというからですよ。」

「分からんじゃすまないでしょう。高3にもなって、現実に一回妊娠させてるんでしょう。だって、彼女は堕ろしたばかりなんだよ。かわいそうに思わんか。もう二度とそんな思いはさせてはいけないとそう思わない?」

 でも、彼は、「一度堕ろしてつらかったから、今度はもう産みたい」という彼女に、「そんなことを言う女とはもうつきあえん。」と言います。彼の母親は、「うちの子の妊娠だと、どうしてわかるんですか。証拠があるんですか。」といいます。

 現場では、こうなのです。こんな状況が繰り返されているのです。もし、一回目の中絶を私の所でしたのなら、私は、絶対にこんなに立て続けに妊娠をするようなことはさせていません。二度と繰り返さない様、後のケアをちゃんとします。私は、彼女に、「人を見る目がなかったね。」と言いました。「だって、彼と彼の親に会って、これはダメだと思ったよ。痛い勉強をしたと思わないと仕方ないね。」と話しました。彼女も無知。彼も無知。でも、その結果を背負うのは、ひたすら女性なのです。

 無知の第二点。それは、「妊娠は女性のみがするんだよ」という、この当たり前のことがちゃんと分かっていないということなのです。これを次回お話します。(延々と性教育について話しています。もう、うんざりですか?すみません。どうぞ、もう少しお付き合い下さいませ。)

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今、若者はアダルトビデオで学んでいる

 若者達が性情報を得る先は、雑誌から、友人から、であり、中学の後半になるとアダルトビデオから、というのもぐっと増えて来ます。今、若者たちはセックスの仕方をAVで学んでいます。若者の性がずいぶん変わって来ました。以前にはなかった現象です。

「セックスで出血する」と言って来る人たちがとっても多いのです。そういう患者さんは、毎日来ます。今、私は分かっていますので「彼氏が指を入れた?」と聞きます。男性が指を入れて、引っかき回して、爪で子宮や膣壁を傷つけるのです。そんな患者さんは、中に、いっぱい傷を作っています。「指なんか入れたらいけん。危ないのに。」と私は言います。アダルトビデオのまねをしているのですね。柔らかく、血管に富んだ膣を爪でひっかいたらいけません。せっかく、ペニスの先は柔らかく、丸く、膣を傷つけない構造になっているのに。

 今、ほとんどのAVでは、前戯といえば、指を入れています。女優さんは感じた演技をしています。でも、アダルトビデオの男優さんは、女優さんを傷つけないように、爪がないくらいに深く切り上げています。何年か前に、大阪のテレビ局で、吉本の番組でした。性の悩みに答える番組で「カリスマAV男優」と言われている、加藤鷹さんと共演したことがあります。(テレビの番組ですよ。AVの共演ではなくって、ザンネンー冗談です)その時に、この話になって鷹さんが、両手を広げて爪を見せてくださいました。本当にすごい深爪でした。でも、AVの中で、「さあ、みなさん、こうして爪をきりましょう」と見せる訳ではありません。多くの男性達が長い爪のママで、AVのまねだけをしている、浅はかで危険な行為をしています。

 アダルトビデオはセックスの仕方を学ぶものでありません。これは、演技の世界です。大人の男性の娯楽として、ほとんどはマスターベーション用に作られているものです。そして、多くは(すべてとは言いません。鷹さんのAVは素敵なのだそうですが、私は鷹さんのAVは見たことはありません。が、彼についての本を読むと信じられそうです)とても乱暴で、まるで女性に暴力をふるっているかのようなシーンに終始しています。女性の立場からすれば、こんなセックスは、したくありません。

 そして、AVの中で行われているのが、「膣外射精」。若者たちは、「外出し」と呼んでいます。これは、けっして避妊の為に行われているのてはなく、「一つの物語が完結した」ことを見せるためなのだそうです。それも、時には小麦粉を水で溶いて、注射器で飛ばしてみせると言うこともあるそうで。演技の世界は、そんなものなのですね。

