« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

街宣していること(3)

 昨晩は無事イベントがすんで、今ほっとしている。藤田真弓さんのコンサートば素晴らしく、参加した人たちの胸を打ったと思う。そして、塩崎さんのご講演も涙が出るほど感激した。私の話は、、、自分では良く分からない。ただ、沢山のことを話し残してしまった事だけは確かだ。これからは、言い残したことを街宣や政見放送やマニフェストや公報などでしっかり伝えたいと思う。藤田さん、塩崎さん、本当にありがとうございました。それに、参加して下さった方にひたすら感謝です。先日の車いすダンスの方々も、パーキンソン友の会の方々も、体が不自由にもかかわらず来て下さった。それに産婦人科の先生方も、お寺の先生も。ひたすら皆様に感謝。  

 そして今朝は早くから大町駅周辺で街宣。昨日は診療の後のイベントで、本当に疲れて、今朝、つい寝過ごしてまた集合時間に遅刻。ボランティアの皆さんも昨晩のイベントで疲れているだろうに、朝早く出て来て戴いて、ひたすら恐縮と感謝。

 そして街宣をすませて今、新幹線に乗っている。今日は大阪の高校で講演をする。先週は福山の街宣の後、そのまま新幹線に乗って徳島に講演に行って来た。選挙も間近いというのに、診療や講演や等の仕事を抱えて、スタッフの皆さんにはひたすら恐縮している。でも講演はこれでひとまず終わって、後は8月以降だ。実は、7月の29日に札幌の性教育の全国大会の司会をすることになっている。そしたら、一週間選挙が延びてしまって、どうにもそれは不可能になってしまった。本当に申し訳ないけれど、どなたかに代わってもらうしかない。診療も7月からはストップして他のドクターにお願いすることになる。そして、いよいよ全力疾走だ。

ここからは今、午後11時過ぎ。帰宅して続きを書いている。

街宣していること(3)  

 年金に対する国民の怒りがあまりに強くて、政府の支持率も急降下だという。そのため、政府、自民党は選挙の日にちを一週間延ばすと決めた。多くの人が本当に大迷惑をしているにもかかわらず。国会を12日間延長して、その間にいわゆる重要法案なるものを審議不十分なままに次々と強行採決している。郵政民営化のあの選挙であまりに多くの与党議員が誕生し、結果、数に任せて暴挙ともいうべく次々と法案を通している。そうしている内に、国民は、やがて怒りをあきらめ、そしてのど元過ぎれば熱さを忘れて、日常の生活に戻るであろうとたかをくくっているのだろう。でも、たった一週間選挙が延びたからといって、こんなことで、国民の怒りが治まるなんて、そんなやわなものではないと言うことを政府自民党に対して、はっきり突きつけたい。

 さらに、教育の問題がある。

 私は、診察室で若者達に出会ううちに、教育の必要性をつくづくと感じるようになった。若者たちは、巷に溢れる情報に接するが、その実、驚くほど無知である。

 私が今のクリニックを開業して10年間で、私のクリニックに来た患者さんの内、初診時年齢が10代だった人は、計4537人、内、10代の妊娠は1109。うち、人工中絶が75%。20%弱が出産。そして、残りの5%が自然流産や子宮外妊娠や胞状奇胎というような異常妊娠だった。出産の内には、病院に来た時には、すでに遅かった、法律的に人工中絶が不可能となって初めて病院に来た、そしてやむを得ずの出産、でも育てることができなくて、私のお世話で養子縁組という、そんな出産も含む。彼女たちのほとんどは、中、高校生で、だれにも相談できず、ひとり抱え込んで悩んでいるうちに時期が経ってしまったと言うものである。でも、そういう出産をした最低年齢の子は11才、小学校5年生の妊娠である。私は、小学生の出産2人に接しているが、二人とも犯罪の被害者だ。ということは、小学生の女の子を妊娠させた男性がいるということでもある。
 

 私は、若者達に生きる力をつけるためのいのちの教育を行いたい。そう切実に感じ、本を書き、全国走り回って、学校の生徒や保護者や教師達に講演をして来た。でも、ここに来て、その教育はとても難しくなって来た。少数ではあるけれど、お金があって声の大きい団体の人たちによって、政府や文部科学省や教育委員会を動かし、このような教育が不可能になった。その人たちは、歴史教科書を変えよという運動をしている人たちとほとんど重なる。その教育が不可能になった結果、私のクリニックではどんな現象が起きているか。中学生の妊娠が相次いでいる。

続きはまた書きます。

 明日は、朝から街宣車で出発して、県の中央部を走り、街宣をしながら福山に行く。夜、福山でイベントがある。どうぞ、沢山の人に来て頂けますように。

 

| | コメント (13) | トラックバック (0)

緊急にお伝えしたいこと

 街宣すること(3)は次回にして。緊急にお伝えしたいことを。

 最近になって、次々と私に対する誹謗中傷が耳に入るようになった。それは、気分のいいものではない。ぐさりと傷つくこともある。それでも、これも私のことを気にする人がいるためだ、と思うことにした。他の陣営にとって私が取るに足らない存在であるなら、そのような中傷は出ないであろう。

 それにしてもひどいことを言う。私を「右翼日和見主義」と書いた者がいる。「日和見主義」といわれれば、それは仕方がないこと。かなり主観が入る事だから。でも、「右翼」とは何だ。失礼な。

 それから、表面は無所属のふりをして、実は党と繋がっている、との文章も目にした。こんな文章が出るから、マスコミもしつっこくそのことを聞いて来るのだろう。私は、4月20日に立候補を決め、27日に政党の推薦を受けないと決めた。その結論に至るまでは、悩みに悩んだ。推薦なしでやることを決めたからには、これはあくまでも、いつまでも、無所属である。もしも当選したなら、どこかの党に入るなんて、誰かがしたようなことは決してしない。無所属で貫く。選挙の為のお金も全部自分で出さなければならないという、そんな困難も十分に考えた末のことだ。一週間選挙が延びたから、党から公認料をもっと出してもらわなければ、と、インタビューでこたえていた自民党の議員がいた。党に寄りかかる姿勢が明らかで、私は嫌悪感を持った。お金で党と繋がっている。

 無所属では、なんにも出来ないのではないか、という質問も良くされる。誰かさんが無所属で出たけど、一人ではなんにも出来ないから、と自民党に入ったではないか、と。それは、その人だから、そうなのでしょう。私は違う。無所属、即、一人とどうして決めるのか。さらに、そうであったとしても、一人ではなんにも出来ないと、どうして決めるのだろう。

