クリニックの忘年会、たん熊です。

昨日は、河野産婦人科クリニックの忘年会でした。一年間、事故もなく、診療を続けることができたのも、スタッフの皆さんのおかげ。ありがとうございました。来年もよろしくお願いしますの感謝の宴です。うちの忘年会は、歌の一つもなく、ただ静かに会話をしながら食事を楽しむというスタイルです。今回は、福屋の9階の京料理「たん熊」で。ちょうどよいテーブル席の個室が用意されていました。

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食事はそれは素晴らしいものでした。美しくてかわいくて。名前からして、初雪っていい感じ。

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大和芋かんにかかっているのは、このわた。貝柱の西京焼きって初めてです。香ばしい

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蟹真蒸の上にあるのり板麩も初めて。

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お刺身をからしや塩で食べるのも珍しい。鯛の中には、いくらが潜んでいました。

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サーモンの中にはゴボウがまいてあるのですが。ええっ、びっくり。ゴボウの中がくりぬいてあるのです。お味がよく染むようにですって。

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このお膳はすごいねえとうなりました。数の子にはウニが。あん肝、からすみ、あえ物は、干し柿とクルミの白和えです。千枚漬のお寿司には、白身魚が控えていました。

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ごはんは「慈姑ごはん」。何々?慈姑って?くわいをこう書くなんて、初めて知りました。


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デザートは栗ぜんざいです。もうおなか一杯でもやっぱり別腹で入りましたねえ。お茶は梅昆布茶。ぜんざいは、上品な程よい甘さで した。


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もう、大満足。プレゼント抽選などは、写真の撮り忘れでした。私からは、長崎のイチゴ二パック。姉からは、マリーのチョコレート詰め合わせ。夫からは、これは特別編でコーヒーメーカー。スタッフのみんなからもそれぞれ暖かい知恵をしぼったものが用意されていました。


これで、忘年会も終わり。今年の最後まで慎重に診療を頑張りましょう。今日は、島根の講演。日帰りで行ってきます。準備万端です。帰って夜は四金会の忘年会です。

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クリスマスですね。

急に寒くなって、すっかり冬になって、クリスマスも近づいてきました。10日には、無事従業員にボーナスも出すことができて、ホッとしています。

クリニックでは、少し前から飾っています。小さなツリー、クマノ種苗店、フラートのゆく子さんの作品です。生きている木です。すごーくかわいい。

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昨日から飾っているパン屋さんMYSTEREの食べられるツリーです。昨年はホワイトチョコでした。今年は、チョコ。今年最後の診療を済ませてから、みんなで戴く予定です。

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いつもクリニックに素敵な花を活けて下さる嵯峨御流の青野直甫さんのお花もクリスマスです。

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もう大分前に頂いたナンシーさんのプレゼント、手作りのシトーレン毎日少しづつ戴いて、もうなくなってしまいました。 ナンシーさん編集のCDは車の中で聞いています。いつもありがとうございます。

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そして。私のクリニックではないのですが。いろいろなディスプレーの中で一番気にいっているのが、ここ、そごうの県庁側の入り口のガラスに描いてある絵。まるで立体ですが、平面のガラスに描いてあります。すごく楽しい絵です。

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今日は、クリニックの忘年会です。そして、すぐに今年も終わりですね。まだまだし残している仕事があるので、ここで頑張らなくてはなりません。

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,ネックウォーマーを頂きました。

昨日の原民喜展について少し追加です。山下さんからのコメントにもありましたが、遠藤周作さんからの手紙、何か行き違いがあったらしく、その内容は、原民喜氏に対しての思いやりがあふれてて、楽しく読みました。

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それから、埴谷雄高氏のはがき。

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『内容の配列、時間的に追って、「壊滅の序曲」からはじめた方が好かったのではないかと思ひました。もっとも、配列の順序など大した問題ではありません。』

