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プリンが死んで

 昨日は早朝から遅くまで走り回ってへとへとで帰宅。帰って玄関のドアを開ける時、まだふとプリンが迎えに来てくれる錯覚を覚える。

 どんな時間であろうとも、私が帰ると、必ず「ニャ、ニャ、ニャ」と飛んできて、足にもぶれつくようにして、一緒に部屋に入る。だっこをすると、私の首に顔をこすりつける。床に座ると膝に乗って来るし、寝ころぶと胸やお腹に乗ってくる。

 そうして17年、一緒に生きて来た猫のプリンが死んでもうじき二ヶ月になろうとするが、まだ生きているような、そして改めてもういないことを実感してしょぼっとする。

 プリンは、娘が思春期のとてもしんどい時にお友達からもらって来た子猫だ。小さくて、手の平に乗るような、やんちゃな子だった。口の上にまるで口ひげのように黒い模様があるので、「チャップリン」をもじって「プリン」。荒れた娘の心がプリンによってどれだけ癒された事か。娘は進学した高校(と私たち親も含めて多くの大人達にだと思うが)に強く反発し、中退した。その後通信と大検で高卒の資格を取り、名古屋の予備校の寮で一年生活し、大学生になった。予備校に行く時に娘は、プリンを私たちに託した。以来、私たち二人と私の父とプリン一匹の生活が続いた。やがて父も死んで、結局私たちと一匹の生活となった。

 歳を取って、腎不全となりご飯も食べなくなってからは、それは大変だった。毎日獣医さんに通い、点滴と利尿剤の注射。プリンがおびえるので、連れて行くのがいいのかかわいそうなのか分からないまま、でも点滴を止めると餓死しそうでそれも怖いから、結局は連れて行く。お昼時間に飛んで帰っては、私が帰れない時は夫が一人で、せっせと通った。平均一日1万円。ペットの保険に入っていないから、家計も結構たいへん。結局一月通った。終わり頃は垂れ流しで、紙おむつを敷き詰めて、それもはずれると、その始末に追われた。でも、足が立たなくなって、足を引きずるようにはってトイレに近づく姿に何度も涙した。娘もぷりんとは最後だから、と、数日、最大の休みをとって看病に帰って来た。

 プリンは最後の力だったのだろう、私たち二人の間に入って来て、そこで死んだ。きれいなタオルをお布団にして箱にいれ、お花を入れて携帯で写真を撮り、「プリンが死んだよ」と娘に送信した。娘はすぐに電話を掛けてきて、「パパとママだから、ここまで生きることができたんよ。ありがとう。」と言った。それからしばらくは、特に夫はそして私も少し、ペットロス症候群だと思う。涙ばかり出て、困った。プリンのトイレや残ったえさもいまだに捨てられないまま置いてある。

 ペットは心を癒してくれる。病んだ人がペットを飼うようになって元気になるのは本当だ。誰かと心を通わせることが生きて行くのには必要なのだ。でも、そのペットを亡くした時は、人々はどうするのだろう。どうやって立ち直るのだろう。少なくとも私たちは、また何かを飼おうという気はない。飼うのはかわいくても、死ぬのがいやだ。まして、ペットでなく家族や愛する人を亡くした時もう、どうすればいいのか、途方にくれそうな思いがする。父や母を亡くしただけでも、しんどかったのに。

 プリンは、ペットの葬儀やさんに頼んだら、お経まで上げてくれて、火葬の報告、葬った共同墓地の写真など、とても丁寧に葬ってもらった。今度春のお彼岸供養式典まであるとお知らせが来た。土曜日なので行けないけれど、娘が帰った時に一緒にお墓参りをして、そしてその時に、すべてのグッズを整理しようと思っている。

 リアルタイムではないけれど、一度、プリンのことはちゃんと書いておきたかったので。猫の話なんぞに付き合っていただいてありがとうございました。

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コメント

初めまして。
17年という歳月を共に過ごしてきたのなら、
もうそれはペットという括りではなく家族ですね。
我が家にも昨年亡くなったハムスターがいましたが、
たった1年半だというのに、
いまだに棲みかもエサ箱もわらも片づけられません。

