「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2017のご案内⑤

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」にとって欠かせないテーマの一つは「原発」です。平和の夕べを始めた時から、小出先生や様々な反原発を闘っていらっしゃる方に、また、福島原発事故が起こってからは、福島の方たちに毎回お出で頂いて、お話をしていただきました。昨年の、福島からの関西へ避難している森松明希子さんと、東京に避難している中学生の男の子の話は、涙なくして聞くことが出来ませんでした。

今年の大塚愛さんについては、先にここにご案内しています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-e76f.html

その後も大塚愛さんは、三人のお子さんの子育てをしながら、岡山県議として、また「子ども未来・愛ネットワーク」を立ち上げ、それらの活動にも頑張っていらっしゃいます。

8.6当日も、福島から広島への大移動となるそうです。本当にこのようなお忙しい中、無理をお願いして申し訳ない事ですし、また無理を押してヒロシマに来てお話しいただくことを心からありがたく思います。

ここに、大塚愛さんの陳述書があります。その初めの所と一部を転載させて頂きますね。「放射能から子どもを守る企業と市民のネットワークHok Net」のホームページからです。

そのホームページはここにあります。

http://hokinet.jp/56.html


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大塚愛さん、お話を聞けること、とても楽しみにしています。暑い中、どうぞお気を付けていらっして下さいませ。よろしくお願いします。皆様、大塚さんのお話もどうぞ楽しみにして下さいね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2017のご案内④

今年の8月6日には、早朝に8.6ヒロシマ平和の夕べの実行委員会の山下と、小野瑛子さんと共に広島二中の慰霊祭に参加するつもりでいます。

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父の生前は父と一緒にこの慰霊祭に参加していました。毎年、多くの遺族の方が参加されます。その遺族の方たちもすっかり恒例となられました。父が亡くなってからは、慰霊祭も終わって、人が少なくなってそっと行って拝んでいました。今年はちゃんと参加するつもりでいます。

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もう何度もお話していますが、この碑の裏に多くの名前が記載されています。一番初めに小野瑛子さんのお父様、山本信雄先生のお名前があります。

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 この広島二中一年生全滅の記録いしぶみが合唱曲となり、毎年二中の後身である県立観音高校の音楽OB会によって毎年コンサートが開かれています。今年は7月30日です。

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そして、関東地方の皆さま、今年もコンサートが開かれます。


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今年の8.6ヒロシマ平和の夕べで小野瑛子さんにお話戴けることに感謝し、感動しています。小野様には、どうぞ体調にお気を付けて、この熱いヒロシマにいらして戴きますように。もしも体調が思わしくない事態が起きても、手厚く介抱させていただくべく、用意はしております。どうぞよろしくお願いします。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2017のご案内③

今年の被爆証言は小野瑛子さんにお願いしました。

小野さんは、6歳の時にヒロシマで被爆。父と姉を失いました。母と避難中に黒い雨を浴び、急性放射線障害を発症。60代に甲状腺機能障害で全摘出。75歳で肺がんを発症し、現在闘病中です。千葉県習志野市在住で、全国で被爆証言の活動を行っていらっしゃいます。

8月のヒロシマが済むまでと、抗がん剤による治療を中断して来て頂きます。ありがたいことです。

父親を失った後、さぞ大変な人生だったことと思います。被爆後を生きて来たお話も伺えることと思います。

小野さんのお父様は、当時広島二中の教師でした。本川の川岸で被爆、全滅した二中一年生と共に、亡くなれました。広島二中の碑の裏側に先生と全滅した生徒の名前が刻まれています。その一番目に刻まれている「山本信雄」先生がお父様です。

この生徒たちの事は、広島テレビの番組「いしぶみ」として放映され、その草稿をまとめた物が、ポプラ社から「いしぶみ」として出版されました。

私の父は、山本先生の同僚で二中に勤務していました。全く偶然、父は助かりました。その父の書棚には、この「いしぶみ」の初版本があります。

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昭和四十五年六月二十日発行。父の長谷川という印が押してあります。

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この本の「5 川の中で」に小野さんのお父様である山本先生のことも出てきます。一部抜粋します。

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『五学級の下野義樹くんは、土手にはいあがるまでににあったことを、こう話しています。

「川の中では板切れにつかまって浮いていました。土手にはいあがってみたら、町はめちゃめちゃで、ぼくはもうだめだと思った。しかし、気を取り直して、父や母にあいたい一心でがんばった。