 参議院には無所属の会というのもある。それから、私が何よりも魅力を感じているのは、国会議員の持つ「調査権」である。○○についての資料を出してください、とどの省庁にも言うことができる。それから、ある件については、意志を同じくする党の人と同調することもできる。さらに、議連がある。ある事について、超党派で連盟をつくる。たとえば、死刑制度についてだとか、脳死、臓器移植についてだとか、数々の議連が作られている。私は真っ先に「いのちの教育議員連盟」を作りたい。産科の医療について厚生労働省に調査したいこともいっぱいある。むしろ、党に縛られて、党議拘束などが出ると、自分の意志を押さえなければ除名だとか、縛られる不自由の方が私には合わない。党の一員になることで活躍ができる、と考える人たちと、私の考える仕事とは、異なる。

 私の友人に中川智子がいる。以前、社民党の衆議院議員であった。彼女は異色の議員で、次々と議連を作って、例えばヤコブ病の患者さんの支援や、介助犬法を作ったり、無年金の人で事故で体が不自由になった人たちの救済に駆け回った。弱い立場にいる人たちの救済のために、多いに力を尽くした。私は、無所属でもしたいことがいっぱいある。それは党が悪いというわけでも、嫌いだと言うわけでもなく、無所属ですることの覚悟をしっかりと決めている。そこに至るまでには、いろいろと考えることがあった、ということだけをお伝えしたいと思う。

 明日は、いよいよ市民の集いだ。私たちは組織もないので、県民文化センターで500人規模の集会をする。オペラ歌手の藤田真弓さんがコンサートをしてくださるし、広島ブログのトップ独走のshiozyさんがいのちの話をしてくださる。そして、私の話も。一方でもう一人立っている女性は、同じ日、同じ時刻に厚生年金会館で3000人集会をするのだそうだ。お金や組織がある人というのは、ちがうよねえ、すごいなあ、と感嘆している。でも、皆様、どうぞ、私たちの手作りの会にいらっして下さいませ。お待ちしています。

| | コメント (25) | トラックバック (0)

街宣していること(2)

 なかなか更新できなくてすみません。なにせ、ぎりぎりの生活をしていて、本来なら夜寝る前にブログを書くのだけれど、最近はやはり疲れているのでしょう、いつの間にか居眠りをしていたりで、書かないままに横になってしまうことが多くて。

 22日は朝6時50分に集合して向洋駅へ。雨の中、マツダに出勤なさる多くの方達に街宣をしました。そして、その夕からは次々とご挨拶回りです。いろいろな方達と出会う中で、とくに、車いすダンスのチームの方達との出逢いは鮮烈でした。練習で最初に踊って見せていただいたのはなんと「冬のソナタ」でした。車いすがくるくると回ってそれはそれは素敵でした。私は、韓流ドラマの大ファンです。それも冬のソナタは別格で、私のパソコンにはヨン様の写真が貼ってありますし(飛行機に乗る時にパソコンはバックから出して渡さなければなりません。それがとても恥ずかしいのですが)ショルダーバックにはボラキスが、携帯にはヨン様がぶら下がっているし、口紅もヨン様のサイン入りのだし、カードケースはヨン様のケースだし。だから、冬ソナのリュウさんのあの歌でくるくると回る素敵なダンスを見た時には、涙が出そうでした。様々な体の不自由な方達と、不自由のない方達とのコンビのダンスは、とても鮮烈で、そしてこんな活躍をしている方達のことを知っただけでも、私にとっては勉強になりました。

 23日は土曜日で診察なので、お昼時間と診療がすんで夕方には二カ所で街宣を。そして昨日24日の日曜日は午前中にピンクの街宣車で広島を出発して、呉駅前で街宣。東広島の夢タウン前で街宣。そして竹原を通って忠海の駅前で街宣。雨の中、多くの人が集まって下さってありがたいことでした。そして、いよいよ三原に移動。まず三原のジャスコ前で街宣。そこは、なんと自民党から立候補を予定していらっしゃる方の事務所と国民新党の事務所がほとんどくっつくようにしてありました。それに気づいて、ここで街宣しては嫌みだからやめようとしたのですが、良く見ると、どちらの事務所にも鍵がかかっていて、人の気配がありませんでした。だから、思い切ってやりました。次に三原駅前で街宣した後、福祉センターの集会の会場へ。思いの外、多くの方が集まって下さっていて、会場はいっぱい。ありがたいことでした。そして、その後、広島へ。一日中車の移動と街宣で、本番の予行演習のようですが、すっかり疲れてしまいました。

 済みません。くどくどといい訳をしているようですが。街宣の内容の続きを少し。

 いわゆる医療難民、介護難民、そして、今、お産難民と言われる方達が全国で50万人を越えると言われています。次々と病院が産科病棟を閉鎖し、赤ちゃんを産みたくとも産む病院がないという人たちです。お産を扱う産婦人科の医師が減ってしまったためです。先日私は広島県の県北の東部、東城に行きました。そこの方達はお産をするのに、60キロも離れた三次市内まで車で行き、妊婦健診をうけ、そこでお産をしなければはなりません。私は事故が起きるのではないかと心配です。60キロも移動している内に、車の中で赤ちゃんが生まれてしまうということがないでしょうか。これは、少子高齢化が問題にされているにもかかわらず、産婦人科医療に何らの手を打たなかった厚生労働省の責任であると思います。

 さらに、現在毎日報道されている年金の問題です。国民が汗水垂らして必死で働いて、半ば強制的に納めて来た年金が、5000万件も行方不明だと。現在年金を受給している方が3000万人。きっと、自分でも知らないままに、本来もらうべき金額よりも少なくしかもらっていない人たちも多くいるでしょう。一方で厚生年金は、全国にグリーンピアなどの豪華な建物を大金を使って建てました。そのお金は、私たちから徴収した年金です。そのほとんどの施設が大赤字。たいへんな累積赤字を抱えて、二束三文の只同然で他の団体に売り渡してしまいました。こうして、私たちの納めた年金の多大なお金が消え去りました。そして、それを今回の行方不明。一体、社会保険庁は、いえ、厚生労働省は、政府は、国民のいのちや生活をなんと考えているのでしょうか。