でも、少しずつ時が気持ちを癒してくれているのでしょう。
そろそろ我が家もグッズを整理しなくてはと、
このブログを読ませていただいて思いました。
ありがとうございます。

投稿: ちゃかりん | 2007年3月26日 (月) 09時21分

うちもペットが亡くなって、1年と4ヶ月が過ぎました。
小屋などのペット用品は、1年が過ぎるまで処分できませんでした。お骨は今でも家にあります。どこかに埋めてやりたいけど、いい場所が見つかりません。
ペットは「心のボランティア」だとスピリチュアルカウンセラーの江原さんが言っておられました。でも助けてもらっているのは飼う方の私たちですね。
彼がいなくなって1年経ち、穴が空いた気分なのはなくなりましたが、やはりいた時のことは何度も思い出されます。
その記憶こそがペットの「生きた証」なのですから、大事にしたいですね。

投稿: 文月 | 2007年3月26日 (月) 11時39分

我が家の犬「ゲン」も昨年17年目で死にました。子供たちと一緒に育ち、そして家を出て行ったという感じです。最後は目が見えず、腰が抜け、全くの垂れ流し状態でした。女房からは「お父さんもすぐこうなるのよ」と脅かされていました。息子の名前は「元」と書いて「はじめ」と読むのですが、友達にはゲンと呼ばれていたようです。子供たちにとって、家族にとって、それはそれは大きな存在でした。我が家もペットロス症候群です。

投稿: ナーさん | 2007年3月26日 (月) 11時43分

初めまして。私も同じ経験をしたことがあります。
ペットは本当に心癒されますね。
ずっと生活を共にしていて可愛がっていた猫と、結婚してから離ればなれになって、今度は実家の母が可愛がってくれて・・・母は猫と二人暮らしだったから、猫が亡くなったときはそれはそれは、激しく落ち込みました。だからもう生き物は飼いたくないといっていました。可哀想だから・・・別れが辛いから・・・。
飼っていた猫のことは、多分一生忘れる事は無いと思います・・・・

河野先生・・・15年位前に先生に「子宮内膜症」でお世話になりました。1年間の治療後すっかり良くなって今では二児の母です。その節はありがとうございました・・・。

投稿: 広島人ゆう | 2007年3月26日 (月) 17時54分

恩人の河野美代子先生 へ。

土井トシキからです。今日は2007/03/26日です。
お父上、ならびにプリンちゃんの訃報を知り、似たような経験をしたものとして、哀切の念を捧げます。
既に20年近くに前になりますが、父の「ガン」の手術後の転院の際には、大変なご恩を受けました。被爆者の母は、2年前に「ガン宣告」を受けましたが、手術・抗がん剤、放射線治療を拒否しまして、代替治癒の道を選択しましたが、老衰現象が出ているものの元気でおります。
 
<前口上>

・アメリカでも戦後すぐには、「一体全体なにが人を健康にしているのか」、という会議を開いているのですね。ジョージ・オーサワ(桜沢如一)などの「マクロバイオテック」を取り入れたり、「顕微鏡的な医学を望遠鏡的医学にきりかえるべきだ」とか、「医者は健康のための処方を書かなくてはならない。・・・将来、医者の仕事は益々教育的になり、益々治癒をしないものにならくてはならない。医者は不適者(劣者、弱者)を適者たらしめるよりも、適者(強者)を適者たらしめるために努力することになるだろう」等など、驚くべき主張をしています。これらを潰したのは巨大医療産業支配という「現実」があったことに、改めて世界基準というものを考えさせられます。
・中国新聞」の1面に連載されていた「農村回帰」(リターン)で、広島市の事例も出ています。この連載のネライは「団塊世代のリターン」対策用の特集連載なのでしょうが、しかし3/16日の「クライ・ガルテン」の「小さな庭」との紹介は「直訳」過ぎて、「世界基準」では何も分かったことになりません。「何故、農村回帰なのか」という「思想」が一つもありません。
・事例や技術の紹介はいつでもできます(「大脳思考」アタマ)。しかし、何故、農村回帰かの根っ子は深い歴史があっります。それを感じている(「内蔵思考」ハラ)かどうかが疑わしいのです。ですので、その「農村回帰」=「原点回帰」リターンと「再創造」レ・クリエーションの触れてみました。広島地域でも、やる気になればできますので、一応記憶に留めてくだされば嬉しいです。下記に、「同窓会」の友人の20人ばかりに宛てたメッセージを転載しますので、ご笑覧下されば幸いです。

