お野菜たちで食卓が豪華です。

 先日、長い付き合いの患者さんからお米とどっさりお野菜を頂きました。ありがたいことです。

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 写真は撮っていませんが、丸ごとの白菜も。そして一昨日は、オフ会で頂いた野菜たちも。早速にぬたを作ったのですが。そのほかも、今、新鮮なうちにと、忙しく野菜を使っています。

白菜二枚に冷凍餃子を使ってスープ。先に芯の硬い部分をくたくたにて、葉の部分は餃子が煮えてから入れました。

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沢山の立派な大根の葉っぱを使って。塩でもんで塩抜きしてからどっさりの鰹節を入れて浅漬けにしました。ごはんにまぶして食べると最高です。

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同じく大根葉と小さめのいりこを炒めました。味付けはお砂糖とお醤油を軽めに。

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カブと日高昆布の甘酢漬け。

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そのカブの葉っぱと干しエビを戻して炒め物。

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そして、今日は、スタッフの竹下さんに教えてもらったショウガご飯を作りました。

金たわしで洗った生姜をマッチ棒くらいに細く刻み、油揚げ二枚をお湯で油抜きして、一センチ幅に切って。

生姜を牡蠣オイルで炒めてしんなりしたら、塩とお酒を入れる。そして油揚げを入れて、揚げに焦げ目がつくくらいになったらお醤油をジャッと回し入れて、それを炊き立てのご飯に混ぜるだけ。写真がピンボケだったり暗かったりですが、急いで作りながらなので・・。

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今日は忙しくて遅く帰ったのですが、チャッチャッと簡単に作って、でも、うまあ!!でしたよ。炊き込むのでなく、炒めてごはんに混ぜるだけなので。本当においしくて。頂き物のお野菜たちで、このところ、食卓が豪華です。おかげです。ありがとうございます。


 


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ふっかつ!ケンホクオフ会②

ふっかつ!ケンホクオフ会が開かれた旧郷野小学校は、江の川に面しています。会の途中で、川に行ってみました。坂を上がって土手に。このあたりの川は大きいのですが、水が少なくて、真ん中あたりに流れているだけでした。でも、そこには、多くの鴨が泳いでいました。もうシベリアあたりから飛んできたのでしょう。白鳥はいませんでしたが。泳ぐ姿がかわいくて。

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「鴨が泳いでいました。」と、水藤さん、くんちゃんにいうと、「そう、このころ飛んでくるから。もう心配で」と言われます。一瞬うん?と思いましたが、すぐに気づきました。「鳥インフルエンザのことですね。一羽でも罹ったら、全部埋めないといけないんですね。」「そう」と。クンちゃんは「クンちゃん卵」の生産者です。平飼いの有精卵で、fanで配達してもらう方が多い美味しい卵です。

 そんな方にとって鳥インフルエンザは、大変なことでしょう。無邪気に「鴨かわいい!」なんて言ってて反省です。

はるめさんと、テンペさんが、お野菜をどっさり持ってきて下さいました。みんなへのお土産と。町から来た人、もって帰ってと。ありがたいことす。私は、立派な分葱と生姜と赤大根を頂いて帰りました。帰ってすぐに分葱を茹でて、ぬたにしました。あさりのあけみが欲しかったのですが、お店になかったので、浅利を買ってさっと茹でて、身を取り出して使いました。新鮮なお野菜、うれしいです。

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水藤さんたちが買い取って運営している旧郷野小学校。素敵な所ですが、民間での運営、なかなか厳しいものがあるそうです。私たちもこれからも協力したいと思います。今回は完全におんぶにだっこでしたが、何かできることをしたいと思いました。

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集合写真です。

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皆様、本当に楽し方かったです。ありがとうございました。 またお会いできますように。

 