 私自身も自分の年金を調べに社会保険事務所に行きました。なんと、私の年金はほとんどないと言われました。私は25才で医師になり、ずっと働いています。年金も納め続けて来ました。勤務医を辞める時には、ちゃんと国民年金の手続きもして納めています。今は、また厚生年金です。でも、私の年金は二つに分割されていました。一人の私に二つの番号がありました。さらに、農協系の病院に勤めていたその期間がすっぽりと抜け落ちていました。農協の年金は、今厚生年金と一元化されています。でも、私のは一本にされていませんでした。そんなのだから、もう、バラバラで、だから、年金はほとんど頂けないという事だったのです。私は以前勤めていた病院で勤務していた期間の証明をしていただき、社会保険庁に送り、そして数ヶ月経ってやっと一本にしてもらうことが出来ました。なんと、こんなことが日本中の多くの人たちに起こっているのです。

 続きはまた書きます。とぎれとぎれですみません。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

街宣していること(1)

 今日は朝、福山の駅前で街宣をした。昨夜最終の新幹線で福山に行き、駅前のホテルに泊まって朝に備えた。他のスタッフは、昨夕から街宣車で福山に入っている。みぐみのピンクの車だけれど、新装して昨夕出来上がった新品である。もう、派手派手で、もうもうすっごく恥ずかしい。それに乗っていたら、みんなが見る。「みんなが見て恥ずかしい」と言ったら、「見てもらうための車でしょ。見てくれなかったらどうするんですか」と、みんなに言われる。

 朝6時半に起きて、準備をして駅に向かっていたら、一段と目立つ車がもう駅前にいた。8時になってマイクが使えるようになるまで、駅前で出勤途中の皆さんに挨拶をしながらリーフレットを配る。その内、福山の支持者の方達が10人ばかり次々と来てくださってみんなでリーフを配る。福山の人たちは皆さん、良くリーフレットを受け取って下さる。朝の街宣はどこの駅でやっても、皆さん急ぎ足で険しい顔をしていて、なかなかリーフを受け取ってもらえなかったりする。が、今日の福山の方達はとてもやさしかった。それに、また頑張って下さい、とか、お世話になりました、とか、講演を聞きました、とか、握手を求めて来て下さる方が福山にも何人もいて下さってとても元気が出る。

 街宣では、私はまず35年間医師をやって来ての実感の医療、福祉の後退について始める。今の政府は私たちのいのちを守ろうとしてくれていない。どんなに重症の病気で入院をしても3ヶ月経つと退院を迫られる。入院が三ヶ月をすぎると、健康保険で決められている入院費がどんと減額される。それは病院の経営を圧迫する。病院は、それまでの患者さんに出て行ってもらってそして新しい患者さんに入院してもらわなければ経営できなくなる。これは、厚生労働省の方針である。国民のいのちを守るべき厚労省が医療費削減のために課している悪しき方針だ。患者の家族は自分達で新しい病院を探し、受け入れをお願いし、そして自分達で転院させなければならない。私は、真っ先にこの三ヶ月の見直しを迫りたい。

 一人親家庭に対するサポートもどんどんと減額されている。特に母子家庭のお母さんは非正規雇用がほとんどだ。苦しい生活の中で懸命に子育てをしている方達の生活がどんどんと圧迫されている。

 介護もしかり、今、コムスンが問題にされているが、一人コムスンの問題だけではない。見切り発車的に始めた介護保険そのものの問題である。さらに介護保険の見直しがなされ、どんどんと要介護の認定が下げられることにより、十分な介護が受けられない。その分、ひたすら家族に負担をがかかり、介護する人もされる人も本当に大変な状況にある。私は広島県の山の中の施設と、島根県の県境にある特別養護ホームに見学に行った。そこには、広島市の方が何人も入所していて、びっくりした。広島市の人が特養に入ろうとすると何年も待たなければならないからだ。あちらこちらの施設に登録しておいて開いたらたとえ遠方でもそこに入れていただかなければならない。十分な施設を作るよりも、介護は家庭で、というのが厚労省の基本的な方針になっているから。

 私は、岡山県のある町に見学に行ったことがある。そこは、「みんなに優しく、みんなでたのしく」が町の方針になっていて、高齢者に対する施策がものすごく充実していた。あらゆる高齢の方、病気の方、心や体に不自由を抱えている方達が、それぞれに応じて介護がうけられる。パワーリハビリも充実していて、要介護4の方がリハビリを続けたら、どんどんと良くなっていて、ついに介護を離脱した、なんて話も聞いた。施設を出られるようになっても受け入れの家庭がない人には、町が用意したバリアフリーのアパートに住んでそこにヘルパーさんが行く。こんなまちぐるみ、お年寄りなどに優しい町も、でも、県の指導によって広域合併したことにより、それまでの方針が維持出来なくなったと聞いた。

 この国は今どこに行こうとしているのだろうか。このままでは、どんどんと国民のいのちがないがしろにされていく。そんな国の方針に私は、少しでもストップをかけたい。(続きは、また、書きます。)

| | コメント (9) | トラックバック (0)

またまた怒られてしまった

 またまた、今日怒られた。原因は昨日のブログだ。何でもかんでも大っぴらにすればいいというものではないと。

 一つは料理教室で生徒さんが作った料理をごちそうになったこと。これから選挙の候補者になろうとする者は、人におごってはいけない、おごられてもいけない。これは公職選挙法に違反する。私は、この法律には抵触しないように、ことさら気をつけている。だから、昨日はごちそうにはなったけど、材料費として1000円払った。それは、ブログには書いていない。1000円という金額が適当か否か、料理教室の材料費が一回いくらなのか、聞いてはいない。料理教室の月謝がいくらなのかも聞いてはいない。私は料理法をならってはいないから、講師への謝礼はいいはずなのだけれど、一体いくらでしょうか、と聞いて、人数で割って、それを払うというようなことはしていない。戴いたお料理を見て、1000円払っただけだ。当然、教室の先生はいらない、これはおごり、と言われたが、それは選挙違反になるから、といって半ば強引に受け取っていただいた。こんなやりとりをブログに書くのは、無粋なことだけれど、でも書かなければ誤解される。いや、そもそも誤解されるようなことを書くのが悪い。書いたのが悪かったのだ。

 もう一つ、35万枚だとか50万枚だとか、具体的なことは書くものではないのだと。こんなのは、恥なのだと。自民党なんて、200万枚も300万枚も配るのに。自分では、自慢のつもりで書いたのでしょうが、そうではなくて、逆に恥をさらしたのだと。敵に情報を与えるものではありません、と。