私も、「夏の花三部作」、いきなりの被爆の状況があまりにつらくて、後、一番最後の「壊滅の序曲」になると、この後に大変なことが起こることが分かってはいても、どこかホッとしたものです。埴谷さんだけでなく、多くの人がそう思ったのではないかと思いました。

でも、その件を夫に話すと、原民喜にとって、こういう順序で読んでもらいたかったのだろう、そういう思いが強かったのでしょうと言ったので、そうか、そうだね、と思いなおしました。

以上、浅学の私の昨日の追加です。

さて、昨日、仕事中に突然やんじさんがクリニックに来て、置いて帰られると言われています、と、受付が飛んできました。あわてて受付に行くと、やんじさんがもうエレベーターの前にいて帰りそうになっていて、「お見舞い」とだけ言われました。

中はこれ。ネックウォーマーです。それも、後ろが長くなっています。

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説明書の一部です。

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「肩こり・ムチ打ち・風邪予防」そして、最後に「首のしわケアに」だそうです!!これはうれしい。早速着用すると、とてもやさしい肌触りで、夜の自転車も暖かくて。仕事でカルテを書くのもパソコンをするのも、下を向くことが多くて、肩から首にかけて痛重くて、つらいのです。それが和らいでうれしいです。優しいね、やんじさん、ありがとう。

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原民喜展

昨日は、午前中は電話当番をしながら書き物。午後はクリニックにこもって続きの書き物。この二日で、来週と再来週の講演の準備も全て済ませました。難しかったけど・・。お歳暮のお礼のはがきの印刷も、これには尾関山の紅葉の写真を使いました。着々と済ませても、まだ残っています。大きな書き物が。

そして、ギリギリの最終日になってやっと行きました。原民喜展。その後は、姉や甥の一家の甥の奥さんの誕生日のお祝いに一緒に行かせてもらいました。

という一日で。原民喜展。ほんとうに行けて良かったです。

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ほとんど無機質の白と黒の空間で。沢山の著書や詩や文章が展示してありました。

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優しくも透明で悲しい詩、文。

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恩師柿手春三先生の絵もありました。

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彼の自殺の後の追悼の文。佐藤春夫氏と埴谷雄高氏のを読んでいると、不覚にも涙が出てきました。

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遺書の中の「貞恵と死別れて六年あまりも生きてまいりました。もう後に思い残すことか何もありません」というのを知って、ああそうなのかとかってに納得しました。


この純粋な方が被爆後6年間、ひたすら絞り切るように書き、そして自ら命を絶ったことは、やっぱり必然なのだろうと。ただただ生きて書いて下さってありがとうとしか言えませんね。

私の感想、これだけしか書かなくてすみません。

展示会、ありがとうございました。

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音さんたちの革教室作品展

クリニックの向い、県民文化センターの地下で行われている革教室展、やっと昨日のお昼に行けました。

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音さんも出品しているので、とにかく早く行きたいと思っていたけど、なかなか行けなくて。もう、ものすごい数の展示。これはこれはとアイパッドで写真を撮ろうとしたら、止められました。撮影禁止だと。それは残念。

バッグ、小物、アクセサリー、財布、これらの定番だけでなく、靴、傘まで。写真が撮れないのが残念無念。

で、音さんのフェイスブックや直接送って下さった写真、これには音さんの作品のみが写っています。これを了解を得てお借りしますね。すごーい、これみんな音さんの作品です。

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そして、傘。革なので、日傘。軽いです。特に、左の白いのは、折り畳み傘なので、小さくなりますと。欲しい欲しい。でも、音さんは、知り合いには売ってくれないのです。なら、誰かに知らんぷりして買いに行ってもらおうかしらと思いましたよ。

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そして、私が買ったのは、この二点。

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左のおにぎりの財布は、おにぎり大好きな孫に。右のは、黒猫のキーケースです。鍵は、手品みたいに中に隠れます。後ろにはしっぽもついています。これは音さんの作品。売らないというのを強引にレジに持っていきましたよ。