岸にあがる時、先生がぼくの手を引っ張ってくださった。そして、君はあまりやけどをしていないから、元気をだしてがんばれ、と励ましてくださった。いっしょに岸にはいあがって、飲み水を探しているうちに、けがのひどかった先生は、もう、わたしはだめだ、しかし、君はがんばれよ、といわれてはなればなれになったが、そのとき、先生としっかり手をにぎって別れました。」

この先生の名を山本先生といったようだ、とお母さんはいっておられます。

川原から土手にあがってきた生徒たちに、先生は目の見えるものは家に帰ってよい、市の中心はもえているので、南の宇品か、新大橋を渡って、西の己斐か、舟入、江波の方に逃げるように指示されました。』

今も「いしぶみ」はポプラ社から発行されています。英語版も。当日この「いしぶみ」も会場で販売します。小野瑛子さんが書かれて「炎のメモワール」もぜひ読みたいのですが、もうどこにも販売をしていません。残念です。

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小野さんの貴重なお話、ぜひ聞きに来てくださいませ。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2017のご案内②

今年の8.6ヒロシマ平和の夕べの平和講演は永田浩三さんに語って戴きます。

永田さんは、ヒロシマの被爆二世、元NHKディレクター、現武蔵大学教授です。

72年前のヒロシマの原爆直後から立ち上がった若者たち・被爆者。現在の政治の状況の中で被爆直後と現在を照らし合わせながら語って戴くには、もっともふさわしい方と思います。

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永田さんの著書、「ヒロシマを伝える」の出版社からのコメントと、内容説明から、抜粋します。

1954年3月、『死の灰』を浴びた第五福竜丸の事件を皮切りに、反核運動の声が全国各地で広まった」日本における反核運動を語る際に、そう語られることが良くあります。つまり、1945年8月から第五福竜丸の事件が起きるまでは「空白の10年」だった、と。はたして、そうなのでしょうか?

本書は、弾圧・差別・偏見に屈することなく、「言葉さと絵の力」によって、原爆の惨烈さと平和を訴え続けた若者たちの実像に迫るノンフィクションです。

原爆直後のヒロシマ――
「見せまい、語らせまい」としたアメリカと日本政府。

「ちちをかえせ、ははをかえせ・・・」ではじまる、峠三吉の詩「序」(原爆詩集)。この詩集の絵を描いた詩画人・四國五郎。彼と峠三吉、原民喜、山代巴、栗原貞子をはじめ、多くの若者たちは、「言葉と芸術」という『武器』を使って、反戦、反核を訴えた。貴重な証言、豊富な資料、そして巻頭カラーで掲載した四國五郎の作品と共に、自由と平和を希求した運動を詳細に綴ったノンフィクション。

GHQ検閲下、ヒロシマ原爆の惨状を伝えた『原爆詩集』は、峠三吉と四國五郎という二人の若者によって世に出された。後に四國は、『はだしのゲン』に次いで子どもたちに知られる絵本、『おこりじぞう』を製作。(略)

峠を中心とした若者たちは、弾圧をくぐり抜け作品を作り、原爆の惨状を世に伝え続けた。街角に反戦詩を貼る「辻詩」。百貨店上からのビラまき・・・。政治と芸術、社会と個人の狭間で翻弄され、命を絶った者も多い。(略)

ぜひ、永田さんの講演を聞きに来て下さいね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」2017のご案内①

 とても暑い日が続いています。暑い中、妊婦さん、つわりの人だけでなく、高齢の方、部活で運動をする学生さん等、熱中症で来られる事が多くなりました。そんな時には、涼しい部屋で急ぎ点滴をします。皆様もしっかり水分を取って、できるだけ涼しく過ごせるようにしましょう。

暑い熱いヒロシマ。8月6日が近付いて参りました。「8.6ヒロシマ平和の夕べ」も、着々と準備ができました。第10回目となる今年の会、いろいろと大変でしたが、でも、多くの皆さまに応援して頂いて、ほぼ例年と変わらない会を開けそうです。皆様、ありがとうございます。

準備を進めながら、10年前からの事を、つらつらと思い返しています。ずいぶん多くの方が来て、話して下さいました。そして、全国から来られた方々も熱心にお話しを聞いて下さいました。被爆直後から命がけで運動を続けて来られた被爆者の方々の足元にも及びませんが、でも、10年続けることで、それなりに地に着いた活動になったことと自負しています。