 もう一つ、市会議員の馬庭さんというような具体的な名前は書くものではありません、と。でも、私は、これを書いた時に馬庭さんには声を出して読んで、聞いてもらって、了解を得ている。本人がいいと言ったのだから、全然問題ないはずなのに。

 怒られて、ちょっとがっかりだ。私はできるだけ秘密がないように、大っぴらに市民の皆さん監視の下で選挙をやりたいだけなのに。もちろん、他の陣営の人が読んでいるであろうことも承知の上。やましいことなんて、何もないと思って書いているのだが、そんな私は甘いらしい。こんなことを書いたら、また書いた、と怒られるのだろうけれど。スタッフの皆さん、すみません。でも、本当は書きたくて、でも、ぐっと押さえていることもいっぱいあるのですよ。特に、とても腹の立ったこと、つらかったこと、情けなかったこと、こんなことは書くとみんなに心配をかけるし、みんなが憂鬱になったらいけないから、ひとり、私の胸に納めているのですよ。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

ポスターが出来た

 今日、本番用のポスターができた。ウラに両面テープを貼るためにどっとボランティアの人が来てくださった。30人のボランティアと、20人足らずのスタッフとでさすがに広い事務所も熱気でむんむん。みんな雑談などをしながら楽しく仕事をした。大勢のボランティアのおかげで一日で一万枚ものポスターが全部できあがった。後は発送だけなのだか。一方、組織のない悲しさ。具体的に告示になった時にポスターを貼ってくださる方を全県下に手配しなればならない。それがまだ出来ない。スタッフは頭を抱えながらお願いの電話をする。もし、ポスターが貼り切れなかったら、スタッフが県内を走り回って何日かかかって貼るしかない。つくづく個人で選挙をすることの困難さを感じている。でもお電話で頼んだ方もほとんどの人が気持良く引き受けてくださる。

 一方で、雰囲気はとても良い。昨日のアルパークでの街宣などは、元患者さんや戦争を体験したお年よりなどが次々と寄ってくださって励ましてくださる。真っ赤のバラの花を下さった方もいた。リーフレットを多くの方が受けとって下さる。事務所からもリーフレットや公選はがきが飛ぶように出て行く。たぶんものすごい通信費になるだろう。今、リーフレットは35万枚がもうなくなりそう。本日、もう15万枚の印刷を急遽頼んだ。印刷費も膨大になりそうだけれどうれしいことだ。本当に、ここまで拡がるとは、予想ができなかった。体の疲れなんて、全く感じず、元気で楽しい。

 多くの方が、私に「体は大丈夫ですか。体だけは気をつけて」と言って下さる。私は本当に元気なのに。たぶん、「更年期ダイアリー」を出版した時にサルコイドーシスという変な病気に罹っていて、そのそれが報道されたから、そのことが皆様の頭に残っているのだろうと思う。

 今日の昼は、ある文化センターの料理教室の先生が私を呼んで下さって、生徒さんに紹介してくださり、さらに丁度出来上がったお料理のお相伴にあずかった。久々のごちそう。ここのところ、食生活がよろしくない。ある日などは、お昼が日清のごんぶとかきあげうどんで、夜がやはり日清のどんべえのさくさくかき揚げうどんという、インスタントうどんの連チャンだった。(ちなみに、どんべえのかき揚げうどんは、とてもおいしくて、いつも売り切れ、なかなか手に入らないものなのだから、ばかにしないでほしい)さすがにそれは少し反省してそんなことはしないようにしているけれど。選挙は体力的に厳しくて、市会議員の馬庭さんは7キロもやせたそうだ。私は今、二キロ減。まだまだこれから長期戦なのでどれだけ減るのか楽しみではある。食べ物に気をつけながら、それでも徐々にやせられたら、それが一番の理想だわ、と楽しみにしている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

靴が偽物だった話

 友人が来て、先生、足が痛いと書いてるけど、この靴履いてみて、と、自分が履いている靴を脱いで私に渡してくれた。なんともきったない靴だったけど、履いてみると実に気持いい。底がふわふわとして、かつ、小さなぼつぼつがあってそれも気持いい。ゆったりして、いて外反拇指にも小指にもなんの影響もない。わあ、これは、一体、なんなの?私は全然知らなかった。CROCSといって、全世界で爆発的な流行になって、なかなか手にはいらないものだと。その友人は、海外旅行でもいつもそれを持っていくのだと。とても楽だ歩いても歩いても全然足が疲れない、と。と、それを見た事務局長がああっと声を上げた。今朝、電車の中で若い女性がこの靴を履いているのを見た、と。そして、かわいそうにね、若くてきれいな女性がこんな粗末な、ベトナムのゴム草履みたいなのを履いて、と思った、その靴だ、と。それは、私も欲しい。足が痛い、痛いと言っていて、いろいろと靴を買ったけれど、どうにもぴったり来ない。幅がいいと思ったら、底が固くて、リウマチにこたえる。底が柔らかいと、幅が狭すぎて外反母趾や小指が痛くなる。でも、この靴はとても具合が良くってびっくりした。こんな靴があるなんて。

 で、早速にインターネットで情報を見てみた。そこでまた驚いた。とても人気のある靴で、ほとんどが売り切れ。でも、次の日の朝10時から数限定で売り出す、という。これは申し込みたい。でも、その時間に私はパソコンに向かうことはできない。で、朝、街宣に向かう途中、運転している河口さんに、かくかくしかじかと話しをした。河口さんは「クロクス?クロクスってこれ?」と足を上げた。そしたら、なんと、河口さんも、きったないクロクスの靴を履いている。「ええっ、河口さんも履いているじゃないの。私が足が痛い、痛いと言っているのに、どうしてこんな靴があることを教えてくれなかったの?」と文句を言ったら、こんな靴は私ははかないと思っていたと言われた。河口さんの会社では、沢山インターネットで買って、社員みんなに配って、皆さんこれを履いて仕事をしているのだそうだ。今、私に必要なのは、おしゃれより何より、快適に履ける靴であって、見かけはどうでもいいのだ。

 そして、街宣の後事務所に帰ったら、河口さんが早速にパソコンを開いて、インターネットで探してくれた。なんと、私が見た情報とちがう情報で、たちまち靴を探し出してくれた。そして、売り切れではなく、ちゃんと買えると。すぐに購入を申し込んだ。濃いピンクと薄いピンク。もう、びっくりした。パソコンの達人になると、こうも違うものなのだ。

