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筋肉痛のわけ。

 今日は午後パスポートをとりに行った。これまでのが9月の初めで期限切れとなるので、10日前に 申し込んでいたものだ。これから10年有効。ということは、写真も10年変わらないということで。10年後も同じ写真というのはなかなかいいね、と思いながら、でも、10年経っても生きているのかなあ、とも思う。

 その後、YMCAに向かった。ここの所、ずっと考えていた。しばらく私には時間がある。この間どうしようか、何をして生活しようか、と。週2回の診療と、週1回か2回の講演と。でも、ほとんどの月、火、金が暇なのだ。ぼけっとしていると、すぐにうつっぽくなるから、何かをしなければ。で、結局語学を勉強しようか、と。まだ、広島市が募集する「秋葉原塾」にも申し込もうか、とか。でも、これはどうも若い人向けみたいだから、申し込んでもダメかも知れない。とりあえず、YMCAでは、ハングルと英会話を申し込んだ。どちらも今ひとつで、なんとか、もうちょっとステップアップしたい。本当は三ヶ月くらいでも語学留学をしたい所だけれど、そうも行かないので、教室に通ってみようと思う。

 英会話は試験があるそうな。そしてクラスが決められると。ハングルは試験はないけれど、教室を見学して、自分にどこが向いているか、先生とも相談しながら決めるのだそうだ。英会話はとても細かく、そしてハングルは6段階に分けられている。まあ、試験だなんて、緊張するなあ、と思いながら。たぶん、来週早々見学と試験に行くようになるだろう、そう電話をするから、といわれている。

 今週の火曜日にお寺に花を植えに行った。笹を引っこ抜くのに、ものすごい力がいった。笹は根を張っているから、なかなかだ。汗だらけになりながら、必死で抜いて、土を耕して、ポーチュラカを植えた。その後は肥料を蒔いて、水をまいて。そしたら、その翌日から、まあ、ひどい筋肉痛だ。腰からお尻から、太ももから。歩くのも難しいくらいの痛みで。それで、今日は「やまとの湯」に早めに行って、マッサージをしてもらった。やれやれ、本当に困ったものだ。なまけていないで、もっと体をちゃんと使わないと。花を植えたくらいで筋肉痛なんて、もう、本当に情けない話だ。

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上手に別れましょう

 今日は新大阪から特急に乗り換えて一時間の県に日帰りで講演に行って来た。行きの列車の中ではどうしても今日中に書かなければならない原稿を書いていて、講演して帰ったらさすがにちょっと疲れた。やはり年かなあ。若い頃は、午前中岐阜で、午後宝塚で、夜岡山で講演、日帰りで三つも二時間ずつの講演をしたこともあるし、どうせ行くのなら一度にと言うことで、午前午後の二カ所で、何てことは普通だったのだけれど。今は、一つだけでも疲れるようになってしまった。

 でも、今日はうれしかった。県内のすべての市町村の教育長、教育委員長、教育委員の研修会に招かれての講演で。先生方、さすがに初めは固い表情だったけれど、段々とほぐれて来て、私の話はしっかりと聞いてもらった。なぜ性教育が必要なのか。私の現場の状況、大人の性、子育てまでそれなりに幅広く話せた。きっと分かってもらえたと思う。

 ところで、帰りの列車では、出たばかりの週刊誌を買って読んだ。安倍首相の新閣僚の話を読むつもりだったら、なんと岡山の姫井さんのスキャンダルが書かれている。写真まで沢山出ていて。朝はテレビで横峰パパのスキャンダルを見たばかりだった。民主党も御難続きだけれど。でも、つくづく思う。私は恋愛はいけないとは言わないけれど、別れをちゃんとしないと。もっとも、別れた彼氏、彼女のことを週刊誌に売り込むという行為は最低だと思う。が、そうしたいと思わせるような別れ方をしてはいけない。

 また、DV、ドメスティックバイオレンス(身近な人からの暴力)の被害者の診療をすることもある。そんな時、私は「上手に別れて。一人ではとても無理だと思うから。だれかの力を借りて、殺されないように。」と言う。若い子には、一度でも彼氏に暴力をふるわれたら、上手に別れることを考えろ、と。我慢してはいけない。きっとこれからも暴力は続くから、と。

 私の患者さんで、三人の子の目の前で夫に刺し殺された女性がいる。三人の子とも、私が取り上げた。一人目が生まれてすぐから、夫の暴力があった。「あの時に上手に別れていれば」と、殺された後で彼女の父親と泣く泣く話したものだ。最近も、別れたい彼女を拳銃で撃ち殺して自分も死んだ警察官がいた。こうなる前になんとかならなかったか。

 くっつくことは簡単。別れることは大変。結婚より、離婚の方がうんとエネルギーがいる。別れ方を大切にしなければ。後で週刊誌や裁判に訴えられない様に。そして、殺されない様に。私は選挙の前から、ずっと、DV防止のバイオレットリボンを胸に付けている。

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選挙から一月

私は、全共闘世代である。大学時代は学生運動真っ盛りだった。私は救援対策の役を担っていた。逮捕者が出た時には、差し入れに行ったり、弁護士事務所の事務員のように保釈の申請書を書いたり、面会に行ったり。あのころはまだ貧しかった。学生の多くが食べるにも事欠いて、私が食べ残したラーメンを「僕に食べさせて」と食べる学生もいた。私は実家から通っていたので、家に帰れば食事は常にある、恵まれた存在だった。お正月、実家に帰ることも出来ない学生達を何人も家に連れて帰って、母がみんなにおせちをごちそうしてくれたこともある。

 そんな一人、逮捕され、裁判を抱えていた学生に、ある日「僕の下宿に来て」と言われたことがある。ついて行った所は、学生向けの木造の貧しいたたずまいの一部屋だった。そこには、部屋には全く似つかわしくない大きなエレクトーンが置いてあって、驚いた。当時はまだエレクトーンは珍しい頃だ。そして、彼は私に背を向けて、エレクトーンの前にすわり、弾き始めた。素晴らしい演奏で、本当に私はびっくりして、ただ呆然としていた。彼がこんなものを弾くなんて、全然知らなかった。そして、弾き終わると「これ、明日売る」と言ったのだ。本当に貧しい生活で、アルバイトで学費も生活も自分でしていた人だったから。エレクトーンを売るしかなくなったのだろう。

 私は何も言えず、ただ曲を聞いただけで。本当に気の利いた一言でも言えば良かったのだけれど、胸が詰まってしまって。ただ「ありがとう」だけで帰ってしまった。

 指一本触れることもなく、握手すらすることもないままの彼との出来事であったが、そのうち、私の記憶の奥深くに潜んでしまっていた。

 そして、選挙戦のまっただ中。ブログのコメントに応援のメッセージと、なんだか、昔の私を知っているような記述、そして、最後に「永遠の片思い」と書いてあって、どきっとした。だれだかわからないままに、彼のアドレスを開いてみた。それは音楽関係のホームページで、しかも大変な活躍をしている団体で。コメントの主は、その主催者であった。そして、改めて名前を見て、アッと、その出来事を思い出した。そう、あの彼がこんなに立派になってる!

 私は返事を書いたけれど、それっきりだ。つかの間の心の交流で、それだけで、私の胸はいつまでも温かい。

 今日は、選挙から丁度一月。もう、ずいぶん前のような気がする。思いがけず、何人もの方が職場に来てくださった。応援してくださった方々だ。皆さん「一月ですね」と。そして、私が元気なのを見て、「良かった良かった」と安心して帰って行かれた。皆様、本当にありがとうございます。心はまだ時々ずきずきとするけれど、元気に日々を過ごしております。沢山の方々に感謝しながら働きつづけています。

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新閣僚 気が重い

 安倍内閣の新閣僚が発表されて、気が重い。閣僚というよりも、首相補佐官の留任だ。教育担当の山谷えり子、新聞を見ても、タカ派、教育再生会議がどうにもならなくて、その無能ぶりが取りざたされたのに留任となったと、書いてある。本当にがっかりだ。でも、無能であっても、安倍首相と考えが同じタカ派で、その意を汲んで動く人が必要なのだろう、と、夫は言う。この人の悪行はだいぶ知れ渡ってはいるけれど。教育再生会議が何をしたか。中教審、これもほめられたものではないけれど、それを放り出して、教育基本法をねじ曲げた。そして、教育三法案をも強硬採決した。これから、教育現場は、ますます大変になるだろう。

 特に、性教育については、彼女は本当にひどい嘘、でっちあげを次々と首相に吹き込んで、文科省を動かした。言葉が使えなくなったのも、この人が吹き込んだことが大きい。自民党の性教育のアンケートなるホームページには、「避妊具の使い方を実習して、全国の小学校の保護者から悲鳴が上がっています。」なんて書いていた。私は、全国性教育指導者セミナーで、「小学校でコンドームの付け方を実習している方、または、その様な実習をしている所を知っている方」と呼びかけたが、誰一人として、そんな人はいなかったし、みんなは失笑していた。具体的な証拠のないままに、数々の事をでっちあげたのが彼女だ。

 私は、今回の閣僚の入れ替えにかすかな望みを持っていた。彼女が教育担当の補佐官から消えれば、また、性教育にも少しは芽が出てくるかも知れない、と。いくらなんでも、再生会議であんな醜態をさらしたのだから、よもや残ることはないであろう、と思っていたが、本当にがっかりだ。