 それを若者たちは、そうするものだとでも思っているのか、女性のお腹にこぼしたり、顔にかけたり、女性に飲ませたりしています。本当に、勘弁して欲しい、と思います。「膣外射精」で避妊をしているつもりだと、間違いです。私は「妊娠するよ。妊娠してもいの?」とそのつもりでいる患者さんに尋ねます。私のクリニックでのデータでは、膣外射精の妊娠率は、29%。100人中30人近くが妊娠しています。

 ところで、「すっごくいやなんだけれど、頑張って彼の精液を飲んでいるのに、妊娠しない」と言って来たエリートのカップルもいました。そうですね、一体、かれらは何でセックスの仕方を学べばいいのでしょうか。これだけの情報社会なのに、まともなのがないのでは、と考え、私は5年もかけて、出版社の編集者と話し合いをつづけて「初めてのセックス」という本も書きました。その中には、「性は人権である」とか、「性は非売品である」ということも、しっかり書き込んだつもりです。大切なメッセージをしっかり送ったつもりなのですが、これすらもバッシングの対象になってしまいました。そして、あいもかわらず、若者達がAVのまねをし続けているのです。

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家庭での性教育(2.自然に覚えるということ)

 以前、国会の場で当時の小泉首相が「私たちの時代には、性教育なんてなかったですよ。それでも、ちゃんと大人になったし、自然に分かりましたけどね。」と答えました。今も大人の中には、わざわざ知らせなくても、という人たちがいます。それどころか、知らせることによってそそのかせる、刺激する、と有害論を主張する人たちも。

 自然に分かるということ。そうですね、これだけの情報社会なのだから、子どもたちもいっぱい情報を得て、多くのことを知っているかのように見えます。本人達もそう思っています。講演に行っても、「なにもこんなに座らされて、二時間も話を聞かされなくったって、もう知ってるよ。」という生徒は沢山います。

 その自然にわかる、と言うことなのですが。自然に教えられるその相手は何なのでしょうか。これは、生徒達のアンケート調査で明らかです。「あなたはどこから性の知識を得ましたか」、という質問の答えは、やはり雑誌から、友人からであり、中学生後半になると、これにAV、アダルトビデオも入って来ます。

 私たち、性教育に携わっている全国の産婦人科の医師がネットワークを作っています。年に何回か会合をし、研修や情報交換をし、お互い励まし合って、また全国に散って行きます。ある会の後の懇親会で、東北の若い勤務医のドクターが壁にスライドを映して、「みなさん、これを見てください。一枚だけですから。」といいました。「僕の小学校一年生の娘が読んでいた雑誌です。」と。それをデジカメで撮ってスライドにしたのですね。

スライドでは、雑誌を開いて、二ページを一枚に映してありました。その記事のタイトルが、「小学校卒業までにくわえたおちんちんが10本」というものだったのです。そのドクターは、もう、びっくりしたと。さすがに私たちも、うーん、と、うなりました。そして、中の一人が「おい、そのスライド、国会へ持って行け。行って、○○議員に見てもらえ。」といいました。○○議員というのは、先ほどの小泉首相に質問をした議員です。宗教団体の支援を受け、性教育に反対をしている議員です。

 このような情報を子どもたちに垂れ流しているのは、大人です。雑誌やAVには、性感染症も避妊も出て来ません。妊娠してどうしよう、と悩む女性の姿も出て来ません。それらから情報を得ているからこそ、私は、真っ正面から、まともな情報を与えて、そして「情報を選択するちから」を身につけて欲しいのです。そのような社会に溢れている情報により、すでに子どもたちはしっかりそそのかされています。その彼らに、まともな情報を与えてはいけない、とされているのが現状なのです。

 私が講演で話した後、感想文に、「自分は全然知らなかったということがよく分かった」とか、「体や性を大切にしたい」と、多くの生徒が書いてくれています。その彼らの感想文がまた私のエネルギー源になっています。(まだつづきます)

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家庭での性教育(1.幼児期から)

