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挨拶回り

 後片付けもだいぶ済んで、今日はせっせと挨拶に行っている。市場でも一軒ずつお店を回り、ご挨拶する。通って回るのなら景気がいい話なのだけれど、負けてのご挨拶だから、さえないことだ。でも、皆様とても暖かい。特に市場は大型店舗に押されてこじんまりとお店をされていて、人情が厚い所だ。ご自分達の票だけでなく、せっせと票集めをして下さったから、ありがたいことこの上ない。皆様、「良くやった」とほめてくださって縮む思いだ。ひたすら感謝申し上げる。

 その他、いろいろとご挨拶に行ったが後はお電話にする。票集めを一生懸命して下さった方。ご寄付を下さった方。食事の差し入れをして下さった方。お電話でも皆様暖かくて本当にありがたい。それと、遠方の方には、お手紙を書く。情けないことで気が滅入りそうになるけれど、後をきっちりとすることが大切なことなので。しんどいことをちゃんとしておくこと。と自分に言い聞かせながらご挨拶している。

 それと、皆様、「次を」と勧められるが、まさか、今済んだばかりでそんなことを考えられるわけがない。今はひたすらお詫びのご挨拶と後始末をちゃんとすること。それのみで頭はいっぱいなのだ。

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まだ事務所です

 今、7月30日の午後11時半。まだ選挙事務所にいる。今日は一日中事務所の片付けと、来所する方の応対で、ばだばたした。レンタルのトラックで何回も荷物運びをした。そして今、看板をはずしてもらっている。選挙にすべったのに、いつまでも看板は出していたくない。が、道路を使用するため、夜しか出来ないし、昨日は日曜日だったので、今日の夜になった。街にかかっている看板は日頃なにげなく見ているが、看板のウラはとても複雑で頑丈に木で支えてある。スタッフと業者の方達で、はずしてもらっているのだが、とても時間がかかる。

 明日は午前中、ポスターが破られた件で警察の方が来所予定。そして午後はご挨拶回り。お礼の文章も作らないと行けないし。まあ、いろいろと忙しいことですこと。あさって電話やレンタルのファックスを取りに来られて、その次の日にNTTの方が来られ、業者のお掃除も入る。そして、それですっかり終わりだ。事務所の中は選挙の跡形もなくなるだろう。

 ブログが更新出来ない間に沢山のコメントを戴いた。今日、一気にアップした。お返事が書けていなくて、申し訳ないことだけど。

 広島ぶろぐのブロガーさん達には、本当にお世話になった。

何よりも河口さん。仕事は若い人たちに任せっぱなしで、ずっと一日中、街宣隊のチーフを務めてくださった。やんじさんも途中から仕事を辞めての参加。ずっと先導車の運転をして下さったし、私の街宣中はパネルを持ったり、お茶を用意したり、誠に細やかな配慮をしてもらった。たまーさん、仕事の無理をしながら、良く来て下さって。街宣隊や、電話かけ、時にかわいいお嬢さんを連れて、よきパパをしながら、仕事をして下さった。それに、shiozyさんのことは私が言うまでもないだろう。単に私の決起集会に来て感動的な話をして下さっただけでなく、昔の仲間との出逢いのきっかけを作ってくださったり、資金の援助にずいぶんと助けられた。それに、積極的に投票を上手に呼びかけて下さって。多くのブロガーの方達が投票に行ってくださったこと、それぞれのブログを読んで分かった。それも、塩崎様のおかげだ。

 masamiさん、選挙カーに家族中で手を振って下さってありがとうございました。smileさん、コーヒーの機械を貸して下さって、それにコーヒーの差し入れ、本当にありがとうございました。それから、せんごくテンぺ、田中様、ポスター貼りや事務所にも来て戴いてありがとうございました。選挙中、ご挨拶に行ったあるお弁当屋さんで、「おいしいタマネギが有るのですよ。味が全然違う。タマネギーという味がする。まあ、食べて見てください」と、タマネギを少し戴いたのです。そしたら、「せんごくの里」産で、とてもうれしかったです。

初ちゃん様、励ましていただきました。ひまちゃん様、期日前投票、初体験、楽しく読ませて戴きました。無手腕社長の吉原様、ありがとうございます。HOCHさま、いつもコメント、本当にありがとう。さとうしゅういちさま、その勇気と鋭い考察に感謝。車やのねぎちゃん様、たぶんおうちの前を選挙カーで通り過ぎたのだと思います。やんじさんがここっと言った時にはもう通り過ぎようとしていました。事前に分かっていればゆっくり通ったのですが。

 こうしてみると、本当に多くのブロガーさんに出会っていることを感謝。まだブログをはじめて5ヶ月なのに。この出逢いはとても大きく、ただただ感謝している。まだ選挙中のことはいっぱい書きたいことが有るけど。そろそろ看板の取り外しが終わりそうなので、このあたりで。

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皆様ありがとうございました

 皆様、本当にご心配をおかけしました。そして、様々なご支援ありがとうございました。
もう、結果はご存じのことと思います。ご支援いただいた皆様方には力足らずで申し訳ございませんでした。