小出裕章さん、高史明(コサミョン)さん、中沢啓治さん、落合恵子さん、・・・。被爆者の方々も毎回来てお話し下さいました。池田精子さん、米澤鐵志さん、近藤紘子さん、朴南洙さん、松本正さん・・・。

 一緒にこの会を作ってきた大切な仲間も次々と亡くしました。原伸幸さん、中村周六さん。

でも、私たちはぶれません。今年も残った仲間たち、新たに加わった人たちと共に、実行委員会を重ねてきました。そして、充実した会を用意しました。どうぞ、皆様、暑いヒロシマにいらっして下さい。このような社会、政治情勢であるからこそ、今一度平和の意味を考えたいと思います。

今日からしばらく2017年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内をしますね。

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オンニョさんとの再会・オンニョさんの詩

東大阪市布施中学で講演をした後、養護の先生に送って頂いて、鶴橋に行きました。そこの高坂書店で待ち合わせをし、オンニョさんと5年振りの再開をしました。奇しくも、広島地裁での朝鮮高校無償化の差別を正当とする判決が下りた次の日でした。

私は、焼き肉が食べたいと言いました。もう年より夫婦になると、なかなか焼き肉を食べる機会がありません。オンニョさんが連れて行って下さった駅のすぐそばのお店で。

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私が初めてオンニョさんの事を知ったのは、この原畑さんのブログででした。

http://sky.ap.teacup.com/yamanami/709.html#comment

これがすごいショックで。それから、オンニョさんの元の詩にたどり着きました。これは、ここにあります。

http://blog.goo.ne.jp/onniyo-hakase/e/fdb95fe331e16d07a020dd5491222fee#comment-list

そして、オンニョさんが「ウリハッキョ私たちの学校」を守るために書いたと言われる次の詩。これは、私のブログから転載します。

      ふるさと

                許 玉 汝

生まれ育ったところが故郷だと
誰が言ったのだろう
私には故郷なんてなかった
ふるさとがなかった

60年が過ぎた今も
両足首に残ったゴム紐の痕を見ると
知らぬ間に涙が出る
優しかったオモニを思い出す

北海道にいるという父を訪ねて
身重の母は姉と次兄の手を引き
幾度も幾度も列車を乗り継いだ
風呂敷包みひとつ頭に載せ

突然津波のようにやって来た陣痛
青森の小さな旅館の布団部屋で
私をこの世に生み出してくれた母
自分の歯でへその緒を切ってくれた母

6ヶ月後に北海道に渡り
馬小屋で寝起きした日々
函館の海でいか裂きしながら
私達を育ててくれたオモニ

零下20度の凍て付くような浜風
私をおぶって浜で働いたオモニは
私の靴下が脱げない様
ゴム紐をきつくきつくまきつけた

青森から北海道へ
北海道から東京へ
東京からやっと京都に戻ったとき
私は5歳になっていた

生まれて初めて会ったハラボジ
空襲で1本足になったハラボジ
ハラボジのリヤカーに毎日乗って
声張り上げた《ボロおまへんか》と

あの路地この路地、一緒に回った日々
いつも聞かせてくれた故郷のはなし
ハラボジが出してくれた出生届
いつのまにか出生地は京都市になっていた

家族そろって大阪に移り
りっぱな朝鮮人になれと
父、母が送ってくれたウリハッキョ
満員電車に押し込められて通った学校

初めて通ったウリハッキョは
藻川に沿った小さな小さな学校
体育の時間は広い川原でころげまわり
図工はのどかな川辺でいつも写生

麦飯とキムチだけの弁当
雨の日あちこちにバケツが並んでも
暖かい先生や友達に囲まれて
ちっともイヤじゃなかった、楽しかった

ア、ヤ、オ、ヨ…
歌う様にハングルを習い
子ども心に誓った
将来は故郷のアナウンサーになるんだと

ウリハッキョで学んだ日々
恋もし、喧嘩もし、悩みもしながら
進路について話し合った懐かしい日々
一度もなかった。孤独な時なんて

同胞のために頑張ろうと仕事を選び
済州島に住む長兄に会う日を夢見ながら
集会にも、デモにも参加した日々
夢は近づいては遠のいたり

疲れを知らなかった青春時代
休むことを忘れてた中年時代
突然悪夢の様に悲しみが押し寄せた日

それでも踏ん張れよと
ギュッと抱きしめてくれた
それがウリハッキョ
オモニの様に温かかったウリハッキョ

生まれ落ちた場所さえ知らない私に
思い出と友と夢と勇気をくれ
愛する心を育ててくれたウリハッキョ

私にも祖国が在る事を教えてくれた
ウリハッキョはゆるぎない心の柱
私のふるさとは ウリハッキョ

決して誰も奪えない
私が通い、子供達が学び、孫達が通う
ウリハッキョ 心のふるさとを!