 性教育については、まだまだ沢山お伝えしたいことがあります。幼児期からの家庭での性教育、若者達は無知である。無知だからこそ行動かとれる。知れば知るほど行動も慎重になるということ。 若者達の情報は雑誌や友人やアダルトビデオから。それらには、性感染症だとか、妊娠や避妊なんて全く出て来ない。では、どこがどう無知なのか。さらに、こどもが思春期になった時の子育てについて。それから、出会い系サイトについて、等々いっぱいお伝えしたいのです。

 どれからお伝えしようか、迷ってしまいます。まずは、幼児期からの性教育についてにしましょうね。よく、難しい、どう教えればよいのか、と言われます。でも、私は決して難しい事ではない、それは、子育てそのものだから、と思っています。こどもというのは、外界の様々なことに疑問を持つ。その疑問の答えを得ることで成長していきます。だから、口が回るようになった時から、質問攻めですね。これなあに?どうして?と。そして、親の大切な仕事は、その質問に対して、こどもが分かるように、説明をしてあげること。こどもの疑問は必ず、赤ちゃんとか、命とか性器などにも向けられます。

 「お兄ちゃんにはおちんちんがあって、どうして女にはないの?」とか、「どうして男は立っておしっこをして、女は座っててするの?」とか。それから「赤ちゃんはどこから生まれるの?私はどこから来たの?」これは、5才までに85%の子が、6才までには、ほぼ100%の子がいつかは質問をすると言われています。早い子は、3才で。

 そんな質問が出た時に、逃げないで、ごまかさないで、おめめをみながら、本当のことをちゃんと答えてあげる。それがすべてなのです。それをすれば十分なのです。

 逃げたりごまかしたりしたら、こどもは敏感ですから分かってしまいます。ああ、お母さんは困ってる。こういうことは親には聞いてはいけないのだな、と。その時から、自分での答え探しが始まります。探す所は、雑誌から、友人から、ですね。それを考えると、やはり頑張って答えなければ。

「赤ちゃんはね、女の人の性器から生まれるよ。あなたは、ママの性器から生まれたよ。だから、性器は大切な所だから、いつもパンツをはいて守っておこうね。(恥ずかしい所だから隠しておこうねではなく、大切な所だから、です)はパンツはね、お風呂に入る時とトイレだけ、ぬいでもいいけど、他は脱がないでね。」

 こども達の中には、子どものことだから罪はないけれど、時には性器を対象にした遊びがあります。3才の子で血と膿でどろどろになった性器を、麻酔で眠らせてそっと調べたら、金属製のおもちゃが出てきたこともありました。お兄ちゃんたちとの遊びの中で入っちゃったのですね。石っころが入っていたこともあるし、おもちゃの指輪が入っていたこともあります。

 男の子には、「おちんちんの後ろの卵?たまたま?呼び方は何でもいいです。そこには大人になった時に赤ちゃんが出来る元が入っているからね、大切にしようね。そこは大切な所だから、打ったり蹴られたりしたら、とっても痛い。そうしないように、痛く作ってあるんだね。」

と、そんなことが教えられる素晴らしい質問なのです。それに、こどもにとってはすごく当たり前の、自然な質問なのですね。それなのに、お母さんのおへその下がぱかっとはじけて生まれたとか、橋の下で拾って来たとか、畑で取って来たとか、病院でもらって来たとか、まあ、そんなうそばっかり言って。答えるのを躊躇するのは大人の側がいやらしい事だとか、恥ずかしいこと、隠さなければならないこと、と考えているからでしょう。そうではなくって、大切な事なのですから。正面からちゃんと答えれば良いのです。

 こども達も情報社会です。一クラスに30人いれば、一人が得た情報は30人に拡がる、情報収集力は30倍あると考えたほうがいいですね。そうして答えていれば、外で得た情報をうちに持って帰ります。「ねえ、お母さん、本当?お友達がこんなことを言っていたのだけれど」と。あまりまともなことを聞いて帰りません。そんな時こそ、軌道修正ですね。正しいことを、大切なことを真っ正面から答えてあげる。それで、十分なのです。