 私はとても元気です。そして、一つのことをやり遂げたという満足感も有ります。

 考えて見れば、4月の20日に立候補を決意し27日に無所属ですることを決心し、5月1日に記者発表をし、それから、無我夢中で走り抜けた3ヶ月間でした。正直、選挙選の最終日、マイク納めをする時に、よくもまあここまでたどり着けたものだと、感無量になったものです。完全な無所属ですると言うことは、例えば県内9106カ所の掲示板にどうやってポスターを貼ればいいのだろうか、と途方にくれる、そんなことでも有りました。でも、県内を車で走り回って、どんな山の中でも、島の隅にでも、すべての掲示板にちゃんと貼ってあるポスターを見て、感激しました。(逆にポスターが破られているのを見た時は、さすがにいい気持ちはしませんでした。警察によれば破ったポスターは持ち帰られていたために、指紋が出なくて、これは知能犯の仕業だそうです。)ボランティアの皆さんが沢山集まってくださって、県中にポスターを貼って下さったのです。

 その他、ボランティアで広島の事務所に登録して来てくださったのは、400人。福山の事務所に250人。計650人もの人が来て、様々な仕事をして下さいました。本当にボランティアの方達が来て下さらなかったら、できない選挙でした。ありがたいことです。

 私は、テレビでも言ったのですが(私は見ていないのでその部分がカットされていたかどうか分からないのですが)何にもしないで自民・民主の指定席で、お二人に広島の代表として議席を提供することはしたくなかったのです。少なくとも、お二人が党の方針として憲法を変えます、自分もそれに従いますと言うことを堂々と表明なさり、有権者の判断を仰いだのであれば、まだ許せます。でも、それを曖昧にしたまま、広島の代表になられるのは我慢出来ませんでした。私は、秋葉市長の選挙をしながら、何回か人を介して、民主党の方に「憲法はどうなのか」という問いをしました。でも、お答えは有りませんでした。ホームページにも憲法については何にも触れられていませんでした。

 途中から年金の風が吹きましたが、それに憲法が埋まってしまったのは、残念です。それは、やはり民主党の作戦勝ちと言うことなのでしょう。

 重ねますが、選挙運動はただただ楽しかったし、私はとても元気です。やって良かったと、心から思っています。皆様には本当にお世話になりました。皆様のエールにどれだけはげまされ、元気をださせていただいたことか。

 それにしても、ホームページやブログが選挙中は更新出来ないというのは、なぜなのでしょうか。そんな法律はないし、政党のホームページはどんどん更新していたと言うことですし。日々、選挙運動をしながらブログに書きたいと思うことが何度も有りました。これから、どんどん書かせていただきます。診療には、来週から復帰します。今日はもう、事務所の片付けに大わらわです。どうぞ、これからもよろしくお願いします。

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ヒロシマの有る国で

 このブログで私のブログは長い休みに入ります。ここに、私の好きな歌の歌詞を書いておきます。これは、山本さとしさんの作詞・作曲の歌です。著作権の問題が有るかと調べたら、すでにいろいろなブログにこの歌は書いてあるので、きっといいのだろうと思います。それでは、皆様ごきげんよう。また、お会いしましょう。

             ヒロシマの有る国で

                         山本さとし 作詞・作曲 後藤寿美 編曲

  八月の青空に 今もこだまするのは

  若き詩人の叫び 遠き被爆者の声

  あなたに感じますか

  手のひらの温もりが

  人の悔し涙が 生き続ける苦しみが

   * 1 わたしの国と かの国の

       人の生命は同じ

       この青い大地のうえに

       同じ生を得たのに

   * 2 ヒロシマの有る国で

       しなければならないことは

       ともる戦の火種を

       消すことだろう

  かの南の国では 大国がのしかかり

  寡黙な少年らが 重い銃に身を灼く

  やせた母の胸に 乳飲み子が泣き叫び

  はだしではだかのまま

  逃げ惑う子どもたち

  故国の土を踏むことも

  家族と暮らすことも

  許されない戦争が なぜに今も起こる 

  *2 くりかえし

  *1 くりかえし

  *2 くりかえし

  *2 くりかえし                              

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オフ会

 昨日はオフ会に行って、本当にうれしかった。まだ私は慣れていないから、どなたがどのブログで、などと全然わからなくて。でも、多くの方にお会い出来て、ほんと、うれしかった。

 主役のshiozyさんはあいかわらずハンサムで優しかったし。初ちゃんさまはとてもお元気そうで、共通の知人の話も出来たし。つゆまめさんのお姑さんは私のクラスメートで、お名前も分かったし。(ちょっとショック)それに、途中から私より年上の方がいらっしたけれど、初めは私が最年長だと分かって、私が乾杯の音頭を取るはめになって。それに、うるとらはるくさんの風船芸はすごかった。子どもたちだけでなく、私もすっごく喜んだものね。で、子どもたちが次々と風船をもらったのがうらやましくて。ワーナーブラザーズのウサギの大作が出来た時、つい、はいっ!はいっ!と手を挙げておねだりしてもらったものね。今、ウサギさんは選挙の事務所に大事に飾っている。