     2010.6 ・15

その後、韓国での朝鮮高校無償化のための集会にも行きました。その事は次の所から三日に渡って書いています。ぜひ覗いて頂きたいのは、「冬のソナタ」のキム次長、クウォン・ヘヒョさんとのツーショット写真が出ているからです。懐かしい!!

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-9ec8.html

オンニョさんとは、積る話を一杯しました。食べて話して、その後は新大阪まで送って下さって。そこでコーヒーを飲みながらまだお話しして。今度いつ会えるか分からないけれど、お互い頑張りましょうと改札口で握手してお別れしました。オンニョ様、おいしい食事、貴重なお時間、そして何より真摯な会話、本当にありがとうございました。またお会いできる日を!!

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東大阪市立布施中学校3年生・つんくさんの校歌

 昨日の大阪での講演、無事終了しました。東大阪市立布施中学校。4年前に行った俊徳中学校と大平寺中学校が合併して新にできた中学です。養護の先生も、校長先生も以前と同じで、私の講演を設定して下さいました。

3年生全員と、東大阪市立の小・中の養護教諭の先生方23人も来て下さいました。昨日は、東大阪市は終業式の日。それぞれ忙しい所でも、校長先生の許可があって、来て下さったとの事。ありがたい事でした。

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生徒たちは良く聞いてくれました。途中、質問形式で当てながら答えてもらったり。しっかり時間を取ってもらったので、伝えたいことはすべて伝えたと思います。

ところで、講演が済んで校長室に帰った時、こんなのが貼ってあるのに気づきました。新しい中学の校歌です。目が点になりました。つんくさんの作詞作曲。つんくさんがお声を失った後に作って下さったそうです。それがありきたりの校歌でなく、なんとも素敵なのです。


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「それでいいんだ
自分のことが 気になることは
当たり前だろう・・・」

「忘れちゃならぬ
自分の夢も あいつの夢も
無限であること・・・」

「意味があるんだ
出会えたことも 別れることも
だから大切に・・・」

これが校歌だなんて。まさに思春期の心理にずばり食い込んで。こんなのを歌って中学時代を過ごすことが出来るなんて、なんてすごいことかと感動しました。

関係者の皆さま、一生懸命聞いて下さった生徒のみなさま、ありがとうございました。

 さて、帰り。鶴橋の本屋さんで待ち合わせをして、許玉汝、オンニョさんにお会いしました。5年振りでしょうか。ランチをしながらお話しました。これについては、また明日。

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大阪の中学生に講演です。

お早うございます。大阪の朝です。昨夜、新幹線から地下鉄に乗り換え乗り換えしてここは上本町のホテルです。梅雨が明けたそうで青空ですが、ビルばかりで味気ない事です。

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それにしても、先週の東京もそうでしたが大阪の人も、都会の人は良く歩きますねえ。荷物を持って階段を上り降りするのは、ほんとうに疲れます。ホテルに着いたらぐったりで、せっかくサウナ付きのお風呂があると言うのに、入らないでベットに横になったら眠ってしまっていました。朝シャンをしました。


今日は午前中、東大阪市の中学校で3年生に話しに行きます。中学、高校、大学生などによく話しに行った一学期、生徒さんに話すのはこれで終わりです。今日は、地域の養護教諭の先生や保護者の方も来られるそうで、ありがたいことです。以前、三次で中学生に話す時、少年の事件を特に扱っていらっしゃる警察官も来られて生徒と一緒に聞いて頂きました。子ども達に知っておいて欲しい事を目いっぱい話します。

これからは、教師や大人の方たちへの研修の講師がメジロ押しです。


午前中の話が済んだら、前からの友人のオンニョさんに会って、ランチします。前から行きたいと思っていた鶴橋で待ち合わせです。韓国、朝鮮料理が食べられるかな?