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ふっかつ!ケンホクオフ会①

 今日は、県北オフ会でした。何年振りでしょう。以前は本当によく集まっていたのですが、コロナ以来集まることもなくなっていました。私は音さんと途中合流して行きました。場所は安芸高田市の旧郷野小学校。廃校となった学校跡を校舎を解体するということになったのを、水藤さん、クンちゃんたちが頑張ってNPOを作り、市から買い取って、今は民間の物となっています。と聞いていたのですが、運動場も広く、校舎も大きく、体育館も立派で、立派な学校だったのでびっくりしました。もう少しこじんまりしたイメージをもっていました。この校舎を潰すのは、それはもったいないことです。でも、維持もなかなか大変で、クンちゃんたちがクラウドファンディングで資金集めをし、コンセントを作って電気が使えるようにし、新しくトイレを作ったりして、いろいろ貸し出しているのです。

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その校舎の一年生の教室が会場です。14人が集まって、まずクンちゃん先生が出席を取り、始まりました。

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皆さんとは広島blogで知り合って、もう20年になります。なつかしい人たち。暖かく楽しい会話。クンちゃんがみんなにお弁当を用意して下さっていました。それに持ち寄りのお料理。ごちそうでです。

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テンペさんがテンペ汁を、よし爺さんがお刺身や焼き鳥を。はるめさんのきんぴらごぼう、お肉入りです。音さん手作りの味噌ピーナツと巻きずし。どなたのかわからなかった、柿なます。それにゆきりんさんが焼いて持ってきてくださったパン。プロのパン職人みたい。

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私は、昨日の内に買っておいた材料で今朝デザートを作りました。

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これにココナッツミルクを入れて、ちょっと濃かったので、オレンジファンタも入れました。

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みんなの近況報告、いろいとつもる話。の後、頭の体操、クイズが始まりました。4人一組で、校舎全体を使って、階段を上ったり下りたりしながら。それは難しいクイズでしたよ。頭をひねって、とても時間がかかりました。

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本当に楽しくって。この後、明日に続きますね。 


 


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竹島宏のライブに行きました。

13日の木曜日、竹島宏氏のライブに行きました。私は、全く知らない人なのですが、親しい柴田さんが大ファンで追っかけをしていて、いろいろと話は聞いていました。その竹島さんが広島でライブをするから、ということで誘われました。ちょうど木曜日の休診日、それに講演も入っていない、奇跡みたいに空いていた日にはまりました。なんか、東方神起以外はコンサートもあまり行かなくなっていて。以前は美川憲一はコンサートもディナーショーもずいぶん熱心に行っていました。姉と妹と一緒に。でも、今はその二人とも行けなくなったので。あとは、吉田拓郎、郷ひろみ、西城秀樹、などなと。

 会場は、薬研堀のライブハウス。タクシーで会場に行くと、びっくり。行列でした。ああ、私が知らなかっただけで、ファンは沢山いるのでした。

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開演前の会場です。始まるともう写真は撮れないので。

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始まる時には、会場はいっぱいでした。竹島宏さんはかわいい男性ですが、もうデビュー以来25周年になるということ。大学を卒業してからだから、47歳?とてもそうは見えない。次々と歌われますが、当然私には初めての曲ばかり。中でも、ええっとびっくりしたのが「プラハの橋」という曲。柴田さんによると、これはミュージカルで歌われた曲と。戦争カメラマンと夫がいる女性との愛のミュージカルで、ものすごく感動したと。私も観てみたいです。一曲の歌を聴くだけでも感動したのですから。

 2時間余り、楽しい時間はアッという間でした。終わった後は、握手もしてもらって。柴田さんは二部も観るということで、お別れしました。私は、その日の夜はズームでの研修があるので、自宅へ帰りました。そう、こんなお休みの日があってもいいです。柴田さんに感謝しなければ、ですね。


 


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冬のおくりもの

失敗!!ごめんなさいでした。今日は、楽しみにしていた音さんたちの「冬のおくりもの」の初日でした。音さんに、ランチの予約までしてもらっていたのに。音さんから電話があって「いつ来ますか?」と。その時私は、そごうの地下でラーメンをべ終わった所でした。会場はそごうのすぐそばなので、急いで行きましたが。ランチ、音さんがキャンセルして下さっていました。