 でも、なんと言っても一番楽しかったのは、masamiさんの子ども達にまた会えたこと。それに、文月さんの子にも。文月さんの下の僕は、前のオフ会で私がビザを持って行って一緒に食べて、その時に回りの方が先生と私を呼んでいたので、私のことを「ピザの先生」と思っているらしい。そして「ねえねえ、七夕のお願いは何を書いたの?」と彼に聞かれた。その時私はああ、良かったと思った。実は、七夕の日に、手伝いに帰っていた娘が笹と短冊を買って来て、皆さんに短冊を配り、願いごとを書いてもらい、それを事務所に飾っていたのだ。私、七夕の願いごとなんて、もう、何十年と書いたことがなかった。それを突然、彼に聞かれたので「あのね、みんなで国会に行きましょうというお願いがかないますように」って書いたよ。と言った。もちろん、彼には意味はわからないだろうが、真剣に聞いてくれて、そして、「僕はね、中学生になったら野球の選手になります」と書いたよ。と、それはそれはかわいかったのだ。

 その他、本当に皆さん親切で。頑張って、と激励をしていただいて。本当にありがとうございました。少し早く失礼して、事務所に帰り、ばたばたして、新幹線に乗って福山へ。福山のホテルでブログを書いた。でも、私はパソコンの電源アダプターを持って行くのを忘れて、しかも私のは古いパソコンなので、バッテリーが2時間も持たないので、短いのが二本しか書けなかった。本当は4、5本は書いておきたかったけれど。オフ会のことも。で、今日になって失礼しました。広島ブログのみなさま、本当にありがとうございました。

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いよいよ明日

 みぐみカーが役目を終えて、でも代わりに選挙カーが出来上がった。やはりピンクで、それにこれまでのは派手はででインパクトはあったけど、どひゃっとびっくりさせるような車であった。でも、今回のは、とてもかわいくて、上品なのだそうだ。そうだというのは、私自身にはまだ見せてもらっていないから。何人ものスタッフは見ているのだけれど、私は見ることが出来ないままで、明日の出発式の場で初めて見ることが出来るのだ。どうぞ、皆様ピンクの上品な車に出会ったら手でも振ってくださいませ。車に乗っていて、手を振ってくださったり、車でプッとクラクションを鳴らして合図してくださったりということはとてもうれしいことなのです。きっと助手席に座っているのは私です。私はこれから一日最低12時間は車に乗らなければならないのです。

 今、事務所に看板が取り付けられている。これは、また、どひゃっとインパクトのある看板で、でも、私の写真がどーんと載っているので、とてもとても恥ずかしい。デオデオ本店の裏です。是非、お近くに来られた際には見て行ってくださいませ。

 ボランティアの人が沢山集まってくださっていろいろと仕事をこなしてくださっている。中でも難関はポスターはりだった。選挙の公示の当日、全県で9807カ所のポスターを貼らなければならない。中には、二カ所だけ掲示板のある小さな島やもちろん、山の中も。中でもへえっと感心したのは、宮島だ。宮島は、鹿がポスターを食べてしまうので、どこの掲示板も2メートル60センチの所にあるのだそうだ。だから、ポスターを貼るのに、脚立がいる。脚立を持って車で移動しながらポスターを貼るので、それは大変なのだと。

 いろいろと大変だったけれど、何とかポスターを貼ってくださる方が全県にそろって、明日は一斉に始動するはずだ。どうぞ、事故のないように、少々遅くなってもぶじ追われますように、と、祈るような気持でいる。

 さらに、明日は出発式。ポスターを貼る人は、それぞれ現場に出向き、番号の報せが入るのを待つので、出発式にはでれない。一体、何人の方が来てくださるのだろうか。やはり党や団体のない悲しさ、動員など出来ないので、個人で来てくださるのをじっと待つ。どうぞ、皆様、明日の朝8時半。平和公園の噴水の横。是非是非お出で下さいませ。

 その出発式の後、私たちは新しい選挙カーで遊説に出発するが、大難関が。出来上がったマニフェストに選管のシールを貼らなければならない。これからはこのシールを貼ったものしか配布出来ないから。なんと、19万枚。19万枚というと、途方にくれそうな数だ。今、この事務所には印刷が出来上がったマニフェストが山のように積まれている。このような単純作業もとても大切なことなので。どうか、お時間のある方、少しでもボランティアに来ていただくてと、うれしいです。おそらく、シール貼りは4,5日はかかるはずです。何もかも人に頼って、本当に申し訳ないことですが。

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時間がない!