 先日の長崎では、教育委員会の人から「ご相談があります」と言われた。私たちは、性教育が必要であると、十分に分かっています。でも、議会がいろいろと言って来るのです。どのように議会に切り返したらいいのでしょうか、と。私の知っている範囲でいろいろと例をお話したのだが、最近、どこの地方に行っても同じような事を聞く。

 が、ある地方では、逆に私から教育長に「大丈夫ですか。議会はうるさくありませんか。そろそろ、性教育もできなくなるのではありませんか。」と聞いたら、「議会に教育内容に口を出させたらいかんのです。議員にはいろいろな立場の人がいるのですから、教育が混乱します。」と、きっぱりと言われて、感激した。そういう気骨のある教育長や校長がいるところでは、性教育も引き続きできる。でも、議会を気にする所では、全くダメだ。

 がっかりしたけれど、仕方がない。覚悟を決めて、出来る範囲で、しこしことめげないで続けて行かなければ、と憂鬱なままにそう思う。

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裁判、警察、市

 今日は、午前中、裁判だった。いよいよ大詰めだけれど、もう少し。長い間かかってでも、訴えただけのかいがあるような終わり方にならなければならない。多くの方達がこれまで支援してくださった。本当にありがたいことで。この方達の支援がないと、私はとてもがんばり続けることは出来なかったであろう。

 昼に銀行に行く。岡山の銀行の岡山の支店に振り込む必要があって。同じ銀行だったら、振り込み料がかからないはず、と思って、暑い中、自転車を漕いで広島の支店まで行った。でも振り込み料525円戴きます、といわれて、びっくり。同じ銀行だったらいらないのではないのですか、と尋ねてしまった。それはもう、以前の事らしい。当分、振り込みなんてしていなかったから。それなら、近くの銀行から、そこのキャッシュカードを使って振り込めば良かったのだった。本当に、もう、銀行というのは。だって、525円の利子をもらおうと思ったら、いったい、いくらをどれだけ貯金しなければならないことか。利子をつけないで、そして手数料だけで、どれだけもうけていることだろう。腹立たしい思いでクリニックまで帰る。

 あらかじめ連絡を戴いていたのだが、二人の警察官の来訪あり。殺人事件の被害者の写真を見て意見を求められた。若い風俗嬢だけれど、むごい殺され方で。風俗で働く女性達は、私のクリニックにも良く来る。本当に無防備で、常に命を危機にさらしている。命をかけてプライバシーを売り渡し、金を稼いでいる。そんな彼女たちは私の目からは、痛々しい限りだ。

 その後、市の役人の方達の来訪。来るべき世界エイズデーの打ち合わせ。私たち広島エイズダイアルのメンバーと共に、あれこれ検討をする。今年は、エイズデーにあわせて、日本エイズ学会が広島で開かれる。高田昇先生が会長で、大きな学会で、なかなか大変だ。それと合わせてのイベントも検討する。

 今、私は診療が週二日なので、時間がいっぱいあるようだけれど、あれやこれやで、なんか忙しい。夕方になってしまって、紀伊国屋に本をさがしに行く。どうしても欲しい本があって、土曜日に近くの本やさんとダイアモンドシティー、ソレイユのフタバ図書に行ったのだが、どちらも、パソコンの検索で在庫ありになっていたのに、本は見つからなかった。かわりに、まんがの「夕凪の街、桜の国」を買って、すぐに読んだ。前から読みたいと思っていた漫画だけれど、映画の方で評判になって、そうすると、ますます漫画を読まなくっちゃという思いで。いつか映画も見ないと、と思う。紀伊国屋では、欲しい本の検索では出て来ないのに、店員さんが、さっと出してくれて、さすがだった。「反転」をもう少しで読み終わる。そしたら、今日買った本にとりかかる。

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家族システムの研修

 今日は、朝から私たちの性教育のグループ、「性教協」広島サークルの研修会だった。カウンセラーで、コミュニケーション学「アサーション」の第一人者、森川早苗さんの講義を聴いた。テーマは、「子の心親知らずーシステムとしての家族と子どもの問題」。まず、問題が出される。

「家族は四人。早くして夫を亡くした父方祖母(出しゃばりばあさん)。この祖母に、女手一つで育てられた父(ダメおやじ)、実家が他県にある母(気の強い母)。そして中学一年生の一人息子。その息子が不登校に。」

 この問題をどのように理解するか。参加者それぞれが考え、書く。そして、その問題を、祖母の立場で書いた人、父の立場で、母の立場で、子の立場で、そしてその家族でない、学校の先生の立場で書いた人。と、分かれて話し合う。それぞれの立場で話し合った人が、そのまとめを発表する。私は、当然その他の立場、学校の先生の立場で考えた。日頃、不登校の子や、その家族が患者さんとして来られることがよくある。

 その問題の整理に、今日は、すっごく勉強になった。このごろ、よく家族の中での父権、父親が強くないとダメだと言う人がいる。父親が弱い家庭の子はしっかり育たないみたいに。私なんぞは逆に横暴な父親がいる家庭ですっごくしんどい子を見ているから、父親は優しい方がいいと思っている。

 この問題は、さらにそれぞれの立場で、「誰に何を聞きたいか」「あなたはどうするか」と進んで行く。何かの問題を解決したい時には、みんながそれぞれ動かなければダメだ。森川さんの言葉で残っていることを。

「夫婦カウンセリングをしている時(カウンセリングで夫婦の仲がとっても良くなるのだそうだ)など、お互い、相手が悪いと思っている。そして、相手待ちである。あなたが優しくしてくれたら、私も優しくするわ。と。でも、自分から両方が動かないと」

「コミュニケーション能力について。良く話し合ってて、コミュニケーションを取っているようでも、それがコミュニケーション能力が優れているとは限らない。いつも同じようなけんかをして、いつも同じような結論で終わっている、こんな時。本当に言いたいことと違うことを言っている。こどもが夜遅くまで帰って来なくて、とても心配していて、やっと帰って来た時、どこに行ってたのよ!何をしてたのよ!と。本当に言いたいのは、心配してたのよ、でしょう。夫に対して、何て人なのよ!と言う。本当は、私はさびしいのよ。助けて欲しいのよ。でしょう?」

 そして、家族システム。家族システムも発達している。結婚して夫婦システムの形成。双方の実家と少し離れて、新たな家族としてのシステムづくり。子どもを持つ決心、準備。こどもが生まれて、親役割の適応。養育の為のシステムづくり。実家との新しい関係の確立。中略。子どもが思春期になった時の柔軟な家族境界。私の現場では、ここがうまく行かない、いつまでも子どもは子どもとして介入し続ける親と、とてもそれがうっとうしい子どもとの関係がうまく行かなくってというケース。だから、私も保護者への講演の時、このあたりをかなりしっかり話す。そして、だれかに問題が起こってサインを出した時、家族のみんなが少しずつ変わることによってシステムが発達し、問題を解決するすることができる、と。それから、外部に開かれた家族システム、外部とのやりとりがない閉鎖システムな゛との問題も。

 性教育というと、セックスの仕方を教えること、そんな事はしなくてよろしい、と、とても浅はかな人の妨害で、実際、教育現場での教育は出来なくなってしまっているのだけれど、実際は、人と人とのつながり、コミュニケーションの作り方などとても多くの生き方を含んだ教育なのに。そして、性教育に取り組むものは、常にこうして勉強をし続けなければ。今日は、40人近い学校の先生方が来てくださって、楽しい研修が出来た。私にとっても、本当に身につまされて、充実した学習となって心地良い疲労感に満足している。

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日本思春期学会

 昨夜0時を過ぎて広島に帰って来た。東京から新幹線で広島までというのは、少しつらい。本はしっかり読めるけれど、何分にも座席が狭いので、その内、身の置き所がなくなってしまう。おまけに荷物を足下に置いているので、足の置き場もあまり動かせなくて、つらい。

 日本思春期学会の理事会に出席するために長崎からの帰りに東京を回った。思春期学会は30年弱前から続いている。この学会に、初めて演題を出したのが、25年前。当時勤務していた病院のデータから「10代の受診者1000人の統計」という演題で。実際、思春期の子をあまり見ていない大学病院中心の学会で、一般の病院から、このデータをひっさげて登場したのだから、かなりのインパクトがあったと思う。その統計を作る大変な作業と、診療の様子を追いかけたのが、当時の「NHK特集」、今のNHKスペシャルであった。以来、当方に全国から講演の依頼などが殺到することになった。

 それから、ずいぶん経つ。今回の理事会は、もめた。思春期学会として性教育について今後のあるべき姿の提言をすべく、小委員会がつくられている。そのメンバーが大幅に変わっており、しかもそこに学会員でもない東京都の区の教育委員会指導課の人が入っていたのだ。なぜ?「教育の現場を知っている人」が必要だったから、という説明であった。

 教育委員会は、文部科学省の指示をストレートに教育現場に指導する所であって、教育の現場を知って居る訳ではない。特に東京都の教育委員会は性教育については現場との軋轢が大きい。裁判もされている。その一方の当事者を委員会のメンバーとしていたことで、がっかいとしてのスタンスはどこにあるのか、本当に学会独自の提言が出せるのか、疑問である。当然、理事会では次々と意見がでた。この学会は、長老が多い。一番の重鎮は91才。お元気なのは感嘆するが、こと「思春期」になると、、、。このような公の場であまり言わない方がいいのだけれど、でも。