 そして昨日、たった一日で、もう商品が来た。早いねえ、と感動しながら、履いたら、とても気持がいい。そして、初めてクロクスを教えてくれた友人に連絡をしたら、「ちゃんとワニがついてる?偽物が多いからね」と言った。うん、大丈夫。ちゃんとしている。と話して、るんるんでそれを履いて帰った。が、ふと、彼女の「ワニ」と言った言葉が引っかかって、靴をみたら、ワニなんていやしない。それに、CROCSの字もない。わあ、これは偽物だった。だから売り切れでなく、あったのね、と納得。

 次の日、すなわち今日、偽物だったと河口さんに伝えたら、靴を調べて、そう、偽物と言った。楽天もひどいことをすると。で、またパソコンを叩いている。そして、ある!広島に売っている。と、事務所を飛び出して行って、すぐに靴を抱えて帰って来た。売ってた!と。いろいろな型で、茶色と黒と水色。あっという間に私は靴持ちになった。これをいろいろと履いてみて、本番までに、何とかぴったりの楽な靴を探し出したい。今、実は一番楽なのは、その、偽物のピンクの靴で、それでアルパークの街宣に行ったら、若い子達に受けていたらしい。ああっ、あれ、あの靴履いてる!と。大人にはただの汚いぞうりに見えてだめでも、若い人たちはやはり知っているのだ。さあ、私の一番の難問、足が痛いというのは、これで解決しそうだ。どうも、河口さんが私の足の写真を撮ったりしているから、彼のブログにもこの事を載せるのかも知れない。もし、どんな靴なのか、足で悩んでいる人、写真を見るのだったら、私のブログとリンクしている河口さんの「好きです、ひろしま・ヒロシマ・広島」を見てみてください。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

街宣と大学での講義と

 今朝は五日市で街宣をしした。8時からだと、もう出勤のピークを過ぎているのかもしれない。人々が案外ゆっくりしていて、リーフレットも良く受け取っていただける。足を止めてじっと聞いてくださる方もある。そして、二カ所目の街宣をじっと聞いていた方が、私の話が終わると、近くに来て下さった。そして、
「以前私の娘が高校生で妊娠して、その時先生のアドバイスで結局子どもを産みました。今は、二人の子どもに恵まれて、元気に幸せにしています。ありがとうございました。あのとき、先生のアドバイスがなかったら、とても高校生で出産をさせることは出来なかったと思います。一度、お礼を言いたいと思っていました。今日、ここで会えて良かったです。」と言われた。高校名を聞いて、私は誰なのかすぐに分かった。私もとてもうれしかった。こんなことを言ってくださるのも、自ら街頭に出て行って人々に話すからだ。一週間前には「三年か四年前に痒いといって見てもらったでしょう。」と話しかけられて、とまどってしまったこともある。考えてみれば、私はもう10万人の患者さんに出会っている。患者さん自身やその家族の方々があちらこちらにいらっしゃるのも、当然のことだろう。医師を地道に長くやって来たということは、こういうことなのだろうな、と思う。

 五日市から事務所に帰ってすぐに今度はある大学に行った。そこの学生に講義をする。国際関係論の中での講義なのだが、でも、とても限られた時間なので、私は、「もっとも大学生に知っておいていただきたい、性教育のダイジェスト版にしたいのですが」と言うと、教授はとても喜ばれた。性と言うのは生殖であることや避妊の話など、まあ、大学生が良く聞いた。約百人の男子も女子も、みじろぎもせずというくらい、良く聞いた。「うちの学生がこんなに良く講義を聴いたのは初めてです。」と言われた。特に、男子学生は、こんな授業を受ける機会はなかったのではないか。本当は、出会い系サイトの話、立ち会い分娩の話など、もっともっと話したかったのだが、時間がないので、また、呼んで下さい、ということにした。

 講義の後は、挨拶回り、そして夜は高校のクラブのOB会が打ち合わせ兼激励会をして下さったので、そこへ。今後の協力体制などをしっかり打ち合わせていただいた。ありがたいことだ。その後産婦人科医の集まりに行ってご挨拶。皆さん、本当に良く協力して下さって感謝。私は、ドクターというのは、ほとんどの方が自民党支持で、私が無所属で出ることを困ったものだと思っていらっしゃる、と思っていた。とんでもない、身近なものが出るということで、こんなに協力して下さるということを知って、感激した。今夜はそれらに平行して、私の裁判を支援する会の方達がニュースレターの作成と発送の仕事をして下さっていた。それを終えた皆さんと事務所で合流。出来上がったニュースレターを見せていただいてまた、感謝。発送だけでなく余分を事務所に来て下さる方達にも配ることにした。

 帰りがまた深夜になって、足がへとへとにだるいけれど。頑張らなくっては!!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

死んだ父が応援してくれている

 郵便局から、振り込み票のコピーが送られてくる。私は無所属なので、政党助成金などの支援はなく、選挙も全く個人のお金でしなければならない。広島県全県での選挙だから、とても広いし、郵送料、電話料だけでも恐ろしいほどのお金がかかる。情けない話だけれど、リーフレットや公選はがきを送る時に、ご寄付のお願いの文章と振り込み票を入れている。それを使って振り込まれたら通知が来る。昨日の通知で、県東部の島の住所で、お名前を全く知らない方から、とても沢山のお金が振り込まれたことを知った。「重い歴史と遠い憶いで歩みます」と書いてある。

 どう考えても分からない。住所は、先日私の方から友人に当てて、沢山のリーフレットや公選はがきを送った、その近くだ。彼から受け取られたに違いない。でも、見知らぬ私にどうして、こんなお金を?分からないから、思い切ってお電話をした。私が名乗ると、すぐに分かってくださった。ご寄付のお礼を言った後、「あのう、私は○○さまを存じ上げていないのですが、、、」と言うと、「ええ、そうでしょう。○田○夫と私は親しく付き合っています。」やはり、そう。私がリーフレットなどを送った友人だ。「そして、長谷川治茂先生」と言われて、飛び上がった。「はいっ、私の父です。では、○○さまは広島二中でいらっしゃいましたか。」「ええ、私が二中の一年生と四年生の時、担任で受け持っていただきました」と言われた。それで分かった。私はリーフレットに父のことを書いている。父が広島二中の教師をしていて、原爆により、教え子を全滅させてしまったこと。父は全く偶然に助かった。そして、私たちにしっかりと「戦争はもう二度としてはいけない。核は決して三度使ってはならない。平和憲法は守らなければならないもの」と叩き込んでくれた。そのようなことをリーフレットに書いている。それを読まれてのことだった。父の教え子さんだったのだ。