すごいなあ、楽しいなあ。しっかり楽しませて頂きました。作品展は明日、10日までです。ぜひ、行って驚いて下さいませ。


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広島県日韓親善協会忘年・会員の夕べ

ご報告が遅くなりました。12月6日は、広島県日韓親善協会忘年・会員の夕べでした。布野から急ぎ帰って、ちゃんと間に会いました。

例年のごとく、沢山の方が参加しましたよ。韓国からの留学生も。

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会長の岡畠鉄也さんの挨拶から始まりました。韓国の情勢は、南北の歩み寄りにより、明るい兆しが見えるが、日本と韓国の間には、政治的にまた難しい状況になっていると。でも、民間レベルでは、双方の国民は、仲良く共に歩みたいと願っていると。このことは、どなたの挨拶にもありました。

駐広島大韓民国金宣杓総領事のご挨拶。この後、県知事と広島市長の挨拶も。

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ホテルのお料理は各テーブルに運ばれましたが、それと共に、李菊枝先生たちのボランティアの皆さんの手作り料理が並びます。これが楽しみで。干しブドウや松の実の入った黒砂糖のおこわや、ゆで豚、キムチ等、本当においしくて。

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民団の合唱部の方たちの合唱。

そして、お楽しみ。大抽選会。沢山の留学生の皆さんに商品券が当たって、大歓声でしたよ。良かったね。私も姉も外れでした。でも、外れでも、海苔やラーメン等の詰め合わせが戴けましたよ。

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最後は、留学生の皆さん、日韓の役員の方たちの記念撮影。私も横からパチリ。この若い方たちがまた、韓国と日本の架け橋の役を担ってくれるでしょう。頼もしいです。期待しますね。

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今年も、楽しい会をありがとうございました。

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布野中学でお話しました。

作日は、無事一日を過ごしました。

午前中は病院に。レントゲンを撮ったり、診断書を書いて頂いたり、お薬、痛み止めとシップをもらって帰りました。が、とても患者さんが多い病院で、時間がかかりました。

頸椎捻挫で二週間の診断書をいただきました。が、警察に出すかどうか迷っています。出すと、追突した方の物損から人損事故になるのは、気の毒な気がして。頸は、シップで楽になりますし。ドクターは安静にと言われますが、安静は無理です。私には毎日のノルマがあります。とても無理。

家に帰ると、直ぐに出発して布野に向かいました。私は、布野中に行くことが決まってから、とても楽しみにしていました。道の駅、夢ランド布野。そこでお昼のバイキングを食べようと。でも、時間がありませんでした。お店の中をざっと見ただけで、とても残念。

夢ランド布野は、以前島根に行く時には、ここ寄るのが楽しみでした。が、尾道松江線ができてから、そちらを通ることになってしまいました。雨だし、ほとんど人がいなくで、寂しいことでした。

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布野中学は、全校生徒22人。暖房を入れた図書館で、マイクもなしでお話しました。こういう雰囲気も、好きです。

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玄関には、こんなすごい花。そして、屋上には、太陽光発電。

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小さな学校で、一人一人の生徒が丁寧に育てられていると感じました。生徒さんたち、素敵な大人になって下さいね。

帰り、夢ランド布野に寄りました。とてもおなかがすいていて、でも、バイキングは終了しているし。行きに寄った時に見ていた焼き芋を買って食べながら帰ろうと。で、レジでふと見ると、バイキングで出ていたお寿司が桶ごとラップをかけておいてあって、パックに詰めて210円と。これ、買ってもって帰れますか?と聞くと、パックを出して下さいました。そして、自分で詰めてたら、もっと入れて、もっと、もっとと、山盛りにこんもりと入れて下さい、残したくないのですと言って下さって。

狭い車の中で撮りました。この焼き芋を一つかじりながら帰りました。お寿司は夫の晩御飯です。夫によると、とても食べきれなくて、残りは冷凍したと。今日の晩御飯にします。