 そうして答えてあげるのも、小学校のうちがせいぜいです。中学校、思春期、さあ、そろそろ何か教えなければ、となってもそれでは遅い。それまでが勝負だったのです。小学校のうちにどれだけのことを話して、話が出来る関係を作っていたか、というのが。もちろん、遅いから手遅れです、というのではありません。ただ、中学生にもなると、何か本を渡すとか、媒体を使った方がいい。それと、やはり学校教育に期待したいですね。(また、続きを話します。)

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ペニスのサイズと包茎(2)

 前回はペニスのサイズについて書きました。思春期の悩みというのは、大人になったら、どうしてあんな事であんなに悩んだのだろうかと思えるような些細なことでも、大きく増幅されます。つまんないことでも、本人に取っては、自殺を考えるほど大きな悩みになったりするものなのです。

 今回は包茎について。これも深刻です。今、若者向けの雑誌には、美容整形外科の包茎の手術の宣伝が満載です。多くの若者が必死でアルバイトをして、高いお金を出して美容整形外科でへたな手術を受けて。包皮を切りすぎてしまうのですね。その後もペニスが発育して包皮が足りなくなって、勃起したら痛くてセックスも出来なくなってしまったという、包茎の手術の被害が思春期学会で問題になってもう10数年経ちます。今では、包茎の手術の被害者の会も作られているくらいです。ちなみに、今、Googleで「包茎 手術 被害者」で検索すると、63100もヒットしました。さまざまな痛恨の声が披露されていて、痛ましいことです。

 私の大学の後輩で、今、神戸で泌尿器科のクリニックを開業している石川英二先生が「切ってはいけません!日本人が知らない包茎の真実」(新潮社)と言う本を出版しています。本当に、よくぞ書いてくださった、と、この本をよんで、拍手をしました。

 ほとんどの包茎は手術はしなくていいのです。日頃、ペニスは皮をかぶっててもいいのです。勃起した時に亀頭という頭の部分が出てくれば。または、手を使って引っ張って亀頭が出てくれば、それでいいのです。もし、まだ出てこなくても、毎日お風呂に入った時に引っ張る。そして、洗って元に戻しておく。これを繰り返せば、段々と穴が拡がってやがて亀頭が露出する様になります。もしも、くっついたりしていて、小さな穴しかなくって、洗えないために垢がたまって、亀頭包皮炎という、ペニスの先が赤くなって痛くて、という炎症を繰り返す人、こういう人は手術をした方がいいかも知れません。

 でも、そういう人は、どうぞ、美容整形外科の宣伝のフリーダイアルなどに電話したりしないで。電話をすると、かならず、「手術が必要です。病院に来なさい」になるのだから。もしも、自分は手術が必要なのかも、と悩んだなら、そういう時には、どうぞ、泌尿器科に行って診てもらってください。そして、もしも手術が必要と言われたなら、どこで手術をうけたら良いか、そのドクターに尋ねなさい。

 私は、中高校生に話す時にはこんなことも必ず話す。以前、本で、美容整形外科のドクターが、「若い女性は二重まぶたなどのプチ整形で、良く来るようになった。でも男が来ない。どうやって若い男をこさせようか、と考えた時に、包茎の手術だ、と思い当たった」と、とくとくと話しているのを読んだことがある。ああ、そうだったのか、美容整形外科の経営のために、こんな大宣伝をしているのか、と知った。

 先述の石川先生の本には、欧米の男の子が生まれた時にすぐに包皮の手術をする、いわゆる「割礼」についても詳しく書いてあって面白かった。今、赤ちゃんの時に包皮を手術した男性が、大人になって何とか包皮を伸ばそうと、苦労している話や、これは、キリスト教で罪悪視されている、「マスターベーションをさせないために」親が手術を受けさせるのだと言う説などが紹介されている。私は、欧米の方のお産に何人も立ち会って、男の子の場合、生まれてすぐに包茎の手術をして下さい、と頼まれていた。なるほど、合理的なことだわ、これで彼らは思春期になっても悩まなくですむわ、と思っていたのだが、そうではないということ改めて知った。