 父は、生前、選挙に出るのなら、少しでも早いほうがいい、とよく私に勧めていた。今回、夫と、もしお父さんが生きていたら、せっせと教え子さんに頼んでくれたでしょうにね、なんて話していた。残念ながら死んでしまっているけれど、それでもこうして教え子さんが遠方にもかかわらず連絡してくださって、寄付までして下さった。本当にありがたいことで。心から感謝。いつか必ず訪ねて行って、直接お礼を申し上げたいと考えている。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

反省したこと、怒られたこと

 先日のオフ会で。ゆうさんからだったと思う。ひまちゃんからのご意見で、「障がい者」という言葉は、使わないように出来ないものだろうか、何か別の言葉に変わらないだろうか、と言われています、と伝えられた。はっとした。単に障害を障がいと害の字をひらがなにすればいいというものでなく、障害ということばそのものの問題だったのだ、と。私は、今マニフェストを作っている。そのマニフェストには、「障害者自立支援法」の撤廃等を入れている。で、その項目に「障害を持った方」という言葉が入っていた。すぐにスタッフに「体の不自由な方」という言葉に変えるように、と伝えた。この言い方はどうだろう。当事者の方々に聞いて見たいので。ひまちゃん様、この言葉はどうでしょうか。

 オフ会の日、街宣で怖かった話を書いた。その街宣の次の日の朝、7時半集合で、8時から広島駅前で街宣をすることになっていた。でも、目がさめたら、7時半だった。もう、びっくりして、すぐに事務所に連絡して、直接駅に行くから、と言って、大急ぎ。タクシーで駅に駆けつけたら、8時7分だった。もう、平木さんがマイクを握っている。横に並んで、息を整えてから代わってしゃべった。街宣がすんで車に乗る時、河口さんが怒った。「遅刻!」と。「すみません。だって、寝たのが4時半だったんだもん。起きたら7時半だった」と言ったら「遅刻にいい訳はなし!」と、また怒られた。前日の怖かった街宣の後、催促されている原稿を二つ、新しい本の後書きと、連載の月刊誌の原稿を書いた。そして、マニフェストの最終的な考察。すんだら4時半だったのだ。そもそも7時に起きるのが無理な話だった。

 河口さんは、秋葉さんの選挙の時にずっと秋葉さんの送り迎えをしていたのだが、一度も遅刻をしたことがない、と。朝、渋滞しそうな時は思いっきり早く行って、秋葉邸のそばで一時間もじっと待っていたりしていたのだそうだ。すごい!ひょうひょうとしているようでも、会社を経営する人というのは、そんな厳しいものなのだと、思い知った。わあ、これからもう、朝の街宣、遅刻しないように、と、とても緊張してしまう。私は緊張すると、ますます不眠になって、うんと遅く眠るようになって、起きるのもつらくなりそう。まだ選挙も本格的に始まってもいないのに。明日はバスセンターの近くだから楽だけど、あさっては五日市駅前、来週には、福山での朝の街宣まで入っているのだそう。きゃあ、ほんっとにもうっ!自信が全然ない。前の夜から近くまで車で行って、その中で寝ておこうかしら、と、本気で考えている。

| | コメント (17) | トラックバック (0)

オフ会で楽しかった後、怖かったこと

 遅ればせながら、10日の日曜日、高陽オフ会に行った。ブログで読んだオフ会が楽しそうだったので、文月さんに今度ある時は教えてください、と頼んでおいたもの。文月さんがちゃんと教えてくださって。喜んで参加の申し込みをしたら、後で当番医であることを知った。で、午前中だけ私が診療をして、午後は中原先生に代わっていただいて、オフ会に。遅くなったので、もうバーベキューは済んでいて残念。でも、バナナのバーべーキューとイカの焼いたのを食べさせて戴いてうれしかった。私は、ピザを二つ買って持って行っていたので、それを残り火で暖めて戴いた。文月さん、広島人ゆうさん、想像どおり、優しい方たち。でも、文月さんのお母様と私が同じ年で、もうお孫さんが7人もいらっしゃるということを聞いて、いささかショックでしたね。それに、masamiさん、大変失礼してしまった。いつも読んでて、ファンの一人なのに、「私のいちにち」を書いているのがmasamiさんだとは、認識していなくて、ご挨拶されたのに、本当に申し訳ないことでした。だって、やんじさんがおいしい水出しコーヒーを買って来てくださったのに、そのこともお話できなくて、後悔しきり。もしmasamiさん、このブログを読まれていたら、本当にごめんなさい。

 それにしても皆さんお若くて、私のこどもや孫の方達のようで少し場違いだったかも知れないと思いながら、それでも、本当に久々の緑の中で、ほっとした一時を過ごさせて戴いた。皆さんの子どもたちを見ながら、一緒にピザを食べながら、昔を思い出していた。私の子どもたちが小さい頃は、せっせと山や海に行っていたこと。お弁当を作って家族みんなで外で食べるのが何よりおいしかったこと。でも、こどもが大きくなったら、もう、そんなこともなくなって、夫婦二人で山に行くなんてこともなくなって、自然に触れる事なんて、めったにない、本当に久々の何年ぶりかのことで。しばし感慨にふけっておりました。お世話役の文月さま、皆様、本当にありがとうございました。

 早々に失礼して、夕方から街宣に。そこで、とんでもないことが起こってしまった。私か゛街頭でマイクを持って話していると、バイクに乗った男性が目の前にバイクを止めてヘルメットを取り、サングラスをかけて、腕を組んでじっとみている。何となく、へんな雰囲気だなとは思ったのだが、突然、「赤ちゃんポストはどう思うのか。」と大声での質問。それには、私の思う所を述べたのだが、さあ、そこからが大変だった。人工中絶はどう思うのか、戦争はどうなのか、天皇はどうか、靖国はどうなのか、答えても答えても、次々に質問が来、そのうち、大声でどなりはじめた。目が据わっている。あまりに大声なので、人垣ができはじめた。何とかしなければと思っても、「私には次の予定があるから」と言っても、「逃げるのか」とか「わしは話し合いをしたいだけだ」「わしの質問に答えろ」とか、どうにもならない状況になってしまった。そのうち、スタッフや見ていた人が割って入ってくれ、携帯電話で連絡を受けた事務所の人が飛んで来てくれて、男性をなだめてくれた。そしてスタッフが「事務所に行きましょう」と男性を連れて行ってくれたので、やっとのことで開放された。