 今の文科省の方針では、「性感染症」を中学生に。避妊は高校で教えるようになっている。私は、避妊は義務教育で教えて欲しいと強く願っているが。教えるとしたがるとの意見でそれは実現していないし、今では教師の独自性は固く禁じられていて、教えると、処分につながる。しかも、「性感染症」を教えるのに、言葉が禁じられている。「性交」「セックス」「エッチ」すべて禁止。「性的接触」と言わなければならない。今時、若者が「性的接触をしようよ」というだろうか。言葉の問題はとても大切で、しっかりと言葉を使うこと。回くどい言葉では、正面からメッセージを伝えられない。と、私は思う。

 忙しい思いをして、東京に行って、出席して良かったなあ、と思いながら帰った。が、またたべものネタで申し訳ないけれど、後の懇親会、一時間で食事をして帰れば間に合うと思ったのだけれど、まず医学部の学生の音楽の演奏があり、その後次々とご挨拶があり、そしてやっと乾杯で。すぐに東京駅に向かい、やっとの思いで新幹線にまにあったのでした。

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shiozyさんごめんなさい

 先日、私はキムチ鍋を食べて本当にしあわせだった、と、ブログに書いて、それから皆さんのブログをよんで、「アッ」「しまった」と思った。けど、もう遅い。shiozyさんのブログに「夏の食事」として、食欲がない、秀子さんと話し合って、その夜は「枝豆」と「湯豆腐」だったと、写真までアップされているではないの。本当にびっくりして、私、いやみったらしいブログを書いてしまったと。先にshiozyさんのブログを読んでたら、絶対に書かなかったのだけれど。体調も良くない方が湯豆腐なのに、私は、キムチ鍋で、ああ、しあわせ、なんて、本当に済みません。先にshiozyさんのブログを呼んだ人は、さぞかし、私のブログをデリカシーのない、と思われただろうと、冷や汗だ。

 そして、昨日、私はお腹がすいて、でもお弁当も売り切れで、だから「くえっ」をかじりながら博多に向かっていると書いて、その後、ホテルでアップして、その後、皆さんのを読んでたら、また、「アッ」だった。shiozyさんも、なんとその日、北九州まで行って、そして帰りにお腹がすいて、腹だたしかったと書いてあるではないの。もう、びっくり。私はかまぼこを食べたけど、shiozyさんは我慢したのですよね。済みません。どうも、食べ物ネタが良くないみたい。でも、、、まあ良くこんなに競合してしまって。ごめんなさい。でもね絶対に先に読んで競って書いたのではないのです。信じてくださいませ。

 今、長崎の大村空港で東京行きの飛行機の時間待ちです。今書いておかないと、もう今日は書く時間がないと思って。急いで書いています。

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人は人。私は私。

 今、博多に向かう新幹線の中。今日は水曜日で朝から診療。終って、弁護士事務所へ。私は、今、裁判を闘っている。「性教育バッシング広島裁判」と支援して下さる方達が名付けてくださった裁判もいよいよ佳境を迎えている。来週月曜日の法廷に向けて、打ち合わせ。弁護士と、Oさんと、ケンケンがくがく。何とか、結論らしいものがでて、やっと新幹線に乗ることができた。

 とてもお腹がすいている。車内販売が来たので「お弁当を」と言うと「全部売り切れました。」と。そういえば広島で降りる人が多かった。広陵の応援に行った人たちかしら、沢山の人がお弁当を買ったのかもね、と思う。では、何かお腹の足しになるものを。「甘栗は?」と聞くと、「それも売り切れました。」と。「でもどうしよう。お腹がすいているんです。」というと、「○○かまぼこが一つだけあります」と。何だかわからないけれど、それそれと買ったら、それには「くえっ」と書いてある。○○は「くえっ」だったのだわ。今、「くえっ」をかじって一息ついた。

 今日は博多に泊まって、明日朝から長崎に向かう。午後長崎で講演をしたら、長崎空港から東京に向かう予定だ。東京では、翌日から思春期学会があり、その理事会に出席する。そして、最終の新幹線で広島に戻る。土曜日には診療をしなければならない。徐々に前のペースに戻って行っている。忙しい方がいい。暇だと、あまりろくな事を考えない。

 昨日、友人から電話があった。私が悩梗塞で倒れて、もう再起不能。診療も出来ない、診療所も閉じるそうだ、とある男に聞いたのだそうだ。私は、暇なら怒っていたかも知れないが、「もう、男ってのは、ほんと、どうしようもない。デマばっかり飛ばして。何が目的なんだろうか。」、と、かりかり来ているその友人に、「そう怒りなさんな。そのうち、その人も違ってたと分かるわね。」となだめたのだ。

 弁護士事務所で見た雑誌、それは私が訴えている出版社の雑誌の最新号なのだが、そこに例の県議が私の選挙のことを、また名指しで書いていることを知った。読んでみて、何をえらそうに、くそっと思う。「まあ、選挙に通ったら、たちまち偉くなるんだね」と、不愉快ではあるが、そこまでだ。もう、落ち込んだり、不眠になったりはしない。損だもの。人は人、私は私。しこしこと、すべきことをこなして行きましょう。

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首相の約束

今年の原爆記念日の祈念式典に安倍首相が参加し、その前日に被爆者代表と面会をした。その際、原爆症の認定の見直しを早急にすると首相が言ったと報道された。その発言を受けて、参加していた被爆者団体の方々の反応はいろいろではあったが、やはり喜んでいる雰囲気が見て取れた。その中でも、一番大きい団体の代表の人が、とても喜んで、「もう、これで大丈夫。一番のトップが言ったんだから、もう右向け右で大丈夫でしょう。」とあまりに無邪気に喜んでいらっしゃるものだから、私は違和感を覚えた。

 テレビの前で「あんなに喜んでいいのかね。もっと、これまでさんざん苦労して認定される事なく亡くなった人たちのことを、まず怒らないといけないのでは」と言った。だって、もし近藤幸四郎さんが生きていたなら、きっと彼は怒ったと思う。近藤さんは肺癌、胃癌、喉頭癌の三つも癌になって、原爆症の認定を申請しても却下されたのだから。それが原爆に影響された病気であるか否かとの判断ではなく、ただ、決められた予算があって、その範囲でしか申請が認められない、そういう仕組みになっている。また、認定するか否かは爆心地からの距離のみが左右している。そこをしっかり怒らずして、まるで権力者に対してこびるかのような発言に聞こえて、だから、違和感を持った。それに、いくらトップが「はい」と言ったって、なかなか官僚、行政が動くものでないことは、これまでの数々の事例が物語っている。

 案の定、そう言ったその舌の根も乾かないうちに、原爆症の認定訴訟で国が敗訴した判決について、国は高裁に控訴している。その交渉の場で、なぜ、控訴を辞めよ、と、強く迫られなかったのか。いえ、せまられたのかも知れない。でも、それについてはちゃんとした答えがなかったのかも。あるいは、老いた被爆者に期待を抱かせるような事を言っておいたのかもしれない。そして、後になって期待を裏切るようなことをしたのかもしれない。私なんぞは、はじめっから、そんな魂胆なのではないかと、警戒をしてしまう。

 輸入血液製剤によりHIVに感染させられてしまった人たちの裁判で、控訴しないように、という署名を沢山集めて、何人もで厚生省(当時)の大臣室に提出に行ったことがある。署名集めの苦労、重い署名用紙を風呂敷に包んで広島から何人もがよっこらよっこらと持って行ったその苦労、そして、広島出身の衆議院議員の紹介で面会を申し込んであったにもかかわらず、大臣は結局逢ってくれなかった。そしてそのすぐ後に地元の後援会の方達が大臣室に来るからと、そそくさと追い出され、確かにその大臣の後援会の名前が前に貼ってあるバスが何台も駐車してあるのを見た時のいやあな気持は忘れない。結局、この裁判については、国との和解が成立した。それも、当時の厚生大臣である菅直人氏が強引に厚生省のお役人を指揮した結果であったと言われる。しかし、それとても、国民の側の盛り上がりと、なによりも多くの感染させられた方達がまさに命をかけて国を告発し、裁判を闘った、その原告たちの頑張りがあったからこそである。

 このように、一筋縄では行かないことが見え見えなのにあんなに喜んでいいのかなあ、と危惧したそれは当たっているようだ。早急に、といっても、それが具体的にいつであるのか、全く表明されないままでいる。

 一昨日のサンデープロジェクトで言っていた。例の、5000万件の年金の行方不明事件、首相は一年で解決すると言った。しかし、まだ全くそれには手がつけられていない、と。ごくごく一部、本人から申し出のあった十件あまりが第三者委員会に諮られて認められた、と、それだけだと。だって、本人が申し出ても、それが証明されるのに、何ヶ月も経つようなのに、5000万件も一年で出来る訳がない。それは、やはり選挙のためにそう言っただけのことで、現場では、やる気は全くないと。

 この間の防衛大臣と事務次官との争いを見てみても、もう、全く今の首相をはじめとして閣僚は、ばかにされている。大臣が言ったって、そう簡単に官僚は動きはしない、そう番組で言っていた。さもありなん。だから、首相が言ったからといってそう単純に喜んではならないし、また、そう単純に喜ばせておきながら、裏切るように控訴した国、首相に対して怒りを持つのだ。

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キムチ鍋

 昨夜も今夜もご飯はキムチ鍋だった。日頃、私はキムチは食べられない。というか、ニンニクがダメだ。大好きだけど、次の日が休みでないと食べられない。診察室で、患者さんと向き合うのに、ニンニクの臭いをさせる訳にいかない。まあ、暑い中、汗びっしょりになってキムチ鍋を食べるのは、本当においしくて、幸せだ。