 それにしても、このように、ペニス大きさや包茎のことなどは、子育ての中で、まだこどものうちに、ペニスも発育しないうちに、ちゃんと教えておいてあげるべきことなのだけれど、どうも、日本の家庭では、このあたりをちゃんと伝えていないようだ。だから、思春期になって悩んでしまうのだと思う。思春期になると親にはなかなか相談出来ない。だから、早いうちに、という事なのだけれど。

 それから、言葉の問題だけれど、今、学校現場では、セックスや性交という言葉が使えない、と以前話した。それが、今、ペニスも使えなくなったのだ。何て言う?実は、「陰茎」と言わなければならなくなった。なぜ?「医学用語」を使うようにと。ペニスって医学用語なのですが。そしたら「わざわざ英語を使う必要はない」のだそうだ。でも、学校でノートブックだとか、サッカーだとか、コンピューターだとか、いっぱい英語は使われているはずなのに。どうして、ペニスだけだめなのか。ペニスはわいせつと。私、「陰茎」、陰の茎と言う方がよほど変と思うのだけれど。

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ペニスのサイズと包茎(1)

 前回、私は電話相談での男の子の悩みのトップはペニスについてであると言った。それも、サイズ、自分のペニスは小さいのではないか、というのと、包茎である。これらは前回のマスターベーションの悩みよりうんと深刻である。

 この日本には、性に関してのうそがいっぱい。その嘘の最大のものがペニスは大きいほどいいと言うものであろう。この嘘には、まず男性が毒されている。ベニスが大きいだけで、まるでその人が立派な人であるかのように、尊敬のまなざしを送ったりする。「あいつのはでかい」と。女性も良く分からないままに、「大きいのがいいのか」と思わされている。そして、今や子どもの世界まで。幼稚園、保育園あたりでもうペニスの大きい子が威張っていたり、小さい子は「僕のは小さい」とコンプレックスをもったりする。そんなコンプレックスを持ったまま大きくなるのはしんどい事だろうと思う。

 これは一体なんなのか。どこから来ているのか。いろいろと調べたけれど、どうも、これも嘘から来ていると確信を持った。「ペニスが大きいほど、女が喜ぶ」と。とんでもない。女性の立場からすれば、素敵なセックスが出来るか否かなんて、ペニスの大きさなんかではない。絶対に違う。女性に取って大切なのは、何よりも自分で自分の体をちゃんと知るということ。自分の希望も知ること。そして、それを相手にどう伝えることができるか。これが難しい。お互いに自分の希望を伝えあいながら、実行しあう。まさにコミュニケーションの問題なのだ。

 もっと言うなら、女性の膣にはほとんど神経がない。だから、タンポンを入れたってなんにも感じない。お産で破れたり切られたりした人を縫合する時、麻酔をするのは表面の皮膚だけだ。膣も子宮に向かって破れたり切れたりしているけれど、それは全く麻酔なしで縫合しても、びくともしない。痛くも何ともない。そもそも神経がないのだから。

 だから、どんなサイズのペニスだって全然関係ない。そもそも女性の性器は外側が肝心なのだから。今時の若者はマニアル世代だから、基準を言う。「ペニスはね、勃起した時点で 4センチ。4センチあれば十分に機能も果たせるし、素敵な性も出来るのだから。心配な人は帰って測ってごらん。ほとんどの人がクリア出来る大きさだし、そこまでのサイズがまだない人も、これからまだ発育するから、それに期待してね。」と言う。