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本当に申し訳なくって。もう2時近かったので、お客さんは少なくなっていましたが。おかげでゆっくり見れて良かったのかも。音さんともゆっくり話ができましたし。午前中の開場と同時にすごい人がどっと押し寄せたそうです。


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音さんのコーナーです。

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赤ちゃんのお顔を見ながら授乳ができるカバー。アイデアが素晴らしいです。

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私は、音さんのデニムのバッグと眼鏡ケースと、デニムのブローチを買いました。それと、音さん作ではないのですが、藍染め作家の方の手袋。どれも素敵です。

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皆様ほんとうに力作ばかりで素晴らしい。同時にうらやましくもありました。「冬のおくりもの」は明日も開催されます。

主催の皆様、ありがとうございました。そして、もう一度ごめんなさい。

 なぜそごうのラーメンかというと・・。地下の中華料理「接えん」(えんの字がパソコンで出ません。竹かんむりに延です)。時々お惣菜を買うのですが、そこの奥で麺やどんぶりが食べられると。そして、そのお店は横浜の中華街の有名なお店だと、今日知って、それなら食べてみなくっちゃと行ったのです。担々麺を食べました。それは美味でした。でも、全部食べられず、3分の1残しました。990円と今時ではリーズナブルだし。まだ食べたいどんぶりもありました。またいつか行くでしょう。

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ユン・ドンジュさん

 私は、今回この演劇「星をかすめる風」を見るまで、恥ずかしながら「ユン・ドンジュ」さんのことは知りませんでした。でも、韓国では教科書に詩が載っていたりして、みんなが知っているほど有名な存在でした。私の韓国語の李先生ももちろん、同じ教室の小林さんも知っていると。

 クリスチャンであるユン・ドンジュ氏は、現延世大学を卒業後1942年4月立教大学に入学、10月に同志社大学文学部英文学科専科に転入します。1943年7月、もう故郷に帰る予定で送別会もすんでいた所で、従兄と共に治安維持法で逮捕されます。そして懲役二年の判決を受け、福岡の刑務所に収容されたのです。

 演劇の中での会話です。「どうして逮捕されたの?」「詩を書いたから」「詩を書いてどうして逮捕されるの?」「朝鮮語で書いたから」「どうして朝鮮語で書いたの?」「朝鮮人だから」本当に当たり前のことなのに。日本人がアメリカに行ってもブラジルに行っても、日本語と日本の文化は大切にするのが当たり前なのに。

 序詩

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにそよぐ風にも
私は心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いて行かねば。

今夜も星が風にかすれて泣いている。

福岡の刑務所に乗り込んできた九州大学の医療班。医療を施すふりをして、囚人たちに人体実験をしていました。わけのわからない注射を打たれて。彼がこれまで書いてきた詩や文も押収され、焼かれてしまいました。彼が亡くなった後、遺体を引き取りに来た父親に、従兄がわからない注射を打たれていると言いました。そしてその従兄もほどなく亡くなっています。アメリカ人の捕虜にした人体実験は戦後問題になったのに、刑務所でひっそりと亡くなっていった朝鮮人の囚人たちのことはなにも知らされないままです。

以前、譜族という演劇を見ました。日本が、朝鮮人たちの名前を奪い、言葉を奪ったこと。それに抵抗する人達の演劇でした。創氏改名をしない人達には、ひどい差別をしました。それらに苦しんで、結局は主人公は身を投げて自死してしまいました。やはり日本がやったことは許されないと思います。

 私は、アジアの人たちに日本の戦争推進者たちがしたことと、日本の若者たちにしたこと、多く若者たちの命を奪ったことは同じく許されないことだと思っています。それだけでなく、沖縄をはじめとして、日本本土の空襲で逃げまどい殺された人たち。原爆により子どもたちも含めてあらゆる年代の人々が焼かれ亡くなっていったこと。なんのために戦争をしたのでしょうか。