 私は、これからもしばらくの間、水、土が診療で、木曜日のほとんどは講演が入っているが、その他はフリーだ。昨日のように、ゆっくり本を読んで、夜はキムチ鍋を食べるなんて、もう、どうしようかと思うほど幸せなのだ。本なんて、移動の新幹線や飛行機の中と寝る前に布団の中で読むものと決まっていた。

 もっとも、昨日は宮島口でものすごい雷に遭って、停電もしたし、そのためにビルの駐車場が故障でそれが修理されるまで帰られなかった。落ち着いてから帰ったのだけれど、そして鍋を食べたのだけれど、後で考えたら、無理に帰らなくっても良かったのだった。そこに泊まればいいものを。これまで、宮島口に行っても翌日のために必ず帰らなければならないものとしていたから、当然帰るものとしていただけのこと。まだまだ、今の、仕事がオフであるという生活に慣れないでいる。

 今日は、診療は休みだけれど、人に会う約束が二件。そして、書かなければならない書類があってクリニックに出かけて行った。でも、人に近づかないように、ニンニクの臭いを振りまかないように、要注意で振る舞った。でも、また、帰って昨夜のなべの残りをたらふく食べて、ああ、シアワセ!!なのです。

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海を見ながら読書です

 今、宮島口のマンションに一人。片付けや掃除も一段落して、海を見ながら本を読んでいる。昨夜、やまとの湯に行く前にダイヤモンドシティーのフタバ図書に行って「反転」を買った。以前、特捜エース検事だった著者が、弁護士となり、様々なウラ社会の人たちの弁護をしたあげく、彼自身が詐欺事件の犯人として逮捕される。そのノンフィクションである。彼が逮捕された時のことを私は良く覚えている。テレビ局が検察を告発しようとしている彼を追っていて、彼にテレビカメラの前で直接インタビューをしようとしていたその直前に逮捕されたものだ。

 まだ全部読んではいない。途中だけれど、はじめっから佳境に入ったように、息もつかせずに読ませるだけの迫力ある本だ。彼が手がけた仕事は、佐賀県知事汚職事件、阪大ワープロ汚職事件、文部省ノンキャリ収賄事件、撚糸工連事件などなど。

 しかし、検察の仕事は「国策捜査」であると彼は言い切る。そもそも検察の捜査の本質が、権力体制と企業社会を守護するためのものだ、と。彼が手がけた捜査がいくつも上から突然に中止とされている。「平和相銀事件は政治家に行く前に終結宣言をした。福岡県の苅田町の公金横領事件は代議士に触らずにやめてしまった。谷川国税局長は金をもらっているのに起訴留保、共産党の盗聴事件も検察と警察のボス交で誰も起訴しなかった。三菱の転換社債の乱発事件も強制捜査すらできずに終わった。」そして、まさに国策捜査として彼が逮捕された石橋産業事件がある。イトマン事件の許永中氏と共に、詐欺罪で逮捕されたものだ。この詐欺事件とされるものには、誰も被害者がいない、誰も損をしていないにもかかわらず。

 一人一人の検事は正義感に富んで仕事をしようとしているのかも知れないが、やはりこの社会は為政者に取っての社会とすべく動いている。政治家だって、やり過ぎだとされた者は、逮捕されていく。辻元清美さんや鈴木宗男さんなどそのたぐいだと私は思う。もっともっと悪いことをしている人はいるだろうに。経済会だって。ホリエモンなどその典型だと思う。だから、私は、足元をすくわれないように、とにかく、みじんたりとも、法律には触れないように、そのことにとことん気を配った。検察はさもありなん。でも、いまでは、三権分立であるはずの司法、裁判の分野でも、上級審に行くほど権力寄り、為政者寄りの判決となっていて、危惧を覚える。

 著者の貧しい生い立ちや、結婚に至る過程、司法試験を目指して頑張る姿などは、緊張しないで読める。分厚い本なので、まだまだ読み終わるには時間がかかる。当分暇をつぶせそうだし、学ぶことも多そうだ。

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眠りました!!

 昨日は東京のホテルでまた寝てるのか寝ていないのか分からないような時間を過ごした後、朝10時からの講演をした。全国の養護教諭、いわゆる保健室の先生を対象の二時間の講演。全国的に性教育が後退している中で、産婦人科の現場でどのようなことが起こっているのか、性情報が蔓延しているからこそ、まともな情報を真っ正面から子どもたちに与え、情報を正しく選択する力を身に付けてもらうようにすること。豊かな大人になることを目指す命の教育が必要だということを懸命に話した。会場は満席で850人の参加者だった。話している間、誰一人として会場から出て来なかった、と、後で主催者の方に言われた。教育の現場にいて子どもたちのことを一番身近に見ている保健室の先生達の、少しでも後押しになれば、との思いで話したのだが、効果があっただろうか。少しずつでも後退した性教育の実践を前向きにしてくだされば、うれしい。

 ところで、講演の前に主催者の方が私の紹介で、「河野先生、本当にご苦労様でした。心から、当選を願っていましたけれど、残念な結果でした。でも、先生の思いは多くの人に届いたと思います、、、」何てことを言わうものだから、前日のことをまだ引きずっていて、かつ寝不足の頭と心で、ふと涙ぐみそうになって、自分でもうろたえた。

 選挙選のまっただ中、公示直前の7月5日に私の12冊目の本が出版された。会場に出版社の方がその本の販売に来られていて、講演の後、サイン会となった。本を購入して下さった方が延々と続き、サインをしてもしても終わらない。昼休みが過ぎて午後の会が始まってもまだ続く。やっととぎれて、お昼のお弁当を食べた後、午後の会の休憩時間になって、またサイン。本当にありがたいことで。本が売れる事よりも、多くの方に読んで戴くと言うことがうれしくて、感謝感謝。

 最終の飛行機で広島空港へ。車を飛ばして家に帰り、パソコンを開くと、多くの皆様からのコメントが。本当にありがたい。やはり、つらいことは、自分の内に秘めていたのでは、いつまでも引きずってしまう。外に出せば、それだけでも楽になる。これが、カウンセリングの基本で、私が更年期の人や思春期のつらい人たちに診察室で接する時にじっと話しを聞く、それだけでも精神的に楽になる人たちが沢山いる。その逆を私も皆様にして戴いたというわけだ。多くの方に聞いて戴いただけで、すっごく楽になった。皆様、本当にありがとうございました。

 組織と個人はまことにおかしなもので。それは、連合だけでなく、私の属している医師会でも。組織としては何も出来ないけれど、個人的には応援します、と言って尽力して下さった方は沢山いらっしやる。それは私にも分かっているし、それはそれでありがたいことであった。私が前のブログで、言いたいことは100倍もある、それを飲み込んでいる、と書いたのも、そんなことにも起因している。でも、、、今回のことはこれで終わりにするべきだろう。皆様から、いいかげんにしろ、と叱られそうな後ろめたさがやはりあるもので。

 問題のメールを書いた人には、長い返事を書いたけれど、何も返事はなし。このまま放置なのか。言いっぱなしにするつもりなのかも知れない。それから、私は、「民主党の県会議員」と書いたけれど、「男性議員」とは書いていない。性別も含めて匿名にしたのは、私のそれでも「武士のなさけ」のつもりなのだが。

 みなさまのコメントを読んで、本当に気持ちが楽になった。そして、コメントもアップしない内に、「なんか疲れた」と床にごろりとなったら、いつのまにか眠っていた。そのまま、朝まで固い床の上に転がっていた。ぐっすりと、夢も見ないで眠っていたようだ。素晴らしいカウンセラーの皆様に、もう一度、感謝を!!

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不眠。気分が悪い。

 今、東京のホテルにいる。明日朝から講演をするために、今夜から来ている。昨日は、出雲のホテルで。でも、実は、出雲では一睡も出来なかった。朝まで、ベットでもんもんとしていた。眠れないままに車を運転して広島へ。一旦家に帰って用意をして、そして空港に車で行って、飛行機に。飛行機の中で、催促されている原稿の仕上げをして、、、。

 選挙についてはもう、封印しようと思ったのだけれど。昨日眠れなかったのは、あまりに悪質なメールに接したからだ。選挙がらみの私に対する嫌がらせはまだ続いている。しかも、今回は現職の民主党の県議からだ。自ら、「負け犬に石を投げるようなことをする」と、言い放ってのことだ。私は犬か。どうしようと、さんざん迷った。勝ち誇った彼らは、負けた人間にも、とことんこのような行動をするのだ。私一人の胸に納めておくのは、つらすぎる。再現するのもおぞましいが、ごく一部だけを。

「 河野氏は連合にとっては、例えれば、正妻(佐藤こうじ氏)の
眼を盗んで、社民系労 組などに色目をつかっている愛人のような
立場です。推薦要請も正式なルートで連合にお願いに行かずして、
コソっ と、ポスターを貼ってもらったのは、愛人が本宅に乗り込んで
居座ろうとしているようなものです。正妻ほどの努力もしないで、
後から出てきて入り込んでポ スターを貼るなんて許せない!」

 私は今まで言わなかった。それは、私が言うことによって迷惑を掛ける人がいると思うから。選挙中、佐藤さんと私の両方の推薦を決定した労組があった。二人を通す、と。そして、組合の事務所に両方のポスターを貼っていたのだそうだ。そこに、連合の幹部がやって来て、私のポスターを剥がすように、と。組織で(総会で)決定したのだから、ポスターを貼るのは当然。剥がさないと主張した組合に、結局連合の幹部が私のポスターを剥がしたのだと聞いた。