 ある南の島の、空港からレンタカーで延々と山の中に入って3時間。ある村の青年団に話しに行ったことがある。そこでもこんな話をした後、青年二人が尋ねて来た。質問があります、と。「先生が4センチと言ったのは、アレは直径ですか。」と。「ええっ!」私は直径なんて思いもよらなかったから、本当にびっくりした。「実は僕は、ペニスが小さいと悩んで来ました。僕の長さは8センチなんです。だから、僕は一生結婚しないと決めて生きて来ました。でも、先生が4センチでいいと言ったから、もう、信じられなくて、だから、きっとこれは直径だと思いました。でも、こいつは長さだと言うし、どちらなのか聞きに来ました。」と。私は「ごめんなさい。長さよう。」と言ったら「じゃあ先生、今度から講演する時には必ず長さが4センチと言って下さい。僕みたいに誤解する子がいてはかわいそうだ。」という。私は、「ありがとう。」と言ったのだけれど、胸が痛かった。

 だって、彼は38才だそうだけれど、こんなことで人生を決めてしまって。「結婚しないで生きる」と。女性に取って大きさなんてどうでももいいことなんだよ、と彼が知っていたら、また、生き方も変わったかも知れないのだから。       (また、次回に続きます。)

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男の子の悩み

 昨日の生理痛については沢山のコメントを戴いて、やはりみなさん、間違って捉えられているというとを再認識した。今日は、男の子編。

 全国沢山のところに、若者向け、子ども向けの体や性の悩みの電話相談が設置されている。そこのどこをみても、女の子よりも男の子のほうが沢山電話を掛けている。そう、男の子の方が悩んでいる、といっていい。男の子の悩みの中には、時には「彼女が妊娠したらしいのだけれど」とか、「避妊の仕方を教えて」とか、言うものもあるけれど、そんなのはほんの少数。

 男の子の悩みは圧倒的に二つ。一つは「性器」の悩み、もう一つが「マスターベーション」の悩みである。マスターべーションの悩みはほとんど「害はないか」というもの。害なんてないことはもう分かっているのに、みんな悩んでしまうみたい。これは、自分で自分の性欲を解消させる合理的な方法でもあるし、大人になるプロセスでもとても大切なものである。マスターベーションを罪悪視しないで欲しい。「害はないよ」でよろしい。しすぎると頭が悪くなるとか体に悪いとか、未だに非科学的な迷信に惑わされている若者達がいる。体が調整してくれるから大丈夫。

 ただ一つ注意することと言えば、「プライベートな空間を確保して」ということにつきる。要するに「見られないようにしなさいよ」ということだ。もし、意識的に見せるとこれは犯罪となる。しかし、見られると言うのは、日本の家庭では結構あることで。しかも、見られた相手は「母親」というのが一番多い。見られたらどうなるか、「自殺したくなった」「家出したくなった」「親の顔なんか見るのもいやになった」とか、ろくなことがない。(これらは、荒川一たかさんという心理の先生の電話相談のデータによる。「こちら性の悩み110番」ーすでに絶版ーより)

 なぜ見るか。一番多いのは試験勉強中、夜食を持って行った時。持って行くのであればばたばたと足音をさせて、名前でも呼びながら行けばいいものを、そっと近づいて、いきなりドアを開けると、子どもにとってはたまったものではない。

 これは、家族間のプライバシー意識の欠如と言っていい。家族同士といえども、プライバシーはある。子どもといえども、プライバシーは持っている。親が子どもの部屋に入ってはいけないとはいわないけれど、そこは彼の、彼女の、プライベートな空間であるということを意識しないと。ちゃんとノックをして、返事があって初めて開ける、それくらいの気を遣わなければならないはずだ。

 そのかわり、夫婦の寝室には絶対に子どもは入れない。入るのであれば、寝室に誰かがいる時にちゃんとノックをさせて入れる。誰もいない時に寝室に入って、やれコンドームを見つけただの、エッチ本を見つけただの、というのは良くある。以前、私が若者向けの雑誌のQ&Aをやっていた時に、自分で見つけておいては、「お父さんなんて、不潔。一緒の部屋にいるだけでもいやだ。」なんて悩みを寄せる子が少なからずいた。それは、子どもの側から親のプライバシーを侵害したということだ。

 マスターベーションの悩みについては簡単なのだけれど、一番多い、ペニスの悩みというのは、これは深刻だ。これも、二つ。一つはサイズ、自分のは小さいのではないか、と言うもの。大きいと言って悩む人はあまりいない。そして、もう一つは包茎の悩み。