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夜は、日韓親善協会の忘年・会員の夕べでした。またご報告しますね。

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冴えない話。

冴えないことになりました。ムチウチです。

せっかく昨日時間をかけて作りあげた書き物を郵送し、やれやれ、後一つと、ホッとしたのに。胸の帯状疱疹もほとんどよくなったのに。

昨夜ユ-ポッポに行こうと運転していて、赤信号で止まっていた所に、ドンと追突されました。警察に連絡して、事故処理をしてもらいました。警察官にいろいろと話している内に、首が痛くなり始めました。

病院に行こうと連絡をしたら、はじめに言っておきたいことがあります。交通事故は健康保険が聞きません。自動車保険の会社に連絡を取って、了承してもらわないといけませんが、今の時間では連絡できませんので、全額自己負担して頂きますと。それなら、明日にしましょうということにしました。

へえ、私のクリニックでも妊婦さんで交通事故に遭った人が来られますが、お金を戴かなくって、後で保険会社からの連絡を待つのですが、ここはあらかじめ全額自己負担だと。

ところで、追突されたのは、国道54号線。高陽の方に向かって、不動院のバス停前。アストラムがぐっと曲がって祇園新道の方に行く、その交差点の少し前です。5車線か6車線あって、右折車線は無く、私は、高陽の方に行くので、右側の直進方向の二車線のうち、一番右側にいました。交差点を直進して渡った所は二車線になります。追突された後は一番右側にそのまま停まっていましたが、、交通量も多く、どこかに避難したいけれどどこに停めたらいいのか分かりません。110番した時には、左側に止められますか?と聞かれ、一番右側なので、左には行けませんと答えました。では、できるだけ中央分離帯に寄ってパトカーを待って下さいと言われました。追突した車にハザードをつけてと指示して、二台並んで待っていました。

やがてパトカーが来て、赤色灯をつけて、後に停まってくれました。そして、真っ先にいわれたのが、こんな所に停まらないで、もっと安全な所にいて下さいと。どこに行けばいいのでしょうと聞くと、当たりを見まわして、反対側、広島市の方向のバス停に行きましょうと。この交差点は、もちろん、Uターンはできないし、反対に行くのは、とても不可能な所です。で、もう一台のパトが先導してくれて、Uターンしました。

これは、パトの先導があったからこそで、自分でそんなことができるはずはありません。私は、結局何処にいればよかったのでしょうかと警察官に問うも、どこか安全な所を探して、と言われただけです。今も、どうすればよかったのか分かりません。直進した所は二車線で、二車線とも、車がビュンビュン飛ばす所ですし・・・。

先ほど、相手の方の保険会社から電話がかかってきました。病院と車の会社に連絡をして下さるそうです。

昨夜は、何回か首が痛くて目が覚めました。今から、病院に行きます。今日は三次市、布野の中学生に話しに行かなければなりません。夜は日韓の忘年会だし。やれやれ、厄介なことが次々と起こるものです。

ちょっといいこと、うれしいこと。これが欲しくて、でも、完売で仕方なく軍手を買った話、その軍手の縫製が悪くて、文句を言った話、それを書いたブログを読まれたのでしょうか。

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大分で闘病生活を送っている長兄が行っているデイサービスに、カープ女子がいらっしゃるのだそうです。その彼女が私にと、プレゼントして下さいました。なんと。うれしいことです。どうしよう。大切にしなければ、なので、まだ使っていません。しばらく眺めています。

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CD「夏の花」②

原民喜の「夏の花」のCDに収載されている三分作、4枚のCD。それぞれについて私の解説より、CDケースに書かれている説明の方がうんといいと思いましたので。

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「夏の花」(49分)
当初「原子爆弾」という題名で1945年に書かれた。夏の花を妻の墓前に供えたその翌々日、原子爆弾が落とされる。広島の凄惨な光景が原民喜の澄みきった眼を通して語られる。