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突然のお手紙をお許しください。
先日届きました「皆実16期の同窓会の案内」を見てのお便りです。
不肖、私も去る3月14日に「還暦」を迎えました。

「原野に出でよ!」をキィワードにした映画で 『ブラザーサン、シスタームーン』(フランコ・ゼフィレッリ監督)のアッシジのフランチェスコを思い出して・・・
このどん詰まりの時代に・・・

慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを、
太陽を兄と慕い、月を姉と慈しむ、それ以外は何も持たない。
……を自分に贈りました。

そして、「還暦」を迎えて、怖いものがない心境になりましたので、ガンなどの生活習慣病に対する巨大医療産業の「呪縛=情報支配」を解く道を歩んでいます。我々は「生涯現役」でありたいものです。そのたには何といっても「健康」です。
ぼくの農協時代の現場経験からなのですが、これまで環境→農→食(医)→「健康の問題」+「安全保障」=の課題がありました。しかし、還暦を迎えたぼくの新たな「課題」として、「原爆・被爆」のヒロシマから、核実験・原発・劣化ウラン爆弾・そして身近なところでの集団検診による「放射能汚染から健康を守る」ヒロシマへというテーマにパラダイムを変更しました。

さらに、「ガン呪縛」もさることながら、「生きる」ということそのものが、複雑に呪縛されています。果たしてこの呪縛を解くことができるかどうかは分かりませんが、「格差社会」が云々される世の中にあって、少なくても、その足場くらいは築き出してみたいと、そんなふうに考えています。

いまの「格差社会」というのは、はっきり言って「経済力格差」です。簡単に言えば、お金のある人と貧乏な人との格差がどんどん広がり、そしてそこから、「幸せ格差」も生じてくることにもなりそうです。
いえ、それは実はとんでもない錯覚であって、「経済力格差」が「幸せ格差」に直結するとは限りません。というのも、お金がなくても幸せに暮らすことは可能だからです。
とはいえ、それにはいくつかの条件が必要になるでしょう。その第一は、文明的な快適さより、自然の恵みの中に生きる楽しさを知ることです。第二は、お金の要らない暮らし方をとことん追求することで、その基本はいうまでもなく「自給体制」です。

つまり、屋根と菜園があれば人はなんとか暮らすことができ、仲間と楽しいことがあれば、人生の喜びが湧く。それに加えて医師(特に外科)がいれば、何かがあっても安心です。セーフティネットとは、奴隷のように働いてお金を稼ぐことではなく、お金があまりなくても安心して暮らせる空間を作り出すことではないでしょうか。

もしそれが可能であれば、そこに「幸せ感」が芽吹きます。お金も確かに幸せを呼んでくれるかもしれませんが、従来の生き方、考え方を変え、そのための環境さえあるならば、お金のあるなしに関係なく「幸せ」が味わえるのではないでしょうか。
こう考えると、「格差」はお金だけが生み出すものではありません。「幸せ格差」は、生き方によってもたらされます。だからこそ「ドーム&ファーム」が大きな意味を持ってくるのです。
つまりは、小屋(別荘)つき菜園。さらに言えば、お金をかけずに健康的に安心して暮らせる空間です。
というのも、ドイツには「クラインガルテン法」があり、その中で「都市市民はクラインガルテンを利用する権利を有する」としています。つまり、小屋付きの菜園(約100坪が、年間3万円程度の安さで使えるのです。

これがあったからこそ、ドイツ国民は2度の世界大戦の敗戦後の、あのひどく苦しい暮らしから、なんとか立ち直ることができました。
★ドイツのクラインガルテン(直訳では、小さな庭の意味)
http://homepage3.nifty.com/jkg-ken/contents3.html