 長くなったので、短小の悩みと包茎の悩みについて次回述べます。

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生理痛を我慢させないで

 私のクリニックには、土曜日になるとよく救急車が来る。土曜日は大きな病院はほとんど休診で、うちは土曜日も夕方までやっているので、運び易いのだと思う。でも、そのほとんどは腹痛で、それも圧倒的に生理痛だ。生理痛で、息も絶え絶えに、血圧も下がって、まるで子宮外妊娠のようになって担ぎ込まれて来る女性もいる。

 お薬は?と私は尋ねる。そして飲んでいない人には一応アレルギーの有無を聞いた上で、鎮痛剤を飲ませる。ほとんどの生理痛は鎮痛剤でけろりと治まる。すでに飲んでいる人には、(痛み止めを飲んだけれど、効くまで我慢できなくて救急車を呼ぶみたいだ)しばらくベットで寝ていてもらう。そのうち、飲んでいた薬が効いて楽になる。これからは、早めに飲むこと。ひどくなる前に、と私は言う。

 もちろん、超音波や血液の検査もするけれど、ほとんどは何も異常はない。

 ホルモンが成熟して、ちゃんとした排卵のある、量もしっかりある月経があるようになると、86%の女性にとても強い痛みが起こるようになる。それは、初めての出産をするまで続く。子宮の首の部分はとても細く、鉛筆の芯くらいしかない。そこを通る時の痛みと、水であれば、すっと通るだろうが、粘っこい血液だから、なかなか出られない。と、子宮が収縮して押し出そうとする。子宮の収縮は、出産の時の陣痛と同じだから、ひっくり返るほど痛い。そして、月経痛は、我慢すればするほど強くなる。子宮を収縮させ、胃や腸も収縮させて、下痢をしたり吐いたりさせるプロスタグランディンという物質の影響だ。

 痛みを感じはじめたら、さっさと痛み止めを飲んで、楽に過ごす事。毎月ある月経をいかに耐えるかではなく、いかに「快適にすごすか」と発想しなければ。

 でも、どうした事か、こと月経痛については「痛み止めは飲んではいけません」と広く言われている。のんだらくせになるとか、そのうち効かなくなる、とか、ひどいのになると、「薬のせいで不妊症になる」だとか、奇形児がうまれる、とか。ずいぶん脅されて、若い子達がうんうんと我慢をしている。

 鎮痛剤をのんでも効かないほどの痛みであれば、どうぞ、一度は産婦人科に行ってみてもらって欲しい。効くようなら、それを続けていい。また、現代では、低用量ピルが月経痛をとても楽にさせるし、量もへらしたり、規則的になったりするので、避妊目的ではなく、その為に内服する人も沢山いる。でも、これまた、大人達が、「ピルなんて、飲んではいけません。」とやめさせたりしている。特に、子宮内膜症がある人などは、これでとても救われるのに。それに、受験生などは、試験日を避けるのにも早くから対処すれば低用量ピルが有効なのだけれど。

 どうして、人々は、女性のつらいのを我慢させるのだろうか。ひどい頭痛の人は、せっせと頭痛薬を飲んでいるにもかかわらず。若い女性には薬を飲まずに我慢せよ、と言う。

 少なくとも、救急車で運ばなければならないほど苦しむ女性に、薬は害、我慢せよ、等と言ってはいけない。こんな話を講演ですると、大人の人たちはびっくりする。そして、若い子たちは、「我慢しなくていいと言ってもらってうれしかった」と言う。

 これからも、診療の場で気づいたことを時々お話しますね。この場での皆様への性教育です。次回は男性の性器、ペニスについてお話します。

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ノーフォールト

 今、京都のホテル。診療を済ませて新幹線に飛び乗って来た。明日は福井で講演をする。全国あちこち行ったって、ただ講演をするだけ。途中に泊まる時も、どこかに遊びに行くでもなく、飲みに行くでもなく、ホテルにこもっている。この年になっても、一人でどこか知らない所で食事をしたり、飲みに行くという勇気もなくて。食事は駅弁を食べた。