 その後、気を取り直してもう一カ所そごうの前で街宣をして、事務所に帰ろうとしたら、まだその男が事務所にいると言うことだったので、しばし外で待った。

 先日は「猫のいのち」をどう思うのか、という男性が意気込んで事務所に来て、これは家人が対応してくれて、なんとかおさまった。選挙ともなるといろいろな人との楽しいばかりでない出逢いがあるのはよく分かっていたが、それにしてもちょっと怖い、これからの防衛をどうすればいいのだろう、と、途方にくれそうな出来事であった。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

施設を見学して

 ここのところ、ご挨拶に行き、そのまま施設を見学させて戴くことが多い。お年寄りのデイサービス、デイケア、リハビリ、ショートステイ、特別養護老人ホーム、障がい者のための授産施設、養護施設など。

 そこには、それぞれ自分のいのちを懸命に燃焼させている方々の姿を見る。脳卒中で不自由になった体を必死にリハビリしている方。脳性麻痺の体で、パソコンで印刷の版下を作っている方達。手芸や押し花づくりなど、それぞれの能力に応じて作業をしている人。

 でも、どこの施設に行っても、施設の経営がとても大変だと訴えられる。「介護保険」の見直しで、利用の基準が厳しくなったこと。「障害者自立支援法」により、作業所などを利用するのに、本人が一割の負担をしなければならなくなり、却って働くことが生活を圧迫するようになってしまったこと。

 私は、とてもつらい。腹が立つ。一方で、年金の行方不明。人から半ば強制的に集めたお金でグリーンピアなどの豪華な建物を造り、大赤字で、二束三文で多の団体に売ってしまって。お金を払った側には、不十分なお金しか還元しない。そして、お年寄りや障がいを持った方に生きることがつらくなるような仕打ちをする。この社会はなぜこんなことになってしまったのだろうかと思う。それも、ここ数年で急速に冷たい社会になったと想う。いのちが大切にされていない。こんな情けない日本の姿を見るにつけ、私は、やはりこの選挙に受かりたい、と切に思う。もし、受かったなら、やりたいことがいっぱいある。様々な施設を見せて戴いた事は、決して無駄にはしない。

 明日は(もう、今日)当番医。午前中だけ診療して、午後は中原先生にお願いする。そして、午後は念願の広島ブログのオフ会だ。診療を終えるとすぐに自分の食べ物を持って駆けつけよう。お昼ご飯を食べながら、皆さんに会うのだ。広島ブログの方々には、とてもお世話になっている。感謝の意を伝えよう。ブログの上でしか知らない方達と会えるのは、今からドキドキする。そして、飛んで帰って夕方まで街宣をする。日曜日、「週末の予定はどうですか」とマスコミの方々に問われることが多い。人々が沢山出かけている繁華街で、しっかり私の思いを伝えたい。何とか、私を応援して戴けるように。熱意を持って伝えたいと思う。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

ああ忙しい!

 ふうっ、と一息ついている。忙しい。昨日の朝はその朝までかかって仕上げたレセプトをクリニックの事務に提出。これをしないとわがクリニックは収入が入らなくて倒産するから、絶対にしなければならないものなのだけれど、なかなか時間がとれなかった。そして、裁判へ。私が原告の性教育の名誉毀損の裁判だ。この日は診療の日だけれど、裁判が入ったので、午前中だけ中原先生に代わってもらった。

 裁判の後はそごうに行って靴を買った。私の足は外反母趾がきつくて、それに足の裏はリウマチで部分的に固くなっていて、歩くのがむずかしい。なかなか足に合う靴がなくって、今度こそと思っても、すぐ痛くなる。これまでどれだけ靴を買ってはだめだったと無駄にしたことか。足が痛いのは、つらい。まして、これからは歩きに歩くのだから、何とか足にいい靴をみつけなければ。あれこれさがして二足買った。この内の一足はなんだかとてもよさそうだ。これから、数日履いてみる。

 その後、事務所であれこれやって、午後は診療。患者さんが多くて大変。必死で診療をして、その後飛んで出て、車を飛ばして空港へ。最終の飛行機にやっと間にあって、東京まで行って一泊。今日の木曜日は長野で講演が入っているから。いつもながら、事務所の皆さんに申し訳ない!と心で手をあわせながら。

 こんど12冊目の本を出す。その校正をしなければならない。編集者の方から悲鳴の催促がある。飛行機の中で一生懸命直しをした。続きをホテルでやって、仕上げた。バンザイ!で、ホテルから宅配便で送ってほっとした。後は後書きをかかなければ。

 遅くに寝たけれど、東京からの長野新幹線で寝ればいいと思っていた。ところが何という誤算。新幹線の中で、私の周りは小学生の修学旅行の一団だった。どうしてこんな席になったのだろう。前も後ろも横もみんな小学生で、その中に一人場違いな私。まあ、そのにぎやかなこと。きゃあきゃあと大声で騒ぐのも、まあ、仕方ないわねえ、と思いながらも、本当ににぎやかでマイッタ。

 長野に着いて、さらに一時間。車で迎えに来て戴いた先生と話しながら高校へ行った。その車の中で知った。その先生は二年生を受け持っているのだが、学年通信を出している。その通信の名前は「いのち」なのだそうだ。そして、生徒や学校に来た人などがそのタイトルを代わる代わる書くのだと。だから、私にも「いのち」と書いてほしい。それを次の通信に使いたい、と。すごい。私は今、「いのちの政治、政治にいのちを」というフレーズで運動をしている。だから、とてもうれしかった。もちろん、丁寧に「いのち」と書いた。

 講演をすませて家に帰ったら、夜10時半だった。やはり長野は遠い。帰り道、事務所に寄って、本当にびっくり。看板が出来るのは知っていたが、その看板のものすごいこと。実物を見ると、もう、すごいとしかいいようがない。すごいけど、ちょっと恥ずかしい。そして、「やまとの湯」に行って疲れを取った。

 明日は朝街宣。広島駅前の予定。その後、二軒、挨拶に行って、午後からは竹原だ。竹原で何人もの方に会える約束がしてある。応援して下さるのは、本当にありがたいことだ。組織に対抗して個人のつながりで選挙をすることの厳しさをひしひしと感じている。とても無理だろう、無理なことが分かっていて、どうしてこんなことをするの?と、自問自答しながら、でも、くそっと元気を出して、頑張る。その繰り返しの日々だ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

医の原点をみた

 先日、県北のとても奥深い所の診療所を訪ねた。そこに開業しているのは、広島で名医といわれた外科医である。過疎地に開業して、妻と二人、地域医療に徹している。私がもう暗くなって行った時、患者さんやスタッフと共に待っていて下さった。そこで、皆さんの話を聞いた。