 その件を県議は言っているのだろう。もっともっと攻撃は続く。フランスのミッテランは、正妻と愛人と同居して、なんにも問題は起こさなかった。それは、正妻もさることながら、愛人が常に正妻を立て、賢く振る舞ったからだ、と。私は、なぜ愛人なのか。愛人らしく振る舞えと言われたって。私は、そもそも方針のことなる連合に推薦をしてもらいたいなんて思いもしない。かってに愛人にされたら迷惑だ。ポスターの件だって私がお願いして貼ってもらったものでもないし。でも、組合が組織で決定をしたのに、何の文句があろうか。それ以上の正式のルートがどこにあろうか。私は、選挙に落ちたことが、連合に頭を下げなかったことが原因だとも思ってもいない。色目を使うとか、愛人だとか、あまりにたとえが下品で。

 彼らの目的は一体何なのだろうか。負け犬がもう二度と立ち上がれないように、とことんやっつけておこう、と言うことなのだろうか。それが、連合の方針か。民主党の方針なのか。私は、強い人間で、少々のことではへこたれない。しかし、私だって、生身の人間。傷つかない訳ではない。

 政治家というのは、言葉がいのちだ。その人だって、一言で政治生命が吹っ飛んだ人を何人も見て来ているはず。もう、選挙で落ちて、ただの一人の人間に過ぎない、政治家でもなんでもない人のことをこのように中傷することが、なぜ必要なのだろうか。

 そんなことが頭に渦まいて、また、今夜も眠れそうにない。不愉快なことを書いて済みません。皆さんを、いろいろな意味で、気分の悪い思いにさせたのなら、ごめんなさい。

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お墓参りのはしごです。

 今、出雲のはずれ、平田のホテルのロビーにいる。ビジネスホテルの6階の部屋ではインターネットが接続できず、ロビーに降りて見ると繋がった。でも、電気は消され、薄暗い所に一人でいるのは、どうも気持が悪い。

 昨日、宮島の花火は、息子達若い人の世話にてんやわんやで、一応、自分も花火は見たのだが、疲れ果てた。今日は、朝早く出発して、島根県の三カ所のお墓参りとご挨拶回りに費やした。最終地の平田には、私の父母の墓がある。そして、その近くにはとてもいい温泉があって、それもこのビジネスホテルに泊まれば、200円で入れる。久々の素晴らしい温泉に入って、ここに泊まる。明日早く出発して広島に帰り、すぐに東京へ行く。

 いろいろと思うことあるけれど、何せ、今、落ち着いてブログが書ける状況にないので、一応、これで。戴いたコメントにも必ずお返事はかきますので、済みません。

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掃除に明け暮れて

 突然、息子が明日友だちを連れて帰ると言った。男4人と女4人。みんなで宮島の花火大会を見て、家で一泊すると。さあ、もう大変。わあ、別府に帰らないで良かった。今日は、朝からずっとその準備に追われている。

 宮島口の花火が見える所のマンションに我が家の一室がある。そこにはまた、選挙の残りの荷物をどっさり置いている。みんなが泊まれるように片付けと、ビールやジュースや食べ物の準備で。花火を見るベランダには、今朝masamiさんの所でコーヒー豆の袋を分けていただいた。ベランダに人工芝を敷こうか思ったのだが、ふと、思いついた。先日のRecafeで二つだけ買って帰った袋がとても素晴らしかったので、それを敷こうと。切って開いて、それを敷き詰めて、縫いつけようと思ったのだが、結局は袋のまま、重ねるようにしておくと、まあ、カラフルでとてもすっごい部屋のようなベランダになった。これでスリッパをはかなくとも、裸足で自由に出入りできる。われながら、素敵なアイデアだと満足。記念に携帯で写真を撮った。本当は、ブログに写真を載せたいのだけれど、まだやり方が分からない。

 片付けにはマイッタ。それに、ビールや食べ物などを買って帰って運ぶのも、まあ、しんどい事だった。今、一応終了。後は明日早めに来て、食べ物の用意をする。それでO.K.だ。

 姉に電話をすると、「また張り切ってやって。具合が悪くならなければいいけど」と言われた。そうだった。何年か前、息子が初めて彼女を連れて来ると言った時、家の大掃除を一人でやって、それがきっかけになって全身のリウマチになったのだった。夫に電話をして、全部かたづけたよ。まあ、しんどかった。と言うと、僕も行って一緒に片付ければ良かった、と言った。済んでからいわれても遅い。それに、一緒だと、必ずこれは何だとか、よくもこんなものを持って来て、だとか、ぶつぶつ言うのが常だから、一人の方が気が楽だ。結局、掃除に明け暮れる休みになりそうだ。昨日買ったDVDもまだ見ていない。

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うそだったの!?

 完全な休み、というのに、行く所もなく、朝からテレビをつけて家の片付けばかりしていた。三ヶ月、洗濯以外ほとんど家事もせず、家は荒れ放題。おまけに選挙の関連のものをどさっと持って帰っている。ずっとごそごそしても、あまりきれいにはならない。夫はどこかに出かけてしまった。 

 と、電話が鳴った。大分の姑からだ。「やっぱり帰らなかったの?」と。「ええっ?」すぐに夫が言ったのと話しが違うと分かった。だから、「ええ、通宏さんが帰らないって言うので」と。夫は「おふくろが帰らないようにと言ったから」と私に言ったのに。義母は「それでも帰るんじゃないかと思って、心待ちにしとったんだけど」と言う。もう、本当に何と言うこと。あれだけ私は帰ると言い張って、夫はだめだと言って。私は姑との間に何かがあったのだとばかり思っていた。

 夕方帰って来た夫に母から電話があったこと、話が違うじゃない、と言ったら「君を休ませようと思って」と言う。結婚して33年。一度もお盆に帰らなかったことはない。だから、帰ることは当然のことで、夫の実家で過ごすことがひどく疲れるということでもないし。却って今、広島から離れられるというのは、精神的にほっとすることでもあるのに。夕飯を食べていたら、母から電話がかかって来た。夫はしきりに謝っている。その口調を聞いていて分かった。電話の後、夫に言った。「私より何より、あなたが帰りたくなかったと言うことね。」すると夫は素直に「うん」と言った。それならそれで仕方がないこと。全く、もう、こんなに実家に帰りたがらない人も珍しいのではないかしら。一人暮らしをしている老いた母の所にはできるだけ帰りたいのが普通の息子だと思うのだけれど。これまでも、いつも私が夫を押すようにして実家に帰っていた。もう私の両親は死んでしまって、たった一人しかいない親なのだから。私も休みの後半は予定が入っているので、これから帰るのはもう無理だ。

 夕飯をすませて、こじま電気まで出かけた。2400円あまりあるポイントがもうすぐ無効になりますという連絡を戴いたので。韓流ドラマの新しいのでも欲しいと思って行ったのだが、ここは数が少なくて、魅力あるのはなかった。結局、ポイントとプラス1100円を出して映画「幸せのちから」のDVDを買った。明日はこれを見る。

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夏休み

 明日から一週間の夏休み。今日、診療がすんだら、すぐに別府に向かって車で走るつもりだった。そのためにおみやげも買った。5人で食べても食べられないほどの大きなメロンパン。生地に練乳が練り込んであって、上はココアとピーナッツ。一家に一個ずつ、計6個。他、昼時間にまだいろいと買うつもりだった。

 長男で一人息子の夫の実家へ。墓掃除やその他いろいろと忙しくするつもりだった。でも、昨日、帰宅したら、「おふくろがね。帰らなくってもいいって。」と言われた。「どうして?」「無理しなくっていいって」「無理じゃないわ。帰るつもりだったんだから。」何回も押し問答したけれど、結局帰らない、と、ガンとして言い張る。きっと何かあったのでしょう。長男と長男の嫁のいないお盆はそれでいいのだろうか。いない方がいのだろうか。

 どうしよう。時間が空いた。今夜は「はだしのげん」を見るとして。昨夜のげんは、涙、涙だった。絶対、みんな見るべきだ。昨日見なかった人も、今日のだけでも見るべきだ。余談だけど、げんやお姉ちゃんや弟の子役達が素晴らしい。原作の漫画家の中沢啓治さんは、私の選挙の応援に来てくださった。熱い中、街頭でマイクを3回も持って演説してくださった。その中沢啓治さんと、子役のげんが、もう、そっくりなのだ。中沢さんは大体、かわいい顔をしていらっしゃる。そのままこどもにしたような、そんな気になるほど、似ている。それに、漫画が原作だから、ベースはとても楽しく、明るい一家なのだけれど。みんな大人もこどももこのドラマは見るべきだ。でも、こどもに見させるには時間が遅すぎる。午後9時から2時間だもの。

 今日はげんを見て、やまとの湯に行く。でも、明日からはどうしよう。結局、家の中の片付けか。家がしっちゃかめっちゃかになっているから。どうも、面白くない夏休みになりそうだ。仕方ないね。選挙に落ちたのだから。と、言わないはずのことをまた、言ってしまうのでした。どなたか、面白いことがあったら誘ってください。

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水玉の足の甲とオセロの腕

 いろいろと皆様にはご心配かけました。が、今日で選挙についてはおしまいです。もちろん、これからも何かあった時には日記として書く事はあるかも知れません。でも、振り返ることや総括めいたものはおしまいにします。それから、昨日のブログに戴いた皆様のコメント、本当にありがとうございました。来たのはすべてアップしましたが、それへの私のお返事はなしにさせて戴きます。世の中いろいな考えの人がいるのだということだと思います。