 私は、以前、韓国の「八月のクリスマス」やぺ・ヨンジュン氏の「四月の雪」などの映画監督、ホ・ジさんと食事をしたことがあります。その時、韓国人の反日感情と、日本がやってきたことを考えればそれは当然でもあること等を話した私に、ホ・ジノさんは、「国に対してと、一人ひとりの人に対しての感情は異なるものだ」と言われて本当に助かったことを思い出しました。

その時のことを書いています。良ければ読んでみて下さい。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e24c.html

その時の写真です。

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日本がやってきたこと、それに対して私たちがどうしたらいいのか、国がちゃんと謝罪をした上での外交をしないから、いつもでも私たちはうしろめたさを持ち続けなければなりません。

回天のブックトークを聴き、ユン・ドンジュ氏の演劇を見たことで、そんなことを考えました。まだまだ私たちの課題は続きます。


 


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回天とユン・ドンジュ氏

 回天や飛行機などの特攻隊員の戦死者数。特攻隊戦没者慰霊顕彰会によると、海軍が4146人、陸軍が2225人の合計6371人とされています。これらの若い人たちは、日本国ため、天皇の為、家族のためにと、純粋にそう考えて、自分の命を懸けて戦ったのでしょう。若者たちは、教育により、洗脳されて行ったのでしょう。

 しかし、戦争は一体、誰が初めて、どうやってこのように国を挙げて戦うのが当たり前になっていったのでしょうか。日本がアジアに侵略していくときに、それを止めることはできなかったのでしょうか。もし、そのようなことを考え、だれかに語ったなら、それは即非国民となり、人々の攻撃の対象となりました。

 私は、「はだしのゲン」のすごいところは、ゲンのお父さんに尽きると思っています。あの社会の中で、戦争反対と言い、息子が軍隊に入ることに反対し、朝鮮人と仲良くし、そして、非国民として逮捕、監禁され拷問され・・。中沢啓二さんは、そのような父親の元で育ち、だからこそ、あの様な「はだしのゲン」を描くことができたのだと思います。

 私が何にこだわっているのかというと。私は、この20年近く、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のスタッフとして活動を続けてきました。その中心を貫いているのは、当然「反戦・反核」です。その中でも、もう数少なくなってお話を直接聞けなくなる被爆者にその体験を語って頂くことを続けています。それも、単なる被爆体験だけでなく、様々な闘いを続けて来られた方に。今年は韓国人被爆者の救済活動を続けて来られた豊永恵三郎さんに、昨年は核兵器廃絶の闘いを続けている千葉たか子さんに、一昨年は被爆教師の会で子供たちへの平和教育を続けてこられた森下弘さんに。この年の平和講演には原爆小頭症きのこ会の事務局長の平尾直政さんにも話して頂きました。という具合に。中沢啓二さんや李鍾根さん、那須正幹さんなどもうなくなった方たちにも。それは、貴重なお話を聴くことができました。

 でも、それら語って下さる被爆者の方たちのこれまでの壮絶な闘いを、「被爆者は、なぜ被爆をしたのか、それまでの日本がしてきたことの反省がない」という人がいるのです。日本がアジアに侵略し、国民みんな一体となって戦争に加担したではないかと。朝鮮人などの差別もしてきたではないかと。確かにそうです。日本がしてきたことは紛れもない事実です。でも、その責任をなぜ被爆者に求めるのか、それが私には理不尽だと思えるのです。あの状況の中で、戦争に国民が巻き込まれて行くなかで、だれがどうやってそれを止めることができたのでしょうか。生きるだけで精一杯だった被爆者にその責任を求めるのは、あまりに酷だと思うのです。精一杯生きて来たその生きざまを見せていただくだけで、私たちはありがたいと素直に思います。

 しかし、同時に私は、若者を回天に追いやった、そして、詩人のユン・ドンジュ氏を治安維持法で逮捕し、獄死させた、それら為政者たち、戦争を推進し続けた人たちを今もなお追及しなければならないと思います。そうしないと、また同じことを繰り返してしまうと。今を戦前にしてしまうのではないかと。私たちにそれを止めることができるのかと。本気で怖いことだと思うからです。