ルーブル暴落でロシアがものすごい経済危機から立ち上がれたのも、そこにロシア版クラインガルテン「ダーチャ」(直訳では別荘の意味)があったからのこと。
いえ、別に外国の事例を見るまでもなく、敗戦後の日本人を何とか支えてくれたのも、ご存知の通り実は農村でした。

さらに、安全・安価な住空間と食べ物さえあれば、何があっても平気です。「千島学説的総合医療」が可能な医師付き「養生所」をコアにした、我々の「ドーム&ファーム構想」とはドイツのクラインガルテンの自己版?です。いわゆる「セイフティネット」づくりの課題でもあります。そこで、第1号を広島県の県境を越えてすぐの、過疎のムラ、島根県美都温泉近くに「作ろう会」を立ち上げて、この3月末にの秘密会議を開くところまで来ました。


健康を祈り、感謝をこめて。

土井トシキ 拝。

投稿: どい・としき | 2007年3月26日 (月) 23時08分

ちゃかりんさま文月さま

皆様、私と同じ体験をなさっているのですね。そうですね、一番の薬は「時」なのでしょう。誰しもさまざまな別れを経験しながら歳を重ねて行くのでしょうね。コメント、ありがとうございました。お返事がいつも遅くなってすみません。これからもよろしくおつきあい下さいませね。  河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2007年3月26日 (月) 23時49分

ナーさま
いつもコメントありがとうございます。
そうなのですか、ナー様のお家でも、17才の犬が亡くなったのですか。本当に、たかがペットでも、家族だったのだなあ、と今も思います。
 これからもどうぞよろしくお願いします。
       河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2007年3月26日 (月) 23時52分

広島人ゆうさま
 コメントありがとうございました。
本当に同じ体験をした方がいっぱいなのだと良く分かりました。
 ゆうさま、ブログを読ませていただきました。そうですか、私の患者様だったのですね。それに、私も、こどもが2才と3才の時に、夫がかなり重症の胃ガンで、大がかりな手術をしました。今日、この件でブログをかきますね。また、いつかお会いできますことを!   河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2007年3月26日 (月) 23時58分

土井としきさま
 コメントありがとうございました。びっくりしました。私こそ、大変お世話になりました。
お母様が健在と知ってうれしかったです。
 途方もなく、壮大なことをしていらっしゃる様子。また、そのお話を聞かせてくださいませ。ブログなどで個人から情報を発信するということは、こんなに人と人とのつながりが新しく出来たり、復活したりする物なのですね。本当に驚いています。
どうぞ、これからもよろしくおねがいします。
         河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2007年3月27日 (火) 00時15分

広島人ゆうさま
 私、夫の癌についてブログに書くといっていながら、実行していません。すみません。テーマがすごく重くなって、もう少し時間が出来る時に、じっくり書こうと思います。ごめんなさい。また、よろしくおねがいします。
         河野美代子

投稿: こうのみよこ | 2007年3月28日 (水) 08時49分

私も4年半前に17年半飼っていた犬を亡くしました。食事も出来なくなって、ミキサーで流動食みたいにして食べさしたり、一ヶ月添い寝をしました。最後は家族全員に看取られながらいきました。その夜犬を枕元に家族全員で一緒に寝ました。子供達も大人です、でも犬のお陰で家族全員で寝る事が出来ました。二回ぐらい犬が家に入りたいのに入れないって夢夢を見ました、何時も雨で(無くなった時雨でした)でも人間で言う49日の日、生きてる時と同じ元気に庭を歩く夢を見ました。私に最後のお別れをしに来てくれたのだと思います。パソコンで虹の橋を見て私が悲しんではダメだなって思いました。飼うつもりは無かったのですが今次の犬を飼ってます。今度の子は家の中、とても甘えん坊です。又悲しい思いをすると思いますが、いる間にしっかりと楽しい思い出を作りたいと思ってます。                

投稿: 富永 幸江 | 2007年4月 7日 (土) 21時47分

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