 ただ、私は昨日書いた「原則」は守るけれど、出来るだけ自分のことを隠さずにお話しようとして来ました。時々はスタッフや支持者からも「そんなことは書くべきではない」とたしなめられることも有りました。でも、私は出来るかぎりオープンにする事を原則としていました。事務所も出来る限りしきりは作らずに来た人はすべて見渡せるようにしました。何も隠さなければならないことをしていないのだから、という思いからでした。ただ、電話かけだけは、静かな環境で、ということで一番奥にしきりをし、そこでやって戴きました。その私の姿勢は今後も維持したいと思っています。

 そこで、今日は最後なので取って置きのお話を。選挙中、私はクロックスまがいのピンクの靴を履いて通しました。私は左足に外反母趾があり、また、以前の(もう克服しています)全身の関節がパンパンに腫れ上がったひどいリウマチが右足の裏だけに残っており、歩くことが課題でした。もう、どれだけ靴を買ってはやはりダメと無駄にして来たことか。それが、この靴によって救われました。足底の足の裏が当たる部分も柔らかくて、大丈夫でした。でも、ピンクのつっかけのような靴は大人の方には違和感があったようです。有るマスコミの方に、「あの靴はふざけている」と指摘があったと聞き、一日だけ別の靴でやって見ました。それは、まあまあ楽な靴で、どこかにご挨拶に行く時に履いていた靴です。でも、一日中履いていると、もうダメでした。足が痛くて痛くて。だから、一日でまたもとの靴に戻しました。この靴のおかげで私は選挙期間を歩き通すことが出来ました。

 でも、選挙期間の途中から、足がへんに汚れています。お風呂でせっせとこすっても取れません。おかしいなあ、と思っていたら、段々と汚れがはっきりして来ました。水玉です。両足の甲に水玉が浮かんで来ました。そう、あの靴の甲には穴が開いています。その穴から入った陽による日焼けでした。そんなところも日焼けするのですね。まさか、足の甲にまで日焼け止めクリームは塗りませんもの。今もまだ両足の甲はくっきりとした水玉の模様です。

 選挙の前半は豪雨や台風になやまされ、後半は厳しい暑さとの闘いでもありました。日に当たらないようにと言うのは、無理で。日焼けするのも仕方がありません。半袖の服を着ていましたので、ひじから先の腕は見事に焼けています。車に乗っている時はピンクや白の肘抜きでガードをしていましたが、薄かったのでしょう。それをも日が通して焼けると言うことを初めて知りました。でも、日焼けは外側だけ。内側は白いままです。だから、腕を回して見ると、くっきりと白黒と分かれています。まるでオセロです。

 顔は無惨なことになりました。日焼け止めクリームは少しは効果があったのかも知れませんが。でも、ひどい。鏡を見るのがうんざりです。日に焼けると言うのは、色が黒くなるだけでなく、見事にそばかすが増え、表皮が浮き上がったようにしわになっています。メンテナンスが大変です。戻るのでしょうか。

 まあ、そんなものを残しながら、でも、私は早く日常の生活に戻ろうとしています。明日からは、その生活を書きますね。これからもよろしくお願いします。

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コメントへの反論

 今、福井のホテルにいる。今日(8日)は選挙後初めての診療。多くの患者さんと、たまっている書類の記載などでひどく忙しかった。済むとすぐに新幹線で京都へ。サンダーバードに乗り変えて福井へ。11時過ぎにホテルに入った。明日は石川県の小松で教育委員会主催の講演をする。何だか、一気に元の日常生活に戻ったようだ。

 ホテルでパソコンを開くと、私のブログへ数々のコメントが寄せられている。多くは好意的なのだけれど、当然のように厳しいコメントもある。それへの返事は長くなりそうなので、ここに書かせていただこう。選挙を振り返る(3)の最後のコメントを読んで戴きたい。

結城慎吾さま

 コメントありがとうございました。謹んで読ませていただきました。つきましては、お返事が長くなりますので、ここに書かせていただきます。私は、選挙に関しては言いたいことはこれまでの百倍ほども有ります。そのほとんどは書かないで、ぐっと胸に納めています。権力を持たない個人の攻撃はしない。団体についてもその情報を与えてくださった方に迷惑がかかる場合は書かない。それから、いい加減なことは決して書かないというのも、鉄則としています。

 私が選挙を振り返る(3)に書いたのも、この原則にのっとっています。決してあなたに攻撃されるようないいかげんなものでは有りません。

 まず、「確認団体」について。

 私は、ここに選管の責任と言うことはひとことも言っていません。私は、あなたはご存じないかもしれませんが、他の人の選挙を責任者として何回もしている者です。「確認団体」の届け出は知っています。書類の不備だとか、印を間違えるだとか、そんな馬鹿なことではないのです。それに、確認団体の届け出は、事前審査の対象では有りません。もし、あなたがそうであったなら、あなたは「政党選挙」しかしたことがない方だからなのでしょう。私の応援団体として「みぐみ」を政治団体の届け出をする時に選管に確認団体の相談をしています。市長選挙では、政治団体としての「みこし連」は確認団体とみとめられ、だから車を走らせることが出来たのです。(と、私はブログの中に書いています。)でも、今回はダメでした。そもそも、書類を出す前、はじめっからだめなのです。それは、国政だから。比例区では10人の候補(選挙区の候補が混ざっていてもいいのですが)がいないと立候補は認められない。それには、莫大な供託金がかかります。そして、選挙区には無所属でも立候補はできますが、でも、10人が立候補者しないと、「確認団体」は認められないとなっています。それも、広島県選管のレベルでなく、中央選管に届け出ることになっています。一候補者が他に9人の立候補者を捜し、かつ、10人分の供託金を準備出来る訳が有りません。もっとも、黒川さんのような大金持ちだったら出来るのでしょうが。今の公職選挙法はそうなっているということを、一体どれだけの人が知っているでしょうか。良識の府で有る参議院が、選挙の段階で、こうして、すっかり政党の人の立候補が有利となっているということを私は伝えたかったのです。または、大金持ちしか政党の人と対等に戦えない、そういう仕組みになっているということも。一選管の問題なんかでは有りません。このことで選管を攻めるようなことは私は一言も述べていません。あなたがかってにそう歪曲しただけです。

 のぼりについて

 選挙戦に入る前、立候補を表明している人すべてがのぼりを立てて演説していました。でも、其れは違法で有るということをそっと教えてくれる人がいて、(:警告ではありません。)私たちはただちにそれをやめました。でも、街頭で政治活動として演説していても、どこの誰がしゃべっているのかわかリません。本当にもどかしい思いでした。そんな時、他の方達は全く変わらずにのぼりを立ててやってらっしゃいます。私たちは、何回も選管にも警察にも相談しました。担当のスタッフは写真もとり、文書まで出しています。他の人に許されるのなら、私もやりたいと、切に思いました。でも、私はやっていません。そして、告示となり、選挙になったら、それが許される、ああ、やっと、と。ところが、ブログに書いた通りです。他の人たちは許されて、なぜ私はだめなのですか、と、選管にも問うています。また、警察にも問うています。それが、実は曖昧なのです、と。私に言って来たのは、県庁、選管の真ん前だったから、と。では、向かいのそごうの前だったら許されて(そこでは政党の立候補者が何本ものぼりを立てて演説をしています)、県庁前だったら許されない、とてもおかしな論理になります。有る候補などは250人もの人を動員して、100本を越えるのぼりを立てていたのをご存じでしょう。私としては、その人たちには後ろ盾がある、私には誰もいない、そう思うのは、当然ではないでしょうか。

 すくなくとも、私は「まかり間違って私のような人間が当選しなくて良かった」だの、「松岡氏や赤城氏を批判する資格はない」だとかあなたに言われるような行為はしていません。ブログに書いたのも、当然のことを書いたまでです。政党政治、政党優先の選挙、このようなことを国民の皆様に知ってもらうべきだと私は考え、書いたまでです。それをここまて゜言うあなたの言い方は、私に対しての誹謗中傷のたぐいになると思います。あなたがどこのどなたか私は知りません。そして、何の目的があるのかも。でも、私はちゃんと答えました。これ以上は悪意に満ちたあなたとの対話はしたくない、というのが私の本音です。了承下さい。

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(8.6に)選挙を振り返る(4)

 昨日の8.6.には当然朝8時15分には家で黙祷。午後4時にはもう人も少なくなったかと思って慰霊碑にお線香をあげに行った。ところが、慰霊碑の前ですぐに人に声を掛けられた。福山の原爆被害者の会の代表をなさっている方だ。高齢のその方は、選挙で私を懸命に応援してくださった。そして、「残念だったですのう。一生懸命やったんじゃが」と。私はただ、「申し訳ございません。」とひたすら頭を下げる。福山で朝、鐘をつく行事が有ってそれを済ませて、ヒロシマまで来たと。これから、いくつかの慰霊碑を回ります。どうしてもおがんでおかなくては、ということだった。高齢でやせた体が痛々しい。どうぞ、お体を大切になさってくださいませ。たくさんの被爆者の方が次々と亡くなってしまうので。長生きして、運動を続けてくださいませ、と申し上げた。このような高齢化した被爆者の声を国会に届けることが出来なくて、本当に申し訳ないことだ、と、とても恐縮した。そしたら、また、全然知らないやはり高齢の男性から「残念だったけど、良く頑張られましたね。一票入れたんじゃが」と声をかけられて、また、縮こまる思いだった。ああ、私の顔は知られている、と、改めて思い知った。