 明日からユン・ドンジュ氏のことを少し書きたいと思います。

これは、私が感動の中で演劇「星をかすめる風」を見た後買ったパンフレットと詩集「空と風と星と詩」です。

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ブックトーク「西瀬戸内海回天巡礼」③

 回天は、コスパが悪かったと言われましたが、その成功率は、2~3%であったそうです。一方、訓練中の事故で多くの若者が亡くなりました。故障で動くことができなくて、そのまま酸欠で亡くなるということです。じわじわと酸素が亡くなって、苦しくなってついに亡くなるという、その胸中は一体どうだったのでしょう。そもそも、回天に乗るということは、自らの命が亡くなるということ。世を上げて戦争に突き進んでいく時に、自らの命をささげるという決心は、どのようにして作られていくのでしょうか。これがいつも私の胸の中にありました。それを知りたくて、今回のブックトークにも参加したともいえます。

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 山口県の上関に、「回天特別攻撃隊員和田稔記念碑」が建っています。説明版に、「一九四五年七月、特攻兵器回天の搭乗員和田稔少尉(東京帝国大学在学中・当時二十三歳)が光基地から発進し行方不明となりましたが、同年九月の枕崎台風により白井田の高瀬の岩礁に漂着しました」と書いてあるそうです。和田氏の日記は「わだつみのこえ消えることなく」として出版されています。和田氏は1945年5
月にウルシー方面に出撃しました。しかし、敵に遭遇することなく帰還。 7月の再出撃に備えた訓練中に行方不明となったものです。彼は、東京帝国大学に入学前の一高時代の日記に「我々の経済は常に時代道徳にのみ支配され、それに追随して行くことしかできないのであろうか」と当時の社会への疑問も書いているとのことです。また、本の中の佐田尾さんの特別寄稿「和田稔と同じ時代の妹たち」の中に、和田稔氏のことについての記述があります。その中に書かれています。和田は、熱狂的になるでもなく退廃的になるでもなく、宿命を受け入れ、おのれの考えを弟や妹にすべて伝えたいと願った。と。また、和田が同期の回天搭乗員大石法夫にもらした無一言がある。殉職する前々日、自身のアルバムを見せて「これは妹の若菜というんだ。可愛いだろう」「死にとうないのー」と漏らした。しかし、それが弱音の様には聞こえなかったという。

 こうして、戦争に突き進む社会、為政者たち、大人たちは若者たちを死へと追いつめて行きました。そして、殉死した若者たちをお国のために命を捧げて立派に戦ったとし、そのおかげで今の平和があるとさえも。しかし、和田氏のように優秀な若者たちが一体どれだけ命を落としたことか、それでも日本は原爆の惨禍も加えて、本当にみじめに敗戦を迎えざるを得ませんでした。あの大勢の亡くなった若者たちが生きていたなら、もっともっといい社会がつくられたかもしれません。

 私は今日(日が変わったのでもう昨日ですが)市民劇場の演劇を見ました。青年劇場の「星をかすめる風」。治安維持法で福岡刑務所に収監された朝鮮人詩人ユン・ドンジュ氏が九州大学の医療班により獄死させられる話です。言いようのない悲しみ、怒りで観劇しながら体が震えました。もう少し、回天とこの演劇について、戦争というものについて、考えたいと思います。


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ブックトーク「西瀬戸内海回天巡礼」②

 人間魚雷回天は、第二次世界大戦(回天巡礼本の中では大東亜戦争と語ってありますが)末期に開発された海軍の特攻兵器です。そもそも開発の拠点は、大型の特殊潜航艇「甲標的」の開発が行われていた今の音戸町です。

 私は知らなかったのですが、海軍は「兵士の死を前提にした兵器は作らない」とされていたのが、回天は、爆薬を搭載した魚雷に一人の兵士が搭乗して敵艦につっこむという、確実に兵士の死を前提とした兵器でした。