 来る途中、この前買っていた「ノーフォールト」を読み始めた。が、つらい。なんども中断しながら、でも気になってまた読み始める。何回中断したことだろう。昭和医大の産婦人科の教授である岡井崇先生が書いた小説である。一つひとつ手に取るように状況がよく分かる。しかし、どうにもつらい。あまりに思い当たることが多くて、まるで自分のことを書かれているような気がする。

 私は、岡井教授を訪ねて行ったことがある。私が抱えていた裁判で、どうしても意見書を書いて欲しかった。岡井教授の専門は超音波。私の超音波の写真を読んでの意見を書いて欲しかった。でも、先生は産婦人科界では高名な教授で、私は一地方の町医者。連絡を取るにも何回電話をしたことだろうか。それに、超忙しい先生が私の事件で意見書を書いてくださる可能性はほとんどないだろう。私は、先生は何件もの裁判の鑑定を抱えていらっしても、なかなか書かれない、という情報を得ていた。でも、私にはどうしても必要だったから。何回か秘書さんと話したあげく、とうとう電話で先生が捕まって、そして、強引に逢っていただきたい日時を予約した。

 ところが、その日、台風が来ていた。祈るような思いで空港へ。なんとか東京行きの飛行機が飛ぶことになって、やれやれで乗ったのはいいけれど、ものすごい揺れで。飛行機には何回も乗って慣れている私でも、もうすさまじくて体が振り回されて、乗るのではなかったと後悔したものだ。次の便からは欠航になったそうだった。羽田についてからも、風の中、ようようの思いでたどり着き、訪ねて行ったら、先生は私との約束を忘れていらっした。でも、「広島から来ました。どうしても逢っていただきたくて。」と、必死で訴えて、やっとのことで逢って戴いた。そして、あらかじめ送っていた私の書類を山のように積まれた机の上の書類から、引っ張り出して、見てくださった。「でも、僕は忙しくて、書けないよ。書かなければならない鑑定がこんなにあるんだから。」と言われる。「分かっています。お忙しいことは重々承知しています。お手間は取らせません。先生、しゃべってください。録音を取らせて下さい。私がそれを起こして文章にしますから、どうぞ、それを点検してください。お願いします。」と、すがりつく思いでお願いした。

 それまで、多くの人に見てもらっていて、私に過失はないという確信はあった。しかし、裁判と言う場では、いかに権威のある人に証言して戴くか、それが裁判官を説得する手段であるということも、事実だ。相手方からも大学教授のとんでもない意見書が出ていた。でも、全くその先生の専門ではなく、事実をひどく間違った鑑定書であった。それをひっくり返すことが出来るのは、まさに岡井教授であった。

 しゃべって戴いたテープを大切にもって帰り、文章にし、また其れを持って行き、何回か繰り返して、立派な文章となり、それに印鑑を押して戴いて、出来上がった。まさに執念で出来上がった文章だ。忙しい先生の迷惑も顧みず、お気の毒ではあったけれど、でも、私に全く過失がないとされた判決は、それからの産婦人科界に大きな影響のある意味のある判決だと、専門誌に載り、最高裁のインターネットにも凡例として載った。

 私には過失はないとの信念を持っての裁判ではあっても、この闘いは、まことに孤独で苦しい。もうこのあたりで投げ出そうか、と何回も思う。それを思いとどまりながら最後まで闘かわせたものは、やはり悔しさと執念でしかない。完全に無過失が証明されたとしても、それでも裁判というのは、教訓は残る。その後も、常に患者さんには謙虚であれ、常に細心の注意を払え、よく理解していただくように説明を、と言い聞かせながら日々の診療をしている。

   もっとも、その岡井教授が書かれた小説は、私の事件とは全くことなる事件で、ミステリーじかけである。主人公の若き女医が昔の私のようで、だから、読んでいると胸が痛い。これからも、つらくて中断しながらも読み続けるだろう。

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