「廃墟から」(53分)
1947年発表。原爆が投下された後、次兄の疎開地である八幡村に移った作者の体験が引き続き描かれる。壊滅した広島、荒廃した戦後の人々の暮らしには、原爆で命を奪われた人々の無数の嘆きが横たわっている。


「壊滅の序曲」(104分)
1040年発表。広島に原爆が落とされる前の数か月間を描く。広島に戻った正三(原民喜がモデル)は、故郷の痛ましい末期をどこか予感しながらも、戦争末期の日々を過ごしているのだった・・・・


はじめの「夏の花」が被爆の直前からその時、その後。爆心地近くで被爆しても、奇跡的に助かった著者の周辺に起こっていること。崩れる家家、迫る炎。次々と近所や身内や出会った人々の亡くなる状況。それらがこれでもか、これでもかと描かれます。運転していて、息苦しくなるほどでした。


原爆の直撃では助かった人でも、その後に髪が抜け、斑点が出て、血を吐いてなくなって行く、その姿がまた詳細に描かれます。

だから、三番目の「壊滅の序曲」は、これから原爆が落ちることが分かってはいていても、聞いていて、どこかその日常生活にホッとするのでした。


そして改めて思います。よくこれを残して下さったと。原民喜が命を削るようにして、これらを書いてくれて本当にありがたいことだと思うのです。それまでも沢山文学を書いていた著者が、あろうことか、こんな状況に放り込まれたこと。これは、天が「書きなさい」と彼に告げたのだろうと思います。そして、書いた挙句に自死。なぜ?


また、これらを読むのでなく、CDで聞くという事。ぴったりの声と演技力で淡々と読む岡崎弥保さんの朗読。それはインパクトがありました。原民喜と共に、岡崎さんにも感謝です。

今、ちょうど広島で「原民喜展」が開かれています。12月9日までとのこと。どうしても行かなくては。

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CD「夏の花」①

ここの所、遠方への車の運転が続いています。夜だと、カープを聞きながら運転するのですが、カープの試合もないし、音楽やラジオを聞きながらになります。考え事がある時には、何にも音はなしでひたすら走ります。考え事をするには、一人で車にいることはいい環境です。

が、ここ最近は、ずっとこれを聞きながら走りました。

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原民喜の三部作。「夏の花」「廃墟から」「壊滅の序曲」。それを岡崎弥保さんが朗読したCDです。先日の広島であった「原爆の図 丸木美術館企画 いのちを観るいのちを歌う」の司会をされた岡崎さんから、このCDを頂きました。

岡崎美保さんには、丸木俊さん作の絵本、「ひろしまのピカ」の朗読のCDを以前頂いています。


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夏の花のCDケースの裏から。

著者 原民喜  1905-1951年。広島市生まれ。小説家、詩人。慶應義塾大学文学部に進学。1935年、掌編小説集「焔」を自費出版。(略)以後、三田文学を中心に旺盛に作品を発表していく。1945年、広島市幟町の生家に疎開し、8月6日、爆心地近いこの家で、被爆。広島の惨状を綴った「夏の花」をこの歳のうちに書き上げる。1951年、自死。

朗読 岡崎弥保 俳優、語り手。東京女子大学卒業、同大大学院修了。2010年朗読コンクール優勝。(NPO日本朗読文化協会主催)。東日本大震災後、福島での朗読ボランティアをきっかけに原爆・原発の作品に取り組む。ドラマ・リー゛てぃんぐ「父と暮らせば」(福吉美津江役)のブダイを各地で展開。朗読オーディオブックは、与謝野晶子訳「源氏物語」、「あたらしい憲法のはなし」等多数。

4枚のCDをそれぞれ二回づつ聞きました。それは、また壮絶な被ばく直後の状況があます所なく語られます。続きますね。

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«一周忌無事終了です。