 その訓練所は山口県に3か所と大分県の速見郡日出町大神の4か所にありました。

 筆者はそれらのみならず、江田島の兵学校など関連の場を訪れ、丁寧に取材をして、沢山の写真を撮り、資料を掘り起こし、「回天」とは何だったのかと検証を行います。

本からの転載です。このような場所を訪れています。

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そもそも著者の堀さんは、靖国神社の初回宮司青山清さんの子孫だそうで、びっくりです。そして、宇部という地方に居住しながら、今回の本だけでなく、「戦争歌が映す近代」「ハワイに渡った海賊たち」「中原中也と維新の影」など多くのノンフィクションの執筆をなさり、且つ自らUBE出版を立ち上げて出版なさっています。

本に語られたことを実際に生の口で語られるのには、説得力があり、ただひたすら関心してお話を伺いました。本の目次を載せますね。

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そして、戦争末期。敗戦が濃厚となった時期にこれらを作り、そして堀さんもおっしゃってました、大変コスパが悪かったと。実践での有効な働きはほとんどなく、多くの若者が訓練中に亡くなったり、実践でも、役目を果たさずに亡くなったりした現実があります。

 多くの有能な若者たちをこうして亡くならせてしまったこと。「この人たちのおかげで今日本が平和に暮らせている」という人達がいます。それについて??明日書きますね。


 


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ブックトーク「西瀬戸内海回天巡礼」①

11月4日の午後2時から、「『西瀬戸内海回天巡礼』ブックトーク」に参加しました。でも、私のお昼時間は午後3時まで。3時直前に断腸の思いで失礼しました。この会については佐田尾さんがお知らせくださいました。初め、あきらめようかと思ったのですが、どうにもお話を聞きたくて、大変失礼ながら、一時間だけでもと参加させてもらったのです。

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本はこれです。

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宇部在住の堀雅昭さん編著。人間魚雷「回天」の形跡を求めて、西瀬戸内海を丁寧に歩き、綴られた本です。多くの写真や資料が掲載されています。会の前に読んでおこうと買ったのですが、知らないことばかりでした。

会について書く前に、会場について。会場の「kitokoi樹と鯉」は、昨年の3月28日に行っています。観音高校演劇部OB会主催で「土橋先生・脇田義さんをしのぶ会」でした。その時のことは、ここから二日間にわたって書いています。今読み返してみると、結構大切なことを書いています。


http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2024/03/index.html

始めて行ってびっくりしたのが、会場に大きな鯉が悠然と泳いでいる事。今回ももちろんそうなのですが、今回撮った写真よりも昨年3月に撮った写真のほうがかっこよく写しているので、そっちを今回も載せますね。

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そして、この度びっくりしたのが、これです。kitokoiの前に被爆あおぎりが植えてありました。昨年3月、まだ植えたばかりに見えました。案内板によりますと、2023年4月21日にグーン・レガシー・ヒロシマより寄贈されたものと。1945年8月6日に広島に投下された原爆の惨禍を生き抜いた樹木の子孫だと。ひょろりと棒だけのような幹ですが。

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この樹が、なんと今回行ったときにこんなになっていました。本当にびっくりしました。たくましいものです。きっとお店のオーナーが丁寧に育てていらっしゃるのでしょう。

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今回のイベントには、沢山の参加者で、会場は満杯です。30人の方が集まられました。

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会は佐田尾さんの司会で始まりました。この会場がある土地について。昔、この土橋は最大の遊郭があったところだと。私も、最近になって、ここにいた方たちは原爆でおそらく全滅でしょうが、それでも、彼女たちの調査とか記録だとか資料がないものだろうかと、そんなことを考えていたのです。だから佐田尾さんのお話にびっくりしました。

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何人かの参加者の方たちの紹介があって、そして堀さん。佐田尾さんと堀さんの掛け合いのような形で進行していきました。

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内容について、また明日書きますね。上手に書けるか不安なのですが・・。


 


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