 その地の人たちは脱水だとナースである妻が言う。農作業をする人は、できるだけトイレにいかなくてもすむように、水分を取らない習慣がついていると。水分不足は、結果、血液が濃くなって血管が詰まる。脳の血管が詰まると脳血栓だし、心の血管が詰まると心筋梗塞だ。それに、血圧が下がったり、脳貧血になったりもする。待合室にはいつでも水やお茶が飲めるような機械が置いてあるけれど、あまり皆さんが飲まない。だから、午前11時になると待合室の皆さんにアクエリアスを出して飲んでもらう。朝起きると彼女はなべにいっぱいの雑炊を作る。そして、脱水の人には点滴をしながら雑炊を食べてもらう。私も「これは患者さんに出す雑炊だから、食べてみて」とごちそうしていただいた。お野菜がたっぷり、それに卵も入ってとてもおいしい贅沢な雑炊だった。それに、患者さんが帰る時には、ペットボトルのお茶を一本持って帰ってもらう。これを夜寝る前に一口、途中目が覚めたらその時にも一口、朝起きたら一口飲みなさい。一日にこれを二本か三本分は水をのむのよ、と、指導をする。もちろん、アクエリアスや雑炊や持って帰ってもらうお茶もみんな無料のサービスだと。だいぶ皆さんに水分を取ることの大切さを分かってもらって来たけど、まだまだだと。

 ここの診療所は朝6時にはじまる。朝の内に胃カメラや超音波の検査をすますのだと。だから、冬は大変。彼女は6時までにバス停から玄関まで雪かきをしておかなければならないのだと。そして、9時の診療開始時には、もう患者さんは4~50人待っている。待合室では、体操の指導をしたり、地域の歌手の方に来てもらって、ギターをひきながらみんなに歌唱指導をしてもらって、歌うのだそうだ。味気ない病院の椅子だけが並んでいるような待合室と違って大きな机をかこんで、まるでサロンのようになっている。

 地域の人たちは本当に幸せだと言われるし、私もそう思った。単に病気の方を診るだけでなく、生活指導から栄養指導から、予防医療など、トータルに地域の方達の健康づくりを担っていらっしゃる。地域ぐるみの勉強会や研究会は自分の所のスタッフだけでなく、地域のケアマネージャーやヘルパーさんにも力をつけてもらうようにとの目的もある。

 すっかり話し込んで遅くなった。彼女は、私を一人では帰らせられないと言う。こんな山道を一人では絶対だめ。そして彼女が私の助手席に乗って、先生が後ろを付いて走る、と。そんな、あすまた早いのに、大丈夫、私は一人で帰られるから、と、固辞するもダメだった。だって山道は狸がでるのだと。狸は、車のヘッドライトに向かって突進して来ることもあるのだと。山の中では携帯もつながらない所もあって一人て゜はどうにもならないこともあるから、と、先生にまで言われて、結局高速のインターまで一時間半も付いて来てもらった。そして山道で本当に狸が三箇所で出たのに、びっくりした。

 インターで分かれて、一人高速道路を走らせながら、つくづく考えた。同じ医師の資格があってもこのご夫婦のように、採算は二の次にして地に足の着いた医療を住民のために取りくんでいる人がいる。私は、今、何をしようとしているのだろう、と。でも私は立候補することを決意してから、県内様々な所に様々な人を訪ねて行き、本当に多くの方から多くのことを学ばせていただいている。これだけでもありがたいことだとも思う。明日は宮島に行く。またどんな出逢いがあるのだろうか。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

政治活動とは恥ずかしさを克服すること

 私の応援団は「みぐみ」という。ちゃんと県選管に届け出た政治団体だ。みぐみの代表は組長だ。組長は女性の市会議員さん。事務所開きでは、ピンクの組長のはっぴを着て、応援をしてくれた。そして、みぐみのピンクの車ができた。河口さんの仕事用の車をピンクに塗ったものだ。それにみぐみや漫画のアッコちゃんに似た顔がついた看板とスピーカーをつけて、街宣車になっている。この前、廿日市でのネネさんのコンサートに行く時にその車で行った。平木さんがマイクを握って、私は助手席から手をふれ、と。このはではでの車に乗るのは、とても恥ずかしい。手を振るのも、ものすごく恥ずかしい。まだ選挙ではないので、人々は何だかわけが分からないだろう。きょとんとして見ている。政党の人なら、政党の車を走らせるので、違和感はないだろう。もう、恥ずかしくて恥ずかしくて。でも、一生懸命してくださっている方達の前で、恥ずかしいからいやだなんて言えやしない。

 今、広島は「とうかさん」のお祭りだ。とうかさんに来る人たちに街宣をする、と。応援団の皆さんは薄いピンクにみぐみと書いたポロシャツを着て、のぼりやリーフレットを持って張り切っている。私は、ビールの空き箱に立ってしゃべる。これも、恥ずかしい。でも、幸い、人々が寄って来てくださる。「先生、お世話になりました」とか、「娘がお世話になりました」とか、「講演を聞きました」「本を読みました」などと言って来てくださる。その方達と握手をして励まされる。勇気をふるい起こしてしゃべる。歩きながら、誰かと握手をするのも、恥ずかしい。秋葉さんのように、みんなに顔を知られている人なら、握手を求めたら、人々はびっくりしても笑いながら、手を差し出す。でも、なんだか知らないおばさんが突然手を出したりしたら、とても変だ。だから、恥ずかしい。

 先日、二度目の福山入りした時に、駅前で民主党の候補者予定の方が街頭演説をしているのに出くわした。しばらく聞いていたが、とても力強い。頑張ってるね、お互いがんばりましょうね。と、心の中でエールを送って、のぼりを持っている人に笑顔で会釈をして通り過ぎた。彼の姿からは、「恥ずかしさ」なんて、みじんも感じられなかった。えらいなあ、と、感心してしまった。

 でも、立候補するということは、これを乗り越えなければならないということ。明日からは朝立ちをするとのことだ。朝早く出勤する人たちにマイクでしゃべらなければならない。朝忙しい人たちに迷惑を掛けてはいけないと思いながらも、でも、知っていただくために、勇気を振り絞って立たなければならない。恥ずかしいなんて、だめですよ、と、みんなに後押しされながら。きっと、やっと恥ずかしさを克服する頃に、選挙は終わるのでしょう。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »