テレビ局と娘の友人と
昨日、今日と東京からテレビ局が来ていた。若年の妊娠の報道特別番組をつくる、とのことで、以前の下取材の後のカメラを持っての取材である。私へのインタビューであれば、これはいくらでも応じられる。でも、問題は当事者に取材をしたい、との希望である。番組を作る上で、それは理解できる。しかし、当事者にテレビに出てしゃべって欲しいとの説得はとても難しい。生むのかどうするのかは当事者も家族もぎりぎりまで追いつめられての選択であって、そんな時に、人にしゃべる義理もないし、ましてつらい。今、次々と中学生の妊娠がある。生むという結論を出した子もいるし、生まないという結論を出した子もいる。世間で言われているように、軽い行動で軽い結論を出すわけでは、決してない。
とても難しいけれど、やっと一人の高校生の中絶のケアの話をしている所を本人をではなく、私のみを映すということで、了解を得た。手術は痛いのか、どの時点でどんな麻酔をするのか、手術の翌日に試験があるのだけれど、それは大丈夫か、などとおびえながら彼女が質問をする。それらに答えながら、説明をした。どのようにケアをするのか、ということを取材してもらえばれでいろいろ分かるだろう、と。それを私の顔をねらって固定したカメラで、撮影をする。
しかし甘かった。彼らは、彼女が診察室から出るところ、会計でお金を払うところをずっと別のカメラで陰から追っていたのだ。私は、「そんな了解を彼女から得ていない。」とせまった。もちろん、他人には彼女だとわからなくとも、本人が見れば分かる。「彼女が出て行く姿がほしいのです。」「あなた達がほしくったって、本人にはあなたが出て行く所を撮るとの了解は得ていません。そんな画像は使わないで。隠し撮りなんて、まるで犯罪者を撮影しているみたいじゃないの。」最後は、「では、考えさせていただきます。」とまでしか言わないから、ついに私は切れた。「わかりました。もう、一切ここでの撮影はなかったことにして下さい。私へのインタビューも含めて、すべてを使わないで下さい。許しません。」そして、彼らを受け入れたことを激しく後悔した。しゃべってくれないか、と話した何人かの子をも含めて、本当に申し訳ないことをした。自己嫌悪でいっぱいだ。マスコミの取材というのは、彼らに意図や思いがあって、私たちはあくまでも材料として使われる。それはもう、これまでの経験でよく分かっている。後で何度後悔したことか。また同じことを繰り返してしまった。それも、これまででもっとも強引で失礼な人たちだった。もっとも、今回は放映前だけれど、でも、患者さんを巻き込んでしまって、ああ、もう、申し訳ない。
苦い思いをひきずりながら一人の女性に会いに行く。今日、秋葉事務所から帰ろうとしたとき、娘から電話があった。友人が広島に来ている。ご飯でもごちそうしてあげて、と。東京で一度会ったことがある女性だし。まあ、とても忙しいけれど、いいよ。と返事をしていた。私の姉と一緒に待ち合わせの場所に行く。彼女に会って「何が食べたい?」と聞くと「ご飯。パンばっかり食べていたから」と言う。近くのお寿司やさんに入って話しをする。なんと、驚いた。今朝の5時過ぎに東京を出て、15時間。青春18切符で鈍行を乗り次いで広島まできた、と。そして千円から三千円あまりの素泊まりのホテルに泊まりながら屋久島までの一人旅なのだそうだ。屋久島で「もののけ姫の森」に行きたいと。来る車中ではパンだけをかじっていたと言う。本当にさわやかないい子だった。若いっていいね。帰りながら、テレビ局のことで不快だった気持ちも彼女によっていつの間にか癒されているのに気づいた。
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コメント
はじめまして河野先生。
報道というのは話題性を求めがちで思っていもいな方向に話を持っていかれてしまったり…悲しいことですね。
実は10年ほど前なのですが、高校の時に先生の講演を学校で聞いたと思います。何て悲しい話があるのだろうと当時の私にはショッキングな内容でしたが、自分の体を大切にして守らなきゃ、それは自分の個も大切にすることだと考えさせられました。私はあの時、先生の話を聞く機会があってよかったと思います。これからも影ながら応援してます。
投稿: 夢果 | 2007年3月 8日 (木) 23時51分
夢果さん、コメントありがとうございました。
このごろ、昔私の講演を聞いたことがある、という方に度々出逢います。講演を初めて25年です。それだけ私も年を取ったということですか、、、。これからもどうぞよろしくおねがいします。
河野美代子
投稿: こうのみよこ | 2007年3月 9日 (金) 12時21分