オンニョさんからは、昨日の広島地裁での朝鮮学校の生徒さんたちへの差別認定の判決に怒りのメールを戴きました。政治がこのような中で、司法も差別を認めるという、この判決を日本人として情けなく思います。

全世界にある日本人の子どもたちのための日本人学校で、日本語や民族教育をしても当たり前の事です。インターナショナルスクールなどは、当たり前のように補助が出ていると言うのに、朝鮮学校だけ出さないと言うのは、やはり差別と思います。どの国の子どもたちも、今、ここにいるすべての子どもたちが豊かに教育を受け、すくすく育つように願います。

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地獄団子汁・アフリカンサファリ

 この度の別府での法事には、息子一家や娘も合流して、久しぶりに家族全員ががそろって、それは楽しいひと時を過ごしました。

それぞれが東京、広島に帰る日の朝、アフリカンサファリに行き、その後海地獄の団子汁を食べました。

その団子汁ですが。娘とママはだんご汁・鶏天定食を。私と息子は、地獄団子汁を頼みました。頼む時、辛いですよ。大丈夫ですか?と聞かれ、はい、知っていますと答えたのですが、「そこにある七味唐辛子の瓶、その二本分が入りますよ」と言われて、少しびびりましたが。すごい、それは面白そう!で、頼みましたよ。真っ赤。

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海地獄の団子汁に鶏天も、それは美味で娘たちは大喜びでしたが。地獄団子汁は、やはり地獄でした。3分の2食べてギブアップ。辛い物好きなお方、七味唐辛子二本分が入った団子汁をぜひお試しあれ!!

その前のアフリカンサファリ、孫と一緒で楽しかったです。広大な敷地、沢山の動物たち。初体験の孫も大喜びでした。

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分かりますでしょうか。右端にいるのはサイです。

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孫はポニーに乗ったり、お猿さんやカンガルーに餌を上げたり。孫が着ているワンピースは、音さんが作って下さったものです。二着作って頂いて、どちらもぴったり、可愛くて、大喜びで着ています。

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束の間の楽しいひと時、今度はいつなのかなあ、当分ないだろうねえと思いながら。別れはしんどかったです~。

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法事が済んで。

今朝、日も変わって家にたどり着きました。高速を走っていて、途中眠気が来て、二度ほどパーキングで仮眠を取りました。着いた時には、本当にホッとしました。

法事は家で。ほぼ身内、20人の人で一杯。そこの写真を撮りたかったけど、前の方に座っていて、無理でした。一応済んで、お坊様と母が話している所だけ撮れました。

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お坊様は、高校の国語の教師を長く務められた方。お話がとっても面白くて。「今日は、原始仏教のお話を。皆さまは仏教と言うと、何を思い浮かばれますか?」と。

例えば、東大寺の大伽藍や大きな鐘を思われる野ではないでしょうか。お釈迦様の時代には、そんな建物や蚊ねはありませんでした・・・。

お釈迦様の信奉者の中にお金持ちがいて、何とか、建物を寄付したいと考えたけど、その土地は当時の王様が持っていた土地であったと。何とか工夫して、莫大なお金を払ってその土地を手に入れたと。その方が病気になった時、一番のお弟子さんにお見舞いに行くようにと言われたと。その土地でお釈迦様が亡くなる時に沢山の人が集まってきたと。

とても話が具体的に物語のように楽しく聞きました。

法事の後は、別府湾ロイヤルホテルに移っての食事会です。部屋から見える別府湾とま下ではプールで泳いでいる子ども達が見えます。

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私は、みなさんにビールをついで回ったり、お一人お一人にお土産を渡したり。中味が男女別、県内の人、県外の人等でそれぞれ違いますので、それも気を使いましたが、結果的にはうまくできました。

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昨日の写真は、息子が撮ったベストショットですが、5人の子ども達をみんなで母を取り巻くように並びなさいと、ここまでするのが中々大変で。あっちこっちちょろちょろしたり、変顔をしたり、何枚も何枚も撮っての昨日の写真です。それを息子たちがコンビニでプリントし、写真立てに入れて、母にさよならのあいさつをする時に母の枕元に置きました。何よりのプレゼントでした。


母が楽しみにしていた法事が終わって、母がガックリしているのではないかと思いましたが、意外と元気です。まだ、24時間のモニターが胸や指についていますが。今度退院された後、母がどうするのか、どこで誰と生活するのか、私たちは、広島に来て欲しいと言いましたが・・・。まあ、いろいろとあって、気が重いままに帰って来ました。今度は、お盆に行きます。

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