 先日のRecafeの会で深川コーヒーさんの部屋に行ったら、かき氷を食べている男の子が「あれえ、こうのみよこじゃん」と言ったので、びっくりした。そうだけど。どうして知っているの?と聞いたら、お母さんが「朝市のシジミの所にいた双子です」と言われる。そうだった。選挙中に平和大通りの朝市に二回行った。演説だけでなく、トマトやキューリと、シジミを買ったのだ。その時にたしかに双子の男の子がいた。その子だ。まあ、一回見ただけなのに、良く覚えていて。本当にびっくりだ。先日はお風呂やさんでも、知らない裸の人に「ご苦労様でした。」と言われたし。知られている。それも、落っこちで。つい、人の前には出たくなくて、おっくうになる。でも、それではいけない、と、勇気を出して人前に出る。でも、街を歩く時は、つい帽子を深くかぶって顔が見えない様にする。

 慰霊碑の前では線香を上げるのもそこそこにして、広島二中の慰霊碑に行く。父の存命中は必ず父は二中の慰霊祭に出席していた。晩年は私が付き添って行っていた。二中はその後の私の母校でもある。でも、私は今、慰霊祭には出席出来ない。同窓会長はある議員さんで、私を好ましく思わない人だから。父が死んでからは、遅い時間に一人で行くようにしている。もう、慰霊碑には関係者は誰もいないし、ろうそくもお線香も灯が消えていた。困った。丁度碑巡りをしていた方からライターを借りて、ろうそくとお線香に火をつけておがんだ。

 夜、8.6.慰霊チャリティーコンサートに出席したら、またまた多くの人に声を掛けられた。もうもう、ひたすら頭を下げる。ずいぶん頑張って応援して下さった方もいらっしゃる。初めてお目にかかる方もいらっしゃる。もう、申し訳ない限りだ。

 そして今日、すべての支払いをした。ボランティア選挙で沢山の方が寄付をして下さったこともあり、経費はずいぶん少なくてすんだ。でも、やはり全く個人で負担をするのは、結構かかる。いくつかの銀行を巡ってお金の工面をした。

 そして、今思う。こんなに多くの方々が応援してくださり、寄付やボランティア活動をして下さって、落ちたら落ちたで残念がって、でも励まして下さって。その方達の善意を一体どうすればいいのだろうか、と。どうやってお返ししたらいいのだろうか、これから私はどうしたらいいのだろうかと、それがまだつかめない。それが一番つらい。明日からは、診療がはじまる。そして、講演も。私は、日常に戻っても、今後どうするかを考え続けなければならない。 

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選挙を振り返る(3)

 昨日はRecafeに行って、多くの皆様にお会い出来てとてもうれしかった。選挙でお世話になったことのお礼も兼ねて、と思っていたが、さまざまな人に出会えたことがうれしくて、選挙の事など忘れたように過ごすことができた。平気な顔をしていても、やはり残念な気持は胸に残り続けているのだが、徐々に傷も癒えるようで、皆様に感謝。

 さて、今回は政党政治、それも二大政党時代について。

 選挙はもうこれまで書いた通り、政党優先となっており、無所属ではとてもやりにくい。まず、街のあちこちに張ってある、二人ポスター、三人ポスター、これは政党の人にしか許されていない。確かに、ポスターというのは、顔や名前を知ってもらう上で有効なものである。が、それが出来ない。それから、選挙カー、市長選の時には、無所属でも選挙の確認団体としての「みこし連」の車を走らせることが出来た。でも、今回はなぜなのか、何の根拠か分からないままに、「確認団体」として認められなかった。だから、車は選挙カーの一台のみとなった。比例区などはもっとひどい。最低10人は立候補しないと党として認められない。だから、個人では立候補出来ない。もし一人でも通りたいと思ったなら、自分以外に9人お願いして立候補してもらわなければならない。比例区の供託金は600万円だから、6000万円のお金を供託しなければならず、そしてそのほとんどが没収されてしまう。既成政党以外の人はお金の有る人しか立候補は不可能だ。

 それから、名前を書いたのぼり。こんなのは、どこの陣営も立てている。まだ選挙戦に入る前、私たちには、名前を書いたのぼりは違反だからと言われ、すぐに取りやめた。が、他の陣営は続けている。現職の大臣も、民主の候補者も共産党の人も。党派の人だからいいのかと思ったら、無所属の女性も大量ののぼりを立てて、歩いている。なぜうちだけいけないのか、さっぱり分からない。それどころか、選挙戦に入って、これで私たちも名前ののぼり立てられる、と思ったら、県庁前で演説している所に、県庁から選管の人が飛んで来て、のぼりは違法だと言われた。他の人たちもみんな立てているのに、なぜ私だけ違法なのか、さっぱり分からない。

 ある地元の新聞社があまりに悪質なので、抗議をしたら、「党派の人を優先するのは当然だ」と言われた。でも、それは正しくない。だって、党派優先なのなら、共産党の人にも同じ対応をしなければならないはずなのに、明らかに異なっていた。また、同じ女性の無所属に女性の優遇ぶり、特に写真の掲載の仕方など、全然扱いは違う。私が怒ったことはその新聞社の人たちに知れ渡ったようだ。何人かの人たちに笑いと共に言われたから。でも、落選した他の候補者達、供託金没収組と私とを投票当日まで十把一絡げにしたあの扱いについては、私は決して忘れない。

 こんなことは、負け惜しみと言われるのが落ちだから、これまで大きくは言わなかった。しかし、政治が二大政党制となって、選挙もそれに準じたやり方となっていることは、今回自分自身が闘って見て、本当に良く分かった。以前、PKOの時、栗原さんが当時の民社党の現職をひっくり返して当選したことがある。あのとき、私は後援会長をし、県下、候補と共に走り回ったのだが、その時と比べてはるかに選挙はやりにくくなっていた。マスコミもしかり。世論調査など、堂々と、「あなたは自民党と民主党とどちらに多数を占めて欲しいですか」と言うような、他の党や無所属など眼中にない問い方をしている。マスコミの中でも少数意見は切り捨てられている。そのような選挙中の世論調査の仕方が投票行動に影響を与えないとも限らない。

 この様な中で、まさに二大政党制になったかのような民主の大勝であった。しかし、今の日本で、アメリカやイギリスのような二大政党制がなじむかどうかは疑問に思う。大体、今の民主党は、自民党との違いがさっぱり分からない。それより、民主党の構成は、自民党より右派の人たち、バックラッシュの人たちを多く抱えている。それを今後の活動の中でどう整合性をつけるのだろうか。先日のテレビで、民主の新人の女性達三人が出演していた。「憲法九条を変えるべきか」という問いに、出演していた全員、変えるべきでない、と答えていた。党がもう変えるという方針を出している時に、彼女たちは今後その自分達の思いをどう党に反映させるのだろうか。

 私は、少なくとも、もう一回は政界再編がなされるべきだ、そうしてはじめて二大政党が本気に国民に受け入れられて来るであろうと考えている。今のままでは、民主党が政権を取ったとしても、国民の多くが絶望するだけだろう。そして、その後が怖い。「やっぱりダメじゃん。自民党の方がいいじゃん」と振り子が大きく反対に振れるのではないか、それがこわい。

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選挙を振り返る(2)

 昨日はずっと家に閉じこもってブログのチェックをしたり、お世話になった方へ電話をしたり、そしてホント久しぶりに台所に立った。大阪岸和田の友人からみずなすの漬け物を戴いて、その糠がきれいなまま残っていたので、それでキューリのぬか漬けを作ったり。そして夜はやまとの湯に行ってマッサージまでしてもらって。まあ、言って見れば心と体のメンテナンスをした。

 今日は中学の恩師の家にお借りしていた名簿を返しに行った。恩師はそれは良く応援してくださったので、落選にとても心痛めてくださって、もう、申し訳ないことだった。「ほんまにのう、どんなにまじめに政治を考えていても、組織の有るのとないのとでは、一本釣りとトロール船の違いなんじゃろうのう」と。こちらは、ただひたすら恐縮して。腰が曲がってお一人の暮らしだが、頭はとてもクリアで、いたわりの言葉をかけて戴いた。本当に恩師というのはありがたい事この上ない。

 その後、クリニックに行き、大家さんにご挨拶して事務所の鍵を返したり、5日の準備をしたり。その帰り。自転車で平和公園を通ると、原水禁の会が開かれていた。とても多くの人が全国からのぼりを持って参加していた。その後、平和行進があるようだ。かんかん照りでとても熱い。いつもこのシーズンが来ると思う。この灼熱の夏に、原爆でやけどを負った方はどんなに熱かっただろうかと。みんな次々と川に入って行ってそして亡くなったのも自然な行動だったのだと思う。熱さの中ですがる思いで水に入ったのだろう。昨年は8月5日、全国の市民運動家が集まった会などをはしごの様に招かれて発言したが、今年は何もない。ただ、6日に慰霊コンサートに行くだけだ。

 選挙戦の初日。出発式は平和公園で行なった。その前に慰霊碑に献花。それだけでもう涙が出てきた。式には多くの方が来てくださった。中に弁護士9条の会の会員であり、もと弁護士会長のS先生の姿があった。急遽発言を頼んで了承して戴いた。(shiozyさんも来て戴いて、発言を頼んだけれど、今、自分は夜中に起きてやっと来たようなもので、とても発言までは出来ないからと断られてしまった)