 ただいま、7月11日午後8時20分。いよいよ明日から選挙が始まる。と言うより、このブログが書けなくなってしまうのだ。どうして、一体選挙が始まると、ブログが書けなくなるのだろうか。まことに、不満だ。でも、ブログを更新すると選挙違反になるらしいから、仕方がない。

 実は昨日から私は選挙の間の空白に備えて、いっぱいブログを書いておこうと思った。一日一個読んでもらって17日間分を。でも、今、もうとてもそんな時間がなくって。それに皆様、沢山コメントをありがとうございます。大変申し訳ないのだけれど、お返事を書く時間がありません。ごめんなさい。ここでまとめてブログに書かせていただきます。

 実は、このブログなるもの、初めてまだ4ヶ月あまり。これは、とても楽しみな事と同時に私に取ってとても強い味方でもある。もし、つらいことや私に対する言われのない誹謗中傷があった時でも、即座にこのブログで反論出来た。でも、これが書けないとなると、私の武器が取られたような気になっている。今でも、K市を中心にとても信じられないことを広められていると聞いた。K市というと、うん、頷けないこともない。いちいち気にすることはないと言っても、誹謗中傷は早くにつぶしたいとは思う。

 どうぞ、皆様、17日後に私はこのブログに復帰します。その時にどんな状況なのか、「皆様のおかげで無事当選しました」といえるのか、「もう、悔しいけれど、残念な結果でした」との報告になるのか、今は分からないけれど。復帰した時には、どうぞ、また暖かく迎えてくださいね。それから、私はコメントをアップしないと掲載されない仕組みになっています。でも、私はアップはできなくとも読むことは出来ますし、また個メールは自由ですので、もし、必要なら、個メールでお返事をさせて戴きます。それに、他の方のブログにコメントを書くことは出来ます。私はこのブログの習慣が付いているので、きっと寂しくて皆様のブログをせっせと読ませて戴きます。ですから、どうぞ私を見捨てないでくださいね。今日、私は時間の限りこのブログを書き続けます。ただ、今からまだ風呂や「やまとの湯」に行って全身清めなければならないし。ああ、もう時間がないっ!!のです。

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政見放送すべて終了

 今日は、大変な日だった。朝10時から始まって、次々と放送局を回り、三カ所で政見放送の録画撮りをした。それと別に二つのインタビュー。

 政見放送ほど過酷なものはないと思う。本番、一発勝負で、やり直しができない。失敗したら、そのまま放送される。それも、5分30秒きっちり。はみ出したら、そのままぷつんと切られて放送される。言い間違ってもそのまま。やり直しが効かないというのは、大変なプレッシャーだ。人によっては、原稿を読む人もあるというが、私は、どうもちらちらと下を向いて原稿を読むというのが好きではなく、結局覚えておいて、というか、考えながら原稿なしで録画をした。それはそれは過酷だ。

 最後はNHKだったが、無事終わった時、つい「イエーイ、終わったぜー」と言って、付いて来てくれている女性達に手を振ったら、Mさんに怒られた。NHKで、なんとはしたない。もっとお上品にしないといけない、と。でも、私は、すべてすんで本当にうれしくて、歓声を上げたかった。無事、入学試験が済んだ受験生のような爽快な気分だ。「ああ、終わった。もう、選挙がすんだみたい」と言って、また怒られた。

 今日の最後には事務所でテレビ局のインタビュー。これも結構きついインタビューで、年金や、格差社会をどうしたらいいか、とか、今回の選挙は何選挙と考えるか、とか、話してもまたつっこみがあって、なかなか性根がいるインタビューだった。ああ、しんどい。これまでも国政に立候補したひとたちはみんなこんな思いをしているのだね、本当に良くやっているのですね、と、改めて感心した次第だった。この後はオフ会だ。

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ピンク車引退

昨日は、朝早くから一時間ほど広島の駅北口で街宣をして、その後、挨拶まわり。そして、午後からピンク車で北に向かった。所どころ挨拶に寄り道をしながら、雨の中、街宣車を走らせた。そして、三次の市内を街宣。車で市内を回るのと、車を止めて街宣もした。雨の中、傘をさして多くの方が立って聞いてくださるのに、感謝。そして、夜ミニ集会。

 全部すませて、ひたすら広島へ。広島に帰ると、夜中にもかかわらず、車は即、待っている人の所へ持って行かれた。ピンクのみぐみ車は、これでひとまず街宣車の役目を終わった。選挙になったら、もう、政策宣伝カーとして使ってはならないということなので、看板をはずし、スピーカーをはずすために。なんだか、しんみりしてしまった。

良く働いてくれた。広島県中、隅々まで走り回って、「みぐみはこの夏の参議院選挙に河野美代子さんを応援します」などと知らしめてくれた。私もよく助手席に載せてもらった。ピンクの派手はで車は、こども達や女子高校生に人気で、良く手を振ってくれたり、キャーッと叫んでくれたり。もちろん、車が一人で走る訳でなく、これを運転してくれる人、アナウンスをしてくれる人があってこそのこと。皆さんボランティアでして下さるので、本当に心から感謝。地道な人々の努力により、徐々に選挙に向かって力が発揮されつつある。

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懐かしい出逢い

 私が立候補を宣言し、街頭でマイクを握るようになって次々といろいろな人に声を掛けられる。街頭で、演説中、いきなり近づいて来られて、「わかる?」と言われると、「うん?」と首をひねる。小学校一年生の時の同級生でも、私が分かって「○○さん?」と言ってそれが正解だったりすると、「わあっ」と二人で喜び合ったりして、演説が中断したりする。小学一年の時のかわいい男の子だった男性のことを人づてに聞いて私が「良く覚えてる。家庭がいろいろとしんどい人だった。おばあちゃんが良く学校に来られてた。そして、ハーモニカがとても上手だった」なんて言ったら、その通りで、「良く覚えてるねえ」と感心されてたりする。私は、結構昔の人のことは覚えている。

 先日は、市場に行ったら、市場のお店の一つで、「中学と高校が一緒だったよ」と言われ「ええっ?」と首をひねったら、向こうから名乗られて、そして「わあ、○○くん。ちっともかわってないねえ」と、60になった男と女が言い合う姿はハタから見るとどうなんだろうか、と思う。でも、彼はそこから市場のお店を次々と案内してくれて、おかげでとても助かった。同級生はこのようになつかしくて、すぐ昔の世界に戻る。ここのところ、中学時代の友だちや、高校時代の友人や大学時代の人たちに次々と出会って、奇妙な感覚になることもある。その人たちが皆さん、応援して下さるのは、本当にありがたいことだ。

 今日は、日曜日。朝の朝市から始まって、次々と移動しながらの街宣をした。途中からは歩きで、まあ、熱い中、ずいぶん歩いて街宣。もう、途中で頭がぼうっとして、熱中症になるかと思った。過酷だ。そして、歩いて一旦事務所に帰った後、すぐにまた車に乗ってアルパークで街宣、帰って少しして、そごう前で街宣。なんと、今日は13回も街宣をした。一カ所20分の13カ所だと、260分。4時間以上もしゃべったことになる。それに長距離を歩いたし。本当に過酷だ。でも、本番はまだこんなものではないという。うん、がんばらなければ。

 ところで、もう公示まで間近。公示になったらブログの更新は出来ないという。二月の終わりから続けて来たものを書いてはいけないなんて、不満である。本当に選挙に関しての法や規制はおかしい。それに、ピンクの車も使ってはいけないと。ピンク車は「みぐみ」というちゃんと届け出をした政治団体の車である。みこし連の時は選挙カー以外にみこし連の車をスピーカーをつけて走らせることが出来た。それなのに、今度はダメなのだそうだ。政党であれば政党の車はいくらでも走らせることができる。でも、私は政党でないので、その車は走らせてはいけないのだそうだ。だから、書いてある字をつぶして、ただのピンクカーで静かに走らせるしかない、でも、それは何の意味も持たないだろう。無所属で立候補というのは、こんなハンディーを背負うということでもある。

 それに、街宣をする時でも、個人名を書いたのぼりを立ててはいけないと聞いて、私はそののぼりを引っ込めた。だから、見ただけでは街宣をしても誰がしているのか分からないだろう。でも、他の陣営の方達はちゃんと名前を書いたのぼりをたてて行進や街宣をしている。ふうん、彼らはいいのかなあ。私だけがなぜいけないのかなあ、といささか被害妄想になりそうだ。ブログは、私は書くことが出来なくなるけれど、でも、ほかの方のブログにコメントを書くのはどうなのだろうか。もしかして、私の誹謗中傷が書かれたなら、それに対する反論も書くことも出来ないのだろうか。さっぱり分からない事だらけだ。

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第一回目の政見放送無事終了です。

 政見放送、無事終了。今日はTSSでの第一回目だった。5分30秒、カメラを見ながら一人でしゃべるのはかなりしんどい。昔取ったきねづかで、演劇の台詞を覚えるのと同じく、しゃべる内容を覚えて頑張ったのだけれど、年金の行方不明50万件とやってしまって、はっと気づいて5000万件と言い返した。その間違ったのも、そのまま流れるのだから、もう、かなわんなあ。冷や汗をかきながら、まあ、なんとか終わった。あとは、RCCとホームテレビとNHKでの政見放送撮りが残っている。やり直しが効かないというのが、本当にプレッシャーだ。

 その後、そのままTSSでインタビュー。これは言い直しが出来るので、緊張間が違う。そのあと、NHKのインタビューだった。これがまたきつい。一問一答で、答えはきっかり一分。一分を一秒でも越えると取り直し。まあ、取り直しが効くのはありがたいけれど、丁度一分というのは、また、プレッシャーだ。その時の、問題の座右の銘は結局「知は力なり」とした。これは、私がいつも中学生や高校生達に講演の中で「ちゃんと知れ。知ることはちからだから。」と言い続けている。その言葉と一致する。

 私がクリニックで患者さんとして来る若い人たちに接していて、つくづく思うのは、「あまりに無知だ」ということである。実際、彼女達は無知で、無知だからこそ行動を取っている。性というのは、知識がなくとも、間違った知識を持っていても行動はとれる。ちゃんと知れば、行動も慎重になるはず。知ることは力だとつくづく思う。今の教育は、「知らせないこと」「知らせると刺激する」などととんでもなく間違った考えが主流となり、だから性教育が出来なくなっている。どこがどう無知なのか、それを順々に話して行くのが、私の性教育の講演の基本で、だから、この度の座右の銘は、日頃私が行動しているそれをそのままにしたに過ぎない。

 選挙も本番が近づいて来て、周りがずいぶんやかましくなって来た。マスコミの取材も日々いろいろと増えて来て、でも、まどわされないように、着実に堅実に日々の行動を積み重ねて行こうと思う。

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政見放送の準備です。

 昨日は、島を巡った後、集会を一つ。その後、また別の島に行った。そこはなんだか、他の方の地盤のはずなのに、大歓迎を受けて、その熱いのにびっくりした。なんだか、おかしい。様々な派閥の軋轢があるのかも知れない。他の方の事情がどうであっても、私が歓迎されるのは、うれしいことだから、張り切って、大雨の中、いくつも街宣をした。帰りは、また、ある駅前で街宣。どこも、人々が暖かいのに、感激だ。

 そして、今日はまた朝6時出発で別の島に行き、フェリーに乗り降りする人に街宣。それに、出会う人たちにお話をし、リーフレットを渡す。どうして、どこも島の人たちというのは、とてもこんなに暖かいのだろう、と、今日も感激した。

 そして、今日は政見放送の準備だ。明日、録画がある。政見放送の録画は、一切編集がない。5分30秒、しゃべったそのままが放送される。もし、時間切れをしたら、それもそのまま。間違っても、くしゃみをしてもそのまま。それも本番一回のみ。取り直しはされない。なんとも、緊張する過酷な義務である。原稿はなんにもないままに、これまでの街宣を元に、やってみた。街宣は、これまで、一回約20分。うんと短くして、10分。それを5分あまりに削らなければならない。これが至難の業で。何回か、一人で練習をした後、スタッフの方達にビデオを撮ってもらった。その後、外に出て街宣。5分30秒を目指してやって見るが、外だと、皆さんが頑張って、と言って下さったり、手を振って下さったりするものだから、「ありがとうございます」なんて、お礼を言ったりして、あまり練習にならない。それに、外で大勢の方に話しかけるのと、静かな所でカメラに向かうのとでは、やはり声のトーンからして異なる。

 また事務所に帰って、皆さんの前でやってみる。その後、今度は、皆さんの前でビデオに撮ってやってみる。まあ、何とかなりそうな所まで来たかも。明日は本番。まあ、もう、緊張するわ。

 そして、政見放送の後、インタビューもあるというし、その後、また他局に行ってインタビュー。これは10問を一問一分でこたえるという、これもまた、難問だ。その中に「座右の銘」は何ですか、というのがある。困った。私の座右の銘なんてないのだもの。あるとしても、「生者必滅」生きているものは必ず死ぬ。だから、生きている内に死に向かってどう生きるか、という事だと思っていたが、でも、こんなのは選挙には実に不適当だ。で、「あなたの座右の銘は何」と何人にも聞いて見た。清廉潔白とか、努力は人を裏切らない、とか、いろいろ出たが、私には、全くふさわしくない。私が清廉潔白なんて言うと、多くの人が吹き出すだろう。それに、私はそんなに努力の人ではないし。そしたら、「私の座右の銘は、棚からぼた餅です」という人がいて、爆笑。そしたら、それもいいけど、「濡れ手に粟」はどう?なんて言う人がいたりして。私、NHKで「私の座右の銘は棚からぼた餅です」なんて、言ってみたいなあ。

 さあ、明日はどうなりますか。選挙に向かって、まだまだ厳しい試練が続きます。

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選挙中の食事と秀子さんに会ったこと

 今、フェリーの中だ。今朝は5時起きで6時出発、島をいくつか回る。青い海を見れると楽しみにしていたが、今日は雨だ。海上は霞んでほとんど見えない。島の人々にあらかじめ連絡を入れると迎えに来てくださると言う。ありがたいことだ。

Mさんがおむすびを沢山作って来て下さってフェリーの中でみんなで朝ご飯だ。まだ私たちがしているのは政治活動であって選挙運動ではない。だから、街宣をするにも、看板やのぼりなどで名前を出すことは一切出来ない。それが出来るのは公示後だ。

そして、選挙が始まると一番頭が痛いのは、選挙中の食事だ。選挙運動をする人たちの食事についても、公職選挙法に細かく決められている。食事は選挙事務所の中でしか認められていない。一食1000円以内。一日45食まで。街宣車で外を走るアナウンスの人や運転する人、候補者などは選挙事務所で作った弁当をもって行くこと、と定められている。でも、街宣車は朝早く事務所を出発するのに、それまでに弁当を何人分も作ることは不可能だ。それに、真夏の暑さの中で車に積んで、移動をするのも、お弁当が悪くならないか心配だ。それに、県内全域だから、遠方に出かける時には、泊まりがけもあるし、昼、夜の二回外で食べなければらないこともある。で、選挙管理委員会にたずねた。そしたら、そんな時は、コンビニでお弁当を買って食べてもよろしいという事であった。ただし、千円以内。街宣中、または夜すんでからでも、決してレストランや食堂で食事をすることは許されないのだそうだ。何とも時代遅れのような法律だけれど、これは、買収、饗応を警戒してのことなのだ。

 選挙といえば昔のイメージでは近所の人が集まって炊き出しをしたりする。でも、今の事務所ではなかなか煮炊きが難しい。運動員の方達に食事をしてもらうのに、毎回お弁当を買うわけにも行かず、やはり何らかの手作りのものを出したい。私の事務所はビジネス街にある。近所には、お昼のサービスランチが競い合うようにいっぱいあっる。それも、6~700円で。日頃は今日はどこのランチを食べようかと、とてもそれが楽しみでもあるのだけれど、選挙中はそれが出来ないのだ。ランチの券を買っておいて「これで食べて来て下さい」と言えたら、どんなにか楽だろうかと思う。本当に公選法というのは、良く分からない。

 いま、一つめの島を回って帰りのフェリーの中だ。フェリーに乗ってほどなく、一人の女性が「河野先生ですか」と声を掛けて来た。「私は20年前に先生の講演を聞きました。今は娘が先生のクリニックにお世話になっています」と。とても遠方なのに、そんな人に出会ってびっくり。そしたら、すぐに男性が来られて、「河野さんですか」と言われる。「応援しています。頑張って下さい。」と。本当にありがたいことだった。

 昨日は大竹の街宣の後、10時半から五日市でイベントがあった。そこまでピンク車で移動しながらテープを流す。ふと、誰からともなく「しおじいさんの所に行こう」となった。急いで事務所に電話をして住所、電話番号を聞き、ナビでたどり着いた。「今日は、リハビリの日かも。うちにいて下さればいいのだけれど」と言いながら訪ねたら、秀子さんに会うことが出来た。秀子さんは、時々塩崎さんのブログの写真に出て来るのより、うんとおきれいで(これは、塩崎さんのカメラの腕が良くないせいだ)言葉もしっかりしていて、なんか、二人で涙ぐんだりして。感激の出逢いだった。急いでいたのと、突然の訪問だったので、短時間の面会だったけど、いつか、もう少し時間を掛けてお会い出来るといいなあ。どうも、塩崎さんのブログのコメントのやりとりを見ると、秀子さんと私は以前どこかでお会いしているらしい。一体、どこで?と一緒に思い出して見たい。

 塩崎様、おっちょこおばさん様、やんじ様、ブログに書いていただいてありがとうございました。それから、shiozyさま、広島ブログの一位は、ちょっと選挙の関連でそうなっただけだと思います。きっと今日はもう落ちているはずです。どうも、すみません。

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街宣していること(5)

今日は、市内を主に挨拶回りと、8回の街宣をした。一回が20分ばかりのしゃべりで、8回だと、さすがに疲れる。もう少し短いパターンもつくらなければ。でも、次々と問題が起きて。昨日から街宣にも入れざるを得なくて、しゃべっているのだが。

 久間防衛大臣の「原爆投下はしかたなかった」の発言には本当にびっくりした。現職の閣僚がこのような発言をするということは、国民のいのちをどう考えているのか、それが露呈したのだろう。一瞬にして無差別に多くの人の命を奪い、生き残った人も、一生放射能の後遺症で苦しめられる。60年以上経ったいまでも、高い発ガン性を持ち、被爆者は二つも三つも癌になって亡くなっていっている。今回の大臣の発言は、その人たちや遺族の心を深く傷つけた。そもそもあの原爆投下は、ポツダム宣言の時にすでに核兵器が出来たという報告を受けたアメリカの軍部が、使ってみたかったという人体実験の要素も含む。戦争は、原爆をつかわなくとも、止めさせることは出来た。もう、誰の目にも日本の敗戦は分かっていたのだから。それなのに、20万人もの人が殺されたことが、なぜ仕方なかったと言えるのか。あまりにひどくて。

 憲法は、国会議員の三分の二以上が賛成をし、国民の半数以上が賛成をして、初めて変えることが出来るという高いハードルによって守られている。私は、このハードルはとてもクリア出来ないだろう、憲法は永遠に続くものと思っていた。しかし、ここに来て、本来野党であるべき民主党が、自民党と共に憲法を変えようという政策に転じたために、国会議員の三分の二以上が今にもクリアされそうだ。国民の半分以上にしても、投票率を規定しないままに、投票したものの半分以上との国民投票法案が通ってしまったために、これもクリアされてしまうかも知れない。

 三年後には、おそらく憲法を変えようと発議されるであろう。こんどの選挙で選ばれた議員の任期中に憲法が変えられるかも知れない。だからこそ、今回の参議院選挙は節目としての大切な意味を持つ。

 私は、医療や、福祉や、介護や、年金や、教育、そして憲法と、これらはすべていのちに集約されると考える。私たちのいのちを私たちの手に取り戻さなければ。このままでは、一体私たちはどこに連れて行かれるのだろう。私たちのいのちはどうなってしまうのだろう。そう考えた時に、私は自分自身が立候補することを考えた。

 私は35年医師をやって来て、医師の仕事が大切であるということは、十分に分かっている。患者さんが抱えている困難に寄り添い、ともに困難に立ち向かう。時には、共に立ちすくみ、共に涙を流しながら、困難を乗り越える方法を考える。それは、大切な仕事である。それが分かっていながらも、あえて私は今回の参議院議員選挙に立候補することを決心した。広島県選挙区は二議席。自民、民主の指定席といわれる所に、私は、割って入ろうとしている。困難は承知の上だ。

 どうぞ、皆様の暖かいご支援をよろしくお願いします。

とぎれとぎれになったけれど、一応今、街宣では、このようなとをしゃべっている。ちょっと堅苦しいのが続いた。次回からは、また、少し柔らかく、これまでの活動で出会った人たちのことを書きたいと思う。

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街宣していること(4)

以下は、昨日下書きしたものですが、パソコンのハプニングでアップできませんでした。やっと復活したので、アップします。したがって日にちがずれてしまって福山でイベントをしたのは、29日金曜日のことです。

 それにしても、広島県内全域の選挙区というのは、とても広い。広いし、夏の選挙で熱いしで、なかなか大変だ。昨日は朝から事務所を出発して、白木を通って向原へ。そこで街宣をして大和町を通って世羅へ。そこで街宣をして今度は御調へ。そこで街宣をしようとしたら、なんと、スピーカーがない。世羅で街宣をしたそこに忘れて来たのだった。やんじさんに車で取りに行ってもらって、その間、一つだけのスピーカーで街宣。なかなかやんじさんが帰って来ないので、スーパーでお買い物。長い間買い物をしていない。卵やおつけものなど欲しいものはいっぱいあったけれど、買ってどうするの?食事を自分で作るの?と自問し、あきらめた。今はとてもそんな状況ではなく、食事は手っ取り早く外食か買ってきたお弁当になってて、さえないことだ。本番になったら事務所で使うかも知れないので、世羅のなしのドレッシングとごまの入ったマヨネーズを買った。そして手作りのアイスクリームと。やっとやんじさんが帰って来たので30分遅れになってしまって府中市へ。府中で待っていて戴いた方達に遅れて悪いことをしてしまった。そこで街宣、そして福山へ。福山事務所で皆様と合流した後、お店に挨拶をしながら駅前へ行き、そこで街宣。その後、丁度開かれている女性の会に行きご挨拶。

 そして、いよいよ、福山でのイベントの会場に。ほぼ会場は満杯で、皆さん、熱心に話しを聞いてくださってありがたった。イベントを済ませた後、こんどは新幹線で広島へ帰った。一日中車に乗るというのは、疲れる。本当に疲れる。まだ選挙ではないので、手は振らないけれど、行く人々にご挨拶の頭を下げる。だから、窓を開けているので、熱い。暑いというより、熱い。もうもう、汗びっしょりだ。本当に先が思いやられる。

街宣していること(4)

 これまで話したように、医療や福祉や介護や年金、そして教育。これらは今の政府が、私たち国民のいのちや生活を大切に考えてくれていないからに他ならない。私たちは、私たちのいのちを自分たちのものとしなければならないと思う。そしてこれらを集約したものが、今の憲法を変えるという動きである。

 私は戦後の広島に生まれた。原爆の廃墟の中で、広島の復興と共に育った。私たちが受けた教育は、とてもいきいきとしていた。「日本は二度と戦争はしない。核は三度使われることはない。男女は平等。基本的人権。」これらの教育は、憲法がしっかりと支えてくれた。男女は平等と今だったら当然のごとく捉えられることだが、それまで私たち女は選挙権すらなかったのだ。立候補はおろか、投票することすら認められていなかった。この、今の憲法が出来て、初めて私たちも女も投票することが出来るようになったのだから。私は、今の憲法は9条だけでなく、このまますべて変えないで欲しいと思う。24条も、25条も、すべて。女は産む機械発言に見られるような、女は子どもを産んで育てるという素晴らしい仕事があるのだから、という理由で女性の社会参加を阻もうとする、いわゆるバックラッシュの勢力が強くなっている。それは、新しい歴史教科書を採択せよ、そして憲法もかえよ、と主張する人たちと重なる。もちろん改憲論者がもっとももくろむのは9条を変えることである。戦争をしない国から、戦争が出来る国へ。私は、私たちの子どもや孫たちを戦場に送ることはしたくない。

「どこかの国が攻めて来たら、どうするのか」そう問われる。日本は、これまでずっと仮想敵国を作って来た。冷戦の時代にはソ連が、そして中国が、今は北朝鮮がせめて来たら、と。しかし、アジアの国々に取って、日本は「攻める」国である。これまで日本に侵略されて来た国々がかろうじて日本への信頼を保って来たのは、憲法9条があるからではないか。日本はもう、決して攻めませんよという宣言が憲法であるのであって、これが変えられると、たちまち日本は他の国に取って脅威となるであろう。それが怖い。私は、他国との紛争は、あくまでも外交による努力で解決すべきものと考える。

続きはまた書きます。

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