 後援会長の河村先生(韓国人被爆者の支援の活動をしている方だ)の発言の後のS先生のお話は胸を打った。先生が中学時代に被爆をしたその惨状を話されていて、絶句、涙され、みんなもシンとした。その後、被爆女性の佐々木愛子さんが話された。彼女のおばさんが赤ちゃんをだっこしたままの姿で灰になっていたと。それを話された時にまた、絶句、涙されて。だから、絶対に平和を守らなければ。憲法を守らなければ゜、と。今も多くの被爆者の心には、涙と共にしか話せないような体験が残り続けている。

 私の番、決意表明になって、今、慰霊碑に献花したことを皆様に報告する、その初っぱなで、もう、胸が詰まって話せなくなってしまって、自分でもうろたえた。「慰霊碑には父が入っています。そして、多くの被爆者のに方々(私には、石田明さんや近藤幸四郎さんなどの姿が浮かんでいた。)その方達に誓いました」と。「平和を守る、憲法を守る、いのちを守る、その闘いに出発しますと報告しました」と。その後、みぐみの応援団長の馬庭さんが力強く応援の依頼をした。

 参加者の皆さんには、ピンクのハートの風船100個と、白い鳩の風船(紙製で環境にやさしいの)30個をそれぞれ持って戴いて、街宣カーで出発の時に空に一斉に飛ばしてもらった。

 皆さん、出発式にはとても感動したと言ってくださった。でも、この式に参加されたのは、ほんの一部で。選管で受付をしに行った人。警察(選挙カーの許可を得るために)に行った人。何と言っても全県下に待機して、番号の連絡があるのをじっと待ってポスターを張ってくださった人。そして、事務所に待機して番号をその人達に連絡する役の人。などなど背後に多くのボランティアの方達に支えられての出発式だった。このような式を平和公園で出来たことを胸に、私は喜んで選挙戦に出発したのだった。

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(番外編)Recafeに参加します

急なのですが。

8月5日の安芸高田市のRecafeに参加します。おもしろそうな企画にこれまで気づきませんでした。で、緊急に申し込みまして、何とか認められた様です。

私は保健室の担当です。

けが・頭痛・発熱・腹痛・下痢・眠いなどに対応出来るように、今準備をしています。

体温計、血圧計、点滴なども持って行きますし、健康相談にも応じます。

それから、さまざまな無料配布の資料も持って行きますので、是非お具合の悪くない方でも覗いて見てください。一番のプレゼントは花王の初経教育セット、かわいいポーチ入り。数多く持って行きますので、是非お子様と共に覗いてくださいね。

様々なことに十分に対応出来るだけのことはするつもりです。皆様どうぞ安心して来てくださいませ。これまでお世話になったせめてもの恩返しです。でも、本音は、いろいろな出店がおもしろそうで。単に参加者だった方が良かったかな?なんて、不謹慎なこともちらと考えています。

それでは、8月5日にお会いしましょう!!

追伸です。今、主催者のrootさまから連絡が有りました。午後2時台に私が講演するようになったらしいです。参加者のお顔を見て話しますが、そうですね、「幼児期からの性教育」かな?それとも、幼児よりも大きいお子様連れが多いようなら、もうちょっと広げて「家庭での性教育」かな?それとも、「憲法の話」?皆様と相談して決めますね。いずれにしても、「聞いて良かった」と思っていただけるお話をしますので、是非聞いてくださいませ。

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選挙を振り返る(1)

 昨日で事務所をすっかり空けた。夜、最後の荷物を台風の風の中、宮島口まで運んで、帰りに博多ラーメンを食べて終わり。後はもう少しのお礼のお手紙を書くのと、借りたものをお返しに訪ねなければならない所が数軒。だけど、事務所がなくなって居場所がないので、久々に自宅で机に向かっている。そして、これまでの三ヶ月間をゆっくりと振り返っている。ここに、またゆっくりと書いていこうと思う。

 街宣をしていたある日、ある場所で昔の患者さんに出会った。私が来ることを誰かに聞いたのだと。そして、私の演説を聴いて下さった。彼女はずっと前、有る医療ミスの被害者となった。私は裁判で彼女の味方をした。以来、当事者であるドクターの私への嫌がらせは延々と20年以上も続いた。その彼女だった。

 私は、選挙の街宣の時に、医療、介護、福祉の後退、格差の問題を語っていた。後半からは特に、介護のところでは、「脳卒中で倒れた人のリハビリは介護保険の見直しにより、半年で打ち切りとなった。それ以上リハビリをしたい人は自分のお金でしなさい」となったことを取り上げていた。要するに、お金の有る人は医療も介護もリハビリも十分に受けられる。お金のない人は打ち切り。格差がいのちにまで及んでいることを必死に訴えた。(多くのマスコミは私の訴えをただ護憲とばかり伝えていたのが多いに不満だ)

 彼女は半身が麻痺していた。48才で脳梗塞で倒れ、そしてリハビリも打ち切られたと。私が話していたことそのままだった。私の話を聞いて、彼女は泣いた。私も彼女と抱き合って泣いた。社会に医療難民や介護難民が出ていること。介護保険でのリハビリも打ち切られていること。こんな政治、行政が行われていることを、本当に私は議員になって厚生労働省に問いただし、訴えたかった。それを考えただけでも、残念だ。

 それから、無党派のこと。先日のお寺の先生の言われたことでもあるが、これにはマイッタ。行く先々で「当選したら自民党に入るのですか」という質問がとても多かった。実は、事務所にもこの電話が沢山入って来たと。他の党派なららなまだしも、私が自民党に入る訳がない。自民党も私なんぞを入れるわけがない。この電話への対応は夫がしたのだが、根を上げるほど多かったのだそうだ。これは、以前にそういう行動を取った人がいたと言うこと、そしてもう一人の女性がそのようなことを言っていたのだそうで、それが私と重なったのかも知れない。それとも、誰かか、団体が言いふらしたのかも。

 選挙に誹謗中傷はつきものであると言っても、またまた私へのもひどかった。自民党に入るというのに加えて、「私は何度も結婚している、市長とも結婚して別れたのだそうだ」などというのまで。市長選で意図的に蒔かれたのと同じ内容だ。とすると、どこから出たのか想像はできる。この手の電話にも、夫は手を灼いたと。「自分が連れ合いです。自分としか結婚はしていないのですが」という説明をするのに、40分もかかった人がいたと。こんな選挙戦は本当に恥ずかしいと思わない人たちがまだまだ選挙戦を担っていると言うことだ。もちろん、それで私が落ちたという訳では決してない。それはそれ。ただ、人を不快にさせたと言う効果は確かにあったと思う。 

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娘が帰って行った

 娘が今日帰って行った。途中一旦帰京したが約一月、主に事務所で電話掛けを頑張ってくれた。外ばかりの私がたまに事務所に帰ると、部屋の奥の隅っこの方で懸命に電話をしていた。この間、ほとんど会話も交わさなかった。開票の日、落っこちが決まった私に京都から素敵なメッセージと花束が届いていた。そのメッセージがあまりに素晴らしかったので、司会にそれを読み上げてもらって、そして花束を私に渡してくれたのが、娘であった。笑顔で出て来たが、私に渡す時に泣き顔になってしまった。私は「泣いちゃだめだよ」と言ったのだが、無理もないことであった。電話掛けの後、夜はいつも友人達に会いに行って、私の運動をしてくれていた。時には、数人と、また、少し拡大してミニ同窓会のような形で。本当に一生懸命だったから。私の落っこちが不本意であって悲しくなったのも仕方がない。

 昨夜、初めて親子三人でご飯を食べた。一緒の食事は一月のうち、この一回だけだ。そして、一緒に「やまとの湯」に行った。これもこの一回だけだ。それまでは私が誘ってもおいつも自分は家のお風呂でいいと言って来なかった。東京のお風呂だとあまりに狭くて、体を折りたたんでお湯につかっていると、足がしびれて来るのだそうだ。だから、我が家のお風呂でも、とても贅沢で十分なのだと。

 今日は、事務所の隣の金券ショップで一万円で東京までの新幹線の切符を手に入れて自由席で帰って行った。

 そして、夜、今日は1日でお寺に車で向かっていると、着いたからと電話がかかって来た。そして、「ママは自分で考えている以上に疲れているからね。気をつけてね。」と言われてしまった。

 お寺は皆さんが一生懸命に応援して下さっていたから、若干行きにくいなあと行くのが憂鬱だったけれど、皆さん、とても暖かく迎えて下さって、そして、ねぎらって下さった。今日はお盆の前の施餓鬼供養だったが、すべてがすんだあと、先生が施餓鬼供養についてお話された後、皆さんの前で私について話してくださった。

「自民、民主という大樹に寄りかかるのでなく、自分の考えで、自分の意志を貫いたのは立派でした。」「無所属で立候補して受かったとたんにどこかの党に入った人がいたから、広島では無所属というのは、やりにくかったでしょう」「先生のお話を聞きました。いのちのテーマでの現場からのお話でしたが、私たち宗教者にも通じ合うものがある、とてもいいお話でした」そして、「無所属なのに、堂々の票の三位というのは、本当に立派でしたよ」などなど。そして、皆さんがこぞって拍手をして下さってもう、本当にありがたかった。落っこちでもこれまでずっと気が張っていたが、こんなに優しくされて、初めて涙が出そうになった。

今日は一日中事務所でお礼の手紙書きや礼状のサインや電話掛けなど、とても忙しかった。さあ、もうひとふんばり、今週中にすべて終えてしまうつもりで頑張りましょう。

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